絶対誰かが使っている言い回しなんだけど検索しても見つけられない単語

先日GoogleMapのクチコミを書いた際に感じたことなのですが、

ネット上のサービスは人間の承認欲求を上手く利用しますね。

主に使われるのが閲覧数や高評価の取得だと思います。

TwitterみたいなSNSだけでなくGoogleMapのクチコミでも同じ仕組みを持ってます。

おそらく他のレビュー系サイトも同じ機能を持っているんじゃないでしょうか。

最初は高評価を目的として書いていなくても、やっぱりうれしくなっちゃうんですよね。

そしていつの間にか、高評価を求めて書き始める高評価ゾンビになってしまう・・・。

我々はインターネットを使用する際に「嘘を嘘と見抜ける」能力に加えて、

「承認欲求の刺激に耐える」能力も求められるようになったんですね。

 

でも、インターネットのコンテンツなんて、ほぼすべてがビジネスか承認欲求か義務に基づく情報公開じゃないですか。

ここから承認欲求を除去したら、Googleで検索した際のトップ5件みたいな世界になっちゃいますよ。

いや、てことはそんな世界にもうなってるのか。

 

わかりますけどね。

インターネットはビジネス勢に刈り取られて承認欲求を得辛くなっていて、

SNSやコメントなんかの方が簡単に得られるようになってますからね。

しかしここは得やすいファスト承認欲求でお腹を満たすのではなく、

再びインターネット世界へ漕ぎ出して、竿を投げてみてはどうでしょうか。

今のところ、アタリはないのですが。

人生相談は古典コンテンツになった

勝手な思い込みかもしれませんが、日本の人生相談コンテンツを終わらせたのは、発言小町だと思っています。

 

発言小町の中で最も人気がでる相談というのは「相談者を叩ける」相談なんですよね。

相手の秘密の話を聞く楽しみに、相手をぶっ叩ける爽快感、これに夢中になる人が多いんです。

相談者が反論してくれれば、もう一回遊べるドン状態。太鼓乱舞で祭りだ祭りだー!ってなもんです。

最近流行っている相談の回答者(と掲載元)への批判についても、この流れだと思ってます。

相談者と回答者に加えて、自分をその中にねじ込んでいくことに違和感がない人たちの誕生です。

1999年の開設から膨らんだこのサイトの呪いが人生相談というコンテンツ自体に侵食した結果、

今の「野次馬の不満解消コンテンツ」と化した人生相談ばかりの状況に至ったんではないかと。

 

ということで、しばらく碌な人生相談はコンテンツとして生まれないと思いますが、

それを憂う必要はあまりないと思うんですよね。

なぜかというと、人間の悩みには大体のパターンがあって、最新の人生相談である必要がないからです。

大きな本屋にでも行って、パラパラめくって納得感のある人のものを2人分ぐらい買えば、それで足りるんだろうと思います。

野次馬を意識した回答のものを避けることと、

上記の状況もあるので、そのうち1冊は2000年代より前のものが良いと思います。

2021年後半の暇つぶし事情

2022年も始まりましたので、恒例の暇つぶしについて書いていきます。

最近集中的に暇が潰せたのはGoogleMapのクチコミですね。

知っている店について書くのも意外に頭を捻りますし、

何か書くとGoogle君が褒めてくれるんですよね。

その辺システムとしてしっかりしてることに驚きました。

 

ただ、しばらく書いていると気づくこともありまして。

星の数とコメントを書いていくわけですが、自分が評価する星の数と、

すでに蓄積されてきた星の数の平均がほぼ合ってたりするわけです。

「これが集合知・・・!」と感心するところではあるんですが、

「この状況で自分が書く意味あるか・・・?」と思ってしまうのも事実。

ざっとクチコミを読んでみると、書こうと思った内容と似たクチコミあるし。

ここでオリジナリティを出そうとして、不要な自分語りを始める人が現れるのも理解できました。

あくまで仕組みを理解しただけですが。

クチコミの文字数が200文字を超えるとポイントを余計にもらえるんで、その辺も関係ありそうです。

 

しばらく順調に時間を潰せていたGoogleMapなんですが、だんだん勢いが落ちてきまして。

まぁ当然ですよね、そんなにクチコミを書ける場所があるわけない。

適当に一行二行で書いていくならそれもありなんですが、自分のやりたい暇つぶしじゃない気がして。

 

そんなわけでGoogleMapは一旦落ち着いてしまったのですが、

レビュー系って意外と暇つぶしができる鉱脈かもしれないと考えまして。

次はAmazonかなとも考えたのですが地図サイトはともかくショッピングサイトはねぇ・・・。

職場で開くのはちょっt

あなた(1年間日記を書いてたみたいだけど)変わりはないですか

ないと思います。

 

そもそも何を期待していたんだと自問自答してみると、

深い内省だとか、何か面白い変化だとか、でしょうか。

確かにそれはなかった。

本当にその日あったことを書いているだけだし、

最後の方は2週間ぐらいをまとめて書いていた体たらく。

そりゃ望むような変化はないよなとは思うんですけどね。

 

あるとすれば後から読み返してみて、なるほどなーと思うような、

資料性ですかね、そんなものがないだろうかという点です。

今読んでも大した感慨はないのですが、それは1年前のことだから。

10年も寝かせれば興味深い結果になるかもしれません。

そう考えるとまた書いても良いかなぁなんて思いますね。

 

紙の日記帳にペンで日記を書いていたのですが、それがまた面倒くさいのなんのって。

日記なんで一日の終わりに書きたいですよね。

しかし書斎がない我が家において一日の終わり=子供寝てる=周り真っ暗

という図式がなりたってしまうのです。

紙に文字描くのは無理なんすよ。

そんなわけで前述の2週間分貯めるスタイルに落ちぶれていったのですが・・・。

 

何とかライブ感を残すとすれば、スマホに一旦日記を書き、

少ししてからそれを紙に転記する方式になりますよね。

だったらスマホのメモを日記にすりゃいいんじゃん、という声に耳をふさぎ、

紙に日記を書く力を信じてなんとかやっていこうと思います。

何かしらの成果があると信じて・・・!

忙しい?と聞かれるのは大体忙しくないだろうと思われれている時

「こいつ暇だな」と思われない。これは社会人にとって大事なスキルだと思います。

(今回は敢えて「暇だと気づかれない」でなく「暇だと思われない」にしています)

 

私が昔いた職場に、今考えてみれば明らかに暇なんだけど、それを周りに気づかれないようにするのが上手い先輩がいました。

その人からいくつか大事なアドバイスをもらったので、まずはそれから説明します。

 

〇机に片肘をついてPCを見るのはNG

 ・・・そりゃそうだ。こんなアドバイスを受けた昔の私はどうかしてた。

 周りの目があるところで考え事をするなら、別の姿勢で行うほうが良さそうです。

 足を組んで机から離れた姿勢をとるのも、暇に見えるようです。(当たり前)

 

〇本を読むなら片手で読め

 片手でペラペラめくっていれば、仕事の調べものをしていると思われる、というアドバイス

 さらに先輩からは「読んだ本はブログに書きアフィリエイト収入を得ること」と言われました。

 まだアフィリエイトが一般的でなかった時代ですよ。もしかしたら一角の人物だったのでは。

 

〇おやつは片手で食べられるものにしろ

 両手で食べる、例えばカップアイスを食べていると暇そうに見える。

 どうせなら片手で食べられるパピコにしておけ、というアドバイス

 

いかがでしょうか。実践的で役に立つ内容なのではないでしょうか。

そんなアドバイスをされるレベルの私は一体どんな存在だったのかも気になりますが、昔のことですし、別にいいでしょう。

 

さて、次に説明したいのは、私が経験したなかで編み出した、暇だと思われない対策です。

 

〇暇にしている訳ではない。元々そういう顔をしているのだ

 これは上司から「暇そうだね」と言われたときのリアクションです。

 多様性の時代ですから。暇そうな顔をしている人が職場に居ることも認めなければなりません。

 これが通用するかどうかは相手次第ではあるのですが、通用すれば、そのあとで「暇そうだね」と言われる頻度は激減します。

 少なくとも「え、はい、えへへ」と言って余計な仕事を申し付けられるぐらいなら、一度試してみる価値があるのでは。

 あとは最近は皆マスクをしていますからね、暇そうな顔と言われにくいのではないでしょうか。

 

〇本当は暇ではないのではないか?

 暇だなーと思いながら過ごしていても、実は記憶の底に沈めたヤバい案件があるのではなかったか。

 過去のメールを見返してみたら、あれ、これやったけ・・・

 

色々と不安になってきたので、今回はこの辺で。

コロナ禍で思い出す10代の憂鬱

年代記なんで書いておかなければならないと思いつつ、書いて2週間も寝かしていると状況が変わってしまうんですよね。

そうするとなんだか気分も変わってしまってね、書くことが変わるような気がして文章が進まない、という。

しかしこれ、キリがないですからね、一旦書き終えるしかないと決意した訳です。

 

これまでのコロナ禍の暮らしぶりを思い出すと、3月末から5月末までの1周目、6月から7月中旬までのモラトリアム期、7月中旬から8月末の今までの2周目、という感じの移り変わりを感じています。

1周目は自分の中では思考停止期でした。コロナ禍による影響に呆然としていたんだろうと今では思います。

ありがたいことに仕事は予定が狂ったものの生活に困るほどのインパクトはなく、リモートワークができる環境なので4月は3日、5月は1日しか出勤しなくて済む状況。

暇に過ごした3か月のしっぺ返しはそのうち来ると思いつつも「6月から毎日出社なの?マジで?」と笑っていたのですが、その実、思考の7割は停止していたんじゃないかと今では思います。

この時期の状況にプラスの意味を見出すとすれば、子供との関係でしょうか。

朝から晩まで一緒に居て、朝食から夕食まで用意していました。

こちらも仕事はしていますが、宿題を見たりたまに運動をしたり、小さないざこざはあるものの、相対的に円満に過ごしていたと言っていいでしょう。

どうせ将来、子供らは覚えていないでしょうけど、まとまった時間一緒に居られたのは良かったかな、と思うのです。育休を取っていないので、確実に一番一緒にいる時期だったと思います。

一緒にいる時間が長くて良かった、と言うよりも、長い時間一緒にいても破綻する関係性でなくて良かった、という感じでしょうか。

 

そしてモラトリアム期に入る訳です。

コロナ的にはモラトリアム期なんですが、仕事的にはぼちぼち再開し始めた頃ですよね。

この仕事再開に伴って、1周目に考えないようにしていた大きな問題に気づかされることになる訳です。

未だかつてない程に、心が折れちゃったんです。

 

大きなイベントをね、やる予定だったんです。

ただこのコロナ禍ですよ。中止すりゃあいいのに延期ですよ。

それでも大義名分上は大事なイベントだし、延期でやることも余計に増えたんで、ぼんやりしても居られないはずなんですけどね。

 

仕事を再開してみて確信したんですが、さっぱりね、やる気にならないんですよ。

元々世の中的にあまり好かれていないイベントでしてね、更に自分の仕事にも組織にも納得がいっていない状況でしてね、唯一の救いは今年の夏で終わることだったんですよ。

そこに今回のコロナで延期ですよ。

 

仕事に納得がいかないなら、少しでも納得できる仕事の割合を増やしていくとか、色々とやり方はあった記憶があるんですけどね、やる気にならんのです。

全て無駄なことにしか思えんのです。

無駄な仕事をして雪玉状に無駄を増やすぐらいなら、上司に叱られてでも何もしないほうを選んでしまうのが現状ですよ。

この調子だと悪い評定が付くことすらありえるかもわからんね。

 

そして現在の2周目に至る訳です。

相変わらず仕事の状況は最悪、それ以外はまずまず、という状況です。

仕事は金のため、やりたいことよりこなせること、というスタンスでサラリーマンをやってきた認識だったんですけどね、「誰かのためになる」と思えない仕事がこれほどまでに苦痛だったとは。

そういうところに自己肯定感があったことは自分でも驚きの発見ですよ。

 

10代を思い出すような、怠惰にまとわりついた憂鬱を今更感じさせてもらえるとは、という感慨もあるにはあるんですけどね。

 

あの頃に比べると、今は相当恵まれている気がするんですけど。

なんでこんな気分なんだろうか、というね。

摂取にあたり注意が必要な物質

「アルコールに適量なし」一昨年あたりからそんな話が出ています。

 

この手の話題には付き物の「専門家が反論」といった段階を経て、徐々に事実として認定されつつある状況でしょうか。

また5年ぐらいたってからの評価はさておき、今このグレーな状況下で感じることを書いていきたいと思います。

 

まず思うのは、ようやくアルコールと和解できたのに・・・という悲しさです。

私は昔からお酒が好きだったわけじゃないんです。

20歳になってから10年以上、家にアルコール飲料が一切ないぐらいでしたし。

それが、ようやくウイスキーに出会って、味の違いやらボトルの希少性やらでオタク心を掴まれ、

それじゃあ日本酒の色々な銘柄も評価して行こう・・・そう考えていた矢先ですよ。

アルコールは少量でも害しかないってマジか。

昔離れた友人と再び友情を温めたら、ネットワークビジネス始めてたような気分ですよ。

ガンプラに何か有害物質が含まれているとか言われたような気分というか。

(もちろん含まれていませんが)

 

次に感じるのは、寂寥感に似たものですね。

アルコールも10年後にはニコチンと同じ扱いを受けているんだろうか、と。

小さな子なんかに、「アルコール含有飲料(とか呼ばれるんでしょう)がそこら中のコンビニで買えた上に、公園で飲めた時代があるってホント?」

とか聞かれるんですよね。今のたばこみたいに。

大昔はヒロポンが新聞広告に載っていたように、歴史は繰り返すのでしょうか。

 

アルコールが一切ダメならコーヒーにでも凝ってみようか、とか考えないでもないのですが、

「カフェイン飲料がそこら中のコンビニで買えた上に、職場で飲めた時代が・・・」

という小さな子の声が聞こえてきてしまうんですよ。

ダメだ。

じゃあいっそソフトドリンクまで敷居をさげt

 

「糖分過多飲料がそこら中の自動販売機で売られていたなんて・・・」

やっぱりダメだ。

水!水なら良いだろ!

「令和2年当時の基準では、フッ素の含有量へのリスクが考慮されておらず・・・」

・・・。

 

あと、それが無くても、純粋に水に凝るのは無理そう。

 

現場からは以上です。