ヨーロッパの美しき日々

GDP世界一のお金持ちの国ルクセンブルクがどんな国なのか,ドイツやフランスなどの周辺国の旅行記事とともにレポートします。

秋深まるルクセンブルクを歩く

 
 見えているものだけが全てでではない。
 僕は水を写真で撮るのが好きだ。
 川を流れる水。
 滴り落ちる水。
 時間の流れを変えることで,人間の目でとらえる水とは違う姿を見ることができる。

 

 ルクセンブルクの秋は短い。
 足元に落ちる落ち葉。
 頭上にはまだ緑の葉。

 役目を終えて散りゆく姿に,ルクセンブルク人もわびさびのようなものを感じるのだろうか。



salon du chocolat Paris サロンドゥショコラを体感して考えること


 もはやジャーナリズムは放棄され,ただ消費されるために存在するマスメディア。誰かの失態を叩くことでわずかな優越感を得る人間だらけになったこの世の中で,何が人の心をつなぐことができるのか。難しく思える命題も,ヒントは身近なところにあるのかもしれない。

 年齢や国籍や文化を超えて、salon du chocolat parisに集まってくる人はみな笑顔だ。
ここにあるチョコレートはとても高価であるにもかかわらず。
こうしてたくさんの人が集まるのは,一つ一つに創意と工夫が凝らされたチョコレートの一粒に,食料的な価値よりもむしろアート的な価値を感じて,パティシエに対するリスペクトがあるからだと思う。

 見逃せないのは洋菓子の世界でも日本に存在感があることだ。抹茶やゆずはもうメジャーな組み合わせとして認知されているし,味噌とチョコレートを組み合わせるチャレンジングなチョコレートも売られていた。和菓子の要素を取り入れたデザインは,多くの人を魅了していた。
 
 豊かな日本を知らない,平成の失われた30年を過ごした僕には,西洋に対して劣等感を感じることがあった。
こういった場所に来て思うのは,日本の文化は世界の人を魅了する力があるということだ。
何をもって価値とするかは難しいけれど,例えばそれが経済的な価値だったとしても,日本の文化は明らかに安売りされすぎていると思う。
「良いものを安く買いたい」人だらけだけど,本当は「良いものは高い」に決まってる。
良いものが不当に安いから,日本で買い物する外国人はたくさんいるし,京都は年中大混雑だ。

 良いものを安くしようとすれば,ヨーロッパがアフリカにしていたチョコレートの歴史のように搾取がおこる。日本でもいろんなところでもう搾取がおきている。安売りデフレ大国から高付加価値な日本にするためにどう生きるか。
 そんなことを僕が言っているときはたいてい「あなたには何もできない」とか「世の中はもう変わらない」とか言われるので,どうにか予想を裏切りたい。