暇記

カキーン

関ジャニ∞の「友よ」について綴る。

関ジャニ∞が5人体制になってからの初のシングル「友よ」の発売日は、2019年11月27日。
CDもDVDもブルーレイも、初動枚数が何より大事であることくらいは私でも知っている。つまり発売日から一週間、厳密に言うとオリコンの集計期間である火曜日〜日曜日の6日間でどれだけ数字を残せるかが鍵。
今回は、7人から6人になった時とはまったく状況が違う。ことCDの売り上げに関しては、どうなるかが皆目分からなかった。



前記事のように、私は事細かにタグをつける習慣も無ければそれを是とする感覚も持ち合わせていなかったため、まず何がどれに有用で効果的なのかを把握することから始めた。
関連するツイートをする際は必ずタグをつけるだとか、その際は略称ではなく正式名称で書くのがベターだとか、CDを購入してから放置するのではなくちゃんと読み込んでタイトルを取得しなければ数字に計上されない等々、他のグループのファンからしたら今更感がありすぎるすべてのことが長らく平穏な場所にいて完全に平和ボケしていたエイトファンにとってはなかなかに面倒くさ…否、不慣れなものであった。しかしながらそうも言ってられないので、とりあえず11月24日の0時からはじまるBillboadチャートの集計にはちゃんと貢献できるようにと情報収集と準備に努めた。


11月25日に更新された大倉くんの期間限定連載コーナー「くらすます」。
それまでの自分たちを振り返った超絶長い文章の終盤、”グループとしての新しい夢は、また素晴らしい景色を一緒に見ることだ”という言葉の後に「手伝って!笑」と一言、書かれていた。
ソフトが発売される際、長らくこちらの庶民的お財布事情を気にすることに終始していた彼らが、ここにきてほぼ初めて、ファンに対してはっきりと「手伝ってくれ」と声をかけてくれたことが、なんていうか、素直に嬉しかった。
ファンが担当・推し・御本尊様にできることなんて本当に極々僅かしか無い。だからこそ、その”僅かなこと”くらい全力で協力させてもらいたいし、そうすることについて心配ではなく肯定…さらにいえば、もっと頼りにして欲しかったのだ。

本人から直接言われて張り切らないわけにはいかないだろうと、以降ファンはさらに活気付いた。
グループの正式名称でツイートしてしまうと∞が認識されないためあえて数字にしたり、最初から∞を省いて「(古株カンテレは決してしない呼称)関ジャニ」表記にしてみたり、Twitter公式では4文字以上のワードはトレンドとして掬われないから「友よ」ではなく頭に「なぁ」とつけて呟く方がいいのでは等、こういったSNSの使い方に若干の照れと不慣れさを覚えるファン同士、如何にして効果的に寄与できるかを試行錯誤しながら遂行しようとする様は、単純に興味深かった。


翌日26日の火曜日。いわゆるフラゲ日。
いつも毎週木曜日午後6時に更新されている会員制公式ブログ「関ジャニ戦隊∞レンジャー」が、この日の正午に5人分一斉に更新された。
ソフトの発売日に合わせてファンクラブメールが送られてくることは過去にもあった。しかし、発売日当日ではなくその前日にこういうことがあったのは、私の記憶では初めてのことだった。
内容は「友よ」の宣伝。文面は5人それぞれにもちろん違うものの、5人の文章すべてに、ファンがTwitterの公式トレンドに反映させるためだけに使っていた「#なぁ友よ」というハッシュタグが添えられていた。

自分も含めたファンの大勢は、この「友よ」に関するSNS上の動きについてエイト側の明確なレスポンスを期待することはもちろん、メンバー本人に「ファンの頑張りを見てもらおう」とか「思いを届けよう」とか、そういう気すら無かったはず。
如何せん私たちの御本尊様は、他でもない「ジャニーズ」のアイドルである。非現実的な煌めきを見せることを生業にする彼らは、どこまでも偶像であり虚像。明確な存在を実感できるのも思いを直接(団扇に乗せて…というか貼って)届られるのも、コンサートという限られた空間においてのみであって、場外におけるファンの能動的な挙動はいつだってエゴイズムでしかなく、反応を欲すること自体烏滸がましい…ということを、ファンは皆重々承知している。
今回だって、ただ単純に”5人になった関ジャニ∞を好きな人たちは今だってこんなにたくさんいるのだ”ということを数で分かりやすく示すことが彼らにとって利になるなら、そしてそれがこれからも関ジャニ∞を見続けたいというこちらの望みを叶えるその一片になるなら…というある意味自己満足が、ファン一人ひとりを動かしていたと思う。
だからこそ、「お、おそらく…良かれなことをしているはずだ……」とファンが恐る恐る始めたことを、SNSを(建前上は)やっていないにもかかわらずメンバー全員が把握していることを明示してくれたこと、そして皆まで言わずともそれを認めて肯定してくれたことがあまりにも想定外過ぎて驚いたと同時に、その未曾有の状況に真昼間から胸が詰まる思いがした。

47ツアー中、頻繁に更新されている47diaryでも、この日例のハッシュタグを使った写真が掲載された。
エイトの周りにいるスタッフの人たちも、彼ら5人とそのファンにちゃんと寄り添ってくれている気がして嬉しかった。

いやーあの地獄のような上半期とは打って変わってなんだか嬉しいことばかりだなぁ〜とホクホク気分でCDを買って帰ったこの日の晩、くらすますにて私たちは大倉くんからとんでもないことを持ちかけられた。
それは『11月28日の18時から「友よ」セブンイレブン盤の特典映像である「ぼちぼち大切な夜」を僕と一緒に見ませんか?』という、数十万人に宛てた特典DVD鑑賞会のお誘いだった。
しかもなぜ発売日の11日27日じゃないかというと、「おれら明日ベストアーティストに出るから」だっていう。
………いや知ってるし!何ならもう録画の予約してるし!!
しかもしかも、ちゃんと「#ぼち夜鑑賞会」という同時再生用のタグまで本人が作った上でこちらにお声がけしてくれたんですよ!!!本人は(建前上)twitterはじめSNSの類を一切やってはいないのに。

今でこそ嵐がいろいろなSNSに進出しているけれどその運用は飽くまでグループ単位での一方的な発信であって、ジャニーズのタレントが個人の私生活を垣間見せるようなSNSの私的運用は、現時点ではほぼされていない。
大倉くん自身「きっと酔っ払って余計なことを言ってしまう」と言っていたし、私自身も絶対にそうな(ってすぐさま削除するものの時はすでに遅しで即座にサイゾーが記事にす)ると確信しているし、個人の意見としては、今のままでいいと思う。
こんな時代&あんな年齢であろうとも、アイドルにはやはりそれなりに「偶像」のままでいてほしい。ファンはアイドルから発信される純度の高い”アイドルのお仕事”だけを摂取したいわけで、余計なノイズは極力見聞したくない。
それに、もし大倉くん本人がtwitterInstagramという場においてアイドルという立場で事務的なツイートのみを行うにしても、その呟きのリプ欄には恐ろしい数の無名読モのセルフィー無断転載アイコン・勘違い極まりない下品なリプライ・知らんがな的一般人の自分語り・狂人による理不尽な罵詈雑言・レイバンのサングラス特価優遇2499円・ビフィラス・メガキュア・アパシャイニー等々、見たくも無いものが大量に垂れ下がることになるのだろう。それらを自分が目にするのも、大倉くん本人も目にしたのだろうかと気にせざるをえなくなることも疎ましい。
だからまあ、アイドルでいてくれる限りは別段SNSはやって頂かなくても良いんですが、その制限された状況の中でハッシュタグまで提示して企画を設けてくれた大倉くんの心意気に、この上ない感動と優しさと"SNSでちゃんと話題にしろよ"的圧力を覚えたのであった。


27日。
公式サイトの新曲に関するメッセージコーナーで、安田くんが「また来年ドームができるのかどうか…でも、実現したい」と書いていた。
薄々覚悟はしていたけれど、毎年当たり前のようにやっていた、それこそ二ヶ月半前にはまだそれの最中だった”ドームツアー”のハードルがそんなにも高くなってしまったという事実に軽くショックを受ける一方で、もっともっと尽力せねばいかんなと思ったのであった。

この日のお昼過ぎ、セブンネットの公式アカウントが「#ぼち夜鑑賞会」というタグを添えて「友よ」の宣伝tweetをしていた。
このタグが爆誕してからまだ24時間も経っていないのに、もう既に発売元がそれを使って販促していることに大倉くんの影響力と今年7payで思いっきりしくじったセブン&アイ・ホールディングスリカバリー力のすごさを感じた。 

この日の夜は2年ぶりのベストアーティスト。「俺ら明日出るから」という本人の予告通り、本当にちゃんと出ていた*1
不穏な箱も芸人との謎すり替えもなく、生田斗真くんが見守る中、客もいないスタジオにて「友よ」を平和に歌唱していた。

そしてこの日の夜、オリコンデイリーランキングで「友よ」の初日売り上げ枚数が出た。
結果は159,245枚。4種形態とはいえ、セブンイレブン盤が早々に買い難くなっていることとTシャツ盤は少々値段が高く手が伸びにくいことを考えると、及第点は超えたかなと思えた。
今回ばかりは売り上げについて予想が全くつかなかったので、初日の数字を見てとりあえずは安心したのであった。


28日。「ぼち夜鑑賞会」当日。
この日は確たる意思のもと一切の残業を拒み、17時1分には勤務先のビルのエントランスを抜けていた。
寄り道をすることもなくまっすぐ帰って自宅に着いたのは17時50分頃。
10分間で身支度を整え、食べる物とレモンサワーを用意し、来たるスタート時間が来るのを待った。
18時ちょうどに再生ボタンを押す。
もう既に二回ほど見ていたので、見ながらタグをつけてぽちぽちとツイート。「この世のどこかで大倉くんも同じタイミングで同じものを見ているのだな…焼きそばともやしは引くほどカゴに入れる人に卵を全然買わせてもらえなかったのは本当に可哀想だったね……にしてもこの人ら、酒飲み過ぎやろ…安田くんの酒の強さまじで奄美……」等々見ながら好き勝手呟く、あっという間の90分だった。

終了後、すぐにトレンド欄を拝見。

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日本国内で、見事一位と相成りました。

しばらく経って設定を「日本」から「世界」に切り替えて再度トレンド欄を拝見。

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大倉くんが、FC会費とは別にわざわざ月300円を支払っている日本在住の人しか見られないその閉ざされた空間からふと発信した#ぼち夜鑑賞会というタグが、なんとトレンド世界一を獲ってしまったのであった。
どうやらこの日の19時から21時前までずっと一位だったらしい。2位のトルコの方々も「この”ぼち夜”っていったい何やねん」って思っていたことでしょう。Google翻訳かけても意味なんて出ないしな、ぼち夜。

ま、“twitterトレンド世界一”にいったい何の意味があるのか?というと、そのこと自体に大した意味なんてない。のだろう。
でも、今年の…主に春以降のネガティヴまみれだった日々を思い返すと、こうやって彼らを好きな人たちが一丸となってただひたすらポジティブに盛り上がれたことが本当に奇跡みたいに楽しかったし、その盛り上がりがちゃんと数字になって現れたことは …もちろん副産物に過ぎないんだけど、嬉しかった。

23時更新のくらすますでは、事前の予告通り大倉くん自身のぼち夜実況が掲載されていた。
それを読みながら私の目尻は下がり続け、口角は上がり続けた。
この日更新された関ジャニ戦隊∞レンジャーでは、まるちゃんから「好スタートを切れた」という言葉が。彼らにとってもあの初日の売り上げ枚数は一応のところ合格点だったんだなと分かってホッとした。
いつだって趣味からは「楽しい」だけを摂取したい私にとって、この日はとても満ち足りた夜になったのでした。


翌日の29日。
くらすますに昨晩の「ぼち夜鑑賞会」の模様を写真付きで載せてくれていた。
スタッフさんも含めて、大きなプロジェクターを使って同じ時間に鑑賞していたらしい。
ちゃんと「思ってもないところで」世界一を獲ったことについても触れてくれていた。
先ほど前夜の諸々に「大した意味は無い」とは書いたけれど、その諸々が他でもないメンバーにとってほんの少しでも前向きな要素になったのであれば、それ以上に意味のあることなんて無いわけで。
なんだか、しみじみと「諸々、良かったな。」と思えたのでした。

夜はミュージックステーションに出演。
47ツアー先の大分県から生中継。エイトのためだけにこんな遠路遥々出張してくれるなんて…とテレビ朝日の優しさに感謝すると共に仕分けのあれこれをすべて水に流してあげようと思った。
足湯に入っている大倉くんを見ると、Tシャツの首回りに#関ジャニ#Mステのタグが書かれていた。
昨日はどうもありがとうの意味なのか単に味を占めただけなのかそれとも見てるファンに「今日もタグを使って関ジャニ∞のことをつぶやけ」という無言の圧をかけてきたのか何なのかは分からなかったけど、いずれにせよここ最近の流れを踏まえてのそれなわけで、本当に可愛い人だなぁとつい笑ってしまったのであった。


30日。
オールナイトニッポンサタデースペシャル「大倉くんと高橋くん」にまるちゃんがゲスト出演。
90分笑いっぱなし。知らない人の車にも”機会があれば”乗ってしまうまるちゃんが最高だったけど、このラジオを聞いて「友よ」を買おうと思った人がいたのかどうか疑問ではある。


12月1日。
関ジャニ∞TVに、47ツアー中のエイトの5人がTSUTAYA島原店へ赴き「友よ」を購入する様子がアップされた。
店頭に並んでいる「友よ」を8枚まとめて貴族買いする大倉くんに倣うべく、追加購入された方も多かったのでは。

そしてこの日の23時59分をもって、「友よ」初週の売り上げ枚数の集計が締め切られたのであった。
この日までに累計は既に26万枚に達していた。前作crystalから1種増えているとはいえ、一応前作以上の数字が出たことに胸を撫で下ろした。


12月2日。
オリコンより一足先にBillboardが269,512枚を売り上げて「友よ」が無事一位を獲得したことを報じていた。
ファンが頑張ってタグ付け等勤しんだことが功を奏し、SNSでの話題性の数値も2位という好成績をおさめた。

その日に更新されたくらすますにて、大倉くん本人から「みんな手伝ってくれてほっっんとありがとう😢」という言葉を頂戴した。
こちらが何をどう手伝ったのか、この日に限らず大倉くんは具体的なことには一切触れてはいなかったけれど、「友よ」発売にあたってファンがこの一週間どうやって過ごしていのたかちゃんと理解してくれていることがありありと解る感謝の言葉。
そんなァ…こちらがやりたくて勝手にやったことですからァ…お礼なんてもったいないですゥ…と脳内で謙遜する自分は、そこそこに気持ち悪かった。

オリコンチャートの最終的な初動枚数は26.0万枚だった*2
…いや別にそんな目を引くほど格別高い売り上げってわけでは無いですよ、そんなことはこちらも十分解っています。
でも、この一年の間に「解散」すら過った関ジャニ∞とファンが必死になって獲得した「26万」は、過去のどんな数字よりもグッとくるものがあった。




…以上が「友よ」にまつわる”関ジャニ∞とそのファンの話"のほぼ全てである。
私がエイトの、大倉くんのファンになってからかれこれ12年以上経つけれど、今回の「友よ」に関するそれは今までに経験したことがない出来事ばかりで、彼らのことをさらに応援したいさせてくれと改めて思うことが非常に多い一週間だった。
これからもたくさんの「楽しいこと」に出会えることを願って。

まずは、明日の#夜な夜なクリスマス会*3を楽しみに。

*1:当たり前だが

*2:オリコンBillboardでは集計方法が異なるため数字には差異が出る

*3:2019年12月24日19:00ちょうどに 関ジャニ∞TV で配信される動画を再生しよう!

ちょっと前のことを思い出しながら綴る。

そうそう、twitterのアカウントが使用不可になってしまったんですが、ヌルッと別アカウント(@unite_u_)に移動しているので大丈夫です。
相変わらず諸々の通知は切っているのでフォロリムミュートブロックRT引用RTなんでもござれですが、巻き込みリプライだけは他の方に迷惑がかかるので遠慮させていただきます。



で、今から数時間前に私の担当様で有らせられる関ジャニ∞大倉忠義さんから「クリスマスイブにクリスマス会でもしない?」的有り難過ぎるお誘いを頂戴しものすごくピュアに感銘を受けてしまったので、心が動いたこの勢いに任せてちょっとここ最近の諸々を書き留めておこうかなと思い久々にメモ帳を立ち上げてみたのであります。
さてどこまで遡ろうかなと考えた結果、やはり5人の関ジャニ∞が始動しだした新曲解禁の頃からだよなーと暫しの間、遡及。



…そうそうそう、関ジャニ∞が5人になってからのはじめてのシングル「友よ」の発売が発表になったのは、台風19号接近によるドリームフェスティバル中止の暗雲がまだまだ散り切っていない10月14日のことだった。


ここ数年、シングルは通常盤・初回盤・○○盤の計3種の形態が多く当初今回もそうだったので、減ったメンバーのファンはおそらくCDを買わなくなるであろうに発売形態がいつも通りとは結構強気だな…と思ったのも束の間、翌日の15日にもう1種「セブンイレブン盤」が追加された。
セブンイレブン経由でしか入手できないものに最も求心力が高そうな映像を付けるってセブンイレブンに恩売りすぎではと思いながらも、近年には記憶にない「4種」形態に「今回はそれなりの売上枚数が出ないとやばい」ということを秒で察した。

ファンになった当初からだいたいいつも全種+気が向いたら何枚か買い足すといった感じでソフトの類は購入しているけれど、それは飽くまで私個人のスタンスであって、それを他人に強要することはしないしできないし逆もまた然りである。


今から4年前…音楽特番における「無責任ヒーロー」の歌唱頻度が半端なかったころ、「無責任ヒーロー」が持っている売り上げ枚数の最高記録を「キングオブ男」で塗りかえようという動きがtwitter上でにわかに起きた。

そりゃ発売から数年経過した後に突如として歌われ出した不自然さとその頻度には私もそれなりに閉口はしていたけれど、無責任ヒーロー自体にこれといって悪感情を抱いていることもなし、仮にもしここで「キングオブ男」が無責任ヒーローの記録を更新したとしても、数年後の末路はおそらく同じになるのではなかろうかという思いもあり、その濁流のような流れに少々辟易してしまった…ということがあった。

もちろんCDが売れるに越したことは無いし私自身も売れて欲しいからこそ当たり前のように毎度全形態買っていた。しかしながら、本人達も複数枚買わねばならないファンの懐具合を必要以上に気にするだけで、以前ほど「CDを買ってくれ」的なアピールも無くなり、CDをたくさん売りたいんだか売りたくないんだかよく分からなかった上に前述の一件もあったため、私自身あまり積極的な宣伝等をオフラインを含めてしないようにしていた。
こちらが必死にならずともCDを出せばいつもなんとなく20万強は売れ、毎年当たり前のように音楽番組からお声がかかり、そして年末恒例紅白歌合戦にも出られる。
それはこれからもずっと、変わらないと思っていた。

そうやって思い切り平和ボケしていた中で起きた二年続けてのメンバー脱退。
変わらないことなんて何一つ無いし、何事も当たり前などでは無いことを改めて思い知った。


毎年11月の中旬頃、紅白歌合戦の出場者が発表される。
十五祭以外に周年イヤーらしい活動もしていないし、何より昨年に続いて起きた”もしかして二度あることは三度あるんじゃ”的脱退劇。加えて、デビュー間近の二組をはじめ半ば飽和状態で犇めき合う数多の後輩たち。正直今年は紅白に出られないかもしれないなと思っていたのだけれど、無事出場できることが決まって本当に嬉しかった。それこそ初めて紅白に出た2012年の時と同じくらい。

ジャニーズ事務所からは5組。そしてその5組は、事務所内のCDの売り上げ枚数上位5組であるということを知る。
5番目以内に入らなかったsexyzoneは落選。なんて分かりやすく、そしてシビアなんだと思った。

紅白落選に対するsexyzoneファンの方々の沈痛な様子及びこの事務所の冷淡過ぎる仕打ちを見て、”ファン”としてできることっていったい何なんだろうなぁと改めて考えた。
もちろん最優先事項は、必ずエイト陣営に届く形でお金を使うこと。むしろそれに尽きると今までは思っていた。
しかしながら、売上枚数一辺倒だったオリコンとは異なりSNSでの発信頻度や動画サイトの再生回数、サブスクリプションの再生回数も評価として計上される新たなチャートが台頭しだし、その指標が何ら特別なことではなく極々当たり前なものになっていくと共によりいっそうCDが売れにくくなっている昨今、彼らが大っぴらにそれらを使えないからこそ、そうじゃない立場だからできることがあるんじゃないかと思い至った。

もちろん不本意ではある。
おたく活動なんて水面下で、御本尊様はもちろん無縁の一般人にも目の届かないところで伸び伸びとタグなど付けずにタガを外してやりたいというのが本音だし、実際自分は長年そういう感じでやってきた。
でも、時は流れいつの間にかそうもいかなくなってしまった…という点を理解すると同時に、もう根本的な自分自身の考え方を改めねばならないのだなと覚悟し、ついに腹をくくったのであった。




…続く。

関ジャニ∞の大倉忠義さんのこととかについて綴る。

錦戸さんが脱退することについてとうの昔に覚悟はしていたからといって、心の中が無風なわけではなく。

一番強い感情はなんだろう?と我ながら考えてみるに、やっぱり「寂しい」かなぁ。
5人との関係性、可能性、未来、「よこやまくん」「むらかみくん」「マル」「章ちゃん」「おーくら」と呼ぶその声、それらを全てを一気に失ってしまったことが「寂しい」んだな、多分。

あと、これからもアイドルそして関ジャニ∞を続けたいと、6人でも大丈夫だと思わせてあげられなかったことに対するほんの少しの後悔もある。
ま、ファンごときが何か出来ると思うこと自体おこがましいし実際何か出来るわけでもなかったんだろうけど、逆にしなくてもいいことをした方というのは少なからずいたのではと思ってしまうのが正直なところ。
去年の夏ごろ、身から出た錆とはいえそうじゃない人と比べてあまりにも多いアイドルゆえの煩わしさに、完全部外者の自分ですら辟易していた。
あの時、我がの利己的な言い分を盾にここぞとばかりに延々呪詛を吐きそれを是としていた人たちは、こういう結果になって万々歳って感じなんじゃないでしょうか?
万が一悲しんでいるとしたら、それはとても片腹痛いお話ですな。



諸々の感情を持て余しながら、去る9月5日の夜は例の動画を何度も繰り返し見た。
「大倉くん、顔が小さいな…」「……いやホンマに顔小さすぎひん?!」「え、顔ちっさ」という”大倉くん顔小さすぎちゃうんか”ループを抜け出した後は「なんでやねん」「なんでそこで47行くねん」「いやここで47はどう考えてもめちゃくちゃやろ」と47に突っ込むゾーンに突入。
…やっぱあの日は自分も若干おかしかったんだろうな。


翌々日はオールナイトニッポンだった。
大倉くんは「別にそのままお話しするのも大丈夫なんですが」と前置きしつつ、9分30秒もの長い時間をかけて今の心境をまとめた手紙を読んでいた。

詳細というか全文はこちらに上がっているので、聞き忘れた方はどうぞ。
ま、本人の声に勝るものは無いんですけどね。
https://www.oricon.co.jp/news/2143865/full/


大倉くんは昨年すばるくんが脱退した時も、同じオールナイトニッポンでそのことについて誰よりも多く心境を語っていた。
でも、発せられた言葉の種類は去年とは明らかに違っていた。

「グループは永遠に続くものだと思っていたけれど、永遠はないのだと改めて知った」
「気づかれないように頑張っていたけど、心は擦り切れて限界に近づいていた」
「この2年間はめっちゃしんどかった」
「今、心身ともに疲れている」
「もし次こういうことがあるなら、僕はもう終わりでいいと思う」

これに加えて前々日の取材で大倉くんは「亮ちゃんに頑張ってほしいという気持ちもあるけど、(今は)自分たちのことで精いっぱい」だと口にしていたという。

一年前「すばるくんも今までのことを糧に活動していってほしい」「すばるくんのことも応援して」と、脱退者及びそのファンを鼓舞しながら「みんなそんな悲しまないで!俺たちが最前線に立って引っ張っていってやるから!始まるんじゃなくて始めるんだぜ!!!」的な(空)元気を振りまいていた強くて逞しくてついでによく飲みよく食べるイビルジョーのような大倉くんは、もうそこにはいなかった。
でも現時点での本音はこうなんだろうなと。もはや虚勢を張る気力すらないんだろうなぁとその現状に軽くショックを受けた。


デビューという夢に向かいグループみんなで一丸となって、それが叶ったらもっとビッグに、そしていずれはテッペンに。
そんな未来に向かいひたすら進んでいた、夢と若さとポジティブで飽和していた青い春のような時間はもう完全に終わってしまったということを、いつか来るであろう”関ジャニ∞の終わり”について触れる大倉くんの声を聞きながらしみじみと実感した。
でも、それは生きていく上で極々当たり前の変化なんだと思う。

自分が死ぬことなんて考えもしなかった子供のころ。喜怒哀楽幸不幸いろんな経験をしながら歳を重ね、もう若くないことに気づいた時、自分の人生にもこの先絶対に終わり=死があることをはっきりと自覚する。
多分みんなそうやって日々を、現実を生きている。

アイドルは、偶像。夢のような虚構を見せてくれる人たち。
良いことがあったり悪いことがあったりしんどい事があり過ぎたりはたまた何も無さ過ぎたり、そういうありふれた日常に蝕まれている人に、非日常的なキラキラをその身をもって与えてくれる尊い存在。
アイドルという立場でありながら、「しんどかった」だの「疲れた」だの「永遠なんてない」だの「もう終わりでいい」だの言って、虚構の世界に現実を引っ張り出してきた大倉くんは、もしかしたらアイドルとしては正しくないのかもしれない。

でも…私は嬉しかったんですよね、なんか。
だって自分もこの半年いやもっと前から、ずーっとしんどかったし疲れていたから、不穏な状態を放置したまま笑顔で後輩のバックアップに勤しんだり、真剣過ぎるトーンで「着衣が好き」とか言ってる大倉くんがあまりにも訳分からな過ぎて「…正気か?!」と思うこともしばしばだったから、漸く理解と共感が出来て安堵としたというか。
うんうんそうかそうかYOUも同じようにしんどかったのかそしてそれを必死に隠して表に立っていてくれたのかそれなのに「この人はどうかしてしまったんじゃ。こりゃもうついていけんわ」とか思ってしまって本当に申し訳なかったヨシここは(鳥貴族で)俺に奢らせてほしい*1的な気持ちでいっぱいになった。

あと、同時にものすごく感動もしたのであった。
超カッコつけてるのにいまいちカッコつかない残念なところや五月蝿いメンバーから一歩どころか百歩くらい引いたところからぬぼーっと傍観してる木偶の坊感が興味深くて大倉くんのファンになったはずなのに、知らないうちにすごい人を応援させてもらうようになっていたんだなぁと。

大倉くんが十五祭のセットリストから映像、照明、その他演出の全てを担っていたことをこの日はじめて知った。
「すべての演出に意味を持たせた」という言葉に、十五祭を見て自分が感じた細々としたアレもコレも、LIFEの途中に流れるバッキバキ体操の映像ですらも、すべて大倉くんにとってちゃんと意味があるものだったんだと分かって素直に嬉しかった。

「自分がしたい、今回に関してはもう”自分がやる”と決めました」
「自分が、十五周年のライブを作りたかった」
「今回は関係者のために作ってるライブではなくて、俺らとファンのためのライブだったから、それをめちゃくちゃ大事にしたかった」

普段あまり聞いたことがない、それこそ"着衣が好き"という自身の性癖を語る時と同じくらいの強い意思と信念を持って話す大倉くんに、本当に心から感動してしまった。


大倉くんは少し前に過去のコンサート映像を見返してるとウェブに書いていたけど、勿論仕事のためではあるにせよ、いったいどんな気持ちでそれらを見返していたんだろう。
一貫してグループ至上主義だった大倉くん。すばるくんの個性と錦戸さんの存在感が共存する関ジャニ∞を本当に愛していた大倉くんは、きっと私なんかとは比べ物にならないくらいにこの現状がつらくて悲しいはず。「心身ともに疲れている」というのは、嘘偽りない言葉なんだと思った。

それにもかかわらず大倉くんは、まだ暫くの間はアイドルでいてくれるのだという。
辛さも寂しさも疲労感もその絶息すら包含して、まだまだ私たちに虚構を見せてくれると言っているのである。
おいおいどんなえげつないメンタルしてるんだよ!本当に大丈夫なのか?

…そういう心配の声があることもちゃんと分かってるのであろう、手紙の最後の方で大倉くんは「僕の横には仲間がいます。重い荷物を分けてくれる持ってくれる頼もしいお兄ちゃんたちがいます。なので大丈夫です。泣きたいときは泣きますし、つらいときはしんどいってちゃんと言います。」と付言していた。
それを聞いて安心したと同時に、去年の春から夏にかけて妙に気負って見えた錦戸さんは、つらかった時にちゃんとメンバーに「しんどい、荷物を一緒に持って欲しい」って言えていたのかな…なんてことをふと考えたりした。



11月から5人は恐ろしい日程&総動員数の47都道府県ツアー(12年ぶり2回目)をスタートさせる。
あとから振り返ったら5人にとってターニングポイントになるものなのかもしれないし、何も残らない空虚な5ヶ月間になるのかもしれないし、もしかしたらこれは本当の終わりの始まりなのかもしれない。
現段階ではどうなるか誰も何も分からないけれど、大倉くんの「休みたい気持ちもあるけど、(ここで一旦休止して再開する方が難しそうだから)僕らは走り続けないといけない」という言葉の意味もすごくよくわかるので、愛を過剰な心配でスルーしないように気をつけつつ、とりあえず5人とも無理はし過ぎず怪我なく健やかに47都道府県ツアーを完遂させて、その後も歌うようなペースで構わないので出来る限り長く走り続けてくれと願うばかり。
こちらも、彼らが疾走するこのデスロードを最期まで併走してやろうというのが今の素直な気持ちではありますが、正直47に関しては会場に行ける気がまるでしないので、配信とかライブビューイングとか、そういう感じのアレを是非とも頼みます。


トリキで5杯(計1,605円)、奢るからさぁ〜。

*1:社長令息かつ大株主が歌う「俺に奢らせてほしい@Street Blues」の説得力マジ半端なかった

十五祭と錦戸さん脱退のことを綴る。

覚悟はしていたんです、3月からずーっと。
 
 
 
 

前記事の通りあの3月の報道は当初からほぼ事実だと思っていて、そんなことを微塵も信じていない楽観的な人が嫌味じゃなくて本当に羨ましいと思った。
他方、後から降って湧いて出た大倉くんのそれについては、ガセネタだなという確信があった。
過去の或る事実を元に適当に思いついたストーリーを書き連ねた作文であることは内容からしてあからさまだったので、当該記事を書いた週刊女性のライターはもっと取材力及び文章力を上げた方がいいですよ~とアドバイスをさしあげたいところです今もなお。
 
 
 
すばるくんが脱退した時、自分がエイトと7人の未来を信じ過ぎてしまったから、そしてすばるくんを含めた7人に情が湧きすぎてしまったからつらいのだということを痛感した私は、3月の報道以降大倉くん以外の5人に対しては意識的に目をやらずなるべく心も動かさないようにした。
特に錦戸さんに対しては顕著にそうするよう努めた。
それが”その日”に向けての私なりの自衛策だった。
 
ツアーの申し込み締め切り前に発表があるんじゃないだろうか、ツアー直前に、ツアー初日に…と、来たる”その日”に恐々とする日々。
でも”その日”は一向に来なかった。
終わりの見えない息苦しさとその空気も読まずに絶えずインサートされる事務所のあれこれに対して普通に腹が立ったこともあった。
 
一方で3月の報道がまるっきり虚偽であってほしいと思う自分もいた。
仮に3月の時点ではそういう状況であったとしても、公式発表される時まで翻意する可能性が少しでもあるなら、と。
久しぶりに松竹座に立ったことで思い直さないかなとか、十五祭で気持ちが変わるんじゃないかとか、そういう心変わりを望んでいたのも事実だった。
 
 
十五祭初日、MCや恒例の挨拶で彼らから報道に関する何かしらの、出来れば否定するような言葉が聞けることを願っていた。でも、それはなかった。
いつも挨拶では絶対に生の声を聞かせてくれていたのに、今回は事前に録画されたものを流す仕様になっていた。その映像の中にも欲しい言葉は何もなかったし、錦戸さんに至っては挨拶じゃなくてただのプロローグでしかなく、むしろ確信が強まってしまった。
 
私は大倉くんが脱退したがっているという趣旨の報道はガセだと確信していたけれど、もし6人のうち誰かが抜けてしまった場合、残った人たちで関ジャニ∞を続けていくのかという点については正直不安があった。
休止なのか解散なのかそのどちらであっても、そしてもしグループが継続するということになっても、きっと大倉くんが歌ったり踊ったり所謂”アイドル”に勤しむ姿は当分もしくは二度と見られないのだろうな…と思い、行ける会場は全て行こうと決めた。
有難いことに当たり譲り譲られ譲られ…といった感じで、定価不可相場理解違法売買に手を染めることもなく可能な限り行ける目処がついたので、これで最後かもしれないという心算で十五祭に臨んだ。
 
 
 
一五祭はまさにエイトの集大成といった感じで、最初から最後まで弛むところが一切無い本当に素晴らしい公演だった。
 
久しくお手振り曲やバンド編成へと形が変わっていたズッコケ男道をリリース当初の振りを付けて歌ったり、衣装もその当時のことを思い出させる色合いになっていたり、T.W.Lもお手振りでお茶を濁すことなくちゃんと振り付け通りに踊ったり、ブリュレの最後でちゃんと膝をついていたり、涙雨ではDVDに収録されていない間奏のスタンドマイク芸をちゃんとやってくれていたり…、そういう細かなところへの配慮が個人的には嬉しかった。
他に新旧問わずファンから人気の高い曲をいい具合に散りばめたり、なかなか一度のコンサートでは消化し切れないシングル曲をアンコールでまとめて歌ったり、随所に強い意思と気概と覚悟が見えるとてもいいセットリスト及び演出だなぁと初日に入った時から思った。もちろんその時は、それらのほとんど(もしくはすべて?)が大倉くんの手によるものだとは思いもしなかった。
 
6人の雰囲気も、各地いつも通りといわれればまあそうだったかもしれない。
 
確か名古屋公演から「ここに」の終盤で安田くんが大倉くんのことをハグしに行っていたのだけれど、福岡から同じタイミングで錦戸さんにもハグをしに行くようになって、そういう些細な箇所に何かしらの変化を望まなかったといえばウソになる。
それに限らず福岡では6人の雰囲気がとても良くて、何かあったのだろうかと思ってしまった自分もいた。
覚悟は既にしていたけれど、その自分の覚悟がフイになることを心の片隅では願っていた。
 
 
一ヶ月空いての東京3days。
1日目も2日目も温度が高い、本当にいいライブだった。
自分が想定しているような未来が本当に来るのだろうか?来ないのでは?と軽率に思ってしまうくらいに。
 
2日目の一番最後、大倉くんが客席にむかって「eighter!」と何度も叫んでいた。
今まであまり見たことがないような大倉くんの姿に、ハッと我に返ったと同時に胸がズキンと痛んだ。
もう明日ですべてが終わってしまうんだということを、他でもない大倉くんに実感させられてしまった。
 
最終日。
開演1分前から起こった大きなエイトコール。客の熱量で会場がはちきれそうだった。
コンサートは普段通り進んでいく。
この光景を決して忘れないよう目に脳に焼き付けておかねば…と相当の気合で二人の花を見たせいで、ものすごく肩がこった。
 
アコースティックコーナーでは東京から追加された「蒼写真」を歌っていた。
ギターを弾きつつ顔を歪めて声を張り上げ大サビの「時計の針があの頃までもう一度戻ったとしても(きっと同じ道を選んで悩み歩いてきただろう)」という箇所を歌う錦戸さんを見ながら、このタイミングで残酷なことを歌わせるなぁと思った。
もしこの曲変更を提案したのも大倉くんだとしたら、彼はいったいどんな気持ちで「蒼写真」を選んだんだろう。
 
バンドセクション。
crystal、ローリングコースター、Tokyoholicと続く。
最後の曲は「勝手に仕上がれ」。
 
この日会場に居た人はわかると思うけれど、この曲の最中の東京ドームは、本当に異様な空間だった。
私はあの時の「勝手に仕上がれ」のことを、多分一生忘れないと思う。
 
自分たちのグループ名のアルファベットを叫ぶところでは、全員が「関ジャニ∞」を慈しんでるように見えた。
みんなこれ以上はないという思いで歌い、演奏していた。大倉くんも時折、それまで聞いたことがないリズムでドラムを叩いていた。でも、途中モニターに映ったヨコの顔が、とてもとても、強張っていた。
札幌ではブルースハープの音が聞こえないことにハッとしたりもしたけど、あの時はそれがあったことすら忘れるほどだった。
今まで自分が12年間聞いてきた中で、一番心が揺さぶられる演奏だった。
 
「行かないでTonight 」「終わんないでTonight」に合わせて観客の掛け声がドームに地響きの如く鳴る。
観客の全員が、心から終わって欲しくないと思いながら歌い、叫んでいた。
行かないでって、みんな縋り付くような思いで声を出していた。
本当に、本当に終わって欲しくなかった。
だってこれが終わってしまったら。
 
みんなの思い、願いが充満していたあの時のドームの空気を、錦戸さんはどう感じ何を思ったかのかな。
彼の人生における良い思い出の一つに成っていたら良いな。
 
でも後から思ったのが、あんな奇跡のような空間をもってしても、錦戸さんが翻意することはなかったんだなって。
終わらないでって思ったのは、やっぱりこちらだけだったのかな。
あの時、ほんの一瞬でもいいからそういう思いがよぎっていてくれたならうれしいのだけれど。
 
 

同じ想いで走ったって 同じ道は続かなくって
みじめな姿も見せ合えた あの毎日が遠のいてく
心にこびりついた後悔を捨てて 今はどれだけ泣いてもいい 
「さよなら」

 
 
…「咲く、今。」を本編最後にもってきた彼ら(というか大倉くん)のマゾヒストぶりには驚愕する。
6人ともどんな気持ちで毎公演あれを歌っていたんだ。もし自分なら福岡公演あたりでメンタルが壊死してると思う。
しかし”それぞれの今”がはじまってしまった現状を考えると、結果的にはこの上ない選曲だったとも思う。

最後、ステージが下がる時にモニターに映ったヨコの表情が堪らなかった。
相変わらず素直な人だなと思った。
 
 
アンコール。
極力視界に入れないようにしていたのだけれど、ふと「ひとつのうた」でセンターステージに腰を落とす錦戸さんが目に入った。
終わるような気もしたし、終わらないような気もした。でも、やっぱり終わってしまうんだろうなとその光景を見ながら改めて感じてしまった。
 
ダブルアンコールは「無限大」。
久々に聞いたなと思いながら、いろんなことを思い出していた。
私はといえば、大倉くんばかりを見ていた。これが最後かもしれないとこの時は本当に思っていたから。
だから、錦戸さんがステージから深々とお辞儀をしていたらしいことを私は知らない。その時の表情も、どんな様子だったかも。
おそらくこの公演が映像に残ることはないのだろう。彼の関ジャニ∞としての最後の姿は、それをちゃんと目にした人の記憶にのみ残るだけ…というのもなんだか切ないしもったいないので、DVDに入れば良いよね。
 
終演後、モニターに「15:00」の文字。毎公演、開演15分前から映し出されていたカウンターだった。
15から16へ「To be continued…」。上がる歓声。私は素直に「あ、続くんだ」と思った。
人数はどうあれとりあえず関ジャニ∞は続くんだ、と。正直終わるか止まるかと思っていたので、ある意味予想を裏切られた感じがした。
 
あれを見て6人が、6人の関ジャニ∞がこれからも続くと思った人もたくさんいたんだろうな。私も文字を見た刹那そういう思いが一瞬だけ過ったけれど、でも。
私の知っている関ジャニ∞や大倉くんは、いつだってファンに対しては言葉を尽くすことを忘れず誠実でいてくれて、ことグループに関しては無駄な予断を一切持たせない人たちだった。
その人たちがここまで口を慎み否定をしないということは、もうそういうことなんだな、と。
 
 
 
報道が出た3月から9月5日の午後4時まで、真綿で首を絞め続けられているようなこの期間は本当にしんどかったし、その間があまりにも長かったために完全に疲れ切ってしまっていた。
さっさと白黒つけろよと思ったことも一度や二度ではなかった。
こんな状態のまま放置し続けているエイトのことを、はじめて不誠実だと思ったこともあった。
でも、記念すべき十五周年の「十五祭」を彼らがとても大事にしていて、せめてそれが終わるまではファンに夢を見続けてもらいたいという大倉くんの真摯な思いがその後配信された映像から、ラジオで読まれた手紙から十分に伝わったので、もうすべてを許そうと思った。
彼らもファンと同じく、それ以上にしんどかったであろうことが端々から感じられたから。
 
先の自衛策が功を奏してか、メールを見たときもHPでお知らせを見たときも動揺せず涙もまったく出ず、「あーやっぱりな」感の方が強かった脱退・退所発表及び5人による配信動画。
とはいえ、まさかそこで2周目の47都道府県ツアーが発表されるなんて爪の先ほども思わなかったので、情緒が乱れきったまま翌々日のオールナイトニッポンを聞くことになったのでした。
 
そのことについてはまた後日。
 
 
 
 
 
 
 
 
錦戸亮さん、15年間関ジャニ∞にいてくれてありがとう、長い間お疲れさまでした。
あなたがNEWSとの掛け持ちで本当に本当に大変だったこと、掛け持ちしていた期間およびNEWSを脱退して一つに絞ってから以降も自分自身の仕事を頑張りつつエイトをちゃんと大事にしてくれていたこと、曲を作ってしまうくらい7人のエイトに永遠を望んでいたこと、すばるくんが抜けたあと一生懸命気張っていたこと、全てちゃんと見ていたし知っています。
しかしながら人は、人の気持ちはやっぱり時間とともに変わってしまう。
でも、変わってしまっただけでその時の気持ちは決して嘘じゃなかったはず。
 
あの日描いた理想まで、貴方がいつか辿りつけることを心より願っています。

2019年3月28日(木)に綴る。

ほとほと疲れてしまった、というお話です。




思えば最初に「?」と思ったのは、毎年当たり前のように出ていた年末のTV雑誌にほぼ出ていなかった頃からで、その時は「まあどうせ今年を振り返っても話題は一つに絞られてしまうものね」とか「まるちゃんと錦戸さんはもうドラマ撮影はじまってるだろうし、ヤスくんも舞台稽古忙しいだろうし」と適当にそれらしい理屈で事態を受け流してはいた。

その少し前からはじまった大倉くん(とヨコ)による後輩プロデュース業。
当初は、後輩たちのバックアップをできるくらいに力や余裕が彼らにもできたということなんだなと誇らしさを感じていたけれど、ありとあらゆる媒体に彼らと顔を並べ続ける様子を見て、なんかある種の異様さを覚えるようになってしまったのはかれこれ2月中頃かなぁ。

新年一発目!六人として二発目!ゲツクの主題歌!大規模な宣伝活動があって然るべき新曲のプロモーションもほぼ無し。発売に合わせてのファンに向けたムービー等も無し。発売前はおろか発売日及び翌日更新のweb連載でも誰一人販促的コメントをするわけでもなし。
ついでにヤスくんの「ボク。」の更新も年明けすぐ以降一回も無し。


で、あの報道である。
最終的な確定事項はどうあれ、書かれていたことの概要はあながち出鱈目ってわけじゃないんだろうなと思った。
上記の「?」をはじめ、昨年末以降グループとしての活動がほぼなかったこと、まるでエイトファンに降り先を斡旋するかの如し執拗なまでの後輩との抱き合わせ、年明け以降各々グループの未来について前向きかつ具体的な話がほぼほぼ聞かれなかったこと等、すべてに合点が行き過ぎた。


半年以上前の言葉を言質に反論してる人もチラホラ見かけたけど、YOUたちは前年9月に撮影されてそれから半年しか経っていない2018年3月に発売されたDVDの特典でグループのコンサートについて前向きに語っていた人がその1ヶ月後に脱退発表したことを忘れたのかっ?!記憶ってやつを喪失してしまったのかいっ?!?!と思ったりもした。

またFCからメールが来て、◯時に”大切なお知らせ”をwebで見るよう促され、顔色が悪いメンバーの会見を見させられ、その会見を受けてニュースやワイドショーが好き勝手言うのを聞かされるのかあああぁぁと一連のくだりを想像してみた結果、今度こそ完全にメンタルが死ぬなと思った。
でもそれに似たようなことが多分いま一番真に近くて遠くない未来なんだとも思う。

誰一人否定もせず、否定をほのめかすようなこともせず(たとえば縦読みとかネ☆)、何かを隠し繕い覆うのような文章。何度読み返しても、感情が読めない。
でも、2月13日の大切な日でまるちゃんが「グループは孤独を分け合うという事」だと仲間・グループの存在意義を再確認していたこと、それと同じ週(というか多分同じ日)にヒナちゃんと二人で自宅でお鍋をして「覚悟は早い方がいい」と綴っていたこと、先日のラジオで大倉くんが2018年4月14日の夜と同じように「仕事上言いたくても言えないこともある」と言っていたこと、これらすべてを鑑みると…というのが現時点での私の結論。


所謂懸念事項は、大倉くんのアグレッシブすぎる短髪とかデカすぎる尻とか酒すぎる人生とかいつまでたっても無責任ヤクザこと日テレが無責任を歌わせ続けるエンドレス無責任地獄とか、なんていうかその程度その限りであって欲しかった。年中行事的にグループの存続や個々の去就がついてまわるおたく活動なんて、そりゃ過酷にも程があるぜ。

嗚呼本当に、心底疲れてしまったのだ。
経緯を辿るのも反証を探すのもそれに対して再反証するのも、大事なものが汚されるのを目にする度に抉られていくのも、薄々気づいている核心から目を逸らしてモヤモヤを持て余すのも、関心など微塵もないことについてそれがあるフリをするのも、内心どうでもよいものを義務感それのみで消化することも。
もちろん自分の中の結論が覆されたらいいなとも思う。それに越したことはない。その時は過去の自分の疑心暗鬼っぷりを鼻で笑いながらこの記事もまるっと削除してやろうと思う。
でも、そこに一縷の望みを賭けるのも賭けようとするのももはやしんどいっていう。


おたく活動なんて飽くまでもどこまでも「趣味」に過ぎない。
趣味にはいつだってうれしい!楽しい!大好き!という吉田美和並みの過剰ポジティブを得るべくお金と時間を使いたいし、自分のためにもそうするべきだと思っている。
それにも関わらずその「趣味」にこんな長期にわたって疲弊させられるって、こりゃ本末転倒甚だしいにもほどがあるぞとはたと気づいて我に返った瞬間、なんかこう、憑き物が落ちたような感覚がした。







「窮鼠はチーズの夢を見る」はとても楽しみ。大倉くんは映画の中でどんな表情(と露わな姿)を見せてくれるんだろう。舞台挨拶には行けるといいな。また舞台もやって欲しい。足のリハビリがんばってください。早く前みたいにバスドラが叩けるようになりますように。
大倉くん以外の5人もこれから各々いろんな仕事をして、それぞれに時間を重ねていくんだろう。
あ、そうだ。すばるくんも元気そうでよかった。本当に、よかった。

7人それぞれの未来は今も素直に楽しみ。
ただ、関ジャニ∞のストーリーに夢を見ることそれを「趣味」にするのはこの辺りで一旦ストップしようかなぁと。
自分の精神衛生のためにも。
好きになった時から一貫してグループ至上主義だった大倉くんのファンとしては少々心苦しいものはあるけれど、ファンなんて所詮は無責任ですから私は私の好きなように嗜ませてもらおうと思います。


でもなー、お芝居をする大倉くんもラジオで饒舌かつクレバーに話をする大倉くんも勿論嫌いじゃないけど、やっぱり大倉くんが一番光り輝いているのはその裏方で勤しむ姿などでは決してなく、コンサートのステージでスポットライトを浴びている時だし、コンサート会場の客席から見る大倉くんが私から見て一番素敵だ(った)し大好きな姿だ(った)から、それをできるだけ長く見ていたいというのが本音でもある。
だけど大倉くんの人生は大倉くん自身だけのものであって、ファンはもちろん大倉くん以外の誰のものでもない。大倉くんが自分の好きなように我が道を生きていくべきなのは至極当然で、その過程における選択はすべて大倉くんが選んだ肢こそが正解でありそれについて第三者から責められる謂れなんて一つだってない。
だから、今後も何かを決めるたびに意地悪な人がとやかく言うこともあるだろうけど、自分自身を信じて思うように進んでいって欲しいな。そして、外野が何と言おうとせめてファンくらいはその選び取ったものを可能な限り肯定してあげたい、あげられたら良いなと今は思います。


…担降りエントリーとかはではありませんよ。私はまだまだ大倉くんが大好きな大倉くんのファンのままです。
ま、ただの気持ちの整理&中間報告ですな。



はースッキリした。

2015年からのことについて綴る。

結局2018年のうちに仕上げることはできなかったな、っていう。
まあ諸々忙しかったこともあるけれど、近年になればなるほど筆…じゃない、打つ手が進まなくなってしまったのが正直なところで。
”思い出”として記すには、楽しさも悲しさも未だ鮮度が良過ぎるのだ…と遅筆の言い訳終了。




2015年。
泥酔した大倉くんがゲーム機のボタンにチーズを詰まらせたことでお馴染みの関ジャニズムツアーも無事に終わり、すばるくんはソロデビューシングル「記憶」と映画「味園ユニバース」のプロモーション活動へ。

ソロツアーの初日は難波のレジャービル味園の「ユニバース」で。まるちゃんが見に来て終演後こっそりバラを一輪置いていったのも確か此処。
味園ユニバース」は日本で公開される前にロッテルダムの映画祭で上映され、それに合わせてすばるくんは現地で取材を受けたりあとストリートライブも決行した。
そのオランダのストリートライブの映像をマネージャーから送ってもらって見たヒナちゃんが「あの感動はファンには分からない、僕だけのもの」だと目をキラキラさせながらIf or…のカーテンコールで話していたのが私は今も忘れられない。
多忙だったヒナちゃんは、このタイミングしかないからとすばるくんのソロ公演をわざわざ名古屋まで見に行ったそう。
すばるくんのことを人として友達としてメンバーとして全力で敬愛していたヒナちゃんは、すばるくんが歌を味方に立派に一人で立っている姿を見て、いったいどれほどの思いだったんだろうか。
そして、そのすばるくんからグループから抜けたいと言われた時のショックは、どれほどだったんだろう。
ファンごときにその思いはそりゃ、絶対に分からないよね。

映画公開日には早朝からのプロモーション活動。すばるくんはあまりにも無愛想で、無愛想すぎて後からマスコミに向けて謝罪文を書かされる羽目にまでなっていた。
ああ、そういえばこの人はこういう危うさがある人だったなと久しぶりの感覚を覚えたりもしたけれど、世間からすればいい大人が何してるんだという見られ方をするのは当然で、結果的にそのしわ寄せは全て本人に行ってしまうのだからもっと割り切って狡猾に立ち回ればいいのにと思わないでもなかった。

前年にBSの「The Covers」という番組に出たすばるくんを指して「うちのボーカルかっこいい」と言っていた大倉くんは、すばるくんが一人で出たMステもちゃんとチェックしていた旨ラジオで触れていた。味園ユニバースのことも積極的に宣伝していて「うちのメンバーすごい」と何の照れもなく言い切っていたことを覚えている。
フラフラの時とはまったく異なる気持ちですばるくんのソロワークを楽しみ応援している大倉くんに安心しつつ、それが素直に嬉しかった。

味園ユニバースは、公開日から合計4回見に行った。「100回泣くこと」ですら2回だったのに。
別に悲しいシーンでもあからさまに感動的なシーンでもないのに、最後の歌のシーンから涙が止まらなくなりエンドロールの「記憶」を聞きながら人目もはばからずドバドバと泣いてしまった。
なんであんなに泣けてしまったのか今でも不思議なんだけど、多分映画の中の”ポチ男”とこの映画をやりきった”渋谷すばる”二人それぞれに対して感極まってしまったんだと思う。
本当に、いい映画だったな。

3月、3年半続いた仕分け∞が終わり、5月から関ジャム完全燃showがスタート。
迷走期を終えた後の関ジャムはひたすら良い番組で、この番組によるスパルタ音楽教育のおかげでエイト各々の楽器スキルや意識が明らかに変わったのは本当に良かったけれど、結果的にこの番組がすばるくんの音楽への衝動に火をつけてしまったその要因の一つになったのかもしれないなぁと思わないといえば嘘になる。
でも、それでも、この番組が始まったことはエイトにとって本当に良かったと思うな。
これからも極力長く続きますように。

この年の春、突如現れた「キャンジャニ∞」。
戦隊ヒーロー、同じ孤児院で育った始末屋ときて、まさか女子アイドルとしてのパラレルワールドまで提供される日がくるとは…とあまりにも斜め上の展開に衝撃を受けた。
もともと顔が整っている7人だから女装しても普通に見られる仕上がりになっていたけれど、その中でも”すば子”の凛とした美しさは高貴ですらあった。あの人、もともと四肢も若干女児みたいだしね…。

夏、関ジャニ∞リサイタル「お前のハートをつかんだる!!」開催。
私は三重と福井へ。
個人的にリサイタルは「近い」以外の利点がほぼ見られなくて大賛成とは言い難いものがあり、このブログも当初はそのリサイタルについて遠慮なく突っ込みたいがために作ったのであったことをふと思い出したので、当時のことについて興味のある方はこちらをどうぞ。

関ジャニ∞の元気が出るCD」が発売。特典が両方とも異なるベクトルで強烈で良かった。
すばるくんと安田くんと錦戸さんと大倉くんの4人のツーリングを映像に残してくれて本当に良かったなって。これはもう今後絶対に見られないものだから。

11月23日、テレ朝のドリームフェスティバルに出演。
実はエイトが出るか分からない時点で別の出演者目当てにチケットを取っていたので幸運にも見れることに。
エイトはトップバッターだった。
私の周りにはエイトのファンらしき人はほぼ居なかったのだけれど、ああいうアウェイの場でも臆せず堂々と場を盛り上げているのを見て、もしかしたら今は彼らの過渡期でその一端となったのは前年一人でこの場所に立ち今年一人でツアーをやり切ったすばるくんなのかもなと思ったりもした。

この年の年末、エイトはFNS歌謡祭に出演した。
前年は別スタジオで数多のグループと同じone of themといった形での出演だったけれど、この年漸く飛天の間に招かれることとなった。
なぜかエイト(とKAT-TUN)は長年FNSから声が掛からなくて、いつかもっと売れて出られる日がくればいいなと長年思い続けていたので、前年に出演が決定した時は素直に嬉しかった。
この年に歌ったのは「前向きスクリーム!」と「ズッコケ男道」。飛天の間に不似合いな盛り上げ要員としての役割を全力で務めていた。

12月から「元気が出るLIVE」ツアーがスタート。
このツアーはとにかく後に映像化されたソフトの出来が最悪ではあるものの、セットリストも内容も個人的にはとても好きで札幌で初日を見届けたあと「今回は行けるだけ行こう!」とはじめて福岡にも遠征した。
ヒナちゃんのピアノで「渇いた花」を歌うすばるくんを見て、二人とも出会った当時はこんな未来なんて微塵も想像してなかっただろうなと見るたびに胸が震える思いだった。
LOVE & KINGではエイト6人がバックダンサーを務めていたのだけれど、すばるくんがストリートダンスをする姿が見慣れなすぎて&想像以上にちゃんと踊れていて、ものすごく高揚したのを覚えている。まあこれも映像としては残っていないんだけどね…とはいえ、なぜ残っていないかってそれは大倉くんのせいでもあるのでなんともこう、強く言えないところもあるんだけども。

年末、この年も紅白に無事出場。ものすごい派手な衣装を着て「前向きスクリーム!」を。あのキムタクパイセンも前向きを踊ってくれてたんだようれしいね。
ジャニーズカウントダウンにも久々に復帰。エイトは「大阪ロマネスク」と「Cha Cha Chaチャンピオン」をチャンピオン姿で歌っていて最高だった。
そして、ファンが選ぶ一夜限りの”夢のユニット”リクエスト投票数一位として、すばるくんはタッキーと二人で「明日に向かって」を歌っていた。
この年、この二人がこういう選ばれ方をしてそれがちゃんと記録・映像として残ったことは、今となっては本当に良かったなと思うし若干運命的なものも感じてしまう。


年が明けて2016年。
最終公演で例の忠義腸閉塞事件が起こる。ま、詳細は映像化されているのでそれを見ればいい…と本心からはとてもじゃないが言えないけれど、まあ一回くらいは見てみてもいいんじゃないかな。ソフトは確か限定生産だった気がするけど、今も売ってるやろ多分きっと。

あの日に感じたことはこちらに記しているので興味がある方はどうぞ。
結局7人が「ずっと一緒」にはいられなかったけど、あの日すばるくんが涙を流しながらこちらに向かって語りかけてくれた言葉に決して嘘はなかったと今でも思えるよ。後日発売されたDVDでも、すばるくんは泣いているファンのことを一番に気にしてくれていたねそういえば。

2015年の瀬にすばるくんの二回目のソロツアー決定のお報せがあった。
最終地は両国国技館。すばるくんのライフワーク的にこれからも年一回ソロツアーはやっていくのかなぁとこの時は思った。
私はZeppなんば(と言いつつ大国町やないかZepp大国町にしろってまじで)公演へ。
前回のツアーは外れたので、すばるくんのソロ公演を見るのはこれが初めてだった。
ユルい顔認証を経て入場。もう10代のころのようにモッシュやダイブを許容できる体力が自分自身にあるとは思えなかったので、前方の比較的人が少ない場所に移動して公演を見た。そういえば、ジャニーズWESTの重岡くんと室くんが客に紛れて普通に見に来ていた。
公演自体は、兎に角”渋谷すばる”が堪能できたなっていう。すばるくんの歌が好きな人にとっては堪らない空間だろうなと思った。
公演中、すばるくんがお客さんに向かって「『Zeppにジャニーズのアイドル見に行った』って言ってやれ!」と煽っていたことを覚えている。
この時に限らず以前からすばるくんは時折自分がジャニーズタレントであること・アイドルであることをこれ見よがしに誇示、主張していたけど、もしかしたらそうやって公言することで自らを追い詰めて、この場から去りたい衝動を必死に抑えていたのかも…と今となっては思わないでもないけれど、人の本心ましてや虚構の権化のようなアイドルのそれなんて分かる由もない。
でも、このころはまだ”関ジャニ∞に所属してアイドル業務をしつつ自分のやりたい音楽をやる”という状況を、すばるくん自身が楽しんでいてこれからもそのバランスをうまくコントールできるだろうと勝手に思っていたんだけどなぁ。

春にヒルナンデスからヒナちゃんが卒業。
別に”ヨコヒナ”がこの世から無くなったわけではないのに、何故か無性に寂しい春だった。

この年の夏にも昨年と同じくリサイタル開催。
大倉くんが腸を詰まらせて以来のステージであったとはいえ、リサイタル自体の感想は去年とほぼ同じだったな…。
今後も6人でリサイタル、やったりするのかな…やらなそう……。

「NOROSHI」が発売。
和装&バンドという「この仕上がりが嫌いなおたくなんてこの世にいます?!」的ビジュアルでPV撮影&プロモーション&年末の音楽特番出演。
FNSでは生田斗真さん主演の作品の主題歌として生田斗真さんもエイトと一緒にキングオブ男を歌っていたのが、なんだかとてもグッとくる光景でありました。

冬には久しぶりにアルバムを引っさげないツアー「関ジャニ’sエンターテインメント」がスタート。
誰の腸も詰まらず7人全員がちゃんと揃っていて、すばるくんが抜ける意思を固める前かつ安田くんの病気が露見する前のこのツアーは、彼らにとって最後の何の綻びも無い時間だったのかもしれないなと今になって思う。勿論実際のところは分からないけれど、去年の7月ごろ何度も「この時に時間が戻って欲しい」と思ってしまったのも事実であって。
格好良さも可愛さもそして30代の大人の色気も、全てが包含された良いツアーだったな。

NOROSHIのプロモーションの中盤〜ツアー開始頃から、すばるくんの雰囲気がぬるっと変わったことをぼんやりと思い出す。
一年半前では考えられないくらいに髪型が整然としだし、単純に見た目が小綺麗かつ可愛いくまた格好よくなった。
そして、時折醸し出される荒さとか痛々しさがぱったりと失せて穏やかで柔らかく不自然なほど品行方正になった…ような気がした。
個人的にあえてそうしているであろう乱雑な身なりや彼の危うさを疎ましく思う部分も正直あったから、何か心境の変化でもあったのかなまぁ大人になったということかなと当時はその変化を明るく捉えていた。
アイドルらしい所作を見せるたびに上がる黄色い悲鳴、それまでそんな分かり易い姿をあまり見せなかったというギャップもあって、公演を重ねるにつれ客が彼に対して期待と思いを強くしていくのを肌で感じた。ので、その点を当時ブログに書いたりもした。

「あゝすばるくんは絶対的センターでメインボーカルで赤を纏うべき人で、ルックスも挙動も全てが人並みはずれた魅力に溢れている完全にそういう星の元に生まれてしまったまさにアイドルに成るべくしてなった人なんだな」と改めて痛感したツアーだった。
一方で、その身なりと挙動と若干の歌い方の変化に違和感を感じていたのも事実だった。でも、その違和感を気のせいだ加齢だ心境の変化だと言い訳をし、見て見ぬ振りをした。
すばるくんらしいがなるような歌い方も…それこそオモイダマの落ちサビで声を張り上げて歌うことも、この頃からあまりしなくなったなぁ。
あと、これと同じ時期では無いのだけれど、2017年の後半くらいからすばるくんのレンジャーに違和感…とまでははっきり言い難い、本当にささくれのような些細過ぎるそれを覚えるようにもなったりした。
なんというか、読んでいるこちらを煙に巻くような、可愛さで本音を覆っているような、そんな文章が続くなぁと思っていたのは確かだった。
あゝ、なんて楽観的だったんだろうかあの時の自分は。

それはさておき、このツアーにおけるすばるくんの「なぐりガキビート」の曲紹介が本当に可愛くて、毎回見るのがとても楽しみだった。ネジ巻き仕様のオモチャみたいな可愛さがあった。


明けて2017年。「なぐりガキビート」が発売。
その「なぐりガキビート」の新春特盤にすばるくんがプロデュースした”新年会”の模様が入っている。
とても興味深い仕上がりで、私もそれを見た際ここに諸々を書き記したりもした。
この映像の中で、すばるくんは「それぞれが改革を起こさなれければ=一人一人が変わらなければ」と言っていた。関ジャニ∞の未来を思い6人の前で熱く語っている一方で心の内では脱退が過ったりしていたんだと思うと軽く人間不信になりそうな気がしないでもないけれど、多分この時点では、グループを辞めて1人になるかグループとして7人揃ってステップアップするかですばるくんの中でまだ迷いがあった…と思いたいな。
で、グループとしてのステップアップの一つとして数ヶ月後彼らは初めて野外ロックフェスにも出たりもしたわけだけど、それがあったからこそ余計に音楽を突き詰めたくなったのかあるいはグループであの場に立ってみたもののしっくりこなくて結果的に辞めようと思ったのか、それともすばるくんにとってそれは然して意味のない出来事だったのか…、ま、今となっては分からないよね。
でもなぁ。その後メンバーから”まるちゃんがエイトがフェスに出たことを知らせるネットニュースを満足げに見ていた”ことをバラされていたけど、メンバーは皆目新しい光景と状況にそれまで経験したことない充実感を感じたのは事実だったと思うんだよね。それこそ、自分たちの今後を見据えられたりもしたのかもしれない。そして、イメージする漠然とした未来にはきっと真ん中にすばるくんがいたと思う。
今、6人はどんな未来を思い描いているんだろうか。

その新年会のすばるくんによる鼓舞が影響した…とは別に思わないけれど(∵仕事なんてだいぶ前から決まってるんだろうし)、2017年を思い返してみるに、ヨコはジレッタでミュージカルに挑む一方ananで美しい裸体とエロスを晒し、ヒナちゃんは27時間テレビの司会をやり切り、まるちゃんは泥棒役者で映画主演を果たし、ヤスくんは俺節で素晴らしい芝居と歌を披露して、錦戸さんは日テレで初の連続ドラマの主演を務め、大倉くんはずっとやろうとしなかった舞台で主演を務め…、正直すばるくん以外の6人はそれぞれ各々が個人のお仕事で新しい一面を見せられた一年だったように私は思う。だから、会見の後「特典で革命云々と言っていたのに6人がそれをできなかったからすばるくんは見限って抜けたんだ」というアクロバティックな持論を展開されている方を目にして、正直白目を剥きそうにもなったりした。私自身はまったくもってそんなことは思わなかったので。

初夏にアルバム「ジャム」発売。
豪華な作家陣に加え、まるで職業作家のようにニーズに合った曲を作る安田くん、相変わらず私小説のような曲を書く錦戸さん、とにかく人間臭さを曲にするすばるくん、三者三様の曲が一緒くたになったカオスなアルバムであり、まさに7人としての集大成的アルバム。
7人のこと、グループのことを歌っているように聞こえた「今」も「青春のすべて」も、4月15日以降聞こえ方がまるで変わってしまった。

すばるくんが参加した最後のツアー、「関ジャニ’sエンターテインメント ジャム」が開始。久しぶりに初日に足を運ばなかったのは、今思えばあまりにも楽観的過ぎたんだろうな。
夏へと移行したドームツアー、個人的には冬に戻して欲しいと思って止まない…。

当時もそうだったけれど、こうなってしまったからこそ余計にこのツアーのトピックは「Answer」と「ノスタルジア」に尽きてしまう。
それほど深い思慮があって決まったわけではない”3人”と”4人”のユニットが、これほどまでに意味を持つようになるなんて、たった一年半前のことなのに思ってもみなかったなぁ。
3人が3人じゃなくなってしまう前に、3人のユニットが見られて本当に良かった。間に合って良かった。だって、もう二度とあの3人で歌って踊る姿は見られないのだから。
Answerの映像はもちろんツアーメイキングもこのユニットについて語る言葉も、今となっては全てが宝物。すばるくんも、最後のユニットがこの3人ならば何の悔いもないだろう…と思うけど、唯一大倉くんとだけペアを組まなかったことについてはちょっとだけ後悔していて欲しいな(苦笑)。

すばるくんのアイドル的所作はこのツアーでも続いていた。
「NOROSHI」「DO NA I」では目配せに毎度黄色い歓声が上がっていた。
「Sorry Sorry love」「WASABI」「えげつない」の歌って踊りまくる怒涛の三曲、すばるくんはまったく手を抜くことなくしっかりと踊っていた。でも、それが逆に違和感であったりもした。
最終公演の福岡二日目。「応答セヨ」Cメロのすばるくんと大倉くん二人の声の重なりがとてもきれいで、印象的だった。まさかこれが最初で最後になるだなんて、あの時は夢にも思わなかった。

11月15日、7人として最後のシングル「応答セヨ」が発売された。7人の強い目が並んでいるジャケットがとても素敵だった。
カップリングの「Sweet Parade」のPVで老いたメイクを施された7人を見ながら、きっと現実でもこんな7人を見る日がいつか来るんだろうと何の疑いもなく思った。
「Street Blues」の安田くんにはちょっと驚いた。俺節以降、安田くんの歌声は本当に変わった。太く強く、より心に響くようになった。こんな歌を歌える人が普段は上ハモに徹しているという事実に改めてグッときたりもした。
通常盤にはすばるくんが作詞作曲プロデュースをした「コーヒーブレイク」という曲が入っている。
すばるくんがこの曲をグループに持ってきたのを知ったとき、錦戸さんは嬉しかっただろうな。この曲がコンサートで聞ける日は果たして来るのだろうか(権利関係的な意味でも)。

年末。
長年縁がなかったFNS歌謡祭で、エイト一人一人がそれぞれ個別に他アーティストの方とコラボレーションさせてもらうことになった。
長い年月をかけて錬成した音楽という武器を手にあの場所で堂々と戦う7人がファンとして誇らしかった。虚勢でも自己暗示でもなく、本当に「最高で最強」になったんだなとテレビを見ながらしみじみ思った。
番組の最後、上手い歌い手ばかりが並ぶユニットの一人として「糸」を歌いあげるすばるくんはひたすらに格好良かった。
ずっと見たくて、でもきっと見られないだろうと思っていたものがついに見られたような気がした夜だった。

この年も紅白歌合戦に無事出場。歌った曲は「なぐりガキビート」。ヨコがセンターだった。
その後カウントダウンコンサートにも出演。結果的にこの日…2018年1月1日が、関ジャニ∞としてすばるくんをこの目で見た最後の日になった。
座席がセンステの近くだったので、放送されていない時間にもエイトが近くにいることが多くて有り難かった。すばるくんがまるちゃんや安田くんと楽しそうにしていた姿が今も忘れられないな。


そして、2018年。
3月7日に「ジャム」のDVDが発売。特典の”手錠ドミノ”はトランプさんが超絶クレイジー&内容が終始バカバカしくてとても面白かった。でも、「こんなに楽しい空間をすばるくんは手放してしまったのか」とか余計なことを考えてしまうようになったので、4月以降あまり見れなくなってしまった。

「未定」の翌年から10年間続いたヒナちゃんの「If or…」が終了。
千秋楽にヨコが来ていたらしいのだけれど、この時ヨコは客席からどんな気持ちでヒナちゃんを見ていたのだろうかと想像するだけで胸がぎゅっとなる。

3月21日、TBSで「卒業ソング音楽祭」なるよく分からない生放送特番があり、エイトはそこで「オモイダマ」を歌っていた。
この時は「錦戸さんがやけに儚げだな」とか「みんな色っぽいな」とかそんなことを思うばかりだったけれど、今考えるとこの時はまさにすばるくんの去就について話し合いがなされていた真っ最中だったわけで、4月15日以降まったくもって見返せなくなってしまった。個人的に、会見映像に次いで見ていられない映像ランキング堂々の第二位である。*1

そして迎える2018年4月15日。その後のことは知っての通り。




はー長かった。
11年+α分のすばるくんは、ものすごい量だった。思い出したことはまた追記しよう。

改めて関ジャニ∞渋谷すばるさん、お疲れさま。
大好きでした。












それはそうと、元気かなすばるくん。*2
そろそろ花粉の季節ですが、今年は表に出ることもないし何時ぞやのように顔が浮腫む春を迎えられたりするのだろうか。
タッキーも引退してtobaseも退所して、嵐もあと二年でいなくなってしまうよ。寂しいです。
エイトはというと、15周年の年を迎えた今USJハリウッド・ドリーム・ザ・ライドに安田&錦戸コンビが作った曲が採用されていて、大阪のあちこちにエイトのポスターが貼られています。いち大阪市民として実に誇らしく、喜ばしいことです。大阪に帰省された時、すばるくんの目にも留まれば良いなと思います。

これから先、すばるくんが街中でふとエイトを目にしたとき、いったいどんなことを思うんだろうか…なんてことを考えたりもします。 
昔のことを懐かしく思い出したりするのかな。
誕生日の際には、大倉くんがTシャツをドアノブに引っ掛けてプレゼントしたことも一瞬で良いので思い出して頂けるといち大倉ファンとしては嬉しい限りです。
ま、すばるくんが2体も持っている例の招き猫は未だ一つももらえてないんだけどね、大倉くん。

*1:同じく二位に4月14日のサタデープラスもある

*2:初夜の大倉くんのモノマネをしながら

2011年から2014年について綴る。

2011年。
8UPPERSツアーの最終地である京セラドームで発表されたように、クレヨンしんちゃんの主題歌をエイトが務めることになった。
長らくタイアップというものに縁遠いグループだったから、彼らの曲が国民的アニメのテーマソングになったことは素直に喜ばしかった。

上半期は、先のクレヨンしんちゃんのテレビ&映画の主題歌(T.W.L/イエローパンジーストリート)決定からはじまり、ハイチュウのCMが始まったり、MAPプロデュースのお弁当が発売されたり、モンハンのCMが決まったり、仕分け∞が深夜のワンコーナーとしてはじまったり、ジャニ勉が1時間枠になったり、錦戸さんと大倉くん出演ドラマの主題歌が両方ともエイトになったり…と、”事務所から押されまくってる感”がなんていうかもう、半端なかった。
しかしながら、周知の通り2011年は東日本大震災があったため、その突然はじまったエイトの売り出しと世間の空気とがまったく噛み合ってなくて、そのタイミングの悪さが歯がゆくもあった。

震災後、まるちゃんの大切な日の更新が止まった。目に入ってくる光景すべてが嘘みたいで、日本中が震災前の日常を忘れてしまった気がした。
そんな中、震災の翌日にOAされたスバラジがあまりにもいつも通りで、すばるくんの声を聞きながら涙が出た。

震災が起きたこのタイミングでの24時間テレビパーソナリティ決定。
まだ何も決まっていない段階であろう4月の時点から無地の黄色いTシャツを着たエイトによる告知CMが流れていた。

三ヶ月連続CDリリース、それに伴う露出、でも世間は未だエンタメどころではないそんな雰囲気。
T.W.LのPVは大倉くんとすばるくんの髪型がとにかく素晴らしくて、ヘアメイクさんにお捻りを投げたくなった。

錦戸さんの月9出演が決まった。前クールの「犬を飼うということ」の主題歌はエイトだったから、順番的に次はNEWSかなフジテレビだしなと思っていた最中「ツブサニコイ」が月9のエンディング曲に決まったというお報せが。
私はエイトのファンだし露出がある際”関ジャニ∞”と紹介されないことも多々あった時期を知っているからこそ、錦戸さんが明らかにエイト寄りの扱いをされるようになったことは単純に嬉しかった。このまま本業エイトで1年に1回くらい副業的な感じでNEWSを続けていくのかなと思っていた。

24時間テレビ放送日の数日前に(ナゴヤドームを除く)4大ドームツアーと仕分け∞ゴールデン進出が発表された。売り出しが唐突にも程がある!とこの時期はある種の怖さすら感じていた。

ツブサニコイが発売。レコードショップでクローバーの種を配るという謎プロモーションをやっていたのを覚えている。
このシングルのカップリングに、ItoUが収録されている。発売当初からリード曲よりもこの曲の方が個人的に好きで、特に一番では一切ユニゾンを採らず全員がソロで歌いつなぎ、2番になって漸く真打登場的にすばるくんが出てくるところが本当にグッときた。この曲を歌うすばるくんの声もいつになく優しくて、大好きな曲…だったなぁ。

24時間テレビの前日、日テレジャックを終えた後、Mステで「ツブサニコイ」を歌った。SMAPも一緒に出ていたなそういえば。
スマートに歌い踊る大スターSMAPとマイクを握りながら顔を真っ赤にして熱唱するすばるくんをフロントに据えた泥臭いエイトは、なんだかとても対照的に見えた。

個人的に24時間テレビは諸手を挙げて賞賛できる番組ではないとは思っているけれど、24時間好きな人たちを見続けられるということを純粋に満喫しようと思った。
震災直後だったからこそ、つらい映像も多かった。子供達と一緒に楽器演奏をするという企画で、無事成功した子を優しく包み込むようにハグするすばるくんがとても素敵だった。

24時間テレビが終わってすぐに仕分け∞のプロモーションが開始された。あらゆるテレビ朝日の番組に顔を出し、HDDは日々自転車操業状態だった。
その後、アルバム発売とナゴヤドームの追加が新聞発表された。解禁といえばレコメンでヨコヒナが引っ張って引っ張って仰々しく発表というのが当たり前だったのに、スポーツ新聞で大々的に報じられるようになるなんて…と感慨深く感じたのを覚えている。

そしてエイトの予定でこちらがヒーヒーうれしい悲鳴をあげていた2011年10月7日、錦戸さんのNEWS脱退が発表された。
確か週末の20時45分頃だった。晩御飯を食べ終わってtwitterクライアントを立ち上げた瞬間目に入ってきたYahooニュースの見出し。大人だから公開アカウントで明け透けに本音を吐露することはなかったけれど、私自身は正直清々しいだけだった。エイト及び錦戸さんに仕事が決まるたび目に入ってくる向こう側の言葉は、こちらにとっては煩わしいだけだったから。でも、錦戸さん自身が今まで誰もやったことがなかったデビューグループの掛け持ちを全力で頑張っていることを重々理解していたからこそ、この決断に至るまでの彼の心情を思い苦しくもなった。
脱退発表から数時間後、まだTLが動揺一色の中「なんで今っ?!」というタイミングでFIGHTのリード曲名が解禁された。「モンじゃい・ビート」というタイトルに、全身の力が抜けた。

アルバム「FIGHT」発売。
その直前にワイドショーで特典のPVが解禁されたのだけど、「Fight for the Eight」のPVのアイメイクをしたすばるくんの仕上がりがあまりにも見事すぎて、それが流れた朝TLが騒然としていたことを覚えている。この曲のメイキングの、ヒナちゃんに甘えるすばるくんも可愛くて好きだったなぁ。
全然日の目を見ないけど、このアルバムに収録されている「Fly High」という曲が私はとても好きで、毎年再生回数の上位に位置するほど未だによく聞いている。
この曲のイントロのすばるくんの笑い声、Aメロの声の感じ、サビ後に入る気持ちの良いフェイクそれら全てが本当に絶妙。でも仮に万が一、否、億が一この曲が今度コンサートで歌われることがあったとしても、もうこのすばるくんの歌声は聞けないんだなぁ。
あと、このアルバムが発売されるに際して更新されたアーティスト写真のすばるくんと、FIGHTのユニフォーム制作中のすばるくんの仕上がりも過去類を見ないくらいに素晴らしくて、「この人の顔面のポテンシャルすごいな!」と今更にその顔の造作の美しさに驚くことが多かった時期でもあった。

「EIGHT×EIGHTER おもんなかったらドームすいません」というふざけきったタイトルの五大ドームツアーがスタート。
名古屋の…確かバクステ前の席だったと思うんだけど、すばるくんのイヤモニの調子が悪かったのか、曲の合間に客前にも関わらず眉間にしわを寄せてマイクに入らないようスタッフに怒号をあげているのが見えてびっくりしたことを覚えている。
少し前から最近そういう様子が見られるということはちらほら耳にはしていたけれど、実際この目で見て慄いて、ああこの人はまだこんな感じなんだな…と残念に思ったりもした。
公演の序盤に歌われていた「宇宙に行ったライオン」、この曲を歌うすばるくんがなんていうかものすごい迫力で、それでいて痛々しくもあって、正直見ていてつらいものがあった。
歌い終わった瞬間に事切れそうな感じというか、命を削りながら歌っているようなそんな印象を受けた。実際この頃のすばるくんはメンタルがそこそこしんどい時期だったようで、私が感じた痛々しさは強ち間違ってもなかったのかなと今になって思う。
コンサートにおいては、概して(踊りもしなければ演奏もしない)”棒立ち曲”って退屈なんだけど、「wander」は歌だけで十分間が保たせられていることに感動した。Cメロのすばるくんが本当に素晴らしくて、この曲を聞くのが毎回楽しみだった。
そういや例によって名古屋はクリスマス公演だったんだけど、MCで突然メンバーの大昔のことだとはとても思えない生々しい恋愛話がはじまって客席が引いてたのが興味深かった。
あと、京セラドームの最終公演で水のスクリーンに大きく「FINAL」という文字が浮かんだ時に上がった歓声が、なんだかとてもあたたかくて感動的だったのを覚えている。


2012年。
この年エイトレンジャーが映画化されるということになり、それに伴いシャンプーやらセブンイレブンやらのCMに出演、他にもCCレモンのCMが決まったり、錦戸さんや大倉くんに主演映画が決まったり…と、「売れてる」感がどんどん増して行った年だった。

春クールに「パパドル」。この件に関しては積極的に記憶を抹消していってるのでほぼ何も覚えていない。とりあえず、仕事を入れるのはいいけれど、ジャニーズ事務所はうちのグループの各々の大事な時間をもっと有効的に使ってあげてほしいなと思った。
それはそうと、あのドラマの脚本家はまだ懲りずに本を書いてるんだろうか…。

7月2”8”日にエイトレンジャー公開。
映画館に行けばいつでもエイトが見られるという状況に感動しつつ、私も数回見に行った。

8月には∞祭とすごはち開催。
∞祭は幕張メッセインテックス大阪で。行きたいと思う客がなるべくたくさん行ける&エイトをなるべく近くで見られる&歌もトークも両方見られるというこれら全ての条件を満たすために組まれた独特の構成は、こちらから見ても相当ハードなものだった。
私は大阪の1日目と3日目に行った。
やってる彼らは本当に大変だったとは思うけど、こちらにとっては実に楽しいイベントだった。実際めちゃくちゃ近くに来てくれたし、歌もトークも日替わりメニューまで用意して、充実した時間を過ごさせてもらった。
展示コーナーに彼らの赤ちゃんの頃から今に至るまでの大量の写真を時系列で並べた一角があったんだけど、生まれた年も場所も違う7人が、私たちのような一般の家庭の子供と同じように親御さんからの愛情を一身に受け大事に大事に育てられて大きくなって、最終的に7人が集い関ジャニ∞になる…というその経緯がまるごと見られるようになっていて、なんか…”運命”が可視化されたようなそんな気がして、とても感動したことを覚えている。

∞祭3日目は最終公演のセクションだったんだけど、最後の最後、大倉くんの声が枯れていたのにすばるくんの声は絶好調のまま終わって、この人の喉どないなっとんねんと思ったことを覚えている。
過酷なイベントを無事やり遂げ感極まったすばるくんは、「一生あなたたちのアイドルです!」と声高らかに宣言していた。まあ…たとえジャニーズ事務所を辞めても、誰かの”アイドル”という存在でいることはできると思うよ。
そんな∞祭のパンフレットは安田くんと大倉くんが制作を担当していたんだけど、これの中ではじめて内くんが脱退した時のことについて各々が詳しく話していた。
でも、個人的にはそちらの話題よりも、すばるくんのインタビューの中で「大倉は(FFFの)バンド活動について好意的じゃなかった」と指摘されていたことの方が印象的だった。その場で大倉くんはバツが悪そうに適当に誤魔化していたけど、自身の項ではそのことを認めていたのがまたなんとも味わい深いものがあった。すばるくんの洞察力がすごいのか、誰でもわかるくらいに大倉くんの態度があからさまだったのか、そのどちらだったのか勿論私にはわからないけれど、大倉くんのこともすばるくんのことも好きだからこそこうやって本音を言い合える関係になってくれてよかったなと思った。
あと、FFFの公演を見た錦戸さんがすばるくんをソロデビューさせてあげてほしいとジャニーさんに直談判した話もこれに載っていたなぁ。

9月には初のスタジアムライブ。
私は長居の2公演に行く予定…が台風のせいで1公演に。ほんまジェラワットといいシマロンといい…!
長居では、すばるくんの誕生日を皆でお祝いした。すばるくんに宛てられた母からの手紙に「心が風邪をひいて」と書いてあって、ここ数年の不安定なすばるくんを思い浮かべながら、すばるくんのお母さんもそのことをちゃんと把握していたんだな…と胸がぎゅっとなった。

すばるくんは以前からWINK UPで「渋谷すばるの脳」という連載を持っていた。
すばるくんが好きなことをするだけのコーナー。安田くんと陶芸したり、大倉くんと釣りに行ったり、あと、2000年頃ジャニーさんからアメリカに音楽留学することを勧められて話が具体化した矢先テロが起きてそれがダメになったこともこの連載で知った。
私も気が向いた時だけ手にとって読んでいた。心に風邪を引いていた頃の詳しい話も、この年のこの頁に詳しく載っていた覚えがある。
でもその時に思ったのは、ほんの数年前のことを「実はあの時はつらかった」みたいに言われるのは、その当時も心から彼らの活動を楽しんでいた一人として決して快いものではないなぁって。
しかもそのつらさの原因っていうのは、自分がやりたかった形の音楽活動を制限したものつまり”関ジャニ∞”にあるわけで。
私はFIVEでもFLAT FIVE FLOWERSでも渋谷すばる単体でもなく関ジャニ∞のファンなので、そのすばるくんが”やりたかったこと”を関ジャニ∞の中でできるようになればいいなと思うばかりだった。

そしてこの年、NHK地上波(!)で横山渋谷村上三人による番組「明日はどっちだ」がスタートした。
夢に向かって邁進中の一般人を三馬鹿がそれぞれに寄り添い、応援する番組。三人それぞれエールの送り方に個性があって、オープニングもエンドトークも、VTR中のワイプですら楽しくて、なんていうか…今思い返しても夢のような番組だった。
もう二度と見られないんだなぁ。

ベストアルバム8EST発売、からの8ESTツアー。
日程が発表された時点でそれまで毎年当然のようにあった12月31日の大晦日公演が無くて、これはもしや…とファンは俄にざわついた。
そして予想通り、紅白歌合戦の出場がまるちゃんの誕生日である11月26日に正式発表された。一度しか出られない初出場歌手による会見に(も)、何故か安田くんはいなかった。…なんでや。
晦日は京セラドームの昼公演があったので、彼らはそれをこなしてから東京へ向かうという鬼スケジュールだった。
いつもはしつこくアンコールを強請る客も、空気を読んでそういう声を一切上げなかったことに感動した。
今から”紅白歌合戦”という紛うことない国民的番組へと臨むエイトに「行ってらっしゃい!」と直接声をかけて大阪から送り出せたことは、今でも思い出すと胸が熱くなる。

紅白。一人ステージの真ん中に先鋒として堂々と立ちデビュー曲を歌い上げるすばるくんが本当に格好良くて、いちファンとして誇らしかった。 

この時期、いろいろ立て込んでいて8ESTツアーのことはあまり記憶にないんだけど、クルトンの間奏で一列になるところですばるくんがいつも大倉くんにイタズラしていたのがとても可愛かったことは覚えている。
あと、ツブサニコイを歌うすばるくんに去年の宇宙へ行ったライオンの時に感じたものと同じ痛々しさを感じたりもしたなそういえば。
京セラの最終日では全員が一人一人熱のこもったいい挨拶をしていたのだけれど、これ、珍しく映像に残ってないんだよね。


2013年。
紅白にも出場し、コンスタントなCDリリース、全国ネット及びローカルの冠番組を抱えて各々には個人仕事。良くも悪くも安定期だったなと思う。
そして長らく続いていたすばるくんの前髪パッツン&ヘルメット頭ブームは終わりを告げ、徐々にロン毛&ヒゲへと風貌が変化していった。

JUKE BOXがリリース。
こういった役割は大抵ヨコだったのに、なぜかすばるくんがツアー内コーナーの諸々をプロデュース。まあ今考えるとヨコはトランペットで手一杯だったんだろうけど。
アルバムの特典に入っていたユニット決めの様子がめちゃくちゃ楽しくて、何度も繰り返して見た。
すばるくんを自分のユニットに欲しいと臆せず言う錦戸さんと、彼の自分に対する気持ちを解っているからこそ困惑しまくるすばるくんの図が本当に最高だった。「みんな好きやもん」っていうあの時の言葉は、きっと嘘でも冗談でもなく本心だったと思うな。

JUKE BOXツアーは初日が東京だった。
私も珍しく初回公演に入り、例によってヨコのトランペットとビーストのふんどしに目眩がするほど動揺した。この時(と十祭とGR8EST)ほど、初日に入っておいて良かったと思ったことはない。
ヨコが32歳にして楽器を身につけようと思ったきっかけの一つに間違いなくすばるくんの存在はある。音楽について消極的だったヨコが楽器を手にしたことについて、すばるくんはどう思ったのかな。きっと、ものすごく嬉しかったんじゃないかなぁ。
思えばヨコがスカパラとセッションして「楽しかった」と言える未来も、この時から始まっていたんだね。

このツアーでは、二年ぶりに宇宙へ行ったライオンがセットリストに入っていた。満杯のドームのムービングステージでキラキラを纏いながらこの曲を歌い奏でる7人は、本当に、世界一格好よかった。
二年前、すばるくんが自らをすり減らすように歌っていたあの痛々しい曲が、このツアーではまったく違って聞こえた。「初めて得た仲間に」と歌いながら6人を指すすばるくんを見て、自信を持ってそうだと誇示できなかった二年前のすばるくんを思い出していた。

このツアーで一つ印象に残っていることが。
名古屋公演だったかな、MCでユニットの話になった時、すばるくんが錦戸さんに「(ふんどしに備えて)公演前に股間周りの毛を剃っている」って面白おかしく言ったことがあって。
MCはユニット曲の前だからまだ客はそれ(=ふんどし)を見ていないのに、かつまだ名古屋福岡大阪三ヶ所も公演が残っているのにビーストの一番の肝ともいえる箇所のネタばらしをしていて、これってアンフェアすぎないか?!と。すばるくんってそういう…甘えながらギリギリのところを往来するところがあるよなぁ困った人だと苦笑した。

この年の年末も紅白に無事出場。
へそまがりのあの難解な出だしを安田くんと二人で歌っていたのが本当に格好良かった。見た目に反して頼りになるミニマムコンビだなと思った。
途中、審査員席の前に七人が立って一人一人文字が書かれた半紙を持つ場面があった。その光景が本当にエイトらしくて、嘘偽りなくこの人たちは最高で最強だなと思ったのでありました。


明けて2014年。
JUKE BOXツアーの最終公演で、キングオブ男が初披露された。
直前に流れていたPVでtornが背中合せになった時、三馬鹿と他4人が相対するかのように歌う様でも客席からは大きな歓声が上がっていたけれど、落ちサビですばるくんと錦戸さんが手を握った瞬間、それらとは比較にならないほどの凄まじい悲鳴が上がった。
このキングオブ男で二人が手を握る場面は、この時から最後まで、その全てが本当に最高だった。
でももう、二度とそれは見られないのだけれど。

この年エイトは10周年。
三年ぶりの24時間テレビ、二年ぶりのエイトレンジャー映画化、そして二年ぶりの野外イベント=十祭が発表されたのは確か”関ジャニ∞の会”だったかな。

6月、すばるくんが「味園ユニバース」で映画初主演を務めることが発表になった。
想像もしていなかった報せに、私も私のTLもお祭り騒ぎ状態だった。スポーツ新聞の「(役作りで)髪をバッサリ!」という見出しに、女優かよとファンが一斉に突っ込んでいたのが微笑ましかった。
監督もヒロインも手堅い才能と魅力がある方達で、映画は面白い予感しかしなかった。
すばるくんがここにきて新しいことをはじめるというその意思が本当に嬉しかったし、エイトの未来を思ってひたすらワクワクした。

十祭は、今まで見たライブの中でも1、2を争う程に思い出深くまた楽しいイベントだった。
楽曲の人気投票ランキングも人を替えての過去ユニット・ソロ曲の再演も、彼らのそれまでを知っているからこそグッとくるものがある。
初日、kicyuのイントロがかかりステージにすばるくんと錦戸さんが現れた時のあのどよめき交じりの大歓声は今も忘れられない。
錦戸さんは照れつつも嬉しそうに笑って踊って歌っていたなぁ。すばるくん相手以外で彼があんな表情を見せることはあるのだろうか。
天気はやたら悪かったけど、4公演とも本当に素晴らしかった。あと10公演は見たかった。

ヤンマースタジアム公演から一週間後に24時間テレビ
すばるくんは、おそらく自分で適当に切ったと思われるガタガタの坊主頭と適当に襟ぐりをカットしただらしのないTシャツ姿で番組に参加していた。
お世辞にも整っているとはいえない身だしなみで、なんとかならんのかなぁと見ながら思った。もしかしたらそれは彼にとって絶対に譲れないポリシーなのかもしれないけれど、今回は飽くまでグループ単位としてのチャリティのお仕事であるのだから、あえて今ここでそれを貫く必要性はあるのだろうかとモヤっとしてしまったのが正直なところだった。

その直後に初のフライデーなんてのもありました。個人的には自担のそれよりも「Oh…!」ってなったよね♪

イベントも24時間テレビも終わり夏の終焉を実感していた8月25日つまり関西デビュー日に、エイトがテイチクエンタテインメントインペリアルレコード)から自主レーベルに移籍することが発表された。
その報せをはじめて目にした時のあのどうしようもない寂しさは、ヒナちゃんがオーソレを辞めたとき、ヨコがレコメンを辞めたときのそれと似ていた。
売れていくに連れ規模が大きくなるに連れ変わっていくことがあることは勿論理解している。でも、よりによって変わって欲しくないものから変わっていかなくても…と。もう彼らにはジャニ勉しか残っていないのだなぁとこの時に思った。

新レーベル移籍後初めてのアルバムは「関ジャニズム」。
このアルバムに関しては、曲がどうとかいうよりも特典映像が実にアレだった。久々に見返してみようかな…。

関ジャニズムツアー。
個人的には金髪の大倉くんが見目麗しく公演も楽しいだけだったけれど、この時期くらいからtwitterの人口が増えたせいなのか小姑みたいな五月蝿い意見を目にすることが急激に増えて、SNSの使い方について改めて考えさせられたツアーでもあった。
すばるくんが「ごめんね青春!」を見ていることを知って、錦戸さんが近年見たことがないくらいに嬉しそうな顔をしていたこと、相変わらずトップ長めの坊主頭なすばるくんの髪の毛をまるちゃんがギュッと掴むノリが流行っていた時期ですばるくんのためそれを制止しようとした大倉くんの手首のバングルがすばるくんの頭に直撃して大倉くんがすばるくんから怒られていたこと等等どうでもいいことが妙に記憶に残っている。
あとこの頃、大倉くんが「来年は自分のバイクの後ろにすばるくんを乗せたい」とかそんなことも言っていたなぁ。

ツアーの最中、すばるくんが来年にソロデビュー&ソロツアーを行うことが発表になった。
長らく個人仕事をしていなかった人が漸く!満を持して!といった感じのすばるくんのソロ活動は、大歓迎だったし嬉しかった。自分が好きなグループは、ソロでCDを出せるくらいの人がセンターにいるのだということが誇らしかった。
まさかこんな結末が待っているとはこの当時は夢にも思っていなかったのだけれど。

このツアーでは久々にソロコーナーがあった。すばるくんは、8UPPERSに収録されていた「Revolver」を歌っていた。
曲の最後、息が切れるまで長く続く歌声にドームが震撼しているのを何度も感じた。声だけでここまで人の心を掴めるなんて本当にすごいなと思った。

あと印象的なのはフローズンマルガリータかな。
大倉くんがセンターに立っての群舞も良かったけど、何よりもすばるくんの歌がすばらしかった。この曲をこんなにも完璧に歌いこなせる人はすばるくんしかいないなと思った。
今後この楽曲が再演される日はくるのだろうか…。

このツアー直前にモンスターハンター4Gが発売されてしまったせいで、ヨコとすばるくんと大倉くんがMCで超絶くだらないゲーム話に花を咲かせているのが本当に楽しかった。
ま、そのトピックスが客前で披露されるのは年が明けて2015年のお話なのですが。







というわけで、2015年へ続く。