次は何を読もう?読みたくなる本の探し方!
わたしたちの生活とともにある、本。
通勤・通学のお供に、仕事や勉強の息抜きに、休日の楽しみに。
そんな本について、次に何を読もうと迷うことはありませんか?
そんなあなたに、筆者自身が実践している読みたくなる本の見つけ方をご紹介!
インターネットで探す
Amazonレビューで確認
今や、誰もが一度は利用したことのあるであろう通販サイト・Amazon。
気になっている本や好きな作家がいる場合には、書籍のAmanonレビューのチェックがオススメです。
書籍のAmazonレビューは信用度が高く、分かりやすいのが良いところ。
- レビュー数が"10件"以上あること
- 評価が"4.0"を超えていること
その中で、あくまで目安にはなりますが、上記条件が揃っていれば概ね良書が多いです。
とはいえ、政治色や宗教色の強い作品はレビューに偏りが出ますし、個々人の好き嫌いも当然あるとは思いますので、書評サイトやアプリと併用すると、良いかもしれませんね。
できる限りたくさんの素敵な本に効率的に出会いたいという方に勧めたい方法です。
また、レビューを見て、そのまま購入できるということで、非常に便利ですよね。
Amazonプライム会員になれば、送料も無料なので、オススメしておきます。
書評サイトでおすすめをチェック
気に入った小説と題材やテイストが似た作品を探したい時や、特定の作家で一押しの作品を見つけたい時、シリーズ作品や関連作品で読む順番を知りたい時など、やはり”Google検索”ですよね。
いつも筆者は、「作家名 おすすめ」「趣味名 小説 おすすめ」「地名 小説 おすすめ」などで検索しています。筆者のサイトのように、本をおすすめをしている書評サイトがたくさんあるので参考になります。
ちなみに、話の重要なトリックや展開が先に知りたくない場合、ネタバレと分けて書いてくれるサイトをおすすめします。
サイトによって、書評のテイストも異なるので好みのサイトを探してみてください。
読書アプリで発見
本好きが集まるたくさんのサイトやアプリがあります。そこでは作品の感想や評価、オススメなどの情報交換がとても盛んです。
自分と好みが合うユーザーさん達と仲良くなって楽しむこともでき、自分がこれまで読んだ本の管理もできる、今オススメの発見方法です。
読書アプリは、”読書メーター”と"ブクログ"、"ビブリア"などたくさん。
いずれも細かい差はありますが、基本的には以下のことができます。
- 読了本・積読本の管理
- 感想・評価の共有と確認
- ユーザー間の交流
特に趣味の合うユーザーさんを見つけて、その人が読んでいる本を読んでみるという使い方がオススメです!
ちなみに、本はバーコードを読み込むだけで検索や登録が可能です。管理もとっても楽で分かりやすいので筆者も利用しています。
Twitterで探す
もっと手軽にたくさんの情報を集めたいという方は、Twitterがオススメ。
とにかく情報量が多いです。
新作であってもレビューが出るのがとても早く、他のサービスを圧倒します。また、呟き主の個性や好みが表れるので、読んでいるだけで楽しめます。
情報は多いですが、"#名刺代わりの小説10選"などのタグをつけて検索することで、好みの合う呟き主を見つけるのも簡単です。
年齢や読書歴もさまざまなひとと友だちになったり、おすすめをしあったり。
この機会に試してみてはいかがでしょう。
書店や図書館で探す
特に読みたい本の候補や作家がいない時には、やはり書店や図書館に足を運ぶことをオススメします。
理由は次の4つ。
- 最近の書店や図書館は「おすすめコーナー」が豊富
- カバー表紙、厚み、装丁など一度に体感できる情報量が多い
- 知らなかった作家や作品と出会える
インターネットで検索して、そのまま購入までできるようになったり、電子書籍でタブレットやスマートフォンで読めるようになったり、わざわざ書店に足を運ぶ機会が減ったという方もいるかもしれません。
ただ、実際に書店や図書館に足を運ぶことの魅力は、一度にたくさんの本と出会えること。
インターネットは自分の現時点での興味を満たすことが簡単にできる媒体である一方で、それまで知らなかった作家さんや関心のなかったジャンルの本をたくさん見つけるのにはあまり向いていない媒体でもあります。
ここ10年間100冊ほどの小説を毎年読んでいる筆者でも、ふと立ち寄った本屋でこんな素敵な作家さんがいたのかと驚く機会はたくさんあります。
書店や図書館の一押しのおすすめコーナーから選んでもいいし、装丁や題名を見て選んでもいいし、パッと手にとった本のレビューを検索してみてもいいと思います。
きっとまだ知らぬ魅力的な本と出会えますよ。
直接の知り合いに聞く
最後に、初心に立ち返って知り合いに聞く方法。
身近に読書好きな方はいませんか?
自分のことをよく知ってくれている相手であれば、自分に合った本をオススメしてくれるのではないでしょうか。
また、価値観の近い相手であれば、その人の好きな作品は自分も好きである可能性も高いですよね。
本の感想や感動ポイントを身近に共有できるのも嬉しいところです。
最後に
いかがでしたか?
既にこれらのやり方を実践している方も、実践していない方も、他のやり方をご存知の方も、素敵な本と日頃出会えるとよいですね。
【おすすめの小説】疾走 重松清
賛否両論ありの重松氏の話題作!人々の悪意や孤独を逃げることなく描き切った長編です!覚悟を持って読んでいただきたい、この小説は名作です。
あらすじ
孤独、祈り、暴力、セックス、殺人。誰か一緒に生きてください――。人とつながりたいと、ただそれだけを胸に煉獄の道のりを懸命に走りつづけた十五歳の少年のあまりにも苛烈な運命と軌跡。衝撃的な黙示録。
(「BOOK」データベースより)
重松清の衝撃のダークストーリー。
この物語はひとの心を抉ります。
苦しい描写も刺激的な描写もあります。
だから覚悟を決めて読んでほしい、これは間違いなく名作です。
これまで、人々の善意と悪意を描いたうえで、最後には心がポカポカと暖かくなる物語を用意してくれていた重松氏。
本作は、主人公の少年・シュウジに浴びせかけられる人の悪意や如何ともしがたい環境を、これでもかと描きます。
家族が犯した犯罪をきっかけに、シュウジが背負わされた孤独と苦難。
シュウジはただただ独り走ります。
誰かと繋がっていたいだけなのに、自分は何もしていないのに。
孤独感と苦難という重荷を引きずりながら走る、苦しい息遣いが終始聞こえてきます。
人の持つ悪意や業の深さの描き方は三島由紀夫氏の「金閣寺」を彷彿とさせます。また、少年の背負う苦難は、乃南アサ氏の「ニサッタ、ニサッタ」とも。
シュウジが走るその先には何があるのか。
果たして救いがあるのか、ぜひあなたの目で確かめていただきたい。
もう一度言いますが、この作品は名作です。
一押しのポイント
これほど物語とマッチした衝撃的な表紙はなかなかお目にかかれません。
大きく口を開き、苦しみと心の穴を剥き出しにした人物像。荒々しいタッチで余計なものを排したデザインに、目が惹きつけられます。
主人公の悲しすぎる心情を十二分に表現しているカバー絵です。
ちなみに、ロンドン在住のアメリカ人アーティスト・Phil Hale氏の作品です。
そして、その苦しみ孤独が本作の絶対的なテーマになります。
<父は子のゆえに殺されるべきではない。
子は父のゆえに殺されるべきではない。
おのおの自分の罪のゆえに殺されるべきである。
申命記二四ノ一六>
教会に貼られていた聖書の一節。
皮肉にも、教会に通ったシュウジは自分が背負うはずのなかった罪を負わされてしまいました。
彼の心を蝕む孤独と不条理。
作品を通じて聞こえてくる主人公の苦しく喘ぐ呼吸。
また、語り手は主人公の一人称ではなく「おまえ」という二人称。
いずれも、読むのが辛くなるほどの重みをもちます。
罪人の家族は、周りから虐げられます。そこから逃れようともがき、それでも逃れられず、犯してはいけない罪を犯してしまう。住み込みの新聞配達員を身をやつし隠れて懸命に生きるも、そこでも裏切られる。
苦しみから逃れ、繋がりを求める気持ちが、心を揺さぶります。
仲間が欲しいのに誰もいない「ひとり」が、「孤立」。
「ひとり」でいるのが寂しい「ひとり」が、「孤独」。
誇りのある「ひとり」が「孤高」。
「ひとり」でいることにも種類があります。
周りから虐げられ孤立し、それでも誰かと繋がっていたいと願う孤独。
シュウジはまさにこれでした。
一方で「ひとり」でいることを自ら選択し、群れることを望まない「孤高」の友人のエリ。
繋がりを持ちたくて持てないシュウジがエリに抱く感情は、恋愛感情というよりも憧れのようでした。
ただ、「孤高」の人にも苦しみは襲い、「ひとり」が耐えられなくなる時があります。
街のシャッターに「私を殺してください」とペンを走らせたエリ。
その下に、「誰か一緒に生きてください」と書き込んだシュウジ。
辛い辛い道のりを通った「ひとり」と「ひとり」が最後にたどり着くのはどこなのでしょうか。
そして、最後まで「おまえ」と呼びかけていたのが誰なのか。
そこには、作者の祈りや願いが込められているのだと思います。
最後に
苦しく重たい道をひたすらに息を切らして疾走する物語。
この小説を評価する言葉には、心揺さぶられるが一番近いでしょうか。
人間の悪意や「ひとり」の苦しみを重々しく語り続けた本作は、非常に重たく読者にのしかかりますが、そこに込められた祈りや願いは読者にとっての希望となります。
覚悟を決めて一息に読んでいただきたい、重松氏異色の作品です。
【おすすめの小説】きみの友だち 重松清
友だちってなんだろう?みんなってなんだろう?学生に社会人、周りとの関係に悩むあらゆるに人に読んでいただきたい、重松氏の傑作です!
あらすじ
わたしは「みんな」を信じない、だからあんたと一緒にいる――。足の不自由な恵美ちゃんと病気がちな由香ちゃんは、ある事件がきっかけでクラスのだれとも付き合わなくなった。学校の人気者、ブンちゃんは、デキる転校生、モトくんのことが何となく面白くない……。優等生にひねた奴。弱虫に八方美人。それぞれの物語がちりばめられた、「友だち」のほんとうの意味をさがす連作長編。
(「BOOK」データベースより)
友だちの意味を巡る物語ー。
人は一人では生きていけないとはいうけれど、みんなと仲良くしなさいって大人は言っていたけれど、本当にそうなのでしょうか?
友たちがたくさんいるってそんなに大事でしょうか?
誰かと共に時間を過ごすことだけが良いことなのでしょうか?
中学生に高校生、大学生に、社会人。
全ての人に立ち止まって読んでいただきたい。
「みんな」に追い詰められ苦しみ、辛い想いをする必要はありません。
無理に笑って、無理に会話をする必要もありません。
本当に大事なことは何なのか、「恵美ちゃん」は無愛想に、でも優しく、教えてくれます。
人間関係に疲れたすべての人に力と指針を与えてくれる、そんな物語になっています。
あなたの心に大切な一冊になるのではないでしょうか。
一押しのポイント
交通事故で片足の膝下が永遠に動かなくなった少女、恵美ちゃん。
事故は、下校時の急な雨に、恵美ちゃんだけが持っていた傘に”友達”が集まってきて、煩わしくなったて傘から出た時に、起こりました。
彼女は、その友達数人を弾劾したことで、友達の全てを失います。
そこから、彼女は「みんな」を信じることをやめました。
きみは「みんな」を信じないし、頼らない。一人ひとりの子悪くない。でも、その子が「みんな」の中にいるかぎり、きみは笑顔を向けない。
物語は、彼女と彼女の親友である由香ちゃんを中心として、たくさんの個性を持った家族やクラスメートが1話ずつの主人公を務める連作長編。
「友だち」とは何なのか、「みんな」って何なのか。
彼らが悩んで苦しんで、自分のひとつの答えを見つけるたびに、心の重石をひとつ下ろしていくような心持ちになります。
一押しは、みんなから面白がられるのが好きで、クラスの”有力者”の太鼓持ちの、堀田ちゃん。
八方美人で弱虫のこのタイプ、クラスに一人はいますよね。
友人グループ内の”戦争”に、平和主義で日和見主義な堀田ちゃんも巻き込まれ、ひょんなことから”戦争”は、「みんな」v.s.自分一人の構図に。
外された堀田ちゃんは、恵美ちゃんと由香ちゃんと久しぶりに話しますが、そこでも相手を喜ばせようと芸をしてみせます。
恵美ちゃんはこれをバッサリ。
「さっきの芸、全然つまんなかったよ・・・
ヘたっていうか、おもしろくなかった、なんか嫌だった・・・
自分がつまんないんだったら、やめちゃえばいいのに」
その後、案外簡単に”戦争”は終結します。それは、他の”戦争”が発生したから。
そこで、堀田ちゃんはこう思うわけです。
みんな、くっついていても、ほんとうは「ぼっち」なんだと思う。
みんなぼっちーひとりぼっちより寂しいかもしれない、これ。
「みんなぼっち」とは重松氏の造語です。
「みんなそう言っている」って、みんなって誰のことだろう。
そんなことを考えたことはありませんか?
「みんなそう言っている」という言葉は、実は「自分の周りにいる数人はそう言っていると自分は認識していて、また、それに従わせたい」というのが正確なところです。
「みんな」に隠れて、あるいは「みんな」の目を気にして、でもそれぞれが実は自分のことばかり考えていて。そのことを、みんなといるのに寂しく心が通わない「みんなぼっち」と表現する重松氏の言葉選びのセンスに脱帽です
最後に
大切に思う人と一緒にいること、相手が喜んでくれることをすること、いずれも素敵なことだと思います。その相手を「友だち」と呼ぶことも素敵だと思います。
ただ、自分は自分、他人は他人です。
「みんな」がではなく、自分がこうしたい、こうしてほしいと堂々と言えるようにいたいですね。
恵美ちゃんのように、強くありたいものです。
【おすすめの小説】エイジ 重松清
重松氏の真骨頂。中学生時代のあの頃、息苦しかった友人関係や親子関係。そして、「自分」の発見。あの頃の感情や想いをリアルに切り取った青春小説!
あらすじ
ぼくの名前はエイジ。東京郊外・桜ヶ丘ニュータウンにある中学の二年生。その夏、町には連続通り魔事件が発生して、犯行は次第にエスカレートし、ついに捕まった犯人は、同級生だった――。その日から、何かがわからなくなった。ぼくもいつか「キレて」しまうんだろうか?……家族や友だち、好きになった女子への思いに揺れながら成長する少年のリアルな日常。山本周五郎賞受賞作。
(「amazon」商品紹介ページより)
中学生の少年・エイジの物語です。
あの頃の僕らは、とても狭い世界に生きていました。その狭さに気づけないほどに狭い場所に。
身も心も成長する時期にあり、狭い世界で自分を持て余した中学生時代。
親に、教師に、友達に、周りとの関係性を息苦しく感じたことはありませんか?
そんな中で、クラスメートの”タカやん”が傷害事件で逮捕されます。ただし、人を傷つけたに留まらない更に重大な事件に発展します。
”タカやん”が自転車で警棒を使って突き倒して逃げたのは、妊婦でした。
大切に大切に育んでいくことを心に決めていた大事な命は、生まれる前に奪われてしまいました。
事件は、ワイドショーで取り上げられ全国で大きく報道されます。
家族との関係も、友人関係も良好であった主人公・エイジですが、その頃から何かの歯車が狂い出します。むしゃくしゃすることが多くなり、周りとの関係にも事件のことにも何かが納得がいかない。
エイジは自分も実際にしないだけで、頭の中では”タカやん”がやったように、他人を傷つけることもあります。女の子に乱暴することもあります。そして同じように、タカやんと同じうに自分も女の子を好きになることがあります。
そんな自分とタカやんは、いったい何が違うんだろう。
この物語は、「自分」とは何かを知る物語です。
苦しいこともあるけれど、むしゃくしゃすることもあるけれど、エイジは何を得ることができたのか。どこに向かうのか。
心理描写もストーリーも非常に秀逸な本作。
中学生や高校生にも、そして反抗期・成長期を迎える子を持つ親にも、みなさんに読んでいただきたい本です。
自分だけは、自分の子だけは、なんてことはないのです。皆等しく似た悩みを抱えて生きていく、その中で違うのはどこか。
その答えが、最後にあります。
一押しのポイント
この物語は、誰にとっても関係のある物語です。
それは小説の言葉を借りるならば、
「人間には3種類しかいないんだよ・・・これから中学生になる奴らと、今中学生の奴らと、昔中学生だった奴ら。」
つまり、自分もその子供も、これから通る、あるいは通ってきた道の物語だから。
この本のテーマの一つは、「自分」、つまりアイデンティティの獲得だと思います。
事件報道では、”タカやん”は「普通」の少年と語られています。
あるいは、「真面目で大人しい」とも。
そして、エイジの母親も被害者を案じる一方で、「真面目で大人しい少年」がこんな事件を起こしたのには、何か訳があるはずだ、かわいそうとも表現します。
エイジは疑問に感じます。
「普通」とはなんだろうか。”タカやん”には好きなアニメだって、特徴的な歩き方だって、人と違う何かだってあるかもしれないのに。
そして、自分はそれでは普通なのか、そうではないのか。
こんな事件を起こしたタカやんと自分には、何が違うのか。
自分のアイデンティティが未確立で、狭い世界で自分と他人の違い、そして世界における自分がどこにいるのかがわからない、あの頃。
事件にも、何か特定の価値観を強要されるような人間関係も、そして、何かと鬱陶しく感じるようになった家族関係にも。何が正しいのか、どうあるべきなのか、わからない。そんな自分や世界に、苛立つエイジは、やり場のない苛立ちや、抑えがたい暴力の衝動を抱えます。
そこから出たいと感じるようになったエイジは、とうとう学校を早退し、自分の町からも脱出します。
ぼくはいつも思う。「キレる」っていう言葉、オトナが考えている意味は違うんじゃないか。我慢とか辛抱とか感情を抑えるとか、そういうものがプツンとキレるんじゃない。自分と相手とのつながりがわずらわしくなって断ち切ってしまうことが、「キレる」なんじゃないか。
エイジはその世界から脱出してみて、気づきます。
案外に一つの世界から出ることなんて簡単なんだということに。
そして、そこの価値観に縛られることも抜け出ることもできることに。
そして、自分とタカやんの違いについて、こう結論付けます。
「犯人ときみとの違いはどこにあるんだと思う?」と訊いてくれればいいのに。ぼくはすぐに「だって、ぼく、あいつじゃないもん」と答えるだろう。・・・なぜって、二十代無職の男は十四歳の中学生よりもはるかにたくさんいるのに、その人たち「あなたは今回の事件をどう思いますか?なんてインタビューする記者は誰もいないんだから。
そう、同じ中学生で同じクラスにいて、同じような妄想や衝動を抱えていて。
それでも、違うのは実際に何かをしたのか、という一点に尽きます。
中学生だからとか、大人だからとか、一切関係ないのですよね。
閉塞感と押し込まれ、悪意の波に飲まれながら、思春期を駈けるエイジが自我を確立していくさまは心に迫ります。
苦しい展開を読み進めた先には、エイジと同じようにすこし違う自分がいるかもしれません。
最後に待ち受けている”お日様”には、カタルシスを感じることでしょう。
いろんな闇が自分にもあるけれど、「負けてらんねーよ。」とぐっとガッツポーズが決まります。
最後に
大人になって、多くの場合は世界の大きさを知ります。
世界の大きさを知るに連れて、ひとつの社会での尺度の無意味さを知りますし、ひとつの世界からの脱出もできます。
エイジは、そこの端緒に着くことができたのだと思います。
ただ、どこの世界にいても、悩みや苦しみ、そして憎しみや怖れは、誰にもいつでも訪れます。
それは、もちろん”ツカちゃん”のようなガキ大将でお調子者も、”タモツくん”のような秀才も、そして私にもあなたにも。
それでも、負けてらんねーよ、と言えることが大事なのだと今は思います。
重松氏のおすすめ作品の一つです。
重松清氏の小説、おすすめ3選!
紹介
1963(昭和38)年、岡山県生まれ。早稲田大学教育学部卒業。
出版社勤務を経て執筆活動に入る。1991(平成3)年、『ビフォア・ラン』(ベストセラーズ、現在は幻冬舎文庫)でデビュー。
著書は他に、『ナイフ』(新潮文庫、坪田譲治文学賞)、『定年ゴジラ』(講談社文庫)、『エイジ』(新潮文庫、山本周五郎賞)、『ビタミンF』(新潮文庫、直木賞)、『隣人』(講談社、講談社文庫で改題『世紀末の隣人』)、『流星ワゴン』(講談社文庫)、『きよしこ』(新潮文庫)、『トワイライト』(文春文庫)、『疾走』(角川文庫)、『その日のまえに』(文春文庫)、『カシオペアの丘で』(講談社文庫)、『とんび』(角川書店)、『十字架』(講談社、吉川英治文学賞)など多数。(「amazon」著者紹介ページより)
重松氏の作品の魅力は何と言っても、「みんな」と「ひとり」の描写。
ひとりひとりは悪くないのに、集団になると途端に狡く残酷になったり。
必要以上に「みんな」の考えを絶対視したり、必要以上に「ひとり」を怖がったり。
集団における人間関係の息苦しさや歪みを、逃げることせず描ききります。
決して美化しません。
ただ、そこにある闇が深い分、その先にある光はとても眩く輝きます。
重松氏は、苦しいこともあるけれどそんなことには負けてはいられないと、立ち向かう勇気を与えてくれるのです。
人間関係が面倒になってしまった、周りに合わせるのが苦痛だと感じる、どうしようもなく気持ちを腐らせてしまった。
そんなあなたに冷静さと勇気を与えてくれる、重松氏の世界をお薦めします。
お薦めの3冊
エイジ
ぼくの名前はエイジ。東京郊外・桜ヶ丘ニュータウンにある中学の二年生。その夏、町には連続通り魔事件が発生して、犯行は次第にエスカレートし、ついに捕まった犯人は、同級生だった――。その日から、何かがわからなくなった。ぼくもいつか「キレて」しまうんだろうか?……家族や友だち、好きになった女子への思いに揺れながら成長する少年のリアルな日常。山本周五郎賞受賞作。
(「amazon」商品紹介ページより)
中学生の少年・エイジの物語です。
あの頃の僕らは、とても狭い世界に生きていました。その狭さに気づけないほどに狭い場所に。
身も心も成長する時期にあり、狭い世界で自分を持て余した中学生時代。
親に、教師に、友達に、周りとの関係性を息苦しく感じたことはありませんか?
そんな中で、クラスメートの”タカやん”が傷害事件で逮捕されます。ただし、人を傷つけたに留まらない更に重大な事件に発展します。
”タカやん”が自転車で警棒を使って突き倒して逃げたのは、妊婦でした。
大切に大切に育んでいくことを心に決めていた大事な命は、生まれる前に奪われてしまいました。
事件は、ワイドショーで取り上げられ全国で大きく報道されます。
家族との関係も、友人関係も良好であった主人公・エイジですが、その頃から何かの歯車が狂い出します。むしゃくしゃすることが多くなり、周りとの関係にも事件のことにも何かが納得がいかない。
エイジは自分も実際にしないだけで、頭の中では”タカやん”がやったように、他人を傷つけることもあります。女の子に乱暴することもあります。そして同じように、タカやんと同じうに自分も女の子を好きになることがあります。
そんな自分とタカやんは、いったい何が違うんだろう。
この物語は、「自分」とは何かを知る物語です。
苦しいこともあるけれど、むしゃくしゃすることもあるけれど、エイジは何を得ることができたのか。どこに向かうのか。
心理描写もストーリーも非常に秀逸な本作。
中学生や高校生にも、そして反抗期・成長期を迎える子を持つ親にも、みなさんに読んでいただきたい本です。
自分だけは、自分の子だけは、なんてことはないのです。皆等しく似た悩みを抱えて生きていく、その中で違うのはどこか。
その答えが、最後にあります。
きみの友だち
わたしは「みんな」を信じない、だからあんたと一緒にいる――。足の不自由な恵美ちゃんと病気がちな由香ちゃんは、ある事件がきっかけでクラスのだれとも付き合わなくなった。学校の人気者、ブンちゃんは、デキる転校生、モトくんのことが何となく面白くない……。優等生にひねた奴。弱虫に八方美人。それぞれの物語がちりばめられた、「友だち」のほんとうの意味をさがす連作長編。
(「BOOK」データベースより)
友だちの意味を巡る物語ー。
人は一人では生きていけないとはいうけれど、みんなと仲良くしなさいって大人は言っていたけれど、本当にそうなのでしょうか?
友たちがたくさんいるってそんなに大事でしょうか?
誰かと共に時間を過ごすことだけが良いことなのでしょうか?
中学生に高校生、大学生に、社会人。
全ての人に立ち止まって読んでいただきたい。
「みんな」に追い詰められ苦しみ、辛い想いをする必要はありません。
無理に笑って、無理に会話をする必要もありません。
本当に大事なことは何なのか、「恵美ちゃん」は無愛想に、でも優しく、教えてくれます。
人間関係に疲れたすべての人に力と指針を与えてくれる、そんな物語になっています。
あなたの心に大切な一冊になるのではないでしょうか。
疾走
孤独、祈り、暴力、セックス、殺人。誰か一緒に生きてください――。人とつながりたいと、ただそれだけを胸に煉獄の道のりを懸命に走りつづけた十五歳の少年のあまりにも苛烈な運命と軌跡。衝撃的な黙示録。
(「BOOK」データベースより)
重松清の衝撃のダークストーリー。
この物語はひとの心を抉ります。
苦しい描写も刺激的な描写もあります。
だから覚悟を決めて読んでほしい、これは間違いなく名作です。
これまで、人々の善意と悪意を描いたうえで、最後には心がポカポカと暖かくなる物語を用意してくれていた重松氏。
本作は、主人公の少年・シュウジに浴びせかけられる人の悪意や如何ともしがたい環境を、これでもかと描きます。
家族が犯した犯罪をきっかけに、シュウジが背負わされた孤独と苦難。
シュウジはただただ独り走ります。
誰かと繋がっていたいだけなのに、自分は何もしていないのに。
孤独感と苦難という重荷を引きずりながら走る、苦しい息遣いが終始聞こえてきます。
人の持つ悪意や業の深さの描き方は三島由紀夫氏の「金閣寺」を彷彿とさせます。また、少年の背負う苦難は、乃南アサ氏の「ニサッタ、ニサッタ」とも。
シュウジが走るその先には何があるのか。
果たして救いがあるのか、ぜひあなたの目で確かめていただきたい。
最後に
いかがでしょうか。
人間関係に疲れてしまった人、新生活に孤独を感じて寂しくてたまらない人、中高生のお子さんの学校生活が不安な人。
いろんな人に寄り添ってくれる重松氏の祈りがこもった珠玉の作品、おすすめです。
【おすすめの小説】岳物語 椎名誠
椎名親子の微笑ましく優しい物語。釣りにカヌーにアウトドアが趣味となった息子を優しく見守る椎名父。あらゆるお父さんにオススメです!
あらすじ
山登りの好きな両親が山岳の岳から名付けた、シーナ家の長男・岳少年。坊主頭でプロレス技もスルドくきまり、ケンカはめっぽう強い。自分の小遣いで道具を揃え、身もココロもすっかり釣りに奪われてる元気な小学生。旅から帰って出会う息子の成長に目をみはり、悲喜こもごもの思いでそれを見つめる「おとう」・・・。これはショーネンがまだチチを見棄てていない頃の美しい親子の物語。
(「岳物語」背表紙より)
椎名氏とその息子・岳。
父は、いつの日か見棄てられるのだろうかと考えながらも、不器用に、ただし愛情いっぱいに、息子と寄り添います。
不器用なところ、少々喧嘩っ早いところ、アウトドアが好きなところ、全てが父親である椎名氏とそっくりです。
幼稚園から小学校高学年までの数年間。
人の畑からさつま芋をこれでもかと誇らしげに「収穫」してきた幼少の岳。
これまで一つも勉強のしなかったのに、釣りに目覚めてそのための勉強には熱を入れる岳。
坊主頭にされることを嫌がるようになった小学校高学年の岳。
屈託のない潔いこの少年の成長の日々と、父子のとてつもなく貴重でキラキラとした「普通」な交流の日々が綴られた本作。
こんな父親と息子の関係、微笑ましく羨ましいです。
大人であれば誰でも楽しめる本作ですが、子育て中のお父さんたちに「父の日」にでも読んでいただきたいお薦めの小説です。
一押しのポイント
やはり一押しは、父親の目を通して描かれる岳少年の生き生きとした姿です。
岳少年は、父母のことを「おとう」「おかあ」と呼ぶのですが、
どうして「おとうさん」「おかあさん」と”さん”をつけないんだ?と聞いてみたら、”さん”をつけるほど偉くないからだ、とけっこうそのときも真面目な顔をして言うのであった。
とこう述べたのです。
なるほど、どこで覚えてきたのか、一応理屈があるのだなと感心してしまいます。
小学校での岳は、案外女の子にモテるようです。
ある日曜日の朝、呼び鈴が鳴ったので椎名氏が新聞の集金かと思って戸を開けると、そこには小学生の少女3人の姿が。
気難しげな顔をした女の子たちに「岳はまだ寝ている」と椎名氏は伝えるのですが、チョコを渡してほしいと頼まれます。そう、それは2月14日、バレンタインデーだったのです。
こういう時、本当に男親は役に立たないものですよね。
どうして良いかわからず狼狽えていると、少女たちは渡して颯爽と帰っていくのです。
椎名氏はバレンタインのチョコを3つももらったことを、すぐさま寝ている岳少年に伝えますが、朝にめっぽう弱くとことんまで真剣に眠り込んでいる少年は起きません。
彼は夏休みのラジオ体操には全然起きず、オチコボレ組だったそう。
プロレス技(インディアン・デスロック)をかけてまで起こそうとする椎名氏には、笑ってしまいました。
ようやく起きても
「わかったわかった。それはよかったネ」
と固め技から逃れてまた寝入ってしまう岳少年にも、また笑いがこみ上げます。
そんな岳少年ですが、好きなものには一直線。
北海道におけるカヌー旅や魚釣りにいく朝には、きっぱりと起きてしまうのです。
これについて椎名氏はこう言っています。
そのあまりにもゲンキンきわまりない態度に私は正直な話、すこしムッとしてしまったほどなのである
椎名氏は仕事柄、国内外問わず長期的に家をあける機会が多いため、数週間から数ヶ月に渡ってその息子と会えない日々が続くことがあります。
長いこと構ってやれなかった息子のために、釣りの旅に連れて行ってやった際に、海に落ちないように注意する父に対して、
岳は顔をしかめ、再びまた<まったくコレだからいやになるんだ>というような顔をして、「あのねえ、ぼくは人間だよ。ネコやダンボールとちがうんだからこのくらいの風で飛ばされるわけはないだろう」
小学生高学年になった岳少年は、快活な性格ながらなかなかに小憎たらしいことをいうのですね。
親の気も知らずにすくすくと自由気ままに成長する少年。自分自身が小さかった頃を思い起こすと、よく両親にこのように小憎たらしい生意気なことを言っていたことを思い起こして不思議な気分になりますね。
椎名氏はそんな岳の成長の一つ一つに戸惑いながらも、常にその目線を非常に優しく暖かいのです。
本作を通じて、読者も一緒になって岳の成長を見守る気分になれます。
まさに本作は、岳物語です。
終わりに
たまには家族揃って、アウトドアに行きたくなりますね。
川や山、湖なんかも良いかもしれませんね。
GWや夏休みは、釣り道具を揃えて車や電車に乗って、楽しんでみてはいかがでしょうか。
ちなみに、本作には「続・岳物語」という紛うことなき続編があるので、こちらも読んでみてくださいね。
【おすすめの小説】わしらは怪しい探検隊 椎名誠
椎名隊長率いる探検隊!離島で、野営に大宴会、そして蚊の大群との死闘や大水泳大会。愛すべきお馬鹿さんたちの痛快記録。
あらすじ
離島でのきつい天幕生活に挑む会「東日本何でもケトばす会」の、結成当時の行状記。椎名隊長ほか隊員たちの個性が光る。前代未聞の面白さ!
酒と食料の大移動、テント張り、かまど設置、ゴミの穴ほり、蚊の大襲来等々、夜明けとともに雑用と自然との戦いが始まり、美しい夕焼け空が疲れきった一日の終わりを告げるー。
海と冒険と仲間、椎名文学の三大要素がたのしめる「怪しい探検隊」ものの、記念すべき第一書。(角川文庫「わしらは怪しい探検隊」背表紙より)
野宿に、焚き火に、大宴会。
椎名氏の自伝的探検小説の一番の魅力を詰め込んだ本作。
天幕に、テント、寝袋をもって、旅に出たくなるー。
そんな作品です。
結婚する前の椎名氏をはじめ、ほかの作品にも登場する「東日本何でもケトばす会」、通称東ケト会の愉快な仲間たち。
彼ら東ケト会は本作では離れ島探検隊として登場します。舞台は、三重県沖にある神島。
ちなみに、探検隊と名付けたことについて
「特急に乗り、船に乗り、その島の人々とまじりあい、天幕の中で寝るのだから『探検隊』というのにはいささか大袈裟にすぎるのだが、・・・ここはやはり誰に文句を言われるということもないようなので、一応まあ『探検隊』というふうにいってもいいのではないか、・・・我々の集団については心情的に『探検隊的である』というふうにとらまえてくれるのではないかーという観測があるのだ」
と、ぼそぼそと言い訳しながら語ってくれています。
そんなわけで、何かとにかく探検隊なのです。
椎名氏のこの旅は、キャンプというよりは、野宿や野営といった野趣に溢れたもので、そこが男達の憧れを誘います。
一押しのポイント
わいわいがやがや愉快な仲間たちと美味い飯を喰い、これまた美味い酒を飲む。
このさまに、何とも心惹かれます。
探検隊の炊事班長である沢野氏が作れるのは、基本的には以下の3つです。
- カレーライス
- ぶた汁
- けんちん汁
ただ、ぶた汁やけんちん汁もうまいのだけれども、野営で登用される食材事情において、「全体のランクからいえばどうしてもC級というイメージを拭いきれない」とのことなのです。
そして、彼らにとって、カレーライスというのは、食材に何を入れても定番の料理でうまいのだけれども、多くとも3日に一食で十分。
そんな炊事班長の料理ですが、条件が揃えば可能な料理がもう一つあります。
それが、ちゃんこ鍋。海で魚や貝を釣り上げることができれば、鍋にいれて、ちゃんぽん鍋にすることができるのです。
これを探検隊のメンバーは楽しみにしているため、釣り部隊が手ぶらで帰ってきたときの、残念がる大人の男たちの姿には、どことなく可愛さと可哀想さを同時に感じさせます。
とはいえ、自分たちでかまどから作った料理とともに飲むビールは、美味そうですね。
途中からは焼酎やウイスキーに酒が変わり、いつも通りの大宴会に。
ウスターソースの瓶をマイク代わりに歌い狂う姿には、笑みが溢れます。
愛すべきしょうもない大人たち。
予想外の展開や息つけない展開などはないですが、そうです、こういうのがいいんです。実にいい。
そして、こうした野営の傍らに、いつも存在する道具たち。
これも男心をくすぐります。
例えば、ナイフ。
キャンプでは肉や魚を捌いたり、薪を削ったりと何かと必要になるものですが、同時にロマン溢れるこだわりの道具でもあるのですよね。
こんなのが個人的にはそそられます。
そして、木の蓋をもつ鉄鍋なんかも登場しますね。こういったこだわりの道具を使いこんでキズや傷みを蓄えていくと味がでてきます。
人間も道具も、年月を経たことで得られる渋さやかっこよさがありますよね。
そして齢を重ねても変わらない良さもあります。
椎名氏の小説からは、素敵な時間の経過を感じ取ることができますね。
最後に
いかがでしたか?
本作を読んでいると、気の置けない仲間と、お酒を飲んで美味いご飯を食べて、そんなことが無性にしたくなるのです。
すぐさまキャンプグッズを車に載せて、旅に出かけてみませんか?