人と会うということ
縄文の昔から日本列島では広く交易があったといわれているが、自分が通常暮らしている人と違うグループの人と会うということは、かなりイベント的なことだったのではなかろうか。
文字がやりとりされるようになって、文(ふみ)が届けられるようになっても基本はあまり変わらない。
長い平和を背景に、人々の往来が安全にできるようになった江戸時代末期でも、人との出会いは特別なことだ。
本居宣長と賀茂真淵の生涯でたった一度だけの出会い「松坂の一夜」は宣長の人生を変えた。
人の往来は交通網の発達でさらに自由になり、人と人が会うことが当たり前の世の中になっている。
電信から電話へ、そしてインターネットへの変化は、人と人を簡単につなぎ、その距離がなんだか近くなったように感じているが本当だろうか。
今回の新型コロナ騒ぎで、人と会うことをできるだけ避けましょう、と言われている。
ワークショップや会合はのきなみ中止で、まちづくりの仕事をしている身では、やることがない。
しかし、社会全体が機能不全におちいり、パニックになりそうな中で、改めて「人と会うこと」ということを真剣に考える機会になっているように思う。
つまり、人との出会いは、本当に大切な事に絞ってもなんとかなるのかもしれない、とあらためて思い始めている。
毎週のようにどこかでイベントが開催され、人が集まって何かを語りあい、情報交換をして知ったような気持ちになる。そして、テレワークとか、ネット会議とかいろいろあって、SNS上で何百人も「友だち」がいる。
昔、友だちは、数人、多い人でも十数人だったような気がする。
直接人と会う大切さというのは、一期一会、大切な人と大切な時間を過ごし、その瞬間の出会いで得られたことを大切にすることだ。
決して交流が(そしてイベントやワークショップが)不要だと言っているのではない。人と会って過ごす時間のかけがえのなさを、もっとかみしめた方が良いのではないだろうか、ということが言いたかったのである。
もちろん、ワークショップがなくなるとプレイスはとても困ったことになるし、感染した人の快復と、社会の通常化を願うのは当然である。誤解のないように書き添えておきます。
(fuku)
イラン日記4 Youは何しにイランまで?
これまでのイラン訪問は、「NPO法人イランの障害者を支援するミントの会」の依頼で行かせてもらっています。
このNPOの代表を務めるパシャイさんは、まだ40代半ばの男性です。
シルベスタースタローン似のイケメンです。顔の彫りが深すぎて怖面にも見えますが、
日本語でジョークを飛ばすユーモアと知恵、そしてバイタリティ溢れる人です。
(因みに、映画「男はつらいよ」が大好きで、全DVDを持っているとのこと)。
パシャイさんは、イランイラク戦争の兵役を終えて、来日しました。
時は90年代のバブル、土木関係の仕事について、10年以上真面目に働いたそうです。
「そろそろイランに帰ろうかな」と思った矢先に、大事故が起きました。
土木工事で操作をしていた重機の下敷きになってしまったのです。
たくさんの輸血をする大手術で、どうにか一命を取り留めましたが、意識が戻った時に知った現実は下半身が全く動かない状態でした。
「異国に来て大変な目にあいましたね。でも、助かった命なのでどうか大切にしてください」と、
執刀した医師が泣きながら伝えた言葉を、今でも覚えているそうです。
退院後、パシャイさんのリハビリが始まるのですが、在宅リハビリを担当した看護師が、NPOの事務局を勤める大澤照枝さんでした。照枝さんは、これまでパシャイさんの思いに寄り添い活動の発展を支えている方です。
パシャイさんの リハビリは進み、車いすを使用すれば、自由に外出ができるようになりました。
そんな折、イランの人たちはどうしているのかが、気になってきたそうです。
イランは交通事故が多く、一方でリハビリが進んでいないので、日本では社会復帰できるような状態でも、イランでは家で寝たきりになってしまうこともあることが分かってきました。
そこで、日本から中古の車いすを送る活動を始め、その後、在宅リハビリを伝えるため日本から看護師や理学療法士を派遣し、寝たきりの状態から、自分で食事や移動ができるにはどうしたらいいかを伝えました。
しかし、まだ移動ができるのは家の中のことでした。そこで、車いすの人がまちを歩けるよう、日本でバリアフリーやユニバーサルデザインのまちづくりに取り組んでいる人を派遣しようと、発展してきたそうです。
私が勤務する《場所づくり研究所PLACE》は、住民参加のまちづくりなら、テーマはいろいろ取り組みます。
その中のひとつに、バリアフリーやユニバーサルデザインのまちづくりがあり、お声がかかったといういう訳です。
パシャイさんのことは、朝日新聞にも掲載されています。
4人目の紹介:絶望を乗り越え「架け橋」に
ぜひ読んでください!!
https://globe.asahi.com/article/12434499
イラン日記3 ペルシャ料理(1)ケバブ
「イランに行ったら、ケバブ三昧だ(やった~!)」、と思っていたのですが、良い意味で裏切られました。
訪れる前には想像していなかった、ヨーグルトやザクロやブドウの葉を使ったエキゾチックなお料理の数々がイランにはあるのです。これらのお料理は、長時間炒めたり煮込んだりするものが多く、レストランでは滅多にない、家庭でしか味わえない料理もあるそうです。イランでは「最高のシェフは家庭にあり」という言葉もあると、ある本に書いてありました。私もイランのご家庭で煮込み料理をご馳走になった時、「仕込みから8時間かかった」と聞いて手間のかかるお料理なんだと驚いたことがありました。
イランの家庭料理にご興味のある方は、「イラン式料理本」という映画を是非見てください。DVDにもなっています。映画監督が自分の親戚宅や友人宅を訪ねて「今晩クルーと一緒に来るから、夕飯をたべさせてくれ」といきなり頼み、その依頼にどのように対応してくれるかを撮影したドキュメントです。来客の人数が多くても慌てず家庭料理をご馳走するベテラン主婦や、何時間もキッチンに縛られるなんてまっぴらという若い女性も登場します。台所事情からイラン社会の時代の変化を映し出している、素晴らしい作品です。
ちなみに、私が知っているご家庭のキッチンは広くて綺麗で、ガス台のコンロが5口もついており、そのうち1口はヤカンにお湯を沸かしっぱなしで、いつでも紅茶が飲めるようになっていました。
さて、煮込み料理のご紹介はまた今度にして、今回はケバブについてです。ケバブはペルシャ料理を代表するお料理の1つですが、このケバブも日本で食べたものとは違いました。
最初にイランでケバブを食べた時は、ドドンと盛られた「本場ケバブ」を目の前に少々興奮気味でしたが、一口食べてみるとスパイスがあまり効いておらず、全部食べ終わってもあっさりで物足らない印象がありました。
後から知ったのですが、イランでは、ヨーグルトにサフランと玉ねぎと塩を混ぜたものに肉を漬け込んだだけのシンプルな味付けのものが主流で、大量のスパイスを使うことは少ないようです。
ケバブの肉は「羊」「鶏」「牛」の3種類。一口大のサイズにカットされたお肉を串刺しにして、炭火で焼きます。肉の部位により、味わいも違います。またひき肉をつくねのように串板に巻きつけて焼くタイプもあります。どれもレモン汁を絞っていただきます。
つけあわせの定番野菜は、「焼きトマト」と「生の玉ねぎ」。玉ねぎはそのままかじりますが全然辛くなく、お肉の脂をさっぱりさせてくれる、なくてはならないケバブの相棒です。焼きトマトは崩しながら肉と一緒に食べますが、これがまたケバブとの相性が抜群なのです。
一番初めは物足りなく感じたケバブでしたが、薄味で素材が生かされているからこそ、味わい深い食べ物だと思えるようになってきたこの頃なのです。(miya)
イラン日記2 旅の準備
イランを訪れる時、女性に限りますが、絶対に忘れてはいけないものがあります。
最近、日本でもイスラム教の人を見かける機会が増えましたので、おわかりの方も多いでしょうが「スカーフ」です。
外国人旅行者であっても、イラン国内の公共的な場では、スカーフで髪を隠すことが必須です。イランでは、ペルシャ語で「覆うもの」という意味の「ヘジャブ」と呼ばれています。
1979年のイラン革命直後は、前髪が少しでも見えることさえ許されない状況だったと聞きました。しかし、私が訪れる頃にはそんなに厳しい雰囲気はなく、頭上の髪のおだんごにカラフルなスカーフをひっかけ、前髪は丸出しの若い人も見かけました。
私はイランでスカーフを巻くのに抵抗がないばかりか、どちらかというと楽しんでいます。暑い日射し避けになるし、包まれているような安心感もあるし、なんといっても異国情緒を楽しめるアイテムだからです。なので、家の中で家族や親しい知人同士になるとスカーフを取る人が多い中、私はスカーフを積極的にとらなかったりするわけです。そうすると、「スカーフは暑くてジャマでしょ、だからとっていいのよ」と声をかけられます。慣れない外国人への気遣いもあるのでしょうが、実はこのスカーフ必須をよく思っていないイラン女性が多いように感じています。
日本に留学や滞在したことのあるイラン女性たち何人かに、「日本滞在中、スカーフはしていましたか?」と聞いてみましたが、「していなかった」との反応が意外に多いからです。イランでは、毎日のお祈りを欠かさないような人であっても、日本ではつけないという人もいました。
最近、ヘジャブ強制着用に反対する動きもあるとニュースでみました。必須ではなく、選択できる時代も近いかも知れません。
さて、スカーフ。
イランの空港に飛行機が到着し、シートベルトを締めるサインが消えると、一斉に乗客が荷物をおろしだします。そして女性たちは国籍を問わず手荷物からスカーフを取りだし、思い思いの巻き方で頭を覆います。
「あー、イランに着いたな」と思う瞬間です。
という訳で、機内を出たらスカーフ必須。イランに行かれる方、スカーフは機内持ち込みを忘れずに!(miya)
イラン日記1 イランってどんなとこ?
人生はなにがあるかわからないものでというには大げさですが、若い時には外国に興味のなかった私が、イランに行くようになって7年が経ちました。年1回行ったので7回行ったことになります。
友人に「この間、イランに行って」と話すと、「戦争していないの?」「危なくないの?」と聞かれるのが大方の反応です。
私も最初はそうでした。
《イランの障害者を考えるミントの会》から、イランに行きませんかと声をかけられたのは2012年4月。その時には「ほう」とか「はぁ」といった反応をして、不安そうな顔をしていたに違いないです。会の世話人役の大澤照枝さんから「心配ないですよ」と声をかけてもらったことを覚えていますので。
当時、イランについて知っていたことと言えば、1980年代、上野公園で偽造テレホンカードを売っていた外国人はイラン人らしいという噂。高校生だった私は、声をかけられても、しゃべっちゃいけないと思っていたような。あぁ、あの頃、イランの人と仲良くなるオープンさがあればよかったなーってないない、あの頃はないです。
もう1つ知っていたことは、イラン映画。ミニシアター系の映画が好きだったので、「オリーブの林を抜けて」「桜桃の味」は見たことがありました。アッバス・キアロスタミ監督が巨匠と呼ばれる人とは知らなかったけれど、異国情緒漂う風景はとても印象的でした。
日本にいると、イランの様子はあまりわかりません。
でも、行ってみたら、風景は雄大で素晴らしい、歴史文化が深い、人々は人懐こくて親切、そして食事が美味しい(これ大事!)。
たくさんの思い出ができたイランについて、記憶を辿りながら魅力を綴ろうと思います。(miya)