意味論的社会学的ソキウス・ディレクティオーネ

L ( 転轍 \lor \lnot 転轍 ) \supset M( 良き倫理 )

【友達募集中】そんな私にも交際3年の彼女くんがいます - Tips: ご存知ですか?普通の人間は自分語りをしないらしいです

この記事は、サークルクラッシュ同好会 Advent Calendar 2021の 2021-12-9の記事です。見事に1日勘違いしており、1日遅れの執筆となりました(生きづらさの伏線)。すみません。

また、「自分語り」をテーマに面白い文章を書こうと3時間ほど悩みましたが、マジで何も思いつかなかったので、一応テーマに沿って自分語りをしたあと、友達の募集をしています。

 

あまりにつまらなくて申し訳ないので可愛い動物クイズを挿入する

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Q1. ユーラシア大陸東部とオーストラリアで繁殖し、日本では夏季に見ることができる渡り鳥で、鳴き声から名前がつけられたが、その鳴き声があとからコノハズクのものであると判明したこの可愛い緑色の鳥さんは何でしょう?

(答えは記事の最後)

 

adventar.org

 

生存報告

はじめまして(お辞儀)。小津あるいはキッチンドランカーと申します。

2017と2018年のサークラアドベントカレンダーで記事を書きました。

2017年

circlecrash.hatenablog.com

2018年

**削除しました**

サークルクラッシュ同好会にもともといた人です。さくら荘に住んでいたこともありますが、僕が異常者だったため、結局離れることになりました。そのあと、大学を出る出ないあたりで父親と喧嘩して最終的にネカフェ生活を数週間やりながら精神科にだけは通いつつ一向に何もよくならず、ボロボロのボロになりました。

そんな、僕にも2017年の記事をきっかけに付き合った交際3年の理解ある彼女くんがいます。彼女くんのおかげでなんとか生きていて、大学を卒業して、東京のWeb系エンジニアになりまして、普通に技術的に成長しつつ、生活を営んでいます。パソコンをカタカタする仕事が性に合いすぎているし、普通に適性もあったっぽいので、仕事で褒められたり昇進したりするなどし、自己肯定感が回復し、音楽を聞いたり、友だちと遊んだり、彼女とネットフリックスを見たりしながら、生活を営んでいます。一般の方々に比べると生活は「崩壊している」レベルで崩壊していると思いますが、自己肯定感があるし、仕事もあるので、のっぺーと生きています。

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Q2. ナワトル語で『ジャガー』を意味する名前を持つ、主にジャングルに生息する泳ぎの得意なネコ科の動物で、サルバドール・ダリが飼育していたということでも有名なこの可愛い猫ちゃんは何?

自分語りができない

さて、今回のアドベントカレンダーのテーマが「自分語り」でなかったならば、適当に何らかの論説をぶって終わらせていたところですが、テーマを無視するわけにもいかないので、「自分語り」で書こうと思ったのですが、全く語れるコンテンツ性がなくなっていました。

生活が安定し、自己肯定感が回復し、普通に仕事をすると、実は何も語れなくなるんですね、少しびっくりしました。将来のビジョンみたいなものも、普通に自分の能力を活かして日銭を稼ぎつつ何らかのサービスを作成あるいはそれにコントリビュートし、狭い共同体の中で生きづらい人々を助ける一助となりたい、という穏当なものになりました。共産主義革命については、もう普通にあきらめてしまい、自分の力で自分のやれることをやろうという形になっています。なんだこいつは。全くオモロない人間だ、今の京都大学とかにいそうなタイプだな。

人生を諦めているでもなく、夢がないわけでもなく、普通に成長して、普通に自分を肯定しながら生きている、今の自分の境地たるや。普通に趣味もしていて、東方アレンジを作ったり、ゲームを制作している、普通の人間たるや。大学生の僕に聞かせてあげたら、酷く驚くことでしょう。少なくとも、ウワバミのごとく嫌われるでしょう。

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Q3. 妖怪として有名な鵺。胴体は虎で、尻尾は蛇であると伝えられていますが、では頭は?(画像は無関係のカピバラ

追:過去を振り返る

思えば、僕は、いつだって自分がもっともなりたくない、そして、ならなさそうな人物になってきていました。

小学生の僕は、科学のノーベル賞を取って、とても立派な良い子に育つと思っていました。悪い子が嫌いでした。

中学生の僕は、社会科や本が好きな、悪い子になりました。ネトウヨになっていた気もします。エリートのノブレス・オブリージュを達成しなければならないと思っていました。共同体に身を捧げない人間が嫌いでした。

高校生の僕は、あらゆる差別をなくしたいと願いながら、自分はなぜ生きているのかについて煩悶し、壺の中に住んでいそうな人間でした。私は人を助けたいと思いました、善良でないクズみたいな人間が嫌いでした。

大学生の僕は、クズみたいな人間でした。精神を病んでいて、人間が嫌いでありながら、人間とのつながりを求め、色々なクズらしきことに手を出しました。自分は平穏に生きている人間が嫌いでした。なんの悩みもなさそうだからです。

今の僕は、平穏に生きている人間でした。クズみたいな人間であることは変わっていませんが、今はそれを肯定していて「俺は俺、つかそれ以外なくね」と思っている、とりたてた悩みもない人間です。いや、悩みはある気もするのですが、それ含めて肯定しているので...

こう文章を書いていると、予想が立ってきました。しばらくして中年になった僕は、今の僕が嫌いそうな「若者に熱い夢を語って成長を信仰するが実態として頭が空っぽな人間」とか「全てに絶望してすべてを憎み破滅的に悪事に手を染める人間」とか、まあエネルギッシュな人間になりそうです。どのようにしてそうなるか、全くビジョンが見えませんが、多分なります。

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Q4. 綺麗な石を報酬として売春を行う動物として社会生物学や雑学でよくいじられるペンギンで、けものフレンズのPPP(ペパプ)にはいない種のこののぺーっとしたペンギンちゃんは何でしょう?

少しは人になにかを伝えよう

このまま終わると、何も伝えていない文章になるので、少しは記事になにか意義を求めましょう。

えーっと。

3年前の記事で彼女ができて、非常によく、思っているので、3年前の記事同様、なにかを募集しましょう。

友だちを募集します。

しかしながら、これは僕が友だちが少ないことを意味しません。友だちには恵まれているほうだと思っています。

ツイッターでDMかリプをください、マインクラフトとか通話とかラインとかしましょう。エーペックスとかフォトナとかやったことないので、教えて下さい。あ、VRにも興味があります、興味があるけど一歩を踏み出せていないので、誰か僕を転生させてください。

えー、募集をするなら、それに答えるメリットを提示しないといけないと思うので、僕を友だちにしたときのメリットを紹介しましょう

 

  • - 急にいなくなりません。インターネット上に住む人間なのでインターネットが壊れたら、いなくなりますが、復旧され次第、もとのネットワークを取り戻すべく活動すると思います。
  • - 面白くて、かつ、この人に合いそうだな、と自分が思ったものに限り他人によく物を勧めたりイベントに誘ったりします。嫌ならしません。
  • - 就職業界に近いところにいるエンジニアです、プログラミングを教えたり、普通によさそうな求人を紹介できると思います。
  • - 家族がいないので、相対的に友情の価値が高いです。私の価値判断基準は、1に彼女で2に友人で3に自分です。そして自己肯定感が高いということは、それより上に位置する友人肯定感はもっと高いということです。友だちが「人を殺しちゃったんだけど死体を埋めるの手伝ってくれ」と言ってきたらいつでも埋めると決めています。
  • - 人一倍、人に寛容であろうと心がけています。そのため、自分から「うわ、こいつ無理だ」と思ったのは一件しかありません。その人は、自分以外は全員バカであると考えていて、常に攻撃的な言葉をはきつつ、お金を集めて人を支配するのが大好きでありつつ、自分はものすごいエリートで他人が待ち合わせに5分遅刻したら俺の時給では何百万だと本気で言う人でした。そのレベルだと無理です、ごめんなさい。

 

うーん、面白くない記事だ。本当に自分語りで面白い文章をかけなくなってしまった。とにかく、友だち募集への応募お待ちしております!みなさんもインターネットで、カピバラやねこの画像を見て、平穏にすごしましょうね。ユーチューブのショート動画で、自分の興味範囲のものをサジェストされながら、音楽を聞いてすごしましょう。では。

可愛い動物さんクイズの答え

A1. ブッポウソウ

A2. オセロット

A3. 猿

A4. アデリーペンギン

 

離散数学入門

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 離散数学に関する勉強をしてました。その時のノートをpdfにまとめています。よければご笑覧ください。

応用事例とイラストでわかる離散数学ノート.pdf - Google ドライブ

 とりあえず取り急ぎ。

 最近はなんか、忙しくないのに忙しい感じ。不思議。

[文献]

数学から論理学へ

はじめに

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 この記事では、「数学の危機」とも証される時代、そしてGödelの不完全性定理に到達するまでの数学史を簡単に概観する。数学的な事前知識を特に必要としない。

1. 幾何学

1-1. Πυθαγόρας

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 紀元前6世紀、古代ギリシアに偉大な数学者であり哲学者のΠυθαγόρας(ピタゴラス)が生きていた。数学における最も初めの定理は彼の考え出したピタゴラスの定理 Pythagorean Theoremである。内容は以下の通り。

任意の直角三角形において、斜辺を一辺とする正方形の面積は、直角をはさむ二辺それぞれを一辺とする正方形の面積の和に等しい。

 このことは、古代エジプト文明のピラミッド建設の際にも経験的に知られてはいたが、この事があらゆる直角三角形に対して成立することを示した、つまり「証明 proof」したのは彼が初めである。つまり、数学に「証明」の概念を初めに持ち込んだのは彼である。

1-2. Εὐκλείδης

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 紀元前3世紀のギリシャの数学者であり、幾何学の父とも称されるのがΕὐκλείδης(エウクレイデス / ユークリッド)である。彼は「公理 axiom」と呼ばれる命題から出発して「定理 theorem」と呼ばれる新たな命題を導く体系を構築した。これを「公理系 axiomatic system」と呼ぶ。彼は次のような5つの公理を「自明の共通概念」として導入した。

  1. 同じものに等しいものは互いに等しい
  2. 等しいものに等しいものを加えれば、全体は等しい
  3. 等しいものから等しいものが引かれれば、残りは等しい
  4. 互いに重なり合うものは互いに等しい
  5. 全体は部分より大きい

 彼はこれらの公理に加えて、「公準 postulate」と呼ばれる幾何学的公理を定義し、それを利用して465に及ぶ数学的定理を証明した。公準とは公理に準じて要請されるものの意味で、もはや今では使われなくなった概念である。他のものを導き出す原初の命題という意味では共通しているといえる。彼の考えた5つの公準は次の通り。

  1. 点と点を直線で結ぶことができる
  2. 線分は両側に延長して直線にできる
  3. 1点を中心にして任意の半径の円を描くことができる
  4. 全ての直角は等しい(角度である)
  5. 1つの直線が2つの直線に交わり、同じ側の内角の和を2つの直角より小さくするならば、この2つの直線は限りなく延長されると、2つの直角より小さい角のある側において交わる。

 彼は自らの成果の集体系として全13巻に及ぶ大著『Στοιχεία(ストイケイア)』(原論)を記した。

1-3. 非ユークリッド幾何学

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 ΕὐκλείδηςがΣτοιχείαを記してから、2000年以上にわたって、ユークリッド幾何学 Euclidean geometryは自然界の真理を表す「唯一」の幾何学でありつづけた。Newtonの物理学やKantの哲学もすべてこれを大前提として組み立てられている。

 しかしながら、19世紀において、これがどうも「唯一」でないということが相次いで証明される。先の5つ目の公準、通称「平行線公準」を除いても、あるいは平行線が二本あったとしても論理的に問題がないことが判明した。

 そして、この平行線公準を除いたり変更したりしたユークリッド幾何学 non-Euclidean geometryが生み出された。当初こそ、これは想像上の産物に過ぎなかったが、Newton力学が地球規模のスケールの問題しか扱えないことが明らかになり、宇宙レベルの話では非ユークリッド幾何学の重要性が増すことになる。このこと――宇宙規模のスケールの物理現象を説明するには重力が時空そのものを変化させるという概念が必要だという考え――を人類に示したのが、Einsteinの一般相対性理論 allgemeine Relativitätstheoireである。

2. 自然数

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 非ユークリッド幾何学の登場は、公理を「自明の共通概念」といったような曖昧な日常表現で定義することの危うさを浮き彫りにした。それいゆえ、公理を数学的に厳密な意味で定義する必要性が生まれた。

2-1. 構文論

 構文論 syntacticsとは、数学の公理化の研究である。一定の公理と推論規則を記号論理によって厳密に構成することによって行われる。証明論とも。

2-2. 意味論

 意味論 semanticsとは、公理系の意味を解釈し、適用可能なモデルを研究するもの。モデル理論とも。構文論で確立された人工的な厳密な公理系を意味論で解釈するのが理想的な手続き。

2-3. 自然数

 自然数論は、自然数 natural numberの加法や乗法などの演算に関する理論。数学の原点とも呼ばれる。1888年、イタリアの数学者Giuseppe Peanoは、自然数論を最初に公理化した。それは記号論理的に厳密に構成されるものであるが、あえて日常言語で表現するなら、以下のようになる。

  1. 1は自然数である
  2. aが自然数であれば、aの後続数も自然数である
  3. aとbが異なる自然数であれば、aの後続数はbの後続数と等しくない
  4. 1は、いかなる自然数の後続数でもない
  5. 1がある性質を持ち、自然数aがその性質を持てばaの後続数もその性質を持つとき、すべての自然数はその性質を持つ

 このペアノの公理系 Peano axiomsにおいて「1」、「後続数 successor」は公理系そのものでは定義していない未定義用語であり、これの解釈は意味論上の問題である。

3. 集合論

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 非ユークリッド幾何学の次に、数学界を震撼させた理論は、Georg Ferdinand Ludwig Philipp Cantorの「集合論 set theory」である。Cantorは、一定の条件を満たす対象の集まりを「集合 set」と定義した。それを構成するのが元 elementである。そして、集合の元の個数を基数 cardinal numberと呼び、集合のすべての元の間に「一対一対応 one-to-one correspondence」が成立するとき、その二つの集合は「同等 equivalent」である。

 Cantorは集合に関する多くの定理を導いたが、その中で最も驚くべきなのは、無限集合において、全体集合と部分集合の基数が同等になるというものである(これはユークリッドの第5公理に反する)。

 彼は自然数の集合の基数を「アレフゼロ aleph-zero」と名付け、また対角線論法によって、実数の基数が自然数の基数よりも大きいことを証明した。

 他にも彼は、無限に続く無限基数の存在を証明し、それらが整列するものと仮定したが、これが、Kantorの「一般連続体仮説 generalized continuum hypothesis」である。

4. 論理主義

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 1901年、イギリスの論理学者Bertrand Arthur William Russellは、Cantorの集合論において、「自分自身を要素としない集合の集合」を定義できることに気づく。このパラドックスの発見に驚愕した彼は、友人であるFriedrich Ludwig Gottlob Fregeに手紙で知らせた。Fregeの著書の最後にRussellの発見したパラドックスは書き加えられることになり、世の数学者たちの目に触れ、数学の基礎を厳密に再構成する研究「数学基礎論 foundations of mathematics」という研究分野が生まれることになった。

 Russellは数学者Alfred North Whiteheadと協力して、数学の基礎を論理主義に基いて完全にシステム化するという共同研究を初めた。その結果、述語論理の公理系から出発し、自然数論、実数論、解析学を導出する一応の成功を収めることに成功し、これらを『プリンキピア・マテマティカ Principia Mathematica』として発行する。

5. 直観主義

 オランダの数学者Luitzen Egbertus Jan Brouwerは、数学にKant哲学を持ち込んだドイツの数学者Leopold Kroneckerの影響を受けていた。彼の考えは以下の通りである。

 数学は「人間精神の産物」であり、人間精神を離れた数学は存在しない。人間精神は、限られた数学的概念に直接的な「直観」を与え、その直感が数学に確実性を与える。直観は、論理でも形式でもなく、概念を受け入れるか否かの「判断」とみなされる。

 Russellのパラドックスこそが論理主義の欠陥の権化であり、数学の基礎から「一般的な妥当性」や「存在」の概念をすべて放棄せねばならない。

 彼はこの考えに基いて、直観主義 intuitionismの数学を構成した。これは、確かに数学の基礎における根本的な問題を回避するに至るものであったが、今までの人類が築き上げた数学の叡智を一度破棄せざるをえないものでもあった(ab = 0からa = 0またはb = 0を直観主義においては直接結論付けられない)。

 この辺りの顛末に関しては、von Neumannが自らの講演「The mathematician」で述べている。以下の記事に和訳を載せているので参照してほしい。

oz4point5.hatenablog.com

6. 形式主義

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 数学が論理学から導出されるという、論理主義に嫌気がさしたドイツの数学者David Hilbertは、構文論に基づく公理系を厳密に構成し、その無矛盾性と完全性を証明できれば、公理系の基礎を確実にすることができると考えた。この場合、数学は、その公理系の意味論上の「解釈」として与えられる。これを形式主義 instrumentalismと呼ぶ。そして、多くの数学者に呼びかけ、このような公理系の厳密な構築を目指した。これがヒルベルト・プログラム Hilbert programである。

 無矛盾で完全な公理系さえ構築できれば――

 無矛盾で完全な公理系さえ構築できれば――

 数学の基礎が論理学屋に侵食されることもなく、過去の数学者の叡智を使うことができるのだ。これは全ての数学者が参加し協力するべきプログラムである。彼はそう訴えた。

 無矛盾で完全な公理系さえ構築できれば――

 無矛盾で完全な公理系さえ構築できれば――

7. 不完全性定理

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 えー、オーストリアの数学者Kurt Gödelです。皆さんに残念なお知らせがあります。

  1. 無矛盾な数学的体系には決定不可能な「ゲーデル命題」が存在する(第一不完全性定理
  2. 数学的体系の無矛盾性は、その体系内では証明不可能である(第二不完全性定理

 これらをですね、不完全性定理 Unvollständigkeitssatzと呼びたいと思います。「真理性」と「証明可能性」が違うんじゃないかな、と思って研究を続けてたんですけど、こういう結果になってしまいました。というわけで数学者の皆さんは、数学的厳密性をあまり当然の不動の前提として受け取らないようにしてくださいね、以上です。解散!

[文献]

The Mathematician

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「コンピュータが出来た」

1. von Neumannとは誰か

 1905年に生まれ、1957年、53歳で没する。死因は、彼自身が推進した原水爆開発の核実験において受けた度重なる放射線の影響による骨髄癌。生涯を通して、論理学・数学・物理学・化学・計算機科学・情報工学・生物学・気象学・経済学・心理学・社会学政治学に関する150の論文を発表。死後、それらの論文を集めて『The Collected Works of John von Neumann』が刊行、全部で3689ページに及ぶ。

 プログラム内蔵方式の「von Neumann architecture」や量子論の数学的基礎である「von Neumann algebra」、ゲーム理論の「von Neumann's theorem」など、20世紀に発達した科学理論のどの分野にも彼の名前の業績が残っている。他にも、「von Neumann universe」「von Neumann model」「von Neumann paradox」など。

 しばしば「20世紀最高の知性」と称されるが、彼自身はそれは自分ではなくGödelだと返していたらしい。

2. 「The Mathematician」

 「The Mathematician(数学者)」はNeumannが1946年にChicago大学で行った講演録で、「数学」に対する自分の見解を一般聴衆に向けて発表した。また、これは『The Collected Works of John von Neumann』第1巻の巻頭を飾っている。

 この文章の中でNeumannは、いくつかの数学界に巻き起こった事例や、数学の進展そのものを俯瞰しながら、数学が経験と切り離すことのできない学問分野であることを再確認している。Neumannが生きた20世紀の数学や物理学の様子をつかむのにも非常に良い文章だろう。しかしながら、2018年において、数学はともかく、Neumannがここで述べたような理論物理学像はある所では正しく、ある所では時代遅れになっているといえる。この点には留意しておく必要があるだろう。

 知的な研究の性質について議論するということは、どのような分野においても、骨の折れる仕事です。それが数学のように、私たち人類に共通する知的な研究の中心に位置し続けているような分野であっても、難しい仕事であることに変わりはありません。いかなる知的行為の性質についての議論も、その特定の知的行為を単に経験するよりも難しいのです。たとえば飛行機の性質について、それを浮上させ推進させる力学の理論や方法を理解することは、実際に飛行機に乗って空中に浮いて移動したり、それを操縦することよりも、さらに困難といえます。というのも、ある特定の行為について深く理解するためには、事前にその行為を実行し使用することに慣れ親しんでおかなければならないからです。人はそうすることによって初めて、その行為を直感的かつ経験的に実感できるのです。

 したがって、知的な研究の性質について議論するということは、どのような分野においても、その分野に十分に慣れ親しんでいるだけの熟達が前提とされない限り、困難と言えます。とくに数学の性質について、その議論を非数学的な水準に留めておこうとすると、話を進めることが非常に難しくなります。さまざまな論点を厳密に記述することもできないし、論法が全体的に表面をなぞっただけの上滑りの印象を与えることも避けられません。つまりそれは、非常に好ましくない議論にならざるをえないのです。

 これから私がお話することには、そのような欠点が含まれることをあらかじめ申し上げて、お詫びしておきたいと思います。そのうえ、私がお話する見解は、おそらく私以外の多くの数学者に全面的に共有されているものでもありません。ですから、これから皆さんがお聴きになるのは、ある一人の数学者の、必ずしもうまく体系化されていない解釈や感想にすぎないということになります。しかも私は、それらの解釈や感想がどの程度正しいのか、皆さんに判断していただくための基準をお伝えすることもできません。

 このように数々の障害があることはたしかですが、それでも数学における知的研究の性質について皆さんにお話しできるというのは、実に興味深く挑戦する価値のある機会だと思います。今は、仮に私が間違えたとしても、それがあまりにひどすぎる間違いにならないように祈るばかりです。

 さて、数学について、もっとも重要な性質は、私の見解によれば、自然科学との非常に独特な関係性にあります。あるいは、自然科学をより一般的に、経験を単に記述するだけでなく、より高いレベルで解釈しようとする科学と理解していただいても構いません。

 多くの人々は、それが数学者であろうとなかろうと、数学は経験科学ではないという主張に同意するはずです。あるいは、少なくとも数学が経験科学とは根本的に異なる手法で実践されているという点には同意するでしょう。それにもかかわらず、数学が自然科学と非常に密接に結びついて発展してきたことは事実です。数学の主要な分野の一つである幾何学は、実際に経験科学としての自然科学から始まりました。現代数学におけるいくつかの最高のインスピレーション(私が最高だと信じているもの)は、明らかに自然科学から発生しています。数学の方法は、自然科学の「理論的」な分野に行き渡り、それを支配しています。現代の経験科学は、数学的手法か、あるいは物理学における疑似数学的手法に到達できるかどうかによって、成功するか否かが決定づけられるようになっています。実際に、自然科学全般が、すべて数学へ向かう連続的な疑似形態を形成しているといっても過言ではありません。数学へ向かうことこそが科学的進歩の理念だと信じられている状況は、ますます顕著になっています。生物学は化学と物理学に支配され、化学は実験物理学と理論物理学に支配され、物理学は理論物理学のきわめて数学的な形式に支配されるようになってきています。

 数学の本質には、その意味で非常に特殊な二面性があるのです。この二面性を理解し、受け入れ、それと同化しなければ、数学について考えることはできないでしょう。この二面性こそが数学の表象なのです。この点を無理に単純化したり単一化してしまうと、本質を見落としかねません。

 そこで私は、ことさら単一化した見解はお話しないことにします。私は、私にできる限りの方法で、数学を多面的な現象として描いてみたいと思います。

 数学におけるいくつかの最高のインスピレーションは、それが考えうる限り最も純粋数学に属する分野であっても、自然科学から発生していることを否定できません。ここでは、最も記念碑的な事例を二つ挙げることにしましょう。

 最初の例は、当然のことながら、幾何学です。幾何学は古代数学の主要部分を占めていました。そこから派生し分岐した分野は、今も現代数学の主要な分野として残っています。幾何学の起源は、疑いの余地もなく経験的なものであり、実地の作業から始まったという点では、物理学と変わりありません。その証拠はいくらでも挙げることができますが、「幾何学」という名前そのものを見るだけでも明らかでしょう。Εὐκλείδηςの演繹的な手法が、経験からの大きな飛躍を生み出したことはたしかですが、それが決定的かつ最終的な飛躍となって、絶対的な分離を生み出したと結論できるほど話は単純ではありません。ここでΕὐκλείδηςの公理化が、現代数学の求める絶対的に厳密な公理主義に適合していないという指摘は、それほど重要ではありません。より本質的に重要なのは、明らかに経験的な工学や熱力学などの分野も、一般に多かれ少なかれ演繹的な手法にもとづいて構成されていることです。これらの分野の著作を見渡すと、Εὐκλείδηςのものとほとんど見分けがつかないものもあります。理論物理学の古典であるNewtonの『Principia』は、最も中心的な概念描写から文章構成にいたるまで、Εὐκλείδηςの著作そっくりです。もちろん、Newtonが前提としたすべての公理の背景には、それらの公理を支持する物理的直観と、それらを現実に立証する実験的検証がありました。しかし、その意味では、Εὐκλείδηςの著作も同じように解釈することができます。とくに幾何学が、現代にいたる二千年の安定と権威を獲得する以前の時代においては、なおさら経験との合致が重んじられたのです。そのようにして与えられる権威は、現代の理論物理学の体系には明らかに欠けているでしょう。

 さらに付け加えると、Εὐκλείδης以来、幾何学の脱経験主義化は徐々に進んできましたが、現代においてさえ、それが明確に完了したというわけではありません。このことをわかりやすく示しているのが、非Εὐκλείδης幾何学の議論で、それはまた数学的思考の二面性を表しています。その議論のほとんどは非常に抽象的な次元で行われましたが、その中心にあるのは、Εὐκλείδηςの「平行線公準」が他の公準から導かれるのか否かという純粋に論理的な問題でした。そして、この問題は、Kleinによって解決されました。彼は、純粋に数学的な手法で、いくつかの基本的概念を形式的に再定義し、Εὐκλείδης理論の一部を非Εὐκλείδης理論化できることを示したのです。とはいえ、この論争には、最初から最後まで経験的な刺激が介在していました。そもそもΕὐκλείδηςのすべての公準のなかで平行線公準だけが問題にされてきた最大の理由は、その公準だけに現れる無限空間という概念の非経験的な性質にありました。それでも、いかなる数学的・論理的分析を経たとしても、Εὐκλείδηςに合意するか否かを決定するためには、少なくとも主要な意味において経験的でなければならないと考えたのが、偉大な数学者Gaussでした。そして、Bolyai、Лобаче́вский、Riemannの業績を経て、Kleinが、より抽象的な帰結を得ることによって、本来の論争に形式的な解決を導いたのです。それにもかかわらず、そこに外界から与えられた刺激は、経験主義つまり物理学でした。一般相対性理論の発見によって、私たちは、幾何学的関係をまったく新しい枠組みで捉え直さなければならなくなり、そのことが純粋数学の視点の置き方を同時に大きく変化させたのです。その幾何学の絵のコントラストを完成させる一筆が最後に描かれました。この最終的な進展は、現代の公理主義および論理主義的な数学者たちによって、Εὐκλείδηςの公理的方法を完全に脱経験主義的に抽象化することによって得られました。一見対立するようにしか見えない二つの側面は、数学的な精神の内部において完全に共存可能なのです。だからこそ、Hilbertは、公理的幾何学一般相対性理論の両方に重要な貢献を行うことができたのです。

 第二の例は微分積分であり、そこから派生したすべての解析学ということもできます。微分積分法は、現代数学が最初に成し遂げた成果であり、その重要性はいくら高く評価しても過大にすぎることはありません。私が思うに、微分積分法ほど明確に現代数学の誕生を決定づけるものは他に存在しません。微分積分法の論理的な発展としての数学的な解析学の体系は、厳密な思考における最大の技術的発展といえます。

 微分積分法の起源も明らかに経験的でした。最初にKeplerが試みた積分法は「長円測定法」と呼ばれるもので、樽のように、表面が局面になっている物体の体積を測定する方法でした。これも幾何学ではありますが、非Εὐκλείδης幾何学であり、しかも非公理主義的でもあるという大きな特徴を持った経験主義的な幾何学でした。この事情すべてを、もちろんKeplerは完全に理解していました。NewtonとLeibnizによる微分積分法の主な発見と業績も、明らかにその起源は物理的なものでした。Newtonは「流出法」を生み出しましたが、それは基本的に力学を目的とするものでした。事実、微分積分法と力学という二つの学問分野を、Newtonはほぼ同時に創りあげたのです。ただし微分積分法の最初の定式化は、数学的に厳密なものではありませんでした。Newton以来の百五十年間にわたって、不正確で、なかば物理的な定式しか存在しなかったのです! それにもかかわらず、この不正確で、数学的に不適格な背景の中で、解析学におけるもっとも重要な発展のいくつかが生まれました! この時期の代表的な数学精神は、Eulerのように必ずしも厳密性を求めるものではありませんでしたが、GaussやJacobiのように本流を目指す数学者も存在しました。この時期の数学の発展は、非常に混乱して意味が不明瞭なものも多く、それと経験主義との関係も、現代の私たち(あるいはΕὐκλείδης)が求めるような抽象化と厳密性に対応するものではありません。しかし、この時期の数学は、かつて例をみないほどの第一級の発展を見せたことから、この時期を数学史から排斥しようという数学者は一人もいないでしょう。そしてCauchyによって厳密性が再び確立された後、Riemannによって非常に独特な物理的な方法に逆戻りしたのです。Riemannの経験科学的な人間性そのものが、数学の二面性を見事に照らし出しています。このことは、RiemannとWeierstraßの論争によく表れているのですが、これ以上の詳細に踏み込むとテクニカルな話に深入りしすぎるので、ここでは止めておきましょう。ともかくWeierstraß以来、解析学は、完全に抽象的で、厳密で、非経験的なものになったように思われます。しかし、そのことさえ無条件に真だと受け入れるわけにはいきません。最近のに世代ほどの間に行われてきた数学と論理学の「基礎」についての論争は、この種の見解について多くの幻想を吹き飛ばしました。

 ここから第三の例を紹介することになりますが、それは数学の基礎と関係があります。この例は、数学と自然科学の関係というよりは、数学と哲学や認識論との関係にかかわるものです。それは「絶対的」な数学的厳密性の概念が不変ではないという衝撃的な事実を示しています。厳密性の概念がさまざまであるということは、数学的な抽象以外の別の何かが、数学の構成に作用しているということを意味します。この「基礎」についての論争を分析して、その外部の何かが経験主義的な性質をもつと結論づけることに対しては、私自身もいまだに確信があるわけではありません。しかし、少なくとも議論の幾つかの局面においては、その種の解釈を支持する事例はきわめて強力です。ただ私は、それが絶対的に確実だと確信するには至っていないということです。とはいえ、次の二つの事は明らかです。第一に、経験科学または哲学、あるいはその両方と結びついている非数学的な何かが、本質的に数学に侵入してくるということ、そして数学の脱経験主義的な性質は、その哲学(具体的には認識論)が経験から独立して存在することを前提にしなければ成り立たないということ(そして、この前提そのものは必要条件にすぎず、十分条件ではないのです)。第二に、「基礎」についての議論をどのように解釈するかにかかわらず、数学が経験主義的な起源をもつということは、さきほど示した二つの事例(幾何学微分積分法)から強く支持されているということ。

 数学的な厳密性の概念の多様性を分析するにあたって、私はすでに述べた「基礎」の論争に主眼を置いて説明したいと思います。ただその前に、その議論の副次的な性質について簡単に考えておきましょう。この性質は私の見解を補強するものではありますが、それを私が副次的だと考える理由は、それが「基礎」の論争の分析ほどには決定的でないと考えるからです。ここで私が言おうとしている性質とは、数学的な「スタイル」の変化のことです。数学的な証明がどのように表現されるか、そのスタイルが大きく変化してきたことは、よく知られています。これを流行というよりも変化と呼んでいる理由は、現代の数学者と18世紀あるいは19世紀の数学者の証明に見られる相違の方が、現代の数学者とΕὐκλείδηςとの相違よりも大きからです。その一方で、他の大部分の局面においては、かなりの一貫性があることも事実です。相違があるといっても、それは基本的に表現の仕方の相違であり、何か新しいアイディアを持ってこなければ解消できないというほどのものではないと思われていました。しかし、それでも多くの事例において、その相違は非常に大きいので、これほどまでに異なる方法で「彼らの証明を表現した」数学者たちは、単に数学に対するスタイル、センス、そして受けた教育だけが違っているからだと言い切ってよいのか、疑問視されるようになりました。彼らは、何が数学的厳密性を構成するのかということについて、本当に現代の数学者と同じ考えを抱いていたのか、疑われるようになったのです。そして最終的に、最も極端な事例(たとえば、すでに触れた18世紀後半の解析学の多くの業績)において、その相違は本質的であり、その相違を解消するのには、まったく新しく深淵な理論を構築しなければならず、その理論を開発するためには百年はかかるとみなされるようになりました。私たちから見て、数学的に厳密でない方法で業績を残した数学者たち(あるいは、彼らを批判しながら、同じことをしている現代の数学者たち)は、自分たちが厳密性を欠いていることを重々承知しています。もっと客観的に言うならば、数学的な手順がどのようにあるべきかという彼ら自身の願望は、彼ら自身が実際に取った行動よりも、現代の私たちの考えと一致しているのです。しかし、たとえばEulerのような当時の偉大な巨匠は、完全なる善意に基づいて行動し、自分自身の基準に十分に満足して、数学を行ったのです。

 しかし、この問題については、もうこれ以上立ち入らないことにします。それよりも「数学の基礎」についての論争という完全に明快な事例に移りましょう。19世紀後半から20世紀初頭にかけて、抽象的数学の新しい分野であるCantorの集合論が、難解な問題に直面しました。それは、集合論のある推論が矛盾を導いてしまうという問題でした。そして、これらの推論は、集合論において中心に位置する「使える」部分にあるのではなく、さらに、ある定式的な基準によって見分けることが容易であるにもかかわらず、なぜそれらを他の集合論の「うまくいく」部分より集合論的ではないと判断しなければならないのか、その理由が明らかになりませんでした。それらが結果的に大きな危機をもたらしたという事実は別として、そもそもどのような動機と、このような状況に対するいかなる一貫した哲学を維持すれば、この問題部分だけを他の保護すべき集合論から除外できるのかが不明だったのです。この問題の真価が何を意味するのか、とくにRussellとWeylによって詳細な研究が行われました。この問題に結論を出したBrouwerは、集合論に限らず、ほとんどすべての現代数学において、「一般的な妥当性」と「存在」という概念を用いると、そこから哲学的な問題が生じることを示しました。そしてBrouwerは、このような望ましくない性質を排除した「直観主義」と呼ばれる数学体系を構築しました。この体系においては集合論の問題や矛盾は生じません。しかしながら、現代数学のざっと五十パーセント、しかもこれまで問題視されるようなことのなかった解析学の主要部分が、この「追放」の影響を受けることが明らかになりました。つまり、それらは妥当でなくなるか、あるいは非常に複雑で従属的なアイディアによって修正を加えなければならなくなったのです。そして、後者のような修正を行うと、一般的な妥当性は失われ、エレガントな演繹性も消え去るのです。それにもかかわらず、WeylとBrouwerは、数学の厳密性を保持するためには、そのような修正を施さなければならないと考えました。

 この事件が何を意味するのか、もっと深刻に受け止めなければなりません。1930年代に、20世紀を代表する2人の数学者が、証明を厳密に行なうために要求される数学の厳格性の概念は修正されるべきだと提言したのです! 2人は、どちらも第1級の数学者であり、数学とは何か、数学は何のためにあるのか、数学は何を扱うのかということを、誰よりも深く完全に知り尽くしているはずです。このことは、その後に起きた進展と同様に大切に記憶に留めておきたいことです。

  1. きわめて少数の数学者だけが、この新しく要求された厳密な基準を日常的な数学に適用することを受け入れました。しかし大多数の数学者はWeylとBrouwerは明らかに正しいだろうと認めながら、自分たち自身は、以前からの「安易な」流儀で数学を実行するという逸脱を続けました。おそらく彼らは、いつか誰かが、直観主義的な批判に対する答を見つけてくれて、事後的に自分たちの仕事を正当化してくれることを期待していたのでしょう。
  2. Hilbertは、次のような独創的なアイディアによって、「古典的」(つまり直観主義以前の)数学を正当化しようとしました。直観主義体系においても、古典的な数学がどのように作用するのかについて、厳密な基準を与えることはできます。つまり、古典的な数学がうまくいくことを正当化することはできないまでも、厳密に表現することはできるわけです。したがって、古典的な手続きが矛盾に陥ることなく、相互に相反するような結果が導かれないことを、直観主義的に表現できるかもしれません。それを証明することは、明らかに非常に困難な仕事ではありますが、どのような方法を試みればよいのかという点については、ある程度の見通しもありました。もしこのプログラムがうまくいけば、古典的な数学は、それに対抗する直観主義体系の基礎の上に築かれることになり、何よりも明確に正当化されることになるでしょう! 少なくとも、この解釈は、多くの数学者が喜んで受け入れる数学の哲学の体系において、合法的とみなされるはずでした。
  3. 数学者たちがこのプログラムを実行し始めて十年ほど経過した頃、Gödelが最も注目に値する結論を導きました。この結論を絶対的に正確に表現するためには、ここでお話するにはテクニカルすぎる幾つかの条件や注意が必要になります。とはいえ、本質的に重要なのは、次のようなことです。もし数学の体系が矛盾を導かないとすると、その事実を体系内の手続きによって証明することはできないのです。Gödelの証明は、数学的厳密性の中でも最も厳密な直観主義的な基準をも満足させるものでした。この帰結がHilbertのプログラムに及ぼした影響は、論争を巻き起こしました。その理由は、再びテクニカルすぎるので、ここではお話しできませんが、私の個人的な見解としては、これは多くの数学者も賛同していることですが、GödelはHilbertのプログラムが本質的に達成不可能であることを証明したのです。
  4. HilbertやBrouwerとWeylの方法によって古典的な数学を正当化しようとする希望が失われたにもかかわらず、多くの数学者は、これまでと同じ体系を使い続けることにしました。結局のところ、古典的な数学は、便利でエレガントな成果をあげ続けていますし、たとえその信頼性を絶対的に確証することができないとしても、それはたとえば電子が存在するのと同じ程度には確実な基盤の上にあるとみなされたのです。ですから、もし人が科学を喜んで受け入れるのならば、その人は古典的な数学体系も同じように喜んで受け入れるはずだというわけです。このような考え方は、直観主義的体系の提唱者たちの一部からさえ受け入れられました。現在も「基礎」に関する論争は続いていますが、いずれにしても、ごく少数の数学者を除いて、古典的な数学の体系を放棄する見込みはないと考えてよいでしょう。
 この論争に関する経緯を詳細に説明したのは、数学的厳密性をあまりにも当然の不動の前提として受け取ることに対して警告を発したかったからです。この論争は、私たちの生きている現代に生じているのです。この論争の行われた期間に、私自身、絶対的な数学的真理というものについて、恥ずかしくなるくらい簡単に自分自身の考えが変化したことを体験しています。なんと私の考えは、三度も続けざまに変化したのですから!

 ここまでにお話した三つの事例によって、私の見解の半分は十分に示すことができたと思います。それは、数学における最高のインスピレーションが経験から発生したということ、あらゆる人間の経験から切り離したところに、数学的厳密性という絶対的な概念が不動の前提として存在するとは、とても考えられないということです。この点について、もっとわかりやすい言い方で説明しましょう。数学者の哲学的あるいは認識論的な好き嫌いがどのようなものであるかにかかわらず、数学者が数学を行う際に、数学的厳密性の概念がアプリオリに与えられていると信じているような数学者は、ほとんど存在しないはずだということです。しかし、私の見解には、後半部分もありますので、それをこれからお話しようと思います。

 数学者にとって、数学が純粋に経験的な科学であること、すなわち、すべての数学的なアイディアが経験的対象から発生したと信じることは非常に困難だと思います。まずその困難な部分について考えてみましょう。現代数学のさまざまな重要な分野において、経験的な起源の痕跡を辿ることはできませんし、仮にその痕跡を辿ることができたとしても、あまりに出発点からかけ離れているため、すでにその対象は経験的な起源から切り離されて完全に変形してしまい、元の姿を留めてはいないのです。たとえば代数学の記号化は、とくに数学の一分野で利用されるために生み出されたものですが、その根源が経験と強力なつながりを持つことは明らかでしょう。しかし、現代の「抽象」代数学は、発展すればするほど、ますます経験とのつながりをなくしています。位相幾何学についても同じことが言えます。これらのすべての分野において、数学者の成功は主観的な基準にもとづき、彼の努力が報われたか否かは、きわめて自己満足的かつ審美的に判断され、経験的なつながりは(ほとんど)持ちません(この点については、後で詳しく述べるつもりです)。この点は、集合論においてさらに明確です。無限集合の「階層」や「順序」は、有限数の概念の一般化で与えられますが、それが無限構造では(とくに「階層」において)、現実世界とはほとんど何の関係も持ちません。テクニカルな言葉が許されるならば、これに類した集合論の事例はいくらでも挙げることができます。「選択公理」、無限「次数」の「比較可能性」、「連続体仮説」などなど。同じことは、実関数理論や実点集合論の大部分にも当てはまります。二つの奇妙な事例が、微分幾何学群論によってもたらされました。もちろん、これらの研究も抽象的で、応用とは無縁の学問分野であり、一貫して純粋数学として発展してきたものです。これらの研究が始まって、一方では十年、もう一方では百年が経過した頃、実はこれらの研究が物理学において非常に有用であることが明らかになったのです。それにもかかわらず、これらの分野は、依然として間接的かつ抽象的で、非実用の精神に基いて研究されているのです。

 このような状況を示す事例や、それらのさまざまな組合せによるさらに多くの事例はいくらでも紹介できますが、ここで最初に述べた見解に戻ることにしましょう。つまり、数学は経験的な科学なのでしょうか。あるいは、より現実的な言葉を用いるならば、数学は経験科学が実践されているのと同じように実践されているのでしょうか。もっと一般的な言葉を用いるならば、数学者と数学の関係は何なのでしょうか。数学者にとって、成功の基準とは何か、望むことの基準は何か、彼の努力について、何が影響し、何が支配し、何がそれを方向づけるのでしょうか。

 数学者の日常的な仕事の進め方が自然科学の仕事の進め方とどのように違うのかを考えてみましょう。明らかにこれらの相違は、それが理論的研究から実験的研究に変化するにつれて、さらに実験的研究から記述的研究に変化するにつれて拡大していきます。ですから、数学に最も近い範疇に収まる自然科学の理論的研究と比較することにしましょう。もしかすると私の発言は数学的に思い上がっていると受け取られるかもしれませんが、その点はあまり厳しく追求せずに受け流していただけたら幸いです。ともかく、すべての理論的科学の中でもっとも高度に発達しているのは、理論物理学です。そして、数学と理論物理学は、実際にかなりの内容を共有しています。すでに述べたように、Εὐκλείδηςの幾何体系は、古典的力学の公理的提示のプロトタイプでした。また、熱力学の現象学的な表現、Maxwell電磁気学特殊相対性理論の表現においても、同じような体系化が試みられています。さらに、理論物理学は現象を説明するのではなく、単に分類し関連付けるという姿勢も、今日ほとんどの理論物理学者によって受け入れられています。このことは、そのような理論における成功の基準が、単純かつエレガントな分類法および関係づけのスキーマによって、そのスキーマなくしては複雑で相容れない多くの現象を説明できるか否かということと、そして、そのスキーマが提示されたときには想定されていなかった現象を説明できるか否かに単にかかっているということを意味します(この最後の二つの見解は、もちろん、理論の統一可能性と現象の予測可能性を表しています)。さて、ここに提示したような基準は、明らかに審美的な性質に支配されていることがおわかりいただけるでしょう。この理由からしても、そのほとんど全部が審美的な数学的成功の基準によく似ています。ですから、数学は、それに最も近いところに位置する理論物理学という経験科学と、実際に多くの共通点を持つことを立証できたと思います。一方、数学と理論物理学の実際の手続きの相違は、もっと大きく根本的な部分にあります。理論物理学の目的は、主として「外部」から、多くの場合は実験物理学の必要性によって要請されます。それらの目的は、ほとんどいつも目の前にある難解な現象を解決することから始まるのであって、理論を統一したり予測したりする仕事は、通常その後からやってくるのです。比喩的に表現するならば、理論物理学の発展(理論の統一や現象の予測)は、何らかの既存の難問(通常は既存の体系内部に生じる明確な矛盾)との戦いの後を追うことによって生まれるのです。理論物理学の仕事の一部は、そのような障害を探すことにあるわけで、それが「大発見」につながる可能性もあるのです。すでにお話ししたように、この難解さは、通常は実験によって見いだされるものですが、場合によっては、すでに受け入れられている理論のさまざまな部分との矛盾として現れることもあります。もちろん、このような事例は数え切れないほど存在します。

 Michelsonの実験が特殊相対性理論を導いた事例や、ある種のイオン化電離ポテンシャルと分光構造の難問が量子力学を導いたのが前者の事例です。特殊相対性理論とNewtonの重力理論の間に生じた矛盾が一般相対性理論を導いたのは、こちらのほうが前者よりは稀ですが、後者の例です。いずれにしても、理論物理学の問題は、客観的に与えられます。そして、すでにお話ししたように、成功したかどうかの判断基準は主として審美的なもであるとはいえ、最終的に「大発見」とみなされるための基準は、あくまで厳しい客観的事実なのです。ですから、理論物理学で取り上げられるテーマは、ほとんどいつも非常に凝縮されたものになります。実際に、過去の理論物理学の努力は、せいぜい1つか2つの非常に限定された領域の内部に集中しています。1920年代から30年代前半の量子論、1930年代後半以降の素粒子論と核構造論がその実例です。

 ところが、数学においては、このような状況とはまったく異なります。数学は、非常に多くの分野に分かれていて、それぞれの分野に応じて性質・スタイル・目的そして影響さえ異なっています。この状況は、理論物理学が非常に凝縮されたテーマを追いかけているのと、まさに正反対といえます。よい理論物理学者であれば、今日話題になっている問題に対して、彼の専門分野の半分以上の関連知識を持ち合わせているでしょう。しかし、現存する数学者の場合、自分の専門外となると四分の一程度の関連知識さえ持ち合わせていないでしょう。「客観的」に与えられた「重要」な問題が生じたとしても、数学の下位分野の専門化が進みすぎてしまったため、そこに到達する前に泥沼にはまりこんで身動きの取れない状況になるかもしれません。しかし、そのような状況になったとしても、数学者は、その問題をあくまで追求するのも自由ですし、放置して何か他の問題に向かうのも自由なのです。この点は、理論物理学における「重要」な問題が、一般に矛盾や論争を含んでいるため、何としても「解決しなければならない」のとは対照的です。数学者は、幅広く多様な研究分野を持っていて、自分の好きな方向に自由に進むことが出来ます。そして、これが決定的に重要な点なのですが、私の見解では、数学者が研究分野を選択する基準は、そして成功したと考える基準は、基本的に審美的なものだということなのです。このような主張が反論を生むことはよくわかっていますし、今ここで、この主張を「証明する」ことも不可能です。というのは、仮にこの主張を証明しようとすれば、多くの個別のテクニカルな事例を分析しなければなりませんが、そのためには非常に高度な議論が必要となるので、今そこに踏み込むことは出来ません。とはいえ、数学の審美的な性質は、理論物理学について述べた事例よりも顕著であることだけを主張すれば、私としては十分です。数学者は、数学的な定理や理論によって、多くの異質な個別事例を、単純で上品な方法で分類し表現することだけを求めているのではありません。同時に「建設的」な構造のなかに「エレガント」な性質を期待しているのです。数学の問題を語ることは簡単ですが、その問題を明確に理解し、解決するためにあらゆる試みを行うことは、非常に難しいのです。すると突然、実に驚くべきインスピレーションが生まれて、その試みや問題へのアプローチが非常に容易になることもあります。また、もし証明の演繹が長く複雑になると、そこに幾つかの単純な一般的な原則が含まれていることがわかり、それによって複雑な迂回路が簡単に「説明」されて、一見すると法則性のない演繹が幾つかの単純な動機の流れに還元されることもあります。これらの基準が、あらゆる創造的な芸術に共通していることは明らかでしょう。その根底に存在するのは、経験的で世俗的な主題ですが、この主題は多くの場合、はるか彼方の後方に存在し、審美的に進化した無数の迷宮のような変異によって覆い隠されていきます。このような数学の性質すべては、経験科学よりもずっと、純粋で単純な芸術の雰囲気に近いものです。

 すでにお気づきのことと思いますが、私は数学と実験科学や記述科学との相違には触れませんでした、というのも、もはやその方法や一般的な雰囲気の相違は、あまりにも明らかだからです。

 以上、お話ししてきたことで、私としては比較的うまく真実を近似的にまとめることができたと自負しております。数学的な発想は経験から発生しますが、そこから派生するのは長く曖昧な系図であり、あまりに複雑すぎるため、近似的にまとめる以外に表現できないほどです。しかし、いったん数学的な発想が認識されると、その認識はそれ自体で、ほとんど完全に審美的な動機に基づく独自な生命活動を始めるようになり、それは経験科学よりもずっと創造的芸術に近いものになります。この時点で、しかしながら、私がとくに強調しておくべきだと信じるのは、次の点です。数学が経験的な起源から遠く離れるにつれて、とくにそれが「現実」から生じる発想に間接的にしか刺激を受けない2世代から3世代後の時代になると、非常に重大な危機にさらされるということです。数学は、純粋に審美主義的になればなるほど、ますます純粋に「芸術のための芸術」に陥らざるをえないのです。もしその研究分野がより経験主義的な関係を持つ研究分野に取り囲まれているのならば、あるいは、その研究の原則が非常に経験主義的なセンスを持った数学者の影響下にあるならば、それも必ずしも悪いことではないかもしれません。しかし、その研究分野が、まったく抵抗もしないままに大きな流れに身を任せ、結果的にあまり重要でない無意味な領域に枝分かれし、重箱の隅のような些事と煩雑さの集積に陥るようであれば、それは大きな危険と言えます。要するに、経験的な起源から遠くはなれて「抽象的」な近親交配が長く続けば続くほど、数学という学問分野は堕落する危険性があるのです。何ごとも始まるとき、その様式は古典的です。それがバロック様式になってくると、危険信号が点灯されるのです。数学において、バロック様式がさらに高度なバロック様式へ進化していく独特な過程を順に例示することは簡単ですが、これも非常にテクニカルな議論になるので、やめておきましょう。

 いずれにしても、このような段階に到達した際の唯一の治療法は、出発点に戻って若返りをすることだと思います。つまり、多かれ少なかれ、経験的な発想を直接的に再注入するのです。これこそが数学の新鮮さと活力を保持するための必要条件であり、未来においても同じように正しい処置であり続けるだろうと私は信じております。

(John von Neumann, 1946, "The Mathematician")

[文献]

「超」勉強法

はじめに

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 この記事は、『「超」勉強法』(野口 1995)を読み、@oz4point5が重要だと思ったことを抜粋し、まとめた記事である。勉強法に関する書籍においては一定の評価がある本のようだ(TearTheSky 2013)。まあ、1995年発行にも関わらず、未だに名前があがることがある点でもそれは伺える。

 しかしながら、私はそもそも「勉強法」本にあまり価値を感じていない。それでもなぜ、このような本を読むのかといえば、もしかすると知らないテクニックがそこに書かれていて、それが大きく以後の効率を変えるかもしれないという一縷の望みをかけてだ。だが、その為に本一冊まるまる読むのは(こういうノウハウ本はさっと読めるが)やや苦痛である。そのため、以下に簡単に本書の内容をまとめておいた。参考にして欲しい。

 (追記)この本は読んでも読まなくて良い。読むなら、この本は「聖書」であると信じ切って読まなければ恐らく「効用」はない。そもそも20年前の本だし、多少はね。

0. 勉強はノウハウ

「勉強法」の説明と、本書の構成の紹介からなる章。

0-1. 勉強法の重要性

 多くの人に適用可能な勉強法が存在し、それによって勉強の効果を増幅できる。また、その副作用として試験での得点も上昇する。現在の大脳生理学や心理学がそれらの学問でもって実用的なアドバイスを「学習」に対して与えていないため、帰納的にそれを導き出さねばならない。

 また、現在においては学校を卒業してビジネスマンとなってからも学習を続けなければ生き残れないため、これは生涯を通して人間が直面する非常に重要な課題である。

0-2. 本書の構成

  • 第1章で「超」勉強法の基本原則を述べる
  • 第2章~第4章では英語、国語、数学という伝統的な教科区分に沿う具体的な方法論を展開する
  • 第5章では、暗記の方法論を述べる
  • 第6章は受験のノウハウ、第7章は勉強支援のノウハウである

 本書の読者は主に大学受験生を対象にしているが、就職試験や資格試験あるいは生涯学習を行うビジネスマンも一応想定はしている。

1. 「超」勉強法の基本三原則

 本書で紹介される勉強法の基本三原則は以下の通りである。便宜のため、通し番号と略称を付する。

  1. 面白いことを勉強せよ(興味原則
  2. 全体から理解せよ(全体原則
  3. 八割できたら、次の仕事にかかれ(八割原則

1-1. 興味原則

 本来の勉強は楽しいものであるため、その好奇心を利用するのが良い。今の勉強が楽しくないならば、教材を変えるか、教材の学び方を変えるべきである。また関連知識が増えると面白くなる。

1-2. 全体原則

 基礎は多くの場合、退屈であるため、興味原則に反する。一つの分からない場所に拘泥するのは多くの場合、時間の無駄で、通読してからある部分を見たほうが理解度が一般的にあがる。また、目次を読んで学習進度を把握するのも有効である。

1-3. 八割原則

 一般に物事の八割は簡単で、二割は難しく、それに見合った成果を得ることができない。全てを一度に理解する必要はなく、必要に応じて後で戻ってくれば、理解もより容易になっている。しかし、注意点として以下がある。

  • 八割原則は、色んな事を雑多にしてよいということではない。やり始めたならば、八割まで(無論、それが単純に前から八割のページとは限らない)はやりとげなければならない。

2. 英語の「超」勉強法

 教科書、あるいは例文を丸暗記するのがよい。10回程度、音読すれば暗記することができ、文法など諸々も自動的に勉強できる。ただし、この方法は時間がかかるので、一夜漬けには全く向かない。

 興味ある動画や文章、あるいは映画(ただし映画の英語は大抵難しい)のテキストを丸暗記するのが、英語のリズムもつかめてよい。ビジネスマンならば自らの専攻範囲の英語教科書を読むのも良い。

 文法書は、ある程度、英語が慣れてから「二割」として読むのが良い。単語帳も同じである。細かな発音に拘るよりも大量のテクストを頭に入れるほうが、多くの場合に役に立つ。

3. 国語の「超」勉強法

 文章を読む場合は、その構造を頭に入れてよむ(全体原則に基づく)ことで理解が容易になる。文章を書く場合も同じである。筆者は論文では序論:本論:結論の割合は1:8:1がよいとしている。

 試験問題の文章は全体のパラグラフの初めと終わりの一文ずつを読み、次に軽く通読、最後に問題や参照に合わせて拾い読みを行うのがよい。

 速さが求められる場合は音読をせず、緩急をつけて読むのがよい。この場合でさえ、先の全体把握を先にしておくと早い場合が多い。また、速読は意識せずとも大量の本を読めば、そのうち出来るようになる。

 文章を書く場合に、文章力はあまり必要ではなく、論理力こそが最も重要である。そのため、論理の推敲を何度も行わねばならない。また、これを念頭に読書を行うことは理解にも役立つ。

4. 数学の「超」勉強法

 分からない単語は百科事典なりインターネットなりで調べつつ、とにかく前に進んでいくことが重要。演習問題を多く繰り返すなり、先の単元を例題に従って問いているうちに自然とつかめてくる。基礎は重要だが、基礎から修得を試みるのは時間の無駄である。

 ここでも全体原則と八割原則が生きてくる。数学は論理だった体系であるから全体を俯瞰できるのは大きな強みである。「途中でわからなくなっても飛ばしてよい」というのは非常に大きな勉強の推進力でもある。

 受験数学や計算においては結局のところ暗記がものをいう。しかしながら公式の暗記よりも導出法を暗記したほうが楽な場合もあり、取捨選択が必要だ。また、自分は文系だから、大人だから、数学やコンピュータは出来ない、というのは甘えである。

5. 「超」暗記法

 基本として、対象に興味を持ち、理解し、関連付けるべきである。また、単語なり文章なりを暗記する場合は、それはむしろ「長い」ほうがいい。前後からの関連性から思い出せるからで、単語だけというのは忘れやすい。

 筆者は、あまり信用していないようだが、以下の暗記テクニックについても書いている。

  1. 共通属性法(覚えるものを共通属性でカテゴリ化する)
  2. 寄生法(覚えるものを他のイメージに結びつける)
  3. ストーリー法(覚えるものをストーリー仕立てにする)

 一秒、二秒、四秒、数分、数時間、一日、一週間、一月、半年後と繰り返して想起を行うことで記憶を固定するのがよい。

 受験においての暗記だが、理科などは暗記よりむしろ理解のほうが重要であるし、社会の年号は重要な年号を軸として語呂合わせ等で覚えそこから関連づけるのがよいとしている。そして、何よりも興味を持つことを優先したほうがよい。

 元も子もないことだが、暗記しなくてもメモで済むならそれを活用した方が遥かに良い。暗記よりも創造的な仕事に時間は割かれるべきである。

6. 「超」受験法

6-1. 筆記試験

 八割原則をもとに、難しい問題は飛ばしてとく。論述はていねいな字で書く。また、試験をする側が何を問いたいのか見極めるのが重要である(逆に言えば、変に込み入った事は聞こうとは普通しない)

 あまりないアドバイスとして、寒いとか暑いとか机が凸凹しているとか、受験票を忘れたというのは一人で悩まずにさっさと試験官に言いつけるべきである。そのようなことで悩むのは時間の無駄である。

6-2. 面接試験

 筆記試験の出題者と違い、面接試験の相手は、多くの場合がそれを専門としていない素人である。そのため、単純に「相手と気軽で常識的なコミュニケーションを取ることが出来る」のが最も重要な点であり、わからない事は素直にわからないと言ってしまった方が良い。

 なんだかんだ、本音より模範解答のほうが求められることが多い。そのほうがリスクが少ない。試験官は「取る理由」より「落とす理由」を探している。また、友人とで面接をシミュレーションするは大いに効果的である。

7. 勉強の「超」ヒント集

 集中し、歩き(身体を動かし)、常に勉強することが重要である。また、脳内に余計な情報があると処理が滞るため、出来る限りそういうものはメモとしてアウトプットしておくに限る。気分転換が必要なのは身体だけで、脳は必要ない、気分転換したくなったら在るきながら本を読むのがいい。

 また、長期間(十年単位)のスケジュールを立て、それを細分化していくのも有効である。電車で寝てはならない、英語の勉強か暗記をせよ。教師の役割は興味を抱かせることと、重要な点とそうでない点の区別を教える、そして考え方の筋道を教えることである。逆に言えばそれ以外は教師だけではできないので、それさえできれば独学でもよい。

 クラシックは脳によい。

8. 未来への教育

 学校教育のカリキュラムと社会の要請が全く合致していない。学校教育も「答えを探す」ものになりがちである。そのような中で、生き残っていくには自分で正しい勉強をしつづけるのが必要であろう。

9. あとがき

 勉強しろ。勉強。

 

「超」勉強法

「超」勉強法

 

 [文献]

みんなちがって、みんないい。

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1. はじめに

 ブログであるし、自分が書きたいと思った文章を、とりとめもなく書くことにもした。タグ機能のお陰で、そのせいで他の記事が埋もれるということもあるまいし、自分が昔書いた文章を発掘して読んだ時の悦びはひとしおのように予想できるからだ。よって、これは2018年2月20日の日記であり、それ以外のなにでもない。

2. みんなちがって、みんないい。

「わたしと小鳥とすずと」

わたしが両手をひろげても、
お空はちっともとべないが、
とべる小鳥はわたしのように、
地面をはやくは走れない。

わたしがからだをゆすっても、
きれいな音はでないけど、
あの鳴るすずはわたしのように
たくさんのうたは知らないよ。

すずと、小鳥と、それからわたし、
みんなちがって、みんないい。

(金子 1984

 いわずとしれた、金子みすゞの詩である。この文章を書くにおいて久しぶりに読んだが、確かに素晴らしい文章である。ただこれは、一つ大きな誤謬を含んでいて、まるで「何かが得意でなければ」「いい」存在ではない、という教訓や、そもそも「他者と何において優れているかを比べる」ことが認められている点で、完璧とはいえない。

 あらゆる人間(主義によって、これはどこまでも拡張したり縮小したりできるだろうが)が素晴らしいのは、これはただ「そうである」からという一点のみであるべきだろう。そして、詩なんてものはそれを再確認させてくれるものであるべきではないか。

3. 効用としての「みんちが」

 みんなちがって、みんないい、という考えを以下「みんちが」とする。これは金子みすゞがどう思っていたかに関わらず、先の誤謬を取り除いた、それはそれゆえに素晴らしい、という流儀のもとの「みんちが」とする。

 この考え方はまず大きくわけて二つの効用をもたらす。一つ目は「他者を尊重するようになる」ことである。フランスの哲学者、Simone Lucie-Ernestine-Marie-Bertrand de Beauvoirは、ある人物を特定の階級、国家、何らかの集団メンバーとして扱うのではなく、それ自体一個の人格をもつ個人として扱うことによって初めて集団に道徳が産まれるとしている。(Bauman and May 2001 : 164)

 これは「みんちが」の精神性のそれと合致する。人が「それぞれ」良いとすることは、その理由もそれぞれであり、「日本人だから」とか「足が早い」「頭が良い」とかそのようなカテゴリックなものであってはならない。

 もう一つの効用は「自己を尊重するようになる」ことである。自尊心 self-esteemの重要性はいわずもがなであるが、再確認しておくべきかもしれない。

 私が他者に欲望されること、それは私が欲望されるだけの価値ある存在であること、私の存在価値が承認されることを意味している、そうコジェーブは言っている。人間は動物と異なり、自己価値のためには生命の危険をも顧みない面があり、誇りのために死を賭して行動したり、自尊心を傷つけられて自殺する場合もある。なぜなら、自己価値が承認されることは、ただ単に生きることを超えた、「生きる意味」を与えてくれるからだ。もし自分の存在価値が認められなければ、私たちは「生きる意味」を見失い、逃れがたい虚無感と抑うつ感に襲われてしまうだろう。(山竹 2011)

 人間においては――これは主にラカン派の主張ではあるが――もはや自尊心=承認=存在価値=生きる意味とまで言えるのである。「みんちが」を宗教的なドグマとさえ自分の中で昇華できれば、自分自身が生きる意味を問うことはもはやない。

4. キレイゴトの「みんちが」

 だが、そう上手く事は運ばない。金子みすゞの詩なんてものを真面目に信じていいのは小学生までなのである。我々はうまく建前と本音の世界で自らのペルソナを被り社会を生き抜いていかねばならない。

 これは、制度的に仕方の無いことである。Karl Emil Maximilian Weberは、近代社会の最も顕著な特徴として、家計と経営の分離を分けた(Bauman and May 2001 : 156)。社会、あるいは企業や役所、それの教育機関の集合体は、経営を目的として官僚制 bureaucracy を採用する。これは、書類と判子によって全てが進み、あらゆる人間は何らかの「規則をもった」試験によって分類されていき、利益の最大化を目的とすることを意味する。そこにはもはや人間は人間個人ではなく、あるメモリにあてられる標本でしかない。そこで高い数値を叩き出せば「価値ある」人間だとされる。

 教育とは社会にでるための前準備であるから(少なくとも国民国家においては)、小学校や中学校でも容赦なくそれは叩き込まれる。プリントによって重要事項の伝達は行われ、生徒たちは何らかの序列で整列させられる。絶対的な支配者である教師によりその成績のいかんで「良い」生徒と「悪い」生徒へと振り分けられる(これは教育への批判ではない、現在の教育はその存在根拠ゆえにこれを逸脱することは不可能である)。

 結果として、我々は物心つく前に、「良さ」とは何らかの物差しでもって測るものであるという、大きな誤謬を心身に刻まれてしまう。受験勉強なんかするような人々ならなおさらだ。心の奥深くまで染み付いたそれは、いくら否定しようともなかなか消えるものではなく、そこに「みんちが」の難しさがある。

 だが解決法がある。Weberの分類によって利益追求を目的としない道徳的規範が生存するほうがある。家計だ。家族のあたたかな愛、「血筋による承認」をもって上記の問題は解決する。「血筋による承認」というのはいささか貴族的ではあるが、それはある種の特別制を持ちながら決して自分の中から消えることのない非常に安定性の高い承認である。これは自尊心の向上に大きく役立つ。

 しかしながら、家族の役割は矮小化しつつあるし、誰もが誰も幸せな家族を持っているわけではない。その場合にどうすればいいのか。

5. 疑似承認団体

 承認の不足は、根源的に、承認によってしか解決しない。承認を与えてもらえなければならない。特に「みんちが」を深呼吸できていない人は、人々をグルーピングして物事を考えるので、承認を受ける時に「自分を含めた小さい範囲」に承認をあたえてもらいたがる。それの最上が「恋愛」である。しかし、これは安定性にかける。

 インターネット上でのゆるいつながりは、ゆるい承認を得るのには向いているが、時としてそれは空虚であり「承認」への更なる飢えを呼び起こす結果となる。

6. 無理じゃね

 これ無理じゃね?

7. 無数の小さな物語

 そこら辺突き詰めると、やはり無数の小さな団体を作るのがよいような気がする。大きすぎると紐帯が弱くなり、承認の意味がなくなってしまう。だが、小さいと救える人々が少なくなる。そこは数で補わねばならない。サークルなんかはこれの例にとてもあっているような気はする。問題は数が少ないことで、こればかりは増やしまくらねばしょうがあるまい。

 というより、こういう団体のことを友達関係と言ったりするのだが、これが致命的に自発的構築が難しい。友達はつくるより、どちらかというとなるものなので……。

 現代は承認によって救済される。そしてその承認は、無数の小さな物語を要求する。無数にあるものを作り出すのは、いつも変わらず何らかのアーキテクチャにほかならない(こう考えるとmixiのコミュニティとかもそうだったのか?)。新時代のアーキテクチャが求められている。人間は60億ひとまとめにされて生きていけるほど、個人はまったく強くない。

 

承認をめぐる病 (ちくま文庫 さ 29-8)

承認をめぐる病 (ちくま文庫 さ 29-8)

 

 

[文献]

  • Zygmunt, Bauman and Tim, May, 2001, "Thinking Sociologicaly," John Wiley & Sons. (=奥井智之『社会学の考え方〔第二版〕』 筑摩書房.)
  • 金子みすゞ,1984,『わたしと小鳥とすずと――金子みすゞ童謡集』 JULA出版局.
  • 山竹伸二, 2011, 『「認められたい」の正体――承認不安の時代』講談社.

都市の工学化は罪悪感を隠匿する

※本記事は@oz4point5が授業用に執筆したレポートの修正版です(評価が終了したようなので記事として公開します)

※CC-BY-SA 3.0とします(画像を除く)

※pdf版は以下からダウンロードできます

都市の工学化は罪悪感を隠匿する.pdf - Google ドライブ

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1. はじめに――ローマ人の物語

 イートインスペースを設けるコンビニエンスストアが増えているという。だが、新しいものには反発がつきもので、反対意見も多く見られる。インターネット上に「イートインスペースに座っている中年男性たち」の写真をアップロードして「オッサンたちにイートインが占領されている」とコメントを付けている人がいて、それに好意的なレスポンスがついていた。私は、それを見て胸を締め付けられる気持ちになった。彼らは、中年男性たちは、決して何かルールに違反した行為をしているわけではない、ただ座って購入した商品を食べて、友人と会話しているだけだ。それなのに何故「占領」と形容されなければならないのか。私はユリウス・カエサルの次の言葉を思い出す。

人間ならば誰にでも、現実の全てが見えるわけではない。多くの人たちは、見たいと欲する現実しか見ていない(塩野 2001 : 76)

 技術の進歩に伴い、また「環境」に対する議論の成熟に伴い、都市はより機能的に、そして美しくなっていく。しかし、その裏で、確実に「排除され続けている」、実際には「見えないところに追いやられている」ものが存在する。なぜ人々はこの状況を求め、作り出し、快適に感じるのか。競争原理自体の性質に、工学化する都市の快適さの理由を見る。

2. 剥奪した罪悪感

 日本経済を表す代表的な単語として一億総中流社会というものがある、2018年においてもこの概念が日本社会に適用できるか、というのは統計的に確認する必要があるにせよ、現実として――その規模が他の国と比べて大きいか小さいかは別にせよ――賃金に格差は存在する。これは日本が資本主義社会であり、市場と競争の原理に(少なくとも名目上は)基づいている以上、仕方のない事と言える。

 資本主義における競争の問題点は、多くの社会学者が指摘しているが、その中の特徴的なものとして、格差、そしてその原因の帰属の誤謬がある。

遅かれ早かれ、勝者と敗者が「恒久的」な範疇として固定化する。勝者は、敗者の失敗を敗者が元々劣っていることのせいにする。(中略)そもそも、そこでの事態の原因は競争にあるが、敗者は、競争に勝ち抜くのに必要とみなされる資質そのものを欠いているとされる。そう規定される場合、敗者は不平を申し立てる正当性を否定される。貧者は、怠惰・無精・怠慢な存在として、つまりは剥奪された deprived 存在ではなく、堕落した depraved 存在として辱められる(Bauman and May 2001 = 2016 : 155)

 この事態は、程度の差はあれ、日本でも起こっている事と考えられる。新自由主義を信奉する活動家たちが、生活保護を受給している人々を「自己責任」として非難する構図は容易に想像が可能だ。

 しかしながら、私は、これには副作用が存在するように思われる。敗者から正当性を剥奪した勝者は、どこかでその後ろめたさを感じているのではないだろうか。もちろん、それがどこまで意識的なものかは分からないが、少なくともそういう気持ちがあるからこそ、日本は夜警国家に陥っていないし、駅前の募金活動に人々は協力するのだ。

3. 都市の工学化

 さて、都市は工学化する。「工学化」というのは批評家の東浩紀が対談で都市に対して用いた言葉で、そこには技術の進歩に伴って「政治的な意図が介在せずに」都市が機能主義的になっているさまが表現されている。

最近僕が思うのは、こういうことなんです。つまり、もし弱者を救いたいのであれば、弱者のことなんて考えたくない連中がこの世界にあまりにも多いということを前提として、弱者を救うことを考えなきゃいけない。(中略)セキュリティゲートで住宅を守り、カメラで町中を監視するなんて気持ち悪い、という言いかたはインテリのあいだでは通ります。でも実際に、世の中ではそういう需要が極めて高く、そういう欲望を抱えたひとたちが町をつくり、そういう光景が広がっている。その事実は別に「保守化」でもなんでもない。僕はそれはむしろ「工学化」と呼ぶべき現象だと思うわけです(東 2007 : 404-5)

 東はここで具体例として下北沢の町をあげ、その再開発がイデオロギーによるものでなく技術的な要請なものである、と続けている。東がこれを記してから、10年以上の時が経つが、今でもほとんど状況は変わっていないだろう。再開発に伴って古い建物は壊され続けているし、空き地や昔ながらの公園は綺麗なタイルとモニュメントが象徴するコミュニティスペースになるし、電子マネーにより自動で会計が可能な商店が増えている、というニュースは記憶に新しい。

 東はそれらが何者かの政治的な意図を主目的に行われているわけではないとだけしているが、私はそこに先に述べた「剥奪に対する罪悪感」が無意識的に影響しているのではないかと考える。古かったり、あるいは貧しかったりするものを目にするのは、剥奪した者にとっては自らの罪を再認識させられるため、それを見えないよう、新しく綺麗な町へと作り変えるのだ。

4. 隠匿される烙印

 この罪悪感の存在は、1960年代に既にRiesmanにより取り上げられている。ただし、それはもちろん今進んでいる「都市の工学化」ではなく、その前段階にあり、今や常識となった存在、自動販売機についてだ。彼は販売員が「オートメ化」する裏にある心情をこう分析している。

他人たちがはげしい不快な労働に従事しているのに、自分が比較的安楽な生活をしていることから、われわれの多くは一種の罪の感覚を持つ。その罪の感覚はおそらく、こんにちの他人指向型の社会できわめて広い拡がりを持っているものだ。(中略)復員軍人奨学金制度という法律のもとに多くの復員した青年たちが大学で勉強したり、動き回ったりしているがかれらは自分がはげしい仕事に従事していたのだという自信があるからこそ、奨学金を支給されてなおかつ、罪の意識を感じないですんでいるのである(Riesman 1961 = 1964 : 255)

 彼は、肉体労働と頭脳労働の差に起因する罪の感覚について述べているが、労働が複雑化した現代においてその二分論を用いるのはいささか無理があろう。しかしながら、この「罪の感覚」は先に述べた「弱者を剥奪した罪悪感」にすり替わり存在し続けているのではないか、と私は考える。

 自動的に電子マネーが会計が精算されるシステムは、彼の議論をそのまま適用できるだろうし、高架下の空きスペースにオブジェを置くことでホームレスを追い出そうとしたりすることや、コンビニのイートインスペースで食事する肉体労働従事者の中年男性を見ようとしないのも(何らかの規定を設けて追い出そうとするのも)この「罪悪感」を認識したくないがゆえの顛末のように思える。

5. おわりに

 技術の発展により都市は発展してゆき、社会的に「綺麗な」町へ作り変わっていくが、その裏でもともとあった貧者的なものは見えないようにされていく。その裏には、資本主義における競争原理に伴う「剥奪」に対する罪悪感があり、それを隠匿しようという無意識が存在しているのだと考えられる。

 私は数年に一度、必ず大阪の西成区に行くのだが、先日行った時に、線路沿いの道がすっかり自転車の駐輪スペースとして作り変えられているのに驚いた。そこにはかつて、西成の労働者たちが座って喋っていたり、露店で格安の衣服などを売る光景が存在していたが、彼らはどこかに追いやられ見えなくなってしまった。確かに、そのような光景は「美しい」ものではないのかもしれない、だが作り変えて追い出してを続けていたら、どこかで大きなしっぺ返しを社会は受けることになるのではないか、と私はそう思えてならない。

[文献]