私の憲法9条改憲案

今頃「自衛隊」という文言を憲法に文字通り明記するという事は甚だしい手順前後であるし、

自衛隊が、「日本防衛隊」「日本アジア防衛隊」「日本地球防衛隊」など、どんな名称に変更されてもいいようにしておく必要もあるし、

何といっても軍事クーデターや亡国戦争など最悪の事態に対して、どんな日本国民でも十分対応できるようにしておく必要があるため、

主権者たる「日本国民」を、日本国憲法第9条第1項と同様に、主語として打ち出さざるを得ませんでした。

つまり、自衛隊員や海上保安官だけでなく、4つの自衛権自然権としての 1.【個人自衛権】・ 2.【集団自衛権】、国権/指揮権としての 3.【個国的自衛権】・ 4.【参集的自衛権】)のいずれかの行使に何らかの形で関係することになる/なりそうな全ての日本国民を、「日本国民」(主権者)として直接的に明記せざるを得ませんでした。

なお、 3.【個国的自衛権】・ 4.【参集的自衛権】の指揮権を誰(と誰)がどのように持つのか、その他、実力組織に関するあらゆる規定は、国民全体の絶対的な掟/大原則のみを記すべき憲法に書くべきではなく、政権与党単独でいくらでも変更可能な法律にのみ記載されるべきものであると判断しました。

実際、正当な革命権行使・正当な抵抗権行使による明治維新的な政権交代・権限移転をも正当にあり得るようにしておく必要がある事は明らかです。日本は、未だに江戸時代のお上絶対主義・現状維持絶対主義を卒業できていない人が多過ぎるため、憲法違反だらけ・外交汚点だらけ・借金だらけ・裁判官不適格者だらけ・弁護士不適格者だらけ・議員不適格者だらけ・公務員不適格者だらけ・報道人不適格者だらけです。このような情けない国では特に、正当な革命権行使・正当な抵抗権行使による明治維新的な政権交代・権限移転をも憲法上あり得るとしておく事が絶対的に必要であるという事が社会正義の観点からも歴史的な観点からも極めて明らかです。1776米国独立宣言は、当初からこの路線です。

「私の憲法9条改憲案」(これ)と、先日の「私の憲法9条加憲案」との違いは、以下です。

 

# 国際紛争→他国領域における紛争

理由: 「国際紛争」では、自国領域に侵略ないし攻撃してきた他国民との紛争をも含むことになってしまうため。憲法9条1項は「武力による威嚇」すら禁じているため最低限の正当防衛さえ誰も全くできなくなるという論理矛盾を解消しておく必要があるため。また、「国際~」なる語は、元々、全て、「諸国民間~/諸民族間~/諸国間~/諸国民~/諸民族~/諸国~/万民~/万国~/世界~」と訳し直されるべき国家主義的・排他主義的・「井の中の蛙」的・独善的な誤訳であり、日本を外交下手にし「世界の孤児」にし続けている元凶の誤訳であるため。

# 個国自衛権→個国的自衛権

理由: どちらも UN Charter, Chapter VII, Article 51 の "right of individual self-defense" の適訳ではあるものの、その「個国」の国民の何割かはその「個国」による武力行使に反対ないし消極的な賛成であるため、少なくとも国民投票で事前に100%の積極的支持を得たという事はまずあり得ないはずなので、個人の尊厳や民主主義という観点から「個国的自衛権」と表現しておくほうが「個国自衛権」と表現するより若干正確であるため。

# 参集自衛権→参集的自衛権

理由: どちらも UN Charter, Chapter VII, Article 51 の "right of collective self-defense" の適訳ではあるものの、 "collective" という英語も、コアの意味が骨太なことによる実際の意味の柔軟さ・多様さ・広範さという英語にありがちな事情があるため、「参集的自衛権」と表現しておくほうが「参集自衛権」と表現するより若干正確であるため。

# 日米安保による在日米軍のような、自国領域での参集的自衛権行使についての条規を第5項とし、他国領域での参集的自衛権行使についての条規を第6項として、入れ替えた。

理由: 日本国民にとっての重要度の順、政権与党にとっての難度の順にしたほうが分かり易くなるため。

# 第4項・第6項の「5分の3以上」→第4項・第5項の「5分の4以上」

理由: 国権の最高機関たる国会の監視機能を担保するため。国権の最高機関たる国会での議決が政権与党単独で容易に為されることがないようにため。即ち、政権与党単独による暴走や亡国戦争を起こりにくくするため。

# 他国民で構成される駐留軍を合憲化し得るようにするための第5項の微修正。

理由: 「 Legal Certainty 法的確証性」のため。即ち、正確で、誤解のない表現にする必要があったため。

#近接公域→周辺公域

理由: 海賊取締活動などの海上警備活動や、物資補給などの後方支援は、必ずしも「近接」公域までで必要十分とは言えない場合もあり得るため。

# 国会定数の5分の3以上→国会定数の5分の1以上

理由: 武力行使に関する国権の発動という問題は、自国民・他国民の命、ひいては日本国民全体の命運に関わる問題である。それ故、国民投票での再議決は可及的速やかに行われる必要があるため。

 

第9条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、他国領域における紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

第2項 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

第3項 日本国民は、前二項を尊重し擁護することを前提として、自然権としての個人自衛権あるいは集団自衛権を行使することができる。

 

第4項 日本国民は、第一項および第二項を尊重し擁護することを前提として、2週間の期間限定で、自国領域およびその周辺公域において国権としての個国的自衛権あるいは参集的自衛権を行使することができる。但し、そのためには、各議院の総議員の5分の4以上の賛成を事前に得ていなければならない。また、これを継続する必要がある場合、その都度、事前に、各議院の総議員の5分の4以上の賛成を得ていなければならない。

 

第5項 日本国民は、第一項および第二項を尊重し擁護することを前提として、10年の期間限定で、自国領域において国権としての参集的自衛権を行使して自国領域に他国民の実力組織を駐留させることができる。但し、そのためには、各議院の総議員の5分の4以上の賛成を事前に得ていなければならない。また、これを継続する必要がある場合、その都度、事前に、各議院の総議員の5分の4以上の賛成を得ていなければならない。

 

第6項 日本国民は、第一項および第二項を尊重し擁護することを前提として、2週間の期間限定で、他国領域およびその周辺公域において国権としての個国的自衛権あるいは参集的自衛権を行使することができる。但し、そのためには、各議院の総議員の10分の9以上の賛成を事前に得ていなければならない。また、これを継続する必要がある場合、その都度、事前に、各議院の総議員の10分の9以上の賛成を得ていなければならない。

 

第7項 前三項の国会における議決は、いずれも、日本国民から国民投票での再議決を求める請願が国会定数の10分の1以上あった場合、国会定数の10分の1以上の請願があった日から2週間以内に国民投票において過半数の同意を得なければ、直ちに遡って無効となる。


キモ01
歯止めの乏しい防衛力増強かつ亡国戦争になり得るような改悪改憲を絶対にしない事。

逆に、立法府・司法府・行政府の各公務員および日本国民全体が今までよりも随時かつ合理的に文民統制できる歯止めをこそ明記し、自衛隊員たちを含む日本国民全体及びアジア諸国民を大いに安堵させる事。


キモ02
"collective"を「集団的」と誤訳し続けて来た恥ずかしい過去を自ら清算し、かつ、 "collective" を「集団的」と誤訳している愚を日本の公文書や学術書から一掃できるようにする事が、この際、必要不可欠です。

例えば、UN Charter, Chapter I, Article 1 冒頭の "to take effective collective measures" は、細菌やウイルスなどの体内の異物に対して各種リンパ球や組織球などが体内の各方面から各々参集して対処するのと全く同じように、UN加盟国が各々問題の紛争集団に対して「有効な参集措置を執る事」を意味しており、「集団的措置」などという最初から一定の「集団」を存在させていなければならないかのような不自由な「措置」を全く意味しておりません。

早い話、無人攻撃機1機を紛争地域に参集させるだけでも有効な参集措置を執った事になります。

燃料や、燃料費・武器購入費などの防衛費を無償提供するだけでも有効な参集措置を執った事になります。

勿論、後方支援するだけでも有効な参集措置を執った事になります。

よって、 "collective" を「集団的」と表現する愚は、字義的にも実態的にも初歩的な誤訳です。

この際、 "collective" を「集団的」と理解する事がどういう性質の誤訳になってしまっているかを自ら理解し、自ら意識的に避けて行く必要性が絶対的にあるという事です(続けて以下も参照すべき)。


キモ03
集団的自衛権」という誤訳のために、全く異なる2つの自衛権自然権としての現場即応的な【集団自衛権】と、国権/指揮権の発動としての極めて人為的な【参集的自衛権】)が混同され続けているという大変恥ずかしい間違いを、この際、自ら解消し、かつ、今後の公文書や学術書から「集団的自衛権」という意味不明な誤訳を一掃して行く事が絶対的に必要です。

そのため、以下の4つの自衛権上記のような憲法9条加憲で明記し、日本国民全体を覆っている何重もの大誤解をひとまず解消してしまう事が必要不可欠です。

1.【個人自衛権 = right of individual self-defense 】⊆人権⊆自然権
= 個人正当防衛権
(刑法36条「正当防衛」) 

2.【集団自衛権 = right of unit self defense 】⊆人権⊆自然権
= 集団正当防衛権
(刑法36条「正当防衛」)

■■■■■ ■■■■■ ■■■■■ ■■■■■ ■■■■■ 

3.【個国的自衛権 = right of individual self-defense 】⊆指揮権⊆国権
(UN Charter, Chapter VII, Article 51)
= 国家的自衛権 = right of national self-defense

●●●●●     ●●●●●     ●●●●● 

4.【参集的自衛権 = right of collective self-defense 】⊆指揮権⊆国権
(UN Charter, Chapter VII, Article 51)
= 参集的防衛権 = right of collective defense
(e.g. NATO)

 

 ※01 「個別的自衛権」に慣れ親しんだ人たちも多いでしょうが、UN憲章による 3.【 right of individual self-defense 】は、個人の正当防衛権ではなく明確に各々のUN加盟国の国家自衛権のみを指しておりますので、健全な法の支配のための大原則である「 Legal Certainty 法的確証性」に従って、この際、【個国的自衛権】と改訳しておきます。

 

※02 説明するのも野暮かも知れませんが、「個国的自衛権」の「個国」は「故国」と掛けてあります。「首相」が「主将」と「殊勝」と掛けてあるように。

 

※03 ※01中の「 Legal Certainty 法的確証性」とは、その法(の条文)が誰にでも全く同じように了解されるという確証 certain evidence がなければならないという事です。

これを日本の法曹は平気で「法的明確性」「法的安定性」などと表面的・体制的に誤訳してしまっているようですが、どのような言語でも言語明瞭ながら実態としては意味不明瞭な文言や文章はいくらでも発生し得ます(e.g. (既にあるのに)地方創生(?)、(借金依存体質まで)経済再生(?)、(既にあるのに)日本を取り戻す(?)等々)。

また、法は誰にとっても実態として全く同じ線引きとなっていなくてはなりません。

よって、Legal Clarity 法的明確性、Legal Stability 法的安定性 などというような表層的な意味、現状維持的な意味でわざわざ「 Legal Certainty 法的確証性」と言っているのでは決してありません。

 

裁判官・検察官・警察官・弁護士・学者から、犯罪被害者・犯罪被害者家族、被疑者・被疑者弁護人・被疑者家族、報道人に至るまで、どこのどういう立場の誰であっても全く同じように理解できるという確証が公聴会や学会誌などによって既に確認されていなければならないという意味です。

 

つまり、『こういう場合、この法(の条文)は、どこまでを認めていて、どこからを違法としているという事になるんだ?』というような疑問の全てが出し尽くされ、それらの疑問全てが筋の通った的確な形で解消され、かつ、それらの全てが誰でも十分理解可能な形で条文に反映されているという状態が「 Rule of Law 法の支配」のためには必要不可欠であるという事を「 Legal Certainty 法的確証性」は意味しています。

 

残念ながら、日本の多くの法文が、この「 Legal Certainty 法的確証性」から逸脱しています。そして、この事が、日本の国会や内閣の公務員への信用性を最も本質的な部分で毀損し続けていると思われます。

 

※04 EUの大部分と重なっているNATOでは、単に「collective defense 参集的防衛/参集防衛」と表現しています。

 

NATOによる防衛では、"self-defense 自衛" とは言えないNATO加盟国のほうが常に多くなるであろうと事前に分かっているので、「 Legal Certainty 法的確証性」の大原則から "self" を外さざるを得ないと考えられます。

 

※05 日米は、日米安全保障条約により、常時、日本領域およびその近接公海領域において、参集的自衛権を行使し合っております。

 

この件で、日本の報道人や学者やどこかの国会議員などが何故か平気な顔をして大間違いを言っておりますが、それをも、この際、明確に正しておかなくてはなりません。(そういう人たちは、何故か、1972年に田中角栄内閣によって閣議決定されないまま発表された参集的自衛権(誤訳「集団的自衛権」)に関する1972政府見解全文をも読み間違っています。)

 

現行の憲法9条は、 collective自衛権=参集的自衛権の行使そのものを禁止しているわけでは決してありません。

 

現行の憲法9条によって禁止されているのは、首相・衛相の指揮権発動による、他国領域での、3.【個国的自衛権】行使と、4.【参集的自衛権】行使です。

 

これは、『自衛隊は、自衛のための必要最小限度の実力組織に過ぎないので、軍隊ではない』と日本政府自身が公言し続けて来た事なので、極めて明らかなはずの事です。

 

逆に言えば、もし自衛隊が日本の首相や衛相の指揮権発動によって他国領域で武力行使をしていたら、《自衛隊という軍隊が他国民との紛争解決のために他国民に対して武力行使をしている!》という事にならざるを得ず、露骨に憲法9条1項違反かつ憲法9条2項違反であるということです。

 

即ち、現行の憲法9条は、国権/指揮権の発動による、3.【個国的自衛権】行使、あるいは、4.【参集的自衛権】行使が可能な地理的範囲を日本領域とその近接公域に限定しているという事です。この事を改めて明確にしておかなければなりません。


キモ04

自然権としての個人自衛権の行使あるいは自然権としての集団自衛権の行使をやむを得ない例外とします(私の上記「第3項」では、現場判断での即応的な駆けつけ警護や米艦防護など、自然権に基づく純粋に正当防衛的な自衛権行使が全て可能となります)。

同時に、現行の憲法9条による地理的制約(日本領域とその近接域)を滅多な事では外せない制約にするという事を明文化します(私の上記「第5項」では、例えば米国から米国の身勝手な戦争に日本も参戦するように執拗に迫られたとしても、衆参両院で各々10分の9以上の賛成を得られるほど日本の参戦が正当かつその必要性も切迫していると判断されない限り、日本政府は米国政府に応諾しようがないという事になります)。

こうすることによって、自衛隊員も日本国民全体も世界の絶対的平和主義者たちも日本による再侵略を恐れているアジア諸国民・欧米諸国民も、誰もが論理的に安堵し得るということになります。

但し、実際に世界の諸国民から憲法9条を改正した日本国民が友好的に思われるかどうかは、ほとんど別儀の問題です。

諸国民との懸案事項は、国内問題ほどではないにしろ、それなりにまだまだ山積しているはずですので、一つ一つ確実に、あるいは、一つ一つ丁寧に対応していく以外、道はありません。


キモ05
他国民に対する武力による威嚇すら禁じている憲法9条1項・同2項にも拘わらず、自然権としての 1.【個人自衛権】 2.【集団自衛権】 を保持しているという事を明記する事により、自国民は当然として、共同作戦中の味方の他国民をも正々堂々と正当防衛する事が常に可能となります。

即ち、日本国民は誰でも、仲間/味方の他国民を防衛するため現場即応の他国民駆け付け警護や現場即応の他国船防護(e.g. 米艦防護など)を果敢に行う事が、憲法違反になる・・と心配する事なく可能となるということです。

 

キモ06

こちら側にも、敵方にも、個人 individual 及び集団 unit の正当防衛権を含む 1.~4.の全ての自衛権が常にあるという事を、憲法9条加憲の際に、平和ボケしてズレ切っている人たちにも十分理解可能なように明確にしておく必要があります。

また、こちらが自然権かつ正当防衛権としての【個人自衛権】あるいは【集団自衛権】を現場判断でやむを得ず行使したつもりであっても、逆に殺傷されてしまう、更には日本国の国権の発動として宣戦布告したと判断されてしまうという事も可能性としては十分あり得るという事も、十分認識しておく必要があります。日本人は少なくとも北朝鮮人よりも好戦的なので、くれぐれも要注意です。

つまり、圧倒的な武力差がない限り、局地戦争であっても全面戦争であっても、日本のような資源小国は長期的には極めて厄介な事に巻き込まれるだけである可能性が極めて高いので、日本は、極力、外交での解決をメインとすべき、という事です。


キモ07
私の上記「第7項」の国民投票のためには、一般国民投票法が必要不可欠です。

そもそも、民主国の国民に対しては、直接民主主義で直接の自己責任を持ち得る機会が十分に保障されているという状態にしていなくてはなりません。

政党だって、まともな政党である限り、総会による直接民主主義での決定事項と、委員会・部会・幹部会や幹事長一任・トップ一任による間接民主主義での決定事項の両方があるはずです。

日本に一般国民投票法が未だにないという事実は日本の国会議員の酷過ぎるくらい酷い怠慢・不作為・不見識の存在でしかない事の明々白々たる証拠です。

例えば、元々、憲法1条により、日本国民の総意に基づく天皇の地位に関する事柄は全て、

退位の承認・不承認であれ、
即位の承認・不承認であれ、
男系女性天皇の承認・不承認であれ、
女系男性天皇の承認・不承認であれ、
女系女性天皇の承認・不承認であれ、
女性宮家の承認・不承認であれ、

天皇制そのものの承認・不承認であれ、
言い換えれば、共和制への移行への承認・不承認であれ、

国民投票による承認・不承認が絶対的に必要不可欠です。

でなければ、露骨に憲法1条違反です。

一般国民投票法によって日本国民が退位や即位を承認し得る機会を提供しなければ、天皇陛下だけでなく国会議員全員が憲法1条違反の不適格者ということにならざるを得ません。そういう救い難い暴挙でもあります。

また、時々、国民投票という機会を、天皇陛下や皇室の事、天皇制の事を考える定期的な機会としなければ、日本国民統合の象徴としての天皇制といくら定められていても、これを実態として生かす術が全く無いということになってしまいます。

天皇制そのものが、全く不当に、民主主義および法治主義に反する、逆差別的な特権制度ということになってしまいます。

そういう「賊」的な酷い仕打ちを天皇陛下や皇室の人々及び日本国民全体に強要したいということなのでしょうか。

大至急、まともな先進民主国らしく、日本国民全体の直接民主主義のための、まともな一般国民投票法を作って下さい。

そして、日本国民にも直接民主主義、即ち、直接の自己決定権(憲法13条)を行使し得る定期的な機会を保障して下さい。

直接民主主義国民投票を時々行うほうが、全く行わない場合よりも、国民が活性化し、国民の生産性や意識/民度などがいろいろ高くなる事は火を見るより明らかだと思われます。

国民投票が必要な事柄もいろいろあります。

# 天皇の地位に関わる事柄(退位、即位、男系女性天皇女系天皇)の承認・不承認

# 核力発電所の稼働の是非

# 核兵器禁止条約参加・推進の是非

# 核武装の是非

# 死刑の是非、死刑制度凍結の是非

# 元慰安婦・元徴用工への正式謝罪・法的賠償の承認・不承認

# 教育の全面無償化の承認・不承認

# 憲法14条1項違反の差別語「障害者」に取って替えるべき訳語「受挑者」「違能者」「違調者」の承認・不承認

# 国会定数に女性割当枠や新陳代謝枠を含める事の承認・不承認

# 選択的夫婦別姓を採用可能な制度にする事の承認・不承認

# TPP(のある事柄)の是非

# UN常任理事国入りの是非

などなどです。

国政において直接民主主義の制度がないという事は、残念ながら、間接民主主義しか知らない未熟な民主主義者ばっかりの国民国家であるという事の明々白々たる証拠です。

また、日本の国会議員与野党揃って国民を信用していない国会議員憲法43条1項「全国民の代表」)不適格者だらけであるという事の明々白々たる証拠です。

更に、日本の国会議員民度与野党揃って米国はおろか韓国よりも劣悪であるという事の明々白々たる証拠です。

以上の理由により、一刻も早く、まともな一般国民投票法を作って下さい。

私の憲法9条加憲案

《この「私の憲法9条加憲案」の改訂版は「私の憲法9条改憲案」》

自衛隊」を今頃憲法に明記する事は手順前後だし、自衛隊がどういう名称に変更されてもいいようにするため、また、自衛隊員を日本国民の一部として扱うほうがいろいろ好ましいため、「日本国民」という文言に自衛隊員全員を含めて憲法9条加憲案を作ってみました。以下です。

 

第9条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

第2項 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

第3項 日本国民は、前二項を尊重し擁護することを前提として、自然権としての個人自衛権あるいは集団自衛権を行使することができる。

第4項 日本国民は、第一項および第二項を尊重し擁護することを前提として、2週間の期間限定で、自国領域およびその近接公域において個国自衛権あるいは参集自衛権を行使することができる。但し、そのためには、各議院の総議員の5分の3以上の賛成を事前に得ていなければならない。また、これを継続する必要がある場合、その都度、事前に、各議院の総議員の5分の3以上の賛成を得ていなければならない。

第5項 日本国民は、第一項および第二項を尊重し擁護することを前提として、2週間の期間限定で、他国領域およびその近接公域において個国自衛権あるいは参集自衛権を行使することができる。但し、そのためには、各議院の総議員の10分の9以上の賛成を事前に得ていなければならない。また、これを継続する必要がある場合、その都度、事前に、各議院の総議員の10分の9以上の賛成を得ていなければならない。

第6項 日本国民は、第一項および第二項を尊重し擁護することを前提として、10年の期間限定で、自国領域において参集自衛権を行使して諸国民からなる実力組織を駐留させることができる。但し、そのためには、各議院の総議員の5分の3以上の賛成を事前に得ていなければならない。また、これを継続する必要がある場合、その都度、事前に、各議院の総議員の5分の3以上の賛成を得ていなければならない。

第7項 前三項の国会における議決は、いずれも、日本国民から国民投票での再議決を求める請願が国会定数の5分の3以上あった場合、国会定数の5分の3以上の請願があった日から2週間以内に国民投票において過半数の同意を得なければ、直ちに遡って無効となる。

 


キモ01
防衛力増強かつ亡国戦争になり得るような改悪改憲を絶対にしない事。

逆に、立法府・司法府・行政府の各公務員が今までよりも随時かつ合理的に文民統制できる歯止めをこそ明記し、自衛隊員たちを含む日本国民全体及びアジア諸国民を大いに安堵させる事。


キモ02
"collective"を「集団(的)」と誤訳し続けて来た恥ずかしい過去を自ら清算し、かつ、 "collective" を「集団(的)」と誤訳している愚を日本の公文書や学術書から一掃できるようにする事が、この際、必要不可欠です。

例えば、UN Charter, Chapter I, Article 1 冒頭の "to take effective collective measures" は、細菌やウイルスなどの体内の異物に対して各種リンパ球や組織球などが体内の各方面から各々参集して対処するのと全く同じように、UN加盟国が各々問題の紛争集団に対して「有効な参集措置を執る事」を意味しており、「集団的措置」などという最初から一定の「集団」を存在させていなければならないかのような不自由な「措置」を全く意味しておりません。

早い話、無人攻撃機1機を紛争地域に参集させるだけでも有効な参集措置を執った事になります。

燃料や、燃料費・武器購入費などの防衛費を無償提供するだけでも有効な参集措置を執った事になります。

勿論、後方支援するだけでも有効な参集措置を執った事になります。

よって、 "collective" を「集団的」と表現する愚は、字義的にも実態的にも初歩的な誤訳です。

この際、 "collective" を「集団的」と理解する事がどういう性質の誤訳になってしまっているかを自ら理解し、自ら意識的に避けて行く必要性が絶対的にあるという事です(続けて以下も参照すべき)。


キモ03
集団的自衛権」という誤訳のために、全く異なる2つの自衛権自然権としての現場即応的な【集団自衛権】と、国権/指揮権の発動としての極めて人為的な【参集自衛権】)が混同され続けているという大変恥ずかしい大間違いを、この際、自ら解消し、かつ、今後の公文書や学術書から「集団的自衛権」という意味不明な誤訳を一掃して行く事が絶対的に必要です。

そのため、以下の4つの自衛権上記のような憲法9条加憲で明記し、日本国民全体を覆っている何重もの大誤解をひとまず解消してしまう事が必要不可欠です。

1.【個人自衛権 = right of individual self-defense 】
= 個人正当防衛権
(刑法36条「正当防衛」) 

2.【集団自衛権 = right of unit self defense 】
= 集団正当防衛権
(刑法36条「正当防衛」)

■■■■■ ■■■■■ ■■■■■ ■■■■■ ■■■■■ 

3.【個国自衛権 = right of individual self-defense 】
(UN Charter, Chapter VII, Article 51)
= 国家自衛権 = right of national self-defense

●●●●●     ●●●●●     ●●●●● 

4.【参集自衛権 = right of collective self-defense 】
(UN Charter, Chapter VII, Article 51)
= 参集防衛権 = right of collective defense

 

 

※01 「個別的自衛権」に慣れ親しんだ人たちも多いでしょうが、UN憲章による 3. right of individual self-defense は、個人の正当防衛権ではなく明確に各々のUN加盟国の国家自衛権のみを指しておりますので、健全な法の支配のための大原則である「 Legal Certainty 法的確証性」に従って、この際、「個国自衛権」と改訳しておきます。

 

※02 説明するのも野暮かも知れませんが、「個国自衛権」の「個国」は「故国」と掛けてあります。「首相」が「主将」と「殊勝」と掛けてあるように。


※03 ※01中の「 Legal Certainty 法的確証性」とは、その法(の条文)が誰にでも全く同じように了解されるという確証 certain evidence がなければならないという事です。

これを日本の法曹は平気で「法的明確性」「法的安定性」などと表面的・体制的に誤訳してしまっているようですが、どのような言語でも言語明瞭ながら実態としては意味不明瞭な文言や文章はいくらでも発生し得ます(e.g. (既にあるのに)地方創生(?)、(借金依存体質まで)経済再生(?)、(既にあるのに)日本を取り戻す(?)等々)。

また、法は誰にとっても実態として全く同じ線引きとなっていなくてはなりません。

よって、Legal Clarity 法的明確性、Legal Stability 法的安定性 などというような表層的な意味でわざわざ「 Legal Certainty 法的確証性」と言っているのでは決してありません。

裁判官・検察官・弁護士・学者から、犯罪被害者・犯罪被害者家族、被疑者・被疑者弁護人・被疑者家族、報道人に至るまで、どこのどういう立場の誰であっても全く同じように理解できるという確証が公聴会や学会誌などによって既に確認されていなければならないという意味です。

つまり、『こういう場合、この法(の条文)は、どこまでを認めていて、どこからを違法としているという事になるんだ?』というような疑問の全てが出し尽くされ、それらの疑問全てが筋の通った的確な形で解消され、かつ、それらの全てが誰でも十分理解可能な形で条文に反映されているという状態が「 Rule of Law 法の支配]」のためには必要不可欠であるという事を「 Legal Certainty 法的確証性」は意味しています。

残念ながら、日本の多くの法文が、この「 Legal Certainty 法的確証性」から逸脱しています。そして、この事が、日本の国会や内閣への信頼性を最も本質的な部分で傷付け続けていると思われます。


※04 EUの大部分と重なっているNATOでは、単に「collective defense 参集防衛」と表現しています。

"self-defense 自衛" とは言えないNATO加盟国のほうが常に多くなるであろうと事前に分かっているので、「 Legal Certainty 法的確証性」の大原則から "self" を外さざるを得ないと考えられます。


※05 日米は、日米安全保障条約により、常時、日本領域およびその近接公海領域において、参集自衛権を行使し合っております。

この件で、日本の報道人や学者やどこかの国会議員などが何故か平気な顔をして大間違いを言っておりますが、それをも、この際、明確に正しておかなくてはなりません。(そういう人たちは、何故か、1972年当時の田中角栄内閣によって閣議決定されていない政府見解全文をも読み間違っています。)

現行の憲法9条は、 collective自衛権=参集自衛権の行使そのものを禁止しているわけでは決してありません。

現行の憲法9条によって禁止されているのは、首相・衛相の指揮権発動による、他国領域での、3.【個国自衛権】行使と、4.【参集自衛権】行使です。

これは、『自衛隊は(自衛のための必要最小限度の実力を保持する実力組織に過ぎないので)軍隊ではない』と日本政府自身が公言し続けて来た事なので、極めて明らかなはずの事です。

逆に言えば、もし自衛隊が日本の首相や衛相の指揮権発動によって他国領域で武力行使をしていたら、自衛隊という軍隊が他国民との紛争解決のために他国民に対して武力行使をしているという事にならざるを得ず、露骨に憲法9条1項違反かつ憲法9条2項違反であるということです。

即ち、現行の憲法9条は、国権/指揮権の発動による、3.【個国自衛権】行使、あるいは、4.【参集自衛権】行使が可能な地理的範囲を日本領域とその近接公域に限定しているという事です。この事を改めて明確にしておかなければなりません。


キモ04

自然権としての個人自衛権の行使あるいは自然権としての集団自衛権の行使をやむを得ない例外とします(私の上記「第3項」では、現場判断での即応的な駆けつけ警護や米艦防護など、自然権に基づく純粋に正当防衛的な自衛権行使が全て可能となります)。

同時に、現行の憲法9条による地理的制約(日本領域とその近接域)を滅多な事では外せない制約にするという事を明文化します(私の上記「第5項」では、例えば米国から米国の身勝手な戦争に日本も参戦するように執拗に迫られたとしても、衆参両院で各々10分の9以上の賛成を得られるほど日本の参戦が正当かつその必要性も切迫していると判断されない限り、日本政府は米国政府に応諾しようがないという事になります)。

こうすることによって、自衛隊員も日本国民全体も世界の絶対的平和主義者たちも日本による再侵略を恐れているアジア諸国民・欧米諸国民も、誰もが論理的に安堵し得るということになります。

但し、実際に世界の諸国民から憲法9条を改正した日本国民が友好的に思われるかどうかは、ほとんど別儀の問題です。

諸国民との懸案事項は、国内問題ほどではないにしろ、それなりにまだまだ山積しているはずですので、一つ一つ確実に、あるいは、一つ一つ丁寧に対応していく以外、道はありません。


キモ05
他国民に対する武力による威嚇すら禁じている憲法9条1項・同2項にも拘わらず、自然権としての 1.【個人自衛権】 2.【集団自衛権】 を保持しているという事を明記する事により、自国民は当然として、共同作戦中の味方の他国民をも正々堂々と正当防衛する事が常に可能となります。

即ち、日本国民は誰でも、仲間/味方の他国民を防衛するため現場即応の他国民駆け付け警護や現場即応の他国船防護(e.g. 米艦防護など)を果敢に行う事が、憲法違反になる・・と心配する事なく可能となるということです。

 

キモ06

こちら側にも、敵方にも、個人 individual 及び集団 unit の正当防衛権を含む 1.~4.の全ての自衛権が常にあるという事を、憲法9条加憲の際に、平和ボケしてズレ切っている人たちにも十分理解可能なように明確にしておく必要があります。

また、こちらが自然権かつ正当防衛権としての【個人自衛権】あるいは【集団自衛権】を現場判断でやむを得ず行使したつもりであっても、逆に殺傷されてしまう、更には日本国の国権の発動として宣戦布告したと判断されてしまうという事も可能性としては十分あり得るという事も、十分認識しておく必要があります。日本人は少なくとも北朝鮮人よりも好戦的なので、くれぐれも要注意です。

つまり、圧倒的な武力差がない限り、局地戦争であっても全面戦争であっても、日本のような資源小国は長期的には極めて厄介な事に巻き込まれるだけである可能性が極めて高いので、日本は、極力、外交での解決をメインとすべき、という事です。


キモ07
私の上記「第7項」の国民投票のためには、一般国民投票法が必要不可欠です。

そもそも、民主国の国民に対しては、直接民主主義で直接の自己責任を持ち得る機会が十分に保障されているという状態にしていなくてはなりません。

政党だって、まともな政党である限り、総会による直接民主主義での決定事項と、委員会・部会・幹部会や幹事長一任・トップ一任による間接民主主義での決定事項の両方があるはずです。

日本に一般国民投票法が未だにないという事実は日本の国会議員の酷過ぎるくらい酷い怠慢・不作為・不見識の存在でしかない事の明々白々たる証拠です。

例えば、元々、憲法1条により、日本国民の総意に基づく天皇の地位に関する事柄は全て、

退位の承認・不承認であれ、
即位の承認・不承認であれ、
男系女性天皇の承認・不承認であれ、
女系男性天皇の承認・不承認であれ、
女系女性天皇の承認・不承認であれ、
女性宮家の承認・不承認であれ、

天皇制そのものの承認・不承認であれ、
言い換えれば、共和制への移行への承認・不承認であれ、

国民投票による承認・不承認が絶対的に必要不可欠です。

でなければ、露骨に憲法1条違反です。

一般国民投票法によって日本国民が退位や即位を承認し得る機会を提供しなければ、天皇陛下だけでなく国会議員全員が憲法1条違反の不適格者ということにならざるを得ません。そういう救い難い暴挙でもあります。

また、時々、国民投票という機会を、天皇陛下や皇室の事、天皇制の事を考える定期的な機会としなければ、日本国民統合の象徴としての天皇制といくら定められていても、これを実態として生かす術が全く無いということになってしまいます。

天皇制そのものが、全く不当に、民主主義および法治主義に反する、逆差別的な特権制度ということになってしまいます。

そういう「賊」的な酷い仕打ちを天皇陛下や皇室の人々及び日本国民全体に強要したいということなのでしょうか。

大至急、まともな先進民主国らしく、日本国民全体の直接民主主義のための、まともな一般国民投票法を作って下さい。

そして、日本国民にも直接民主主義、即ち、直接の自己決定権(憲法13条)を行使し得る定期的な機会を保障して下さい。

直接民主主義国民投票を時々行うほうが、全く行わない場合よりも、国民が活性化し、国民の生産性や意識/民度などがいろいろ高くなる事は火を見るより明らかだと思われます。

国民投票が必要な事柄もいろいろあります。

先に挙げた天皇の地位に関係する様々な事柄、

核力発電所の稼働の是非、

死刑の是非、

核武装の是非、

TPP(のある事柄)の是非、

慰安婦・元徴用工への正式謝罪・法的賠償の是非、

UN常任理事国入りの是非、

教育の全面無償化の是非、

国会定数に女性割当枠や新陳代謝枠を含める事の是非、

選択的夫婦別姓を採用可能な制度にする事の是非、

などなどです。

国政において直接民主主義の制度がないという事は、残念ながら、間接民主主義しか知らない未熟な民主主義者ばっかりの国民国家であるという事の明々白々たる証拠です。

また、日本の国会議員与野党揃って国民を信用していない国会議員憲法43条1項「全国民の代表」)不適格者だらけであるという事の明々白々たる証拠です。

更に、日本の国会議員民度与野党揃って米国はおろか韓国よりも劣悪であるという事の明々白々たる証拠です。

以上の理由により、一刻も早く、まともな一般国民投票法を作って下さい。

× ゲノム編集による品種改良 ルール作りの議論加速を

2017年07月09日(日)毎日新聞 下段社説 ゲノム編集による品種改良 ルール作りの議論加速を
http://mainichi.jp/articles/20170709/ddm/005/070/023000c
>まずは、ゲノム編集で作られる農産物の性質を、遺伝子レベルと個体レベルの両方で精査することが必要だろう。カルタヘナ法は生物多様性の観点に基づく法律だが、食の安全の観点からも検討を進めることが必要だ。
>日本は遺伝子組み換え作物に対して慎重な見方が強かった。ゲノム編集について、一般に理解が進んでいるとは思えない。市民へのわかりやすい情報提供が欠かせない。

 

了解しかねる。

 

遺伝子組み換えによる弊害だけ、薬の副作用や放射能被害などとは全く違って、最初の最初っから情報提供できるというものではないだろう。

むしろ、遺伝子組み換えによる弊害のほうが、もしあるとすればの話であるが、その弊害の因果関係を特定するのに時間がかかるように思われる。

この手の問題は、未知の領域に勇気や誠実さや責任感をもってどう切り込んでいくか、未知の問題に素早くどう的確に対応していくか、という、どんな人間にとっても本源的な問題である。

自分の頭でいろいろ考えれば、当然、幾つかの具体的な選択肢に辿り着くはずである。

有用ではない遺伝子を破壊し、有用な遺伝子(だけ)が発現するようにした遺伝子組み換え生物の場合、少なくとも人間にとっては有用なはずだと予想し未知の危険を覚悟しつつも一歩進んでみるか、臆病風に吹かれて様子見するか、の選択肢しかない。

そして、未知の危険を覚悟しつつも一歩進んでみる人たちがいない限り、有用な情報提供もあり得ない。

残念ながら、日本の報道人が考えているような「安全」やそういう状況下での「情報提供」は論理的に矛盾しており、どちらかがあり得ないのである。

 

× 米露首脳の初会談 やはり成果は乏しかった

2017年07月09日(日)毎日新聞 上段社説 米露首脳の初会談 やはり成果は乏しかった
http://mainichi.jp/articles/20170709/ddm/005/070/026000c
>ロシアがアサド政権を支援し、米国はアサド政権の排除を視野に反体制派を支援している。この対立をどう解消し、和平につなげるかという道筋は描けなかった。

ウクライナ東部の紛争をめぐっては、米国が特別代表を任命し、ロシアとの協議にあたることになった。しかし、これまで欧州が仲介に努めても打開できなかった難しい問題である。対露経済制裁の解除も今後の課題だが、そのきっかけとなったロシアによるウクライナ南部クリミア半島の編入は、ロシアが譲らない姿勢を貫いている。

北朝鮮への対応をめぐっても特筆すべき進展はなかった。

米大統領選にロシアが介入したとされる「ロシアゲート」が米露関係の大きな足かせになっている。トランプ氏は会談でこの問題も取り上げたが、あくまで国内対策の側面が強かった。プーチン氏は関与を否定しただけだった。

 

相変わらず批判のための批判。
あたかも毎日の論説委員だけ、シリア収拾策・ウクライナ収拾策・北鮮収拾策・ロシアゲート収拾策いずれについても道筋を描けており、既に米露はじめ世界に示しているかのよう。実際は、大甘な大方針すら全く示せていないが。

シリア収拾策については、アサド政権と反体制派の両方がいなくならない限り、あるいは、両陣営とも厭戦気分が支配的にならない限り、道筋を描けるほうがおかしい。

どっちみち、「イスラム教」ファシズムが支配的なままでは、戦闘が終わって一見平和的になったところで、地獄(イスラム教」ファシズム地獄+「○○政権」ファシズム地獄)は永遠に続く。

 

ウクライナ収拾策・北鮮収拾策については、米露や周辺国がどういう明確な大義名分を相手国に呈示し、かつ、軍事制圧するかという問題。経済制裁で解決するような問題なら既に解決しているはず。

 

ロシアゲート収拾策については、トランプ陣営がロシア/プーチン政権に米国大統領選に関与させた疑いが大いにある時点で、トランプ大統領辞任しかまともな道はあり得ない。

 

日本の報道人は認識を根本的に改めるべき。

 

 

× 九州の記録的な豪雨 避難態勢の点検が必要だ

2017年07月08日(土)毎日新聞 下段社説 九州の記録的な豪雨 避難態勢の点検が必要だ
http://mainichi.jp/articles/20170708/ddm/005/070/032000c
>短時間の集中豪雨による土砂災害や河川の氾濫が近年、毎年のように発生している。一昨年、鬼怒川が氾濫したように、東日本を含め全国どこでも起こりうる。
>どう命を守るのか。一人一人が住んでいる地域の危険度を知り、避難の方法を事前に考えておくことだ。自主的な備えも欠かせない。

 

相変わらず論理性マイナス。学習能力ゼロ。多くの人々を無理やり避難生活させたがっているという観点から見れば、非人道的かつ反社会的でさえある。


ジャーナリズム(日誌激白主義)・報道の役割を先進国の中では日本の報道人だけが全く果たせていないと看破できるレベル。

 

「短時間の集中豪雨による土砂災害や河川の氾濫が近年、毎年のように発生している」、その原因の除去/緩和をこそ一にも二にも三にも主張すべき。

即ち、先ず、世界の全ての国で、電力の100%を、再装可能エネルギー renewable energy からの再装電気 renewable electricity にすべきだ!と一にも二にも三にも提言すべき。

日本は、スペインやドイツやハワイ州カリフォルニア州より遙かに簡単に(余裕で)再エネ100%にできる国。光力・風力・潮力による発電が全国どこででも可能である。

ここ30年の日本の報道人・公務員が思考停止状態の低能亡国奴ばっかりであることが大変悲しい。

軍部の暴走という難題を抱えていた1931-1945の日本の報道人・公務員よりも遙かに思考停止状態の低能亡国奴であることは既に明らかであるような気がする。

 

日本の報道人・公務員は、一体どうしてこんなに簡単に、しかも揃いも揃って、道を誤り続けることができるのか。

 

日本の報道人・公務員は、一体何故、志士たちとは真逆に、いつまでもいつまでも江戸時代の封建ファシズム奴隷のままでいられるのか。

 

日本の報道人・公務員たち自身が自ら自問自答しない限り、およそ解決しそうもない問題である。

△ 日欧がEPAで大枠合意 保護主義防ぐ役割は重い

2017年07月08日(土)毎日新聞 上段社説E 日欧がEPAで大枠合意 保護主義防ぐ役割は重い
http://mainichi.jp/articles/20170708/ddm/005/070/033000c
>日本は人口減少で国内市場が縮小していく。EUの人口は約5億人と日本の4倍だ。自動車などの輸出を増やす好機になるはずだ。
>また、日本が輸入する欧州産農産品が値下がりすると、回復の鈍い国内消費にプラスに働くだろう。
>世界の自由貿易体制を立て直すてこにもなりうる。

>ブランド力が強い欧州産チーズなどが日本で安く出回ると、農家の経営が圧迫される。政府は支援を講じる方針だ。

 

日本の農家が壊滅的な打撃を受けるのを税金で補助することはやむを得ないと言えるかもしれない。

問題は、それを打ち消せるほどの良好な関係を日欧で維持し続けることができるか、ということである。

法の支配・法的確証性 legal certainty も、直接民主主義・間接民主主義も、死刑廃止も、男女同権も、温暖化防止も、日欧の間では対等に価値観を共有できていない。抑も日本では肝心の立法員(lawmaker 議員)や報道人がこれらの必要不可欠な価値観をほとんど全く理解・実践できていない。

江戸時代の排他主義・閉鎖主義・独善主義的な狂った価値観から来ている誤訳「国際~」が未だに全く死語となっていないことからも自明であるように、日本人の多くが未だに精神的な鎖国、即ち、排他主義・閉鎖主義・独善主義・奴隷主義を頑迷に引きずり続けている。

この事に起因する日欧の障壁の岩盤ぶりに、おそらく日本人自身も辟易することになるであろう。あるいは、ネトウヨのように論点ずらしのための論点ずらし、責任転嫁のための責任転嫁に狂うことになるのであろう。

 

いずれにせよ、保護主義が発生する原因を自ら真摯に考え、根治療法的な対策や的確な対策を自ら積極的に打っていかない限り、保護主義は「正当化」され続け、保護主義の害毒の勢いも「正当に」増大かつ蔓延し続けるだけである。

 

日本の現状は、とてつもなく「やれやれ」である。

 

× バニラ・エアと車椅子 「もっとできる」の契機に

2017年07月02日(日)毎日新聞 下段社説 バニラ・エアと車椅子 「もっとできる」の契機に
http://mainichi.jp/articles/20170702/ddm/005/070/002000c
>障害者差別解消法が施行されて1年以上たつが、「差別解消」とはほど遠い現実が浮き彫りになった。

 

「障害者」という差別語によって日本人、特に日本の公務員・報道人・医療者は、意識的か無意識的かを問わず、「障害者」に対する差別および人権侵害を、延々、頑迷に推進・蔓延させ続けている。

植松聖による「障害者」大量殺人事件およびそれへの多数の同調者の存在は、差別大好き日本人による悪循環という社会病理の一つの結果に過ぎない。

この差別の病根は遅くとも江戸時代から始まっており、現代の日本人には既に意識しにくいほどに体制化され切ってしまっている。

法的には、「障害者」に対する差別および人権侵害は以下に列挙するような何重もの極悪犯罪である。一体何故、放置され続けているのか、日本人の恥ずべき宿痾(しゅくあ)である。

憲法14条1項違反

障害者基本法4条1項違反
障害者基本法4条2項違反
障害者基本法5条違反(差別的な呼称で呼んでいること自体が諸国民との協調を全く無視してしまっている日本人独自の差別)

障害者差別解消法4条違反
障害者差別解消法5条違反(日本社会での「障害者」に対する「合理的な配慮」なるものは、「障害者」という言葉自体が自己矛盾甚だしい差別語であるため、すべて見せかけだけの偽善や詭弁に過ぎないということにならざるを得ない)
障害者差別解消法7条違反
障害者差別解消法8条違反

 

『お前らは日本社会にとって障害でしかないんだよ』という意味にならざるを得ない「障害者」という差別語を使い続けている日本の公務員・報道人・医療福祉関係者こそがこの「障害者」差別の元凶であることは既に余りにも明らかである。

 

植松聖自身が医療福祉関係者であったし、彼が「障害者」大量殺人予告状(物証)を持参していてさえ彼を逮捕・起訴しなかった/させなかった刑事告発義務違反者かつ後に大量殺人の事後共犯者は国会と警視庁・警察庁の「公務員」であるし、【「障害者」大量殺人予告状には何ら問題はない!】とばかり刑事告発義務違反の公務員不適格者を全く断罪しなかったのは全く御同様な日本の「報道人」であるし、植松聖を筋違いの措置入院で引き受け【「障害者」大量殺人予告状には何ら問題はない!】とばかり全く無責任に無治療で退院させたのは日本の「精神保健指定医」たちである。

日本の「公務員」「報道人」「医療者」らの「障害者」差別という狂気が植松聖という1人の狂人で像を結び、発火したに過ぎない。

 

もう1つ。

「障害者」なる日本語が、

身分差別そのものが社会体制になっていた江戸時代の日本人の最下層の被差別民:

「穢多(えた:穢(けが)れ多い連中)」

「卑民(ひみん:卑しい民)」

より字義的にも実態的にも酷い差別語であることも自明であるはずである。

 

差別対象に設定した人たちを差別させることで社会の表面的安定を得ようとしていた江戸幕府・諸藩の封建ファシズム奴隷たちにとっては、江戸時代の最下層の被差別民である「穢多」「卑民」は、それなりに有用な存在であり、更に穢れ仕事も奴隷的にやっていたので、二重に有用な存在であった。

 

よって、「障害者」という言葉は、彼らが日本社会にとって有害無益かつ邪魔な存在でしかないという認識に基づく、「穢多」「卑民」よりも遙かに酷い差別語である!ということにならざるを得ないのである。

 

解決策は英語圏から既にもたらされている。

「障害者」を敢えて字数を多くして「障がい者」としている人たちもいるが、これは自己満足的な言い換えに過ぎない。対症療法とすら言えない。

字義的な次元からの別表現のみが日本人全体に必要な根治療法であり、それのみが差別解消および人権尊重に有用である。

以下、差別語「障害者」の代替語を列挙する。
全て英語を字義的に逐語訳(直訳)し、更に利便性のため圧縮して省略語とした。


受挑者・受挑/被挑者・被挑
challenged person
challenged persons
challenged people
(この世からの)挑戦を受けた人(々)→受挑した人→受挑者
(この世からの)挑戦された人(々)→被挑した人→被挑者

類例:
賞を受けた人(々)→受賞した人→受賞者
試験を受けた人(々)→受験した人→受験者
注文を受けた人(々)→受注した人→受注者

害された人(々)→被害者
実験対象にされた人(々)→被験者
放射線に曝露させられた人(々)→被曝者

 

違能者・違能
disabled person
disabled persons
disabled people
differently-abled person
differently-abled persons
differently-abled people
違う能力、違能とされた人(々)→違能者

person with disability (この disability は抽象名詞)
person with disabilities
persons with disability (この disability は抽象名詞)
persons with disabilities
people with disability (この disability は抽象名詞)
people with disabilities
違う能力、違能の人(々)→違能者

類例:
違背とされた人(々)→違背者
違反とされた人(々)→違反者
違憲とされた人(々)→違憲

disable = able (できる)とは言えない状態にする
= (一部を)違能にする
≠ (全部を)不能にする
disability = ability (できる状態)とは言えない状態
= (一部)違能
≠ (全部)不能

類例:
discover = cover (覆う)とは言えない状態にする
= (一部を)発見する/覆わない
≠ (全部を)発見する/覆わない
disclose = close (閉ざす)とは言えない状態にする
= (一部を)開示する/閉ざさない
≠ (全部を)開示する/閉ざさない

 

要援者・要援
handicapped person
handicapped persons
handicapped people

person with handicap (この handicap は抽象名詞)
person with handicaps
persons with handicap (この handicap は抽象名詞)
persons with handicaps
people with handicap (この handicap は抽象名詞)
people with handicaps

person(s)/people with handicap
不利な条件 handicap のため援助を要する人(々)→要援者

 

違調者・違調
person with disorder (この disorder は抽象名詞)
person with disorders
persons with disorder (この disorder は抽象名詞)
persons with disorders
people with disorder (この hdisorder は抽象名詞)
people with disorders

 

以上、日本人全体の品性/尊厳/人権尊重意識の向上のためにも、

「受挑者/被挑者/違能者/要援者/違調者」
「受挑/被挑/違能/要援/違調」


差別語「障害者」「障害」の代替語とし、

差別語「障害者」をさっさと死語とすべきである。簡単なこと。

善は急げ。