大北のブログ

生きねば。

ゴルフ知らないのに書くゴルフ小説10

「それでは選手たちはフェアプレーをこのボールに誓って」

まだ顔にかたさの見える光弘から、ついで寝癖がついたままのボイジャーがボールにキスをする。朝露にぬれたボールは冷たく、光弘の顔はいっそうかたくなった。

「どうした坊っちゃん、フレンチじゃなくていいのかい」

ボイジャーが力をこめすぎてびっくりしたときの肛門のようになった光弘の唇を見て言った。たしかにこうしたボールへの誓いのキスをトッププレーヤーたちはディープキスでやろうとするという話はきいたことがある。しかし光弘はフレンチキスがディープキスをさすのか軽いキスをさすのか今ひとつ自信がなかった。その自信のなさは光弘の肛門のような唇を一層かたくしてボールがこぼれた。

「ワンペナルティ!」

(しまった……!)光弘がそう思ったときにはすでに遅かった。ゴルフは紳士のスポーツである。勝負の女神であるボールにキスをし、時には強く打ってやさしくホールにまで導くスポーツだ。最初の誓いのキスで失敗すると非紳士的行為とみなされ反則をとられる。ペナルティは2打の差となるが……それにもまして、デビュー戦が反則ではじまったことは光弘に大きな動揺を与えるのではないか。会場はそんな思いに包まれていた。だがそんな心配を全くしていなかった者が二人いる。ボイジャーと光弘だ。

「はい!」光弘はペナルティ後の挙手をだれよりも真っ直ぐ上げた。それは一般的な挙手よりも手一つ分以上高かった。上がった右手に引っ張られるように、右足がつま先立ちになり体全体が傾いた。やっぱり、とでも言いたげなため息をボイジャーがつく。(たった2打だ、すぐに巻き返してやるさ……)光弘の体が大きな釣り竿で釣られてるかのようにまた上に引っ張られる。ボイジャーは少し後ろに下がり、光弘越しに前方のコースを見た。「……よし」手が上に行くにしたがって徐々に傾いていく光弘の体のラインをコース上に重ねあわせ、打球の角度の確認に使ったのだ。もう勝負ははじまっている。光弘はボイジャーの恐ろしさの片鱗を手を高くあげたまま知った……(つづく)

ゴルフ知らないのに書くゴルフ小説9

デビュー戦の朝、光弘は試合会場のゴルフ場に日がのぼる前にかけつけて、自分の名前が書かれた札を裏返した。一番乗りだ。とおもったが、一枚だけすでに裏返っている札がある。それはボイジャー後藤の札だった。

まさか、そのまさかである。あの最もベテランで実績もあるはずのボイジャーが誰よりも早くゴルフ場にかけつけるなんて。あれだけ才能も実力もある人が人一倍練習をする、光弘は負けたと思った。まだ戦ってないにもかかわらず、10回やったとしてもこんな人に勝てる気なんてしないとさえ思った。

肩を落とす光弘の視界になにかがモゾっと動くのが見えた。深い緑色した大きな芋虫のようなそれは寝袋だった。あっ……と光弘は気づいた。ボイジャーである。ボイジャーは前の日に入って寝袋で寝ていたのだ。たしかに誰よりも会場にはいてるが、前日入りして寝てる。これはどう考えればいいのだろう。光弘は悩んだ。

プラスマイナスゼロではないか。自分の頭で処理できない問題にでくわしたとき、光弘はいつもそんな決定をくだした。たしかに前日に入って寝ているのは殊勝なことでプラスだ。誰よりも早く現地になれようとしているのだろう。そしていつまでも寝ているのはもちろんマイナス。差し引きゼロ。光弘はこれは何もなかったのと同じことなのだと思い始めた。光弘は手を上で組んで大きく伸びをした。なんてさわやかな朝なのだろうと。

しかしそれにしてはぐっすり寝すぎているのではないか。何もなかったことにしたものの、足元に転がっているベテランゴルフプレイヤーの存在感は無視できなかった。そのとき光弘にも勝機が見えた。寝袋の近くに落ちた空箱は、蒸気で目をあたためるタイプのアイマスクをだったのだ。光弘も移動中にこのタイプのアイマスクを愛用していたからわかる、これは気持ちのいいやつだと。ボイジャーは前日入りして惰眠をむさぼっているのである。ボイジャーのこの心のすきを突けば自分にも勝ち目があるのではないか。これだ、この方法しかない、しかしどうやって……光弘はボイジャーの気のゆるみを見出したものの具体的になにをすればいいのかわからなかった。いや、落ち着こう、落ち着いてさらなる勝機を探そう。そのとき、光弘は目覚ましを2つ発見した。ボイジャーはきっちり起きる気である。これはプラスだ……光弘の目の前に一瞬開かれた道筋はまた完全に閉ざされた。これでまたプレスマイナスゼロ、何もなかったことにしようと光弘はまた一つ大きく伸びをした。

待てよ……光弘はハッと思いあたって目覚ましの時間を見てみた。9時だ。勝った。これはマイナスだ、お寝坊さんだ。光弘は勝利を確信した。試合開始は9時半である。そんな時間まで寝ていて勝てるほどゴルフというスポーツは甘くない。ボイジャー、恐るるに足りず。光弘はそんなことばをつぶやいてみてもう一つの時計も念のため見てみた。6時半……なんてちょうどいい時間なんだ。しまった、9時は大きく余裕を持った保険か何か理由があっての目覚ましなのだ。ボイジャーはちょうどよい時間に起きようとしている、これはプラス、よってプラスマイナスゼロ。また振り出しに戻ってしまった。だが光弘はふたたび大きく伸びをしながらもまだ何か勝機はないかと探していた。この光弘の勝利への貪欲さはプロゴルファーとしての唯一の素質だった。そんな光弘をゴルフの神は見放さなかった。これだ。光弘は見つけた。

ボイジャーの枕元にあったのはミニ仏壇とお線香。(一体これは、どう考えればいいのだろう……)光弘のデビュー戦は未だはじまっていない。(つづく)

 

ゴルフ知らないのに書くゴルフ小説8

「三木に行ってきたんですか?」
「お、光弘さんもやっぱり三木にね」
ゴルフ場のキャディさんや関係者が光弘の新しいクラブを見るたびにそう言う。やはりみんなが持っているものなのだろう。だがこれでプロのスタートラインに立てたことが光弘にはうれしかった。
「ぼくのあげてもよかったのに」
「それいいですよね。私も田舎のお父さんに同じの贈りましたよ」
光弘は今までのウップンを晴らすかのようにショットに打ち込んだ。飛距離はかわらないものの、ショットの正確性はやはり増した。10打に3打は納得のいかないショットがあったのに、今では10打に1打だ。いいものはいい。プロになった今だからわかることだ。
「東京にも支店あるんですよね、それ」
「同じのヤフオクで買いましたよ」
特筆すべきは真っ直ぐの質だ。今までは真っ直ぐとはただ真っ直ぐに飛ぶことだと思っていた。だがこのクラブはちがった。本当の真っ直ぐとは、一直線よりもほんのすこし曲がっていることだとはじめて知った。もちろん本当に曲がっていては打ち損じである。気持ち曲がっているように感じるが、なぜか必ずいいところに落ちるのだ。これが不思議だった。光弘は魔法のクラブのように思えた。
「光弘さんもアメリカのAmazonで逆輸入品買ったクチですか?」
「それ東急ハンズの一階で置きはじめましたよね」
光弘は思い切りふりかぶってゴルフクラブを地面にたたきつけた。耐久性がウリのクラブは少しも曲がらなかった。(つづく)

ゴルフ知らないのに書くゴルフ小説7

一週間後にボイジャー後藤とのデビュー戦をひかえた光弘にはやることがあった。光弘は兵庫県の三木市にむかった。自分のゴルフクラブを鍛え直す必要があったのだ。刃物の街としても有名なこの街に、ただ一人ゴルフ鍛冶がいた。ゴルフクラブはふしぎな道具だ。うでの良い職人による叩きと研ぎが入るといつまでも真っ直ぐ飛ぶが、いいかげんな仕事だとそうもいかない。打った瞬間にバンカー行きを宣告されたりすることもある。これからプロとしてやっていくために、光弘はこのゴルフ鍛冶を訪ねた。まさかこれがと思うようなトタン屋根のボロ屋である。光弘が躊躇していると女が泣きながら飛び出してきた。あっけにとられた光弘に中から声がかかった。

「おめえは、ゴルフと女とどっちをとるんだよ」
光弘は条件反射のように答えた。
「おれはゴルフも恋もあきらめない!」
「気に入った、クラブかせ、鍛えてやるよ」

そうして光弘のクラブはどろどろに溶かされ、水で冷やされてはまた叩かれて鍛えられていった。早い……光弘は思った。あまりにも早い。やりとりがあまりにも早い。あれは一度間違った答えをして東京に帰らされたあげくそれでもすがりついて出るやりとりではなかったのか……

「恋、ってクラブに入れといてやるからよ。あきらめないんだろ、がんばれよ、兄ちゃん」

もやもやする光弘をよそにゴルフ鍛冶はもうクラブを鍛え直した。仕事が早い。いや、それ以外も早い。何もかも早かった。振り返れば別のプロゴルファーがいた。並んでいるのだ。そうか、全国のプロゴルファーをさばくにはこのスピードでやる必要があったのだ……光弘は気づいた。これは全ゴルファーがやってるようなことだと。他をだしぬいたような気でいて、スタート地点に過ぎなかったということを。

(……おもしろくなってきたぜ)光弘の目に輝きが戻っていた。ゴルフ鍛冶をあとにする光弘を、再び飛び出していった女が追い抜いていった。(つづく)

ゴルフ知らないのに書くゴルフ小説6

 ボイジャー後藤。その名を知らぬものはいない日本ゴルフ界の重鎮である。1980年代に彗星のごとくあらわれ、またそのあらわれ方があまりにも彗星らしかったので探査衛星にちなんでボイジャーの名がついた。デビューして30年になろうとしているが未だに第一線で活躍している。なかでも昨年のボイジャー後藤は調子がよかった。近い関係者ならみな知っていることであったが、ボイジャーは恋をしていたのだった。ボイジャーは毎晩意中の人のことを考えて枕に顔をうずめた。もし告白されたら……なんて考えては「やんだー」と口走って足をバタバタとさせていた。ある日ボイジャーは口ではいやだいやだと言いながら本心ではまったくいやがってない自分に気づいた。そうか、これだとボイジャーは思い当たった。この精神状態がもっともゴルフに適しているのだ。「やんだー」と口走りながらもホールインワン。ボイジャーはうれしくてしょうがなかった。パッティングは特にさえた。一発でしとめたときはボイジャーは飛び上がるほどうれしく、また同じくらい恥ずかしがった。ボイジャーはグリーン上で照れに照れた。グリーンの一点を人差し指でもじもじしすぎて、もうひとつのカップを作ってしまったほどだ。齢60に迫ろうとし極まったはずの技術が恋によってさらに向上したことはボイジャーにとっても驚きだった。

 そんなボイジャーが光弘の相手に名乗りでたのは、かつての自分のように才能のある若い芽が今まさにつぶれようとしているのを無視できなかったからだ。ボイジャーは誰も手を挙げなかった対戦相手に照れながら名乗りでた。決戦は一週間後。そうテレビで告げたボイジャーは耳まで真っ赤だった。(つづく)

ゴルフ知らないのに書くゴルフ小説5

 光弘は荒れていた。毎晩酒を飲んではくだをまいていた。念願のプロテストに合格したというものの、一向にデビュー戦が決まらなかったのだ。たしかに光弘はプロテストを二位以下に圧倒的な差をつけて突破した。そのうわさに尾ひれがついて広まってしまい、みな二の足を踏んでいる。実際は棒状のものを持っていたのがバットを持っていた光弘だっただけにもかかわらず……2ケタ以上引き離されたスコアだけがひとり歩きしている。

 今日も一軒目からウイスキーを頼もうとしていたときだった。「やめなよ、光弘ちゃん。最初っからそんな強い酒飲むなんて」「うるせえ、酒なんてな、コロコロ変えるから悪酔いするんだ。どうせ最後はウイスキーだ、最初っから飲めば関係ねえや! おばちゃん、おひやジョッキ一杯!」「やめなよ、みんな最初はビールだろう? おひやもいいけどこんなジョッキで飲んじゃ体冷やしちまうよ」「うるせえよ、おばちゃんは知らないだろうけどな、これはチェイサーっていうんだよ! こうやってほら、ウイスキーをひとなめしたら水をグイグイ飲んで……プハーッ。おばちゃん、おひやもう一杯ジョッキで!」「やめな光弘ちゃん! うちはあんたに飲ますおひやはないよ!」「何言ってんだばばあ、同じ酒にしてもチェイサーにしても、テレビの情報番組でやってたんだよ! お~い、良質のタンパク質とれるように鶏ササミぶっといの一発たのむよ~」「いいかげんにしなっ!」

 食堂のおばちゃんは光弘の頬を張った。もんどりうって倒れる光弘と静まり返る店内。「いいかい? それでつぶれてきたゴルファーあたしゃ何人も知ってんだよ! そんでそんなゴルファーに泣かされてきた女も何人も知ってんだよ!」「おばちゃん……もしかして」静かになった食堂にテレビの音だけが響いている。

「……以上、光弘選手のデビュー戦が決まりました。相手は前年度日本チャンピオンのボイジャー後藤選手です」(つづく)

ゴルフ知らないのに書くゴルフ小説4

プロテストに合格してからの光弘の生活は一変した。まず運転手がついた。これはみな協会から派遣されるものである。大事なプロゴルファーに交通事故でもおこされた日にはイメージ的にもなにより人材としてもゴルフ業界は痛手である。そうならないように、協会は運転手をつける。余談ではあるが、この運転手はなるだけ歯が出ているものが採用される。そして決まって語尾が"ヤンス"第二人称が"旦那"となるような言葉遣いを訓練させられる。こうしてできあがった小物感あふれる人材を横にそえておくだけで、ゴルファー本人が大物に見えるというわけだ。これも協会がつちかってきたプロゴルファーを育成するノウハウである。

「光弘さんでヤンスか~。へっへっへっ、よろしくおねがいしやすぜ、旦那」

砂萩と名乗る運転手とはじめて会った日、光弘は砂萩をゴルフクラブでめった打ちにした。その言葉遣いと何よりいやらしく光る白い前歯に腹が立ってしょうがなかったのだ。

「痛いでヤンス、痛いでヤンスよ~」

そう言って体を丸めていた砂萩の顔からも次第に笑顔が消えていった。光弘の主戦場がティーグラウンドであるように、砂萩の戦場は光弘との今ここなのだ。何も言わなくなった砂萩が赤く染まっていくころ、異変に気づいた食堂のおばちゃんとその常連に光弘はとりおさえられていた。幸い救急車はすぐ来た。救急隊員の手によってタンカにのせられた砂萩は目をつぶったままでぶつぶつつぶやいていた。

「痛いでヤンスよ、旦那……」

光弘はクラブを握るその手にふたたび力が入るのを感じた。(つづく)