嫌いな人を不幸にする方法
嫌いな人を不幸にする方法がある。
わりと簡単である。しかも手を汚さない。
私は子供の頃からある法則めいたものに気付いていて、30年以上この方法を使ってきた。
1.だいたい多くの人は人間関係で悩んでいるそうだ。
未熟な人は、単に相手を憎悪の対象と見なしている。
だからそんな奴はYouTuぶやバカッターなどでスカッと系を見て楽しんでることだろう。
残念ながらそういう人こそ、永久に報われることはない。だって現実で報われないから、スカッと系なんか読んでるんでしょう?
つまり、人が思うよりも最初から世の中はうまくできてる。
2.自分自身が社会という集合の一部である以上、憎悪の対象を選ぶことは共食いを意味する。
つまり「集合」と「部分」と「共感性」がカギだ
3.嫌いな人と言っても、所詮は存在である。
その人が目に見えるのは光源からの光の波が反射して、目と脳で認識しているのだ。
その人がなにかを言えるのは、音を発して気体の波に乗せて鼓膜で感じとるからだ。
その人の正体は「波」であり「ノイズ」である。
つまり今風に言えば、ノイズキャンセリングをすればいいのだ。
・嫌いな人を不幸にするための2つの方法
まず、『「自分に嫌われるってことは、この人は社会全体からも嫌われてるだろう」
と思える』くらいには、自分のほうが良い人間になることである。
これはべつに難しくない。
大事なのは二つめだ
『いつかその人が本当に不幸に見舞われたとき
「かわいそうに」と共感してやれること』である。
多くの人はそこで「ざまあみろ」などと思ってしまいたいだろうが、残念ながらそんなスカッとしたシナリオなんてまったく起こりゃしない。(だから好きな人はいつまでもスカッと系なんか読んでるんでしょう?)
なにを言ってるかというと、これは「未来に起こる事」に対する話なので、実はあなたの共感性の問題だということだ。現実にあなたの共感性が作用するのだ。
嫌いなら嫌いでいいが、身近な人に不幸が起こったなら、素直に同情するくらいの、大人ならそれくらいの余裕を持てるはずだ。
古今東西、「敵に塩を送る」や「汝の敵を愛せよ」とあるように、敵に対して悪意ではなく共感する戦法があり、これはなぜだか立派に通用するのである。
しかも自分が一切、手を汚すことはないことがお分かりだろう。
ふつうに生きると成功する話
人生を単純に生きていけば成功する。
なにか勘違いしてる人が多いが、難しいことをしたところで人生に得点は加算されない。
そんなおかしな方向に進まなければ人生はうまくいくのだ。
以下はイメージだが
生まれも育ちもよくて、
勉強に励んで、
誰かのおかげで生きていける事実を認め、
自民党を指示して、
神仏に祈る。
とか、こんな感じだ。
こんなのはモデルハウスのように典型的な人間だ。なにを言おうと結局はこれで人生はうまくいく。
正しいかどうかより、現状がそういうものなのだからそれが正しいのだ。要するに自明なのだ。
さすがに生まれや知能ばかりは選べないにしても、それについて人を妬むなということだ。
いい年になればそういった心がけの一つくらい自分で選べるはずだ。
一方で、歪んだ思考はかならず人生をも歪ませる。
以下はイメージだが
生まれ育ちを恨み妬み、「勉強や学歴がすべてじゃない」とのたまって、他人に責任を押し付けて、無知なのに社会を勘ぐって裁きたがり、形のない信念を保つ。
それぞれに生い立ちがあるだろう。
だが心の呪いは自分自身がかけたものだ。
そこからフィードバックされるものはまた、その人自身のものだ。
どこかでその過ちに気付くかもしれない。
親に感謝し始めたり、勉学が大切だと心を入れ換えるかもしれない。
しかし人生というものは現状回復に倍の歳月を要する。たとえば気付くのに一年かかると
1+2=三年も損をする。
5年遅いと15年を浪費する。
ハーバード大学の研究でも「人生の85%は本人の心がけで決まる」という結果が出ている。
私は研究よりも「直感」が大事だと確信してる。
そもそもエビデンスなんか出さなくても、これらのことは直感だけでわかるはずだ。根拠に頼るから、簡単なことが分からないのだ。難しくてややこやしくて複雑に迷宮に入りたがるのだ。
結論:ふつうに生きればいい
ということだ