大切なひとの居場所であり続けたい
家族がいても、恋人がいても、さみしくてさみしくて眠れない日はありませんか。私はあります。
理由のない孤独感や不安にさいなまれて、一刻もはやく夜が明けることを願うしかできない。
私はだいたい、朝になったらあのさみしさのことは忘れて、元気に過ごすことができます。悩みごとがあっても、こんなもんなんです。なんとかして時間をやりすごす。だって夜が明けることを知っているから。
でも、夜が明けるって知らなかったら?このさき一生夜が続くと思ってしまったら?
13の理由を見てもなんとなく自分とは遠いできごとと思っていた、ひとの痛みや傷が、今はすごく近くに感じる。
笑っていても、元気に見えても、そのひとが内に持っている感情はなかなかわからないし、
わたしにとってはなんともない出来事も、別のひとにとってはショックなできごとだったりする。
このへんは、13の理由にとても上手に描かれていると思う。「最高の尻」と言われて動揺した主人公ハンナとその動揺の意味が理解できない同級生や父親とか、ハンナの真実が、別の人から見るとまったくちがうものだったり。
すべてを把握することはもちろんできないけど、いろんな真実があると認識して、理解しようと努力をすることはできる。
なやみを相談してもらうことも、アドバイスをすることも、できないかもしれないけど、ハグをして愛を伝えることはできる。
せめて、私の周りにいる大切なひとたちに寄り添ってあげられる人でありたい、と強く思います。
これからわたしたちが生きていく未来に、こどもがはばたくべき未来に、絶望しながら生きたくない。
人生の主人公はじぶんだってわかってるけど
ひさしぶりにはじめてみます。
さて、Netflixドラマ「梨泰院クラス」について書きたいとおもう。ちょうど先週末にみ終えたばかりです。
強い意思を持った若者たちが、目標に向かって努力するっていうものがたり(ざっくりだけど本当にこのとおり)
ネタバレしないつもりで書きますね。
わたしは小さいころから本当にじぶんにすごく自信がないです。たぶん。いや、日によって異なるんだけど。
商業施設でプリクラを撮って、「わたしってこんなに人より顔でかいんだ」って思ったあの小学6年生の夏をいまでも鮮明に思い出せる。なにかきっかけがあったのかというとそれはあんまり思い当たる節はない。
そんなこんなで、やっぱり未だに、なんだろう、まあまあこじらせてるわけです。
そんな、自信がないじぶんを、このドラマを見てひっさしぶりに自覚しました、ささるセリフが多かったというか。そんな梨泰院クラスの好きなセリフを紹介します。
2つあるんだけど、どちらも12話にでてきます。
ある事件があって傷ついた子に、主人公2人がかける言葉。
「お前はなにも間違ってない。自分が自分であることを、他人に納得させる必要はない。」
「私は石だ。 やれるなら焼いてみろ。 私は動かない石だ。やれるなら激しく叩いてみろ。私は堅い石だ。やれるなら深い暗闇に閉じ込めて見ろ。 私は自身で輝く堅い石だ。壊れず灰にならず腐らず、私は自然の摂理に反する。私は生き残る。 私は…私はダイヤモンドなのだから…。 」
(こっちは、詩を読み上げてるセリフだった)
そうやって、強く、自分と周りの人のために、生きていきたい、生きてやる、って思う。じぶんに自信が持てるように、なっていきたいな。
今日かきたかったのはこれだけ。笑
おやすみなさい〜