ルール上、相手の技の被弾率が高い我々の空手の組手には、突き蹴りを被弾しても、それを耐える打たれ強さが必要です。
組手試合などは、打たれ強さが勝敗を大きく左右します。
空手の指導者として道場生には打たれ強さを身に付けて欲しいと思いますが、打たれ強くなるには身体を大きくして、身体を頑健にすることが基本ですが、打たれ強さの根本は痛みに対する耐性です。
痛みに対する耐性とは叩かれ、蹴られて痛くとも、それを我慢することで得る、痛みに対する〝なれ〟です。
心の痛みは別として身体の痛みは、痛みに対して我慢を重ねることで人間は痛みに強くなり、痛みに対する耐性を得ることが出来ます。
近年の私は膝が悪く、先日、膝の具合が少し気にかかり診療を受けた際、膝に水が溜まっていたので人生で初めて膝の水を抜くという治療を受けました。
膝の具合が気にかかることは度々あり、多分、これまでにも膝に水が溜まっていたことはあったように思いますが、これまでは気にせず自然治癒に任せていました。
今回はたまたま診察の際に膝に水が溜まっていて治療を受けましたが、膝への水の溜まり具合が結構重度だったらしく、普通に歩けたり、正座も出来ていましたが「よく、こんな状態で歩いたり、正座が出来ますね。」と、医師が少し驚いたように仰っていました。
診察した医師は私が空手の指導者であることを存じられており、感嘆するように「やはり痛みに強いですね。」とも仰っていただきましたが、痛みに強いのも怪我の状況を悪化させる場合があり、気をつけなければならないとの注意をいただきました。
痛みに強いのも良し悪しですが、ともかく私が痛みに強くなったのは、体質もあると思いますが、長年の組手の修練が影響しているように思います。
人間は、痛みに強くなれるものです。
痛みに強くなるには、我慢できる痛みへの我慢を重ねて、痛みへの〝なれ〟による耐性を得る苦労が必要です。
痛みに強くなる苦労は、体質や体つきで個人によって差がありますが、苦労が大変でも我々の空手の修練者は、稽古での痛みに耐えて、打たれ強くなるべきと私は思います。
道場生の成長は、組手でよく感じます。
空手を習い始めた当初、組手での突き蹴りの被弾による痛みで、身体がすくんで動きが止まったり、泣き出したりする道場生は多いものです。
しかし組手を重ねるうちに、強打を被弾しても怯まず、動きが止まらないようになりますが、それは打たれ強くなったための変化です。
「打たれ強くなった」と感じる時ほど、私は道場生の成長を特に感じます。
組手における道場生の打たれ強さには、内面的な心の強さを感じるものですが、私には心の強さと一緒に感じる、もう一つの心の働きがあります。
その心の働きとは、心の〝自由〟な働きです。
自由とは、改めて調べてみると「他からの強制・拘束・支配などを受けないで、自らの意思や本性に従っていること」とあります。
身体をすくみ上がらせ、身体の動きを止まらせる、我々の空手の組手における痛みは、自由を奪う強制・拘束・支配に相当するものです。
痛みが自由を奪うものであるならば、痛みに屈せず組手で思うように動き続ける様は〝自由〟そのものに私は思います。
空手で打たれ強くなることは、組手で自由な心のままに、自由に動くことができる〝自由を身につける〟ことと私は思います。
〝自らが痛みを知ることで、人の痛みを知る〟ことは、我々の空手が武道として培う修養精神の一つです。
〝自らが痛みを知ること〟とは、痛みを経験することから〝打たれ強くなる〟ことでもあります。
打たれ強くなることで「自分が打たれたら痛いように、人も打たれると痛いんだ。」と思うような、心の余裕からの気づきが生じますが、その心の余裕は自由を成分として含み、自分の心を自由に働かせるとともに〝人の心も自由であるべき〟との、気づきを与えると思います。
社会には強制・拘束・支配などで、人の自由を阻害する輩もいます。
人の自由を阻害する輩は、自由を奪われる人の心の痛みを知りません。
人の痛みを知らないということは、これまで書いてきたことを逆説的に講じると〝打たれ弱い〟ということになります。
社会には自由が必要です。
社会の自由を守る一端は、人が打たれ強くなることにあると私は思います。
社会的に空手、特に我々の空手の修練者は、打たれ強い人間の範となれるように思います。
新極真会徳島西南支部では、打たれ強い道場生の育成に努めていきたいと思います。
< ご案内 >【新極真会徳島西南支部、道場生・保護者様対象】
今週の土曜日 (4/20) の美馬道場、鴨島道場、来週の月曜日 (4/22) の阿南道場は、第 41 回全四国空手道選手権大会 (4/21 ㈰ ) の前後のためにお休みです。
また土曜日 (4/20) の阿南道場は 1 部クラス (18 時~19 時 15 分 ) のみ行い、2 部クラスはお休みとなります。
4.16.2024 記