壁と扉

今まで人生、DMTというものをなめてた

今回とてつもない自分にとっての壁にぶつかり、これを壊すのは普通の状態では無理と感じ、思い切って飛び込んだ。

正直メンタルのセッティングは最悪だったと思う。

 

昼11:30〜

チャクルーナ60gを半分にわけて摂取。

ハルマラも直接食べたが、これがかなりキツい。乾燥したツブツブをしっかり咀嚼して飲み込むことは容易ではなかった。

すでにこの時点で吐きそうだった、苦いし。

チャクルーナ自体はゼラチンでのプロテインステムを行なっていたので渋みは比較的弱まっている。

しかし独特な生臭さが残るため、なかなか飲みにくい。

だがサボテンよりはマシ。サボテンに関してはまた別の機会にレポートしようと思う。

あと究極に泥酔している時のアルコールよりもマシ。

自分自身アルコールに非常弱い為、飲み会の度に苦しい経験をしていた為、ナチュラル系摂取は比較的苦ではない。

前回チャクルーナ50gやった時、トリップ中に吐き気が来て我慢できず吐いてしまった。

また、ハルマラもチャクルーナと同時に煮込んだので、しっかりハルマラが効果を発揮せず不完全燃焼で終わった。

吐いたと同時にトリップは終わり、ただの閉眼幻覚を味わっただけだった。

これがdmtなのか?と思い込んでいた。

事実、この閉眼幻覚は他のものでは味わえないものである。

 

自分の知識としてdmtはこれ以上の効果があると確信していたので、今回改めて時間を設けることにした。

 

実際のトリップについてだが、とにかく恐怖でしかなかった。

漠然とした恐怖が自分を襲う。逃げたくても逃げられない、幻覚の中が現実だと思い込んでいた。ひたすら体を丸めて震えるしかなかった。dmtのトリップを現実に持ってくるのは難しい。その時感じた感覚はあるのだが、漠然とした恐怖としか覚えていられない。

その時は死ぬほど怖かったのだが・・・。

ただ表現するならば、暗闇で赤や紫の毒々しい色の中だった。これが自分の意識の中だった。

頭はふらふらするし心の中の黒い渦巻きが大きくなっていてもたってもいられない、パニック状態になる。

必死に落ち着こうと深呼吸をするのだが、呼吸すらままならないレベル。

一呼吸してパニック、また一呼吸してパニックを起こす。

 

身体の変化というと、体温調節はできず

  

 

 

 

 

 

ここからは忘れた

書きたくない

 

 

何回目でしょうか

人に裏切られると思っていた以上に、ポーカーフェイスになるようだ。

相手をどう傷付けてやろうか、どうめちゃくちゃにしてやろうか、ただそれしか考えられなかった。

苛立ち、怒り、悲しみ、そういった感情はただ相手を傷付けたいという方向に向いた。


いつになっても自分の過去に負い目を感じる。そうして生きていくしかないのだろう。


十二月

平凡中の平凡、能力もないくせに他人を見下す。大した努力もせず歳ばかりとり、結局何も残らずその日暮らしの毎日。

死にたいとさえ思うことなく毎日何も考えず"ただ"生きている。そのような人間がこの世にどれくらいいるだろうか。

生きるということはごく当たり前のことであり誰もがこの世に生を泳がせている。


最近、自分の生について深く考えることが減った。結局死ぬことは出来ずにこれからも文句垂れながら生きていくことになるんだろう。大して悔やむこともなく、ただ現状を受け入れながら生き続けるしかないのだ。

半ば諦めと言ってもいいかもしれない。仕方ない、仕方ない。


何も考えず葛藤することもなく生きていたら身体はストレスを感じていたようだ。頭が追いついてきていない。


まともな文章かと思いきや内容は支離滅裂、今の自分のようだ。

否、まともにも見えていないのかもしれない。ただただボーッといるだけなのかもしれない。

昔のように活力は湧かないしもう、なんでもいいや、なんても思う。

一生こんななのかな。人生はぐるぐる同じことの繰り返しなのかな。

誰も信じられないし信じたくもなくなってきた。そういう選択をしている自分は、自分で自分の首を絞めている。

惨めだ。

九月

九月となった。
二ヶ月前の自分を見ると酷く、裏切られた感覚に陥っていたらしい。ところが今は人を裏切ってしまった自己嫌悪で溺れそうになっている。
人間とは理論上だけでは動けないもので、感情という非常に厄介なものが付いてくる。
自分はそれを餌にして自分が楽しめる方、暇が潰せる方そして楽できる方を選択していたのだ。
餌を振りかざしていざ本人が噛み付かれた時何も出来なくなってしまう。

選択権を与える側は常にその選択権すらを自分のものとし、選択する側は一つしか選択出来ない状態としてあげることが出来る人間でないと上手くいかないようだ。
選ぶ道はたくさんあるように見えて実は一本道しかない、コントロール出来る人間であることが望ましい。
さらに付け足すなら道はなんとあれ、関所が一つであれば構わないのだ。

自分の書きたいことがまとまらない。それくらい今の自分の心は混乱している。
何をするにも行動力が必要だと深く感じた。

トンネルの中

信用する側のものすごい根気が必要なのである。一度裏切られたものを修復するにはとてつもない時間を要する。二歩進んでは一歩下がり、いつになるかわからない真っ暗の中模索しながら進まなければならない。二歩進んでは、と言ったがそもそも進んでいるのかすらも分からない。


ある時突然の光が見えた。
そこには溶岩が垂れ流れていた。火傷を負った。涙を流す。そしてまた暗闇に戻る。

また光が見えた。
電気をつけた部屋が覗けた。こちらは覗くだけ、鍵は厳重にかかっている。
こちらからは何も出来ない。ただただ久々の光を心に感じ涙を流すことしか出来ない。この涙はなんなのか。

答えのないものを探すこと程果てしなく苦しいものはない。狂ってしまいそうだ。

一度狂った時計の針は誰かが戻してあげなければならない。時計自身が戻すことは無理だろう。

主観のみ

人間というのは非常に自分勝手だと思う。
自分が良ければ全て良し、それは悪いことではない。しかし他人のことも考えてあげている、分かってあげているフリをするのはよせ。もううんざりなんだ。
どんないい格好したところで結局見られていなければ手を抜くし、どんなに誓いを掲げたところでそれは脆く崩れるのだ。デカイこと言ったところで達成できるのは極僅か、自分の行動パターン、感情をコントロール出来るようになるだなんで到底出来ることではない。
もううんざりなんだそういうのは。
人間の一番卑しいものは自己承認欲求だと思っている。認められたいという思いだけが先行し、矛先を見失う。なんて惨めなんだ。
誰かと繋がりたい共有したい、結構なことではあるが発言を間違えれば自分を安売りすることになる。

と、ここまでつらつらと語ってはいるが結局自分にも承認欲求があるから死にきれていないのだろう。最後の最後にも自分を残そうとしているのだから。惨めなもんだ。
自分の小ささに気付けず完璧を求めた結果、自分と他人との矛盾を解消出来ずにただぐだぐだと御託を深夜に並べている。
惨め極まりない。

ブログとして

自分に関わる人間全てが薄っぺらく見えるし自分も然り。物事の本質は他人には分からないし自分にも分からない。ただ事実だけは自分のみが知っている。
今日から自分の思ったことを書き上げてみようと思う。これは謂わば遺書のようなものであり、衝動的に死にたくなっても死ねるようにしておきたい。自殺で死んでしまった場合、携帯の中身はチェックされるのだろう。そういう意味でも自分が死んだ時誰に見られても良いようにしようと思う。

衝動的に死にたくなった時咎めるものはやはり現世に未練があるからである。自分にとっての未練はただ一つ、言いたいことが言えなかったことだ。負の感情を抱いたところでそれを表に出す人は少ないだろう。口に出すなんてなおさら難しい。全て重なって自分のHATEとなる。それがまた一回り、二回りと大きくなっていく。小さなものではあるが自分が死んだ時理由が誰にも伝わらないのは我儘ではあるかもしれないが悔しいし悲しい。

そういう吐き出し口としてこのブログを書いていこうと思う。