ビンボーシニア、シンプル生活を目指す。

50代後半。高度成長期に生まれ、あふれる物に囲まれ、ここまで来ました。しかし間違っていた!これからは方針転換です。

老後のへそくり

最近の遺品整理事情についての番組を見ました。

理由はさまざまなんだろうけれど、処分をすべて業者にお任せする例も多いらしいですね。


子供にとっては老親の残したガラクタ(のようなモノたち)には何の思い入れもないようで。
とにかく、丸ごと処分してくださいと。


確かにわが身に置き換えてみても、老いた親の周りにはガラクタにしか見えないモノばかり。

一方、自分の周りのモノは、まだまだ輝きを失っていないように感じてしまう!
家族としての思い出の品々、子供たちが幼かった頃の懐かしい記憶をとどめた品々。
まだまだ手元に置いておきたいものばかり。


うーん。ここはひとつ客観的な判断が必要なんでしょうね。
身を切られるような思いですが。

我が子たちにとって、私の身の回りにある「輝かしいモノたち」は一体どう目に写るのか。
たぶんガラクタです!

そう考えると、子供たちに、大変な思いをさせて片付けさせてはいけないし、業者に丸投げでも多額の費用かかかるわけで、どちらにせよ申し訳ない。


やはり自分のことは自分で、が基本だと思います。
子育てのときに、散々子供たちに言ってきたのだから、それを実践しないとね。親として。

父の手帳たち

80半ばの父がいます。
日常生活はなんとか自分で送れているので、特に父の部屋を片付けたり不用なものを処分したり、ということはしてこなかったのですが。

この一週間、その父が風邪をこじらせ、掃除もままならない部屋がほこりぽくなってしまったので、ちょっとモノを右から左へ動かしてみたところ。

出てきた出てきた、古い、しかし未使用の手帳。
一番古いものは1999年もの。全部で10数冊。
20世紀です!

父に、これ要らないよね?と聞くと、「いやまだ使ってないからとっておいて」

でも日付も古いよ、今年の一冊あればいいんじゃない?と思うんだけど、うーん。意図しているところは全くもつて不明。謎。

まあいいか。
宝物はひとそれぞれだったりするから。

モノ買ってないなあ

今のところ、冬のバーゲンの誘惑には勝っています。
昨日は久しぶりにデパートに足を踏み入れましたが、あまりの商品の多さにめまいがし、そそくさと立ち去りました。 
百貨店なんだからモノがあふれているのは当たり前なんですが、自分にとってはもはや別世界。

何かいいものないかなあ、と以前の私ならブラブラ眺め、可愛いなあ、これがあれば楽しいかも、なんて妄想ふくらませて買い物していたに違いない。

でも欲しいものもないのです。
今のところ、ですが。

昨年末から、家のなかのモノを見つめ直しています。

ずっと長いこと同じ場所にモノが居座っていると、そこにあることが当たり前の風景になってしまう。
でも、ちょっとそこで語りかけています。

どうしてこの子は(モノです)ここにいるんだっけ?

改めて見直すと、結構新鮮な気分を味わえます。

置場所を変えてみたり、処分に踏み切ったり。

そうすると、新しいモノはまだ要らないかなあ、という気分になってくるのが不思議です。

自分をシンプルに

今日は図書館で、矢尾こと葉さんの「自分を浄化する方法」という本を借りてきました。

矢尾さんは気功カウンセラーというお仕事をされている方なのですが、この本をたまたま手に取るまでは失礼ながら存じ上げなかったのです。 スミマセン、矢尾さん!

まず、「はじめに」の文の一節に惹き付けられました。

……いらないものを出してしまうと、これまで滞っていたエネルギーが流れ出します。……

心をクリアにする!わああ、これは今の私にとても必要なのでは!

ムダ買い多かった今までの生活を見直し、質素な暮らしへのシフトダウン、それには新しいエネルギーが要る。
シフトダウンといってもネガティブにならず、明るくポジティブなものにしたい。

そう、私のシンプル生活実現には精神的エネルギーも大切なのです。
一歩間違えると、ビンボーシニアになっちゃうから!

今夜はこの本をじっくり読んでみようと思います。

物欲は持たない。モノを持たない。

ああ、きついお言葉です、下流老人。
最初にこの言葉を耳にしたとき、まさに自分のことだと確信いたしました。

あと数年で私も夫も定年、収入は激減します。
退職金はおそらくないでしょう。

家といえば、賃貸です。家賃が必要。
子供は独立しましたが、老いた父がいます。
いつ介護が必要になるかもしれない。

少し前まではお先真っ暗のこの老後を考えると、恐ろしくて恐ろしくて、気分も落ち込みがちでした。

今の生活はどうしようかと。

でも昨年の秋の、固形石鹸ひとつで私の心が変化していったのです。
というと、まるで危ないカルト宗教みたいですが!


少しずつ、少しずつなんですが、あれ?物なんてそれほど多く持たなくてもすむんじゃないか?と思い始め、生活全般を見直し始めているところです。

そもそも、若い頃からブランドものや流行りものには興味がなく、「シンプルイズベスト!」などと公言していた私ですが、実のところ、結構浪費家、無駄なもの買い大好き。

まあ根が横着人間なので、服装や持ち物はたいていいつも同じようなものに落ち着いてはいたのですが←あれこれ考えたくないため、それでも持ち物は少ないほうではなかったなあ。

つまり、芯のあるシンプル生活ではなく、横着系シンプルだったのかもしれません。

話がそれました!

で、今頃気づいたわけですが、所有しているものを減らしに減らし、執着心をもたず、欲をもたず、他人と比べることをしなかったら、老後なんて何も恐れることはないじゃないですか!

って、これ、修業が必要そうですけれどね。

日々これ修業。。。

日本経済には貢献しない。

思えば、無意識のうちにいろいろな無駄をしてきたのだと思います。

たとえば化粧品。
まだ使いきっていないのに、新しいファンデーションが発売されたからと購入。
美白(この言葉には弱い)の美容液が新しく出たからと、まだ残っている美容液を無視して購入。
そんなことばかり繰り返し、使いかけであふれる化粧台。

文房具にしてもそう。
ロフトなどの文具売り場のなんと魅惑的なことか。
新しい機能を持ったボールペン。可愛い付箋。
高いものでもないので、つい買ってしまう。

本当に必要でもなく、本当に欲しいものでもないのに、「これを手にいれれば楽しい暮らし、今より素敵な暮らしが待っている」的な呪文を吐き出している商品たち。

気付いてみれば、お風呂では石鹸ひとつあれば足りるし、キッチンでもそう。

掃除にしても、セスキや重曹クエン酸があれば足りるらしい。

はあー、今までのドラッグストア陳列棚徘徊暮らしはなんだったのでしょう。

遅ればせながら、我が身と我が生活をできるだけシンプルに、かつ日本経済に貢献しない方向で、今年から少しずつ歩いていこうと思っています。

メーカーに踊らされていた自分。

固形石鹸生活が始まり、ほぼ二ヶ月。
石鹸も三種類目に突入しております。
今では、キッチンでも固形石鹸です。 スポンジに石鹸をこすりつけ、泡立て、キュキュと洗います。

まああまりにベタベタなものは合成洗剤使っちゃいますが。

クレンザーも買わなくなりました。
重曹です。
ネットで重曹効果を調べ、試したところ。
これがまたすごい。鍋なんて、ぴかぴかになります。 グラスも。


今まで、ドラッグストアに行けば、どの食器洗剤がいいかなあ、どの香りがいいかなあ、シャンブーは?洗顔ソープは? なんて、迷いに迷って購入していたものですが、今じゃ素通り。

メーカーは、あの手この手で、消費者に購入させようと躍起になっておられるんだなあ、と冷めた目付きです。

今頃気づくなんて。

大量生産、大量消費、大量廃棄。

そんな生活がいつまでも続くわけないのです。
地球も。自分も。