伝統的な教会と若者の多い教会について考えてみた。
※画像はイメージです。
そもそもこのブログを書こうと思ったきっかけというのは、先日私が現在通っている某バプテスト教会で学びの時間というのがありまして、その時にうちの教会にいる20代前半の子が、こんな感想を言っていたからなんですね。
「この教会に何も不満はないけれど、でも同年代の若い子が少なくて寂しい思いもしていて、もっと若者の多い教会に行ったほうがいいのかどうしようかと考えたこともあったけど、やっぱりこの教会に行き続けるのが一番いいと思いました」
これを聞いて、私は強い衝撃を受けたとともに、その決断に心の中で拍手喝采ものでした。
なぜなら、10年ほど前の、まだ20代前半の頃の私も、先ほどの彼女とほとんど同じようなことを思っていたからです。当時の私が通っていたのは、バプテスト教会ではなく地元の日本キリスト教団でしたが。まあ若者が少ないとか、教会の伝統度で言えば似たようなものでしょう。
決定的に違うのは、その時の私は、日本キリスト教団を離れ、もっと若者の多い教会に通うようになったということです。今となっては、それが明らかに大失敗だったと言えるのですが。。。
ともあれ、ここで今の教会に通い続けようと考えた彼女の決断の正しさは、私の10年分の失敗を通してみれば火を見るよりも明らかなことですし、若いうちにそのような決断ができるということに敬意を覚える次第です。
具体的に何がどう失敗だったのか、問題点については、一度に書ききれないほどありますので、今後少しずつまとめて書いていく予定ですが、ここでハッキリと言えるのは、教会の美点とは、一つの神を信じていく、すなわち信仰によって、幅広い年代の人が一致して繋がっていくことであり、そこから得られるものが大きいという点にあると思うのですね。
ところが困ったことに、若者ばっかりの教会というのは、私の知る限りおしなべてその辺が見事なまでに抜け落ちているんですよね。で、行き着く先は「若者」ではなく「バカ者」が暴走する教会、というね。。。
そのあたりのことも、これから少しずつまとめていければと思います。
前書き
本ブログは、アラフォーに差し掛かったクリスチャン男性の、これまでの信仰を振り返って書き出してみるブログです。
とかくクリスチャンの信仰とは、悩みのつきないものだなあと、ここ3ー4年の間、常々思わされています。
特に昨年あたりは、悩みをこじらせた挙句、円形脱毛症になってしまい、余計に落ち込んでしまったこともあります。
どこぞの発毛専門サロンみたいに、
「悩み無用」
とまではいかないのが信仰ではありますが、そうはいっても、本来ならば悩まなくてもよいはずの悩みというのもあるものです。
何かのきっかけでこのブログに目を通していただいた方が、そういったものにぶち当たることのないよう、また万が一ぶち当たってしまったとしても、そこからの脱出への助けとなればという思いで、少しずつ書いてみることにしました。
なお、「ゆんたく」とは、沖縄方言で「おしゃべり」という意味です。書くペースは、それぐらいゆるくいきます。
よろしくお願いいたします。