KAGEROUについて

『KAGEROU』

Amazonの酷評を見て
これはただごとではないなと思った。

ただ、この記事を書く前に言っておかなきゃいけないことは、
わたしは『KAGEROU』を読んでいないし、
今後も読むつもりがない。

その作品の善し悪しを判断することで、
この騒動と関わりたくないから。

ただ私が感じたのは、
同じように本作りに携わる人間として、
こういう注目の浴び方は、ツライだろうなということ。
真剣に作品をつくっているのであればね。
本をこんなふうにさらし者にするのは嫌だったんじゃないかなと思う。

一冊本を作るのってものすごく、
エネルギーのいることだと私は思っている。
私のいる会社でも毎日のように、編集者が口にしてる。

つくったものは、自分の分身なんだ。
傲慢だと言われるかもしれないけど。
担当した本が批判されるのは、自分を批判されること。
担当した本が褒められれば、自分を評価されたことに等しい。
心のどっかにそんな気持ちがある。



だけど、
そうじゃない、本作りもあるんだろうか。



出来レースだとさんざん言われた大賞受賞のあと、
ポプラ社と仕事を一緒にした人からいろんな話を聞いた。

悪く言う人もいたけど、
なかには、真剣に本を作っている出版社だと言う人もいた。
だから信じたいと、出版を心待ちにしている人もいた。

何が本当かはわからないけど、
この騒動で、本の作り手に対する信用が下がるのは必然だと
残念な気持ちでいる。

本という今となっては特殊なメディアについて
正しい情報を得ようと、
自分でもう一度考えて、実際に見て検証してくれる読者が
いったいどれだけいるだろう。

すべては大声の中にかき消されて終わる。




でも、たくましいのは。

こんな騒動に見向きもせず、
今夜も徹夜して、
著者と膝をつき合わせ、
これからも粛々と本を作り続けていく人がたくさんいるということ。

読者にひとひらの感動を与えるために。

真剣になって。