毒親育ちの毒親考察

私の母は何かがおかしい

いじめた人間はなんとも思ってない、ということについて

 

たまたま目にしたこの記事。

いじめた人間は反省もしないし何の後悔もないという内容だが、私は「そうだろうな」と思った。

 

news.yahoo.co.jp

 

以前にも書いたので再びになるが、

うちの母は小学生の頃、クラスメイトの女の子に暴言(体型を揶揄する言葉)を吐いて、嫌がらせを繰り返していたそうだ。

 

その女の子は先生に相談し、母は先生から注意を受けたと言っていた。

 

まったくもって普通の対応だと思うのだが、

母は「○○が先生にチクった」と憤っていた。

その時、母は70代。

 

子どもって残酷なことをするよね、とか

○○に悪い事をしたわ、とか言うのだったらまだわかる。

でも70代になった母は本気で怒っていた。

 

怒る母を見て、

「この人って”本物”だわ」と思った。

 

そんな体験をすると、

いじめの加害者は被害者のことなんて心底なんとも思ってないんだろうなと、真実味を持って思うのだ。

 

ちょっとからかっただけなのに気にする相手が悪い、

そもそも虐められる人間が悪い、

所詮、加害者が思うのはこんなこと。

どこまでも「自分は悪くない」のだ。

 

虐めの被害者は、さっさと転校した方が良い。

 

加害者は変わらないし、

一旦作られてしまった雰囲気も変わらない。

 

人を執拗に虐めるような”ならず者”とは関わらない方が良いし、

そんな環境からは早く立ち去った方が良い。

私はそう思う。

 

 

「もっとちゃんと育ててほしかった」と思うのはダメなこと?

先日のメンタルクリニックでの話。

 

「母には何らかの障害があったのか、それともただの性格の悪い人、できない人だったのか、母の異常さの原因を知りたい」という私にメンクリ先生が言った言葉。

 

発達障害や知的な問題があったかもしれないけど、それはもう分からない。たとえお母さんに何かあったとしても、それを知ってどうするんですか? お母さんのことはもう忘れて、あなたの人生を生きた方が良い」

 

それはそうなんだ、おっしゃる通りだ。

そもそも、診察できない人のことをどうこう言えないのは百も承知だ。

 

でも私は、どうしても先に進めない。

母の正体を突き止めない限り、

そこから先に進むことがどーーーーしてもできない。

 

そのことに何か理由を付けるとしたら、

それは私が「自分の人生」に納得してないからだろうと思う。

 

私が「私の人生」を生きていると実感できたのは、ここ数年のことだ。

知らぬ間に受けていた母の影響を脱することができたのは、ほんの数年前のこと。

 

若い頃のことは、思い出すだけでも恥ずかしい。

いい加減でちゃらんぽらん。

母のようになりたくない、そう思っていたにも関わらず母にそっくりな私。

もう消してしまいたいと思うくらい、昔の自分が嫌いなんだ。

 

大人になってから、いろんな人に注意を受けて一つ一つ直していった。

そして子どもを育てるなかで、自分も一緒に育て直した。

本当に基本的な事から一つ一つ。

 

時間を守る、

忘れ物をしない、

きちんと挨拶をする、

お礼を言う、

人から借りた物はきれいにして返す、

他人に配慮した発言をする、

穏やかににこやかに過ごす。

 

こんな、小学生でもできるようなことからやり直した。

そして何とか「どこに出しても恥ずかしくない」の半分くらいになったのが現在。

 

母は最期まで鼻で笑った。

「そんな事できんでもいいねん!」と強がりを言った。

 

もっとちゃんと育ててほしかった。

そう思うのはダメなこと?

 

親がいい加減でも、子どもは一人で「ちゃんと」育たないとダメなの?

親に「もっとこうしてほしかった」と思うのはダメなこと?

なんでも親のせいにしちゃダメですか?

 

子供時代に教えられるべきことを、

ほとんど何も教えてもらえなかった損失を思うと、

どうにもこうにもやりきれない。

 

「今、できるようになったんだから良いじゃないですか」

きっとメンクリの先生はそう言うと思う。

 

でもそういう事じゃない。

今できるからとか、努力したからとか、

そんなことで帳消しになることじゃない。

 

私が人生の前半で多くの恥をかいてきたことは絶対に消えない。

物凄く遠回りさせられたこと、

その時間的ロスと悔しさは絶対になくならない。

 

この憤りが、

母に固執してしまうて原因なんだろうと思う。

そうと分かっていても、

母への怒りを完全には止められないんだ…

 

 

 

 

「家族」が私を評価するように感じてしまう苦しさについて

 

 

「家族」が苦しい

 

 

私は自分の現状に満足していない。

厳密に言うとそれは「私が」満足していないのではなく、今の自分の状態では家族が私を評価してくれないだろうという「不安」からきているのだ。

 

私は夫が、息子が、私の評価を下しているように感じてしまう。

もちろん彼らが何か言うわけでもないし、そんな気もないと思う。

 

でも私は、自分が普通にいるだけではダメで、何か凄いことをしないといけないと思ってしまう。優秀で、家族に貢献していて、家族の利になるような人間でないと家族が私の存在を「意味のないもの」と感じるのではないかと恐れているのだ

 

夫の夢に対する責任

 

夫の夢

 

私は精神状態を保つためにできるだけ「世の中のニュース」には触れないようにしているが、それでも完璧にシャットアウトすることはできない。

 

ニュースから漏れ聞こえてくる声で私を苦しめるのは「共働き」というワードだ。

何故なら、私の夫の夢は「パワーカップル」だったからだ。

 

夫婦二馬力で働いて余裕のある暮らしがしたかったのだろう。専業主婦が夢だとも言っていたので、妻がガンガン働いて、自分は主夫でいたかったのかもしれない。

 

私はそんな夫の夢を叶えることができなかった。

そして夫の夢をかなえられなかっことに、私は責任を感じているのだ。

 

私の夢

私は結婚を機に(たまたま時期が重なっただけだけど)仕事を辞めてからも、できるだけ働いてきた。でもそれは正社員ではなくパート・アルバイトだった。家族の都合で辞めている時期もあったので、トータルにしたら半分くらいの年月だと思う。

 

元々私には共働きの願望はなく、子どもを手元で育てたい(三歳児神話は信じてないけど)、子どもと一緒にゆっくりした時間を過ごしたい、という思いが強かった。

 

実家が滅茶苦茶だったので、安心できるゆったりとした家庭を作ることが私の最大の夢だったからだ。

 

ずっと家にいたかったわけではない。

子どもが中学生になったらフルタイムで働こうと思っていた。

 

でも結果的には、それも叶えられなかった。

丁度その時期に病気になったり、引っ越しを繰り返したり、何だかんだで家族の都合に合わせてしまった。

 

だから結婚する前に、互いの生き方についてもっとよく話し合うべきだった。

私はそんなつもりはなかったが、夫を騙したようなうしろめたさを感じ続けている。夢の方向性が違うという事で、結婚はなしにすべきだったと後悔している。

 

「役に立つ人」でありたいと思うのは

 

夫の夢を叶えることは、私の責任ではないと分かっている。

 

彼の夢は彼の夢であって、もしどうしてもその夢をかなえたいのであれば離婚してやり直せばいいだけなのだ。そうしなかったのは夫の選択であって、その選択に私が責任を感じることなどないのだ。

 

でもどうしても私は苦しんでしまう。

 

それは冒頭でも書いた通り、私が夫にとって「役に立つ人」でなく、「価値のない人」になってしまうのではないかと恐れているからだ。

 

なぜそんなことを思うのか、自分でも分からない。

でもどうしてもそう思ってしまって苦しいのだ。

 

無能な自分でもいい

 

「ここにいてもいい理由」が欲しいと思ってしまうのは何故なんだろう?

 

人と関わる以上、安心はどこにもない。

私が安心して、楽しく、自分のままでいられるのは「独りでいるとき」だけだ。

 

人との関係性を絶ち、1人で働いて1人で暮らす。誰も私を評価しない環境の元でしか、私は心の平安を得られない。私はちゃんとやっているんだと思えない。

 

「人」が「私を評価する何者か」になってしまっている。

だから人と心穏やかに過ごせない。

 

無能な自分が許せないし、働いていない自分に存在価値が見いだせない。

そもそも存在価値なんていらないんだけど、そこから頭が離れないんだ。

 

私の中にある「苦しさ」を取り除くことができたなら、生きることがもっと楽になるんじゃないかと思う。

 

私の生きづらさは、私自身が作り出しているものだけど、それを自分の力で排除することができないでいる。

 

医学部9浪の娘が毒母を殺害した事件・インタビュー記事に思うこと

医学部9浪の娘が母親を殺害した事件。

それに関しての書籍『母という呪縛 娘という牢獄』の著者・齋藤彩氏のインタビュー記事がネットに載っていた。

 

母親を殺害した娘(仮名・あかり)に同情する意見は多い。

それは私も同じだ。

 

ただ同時に、

激しい教育虐待を行った母親の臭いが私の中にもあるのだ。

うんざりするほどイヤになるけど、それは事実なんだ。

 

アメばあは、米軍の軍医と再婚して米国に暮らしているわけです。推測ですが、妙子さんはアメばあから十分な愛情を得られないまま育ってしまったという心象を受けます。小さい頃に再婚した両親だけ米国に行ってしまって、日本に取り残された妙子さんは愛情に飢えていた。娘を医者にしたいからと学費の協力をお願いしたり、何かとアメばあに報告したりというやり取りも、娘を引き合いに出してアメばあを喜ばせ、振り向いてもらえなかった部分を埋めていた気がします。お金をもらっている以上は結果を出さねばという固執も、もしかして彼女はアメばあのために子育てしていたのかなと想像しました。

 

*「妙子さん」は母親の仮名、「アメばあ」は祖母の呼び名

 

 

母親(妙子)が自分の母親(アメばあ)を喜ばせ、

振り向かせるために娘の子育てをしていたのではないかという部分。

ここに自分と似た臭いを感じるのだ。

 

私も我が子が幼い頃、

子どもを連れて毎日のように実家に通っていた。

 

その理由は簡単だ。

親の喜ぶ顔が見たかったから、

そして親を喜ばせることができる「孫」を産んだ自分を、

誇らしく思いたかったからだ。

 

我が子が両親から褒められると、

まるで自分が褒められたような気持ちになった。

その感覚は甘く温かで、中毒になりそうだった。

 

私も同じなんだ。

同じように、子どもを道具にしてしまっていた。

 

この母親は明らかに度を越している。

それでも娘の医学部進学が母との唯一の繋がりだったとしたら、

それはそれで悲しいものがある。

 

母親の再婚相手が「軍医」だったことと、

医学部進学は関係があるんだろうか?

「お母さんの夫と同じ職業だよ」と言いたかったのだろうか?

医者ならお母さんが関心をもってくれると考えたんだろうか?

それとも単に、自分の子育てが成功したと思いたかったんだろうか?

 

親の愛情に飢えている者は、どこか「歪」だ。

「歪」だから、

「親」というものに生涯を通して固執してしまい、

それだけで人生が終わってしまうんだと思う。

 

バカバカしい事だと思う。

そう思いながらも、その場から逃れることが難しい。

親子の問題は簡単ではないのだ。

 

「モンスターを倒した」とツイートした娘よりも母親の方に関心を持ってしまう、

そんな気が重くなる事件だった。

この事件を思うと、ものすごく複雑な心境になるなぁ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

思い出してモヤモヤするので吐き出そう…娘の外見に拘る母に言われて嫌だったこと

 

着物騒動

新調した着物

 

ずっと前のことなのに、

世間が卒業式で沸いているので、

つい思い出してしまった。

 

子どもの中学の卒業式での話。

 

式典で着ようと思って、私は新しく着物を誂えた。

自分で誂えたのは初めてだったし、

一目ぼれの色無地だったので、ウキウキ気分で準備した。

 

そこへ母がやってきて、私の着物姿を見るなり、

「何?それ!?(ものすごく嫌な言い方)」

 

一瞬でイヤな空気になった。

孫の卒業式を見たいと言うので呼んだのだが、

断ればよかったと後悔した。

 

自分の価値観は絶対

 

母の言い方はこんな感じだった。

「私が持たせた着物はどうしたの! なんであれを着ないのよ! なに、その安物!」

 

事前に言っておかなかった私も悪かったが、

結婚前に揃えた着物を一度も着ないのならわかるが、

お宮参りや幼稚園、小学校と散々着ている。

それは母も見て知っている。

 

若い娘ならまだしも、その時の私は50手前のおばさんだ。

たまには自分で選んだものを着たっていいじゃない?

これから出かけようという時に、なんであんな言い方するかなぁ。

 

別に変な着物ではないし、変な着方もしていないし、特に安物でもない。

普通の地紋の入った色無地で子どもの式典には最適だし、

値段も一般的なものだった。

 

私は、色無地や付け下げのように大人しい着物とシックな色が好きなんだけど、派手好きで変わったもの好きの母は、色無地や付け下げが大嫌いで「安物くさい」と言って嫌っていた(絶対にそんなことはないが)。

 

母は自分が絶対に正しくて、自分の好みとは違う趣味を徹底的に批判し、絶対に認めない人だった。「単なる個人の好みだろ?」と思うのだが、母にはそれが許せなかったようだ。

 

「外見」にこだわる母

 

母が不機嫌になった理由はこんな感じだろうと思う。

 

「私がせっかく揃えてやったのに、なんで勝手に違うものを着るんだ! 私が何もしてないみたいじゃないか、しかもそんな安物を着て私に恥をかかせて!」 

 

母は娘の「姿」にこだわる人だった。

服装や髪型が、似合ってるとか似合ってないとか安物だとか、

とにかく会った瞬間に、こちらの着ているものや髪型に何かしら文句を言う人だった。それは「一般的な価値観」とかではなく、母の独断と偏見からくる評価だった。

 

だからたまに、とんでもないものを勧めてくることがあった。

忘れられないのは、私が20歳の頃のこと。

ママ友が娘に毛皮のコートを買ったとかで、「あんたにも買ってやる」と言ってきたことだ。

 

「そんなもの、絶対に着ないから! 若い娘が毛皮のコート? まるで○〇の人だよ」と激しく拒否。

 

母はこの時は諦めたが、

私が拒否をしても勝手に買ってきて、「せっかく買ってやったのに!」と一人で怒ることもあった。

 

母は家族や他人の外見を無茶苦茶に批判するが、

基本的にTPOがグチャグチャな人なので、自分は式典に普段着に毛が生えたような服装で出かけたりするのだ。

 

人はダメでも自分は良いの? なのである。

 

最悪な気分だった式典

 

イヤな気分で始まった卒業式のその日、

母は私の着物には一言も触れなかった。

完全に無視。

しかもずっと何となく不機嫌。

 

自分の着たい着物を着ただけなのに、

そんなに気に入りませんか?

 

その後、

高校の入学式も卒業式も、母には声をかけなかった。

もうあんな嫌な思いはこりごりだったから。

 

自分の好み以外の物を一切受け付けず、

不機嫌をあらわにする人はほんとに疲れる。

これも「こだわり」と「執着」からきているんだろうか?

 

 

「相手の機嫌を取ってはいけない理由」を聞いて、これって私と毒母だなと思ったことについて

何故だかお勧めに上がっていたyoutubeの動画。

『人への迎合・機嫌をとるのをやめた方が良い理由』 

「自分を見失わないために!」人への迎合・機嫌を取るのをやめた方がいい理由 - YouTube

 

これって、毒母と私の関係よね、と思った。

 

長年、

私は毒母の機嫌を取り、同調し、嵐が起こらないように気を配ってきた。

その結果、母は私に甘え、

私を自分の母親のように扱うようになってしまったんだな。

 

母が始終、人の悪口や批判ばかりしていたのは、

私がそれを聞き入れてしまったからかもしれない。

 

他所では言えない「負の話」を、

全部私の所に、持ってこられていたのかもしれない。

 

以前も書いたが、

母の知り合いの男性が「お母さんは大人しかった」と言った話。

 

私にとっては衝撃的な証言だったけど、

家の中では偉そうで、超が付くほど我儘だったから、

てっきり外でもそうだと思い込んでいたけど、

それは違っていたのかもしれない。

 

今、冷静に考えてみると、

母は大人(まともな大人の人)の会話ができない人だったので、

大人の中に入ると、借りてきた猫状態になっていたのかもしれない。

 

そう言えば、

親戚のお葬式や結婚式、父の実家に行った時などは、

母はほとんどしゃべらずにいた。

 

母は常に5,6人のグループ(ママ友、サークル仲間など)に所属する人だったが、グループの中でも意外と大人しくしていたのかもしれない。

 

そして、

外の世界で感じるストレスを、

家で私相手に発散させていたのではないかと思えてきた。

 

その人たちの悪口をいう事で、

うまく立ち回れない自分を、正当化していたのかもしれない。

 

思い出してみれば、

母がママ友達とおしゃべり会や旅行に行って帰ってきた時は、

必ずと言っていいほど、ママ友の行動や言動を罵っていた。

 

そうまで陰口をたたかないと維持できない関係ならいっそのこと一人でいればいいのにと思うが、母は一人でいることに耐えられない人なので、陰口三昧でストレス発散しながらでも、どこかのグループに所属しておきたい人だった。

 

思って見れば、

私は母の「悪の部分」だけに触れていたのかもしれない。

私が「母の悪」を、みんな引き受けてしまっていたのかもしれない。

 

母は本当はどんな人だったのだろう?

「悪の部分」を見せない母は、どんな人だったんだろう?

 

でもそれは私の知らない人であって、

私には関係のない人だったのだろうけど。

 

 

母にとって家族は、自分を肯定するための道具でしかなかったんだな、と思う

前回のブログを書いていて思った。

 

そうか、

母は家族を、

自分は悪くない、自分はよくやっているんだと、

自分を肯定するための道具にしてしまってたんだと思う。

 

誰だってそういう部分はあるよ。

家族には自分を肯定的に見てほしいと思っている。

認めてほしいよね。

私だってそうだ。

 

でも母のそれは何か違う。

もっとグロテスクと言うか、

自分を承認させることに必死になっていたように感じる。

 

私を「偉い」って言って!

私は「なんでもちゃんとできてる」って言って!

「間違ってない、悪くない」って言って!

 

家族にそう思わせる事に躍起になっていたように感じる。

でもそれって、幼児が母親に向ける欲求だよね。

 

あぁそうか、

だから母と付き合っていると、

自分がまるで

母の母親になったような気持ちになったのは、そういう事かもしれない。

 

母の話を聞いていてよく思った。

この人は親や先生や大人から、

良い評価を受けた事がないんだろうな、と。

 

母がはっきりそう言うわけではないけれど、

母の言動や、

子どもの頃の行動を想像すると、そう思うのだ。

 

同級生に暴言を吐く

年の離れた弟妹を騙したり邪険にする

怒りのコントロールができず癇癪を起す

注意されても口答えばかりで謝らない

「先生のいう事なんて聞かなくていい」と言ったりする。

 

たぶん、

母には「そうしてやろう」という悪い気持ちはなかったんだろうと思う。

そうとしかできなかったのではないだろうか。

 

しかし故意であろうとなかろうと、

大人の目に見えている母は「厄介な子」だ。

 

母は、なぜ叱られるのか、

人がなぜそんな嫌な顔をするのか、

なぜ親族が離れていくのか、

たぶん一生、理解できなかったのだろうと思う。

 

可哀そうな人だと思う。

可哀そうな人だと思うけど…

 

私はそんな母の「人生のもがき」に巻き込まれていたのだろう。

でもそれは、子どもにとっては単なる迷惑でしかなかった。