最近調子が良い。
社会人になって6年目の私です。皆さんこんにちは。
社会人6年目の私ですが、この社会人生活のうちの95%ほどのほとんど毎日起きた瞬間から「帰りたい」という感情しか浮かばない、そんな社会になじめない系キッズな日々を送ってきました。会社に行ってすらいないベッドに横たわっている状態からすでに帰りたいんです。それほどまでに会社へ行きたくなさに支配された日々を送っていたのです。もうわけがわかりません。
ところが6年目にして、やっと、徐々に、会社に行く前から「おうち帰りたい」状態になってしまうほどにバグった精神状態から解放され、無心で満員電車に詰め込まれて死んだ魚の眼をしながら外を眺められるだけの普通のサラリーマンくらいには成長できてきたのではないかと思っています。
このブログに1週間のうちに2回も記事を投稿するというのも、まさにその成長のスパイラルによる良い副作用の一つだと思います。投稿できたというだけで嬉しく感じるものですしね。継続、大事。球数も大事。文章を書くということも改善していきたいですね。
しかし最近、調子がいいとか言いながらも、ふと、いろいろなことを思い出して、自分でもどの辺がポイントなのか分からないけど、涙がにじむことがありますね。なんか、これやばいんじゃないかなとも思うんですけど、やはり、涙がにじむことがあります。
それは、過去の失敗だったり、早々に逝ってしまったあの子とか、わりとファンだった格闘家が亡くなったとか、自己嫌悪とか、なんかいろんなものが重なって訳のわからない感情となって涙として具現化されているように感じます。
こうやって、どうでも良い思考を駄文として垂れ流して、これが一体何になるのか。
なんて、センチメンタルに浸る20代最後の夏。平成最後の夏。いや、もう夏も終わったのか…。
堕落的な休日
休日は本当に堕落的な1日を過ごしてしまいがちです。こんちには。またこのブログの存在をふと思い出した私です。
私事ですが、先日飼っていた子猫が生後3ヶ月半ほどで早々に逝きまして、じいちゃんもばあちゃんも4人とも健在という恵まれた家庭事情の私としては、これまでにあまり経験したことのなかった感情を心に深く刻み込む事となりました。
「あまり」というのは、昨年12月くらいに、17歳だった実家の愛犬が天寿を全うして眠りにつくこととなったため、「死」に直面したことはあったものの、彼女はよく生きてくれたので、「早すぎる死」に直面するというのはもはや初めての体験だったわけです。
あの子は、何度か入退院を繰り返していたので、最悪の事態を想像したことはあったものの、それが現実になるなどとは考えていませんでした。まあそんなこと深く考えてもね、辛くなるだけですし、その時できることをしっかりやろうという所存でした。
あの子は、ペットショップから迎え入れた子だったのですが、妻はそのペットショップに不信感を抱いたようでした。私としては、あの子と出会わせてくれたペットショップには感謝していますし、むしろ、救ってくれなかった動物病院に不信感を抱くのが筋なのではと思ったのですが。まあそれも、不信感を抱くとして、どちらかといえば、という話ですが。
私自身は、動物病院に対しても、あの子の入院中毎日通う私たちに一生懸命いろいろなことを説明してもらって、感謝しています。ただ気になるのは、「検査結果も悪くなく、退院しても大丈夫だ」という判断を受け、家に連れ帰った翌日に逝ってしまったことです。それ、油断したんじゃないのと。私自身も、振り返れば、連れ帰った翌朝会社に向かう前、少し元気がないなとは思ったものの、妻も私もそのまま家を出てしまったわけで、あの時また病院へ連れて行っていれば、もしかしたらまだあの子は元気だったのかもしれません。そんなことを考えて、未だに涙が滲んだりするのです。
そしてさらに気になるのが、その「大丈夫」という判断が果たして妥当なものだったのか、あの子の死というフィードバックを受けてそれを検証しているのだろうかということ。もしかしたら、院内でいろいろと研究してくれているのかもしれないのですが、果たしてどうなのか一度尋ねてみたい。結局、我が家で逝ってしまったので、数日後病院へ連れて行った際も、明確に死因は分からないという判断だったんですよね。その時聞きゃよかったんですが…。
我が家には他にも猫ちゃんがいるので、病院に行く機会はあるのですが、しかし、今更聞きづらくもあるよね…。
あの子が天国で、元気に、はしゃいでくれていたらいいなあ…。
いつかまた会いたいなあ…。
自分がいずれ死んだら、会いに行こうと思います。
そして今日、妻が検査キットを片手に私を叩き起こしてきたのですが、「陽性」の印が出ておりました。産婦人科にまだ行っていないので、確定ではないですが、つい早とちりしてワクワクしてしまいます。新しい家族を迎える準備を進めたいと思います。無事に生まれてくることを祈るばかり。妻へのサポートも頑張ります。
仕事をこなすのに必要なエネルギー
私です。今日はですます調で書いていきます。
自分のブログの存在すら忘れかけていた今日この頃、下記の記事を見たことによってブログを書こうと思い立ち、この自分のブログの存在を知った(思い出した)次第です。
自分が密かに人生の「チート技」だと思ってる5つのこと | jMatsuzaki
仕事上、2017年度(特に後半)はあまりにも長く、ヘビー過ぎました。
具体的にどんな仕事かって話は置いといて、長く暗いトンネルを抜けるためにちょこっと考えたんですよね、「仕事をこなすために必要なエネルギー」について。まだトンネル抜け切れてないんですが。
せっかく考えたし、今後の自分のためにも記録に残したいなと思っていたので。
仕事をこなすのに必要なエネルギー量
仕事をこなすにはエネルギーが必要です。エネルギーが必要なほど、難易度が高いと言えるでしょう。そして、仕事をこなすのに必要なエネルギー量を決める要素は以下になるかと思います。
- 必要な業務知識
- 必要なコミュニケーションコスト
- 必要なリソース(お金・人材・ツール)
- 時間的制約
ポジションやその時の業務内容によって、3の具体的な中身は変わるかなあと思います。(ここは深掘りが必要)
4の時間的制約は、1の業務知識があることで変わるだろうし、2のコミュニケーションコストを払うことで余裕を持たせたり、逆にミスるとやたらと短期だったりするかもしれません。
あなたの中にあるエネルギー
さて、仕事をこなすには、必要なエネルギー量以上のエネルギーをあなたが持っている必要があります。あなたが持つエネルギー、それは以下の3つの要素にまとめられると考えます。
- 健康さ
- 目標
- スキル
これらは下から1、2、3の順でピラミッド構造になっていて、下の要素が大きいほど上にも大きな要素を乗せることができます。
逆に、下の要素がないとその上に他の要素は乗っかれません。
例えば、いくらスキルがあっても、不健康過ぎて死にかけていたらそりゃ仕事できないですよね、という話です。
各要素をそれぞれ深掘りして見ていきましょう。
1.健康さ
健康第一。これが無いと仕事はできません。健康であるほど上に乗っけられる要素も増えるので、ガンガン健康になるべきですね。食事、睡眠、運動を適度に行うことが大事です。(言うは易し…)
そしてこの健康というのは、以下の二つが互いを支え合って成り立っています。
- 精神力
- 体力
どちらかが欠ければ健康は成り立たないのです。
そしてこれらは、日々の業務で削られますので、きっちり休息を取って回復させてあげてください。
ホワイトカラーの職に就いている人は、精神力の方が重要なファクターでしょう。息切れする程体力を使う仕事なんて基本的には無いですよね。睡眠不足による体力消耗はあるかもしれませんが、今時常時そのような状態のブラックな職場は流行りません。
また、精神力の削られ方は人それぞれあり、性格・考え方・相性・スキルといったところが関係しています。自分にあった環境で仕事をすることで、できる限り削られないようにするのが理想ですね。
2.目標
目標が無いと、仕事もくそもありません。
「何のために命を削ってこの仕事しなきゃならないの?」ってなっちゃいますよね。人は生まれた瞬間から、時が経てば経つほど死に近づいていきますから、つまり「時間をかける=命を削る」だと考えます。
このあたりの話で最近良いなあと思ったのがこちらの記事でした。他にもいろいろと素晴らしいことが書かれています。
生命を燃やすことと失うことの違いと思考の関係と、二元論への終止符 – 高橋祥子 – Medium
会社は社員に対してビジョンを示し、適切な目標設定を行い、適切な報酬を支払う必要があります。この辺りの方法論はいずれ深掘りしたいですね。
3.スキル
スキルは以下3つから成り立っていると考えます。
- 才能
- 業務知識
- コミュニケーション能力
この3つもピラミッド構造になっており、才能をベースに業務知識とコミュニケーション能力が並列で乗っかっているイメージです。
才能があればあるほど、上に乗せられる要素も増えます。
ただし、乗せるには別途「努力」という要素も関わってきます。
「才能」という土台の上に、「努力」のエネルギーを使って「業務知識」、「コミュニケーション能力」を運んでくるイメージです。
また、スキルはいわば武器のようなもので、目標を達成するのにももちろん必要ですし、健康が削られるのを防ぐ役割もあります。
目標、スキルについてはこちらの記事が参考になりました。
何も成し遂げられないと思っている人へ。やり抜く力を伸ばす本【 GRIT(グリット)】を読みました。 - meycoのUX&UIデザイン技術メモ
ふぅ・・・。とりあえず今日はここまで。ですます調も終わり終わり。
1、2、3はそれぞれまだまだ深掘りの余地がある。
これらの要素を適切にサポートできるような体制が必要。
社会全体でも考えていくべきことだし、仕事をこなすのに必要なエネルギーを効率的に増やしていける(またはむやみに減らさない)サポートができたらいいなあ、そんな仕事がしたいなあ、なんて思うわけです。
意図を読む
エンジニアとして頑張っていくにはもっと深い部分の仕様も理解していく必要があるなと感じる今日この頃。
エンジニアに限らないが、すごい人は皆、好奇心、探究心、義務感、使命感とか、いずれかを必ず一定以上の水準で持ち合わせていると思う。
そういう人たちと競争していなかなければならない以上、覚悟を持って取り組むしかないんだなあと思ったね。
シンタックスとセマンティクスって、単にプログラミング上の文法と意図ってだけじゃなく、規則・意図、行動・意図って読み替えられるね。誰かを見て学ぶには、意図まで把握し理解し、必要であれば再現できるところまでしっかり吸収する必要があるな。
大変だと思うが、あらためて覚悟しなければならないと思う今日この頃。今までのやり方だと勝てないということがわかったので、さて、次に進みましょう。これからですな。
シンタックス=文法
セマンティクス=意図
protectedメソッドにすることで「どこからでも呼び出して欲しいわけじゃない」というセマンティクスを持たせることができる。
今日もまた駄文。
名言ってすばらしい。こういう心持ちでいこう。
他人と比較して、
他人が自分より優れていたとしても、
それは恥ではない。
しかし、去年の自分より
今年の自分が優れていないのは
立派な恥だ。
- ジョン・ラボック -
(英国の銀行家、政治家、生物学者、考古学者 / 1834~1913)
良い名言探したんだが
書いたことすら忘れていたひと月前のブログを読んでいかに自分が病んでいるかを痛烈に感じつつ、今今は少し上り調子になってきていることに安堵を覚えております。
洋画を観るとすごく英語を勉強する気になって来る。
この記事もひと月後に読んだら忘れてんのとちゃうかな。しかし記録に残すと言うのは確かに大事だなと思う。前回記事読んで、「ああ、俺こんなこと考えてたんだな、うわあ」とか思うのって楽しいね。
ていうか文章中に「いや」って付けすぎでしょ、悩みすぎってことですね。
英語勉強しよっと。
アウトプット大事だからな。
前回記事への答えの一つとしては、インプットとアウトプットはセットですよってことやな。それ意識しようぜ。しかし難しいけどな、うん、モチベーション作るのが。
一度やり始めて、習慣化して、慣性の法則に任せるのがいいのでは。そこだけかなモチベーション。いや、誰かに応援してもらいたけどさ。
うわ、また「いや」って使ってるけどうわあ、癖だな。
月日が経つのは速いですね。
病み期と好調期の繰り返しなのかな。病み期の時は永久に病み期な気がするけど。実際長すぎる。
暗闇が長すぎて。みんなはどうなんだろうね。
暗闇が長すぎる。コツコツやっていこう。
止まりさえしなければ、どんなにゆっくりでも進めばよい。
って、孔子が言ってるっぽいし。いや、8文字くらいでまとめてくれ。
筋トレしよう。
おやすみ。
富士サファリパークに行きました。
チーターちゃんてくてく歩くね。
勃起してるシマウマちゃん、なんでやねん。
ぞうちゃんと富士ちゃん
ライオンちゃんたち、猫やね。
最近思うが、ボディーブローという言葉が好きや
言葉の響きが。
じわじわ効いてくる感じが。
じわじわ誰かの身を滅ぼす感じが。
サファリパーク楽しかったぜ。