誰かが捨てられなかったもの


夏までに引っ越したいと思って近場の物件をこまめに見ている。というよりすでにお気に入りの物件があって、そこの間取りを何度も見返している。
南側の土地が拓けてるし、風呂もトイレも窓があるし、河川敷が近い。
引っ越したい理由は、現在の仕事部屋にクーラーが無いことと、網戸の無い風呂場の窓から虫が入り放題だから。
住んで長いし愛着もあるけど、いい加減ボロすぎる。
この変な家のことを覚えておけるように日記を書いてみる。

 

今朝は東京から持ってきた器と台所のカトラリー類を整理した。
東京の家を引き払ったのは11月なのに、未だに荷解きが終わっていない。空の家で荷解きするならいいけれど、この家はただでさえ物が多いから、いらないものを捨ててからじゃないとどうにもならない。
そもそも既に家にあった物の整理が大変だった。
段ボールいっぱいの食器を断捨離し、賞味期限の切れた食品を大量に捨て、無限に出てくる薄汚れたスプレー類を捨て、家のあらゆるところから出てくるクイックルワイパーのシートと油固め剤を一箇所にまとめる、などなど。
先輩は目の届かないところに物を仕舞うともう無くなった!と思ってしまうらしく、封を開けてちょっとだけ使った大容量パック、みたいなものがたくさん出てくる。
引っ越しまでに使い切れるかな。
器はなんとかおさまったけど、カトラリー類はまだかかりそうだ。だって我が家にはお玉が四本もある。まだ出てくるかもしれない。

 

この間は知らないおじさんが「外の使ってない棚もらっていい?」と尋ねて来た。廃品回収をしているわけでもなく、たまたま家の前を通りすがっただけのおじさんだと思う。こっちにも使ってない棚あるからあげますと先輩が言ったら、「これ無くなると玄関周りがスッキリしていいね〜」と誰視点かよくわからないことを言っていた。最後までタメ口だった。

 

捨てたいものはたくさんあるけど、それが実は今までこの家に住んできた誰かの思い出の品だったりするので捨てづらい。
数年ぶりに遊びに来た元住人が、何気なく手に取った本を何気なく開いたページに当時の写真が挟まっていて盛り上がったこともある。
それを見て、こんなレベルで誰かの思い出があちこちに潜んでるなんてどうしたらいいんだ…と放心してしまった。
誰かが捨てられなかったものばかりが積み上げられた家に住んでいる。
うまく手放すにはどうしたらいんだろうな。

 

帰ったら玄関に果物がゴロゴロ転がっていた。りんご、青リンゴ、グレープフルーツ、小玉メロン、オレンジなど。
先輩が実家から持たされて帰ってきたらしい。最近は暖かいから痛まないうちに食べきりたいけど、先輩はまたどこかに遠出してしまった。
グレープフルーツは先に食べちゃおうかな。メロンは友達も呼んでから切った方がいいかもしれない。

見えないけれどそこにある

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夜寝る前にひとりで歯を磨いて順番に明かりを消して布団をまっすぐになおしてから最後の読書灯を消す時だけ、自分のことを本当に正しくかわいい存在だって思える。
こんなに正しくかわいく生きてるのに、どうして誰も見てないんだよ?と思う。
ちゃんと生きてるのに。ここにいるのに。


ここのところ雨ばかり降ってほとんど家から出なくて、頭がおかしくなるかと思った。
時間はいくらでもあったのに何もできなかった。ちょっとでも思考に隙間ができると嫌な考えが入り込んでくるから、何度も見たアニメを常に流し続けた。そうじゃないと立ち上がることもできなかった。
泥みたいにただ時間が過ぎていくのを眺めてる時、自分ってこの世に何も良いことをもたらしていないなあと思う。他人に与えられるようなものが何も無いというか。存在してる意味無いなあというか。
たまに、何かを言いそびれたままここまで来てしまったんじゃないかって思う時もある。タイミングを逃してしまっただけで、本当は誰かに手渡すべき何かを持ってたんじゃないかしら。ちっぽけでくだらないことかもしれないけど、この世のはじっこをほんの少し変えることができるような何かを自分の中に持っていたんじゃないかしら。
でも、何を言いそびれたんだろう。


人と話すのが怖いというしょうもない気持ちを抱えたまま、まさかこんな年になるとは思ってなかった。どこかで劇的な出来事が起こって変われるんだと思ってた。全然そんなこと起こらなかったけど。
ささいな、でも自分が大事に思っていることを話すと、いつもその場が変なかんじになる。
たとえば、夕方でも夜でも無い、窓の外が青い時間に電気を消してぼーっとするのが好きなこと。道端で一瞬だけマスクを外すといろんな花の匂いがすること。夜寝る前に、真っ暗ななかで流れ続ける川を想像したりすること。
相手が反応に困っていたり、無理やり何かしらの笑い話に変えられてしまったりするたび、体の奥をわしづかまれてぎゅうと絞られるような気持ちになる。
いまは自分なりに他人と接する術を学んだから、相手にとって聞くメリットの無い話をすることは無くなった。当たり前のことなんだけど。
誰かに伝える意味が見つからない気持ちをどこに置いておけばいいのかだけがわからない。


去年の今頃は、毎朝山の写真を撮っていた。小さくて低い山で、人生ゲームのボードにぽんと置かれるおもちゃの山みたいだった。有名な山々が神様なら、わたしの山には妖怪みたいな身近な存在感があった。
雨が上がった朝には陽が当たって白い霧をもくもくと出すところが見れたし、よく晴れた日には雲の影が山の斜面を横切っていくのがよく見えた。
山は毎朝違っていた。一日も同じであることが無かった。山の写真を並べて、その細かな違いを見比べるのが好きだった。
半年に一度くらい、まだ外が暗い早朝に起きることがあって、真っ暗な中でも山の写真を撮った。なんにも映らないけど、見えなくても山がちゃんとそこにあって、ずっと変わり続けていて、わたしの知らない表情をしているだろうってことを想像した。
誰も見ていないところでもちゃんと存在して刻々と変わっていくことが嬉しかった。いまだって嬉しい。


昔、短期間だけ乳幼児向けの教室で働いていて、「赤ちゃんのための窓を開けてください」と言われたことがある。
わたしはその時授業で使うものを工作していた。筒状のダンボールにストラップが通してあって、子供が紐を引っ張ると、筒の中から紐の先にくくりつけられた鈴が出てくるというもの。すごく単純な仕掛けだけど、0〜1歳の子供はそれを見るとけっこう喜ぶ。どうやら「自分が紐を引っ張ると、鈴が現れる」ということを確認して喜んでいるらしかった。他にも教室のいろんな場所に同じようなストラップを仕掛けてあって、子供がそれを発見する様子を見守りながら、親向けに乳幼児の認知と発達について解説するという授業だった。
「窓を開けてください」と言ったのは骨折した腕を三角巾で吊ったある社員だった。
「この筒にですか?」
「そうそう。このままだと赤ちゃんは筒の中に鈴があるってわからないんですよ。赤ちゃんは見えないけれどそこにあるってことがわからないので」
子供の知的発達を四つの段階に分けたピアジェの発生的認識論において、0〜2歳の発達段階の特徴として「対象の永続性」というものがある。生まれたばかりの子供は、目の前にあったおもちゃが布をかけられて見えなくなると、おもちゃが無くなったと思って興味を失ってしまう。見えないけれどそこにあるということがわからないからだ。発達の過程で、布をかけられて見えなくなってもおもちゃがまだそこにあるということを認識できるようになっていく。「対象の永続性」を理解できるようになる。
結局、筒には三つの窓を開けることにした。筒状の段ボールを切り抜くのにはけっこう苦労した。
授業で、子供たちは紐を引っ張って、窓の中を鈴が動いていくのを眺め、筒から出てくると喜んだり真顔のままだったりした。
わたしは骨折した社員のヘルプ要員として呼ばれただけだったから、彼の骨折が治ると同時にその仕事を辞めた。


見えないけれどそこにあるというのは、目に見えないものを信じることなんだと思う。
音信不通の友人がいまどこでどうしているかわからないけど、どこかで元気に暮らしていてほしいなと思う。元気じゃなくてもいいし、彼女の生活に楽しいことも悲しいことも起こることを想像すると嬉しい。彼女の生活がどこかで続いていくことが嬉しい。
引っ越して遠くにいても山が変わらずそこにあること、朝の七時にあちこちでいっせいに鳴る目覚ましのこと、誰にも語られないままの思い出のことを想像する。たまに。


昨日は久しぶりに晴れたから布団を干してシーツを洗って掃除機もかけた。それから窓際で日差しを味わった。日光で顔の表面がじんわり温まるのを感じた。
ごみを捨てに外に出たら午前中の良い匂いがした。光がちょっと春だった。ひとりだったから誰にもこの光を共有できないけど、ここに書いておく。

 

アイスを急いで食べる

 

ここ一週間についての日記です。


冷蔵庫も洗濯機も電子レンジも無い新居で風邪をひいたりした。食べるものが無いまま、ただただ時間が経つのを眺めて過ごした。思ってたよりはやくこういう時間がやってきたなと思った。ベッドから見上げたカーテンレールの形とか、薄暗くなっていくだけの部屋ってこういう雰囲気なんだなとか、部屋の細部がぐっと身近に感じられるようになるのってもっと先に起こることだと思ってた。なんにもしない時間を過ごしたことで、自分の五感がこの部屋と同期してきたかんじがする。客観的な観察じゃなくて、主観的な手触りや匂いによって自分の生活を捉えていくかんじ。


部屋に光回線を引くにあたってどのプロバイダを契約するかとか大家さんの許可を取れるのかとか数年前に契約した携帯のプランが月3GBしか使えないだとか色々なことが重なって、新居でインターネットがほぼ使えない状況に陥ったりした。これを機にしばらくSNSと距離を置くことにした。Twitterをやめて、本を読んだり音楽をかけたり、どうしようも無くなったら自分で歌ったりして過ごしている。


インターネット環境は大事。みんな引越しの時にはよく気をつけてください。
でも、Twitterをやめてみたのは良かったと思う。Twitterばっかりやってるとどんどん短文で頭が切り刻まれてくみたいな気がする。ここしばらくそういう行き詰まりを感じていたんだけど、どうしたらいいのかわからなかった。良くも悪くも人からの反応があるから、内省的なことを書いてると良くない方向に加速してしまったりする。考えを掘り下げることとそういう書き方の相性が、本当は良くないんだと思う。もうすこし長くて速度の遅い文章だと、自分の中で方向を決めきらないまま、考え続けながら書けるような気がする。というわけでひさしぶりに長い日記を書いています。


それにしても文章を書こうとすると、いつも自分がどれほど愚かなのかを思い知らされたりする。自分の愚かさがよく見えてくる、鋭く見えてくる。
たぶんわたしはフィクションについてまだよく理解していないと思う。どうしてこの世にフィクションが必要なのか、本当に必要なのかわかっていないし、自分とフィクションの距離を見誤っていると思う。自分のこの愚かさをもっと分解できたら、いつかちゃんとした文章を書きたいな。


当たり前すぎてつまんないんだけど、ひとり暮らしはものすごくさみしい。どうして誰もわたしのことを目撃していないんだろうと思う。毎日こんなにかわいく生きているのに。ひとり暮らしになってからアイスを食べなくなった。アイスが食べたくてアイスを買ってたんじゃなくて、アイス食べちゃおっかな〜どうする?いまからコンビニ行っちゃう?みたいなやりとりが楽しかっただけなんだなと思ったりした。うっかり買ってしまったアイスは、友達と電話している(さみしくない)時にいまだ!と思って急いで食べた。
でもインターネットが無いからしばらくは友達と電話もできないしアイスを急いで食べることもままなりません。はやくインターネット開通しないかなあ。おわり。

 

声が聞こえないところに行っても

 

20200502

水切りヨーグルトと晩柑にはちみつと胡椒をかけたトーストを作って食べた。水切りヨーグルト、はじめて作った。コーヒーフィルターを使って一晩水切りをしたもの。うまくいったと思うし、楽にできて美味しい。ホエーがたくさん余ったので、リコッタチーズというのも作ってみようかと思う。

家の前の川がまたどこかで堰き止められている。水たまりに残った小魚とエビを狙って近所中の鳥が荒ぶっていてうるさい。家の前の川は農業用水として使われているらしくて、時々ぱったりと水が絶える。誰も生態系のこととか考えてないんだろうな。でも、何度川の水が干上がっても小魚はしぶとく生きてるし、毎年たくさん蛍が出る。水たまりにうじゃうじゃ溜まってる小魚は影にも敏感だから、小さい橋の上を自転車が通っただけでザッと水面の色が変わる。たいてい一週間くらいで水が戻る。

夜、好きなコンビのラジオの最終回を聞いた。いまでも毎晩寝る前に聴くのを習慣にしているくらい生活に食い込んでいたラジオだったから、終わるのが信じられない。とても最終回とは思えない尖ったネタをぶっこんでいて笑ってしまった。楽しい最終回だった。
声が聞こえないところに行っても元気でいてほしい。

 

 

20200503

先輩に、近所の電機屋でSwitchの抽選販売に当たってるかどうか確認してきてくれん?と頼まれる。あんたのお母さんじゃないんだがとキレつつ、着替えてから電機屋に行く。抽選には外れていた。

電機屋をブラブラしながら、ひとり暮らし応援フェアの売れ残りが安くなっているのを眺める。もう5月だしな。もしこれから一人暮らしをするとしたら何を買わなきゃいけないのかなと考える。冷蔵庫、洗濯機、電子レンジあたりが定番なのかな。あとドライヤーとか、カーテンとか?
実家を出てからいまのシェアハウスに入居したので、ひとり暮らしをしたことがない。必要なものがよくわからない。ひとり暮らし向けと書いてある130リットルくらいの冷蔵庫を見て、こんなん小さすぎるだろう…と思っていたのですが、あとでツイッターの人たちに聞いたらわたしの冷蔵庫の感覚がバグっていることがわかった。130リットルで足りるんだね。ふーん。実家もいまの家も450リットル以上あるタイプだから、それが普通だと思ってた。ひとつ賢くなった。そもそも冷蔵庫の大きさをリットルで示すことを今日初めて知った。

夜、元気を出すためにミュージカルの配信を見る。ベーコンとほうれんそうのパスタ、サニーレタスのサラダ。まだ漬けている途中の晩柑酢をドレッシングに使ったらすごく美味しかった。はやく色々試したい。古い白ワインを飲んだら途中から頭が痛くなってダウンしてしまった。新しいワインを買おう。

 

 

20200504

家の前であの時の猫を見た。今度こそ絶対にあの猫だった。車のヘッドライトが丸く照らした中にいて、しばらく窓越しに見つめ合った。車を降りて近づこうとしたらぱっと逃げてしまった。左の後ろ足を引きずっていたけど、ちゃんと走ったり塀に登ったりできていた。
よかった。ちゃんと生きてたんだな。あの時はあんなにボロボロだったけど、元気でいるなら何よりだ。本当によかった。運転しながらちょっと泣いた。

灰谷さんから文芸リレーというバトンを受け取る。バトン、ふーんと思ってたけど灰谷さんの文章の続きを考えるのはおもしろそうと思ったので続きを書いてみる。久しぶりに文章を書く脳みそを使った。おもしろかった。
文章を書くの最近全くやっていなかったけど、たぶん今は必要が無いんだと思う。いつでもスルスル書けますよって状態になりたいとは思うけど、書かなくてはいられないってかんじではないのでどうせ続かない。
忘れたいことがあったらまた書くかもしれない。

 

 

20200505

昨日の日記を書きながら、わたしは忘れるために書くんだなと思った。数年煮凝りみたいになっていたことを、書いたらスッと忘れちゃったりする。それはそれで無責任なのかもしれないけど、そうでもしないと新しいことが入ってくる隙間を取っておけないし。成仏してほしい気持ちはまだいくつかあるけど、どう書いたものかわからないのでずっと放置している。手を付けるには自分が愚かすぎると思う。自分の愚かさに向き合うには体力がいる。

ゆっくり朝ごはんを食べていたら、後輩が家に来た。寝起きぼさぼさのままWi-Fiのパスワードを教えてあげた。居間で一日zoomを繋ぐらしい。

帰りにスーパーに寄って、リコッタチーズを作るために牛乳を買う。一番安い牛乳を見極めていたら、店員のおばちゃんが「あら〜。つめとお洋服が同じ色だね。おっしゃれ〜」と話しかけてくれた。そんなところに気が付いてくれる人がいるなんて、と感動してしまった。牛乳を選んでいる人間のつめの色に気が付くなんて、それが服と同じ色だってことに気付いてくれるなんて、それをすごく素直に伝えてくれるなんて。「その色っていま流行ってるよね」とも仰っていたので、きっとすごくおしゃれ好きな方なんだと思う。めちゃくちゃ機嫌良く帰宅。

 

 

20200506

薬局でビール6缶とアルフォートのファミリーパック、サワーオニオン味のポテチ、KATEのリムーバーと金色のマニキュア、一番安いコットンを買う。

帰り道、自転車を漕ぎながら一瞬マスクを外した。5月の夕方ってこんなに花の匂いがするものだったのかと思った。歩道に張り出している黄色いバラの茂みとか、駐車場のフジの花とか、道端のオレンジの花とか、空気中にいろんな香りの塊があって、自転車でそのなかを突っ切っていくイメージ。
ついこの間まで当たり前のことだったのに、こうすることがものすごく贅沢で秘密にしなくてはいけないことみたいになってしまったなと思う。マスクをつける前はわざわざ花の香りを嗅ごうとなんてしなかったかもしれないけど。誰かに見られる前にまたマスクをつけて自転車を漕ぎ続けた。

 

 

20200507

朝、居間のごみをまとめていて、ふと顔を上げた瞬間、縁側から家の中を覗き込んでいる猫と目が合った。猫は首を伸ばして一生懸命家の中を覗いていた。通りがかりというより、がっつりうちを観察にし来たようだった。こっそり観察していた猫に逃げられちゃうことはよくあるけど、猫にこっそり見られていたのは初めてだ。こんにちは〜と声をかけたら、猫はあっという間に逃げてしまった。しっぽの短い三毛猫だった。

Fと電話しながら化粧をする。Fも同じくいま無職なので、午前中とかに何の脈絡もなく電話がかかってくる。いつでも電話をかけたら取ってくれる友達がいるのって、無職でいる素晴らしさのひとつだと思う。
電話の内容は、お互いに無職であることを讃え合う、生活費のこと、家族のこと、受けられる補助制度についての情報交換、最近読んだ漫画を勧め合うなど。

先輩が元同僚たちとの打ち上げを家でやるというので、昼から外に出る。久しぶりにカフェに来たら、窓という窓をすべて開けて営業していた。天気が良いしあったかいので普通に良い感じ。お客さんは少ないような気がする。
個人的にわたしに会うために家に来てくれたりするのは全然平気なんだけど、みんなで遊ぶけどあなたも来る?という集いにはものすごく拒否反応が出る。今日の集まりもきっと楽しいんだろうし、別に嫌いになったわけじゃないし、そういう飲み会に出ることが重要なんだってわかるんだけど、わたしは行きたくない。わざわざ自分の自己肯定感を下げたくないから行かない。
カフェで日記を書くなどして過ごす。いまは、自分で決めたことを自分でこなして、時々川に行って淡々と生活していたい。

 

 

20200508

先輩が浴室にカビ取りハイターをしてくれたらしく、壁がかなり白くなっていた。こんなに綺麗になる浴室だったのか…と衝撃を受けた。うちの浴室は明らかに後から増築されたもので、かつ手作り感が拭えない。壁にはペンキの塗り跡が残ってるし、タイルの脇からホットボンドがはみ出してるし、壁に謎の穴も空いている。窓に網戸が無いし。いわゆるマンションの浴室みたいな、つるつるに磨き上げることのできる浴室じゃないので、どこまでが汚れでどこまでがペンキの跡なのかよくわかっていなかった。壁が白くなって、昼に浴室に踏み込むととても眩しい。

お昼、先輩と近所をドライブ。いままで入ったことのなかった焼き鳥屋さんでお弁当を買う。ランチの時間は過ぎていたけど、どうぞどうぞと愛想よく受け入れてくれた。やっぱりコロナでお客が減っているようで、すごく丁寧に接客してもらった。大変っすね〜と世間話などもする。
お弁当ができるのを待つ間に、履歴書に貼る写真を印刷しにコンビニに寄る。二年前に先輩に撮ってもらった職員証用の写真。爆笑してる写真だから履歴書に貼るにはラフすぎるし、化粧も全然してないんだけど、すごく良い写真なのでいつもこれを使っている。スマホからなんとか印刷しようとしたら、やたら画質の悪い写真が刷り上がってしまった。解像度ガビガビの笑顔が並んでいるのはけっこう良かった。今日の思い出として取っておこう。

夕方、川向かいの家のおっちゃんが飲みにやってきた。いままでそれほど親しいわけではなかったと思うんだけど、どういう風の吹き回しなんだろう。時々縁側で洗濯物を干していると川越しに目が合ったりするけど、挨拶はしたりしなかったり無視されたりする。昔、川越しにインスタントラーメンを投げてもらったことがある。
おっちゃんが遊びに来ている間、ずっと二階で身動きしないようにしていた。本当はそんなおもしろいイベントには参加した方がいいと思うのに、怖くて動けなかった。どうして怖かったんだろう。何が怖いんだろう。仕事について何か聞かれたとき、うまく説明できないだろうことが怖いんだろうか。それとも単に人見知りな自分を受け入れられなくて苦しいんだろうか。
お客さんが来ているのに自室にこもって息を殺しているのは大人としてかなり間違っていると思う。お客さんに会うのは怖いっていう気持ちと、いやここでこうしているのは絶対に良くない、怖いのなんか我慢して下に降りればいいのにっていう気持ちが戦っていて、その間ずっと動けなくて、どっちの状態でも嫌でずっと動けなかった。
このかんじは、実家で存在を消して生活していた頃を思い出す。家族に鉢合わせないように、こっそり台所の床にしゃがんでごはんを食べていた時期があった。そんな風に生活するのは間違ってるっていう思いと、でも家族みんな仲良いよねっていう体を演じるために食卓につくのは嫌だという思いが相まって、どっちにしても嫌で、どっちかを選んでも選んでいなくても苦しくて、出口が無かった。できればもうそういう思いはしたくない。いまはどうしてこうなってしまうんだろう。

夜、Nさんがふらっと家に来たのは大丈夫だった。わたしに来週の予定を伝えに来て、そのまましばらく家の居間で一緒にドラマを見たり先輩とゲームしたりしていた。ビールを開けてポテチも食べた。スーパーで安かった餃子を焼いて三人でちょっとずつつまんだ。

 

バースデーソングを流して踊る

 

20200425

突然両親からのビデオメッセージが届いた。家族と距離が近いわけではないし(たぶん家族LINEが動いたのも3,4ヶ月ぶり)、急すぎて怖い。恐る恐る動画を再生したら「おせちもうすぐ誕生日だね、おめでとう。プレゼントがありま〜す……(爆笑)(急に終わる)」という内容だった。何なんだ。ビデオの後に、わたしと妹へ、昔使っていた仕送り用口座にそれぞれお小遣いを振り込んでおきましたというメッセージが届いていた。
プレゼントが現金という意味なのか、それとも他に何かあるのか、わたしが失業したことがどこかから漏れたのか、わからない。いままでにこんなことは無かった。かなりイレギュラーな出来事だと思う。

いまだに両親に退職したことも転職先を見つけられずにいることも報告していない。親はわたしが元職場を選んだことをあまり快く思っていなかったと思う。なぜならあまりにも給料が低いから。一度「それって失礼だけど、生活保護くらいの額じゃん」と言われたことがある。失礼だけどって付ければ何言ってもいいわけじゃない、失礼だからやめてと返したのですが、まあ事実なので普通に傷ついた。

現状を報告したって、給料が低かったことも急に辞めなくちゃいけなくなったことも自己責任だと言われるだけだと思うから、極力そういう部分に触れないように生きている。そういう事態が起こるのって無駄だと思うし。親に伝えたところで何かが解決するわけでもない。
自分がいまここにいることが全て自分のせいなのかどうかは、正直よくわからない。でもそれってわたしが悩むことじゃないなと思うので考えないようにしている。これが自分の責任かどうか、答えが出たとして何の役にも立たないと思うし、だったら自分の気持ちが楽である方がいい。
矛盾するようだけど、自分が選んだことを誰かが責任とってくれるわけじゃない。自分のやれる範囲で生きていくしかない。

だから、親からのお金をどう受け取っていいのか悩む。そもそもいくら振り込まれているのかわからない。本当に生活が逼迫されるようになるまでは放っておこうかなと思っている。もしかしたらそんなに遠いことじゃないのかもしれないけど。

 

 

20200426

帰宅即IDの一挙配信を再生しながらビールを飲む。飲みながら、長芋を叩いて梅と白だしと鰹節と和えたものを作り、梅しそ餃子を焼いてフライパンから直で食べた。晩ごはんを考えるのがずっと苦痛だったけど、キッチンドランカーなら楽しい。晩ごはんをきちんと作ってきちんと並べて食べなくちゃいけないって思い込みすぎていたのかもしれない。

IDは何回観ても面白い。一番好きなセリフは聖井戸の「わたしは名探偵で、謎を解くのが仕事なので、人助けはあなたがやればいいのでは?」というやつ。聖井戸が人命に対してめちゃくちゃドライなところと、名探偵とは何かを端的に示しているところに痺れるからです。

 

 

20200427

親からの「お小遣い」を確認してみたら、衝撃的な額が振り込まれていた。びっくりしてすぐ画面を閉じてしまって、もう一度ATMにカードを差して残高を確認した。
もしかしたら本当にわたしが無職だってことがバレているのかも。

 

 

20200428

朝、居間で突っ伏して寝ているMちゃんに気付かず思いっきり蹴り飛ばしてしまった。昨日先輩とNさんと遅くまで飲んでいたらしい。帰りに自販機で買ったジュースをくれた。バースデーソングを流して踊る。

先輩が誕生日プレゼントにポータブルライトをくれた。手のひらに乗る大きさで、クリアポーチみたいな素材でできていて、ソーラーパネルが付いている。すごくかわいい。

遅くまで飲んでて眠い先輩のかわりに、好きなお店のお弁当を買いに行く。が、ゴールデンウィークで臨時休業だった。
無印でホホバオイルと晩柑を漬ける用の瓶を購入、ケーキ屋さんで先輩が注文してくれたケーキとシュークリームを受け取る。先輩は箱の中身見ないでな!と言ってたけど、普通にこちらのご注文でお間違いないですか〜とプレートの確認を求められた。
家に帰ってケーキを冷蔵庫に入れて、椅子を積んでパンを買って川原に行った。川原でパンを食べて本を読んだ。先輩は川原でものすごいいびきをかいて寝ていた。コガモとすずめがかなり近くまで来てくれて嬉しかった。

晩ごはんの材料を買って帰宅。買い物の間、先輩は引き続き車の中で寝ていた。これってわたしが晩ごはんを作る流れだよな〜と思いながらひとりで買い物する間、だいぶモヤモヤした。誕生日だからというわけではなく、二人とも予定が無い場合はいつも何を食べるかアイデアを出し合って決めるから、それが破られるというか丸投げされたかんじがして、悲しかった。そもそも眠いなら車の中で寝てていいよって言ったの自分なのですが……。
やっぱり誕生日だったことも気にしていたのかもしれない。誕生日って、良いことや楽しいことをしなくちゃいけないというプレッシャーを勝手に感じてしまう。誰かに誕生日の過ごし方を聞かれたときに、もったいないねとかさみしくないの?とか言われるのが怖い、みたいな。
でもそんな風に勝手に感じてるプレッシャーを他人のせいにするのは良くないよなと思い直した。とにかく自分ができる範囲で自分がやりたいことを楽しんで、満足できれば良いってことにしよう。

結局晩ごはんは自分の好きなものを自分で作って自分で食べることにした。先輩には、勝手に決めたし口に合うかわからないけど食べたかったら食べてもいいよと伝えた。キッチンにキャンプ用の小さいテーブルと椅子、間接照明を持ち込んで、大衆居酒屋みたいな空間を作った。先輩がDJとして音楽を爆音で流し、わたしが踊りながらごはんを作った。柚子胡椒のサラダ、スーパーで買ったお刺身、カブと椎茸の炒め物、ナスとエリンギの天ぷらを食べた。最後に先輩が買ってくれたケーキも切り分けて一緒に食べた。

なかなか良い休日だったと思います。

 

 

20200429

誕生日が終わったのでもう普通の日でいいんだって安心する。誕生日って毎年緊張してしまう。別に特別な日じゃなくていいって思うんだけど、自分のせいでダメにしてしまうことが怖い。

昨日のケーキの続きを食べる。元同僚がくれた立派な苺も食べる。

日記を書きながら、「ごはんどうする人?」には「あるもので適当につくるよ」と答えればいいのかも、と思った。先輩はただなんとなくこれからの予定を聞いているだけだと思うし、答えの方向性として間違っているわけじゃないし。
明日からはそうしてみよう。

わたしと先輩はなんだかんだ合計4年くらい一緒に暮らしているけど、生活のことで喧嘩したことがない。そもそも生活のことについて話し合ったりしたことがほとんどない。多分先輩もわたしの行動や言動に思うところはあるだろうけど、お互いに距離を取ったり、自分で解決できることは自分で解決するから喧嘩にならない。相手の行動を変えようとしたことがない。気は合うけど、たまたま同じ家で一緒に一人暮らしをしているという距離を保つようにしているし、多分これからもその方がうまくいくと思う。

 


20200430

オムレツを初めてバターで焼いてみたら衝撃的に美味しかった。オリーブオイルと全然味が違う。これだったのか。

午前中、ハローワークに行く。本来は適当なセミナーに参加すれば求職活動実績としてカウントしてもらえて失業給付を受けられるんだけど、いまはコロナウイルス感染拡大のためにセミナーが全部中止になっている。代わりに職業相談というのを受けないといけない。
一体何を相談させられるんだ…と身構えていたのだけど、初めて来ましたって言ったら普通に優しく接してもらえた。いまの就活状況について簡単に聞かれて、大変ですねえと言われておしまいだった。
まあそもそもわたしが探している職はハローワークでは見つからないことはわかりきっている。期待してない。でも、大変ですねえと言ってもらえるだけでけっこう嬉しくなって、足取り軽く帰宅。

仕事で必要なゴム手袋を買いに行ったが、見事に売り切れていた。先月買いに行ったときはお一人様ひとつまでとは書かれていたけどまだたくさん在庫があったのにな。状況はどんどん変わっている。マスクはいまだに売ってないけど、一時期どこにも無かったトイレットペーパーやキッチンペーパーはもう普通に並んでいる。あれ何だったんだろう。

晩柑を剥いたら手からものすごく良い匂いがする。
晩ごはん後、近所に引っ越してきたNさんがまた急に家に入ってきて、先輩に用事があったけど何だったか忘れました、と言った。その瞬間に我が家の廊下に何をしに来たのかわからない30代男性が発生した。廊下で立ち話をして、Nさんは最後まで何も思い出さないまま帰って行った。

電気を消してちょっと踊ってから就寝。

 

 

20200501

最近朝に顔のむくみを取るマッサージをしているんだけどあんまり効いてるかんじがしない。

お昼、近所の八百屋さんまで散歩に行く。ずっと家にいて動かない先輩を外に引っ張り出したら、「3D酔いする〜」と言っていた。
八百屋さんで新たまねぎと新じゃがいも、里芋を買う。ついでに飲み屋街を歩きながらテイクアウトをやってるお店を探した。お客さんが全然いない。この辺の宿はみんな閉まっていて、大手チェーンのビジネスホテルしか開いてないらしい。ゴールデンウィークも潰れて大打撃だろうな……。
二軒目の八百屋に入り、サニーレタスとほうれん草を買って帰宅。野菜が安いと嬉しくてついつい買ってしまう。

ごはんを食べてから買い物へ。夏用のブラトップとコーヒー豆を買う。ご当地ショッピングモールに行ったらスーパーと薬局以外のテナントが全て閉まっていた。先週はまだ開いてたはずだけど。ミスドに行きたかったのに、フードコートごと閉鎖されていた。かなり非常事態って雰囲気だ。いつ元に戻れるんだろう。

夜は里芋と鶏肉の煮物を作った。

 

誰に見られていなくても


20200418

地道にオムレツの練習を続けている。ホットケーキの時と違って、材料の配分を探るというより正しいフォームを身につけるというかんじで、これはこれで楽しい。今日は自分がオムレツを作るところを録画してみた。フライパンの柄をトントン叩くとオムレツがくるっと返るはずなのに、わたしがやると反対方向に回ってしまう。今日は盛大に反対方向に回ったうえ、フライパンからはみ出して直火の上に落ちてしまった。自分の動画とYouTubeのオムレツの作り方動画を見比べると、自分は腕がグニャングニャンに曲がっていた。それが良くないのかも。

師匠と電話。留学先からなんとか帰ってきたと噂には聞いていたけど、まだ顔を合わせてない。
次はどういう仕事がしたいのと聞かれて、もう殺し合いの螺旋からは降りようと思ってると答える(比喩です。師匠がよくわたしたちの仕事のことをそう例える)。この仕事にはやっぱり才能みたいなものが必要で、わたしにはそれが無いんだって今回のことでわかった、言い出せなかったけど人殺しはもうやめる、人殺す奴は全員が人を殺したがってるんだと思ってる、そうじゃないからね、別に人殺さない人生が普通だから、って言ったら師匠はちょっとウケていた。
感じていることをそのまま師匠に言えたのは初めてだったかもしれない。いままではとにかく頑張る、他人を押し退けても頑張ることが大前提だった。そこまで頑張れないなんて言えなかった。だから、些細なことだけど自分にとっては新しい展開だったと思う。
でもそんなこと言ってやっぱり螺旋から降りたくないから、仕事もなんでもいいわけじゃないんでしょとも言われた。そんなふうに図星を突かないで欲しい。才能もないのにプライドだけが高い。

 

20200419

あまりにも風が強くて家が揺れてる。というより、家が軋む音がすごいので風が強いんだなと思う。
先輩が家を離れているので、ちゃんと全ての窓を閉めて、全ての部屋の明かりを消してから寝る。誰に見られていなくても歯を磨いて明かりを消して布団に入るとき、自分のことを本当に正しく可愛い存在。と思う。でもわたしが一人暮らしをしたことが無いだけで、世の中の人の多くは一人で寝る支度をしてるんだよな。それってすごいことだと思う。誰にも見られていないところで、その人がその人として存在していることに対して昔からウーッと思う。夜も山は山であることや、今も東京の川が流れ続けていることに対しても同じ気持ち。小さい頃は、ディズニーランドも教室の自分の席も、自分がいない時にも存在してるんだよな。と思っては鳥肌を立てていた。この気持ちには名前がついているんでしょうか。


20200420

先輩が帰ってきたのでピザを頼んでビールを飲んだ。
ビールを一缶飲んだだけで泥酔してしまい、居間の床で撃沈。

 

20200421

昨日の泥酔を引きずって昼まで寝ていた。ピザと一緒に食べたポテチが良くなかった気がする。でも気のせいかも、どうだろう、と昨日残したポテチを食べて確認したらやっぱりお腹を壊した。

4月に入ってから状況は悪くなる一方だけど、気持ちは明らかに楽になった。今までは何もかも自分の責任なんだと思うしかなかったけど、今就職できないのはわたしの責任じゃないし、わたしだけじゃなく全員やばそうだし、わたし個人の問題じゃなくなったから。

休日なので先輩とシュークリームを買いに行く。調子に乗ってケーキも3つずつ買う。いちごのオムレットとフルーツロールとチョコレートのタルト。ここのシュークリームは皮が薄くて生クリームとカスタードがどっちり入っていて重たい。ちょっと垢抜けない味も可愛い。
川に行ってシュークリームを食べた。いつものベストスポットは日陰に入ってしまっていたので、謎の小さい階段を降りて水面ギリギリのところにしゃがんで食べた。先輩と交代で双眼鏡を使って鳥を観察した。カイツブリと、大きな黒い鳥を見た。

 

20200422

朝、駐車場にテーブルと椅子を出してケーキを食べた。はだしに日光を当てると気持ち良い。

StayHomeが流行りに流行ってて、間違っても花見に行ったとか言えない。散歩に出たことすら言いにくいかんじ。言外に外出する人を責めているみたいで息苦しい。自分も間違えそうになる。感染しない/させないために気をつけるのはもちろんだけど、感染した人を責めるのも外出していた人を責めるのも違うはずなのにな。この状況下でも働かなきゃいけない人もいるし、はやく休業補償が出て欲しいし、それぞれ自分にはわからない事情があるかもしれない、ないとしてもお互いを監視し合うのは息苦しすぎる。監視し合う空気が本当にきついけど、そうさせている仕組みに腹が立つ。「自粛」で乗り切ろうとするんじゃなくて、ちゃんと休業補償を出してほしい。みんなできるだけ健康であってほしい。

夕方、帰宅したら先輩がオンラインミーティングしている横で浴槽のお湯が溢れまくっていた。少なくとも30分以上はお湯を出しっぱなしにしていたらしい。ミーティングの横からお湯止めたよをこっそり伝えたら、先輩は声を出さずにアワアワしていた。
お風呂に入ってから、シャワーから冷水しか出ないことに気付く。さっきまではお湯が出てたのに。まさかガスを使い切ったとか?仕方ないので浴槽のお湯を汲んで全身を洗った。後で先輩も同じ方法で入浴するはめになる気がしたので、浴槽のお湯をなるべくこぼさないよう、中腰をキープしたままお湯に浸かる。

 

20200423

引き続きガスが使えないので、オムレツ作りもできず。代わりに昨日食べられなかったチョコレートのタルトを食べた。
昼前にはコンロが復活。

お昼ごはんを食べたらハローワークに面談に行こうと思っていたんだけど、先輩が車で出かけたまま帰ってこない。そのうち帰ってくるかなあとぼんやりしてたらあっという間に夕方になってしまった。
せっかくの休日なのにあまりにも何もしていないことに焦ち明るいうちからお風呂に入ることにする。湯船で「あなたはいま、この文章を読んでいる。」を読む。

 
20200424

昼前、先輩と買い物に行く。本屋で今村夏子の「木になった亜沙」を買った。誕生日に読む用。誕生日に何を読むか、毎年悩むのが楽しい。できれば大好きな作家の新刊が良い。去年は舞城の「されど私の可愛い檸檬」をわざわざ取っておいて読んだ気がする。
帰りに近所の八百屋さんでトマト、カブ、晩柑を買う。去年好きなお店で飲んだ晩柑ソーダが美味しかったから真似したい。

車で温泉街のあたりを通ったら、明らかに営業していない宿が多くて悲しい。毎晩かかさずに狂ったショーをやっている旅館すら週末しか営業していないらしい。50年以上毎晩続けてきたショーなのに。でも、お客さんのいない宴会場で狂ったショーだけが続くところを想像することはできる。80万本のチューリップが、刈り取られず、誰にも見られないところで咲いて枯れていくところを想像することはできる。

夜、近所の居酒屋さんなどがお弁当を売っていないか先輩とチェックしに行く。気に入っていた焼き鳥屋さんが5月からお弁当を始めることを知る。引き続き店舗の営業もがんばります!とポスターが貼ってあった。迷ったけど、潰れてほしくないし応援したいという気持ちで、普通にお店に入ることにした。
こういうのもネットに書くと白い目で見られるんだろうな。でももうみんなで監視しあうの疲れたし、家にいる間に好きだったお店は潰れていくんだし、正しいかどうかはわかんないけど自分にできることとして自分の住んでいる町にお金を落とそうと思う。まあわたしもお金無いので応援されたい側なんだけど。
焼き鳥屋さんに入る前に検温があって、当たり前のようにレーザーガンみたいな検温機を向けられたのでちょっとびっくりした。今後これが日常になるのかしら。
いつも満員のお店なのに、わたしたち以外にお客さんはもう一組しかいなかった。焼き鳥は美味しかった。先輩とユーチューバーになるとしたらどんな動画作るかを話し合い、わたしが青空文庫の作品を朗読する動画でひと稼ぎしようと決意。

 

仮暮らしの人生

 

20200411

仕事をもらうことが決まった矢先、明後日から職場の休業が決まった。仕事自体は無くならないものの、世の中のムードがすごい勢いで変化していくのを感じる。こんなにまでなると思ってなかった。わたしの住んでいる県は感染者20名くらい。東京に比べたら少ないけど、ここ数日で一気に増えた。

お金が無いことによって自分が嫌な人間になっているのを感じる。気持ちに余裕が無い。特に、一緒に住んでいる先輩と金銭感覚がずれてきているのを感じる。主に食に関して。
お金がちゃんとあってほしい。食うに困るまでは至らないけど、普通に周りの人との関係性がおかしくなっていくから、ちゃんとお金があってほしい。


20200412

例の首相の動画が流れてきて衝撃の朝。
最初クソコラだと思って笑ってたら公式だった。ああいうクソコラを誰かが作って、政府が火消しに躍起になる方がまだリアリティがあった。そっちの方が何倍も健全だったと思う。

もう全然笑ってる場合じゃないけど、具体的に何をどうしたら変わるのかあんまり想像がつかない。成功体験が無いというか。

 
20200413

糸井重里のツイートについて、それが不当な扱いを受けた人の口を塞ぐようなメッセージだったからずっと怒ってる。いまの状況だからというより、いつ発せられてもわたしは怒ってたと思う。
「他人を責めるのって良くないよね」みたいなふわっとした言葉で声を上げにくい空気を作るのって最悪だと思う。今回のことだけじゃなくて、痴漢とかレイプとかパワハラとかで同じ構図をもう何度も見てきたはず。
わたしは「あなたさえ黙っていればわたしたちはいままで通り平和な日常を送れる」みたいな言動を許せないし、ちゃんと怒らないとそれは伝わらないと思う。言い返してもしょうがないって黙ってる間に、言い返せない人が増えてしまうの嫌だし。
このメッセージを正当な批判に対するものではなく誹謗中傷に対するものとして受け取っている人の反論も見たけど、どっちとも取れるような言い方をしていること自体全然良くない。批判と誹謗中傷を一緒くたに考えること自体がアウトだと思う。そもそもこれを書いたのは元広告屋で、その自覚が無いはずない。
当たり前のことだけど、みんなが怒ってて、そういう状況に疲れてしまうことはあると思う。それはちゃんと休んだほうがいい。でもわざわざ他人を責めるのやめようってメッセージを発する必要はない。
あと他人が怒ってるのこわ〜いみたいなこと言ってられるのって生活が保証されてる人だけだなと思う。自分の周りがいつも通りであって欲しいってだけなんだろうな。

 

20200414

住居確保給付金について問い合わせるも、シェアハウスに住んでいる場合は申請できないと断られてしまった。賃貸の名義が自分じゃないことと、同居人と世帯が分かれているとはいえ実態はわからないから、というのが理由らしい。名義のことはまだ納得できるとしても、実態がわからないって何?通話を切ってからスマホを投げて、居間を転げ回った。悔しくてウグーッと唸ってもみた。無力。
自分は受けられなかったけど、代わりに同じくコロナで無職になった友人に電話して給付金のことを教えてあげた。問い合わせたら、友人の地域では書類を郵送でやりとりできるとのこと。友人に教えてあげたことで、この経験が人の役には立ったというか、自分が断れたことも無駄ではなかったというか、ウグーッとなった気持ちが成仏していくかんじがした。

買い出しついでにミスドに寄ってドーナツをたくさん買う。先輩に「ミスドで一番好きなドーナツ言って」って電話したら、結局山盛りのドーナツを買うことになった。
家の目の前の川べりにキャンプ用の椅子とテーブルを出して、ドーナツを食べた。先輩は15分後にミーティングはじまっちゃうとか言ってたけど無理やり連れ出した。家の中で食べるより野外で食べた方が絶対おいしい。川べりとはいえ普通の道ばたなので、通りすがりの人がめちゃくちゃ見てくる。

 

20200415

母の誕生日なのでLINEを送る。
いまだ家族にこの状態を報告していない。転職先が決まってから報告しようと思ってたらどんどんハチャメチャに巻き込まれて、ここまで来てしまった。辞めたことを報告しても自己責任だと言われるだろうし、それが辛いし、ならわざわざ伝えなくていいかと思う。
家族との距離を自分で調整できるようになってよかった。大人になって一番よかったことだと思う。

政府のやることなすこと悪い予想をはるかに飛び越えて最悪で、ずっと怒っていて疲れる。自分の怒りに向き合うのってものすごくパワーを消費するし、その状態で自分のタガが外れないように自分のことを監視しておくのが難しい。
でもここで怒らないと、自分がちゃんとした生活を望んでいい人間じゃなくなってしまうかんじがする。(他人にも怒れと言ってるわけではないです。自分の話)せめてもうちょっと安心して暮らしたい。自分はそれを望んでいい人間なんだと思いたい。何もかも諦めて、いま仕事もお金も無くて途方に暮れてるのが全部自分の責任だと思うのはしんどすぎる。

 

20200416

また川に散歩に行く。送別会でもらった双眼鏡も持って行く。
前回見つけたベストスポットを覗きに行ったら、知らないおじさんが昼寝をしていた。いいな。めちゃくちゃ気持ちよさそう。仕方ないので橋を渡って、反対側のベストスポットに行く。天気が良すぎて日焼けしそう。アオサギダイサギと亀とでかい魚を見た。

なんか物音する?と思ったら、最近家の近所に引っ越してきたNさんがヨッスとか言いながら普通に家の中にいた。窓際でたばこ吸ってるわたしの姿が見えたから遊びに来たらしい。本当にただなんとなく寄っただけらしく、先輩にも挨拶して帰って行った。

夜、また茶トラの猫を見た。向かいの家の駐車場で、車止めのフリするみたいなかんじで座ってた。わたしたちの車のヘッドライトに照らされても、余裕で香箱を組んでいた。先輩と「堂々としてるな」「肝が座っとる」などと言いながらしばらく猫を観察した。車を降りて探しに行ったらもういなかった。あの時の猫かどうかはわからない。

 

20200417

ひたすら風が強い日。

先輩と、車を持っていない元同僚とちょっと離れたたばこ屋さんへたばこを買いに行く。しばらく困らないように買い溜めする。商店街でずっしり重たいクレープも買った。元同僚を家まで送り届けて、そのまま家の前でしばらくキックボードで遊んだ。キックボードは思ってたよりスピードが出る。こんなに地面が近いことと、自分の身体がまあまあの速度で移動していることを意識するのがかなり久しぶりだった。夕方に人の家の前でダラダラ遊ぶなんて小学生ぶりかもしれない。

以前一緒に働いていた人から、関西で人を探してるところがあるよと紹介してもらう。ふたつ伝手があるらしい。どっちもフルタイムではないけどどちらも掛け持ちすればなんとか暮らせるかも、とのこと。
もうひとつ見つけた求人は北海道で、そっちも短期間の契約だからどっちもどっちだなあと思う。
この状況に巻き込まれるまでは、もうとりあえずの仕事じゃなくて、ちゃんと自分の部屋を持ってちゃんと給料をもらってちゃんと生活していきたい、と思っていたのだけど、まだ仮暮らしの人生が続きそう。

2月の日記を編集しながら、この頃はひたすら自己評価が低くて暴れまくってたなと思い出した。でも別にわたしは何もできないわけではなくて、できることだってあるし、仕事は自分のできることが生かせる場所に居ればいいんだし、そんなに肩肘張らなくてもよかったのかもしれないなと思う。仕事を頼まれたりするようになって自信がついたからそう思うのかもしれないけど。