明晰夢の庵

懐かしの純喫茶でコーヒーをしばきながら

一寸の虫にも五分の魂は真実か

虫と言えば多くの人にとっておぞましく、嫌悪感のある有害生物と言ってもいいのではないでしょうか。

カブトムシやクワガタなど、独特の外骨格フォルムにより一部好まれる昆虫も存在しますが、殺虫剤がいたるところで売られていることからも、邪魔で不必要、忌み嫌われ、かつ殺されることがスタンダードな悲しい生き物です。

(もちろん言うまでもなく、虫は土壌や植物、ひいては地球にとって必要不可欠な存在であり、全ての虫が忽然と消えれば人類はあっという間に絶滅する)

自分もいつの間にか苦手になってしまいましたが、小さい頃は虫が好きでした。

ちょうど小学一年生の時期が虫好きのピークで何もない田舎だったせいもあり、夏休みは一日中草むらで飽きもせず、バッタを探したりしていました。

自身の体長の何倍もの距離を跳躍するバッタの脚力や、カブトムシのように外殻に折りたたんで格納できる羽など、小さな生命に秘められた身体能力やギミックは子供の興味を引き、夢中にさせるに十分です。

虫カゴにキュウリなどを入れて飼ってみたりもしたのですが、いかんせん単なるプラスチックのカゴと適当な野菜では数日程度しか命が持ちません。

動かなくなってしまった虫の死骸を見るにつけ、生き物の死に直接関わってしまったことに対する恐怖感と言うか、もし虫も人間と同じように感情を持つ生き物だとすれば、牢獄とも言える虫カゴに閉じ込めた自分をどう思うだろうと考えるととても恐ろしくなったのです。

そのあたりから次第に興味の対象がマンガを読んだり絵をかくことのほうにうつってしまい、虫のことは気にもとめなくなりました。

虫に感情があるかは永遠の謎ですが、最近の研究結果では光に向かって進むようなスイッチのON、OFF的、本能レベルとも言うべき極単純な思考能力しかないようです。

生物が感情を有するには一定の質量(体重なのか脳の重さなのかは定かでない)が必要なのだそうで。

たしかに、動物霊という言葉は時折耳にしますが、虫の霊というのは聞いたことがありません。

しかし、捕食や交尾による繁殖などはある程度DNAに刻み込まれた本能だけでこなせるとしても、アリ、ハチ、クモなどのように、複雑だったり幾何学模様とも言える巣やコロニーを思考なしで構築しているのだとすれば、生命の神秘という都合の良い言葉よりも組み込まれたプログラムで動かされていると言われたほうがしっくりきてしまいます。

それは虫の生態というより、むしろ現実世界そのものに対する懐疑なのかもしれません。

 

車椅子のお爺さんの絵

以前病院で働いていたときの話なのですが、何度か入院したことのある70代くらいの車椅子に乗ったお爺さんからある日、事務の方に電話がかかってきました。

油絵を描いたからそっちに飾ってほしいので取りに来てくれとのこと。

好意を無下に断るわけにもいかないようで、事務局長に付き合って一緒に取りに行くことに。

 

病院に持ち帰り、診察室前の廊下の壁なら診察待ちの患者さんの目にもつくからいいだろうということで飾りました。

後日、お爺さんが病院に来て激怒するやいなや絵の返却を要求され、また家まで絵を運ぶことに。

どうやら飾った場所の日当たりが気に入らなかったらしい。

 

しかし数日後、飾る場所を変えるなら絵を渡してもいいと再度お爺さんから面倒臭い電話が…

事務局長も電話口ではわかりましたと了承するも切った後に

「もう勘弁してくれよホントにいらないから!」

とフロア中に響き渡る声量でぶちまけてました。

また絵を取りに行って持ってきてホールのガンガン陽が入りまくるところにスペースを空けて飾ったら流石に文句は言ってきませんでした。

 

画家でもない一般のお爺さんが趣味で描いた絵をわざわざ家まで出向いて下手に出て貰って尚且つ飾ることまで要求される時点で既に謎だし、きっぱり断って突っぱねればいいじゃんと思うのは簡単なんですが、実際は組織のトップでもない限り独断で勝手な対応を取るわけにもいかず、波風立てずに穏便に済ますしかないようで。

でも理不尽に対して自分の裁量で動けないってのもアホくせーな~って思いますよね。

個人経営のカフェは素晴らしい

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一時期はいろんなカフェを巡るのが趣味だったくらい、無類のカフェ好きである。

静かに落ち着ける雰囲気の中でコーヒーをすすりながらくつろぐ至福のひとときがたまらない。

 

建物が石造りの変わったカフェがあると思って入ってみたら、腰の曲がったお婆さんが一人で切り盛りする老人の集会場純喫茶だったこともあり、場違い感が凄まじかったがたまにはそういうのも悪くない。

 

今年の2月に引っ越してから、近所にカフェがあるのは散歩の時に見かけて知ってはいたものの、診療所を改装した建物のせいか、入り口が物々しくて入りずらかった。

しかし、虎穴に入らずんば虎子を得ずの精神で飛び込んでみたらこれが想像以上の当たりカフェ。

店内には静かなジャズが流れ、落ち着いたオシャレなインテリアに加え、珍しい興味のそそる本(洋書、ゾンビ関連etc)が大量に置かれている。

 

軽く興奮状態でメニューを閲覧。

フードメニューは少なめだが食事に来ている訳ではないので問題ない。

エスプレッソのキャラメルフレーバーとカスタードクリームプリンを注文。

キャラメル風味の飲み物は割と好きなのだが、つい最近、スタバで注文したキャラメルスチーマーは飲んだ瞬間「甘アアーーーーッツ!!!」と叫びたくなってしまい、かなりガッカリしてしまった。

スタバは働いている男女は若くてフレッシュなのだがいかんせん飲み物が全体的に甘すぎて苦手だ。

 

ほどなくして注文の品が運ばれてくる。

口に含むと苦みとコクのバランスが絶妙でマイフェイバリットと言っていいくらいのキャラメル具合である。

カスタードクリームプリンもいい冷え加減でおいしい。

特に上にかかってるレモンソースとのハーモニーとプリン自体のとろけ具合いが素晴らしい。

 

店内の書籍を読みながら小一時間ほどくつろぎ、帰宅。

近所のカフェがこれほどの穴場スポットだったとは。

今後頻繁に通うことになりそうだ。

 

個人経営のカフェはいたるところに店主のこだわりが見えてボーッと眺めてるだけでもかなり楽しい。

静かで落ち着けるのはいいのだが、お客さんが少ないと先行きが心配になるので、チェーン店に駆逐されないようになんとか頑張ってほしい。

 

仕事の辞め方

自分は転職回数に関しては割と多い方だと思う。

 

自衛隊

病院2か所

工場(肉体作業)

工場(品質保証)

 

現在は巡り巡って設備管理の仕事をしているが、辞めた所全てに共通するのが「辞めなければよかった」と思ったことがたった一度もなく、心の底からどれも本当に辞めてよかったし、辞めていなかったら頭がおかしくなって今頃この世に存在していないかもしれない。

 

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希望が枯れたらそこら辺のペンペン草でも育てればいい

店内にネコが数匹うろつくものの、こちらから触れることはご法度という少し風変りなカフェでボーッとしていたらコーヒーがすっかりヌルくなってしまった。

ここの店長は客よりもネコの機嫌を優先する。

素晴らしい。

 

高いところにあるキャットウォークで寝ているネコを見ながら頭に浮かんだ言葉を適当に繋ぎ、スマホに入力する。

 

人間、足るを知らなければ欲は限りなく増大する。

ある程度歳を取ったら諦めが肝心だと自分に言い聞かせてはみるものの、何もない箱に顔を突っ込んでは底の隅々や蓋の裏まで探し求めてしまう。

希望はミリ単位の欠片すら転がっていないことを再確認し、蓋をして心の奥底に押し込む。

無駄だとわかっていても、また数日後に引っ張り出して中を開けずにはいられないだろう。

 

思い返せば仕事も異性関係も何もかもパッとしない凡庸以下の人生だった。

自分の人生に満足している大人というのもそう多くはないだろうし、こんな無気力な人間が望んでいいものでもないだろう。

満足のいく人生なんてものは、最愛の伴侶を手に入れ、仕事も充実している人間に与えられる称号のようなものだ。

神の寵愛を受けた選ばれし者のみ手にすることができる。

持たざる凡庸以下の人間は何気ない日常の一コマや差し込む日の光に幸福を感じて粛々と生きればそれで良いのだ。

 

仮に足が不自由で車椅子生活の人がいたとする。

神様に一つだけ願いを叶えてやろうって言われたら間違いなく立って歩けるようにして欲しいって言うんじゃないかな。


何が言いたいかって言うと、自分は何もせずともその奇跡を手にしてしまってるのよね。


そういう、倫理的にいささか疑問のある相対化をしたり、今日は頭痛がない!腹痛もない!サイコー!って無理矢理にでも思わなきゃやってられないわけで…


とは言え、動物を愛でたり、知を得るために書物を読み漁る日々というのもそれはそれで悪くない。

何かしら拠り所があり、多くを望まなければ少なくとも不幸ではないだろう。


プライドを肥溜めにブチ込むだけで人生は100倍生きやすく楽しい

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どうも文章がTwitterに偏ると短文思考により認知の低下が懸念されるので、たまには長文でグダグダにならず、まとまりのある文章となるよう念頭に置きながらアウトプットしていきたい。

 

今回のテーマはいささか抽象的であるがプライドである。

 

このプライドというものは人生において必要がないどころか邪魔なだけのウンコの化身のようなものなのでウンコは早急に肥溜めへダイブさせなければならない。

 

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人生の糧が色欲と無縁になる前に

40にも50にもなってモテを気にしてたり性欲から解放されることなく思考がチ○コに支配されてるオッサンを見るとホントキッツいというか、人生諦めが肝心って思うんだけど、もちろん20代30代は別でちゃんと積極的に行動起こしたほうがいいですよ。
女の子は美人なら黙ってても向こうからゾンビのように男が群がってくるんだろうけど、男の場合何もしなくても美女がキッスをせがんでくるとか、気がついたらいつの間にか自分のチ○コに美女がハマってるなんてことは宝くじで大金当たるより有り得ないですからね。
それなりに自分をアピールして行動する必要があるわけですよ。
ここでオタクとか非モテは一途ならいいだろみたいな感じで待ち伏せみたいなストーカー行為に走りがちなんですが、最低限、知り合いから徐々にステップアップしていくといった段階を踏むか、最初から目的がハッキリしている出会いの場に参加したほうがいいです。
面識ないのにいきなり告白して許されるのは中学生までなので。
あと非モテオタクほど相手の見た目にうるさかったりするんですが顔面偏差値20くらいで70を狙おうとするのも無駄というか、仮に成就したら宇宙の法則が乱れて地球が爆発するのでやめてください。
大抵の場合は少し仲良くなったところでLINEを交換してやり取りする流れになるものの、当たり障りない感じだとまるで発展する気配がないんですよねこれが。
で、ちょっと笑えるような面白ネタを送ってみたりするんですが、これもまた相手によって反応が千差万別なんですよ。
大ウケして自分に興味を持ってくれる人もいれば、同じ内容でも
「は?頭大丈夫ですか?もっと外に出ていろんな人と会話したほうがいいですよ」
みたいに心臓をえぐるようなアドバイスまで様々です。
ナイーブタイプだとポッキリ心を折られがちなんですが、気にしてもしょーがないので
「あー、深く関わることにならなくてよかったー!」
とプラスに考えてそっとブロックしとけばいいんです。
間違っても言い返したり捨て台詞を残して溜飲を下げようとするのはヤメときましょう。
器の小さい痛LINE男としてスクショで晒されて不特定多数の嘲笑の的になるだけですし。
行動してアピールして地道に関係性を育みつつ、意を決して低確率の壁を乗り越えた先でやっと交際に発展していい思いができるので、それが面倒な人はお金払ってそういう店に行くか一生純粋にアイドル推すか二次元の住人になるかのどれかですね。
40過ぎて老眼始まって白髪まみれになってまで恋愛しようなんてバイタリティがあるほうがおかしいので若いうちに頑張っていい思いしてしぬ間際に未練が残らないように楽しんでくださいよー