otineのブログ

憂鬱な日々を脱却するため踏み出した小さな一歩。

君たちは人生に疑問は無いのかい?

otineは現在鬱気味で、何をしようにも呆れるほどやる気が出ないもんで、彼女の部屋に引きこもり、何をするわけでもなく退屈な日々を過ごして二か月目になる。

 

otineは四年制の大学に通う大学生である。四年生になり、研究室に配属されたが、研究室の人間関係やら何やらで面倒なことが多かった。

そんなんでもなんとか頑張っているうちに夏休みになり、otineは研究室はお休みして短期でアルバイトを始めた。ホタテ養殖を営む漁師の手伝いをするアルバイトだ。

漁師たちは皆フレンドリーだった。楽しく会話を交えながらの仕事はとても楽しかったなぁ。

一度、仲良くなった漁師のお宅に泊まらせて頂く機会があった。色々話したが、otineにとって印象に残った言葉がある。それは、

 

『漁師の仕事は大変だが、まぁ人間関係は楽だな』

 

という一言。

 

なぜこの言葉が印象に残ったのかと言えば、まぁもう分かったかもしれないが、otineは面倒な人間関係が嫌いなのだ。ホタテ漁師の多くが家族ぐるみで営んでいる一個人事業主である。会社における複雑な人間関係は、そこには無いように見えた。その頃からotineは、自営業に興味を持ち始めた。

 

だが、自営業もそんなに甘い物では無いらしい。会社では、営業マンが仕事を取ってきてくれるが、自営業では自らが仕事を取らなければならない。広い人脈もいるだろう。つまり高いコミュニケーション能力が要求される。人嫌いなotineには厳しい世界のように思えた。動機も不純である。人嫌いだからと自営業を始めて成功した例がどれだけあるのか。

 

会社も自営業も俺には厳しいのか?

 

そもそも、俺は何のためにここまで頑張ってきた?俺はなぜ大学に来た?良い就職のためか?大学にやりたいことなんて無かった。ただ漠然と、周りがそうしているから、だ。

 

理由なんて無かった。

 

そう考え出すと、考えが止まらなかった。行く理由も無かった大学へは行かなくなった。ただ俺はひたすらに、考えた。人生について考えた。俺の生きている意味について考えた。

 

答えがあるような気がして、10年ぶりに図書館で本を借りた。

 

そうして、世の中の人々は色眼鏡を通してこの世界を見ている事を理解した。

 

当たり前なんて無いのだ。今まで当たり前だと思っていた事は、色眼鏡を通して世界を見ていたから、他の事が見えなくなっていただけだった。

 

俺は生まれも育ちも糞が付く田舎だ。その環境で育った俺の世界観は狭かった。俺の中に「当たり前」は、多く存在していた。

 

俺の親は、人生は精神の修行だと言っていた。なんだか宗教的だが、俺の親は本気でそう思っていた。考えてみれば、人間死ねばそれで終わりである。精神の修行をしたところで、死んでしまえば、その鍛え上げられた屈強な精神も、無に帰してしまう。

どんな歳月をかけて成し遂げた偉業も、教科書の数行になることはあるかも知れないが、死んだ本人はそれを知ることは出来ない。

 

どうやら俺はニヒリズムに陥ってしまったらしい。

 

何をしても、無駄なのだ。

 

おれが死んでしまえば、俺が何を成し遂げようが、なにもしないで死のうが、関係ない。「俺」という、俺が感知している「主観」は、無に帰すのだから。

 

こうなると、人生は死ぬまでの暇つぶしとなる。

一度きりの人生、楽しいことして死ねればそれで良いじゃないか。

 

努力?そんなことして時間を消耗してどうするの?楽しいことしようよ。それで死ねれば、幸せじゃないか?

 

ニヒリストは快楽主義に陥るという。まさしく今の俺である。ここでいう快楽主義は、本来の意味とは違うのだが、まあいい、どうでも良い。

 

努力は無駄、と書いたが、追求すること、は良いんじゃないか、とも思う。

 

好きなことに対してする「努力」は、なんか違う。

「努力」は何か目指しているものがあって、それを成し遂げるために行うもの。

対して、好きなことを突き詰めていくこと、追い求めていくこと、それを「追求」と言うのでは無いだろうか。どうせ何をしても無駄なんだから、好きなことを追求していけば良いのだ。

 

あなたには何か目指しているものがあり、努力しているかも知れないが、それは無駄だ。死ねばどうせ全てが無に帰すんだ。これが現実。

 

社会が形成した虚構の理想像に向かって努力して人生の時間を消耗し、死ぬときに何を思う?

 

なるべく良い大学に進学し、なるべく安定した収入を手にし、結婚して、子供を作って…

 

社会が形成した虚構の理想像は無数に存在する。いわゆる人生のレールと呼ばれるものだ。

おれはそれに沿うよう努力してきた。そのレールに何の疑いも持たなければ幸せなまま死ねただろう。だが、その努力は無駄だったのだ。

 

この、何をしても無駄、という感覚は実際にニヒリズムに陥らないと理解できないだろう。

あなたもやってみればいい。なぜ?を繰り返してみよう。なぜ私は努力をしているのか。なぜこんなことをしているのか。なぜ、何故―

 オススメはしない。世の中知らないほうが幸せなことで溢れている。

 

好きなことをするといっても、現実問題様々な制限がある。まず、お金の問題。好きなことをするには大抵金が掛かるが、好きなことをしても大抵金は発生しない。好きなことをするだけじゃ生きられないのだ。この世の中は。

 

ああ、俺は不幸な時代に生まれてしまったのだろうか。人類の労働はロボットが全て肩代わりし、全人類が好きなことだけを追求できる、そんな時代が来るとしたら…

俺はそんな時代に生まれたかった。

社会の歯車としてせっせと働き、週末の休日に小さな幸せを探して生きていく、なんの価値もない日々。あなたはそれで満足ですか?

VRの世界に生きるのもアリだな。何も制限がない。

 

しかし、好きなことを追求した結果収入に結びつく事もある。プロと呼ばれる人がそれに当たるのだろうか。嫌いなことだったら結果を出し続けるのは難しいだろうし。

美味しい人生を送っていますね、羨ましい。俺には無理です。

 

え、プロは少なからず努力しているって?

 

確かにプロのスポーツ選手は血の滲むような努力をしているかもしれない。しかしそれは、努力することが「好き」なのだ。多分。彼らには努力した先にあるものが見えている。彼らは好きなことを追及している。

努力すれば努力した分、結果が出た時の喜びが大きくなる。「幸せ」は相対的なモノだ。絶対の幸せなんて物は存在しない。私達が幸せと感じるとき、無意識に不幸な時と比較していて、その不幸な時との落差が大きければ大きいほど幸せを感じるようになっている。

あなたが幸せと感じる瞬間はどんな時だろうか?美味しい物を食べたとき?その美味しい物を毎日3食食べ続けたらどうなるだろうか?感動はどんどん薄れていく。

 

俺は努力は嫌いだ。いや、嫌いになった。なんでそんなかったるい事をしなきゃならんのだ。私達が努力するのは、その先にある幸せを感じるためだ。幸せを感じるには、「頑張る」ことで不幸な時間を作り出さなきゃならない。人生は波だ。幸せな時もあれば不幸な時もある。不幸無くして幸せは有り得ない。

 

幸せを感じるには不幸を経験しなきゃならないんだ。一度きりの人生、不幸はなるべく少ないほうがいい。その分幸せは減るかもしれないが、俺はその方がいい。人生の波は小さくていい。

 

右肩上がりの人生ってないのだろうか。

 

波の小さい人生に価値はあるのだろうか。そんなチンケな人生だったら死んでも同じじゃないか?

最近、俺は自殺願望が絶えない。うつのような症状が出てきて、薬を服用しているが大した効果は得られていない。

 

ああもう、疲れた、俺は。何もしたくない。誰か俺を轢き殺してくれ。自殺はめんどくさいんだ。苦しいのはやだしね。死ねないから生きているとはよく言ったものだ。生きるのもめんどくさい、死ぬものめんどくさいんだ。

 

誰かニヒリズムから脱却する方法を教えてくれ。

 

ニーチェは20世紀と21世紀はニヒリズムの時代であると予言したらしい。

 

皆、気づいているのではないか?見て見ぬふりをしているだけなのか。昔は家族のため、会社のため、お国のためにがむしゃらに働いていればそれでよかったのかもしれない。だが、今は違うだろう?

 

ニヒリズムを終えるであろう22世紀はどうなっているのだろうか。ニヒリズムを脱却したのか、それとも、自らの存在意義が見いだせなくなり、ニーチェの言う末人がひしめき合う世界になっているのか。

 

人類は豊かな生活を夢見て努力してきた。それでよかったんだ、今までは。

だがもう、そんな時代は終わろうとしている。先進国に限った話になるが、もう十分に生活は豊かになった。俺たちはこの不自由のない生活に価値を見出さなければならない時代に突入しているのだ。ニヒリズムに陥り、それを克服しようとする時代だ。

 

ニーチェは言う。ニヒリズムを克服するには「超人」を目指せ、と。

 

超人になるまでの過程として三つの精神の変化があるらしい。そしてその最終形態は、幼子である。好きなことに夢中で、全力で向かっていける、無垢な幼子だ。

俺も子供の頃は毎日が楽しかった。こんなニヒリズムの時代では、無垢であることは正義なのかもしれない。俺は飼い犬になりたい。あいつらは言葉が理解できないから、いつだって無垢で無邪気に遊ぶし、腹が減れば飯にも不自由無いし、疲れたら寝る。その人生になんの疑いもない。幸せなまま死んでいくのだろう。

 

いつか俺も超人となれる日が来るのだろうか。俺には、ニーチェの言うように超人を目指して没落するか、自死するかの選択肢しかない。

 

 

君たちは、人生に疑問は無いのかい?

 

 

終わり