ミツメ「めまい」の歌詞

めまい

めまい

例えばストロークスを初めて聞いた時
「ちょうどこんな音が聞きたかった!」と思ったように
多くの人が潜在的に欲していた音像を最初に提示するような音楽があって
ミツメはまさにそのようなタイプなので
つい音にばかり注意が向いてしまうのだが
今回のシングルの最大の魅力は「歌詞」であると言いたい。

「めまい」は全4曲を通して1つのテーマについて歌われている。
というより1曲ずつはぼんやりと何かを示唆する程度の表現であるため
様々な解釈が可能なのだが、
4曲が並ぶことでストーリーの骨格が浮かび上がる構造になっている。

 > 口に出せば 消えそうなそんな程度の話
 > 胸にしまい込んで忘れる頃まで眠ろう

 > 穏やかな日の 二人はどこに消えたの
 > 触れたらもう 戻れなくなるのをじっと見てる 「めまい」

「めまい」はこのように始まり、最後は別れを示唆する内容で終わる。
簡単に言えば2人の関係が終わるまでの話なのだが、
面白いのは破局までの潜伏期間のようなものにフォーカスが当てられていることで、
3曲目までは自分の猜疑心との葛藤がひたすら描写されている。

その葛藤の描写が秀逸で、
気になるけれど、忘れてしまおうとしたり
疑惑の核心のまわりをふわふわと漂っているような
ただ「じっと見てる」という距離感には、なんとも言えないリアリティがある。

あまり歌詞が語られることのないミツメだが
4曲を通して聞くことで小説を読んだ後のような満足感が得られ、
コンセプトアルバムならぬ、コンセプトシングルの傑作だと思う。

LINEスタンプ「こけしのかわいい瞬間」制作記録

6月上旬に申請していたLINEスタンプが9月2日にやっと発売された。
こけしをモチーフにしたスタンプである。
http://line.me/S/sticker/1008825

巷には意外とこけし好きがいるようだが、僕は特にそういうわけではなく
大川興業がやっていた「ウィーン電動こけし合唱団」というフレーズがその頃妙に頭に残っており、
電動こけしっぽく体を動かしているこけしが思い浮かび
このスタンプを描くことにした。
なので生粋のこけし好きの方たちには申し訳ないような気持ちがある。
出来上がりはかわいいこけしになったと思うので許して欲しい。

下書き(一部)

スタンプは40個描く必要があるのでけっこういろんなシチュエーションを描いた。
ボツにしたのは10個くらい。


サラリーマン風のは残したほうがよかった気もするが
性別不詳にしたかったのでボツにしてしまった。
壁から覗くのはあまりにもありふれてるのでボツにしようかと思ったが
描くのが簡単だったから入れてしまった。

こけしシリーズか、別のものにするかわからないが
2個目も近いうちに作りたい。

ガウディーズ「Glance At The Gaudies」のジャケット制作記録

ガウディーズのCDのジャケットの絵を描いてほしいという話を
コーノ君からもらったのが多分今年の2月くらいだったと思う。
CDを作っているのは去年から知っていて、
僕はこのCDが出るのを多分日本で3本の指に入るレベルで楽しみにしていたので
この話はものすごく嬉しくて、なんという僥倖!と思った。

しばらくはガウディーズの曲を聞きながらどんな感じがいいか落書きしながら考えた。
いろいろ考えた末、原始時代 + 楽器の断片というテーマにした。


このコンセプトをコーノ君に伝えたら、これで良いという返事がきたので
テーマに沿っていろいろと絵を描き出した。



パーツがある程度たまったら1枚の絵として描いていった。

完成バージョン

ちなみに初めは表紙の絵1枚だけ描けばいいと思っていたのだが
実際には裏面と中と盤面もあわせて計4面に絵が必要だった・・。

裏面ボツバージョン


裏面完成バージョン


中ボツバージョン


中完成バージョン

盤面完成バージョン

ものすごく楽しみにしていたCDだけに、けっこうドキドキものだったけど
なんとか完成させることができて良かった。

東池袋中央公園2

東池袋中央公園にまた行ってきた。
前回は35℃を超える炎天下だったが、今回はやや過ごしやすくなり32℃くらいだった。


すや〜 さっそく毛並みのいい黒猫が寝ている。


またこんなところで丸くなって



すや〜


!?

おっさんが猫と添い寝している。
一見奇抜な行動だが、猫は涼しい場所を探すのが得意なのでその近くで寝ることは理にかなっていると言えよう。
ちなみにしばらく後に餌を持った人が現れ、ここで寝ていた猫達はみんなその人の所へ行ってしまい最終的におっさんだけが地面で寝ていた。


前よりも涼しかったためか、今回は寝ている猫ばかりではなかった。


こちらは前回一番気持ちよさそうに寝ていた奴。
手足が大きくライオンっぽいのでライオンと勝手に名付けた。


台車の上で毛づくろいをする三毛猫。よく見ると台車の下に・・


子猫発見!


以上のようにこの公園は猫好きのおっさんに支えられ、猫天国となっているようである。

真夏の東池袋中央公園

東池袋中央公園サンシャイン60の隣にある。
元東京拘置所だったせいかあまりさわやかな公園ではなく
汚い格好をしたおっさんが寝てたりすることも多いが、
一応カップルがお弁当を食べていたり子供が遊んでいたりもする。

この公園の最大の特徴は猫がやたらいることである。
四方を大通りに囲まれていて広さは50m×100mぐらいでそれほど大きくない。
他に行き場もなさそうなのでずっとここで暮らしている猫たちなのだと思う。

35℃を超える真夏の真昼間この猫達は公園でどう過ごしているのか、様子を伺いに行った。



暑そう・・



暑そう・・



暑いからってこんなとこで寝てしまって



寝てる



岩の上に何かいる



ここにも何かいる



一杯いた



一番快適そうに寝てるやつ

以上のように炎天下の東池袋中央公園の猫達はだいたい寝ているということが分かった。

「キッチンタイマー」青柳いづみ×飴屋法水×Sam Fuller(吾妻橋ダンスクロッシング)

日時:2013年3月30日
場所:アサヒ・アートスクエア

吾妻橋ダンスクロッシングは計8組のアーティストがパフォーマンスをするというイベントで、1組20分程度で次から次へとテンポ良く進んでいく。
ダンスクロッシングというタイトルのわりにはストレートにダンスらしいのは2組ぐらいで、バンド演奏、演劇、お笑い色の強いもの等々バラエティに富んでいて見ていて飽きなかった。

マームとジプシーがいたり、チェルフィッチュの3月の5日間でミッフィーちゃん役をやっていた松村翔子を含む変なHIPHOPユニットがいたり、いろいろ面白かったのだが、一番良かったのは飴屋法水×青柳いづみだった。
正確には飴屋法水×青柳いづみ×Sam Fullerで、このSam Fullerは10歳くらいの白人の少年である。
舞台上には書斎机とアップライトピアノが配置され、暖色系のライティングで西洋の心地良い室内といった雰囲気だった。
芝居は基本的に青柳いづみが舞台上を歩いたりしながら1人で語ることで進んでいく。
少年はずっと書斎机に座っていて、たまに、少しなまりのある日本語でしゃべる。
飴屋さんは始めは舞台の端で音響用の装置をいじっていた。

「目の、前には、およそ189個の、胃袋が‥」 というセリフから始まり、その数はどうもその日の客の人数らしかった。
そして「頭の上には、金色のうんこが‥」と、場所がアサヒ・アートスクエアということで、何度もうんこが連呼された。
「私は今日ここで、15分という時間をいただいて」とキッチンタイマーのスイッチをいれるというくだりから本編が始まる。
セリフは全てとつとつと語られ、音響と、タイミングを見計らって鳴らされる効果音とまじりあって心地良い音楽のようである。
少年が「眠れない時は、石ころの数を、数えます」
「石ころ1個、石ころ2個、石ころ3個・・・」と机の上に置いてある石ころを手で拾ってはまた戻す。
セリフの内容や少年のなまりのある日本語、そしてマイクが拾う石ころの音等がとても耳に心地よい。

頭上のうんこの話からさらに上の宇宙の話へ、石ころの話から、隕石の話へ変わっていった。
「石ころは時々、地球に向かって、落ちてくる」というセリフのあたりで飴屋さんがふらっと立ち上がり、柄の長さが1mくらいあるでかいハンマーを手にしたかと思うと、全力でピアノの側面を殴りだした。
ダァァァァン!とものすごい音がする。2,3回殴るとまた元の場所へ戻っていった。
飴屋さんの作品は、目の前の景色が一瞬で変わってしまうような、ハッとする瞬間があるので本当に面白い。

話としては詩みたいなものなので、表現するのが難しいのだが、いくつかキーワードが比喩的なつながりを持ちつつ、語られるという感じだった。
「私の喉には、しこりがあって、それが存在を主張するかのよう・・・」
「ガンと呼ばれるものの由来は、石であること」
「僕は、夏休みになるとカナダに近い、クマのいる湖で魚を釣ります」
「マスは釣り針を飲み込みます。針は喉にささってぬけません。マスを釣り上げると釣竿からぶらさがって左右に揺れています」
「近所の公園に行った。ブランコに人がぶらさがっていた」「背広を着たサラリーマンラリーマンのような人だった」
「その人は宙に浮いていた。そこだけ重力のない、宇宙のよう」「ぶらさがって、左右にゆれていた」
といった具合でいろんな断片が一見脈絡なく、しかし連想的にはたくさんの繋がりを持って語られた。

喉のしこりのくだりで、飴屋さんは後ろから青柳いづみの喉を手でつかむ。
そして青柳いづみは針を飲んだ魚のように引っ張られていく。
サラリーマンのくだりで飴屋さんは突然ピアノの上に駆け上がり、そこで片足でバランスをとる。
「私の胃袋はひっくり返って、でんぐり返って」というセリフのあたりで今度はピアノの上に後ろ向きに座り、背中から後ろ向きに落ちてしまった。
地面まで落ちるのではないかと思ってドキッとしたが体は鍵盤に支えられた。
「トントントーン、入ってますかー」という少年の優しい声に合わせて、飴屋さんは再びピアノの側面をハンマーで殴る。
完全に壊そうとする勢いで。

終盤、教会の鐘のような音がだんだんと大きくなっていく。
「あのしこりの感触が、ない」
「あの石は、消えたのだろうか」
「そう思ってふと手を見ると、私の手は手首から先が、なかった」

少年が石を拾いながら「サラリーマンが一人、サラリーマンが二人、サラリーマンが三人・・・」と数える。
「僕はマスを、クマにあげた。クマは、それをくわえて、去っていった」
そして机の上の紙で、紙飛行機をいくつか折って飛ばす。

飴屋さんは四つん這いになり、地面に落ちた紙飛行機を咥え、クマのように歩いている。
「その時、私は、私というものの小ささを・・」
「その時、私はなぜか幸せに、思ったのだった」
チリーンという鐘の音と「ねえもう15分たったよー」という少年のセリフで芝居は終わる。

そんな感じで短い時間ながら、飴屋さんらしさが存分に楽しめる内容だった。
食べる、食べられるという関係、動物としての人間というようなテーマはいつも根底にあるようだけど
そういったテーマだけで単純に語れない、いろんな要素が絡み合った複雑で豊かな作品だった。

ブルーシート 演出:飴屋法水 3

のつづき

ある女子が2枚目の男子に告白するというシーンがあった。
この女の子がすごく面白いキャラで、告白して思いっきりフラれるのだが
全くめげずに、突然手品をして気をひこうとしたりして
断ってるのに何度も告白する。
だんだん告白されている男子の方が「お前に俺の何がわかるんだよ!」
「俺のこと何もしらないくせに何適当なこと言ってんだよ!」と怒り始める。
でも女の子は相変わらずめげずに、よく知らないまま付き合って、よく知らないまま結婚して、
よく知らないまま歳をとるのって素敵、というようなことを言う。
男は「俺のこと何もしらないくせに」と言ってバットを持って女を追いかけまわし始める。
追い回され遠くまで逃げた女はついにキレて「じゃああんたは自分のこと分かってんのかよ!」と叫ぶ。
私は私のことがよく分からないし、私のことが分からない分量とあんたのことが分からない分量は同じぐらいだと。
しばらくの沈黙の後、男がまた例のセリフを言う。
「人は見たものを、覚えていることもできるし、忘れることもできる」

常に眠い女の子というのがいて(他の人がしゃべってる時にたまに椅子に座って寝ていたりする)
眠いわりに背が高くて運動能力が高いらしく連続で側転をぐるんぐるんしたりするのだが、
この子が友達にこんなことを聞くシーンがあった。
「わたしのお父さんの会社のことどう思う?」「人殺しなんて言う人もいるけど」
「お父さんの会社と、ニュースで見る会社が同じ会社だと思えないんだよね」
ここでは東電だとか原発だとかの単語は使われていなかったけれど
友達の方のお父さんは「その下請けで、線量とか測ってる」と言っていたりしたので
要するに親が東電社員という設定だった。
友達からは「ももち(アダ名)はももちだし、お父さんはお父さんでしょ」というようなことを言われ
納得したようなしないような感じで
「私がこんなに眠くなったのって地震の後からなんだよね」
「人って何のために眠るんだろう」というようなセリフでこのシーンは終わる。

みんなで普段しゃべっているようなノリで話すシーンでは、動物のことが話題になっていた。
飼っている猫に子猫が生まれて、黒猫と白猫の子供なのに、灰色にならなかったのは何でだろうとか
蛇がかわいいとか、魚はどうやって眠るのか、とか。
最初に登場した得たいの知れないものも同じテーマを持っていたと思うが
動物のことを考える時、同時に人のことを考えることにもなるような
生物について、もっと大きく言えば存在自体について、という答えにたどり着けないテーマの周りを
ぐるぐると回っていて、辿りつけないけど輪郭が見えてくるような、
そんな真摯な探求の態度が芝居全体にわたって感じられた。


終盤、生徒たちがいろんな遊びを始める。
まずはじゃんけんで、1対1で順番にじゃんけんしていき、喜んだり悔しがったりするのだけど
このあたりはリアクションからして、実際にその場でじゃんけんをして(つまり何を出すかは決めずに)やっているようだった。
あとは、「今両親と暮らしてる人〜」とか「付き合ってる人がいる人〜」とか
いろんな質問を誰かがして、手を上げるというのがあった。
「将来いわきから出たい人〜」という質問に対しては7〜8人は手を上げ、
残りの2人ぐらいは「微妙なう」と言っていた。
次に誰かが日本語の文を出題して、みんなが英訳するというのもあった。
「あの窓は四角いです。」とか「ポプラの木が並んでいます」とか
校庭の様子を描写した出題に対して、まわりの生徒達がけっこうでたらめな、カタカナを並べたような英訳をして盛り上がっていた。
その中である男子(HIPHOPダンスをやっているらしく、帰国子女?)が
一人だけものすごく流暢な英訳をしていたのが面白かった。
最後に客席の下に敷いてあるブルーシートを指さして「ブルーシートは青いです」という問題が出され
これは簡単だということでみんな声を揃えて「ブルーシート イズ ブルー」と答えた。

遊びの最後は椅子取りゲームだった。
あぶれた人が椅子を1つ運び出し、次の笛を吹くというルールだけはあるようだったが
毎回誰が負けるかは決まっていないガチの椅子取りゲームらしく
お互いをののしりあったり茶化したりしながら真剣にゲームしており
ものすごく楽しそうだったし、見ていて楽しかった。
ゲームは椅子の数が減るほど盛り上がっていき、見ている側も興奮した。
ついには椅子が1つになり、1つの椅子を2人で争う状態になり
いよいよこのゲームもクライマックスという盛り上がりの中、最後の笛が吹かれた瞬間
さっきまでの興奮が嘘だったかのように生徒達は椅子を片付け始め、誰もいなくなった。

しばらくして2枚目の男子とHIPHOPの男子が戻ってきた。
HIPHOPの子は上着を脱ぎ、ダンスの練習を始める。
一方2枚目の子は舞台のあちこちにある椅子を無造作に積み上重ね、1つに合体させはじめる。
この作業はゆっくりと続けられ、その間HIPHOPの男子は無言で踊り続けていた。
しばらくして、踊っている子は、踊りを覚える人がよくやるように
「蹴って・・」「左に2回・・・」「下がって・・」「ここでステップ・・」
踊りながら1つ1つのアクションを確かめるように口に出すようになる。
その中で「逃げて・・」というアクションが次第に繰り返されるようになり
それはだんだんと叫びに変わる。
「とにかく、ここから、逃げて」「逃げて」「ここから逃げて」
その場で、走るようなアクションをしながら、ほとんど絶叫にまでなり
「逃げて」という叫びはひたすら繰り返された。

このシーンが続く中、他の生徒達が入ってきて、その生徒が劇中で発したセリフを一言ずつ言っていく。
ここがエンディングであるというのが分かる。
最後の最後にもう少しだけあった。
10人全員が横に並び、まず9人が客席と反対側の方へ歩いて行く。
1人残ったのは、得体のしれないもの役だった子である。
ここで残ったこの子が、あの時、寝転がって何を思っていたかを語ったのだが
日が傾いた校庭と並んで遠くに去っていく学生達の光景があまりにも美しくて呆然としたせいか
残念ながら女の子が語った内容がはっきり思い出せない。
女の子は走って9人と合流し、遠くへ歩いて行く。
途中で10人は振り返り、客席の方に向かってこう叫んだ
「おーい、おーい、お前は鳥かー」
「おーい、おーい、お前は人間かー」


ということで、覚えている範囲の内容を書いてみた。
もう1回見ることが出来たらもっとはっきり記憶できて
ここまでで書いたようないろんなシーンの断片をもう少し全体の構造の中に配置してより良く理解来ると思うのだが、
残念ながら僕の頭の処理能力では多くのものがこぼれ落ちていると思う。

この芝居は実際にいわきで暮らす高校生達を、基本的にはそのまま表現しており
地震原発についてもその視点から、彼らの日常にどうしようもなく存在するものとして描かれていた。
ただし本当に彼ら自身かというとそうでもなく、
自然に対してちょっとだけ、視点だとか、組み合わせだとか、ちょっとのアレンジをすることで
景色ががらっと変わってしまうような、あるいは元々持っている魅力を強烈に感じられるような、そんな演出だった。
普通の高校生に会って、どんなコミュニケーションをとればそういったことが可能になるのか
僕には全くわからないのだが、とにかくほとんど奇跡的とも思えるほどそれはうまくいっていて
美しさにあふれていた。
この作品は彼ら10人を表現したものであって
そういった意味では本当に生もの、あの場所、あの瞬間にしか存在しない作品になっていた。
それにしても映像として記録してくれてたらいいんだけど・・と思ってしまうのは野暮なんだろうか。
覚えていることもできるし忘れることもできる、その瞬間にしか存在しないものだからこそ美しいんだろうか。