Living on Mars
I saw it on the way to transit.
It is a decrepit hotel district.
We walk along crumbling cobblestone streets.
The injection needle reflected in the neon sign stands out like a jewel against the backdrop of prostitutes.
The cobwebbed road from Mars to here.
Ziggy Stardust led me here with Diamond Dog.
Finally 5 years, another 5 years, this is 5 years.
The pandemic was only mediated by the chaos of emptiness.
隠れた変数理論と二重スリットの否定
神がサイコロを振ったとしても出目はデタラメだったし、そんなに大した意味も他意も無かった。
二重スリットの実験は観測者のバイアスと都合の良い解釈の虚像のレッテルを主観というスクリーンに映し出すことにより、自分という人間は生まれてから人からの評価は著しく最悪であり、誰からも平等にサンドバッグされる身分としてフランクに嫌われている。
何もしてないのに、とは言えないほどには努力と根性という精神論で辛ぬいた結果が異国の地でも全然通用するものなのね
それにしても自分の好きな事を何一つ諦めて何も思わない虚無の中で亡霊の心持ちで居たがコロナ後遺症で半年以上、気管支炎で咳が止まらず出血と千枚通しで刺されたような痛みに耐えられずブロンを買おうとすると門前払いの接客だけが一番納得いかない
アルジャーノンと花束
チャーリーは社会の隅っこで社会不適合者らしく暮らしていた。
珍しくその日は花束を抱えており、雑踏の中でアルジャーノンと出会う。
行き場のないアルと花束を写真に撮ってみると一枚では足らないと思いつき、もっと長編で撮ろうという気持ちが生まれた。
その日は一度、帰ることにしたがチャーリーの部屋では狭過ぎて花束を飾るだけでも精一杯だし、ましてやアルともなると足らない。
アルも住める家さえ見つけらればと思ったところ、ちょうどいい家が見つかる。
チャーリーは即座にその家を借りる事を決めてその日の夜にはアルは花束に抱えられ愛と自由を約束された身となり幸せそうであった。
チャーリーはその姿を見て、幸せというものを初めて知る。
そしてそれを家族と呼ぶのだと少しばかり理解をし始めた。
思い返せばチャーリーには無縁の生活であり、必要のない生き方であったからわからなくても仕方ない事で少しずつ理解していこうと思った。
たとえわからなくても、アルと花束が一緒にいて幸せであれば、それが幸せということだけは理解出来ていた。
そしてハッピーエンドな結末であることも約束され、信じている。
幻影を追いかけて
今週のお題「私のアイドル」
今の年齢の半分くらいに自分のアイドルと言えるような人たちを雑誌で知ってそれを狂ったようにターンテーブルにレコードを回して同じように時計の針も動いていった。
人は夢を見る生き物。
夢から醒めずに夢を見続けていたら気づいた時には現実となっていた。
まるで白亜紀の恐竜が目の前で地球のへその楽屋の円卓を囲んで笑いの絶えない話の中に自分もいた。
ただ良い夢ばかりでもなく、悲しい夢も希望見るだろう。
ぼくはずっと事あるごとに付いて回っていた。
そしていつでも笑って連れ回してくれた。
お互い帰れない時もあったりと笑
でもついていけない所に行くこともあるってのは突然やってくる。
夜中、急に泣きながら起きるとさっきまで彼らと一緒にいた事ともう会えないという現実を突きつけられる。
あの歌もギターも聴けなくて馬鹿げた話もトイレに閉じこもる事ももうないのだ。
ただ血や精神として受け継いだ事は計り知れない。
そしてぼくの魂の中では永遠に生き続けるだろう。
二人ともそっくりだった。
向こうに行ってロケハンしてコソコソしてるぼくを見つけたらカツアゲしてください。
勘が良いからすぐ見つけられちゃうんだろうな。