こんにちは!
初めましての方は初めまして!お馴染みの方はお久しぶりです!あひるです。
20歳、大学生、スノ担、いわラウ担です。
この春、私はマレーシアに短期の留学に行ってきました。かなりの私事ですが、きっかけがSnowManなので、ここに書き記そうと思います。
きっかけ
生まれてこの方、国外に出たことすらなかった私。ついでに言うと親元を離れて生活したこともありません。親抜きで旅行に行ったりしたのも2回くらい。そんなフットワーク激重の私が留学に行きたい!と突如思ったのは、2023年1月に、パリでのラウールさんの活躍を目の当たりにしたから。
ジバンシイのランウェイに向かう途中、予告なく行われたインスタライブをリアルタイムで見て、車を降りたラウールさんが歓声とフラッシュを浴びる姿に衝撃を受けて、衝動的に「海外に行ってみたい!」と思ったのがきっかけでした。
歓声も、街の様子も何もかもが私の知らない質感をしていて、頭を殴られたような衝撃を受けて、見てからしばらく身体に力が入らなくて。当時クソブラックな飲食のバイトを辞めるのに難航して心をすり減らしていた私にとってその景色はあまりにも眩く美しく感じられました。あの時の気持ちを今も鮮明に覚えています。
生まれてから今日まで、私とだいたい同じだけの時間しか与えられていない人が、こんなにすごいことをしている。それがあまりにも眩しくて、希望だった。そういえば、私は自分のことって自分で決めて良いんだった……って、高校生のあれもこれもやりたいことがあった時期にコロナで様々なことを制限されたこともあり狭くなっていた視野の、外側の靄が一気に晴れたような気持ちになりました。
そこからはもう、猪突猛進。普段は自分の行動に様々保険をかけがちで、石橋を叩いてみて壊れないかどうかしばらく見張ってからじゃないと渡れないような私が「海外、行く‼️どう行くかはこれから考える‼️」って感じでした。
ラウールさんの活躍を追いつつ、期末のテストに備えて勉強しつつ、留学パンフレットを血眼で読み漁る日々。
さして夢もやりたいこともなく、だからとりあえず勉強しておこう……で生きて来た私が、こんなに強い意志を持てるんだなぁと我ながら驚いてさえいました。
留学前準備 上半期編
その気持ちを両親に伝えました。父親は元から「大学のうちに海外に行っておけ」「子供を海外に連れて行く機会がなかったことだけが心残り」と言っていたので、伝えた時点で「やっとか!」という感じ笑
母も心配はしていたけれど概ね賛成。そこからは、英会話に通い始め、勉強をし、大学側と留学相談をしたり、外部エージェント使うか考えたり、バイトでお金を貯めたりしつつ上半期を過ごしました。
詳しいことは省きますが、私は色々考えた結果、予算的にも手頃で休学の必要がなく、専攻の講義や研究にも影響がない、長期休暇中の短期留学プログラムを選びました。
留学前準備 下半期編
ここで問題発生。夏休みが明けて早々にインフルエンザにかかり、喉の痛みでご飯が食べられなくなり、その期間に服用した薬の副作用で胃を痛めました。
これが本当に辛かった。1週間くらい個体が食べられなくて、その後もしばらくおかゆとはんぺんで様子を見るような生活。おやつはハイハインで、卵ボーロに昇格するまで2週間くらいかかりました。そんなこんなで1ヶ月くらいまともにご飯が食べられず、数キロ痩せました。辛かった……
その時期がちょうど留学の申し込みの期間だったので、めちゃくちゃ迷いました。向こうで体調崩したらどうしよう、今まともに大学もバイトも行けてないのに留学とか言ってる場合?日本の食べ物もろくに食べられないのに私の胃袋エスニックに耐えられる?などなど。
結局申し込み締め切りギリギリまで迷って「な、なんとかなれ〜ッ‼️」で申し込みました。
そこからは、休んでいたバイト(またしてもやべえ職場だった)をなんとか辞め、体調を頑張って治す努力をしつつ、レポート書いたりTOEIC受けたり成人式出て地元にケリつけたりテストシバいたりしました。怒涛!
年明けにはラウールさんがまたパリに行ってた&英語めっちゃ喋ってたのでモチベもぶち上がり。胃は治りきっていませんでしたが、俺はやるぜ俺はやるぜになってました。
渡航先のことを調べたりTOEICの勉強から実用向けの英語の勉強に切り替えたりスーツケース買ったり……
直前準備
これ笑うところなんですが、留学の詳細が説明されたのが出発の十日前のガイダンスだったんですよね。
宿泊先が告げられたのもその日で、てっきり留学先の大学の寮に泊まるもんだと思ってたのに蓋開けたらめっちゃ綺麗なホテルでした(紙なしトイレ、カーテンなしシャワー、トコジラミ等の虫etcと戦う覚悟ガン決めてたのに)
私は心配性なのでこのガイダンスよりも先に自分で色々調べて物を買い集めていたんですが、そのガイダンスを聞いていらなくなったものとかも結構ありました笑 逆に、この日初めて水着がいることを知らされたり……
主な装備
スーツケースはアメリカンツーリスターのものにしました。鍵付き。身長が低いのであまり大きくないもの(80L拡張機能付き)にしましたが、もうちょい大きめのにすれば良かったなと思いました。最悪なくなってもどうにかなるもの(主に消耗品と衣服)のみ入れて、ロスバゲ対策で廉価版エアタグを入れておきました。これ、現地で空港着いた時に入国審査に超時間かかって、我々が荷物取りに行く頃にはとっくに運ばれていて、聞いてた場所とは全然違う場所に野晒しにされてたので探し出すのに超役に立ちました!おすすめです!
飛行機から緊急脱出することになった時のために貴重品身につけておきたいなと思い、セキュリティポーチを買いました。パスポートと財布をここに入れて服の下に装着。空港と飛行機内でのみ使いました。
現地では主にショルダーバッグを使っていました。ファスナーで閉めた上に蓋みたいなのがぺろんと覆い被さるタイプのもので、内側にファスナー付きのポケットがついているものにしました。そのポケットに、カードと大きめの現金を入れた財布を入れてチェーンでファスナーと繋ぎ、同じポケットにパスポートも入れていました。このポケットはあんまり開け閉めしたくないので、現地ではカード決済はスマホに登録したカードでタッチ決済、現金は細かくなったものを小銭入れみたいなのに入れて別で持ち運んで使うようにしていました。またバッグのファスナーにはセリアで買ったジッパーロックをつけました。
その他、通学にはリュックを使っていました。こちらもジッパーロック付き。機内持ち込みの荷物を入れるのにも使いました。また、私は体格的にエコノミーでも余裕を持って座れるので、足元にはファスナー付きのエゴバッグを置いてそこに潤い系のグッズや薬の類を入れていました。
また、バッグの数だけ鍵を持っていきました。治安良かったし、パソコンやiPadは部屋の金庫に入れて、貴重品はショルダーバッグに入れて持ち運んでいたのであまり使う場面はありませんでした。
スマホはストラップつけて首から下げてポケットに入れて持ち歩いてました!
留学スタート!
1週間くらいかけてパッキングした荷物を抱え、飛行機で8時間かけてマレーシアに到着。もちろん国際線に乗ったのも空港でパスポート出したのも初めてです。フライト中Wi-Fiが不具合で使えないし端末に入ってる映画はマレー語の字幕しかないしめちゃくちゃ身構えたのに入国審査緩いしで開始早々ウケてましたね。審査の係員が「ちょい待ち、トイレ行ってくるわ」って感じでどっかいってしばらく放置されたのにも驚きました。ターミナル間の移動のバスは席ないし。
このあたりでもう空気感の違いに楽しくなってしまい、初日から英語で道とか聞きまくってました。そしてクアラルンプールの発展具合がすごい!ビルでかいしマンションでかいし電光掲示板でかいしツインタワーめっちゃ綺麗。バスから眺めて大興奮でした。とはいえ気疲れはするのでホテルに到着する頃にはヘトヘトで、夕飯として支給されたマックのハンバーガーに感動しました。(この時はめちゃくちゃ疲れていたので美味しさに感動したが、後日食べたらマックはなんか味が薄くて美味しくなかった……)
以降、現地で印象に残った出来事厳選
①噴水ショーを見ていたらフィリピンの方と仲良くなる
クアラルンプールのツインタワーの下の広場には噴水があって、ショーをやっていたタイミングでたまたま通りがかったので見ていたら、近くにいた方が歌い出す。そして「ヘイ!あなたたちどこから来たの?ニホン!コンニチワ!!」という感じでめっちゃフレンドリーに話しかけてくれて、その場で仲良くなってインスタ交換しました。
②フルーツジュースがうまい
そもそもフルーツが安くてうまいのですが、留学中よく歩いて行ってたコインランドリーの近くにジュースの屋台みたいなのがありまして、そこのジュースがほんっとうに美味しかった!!その場で氷とジュースをミキサーにかけて作ってくれるんですが本当においしい。3回行きました。変わった味だとスターフルーツやアボカドのジュースも飲みました。
③コーヒー豆を取り寄せる
学内イベントみたいなもので試飲したコーヒーがあまりにも美味しくて、どうしても持って帰りたかったので、主催の学生団体にインスタから凸って問い合わせて、最終的にコーヒー豆をその団体会員の方がホテルまで送り届けてくれることになる……ということがありました。いま、日本で試行錯誤しながら飲んでいます。
④夜市が楽しい
有名な屋台街のアロー通りや、フードトラックが集まるエリアなどでよくご飯を食べました。日本にあんまりない感じの雰囲気で楽しかった〜!!
⑤外国人留学生と仲良くなる
話が盛り上がって2時ごろまでDMでやり取りをしたり、テレビ電話をしたりしました。向こうがアニメが好きで呪術や鬼滅の話をしたり、お互いの国の文化について話したり。終盤では一緒にラーメンを食べに行ったりホテルの部屋で部屋飲みしたりしました。
⑥屋内遊園地が楽しかった!
日本円にして2000円程度でほぼ貸切で楽しめる屋内遊園地があり、友達と4人でアトラクションぶん回しました。めっちゃ楽しかったー!
⑦先生の誕生日を祝う
インスタで他の先生や留学生がドカドカ先生の誕生日を祝っていたので、うちの担任の先生今日誕生日だって!と気づいてみんなで昼休みにお菓子買ってお祝いしました。
⑧クラスメイトがガチのお坊ちゃんだった
うちのレストランに招待するよ!と言っていただき、ついて行ったところマジで親戚の経営されてるチェーン店だとかでたくさんご馳走してもらった。お店に入るや否や厨房に入って行って冷蔵庫開けて「何飲む?」だし、店員さんみんな彼のこと知ってるしでほんとに面白かった。住んでる世界が違いすぎる。
その他いろんなもの食べていろんな所に行っていろんな人と話して昼のプールにも夜のプールにも行って買い物もしてと満喫しました。一方で、浴衣着て大学行ってチヤホヤされた後、エアコンガン当たりで風邪引いて、病院行ったら「コロナの検査終わるまで入ってくんな」って蒸し暑い廊下に締め出された後飲んだら死にそうな色してる薬もらったりもしました。
マレーシアでの生活について
結論から言うと、身構えたよりずっとずっと生活しやすかったです!
渡航前は治安と衛生面に不安を持っていましたが、ある程度気をつけてはいたこともありスリにもひったくりにも遭わず、クアラルンプール近郊においては衛生面でも特に困りませんでした。紙がないと聞いていたトイレも、確かに紙がなかったりびしょ濡れだったりもしたけど問題なく使えました。正直匂いは通っていた高校(公立)のトイレの方がきつかったです笑
水道の水は飲めないんですが、シャワーが多少口に入ったり、歯磨きやうがいに使う分には体調崩したりしませんでした。ペットボトルの水も安く手に入るので、あんまり困りませんでした。
この辺は私が図太いからって言うのもあるので個人差あると思います。屋台は虫を払いながら料理してたりしたし、潔癖症の人は無理かも。
懸念していた食生活も案外問題なく、胃の調子も日本にいた時よりよかったです。なんで?笑
ただ、辛い食べ物が多く、それを甘い飲み物で中和している感じの組み合わせが多いので、辛いものが苦手な人は食べられるものが限られてくる&慣れない店に入ると博打になるなあと思いました。私は胃袋さえもてば辛いもの平気どころかむしろ好きなのでめっちゃ相性良かったです。甘いものも好きだし。
ラクサとパンミーが特に好きで、日本でも食べたくて今お店を探しているところです。
その他だとやっぱりフルーツ!マンゴースイカは言わずもがな、メロンのハニーデュウ、パパイヤ、ドラゴンフルーツ、ランブータン、マンゴスチン、ロンガンなどなど。トライした上でなんだこれ!となった味のものもありましたがそれも含めていい経験です。皆さんにも試してほしい(ドリアンはやめておきました)
多少困ったのは、外食中心の生活で、周囲には麺料理やご飯料理、肉料理の店が多く、野菜が不足しがちになりました。日系のスーパーにサラダの量り売りを見つけるまでは日本から持ち込んだ青汁を飲んでました。その他サプリやアミノバイタルも持っていっていたのが功を奏し現地では元気でしたが、帰国後の生理中に酷い貧血で失神しかけたのでやっぱり偏っていたんだなと思います。
あと安心だったのは、日本の店がたくさんあったことです。ニトリ、ISETAN、無印良品、ダイソー、紀伊国屋書店、アインズトルペ、すしざんまい、やよい軒などなど。また、日本の店じゃなくても日本の商品が売っていたりしました。ドラックストアとかかなり日本の製品ありました。私は念には念をで日本から味噌汁とかわんさか持ち込んだんですが、現地に普通に売ってました笑
注意が必要なのは交通ですね。基本は信号がないし、あっても守らないので、手を挙げて渡ることを表明し、車を制して渡っていました。バイクはそれでもとまらないので、慣れるまでは超怖かったです。
ただこの辺りは海外どこもそんなもんだと思うので、やっぱりマレーシア、クアラルンプールは日本人からしたら過ごしやすい国だと思います。
暑そう、と思っていた気候も、正直8月の東京に比べたらずっとマシでした。日本の八月は8時あたりから暑さがしんどく、日が暮れてからもしばらくサウナのような蒸し暑さが残りますが、マレーシアの暑さは9時あたりから日が傾く6時あたりまで「うわ、太陽近っ」って感じの暑さで、日が暮れてきてからはスッと涼しくなる感じでした。
学んだこと
留学先の講義の内容はそこまで難しくなく、それで英語の技能が向上したかと言われたらそうでもないかな、というのが正直なところです。
ただ講義は全て英語だし、先生によっては訛っていたり早口だったりで講義を聞き取るだけでもかなり訓練になったなぁと思います。
2週目の週末と4週目の週末にテストがあって、スピーキングがガッツリプレゼンをするものだったのでそれが一番大きかったかなぁ。途中まで台本を暗記しようとしていたんですが、途中で「あれ?今の私なら自分の言葉で話せるのでは?」と思って暗記ではなく喋る形に切り替えたのは結構良かったと思ってます。
街に出ても英語を読むしかないし聞くしかないし話すしかないというのがやっぱり大きかったです。英語から逃げられない!そのおかげか滞在中、頭の中の取りやすい引き出しに日本語しかなかったところに、徐々に英語が侵食していったような感覚がありました。友人もだんだんルー大柴みたいになっていったし、私も「As you knowでさぁ」とか言ってました。反比例して日本語の言語化能力がガタ落ちしたのは焦りましたが………
そもそもとして、親元を離れて一ヶ月他人と共同生活をするというのも初めての経験で、学びが多かった。いい時も悪い時も大切な時間でした。いつか誰かと一緒に暮らす時が来ても、この経験がきっと礎となるだろうな、と思う一ヶ月でした。
また、この留学における1番の懸念は体力がもつかだったんですが、むしろ日本にいる時よりずっと元気に過ごせました。数年、自分の体調や体力を伺っていろんなことを我慢したり妥協したりしていたんですが「あれ?その気になればなんとかなるじゃん!」と自信もつきました。(なので今はバリバリバイトしてます)
加えて、体力がもったので、向こうでは気になったこと、やってみたいこと、迷ったら全部やってみることができました。なんでも食べたし色んなところに行った。もうちょっとハメ外しても良かったかなとは思うけど、
留学先にマレーシアをえらんだのもいい選択だったなぁと思いました。行く前は正直イスラム圏の国かぁとちょっとした警戒心があったのですが(自分の立場が禁忌にあたるので)、中華系、インド系、アラビア系など、さまざまな人種の人が共存していて、それぞれの宗教や文化に干渉せず尊重しあっている素敵な国でした。なんというか、すごく過ごしやすかった。
我々日本人に対しても、外国人・観光客として一定の距離を取られている感じはないわけじゃないけれど、「よそ者扱い」ではないというか。観光地から離れて地元の人しか行かなさそうな屋台やこぢんまりしたショッピングモールで買い物をしたりしても、みんな優しかった。欲しいものがあるんだけど〜と声をかけたら「なにそれ?ない」と言われたりとか、サテー売ってるにいちゃんがめちゃくちゃ無愛想だったりとかもしたけど、あるものは出してくれるし、サテーも売ってくれる。淡々とおまけをつけてくれる人もいる。
ゴミの捨て方がわからなくて困っていたら「置いときゃええねん」って感じで助けてくれる人がいたり、「どっから来たの?韓国?中国?」と聞かれて「日本〜」と答えると「ありがとう〜!」と言われたり、楽しげにワンピースのOPを歌い出す人がいたり。
日本のようにおもてなしの精神がすごくてサービスが手厚いのもありがたいけど、過剰に歓迎するでもないマレーシアの方々の距離の取り方が私は好きでした。高級店でも、お客さんがいない時は座ってスマホいじってる接客スタイルも好き!気楽!
また、日本がほぼ一つの人種で構成されてるのって、知識としては知ってたけど特殊なんだな〜と思い知りました。クラスのサウジの子には「日本には他国にルーツがある人ってほとんどいないんでしょ?」「動画を見たことがあるけどみんな同じ顔をしてた」って言われた。
何より、日本の文化と宗教観について学んでいる身として、異文化にたくさん触れられたのが楽しかった!お互いの出身国についての話もしたし、お互いの国の文化について聞いて驚きあったり、似てるところが見つかったり。文化だけじゃなく国民性の話とか、恋愛観とか、いろんな人といろんな話をした。
クラスの外国人生徒のほとんどはムスリムで、友達になったのもムスリムだったんですが、「俺は豚は食べないけど酒は飲むし女の子とも遊ぶ✌️」みたいな子もいたり、留学の途中でラマダンに入ったのですが割とみんな「今年もこの季節がやってきたぜ、やってらんねぇ〜🖕」って感じだったり(本当にカメラに中指立ててるストーリーが上がってたりした)、じゃあ授業中飲み物とか見えるところで飲まないほうがいいかなとか思っていたら「俺らもう慣れてるから大丈夫」って言われたり。1ヶ月接しただけで理解できたとは思わないけど、彼らは生まれた時から生活にある宗教と共に生きてるだけというか、なんか、別に我々とそんなに変わらないんだなって感じがしました。「コーラン聞いてみる?熱心な信者じゃないけど落ち着きたい時に聞くんだよね」って動画送ってくれたりしたの、楽しかったなぁ。
一方で、「俺の母国、内戦が終わらんから帰れない😅家族も母国にいない😂」(顔文字原文ママ)って言ってる子や、生まれた時から親に決められた結婚相手がいて、その婚約を破棄するのに苦労したと言っている子もいたし、留学費用を自分で稼いで来ているような人もいて、ある程度ぼんやり生きていても他人に何か大きなことを決められたり住処を追われたりしない環境に生まれたことって、本当に恵まれているんだなぁと思いました。
これまでぼんやりと、想像の域を超えていなかった海外について、本当に世界は広くて、日本以外の国がたくさんあって、そこで私とは違う常識や価値観や習慣に基づいて生きている人が沢山いるんだということを思い知った感じがします。その他にも、行ってみなきゃわからなかっただろうなぁという気持ちがたくさん。毎日が忙しなくて、残念ながら全部は思い出せないけど、多分全ての気づきや経験がこれからの私を形作っていくだろうし、何かに向き合うたびに、「あの時の経験が今の私を成している」と気づいて、少しずつそれらを思い出していくだろうなと思っているので気長にその時を待とうと思っています。
とにかく本当に楽しかった。今まで、素敵な劇やコンサートを生で浴びた時以上に「今日まで生きてて良かったー‼️」って思ったことってそんなになかったんですが、海外で過ごす時間はそれを軽く凌駕したなと思っています。
あと真面目な話、マレーシアに行って帰ってきてからマジで全然死にたくない。何があっても、どれだけ自分の至らなさや無知に落ち込んでも「誰が死ぬもんかバーカ‼️俺はいつかロンドンに行く‼️」みたいな気持ちが根底にある。サラッと書いたけど、いつからかべっとりと私に張り付いて、ふとした時に襲いかかってきた希死念慮と距離を取れるようになったのは、本当に大きな変化だと思ってます。
なので!9月にはまたアジア圏に旅行に行く予定です✌️そのために今は一生懸命バイトしてます✌️いぇーい✌️
総括として、本当に行って良かった。今後も変化を恐れずいろんなことに挑戦していけたらなと思います。これは余談ですが、20歳終了までの期間で気合いで腹筋割るのが目標です。いぇい✌️