エキサイティングなウェブをもう一度

ぼくのインターネットは為す術がありません。

http://jitsuzon.hatenablog.com/entry/2012/05/20/222931

 

この記事の後に、

 

「虚栄心を買う」キャバクラシステムの限界

http://business.nikkeibp.co.jp/article/topics/20120518/232258/?rt=nocnt

 

これを読んだら、ふと、そういえば、昔のMMORPGの集団戦とかって、割と弱くても集団の中の駒になれてる感が強かったよなー、と。

弱い時期なら弱いなりの役目があって、それが継続させ成長に繋がる原動力となっていた。

 

Twitterやらソーシャルなんたらが主流になって、もうその方向にサービスの傾向が流れていくのは仕方ないのかと思っていたけど、やっぱり今のウェブに違和感を持っている人達は、流されないように踏ん張って、いつでも「今は光があたっていないけど、面白いから光らせる」事を意識していくといいと思う。

 

どうせ時代は10年〜15年(ネットだともうちょっと早くなりそうな気がする)したら微妙に戻ってきて繰り返すので、そこらへんに備えておくだけでも違うかもね。

匿名には夢と希望があるというお話

匿名、実名の善悪についてではありません。

これから未来のウェブの形。

 

実名化や個人の特定は、便利になるっていうけど、本当は誰のためのもの?

 

ウェブサービスの収益化という面から見ると、広告というものは一般化していて、今でこそ、広告モデルからの脱却を試みている企業は当たり前になったが、そう簡単においしいモデルは生まれない。

 

FacebookGoogleが突き進んでいる「パーソナライズ」「個人の特定」という舵取りの理由の一つには、個人の趣味や興味を、ウェブサービスを「便利に」利用してもらいながら収集し、集まったデータをサービスのさらなる利便性に変換して還元できるという一見して正当性のある理由がある。

 

そうして生まれる新たなウェブは、広告を出す側から見ても、広告で宣伝している品のジャンルに興味が有る人を狙って広告を出せる方が費用対効果が高いので、ありがたい。

化粧品を一杯ネットで購入している人に化粧品の広告を表示するのと、同じ人に育毛剤の広告を出すのはナンセンスだよね。

 

広告収益モデルでのウェブサービスを作って提供する企業が得る収益と、広告主のとっての広告効果を、今までよりも大きくできることで、みんなが幸せになる…。

そんな形が見えてきたので、猫も杓子もネット上のユーザを属性付けしたがっています。

 

ここで視点を変えて、ニコニコ動画の話にしてみます。

ニコ動の初期から中期は無名なアマチュアが面白い動画を生み出して投稿していた。

仮にこの頃盛り上がっていた動画の投稿主が、映像や音楽のプロだったとしても、ハンドルネームがプロとしての名前と結びつかないままであれば「匿名のアマチュア」という可能性の方を高く感じられていた。

 

しかし、VOCALOIDの登場以後、この流れは緩やかに変わり始めた。

自分達が居るコミュニティを、自分たちと同列の「一般人」が構成している場と認識している比重が強いということは、そこに溢れる作品そのものが「自分も頑張ったらこれくらいはできるかもしれない」という鼓舞の種となり、原動力やポジティブなスパイラルへと繋げられる。

現実はその筋のプロの作品だったとしても、投稿者がプロかアマかというのが隠されている以上、見る側にとっては主観的な疑念の枠から逸脱できず、ポジティブに捉えやすい。

その状態のコミュニティは、妬みや偏見や疑いが少ない状態が維持される。

 

しかし、ニコニコ動画は、歌い手踊り手をアイドル扱いすることで、元アマチュアを神格化する方向に動いた。顔出しも当たり前になる。

そしてさらにメディアが拡大し、実はプロとして活動していましたという人が混じっているという話が表面化してくる。

同列だとタカを括っていた仲間(一方的だが)がどんどん遠くにいってしまう。

結局、彼らは自分より運がいい、とか、天才なんだ、という諦めが生まれる。そもそも同列なんかではなかったと卑下し始める。

 

2chも大差なく、今でこそステマステマ言われているが、本当はずっと昔から当たり前にやられていたことかもしれないのに、その実例が、証拠と共に知れ渡ると、ユーザーからみたそのコミュニティに対する「主観的な信頼性」が下がっていく。

主観的な疑念でカバーしきれなくなるポイントがあるのだ。

これが続くと、どうせプロだから、や、どうせ利益を生む策略が働いているのだろう。という疑念がコミュニティで生まれるものに対して防衛本能のように先行するようになる。そんな形になってしまった場所に作り手は魅力を感じなくなる。

 

匿名や実名について討論される場では、決まって情報の信頼性だとかセキュリティ云々の話が主題に挙げられるが、匿名文化の人たちは、この事も、もっと伝える必要があると自分は思う。

面白いものが切磋琢磨され生まれるコミュニティは匿名(リアルに紐づいていない)であるからこそ、自然と活性化されるものであって、作り手のバックボーンが見えてしまうような形になった途端にコミュニティは衰退する。

 

何故こんなまとまりのない長文を書いたかというと、自分自身、10代の頃にネットの中の誰だかよくわからない人の、すごい人達のすごい作品に触れて、いつか自分もこれくらいになってやろう、というモチベーションがあったおかげで、今があるから。

 

リアルと紐づいたウェブの未来に、モノづくりを行う卵達が生まれやすい場所を残していきたいと思う。