還暦過ぎの750乗りだった年寄りの日記。

平成のおわりと、ほぼ時を同じくして定年を迎えました。愛機Z750Fourのこと、趣味のこと、日々の出来事や思い出話を徒然なるままに記していきます。

近々、復帰いたします。

唐突ですが、近々ブログを復活させます。

 

昨年冬、突然ブログを閉鎖したのも、今回復帰するのも

唐突。

 

年寄りの気まぐれとお笑いください。

 

でも、タイトルからわかるとおり、もう私は

オートバイ乗りではありません…

こんな気まぐれな、オートバイ乗りでもない老人のたわごとでよろしければ

またお付き合いいただければ幸いです。

昨日から今日にかけて、

なぜか、ずいぶん前の記事に

コメントがついているのです。

 

しかも悪意に満ち溢れたコメントが。

 

犯人はだいたい見当がつきます。

 

で、明日以降、読者登録してくださった方限定の公開に変更いたします。

 

悪しからずご了承いただきますよう、お願い申し上げます。

天才と言ったら失礼なのでしょう。

いやね、今「古畑任三郎」シリーズの「松本幸四郎」さんが出演されている

「すべて閣下の仕業」を観ていたんですけどね、

本当にすごいなあ、と思います。

故田村さんの演技も、松本幸四郎(現白鴎)さんの演技も

本当にすごい。

 

でも、一番すごいなあと思ったのは、この脚本を書いた

三谷幸喜さんです。

 

多分彼の作品を初めて観たのは「王様のレストラン」。

 

残念ながら見逃した「真田丸」など、

錚々たる作品が多い気がします。

 

で、件の「すべて閣下の…」を見ている途中で思ったのです。

「すげえなあ!天才っているんだなあ!!」と。

 

でも、ですね。

すぐに思い返したのです。

 

誰かの才能を「天才」と思うのは、

自分の努力が「天才」と称されるまで行っていない、努力が足りない人間の

逃げ言葉じゃないのか、と。

齢六十二、

大した努力もせず、優れた才能の持ち主に接した時、「天才」の一言で

片づけるのは端から自分の努力不足を認めたがらない、

腐れ外道のいいわけなんじゃないかなあ、と

今日はつくづく思いました。

 

 

 

なぜかわからないのですが、

昨12月4日、PCを起動したらユーチューブで、なぜかあの伝説の「かぐや姫」の三人が

歌っているシーンが流れていました。

 

彼らのファンだった私は当然のように入っていたのですが、

その中の、「神田川」だか「赤ちょうちん」の動画に寄せられた

コメントの中で両曲の作詞家だった「喜多條忠」さんが最近亡くなったことを

知ったのです。

 

ショックでした。

件の「かぐや姫」こそが、クラシック畑にいた私を畑の外へ引っ張り出してくれた

恩あるグループだったし、その彼らの曲を多く手掛けていた喜多條さんも、

ある意味、恩ある人だといえるでしょう。

 

年齢順に逝くのは自然なことだとは思います。

でも、自分が好きだったグループ、作詞家がいなくなるというのは

とてもつらいものがあります。

 

もはやメンバーの一人を失って再結成ができないグループは

数えきれないほどあります。

 

なくした、なくなったものはいつまでも美しい。

 

残念なのはその時以上の輝きは二度と得られない、ということです。

 

 

やるせない想いを胸に

友達は去りました

 

今日という日の来ることは(以下略)…

 

って、吉田拓郎さんの名曲ですが、ふと思ったのです。

「やるせない想いを胸に」していたのは、

 

友達か

自分か

 

この場合、「てにをは」から考えれば、

「やるせない想い」を胸にしていたのは「友達」でしょうけれど、

じゃあ翻って「私」は

やるせなくなかったのか?

 

これから数十年の、終点の見えた人生で、答えが出せたらいいなあ…

 

そんなことを思った、やるせない冬の入り口の今日でした。

ナナハンへの道(弐 限定解除のこと)

こりずに焼き直しでございます。

 

さて前回、限定解除試験を『あの「悪魔の試験」』といいました。

私の住んでいた横浜の西のはずれの町では二俣川試験場で受験をするのですが、

二俣川で合格したら一目置かれる」ほどという噂が流れるほど、

そこは難しいという噂。合格率6%という噂。

試験官は基本的に落とす不合格にする)というスタンスで試験を実施しているという噂。

直線での加速が遅いと

そんな運転なら中型に乗ってな。」と言われ不合格になったという噂。

などが、まことしやかに流れていました。

一方、平均10回で合格する人が多い、という噂、また、

拙稿「ピースサインのこと4」で書いたように、2回で合格した

ツワモノが眼前にいることなど、いろいろな噂と現実がごちゃ混ぜになり、

わけわからん!状態でした。

 

この二俣川試験場に十五ヶ月通い、二十三回目で限定解除を果たした

中年男性(といっても、今の私から見れば若造だけどね)の話が

一冊の単行本になっているのです。

仲倉重郎さん、というその方は本業映画監督、脚本家。

1941年生まれ。

1978年6月、37歳にして突如オートバイに目覚める。

1980年12月、挑戦23回の末、見事ナナハンライダーの栄光を手にする。

(以上裏表紙の記載をほぼ転記しました) 

 

中にはこんな根性のある人もいらっしゃいます。

私が限定解除した前後に発売された本で、元はミスターバイク(BGではない)誌上の

連載だったようです(「ミスターバイク」は毎月買っていたくせに記憶がない…)。

アマゾンでも楽天でももう、取り扱いがないかもしれません。

 

お暇でしたら、仲倉重郎著、『風の中心はいつもアウトバーン』(ブックマン社)

で検索をかけてみてください。

 

大型免許云々は置いといても、一つの物語として、一人の人間の生きた証として

大変面白い読み物です。

 

すみません。横道にそれました。

 

横道にそれついでにもういっちょ。

この本に出てくる二俣川試験場の試験車両、SUZUKI GT750は、

私が生まれて初めて乗った750。

上記の本の著者が限定解除に合格した試験車両、SUZUKI GSX750Eは、

奇しくも私が限定解除に合格した車両。

 

 

すみません。ブログっていうより、ただの脳みその中身の虫干しに

なってしまいました。

 

おやすみなさい