17話

福ちゃんは、こう言った。

「ずっとそうしなくちゃそうしなくちゃって思ってて。ていうか、そう思ってることにすら気がつかないほど、ごく当たり前に染み付いてたんだと思う」

「笑顔でいることが?」

私たちは松原真が脚本監督した映画を撮るために緑の家の裕三の部屋に集まっていて、自分がこれからどんな人間になりたいかという話をしていた。

さすがだ。凄まじく本質的かつ非生産的な会話である。27歳ですよ!

 

福ちゃんは宙見つめると、少し目を閉じた。

 

自分に失望したんだよね。私ってずっと笑顔で楽しそうにしてなくちゃって、笑えなくなって初めて気づいて。笑おうとしても無理で、なんでなんでって何回も。

 

「その時、福は初めて自分と向き合ったんだよね」しんさんはそういうと、福ちゃんの肩をそっと抱いた。

窓の外で、鳥が鳴いた。真はカメラを回し続けた。

16話

彼女の名は福ちゃんといった。

命名規則上は暗い顔して外を歩けない。

考えてみるに名前というのは、産まれてすぐに与えられる他者からの贈り物であり呪いである。

何と言っても解ける呪いというところが最も嫌らしい。

 

彼女はその"笑顔でいなければならない"呪いに囚われていることに明示的に気が付いてしまった。

ある春のことだ。

そして著しく体調を崩して、新卒で入社した会社をしくじってしまった。

鬱による退職。

そして、数ヶ月の休息ののちリハビリ程度に始めたアルバイト先で日本社会の隘路であるしんさんに出会ったのだ。

1-9

水井近子は、最終的には、布原銀行の頭取に納まった。

 

水井の父は地方銀行の課長どまりではあったが、子供3人を私立幼稚園に入れ、市街地ではあるが3階建ての2世帯住宅を建造し妻の両親を引き取るなど大した甲斐性の持ち主だった。それにも関わらず、水井は心底から父親を軽蔑していた。

水井が空想の中で思い浮かべるのは欧州の代替続くような富豪一家のイメージであった。城を保有し、世界中にある別荘を季節ごと渡り歩き、テニス、乗馬、スキーに興じ、パーティーに次ぐパーティ。好きなことだけを好きなだけして、過ごす日々。

その他大勢のサラリーマン同様、水井の父は毎朝判で押したように6時半に家を出て、帰ってくるのは22時過ぎだった。休みの日にはスーパーに買い物に行き、運動はからきしで、休暇に家族を連れて遠出といっては趣味の城巡りに駆り出すだけだった。

水井は高校を卒業し、一浪するとそれほど偏差値の高くない東京の女子大に入学を決めた。そして引っ越してから二度故郷に戻ることはなかった。

 

「あなたが宗教家さん?それとも鍼灸師さん?」水井は青いエルメスのハンドバッグを施術用のベッドに放り投げると、パンプスを脱いで、そこに横たわった。「解してよ」

布原は、妻以外の女性を知らない。

「ぼ、僕は、あの話を、はな、はあ、」意味不明の言葉を発したのちに、ミニスカートから覗く足に目を奪われて言葉がでなくなった。

 

長く続く夫婦についてニーチェはこのように言っている。

「どちらも相手を通して、自分個人の目標を何か達成しようとするような夫婦関係はうまくいく。例えば妻が夫によって有名になろうとし、夫が妻を通して愛されようとするような場合である。」

 

水井は、布原をあっという間に篭絡した。のちの悪の両輪が出会った瞬間だった。

1-8

右手の人差し指を口の前にあて、左手をゆっくりと老婆の額あてる。こうするとさらに良く心の声が聞こえることに布原は気が付いていた。
「お孫さんかな、そう」意味深に語り、言葉を少なくする。
目に涙を浮かべて老婆は言った。「布原さん、いや、布原様、私はもうどうしたらよいか」そしてこうべを垂れて布原の膝に突っ伏すと嗚咽の声を漏らす。

人の悩みというのは、だれかに話した時点で8割がた解決したも同然である。布原は殺到する相談者との実地体験からそのことを言語化することもなく知った。要するにとにかく聞いてあげればよいのである。そのうえで、必要とあれば相談者がどの方向に本当は行きたいのかを示してあげるだけでよい。

超能力と呼んでも差し支えない力――――読心術――――が備わっている布原のアドバンテージは、この方向性を相手の言葉を聞かずとも知ることができるところである。

「孫がぐれてしまって手が付けられない。家の金を盗む。自分の娘である母親を殴る。飼っている猫を虐待する。夜中に轟音のバイクの集団が庭先に集結する エトセトラエトセトラ」

オーケー。そら深い悩みだわ。

「人は多かれ少なかれ、悩みを抱えているものだよ。これはあたしら宗教家からしてみるとビジネスの種でね。もっというとお金の芽で、これをどこまで大きくできるかが手腕に見せどころなんだね」
種々の罪で逮捕された後、ある週刊誌の取材で布原はこう宣った。
「多くの都内の精神科の看板下げてる医者が単なる薬屋に堕しているわけじゃないですか。でも彼らはいっぺんに患者の財を強奪することはできない。あたしらにはそれができるんだ」

さて、ここからが布原の本領発揮である。
老婆の肩に静かに手を置いた。そしてゆっくりとその手に力を籠める。
顔を上げた老婆が見たのは泣きぬれた布原だった。
「つらかったでしょう、中川さん」かすれた声でそういいながら、肩に置いた手をさするように動かす。目をそらさずに頷きを繰り返す。感極まって中川と呼ばれた老婆は声を上げて泣きだした。布原はいつでも泣くことができたのである。しかも何度でも何度でも。
「布原様、布原様」老婆の咆哮にも似た絶叫が鍼灸院の片隅から窓を揺らしている。

人を変えることは難しい。
布原は知っていた。
このケースだと、孫を変えることは全くの不可能ではないものの、非常に手間もかかるし、面倒くさい。
ではどうしたらよいかというと、傾聴し、共感し、老婆の全幅の信頼を得た後に、老婆のほうの心持をかえるのである。
無軌道な孫を持ったことは大変な不幸だが、それはあなたにとっての試練であり、修行の場である。
神信じ、祈ることで、その「苦しみ」から解放される、と信じ込ませることができれば、その者は、布原の言葉を借りれば、『財布』になる。お布施をすることが、すなわち苦しみを軽減する方法だと教えるからだという。

中川という老婆は、涙でぐちゃぐちゃになったハンカチを握りしめながら感謝の言葉を重ねると、診療所の扉を開いた。そして何一つ問題が解決したわけではない家に帰るのである。

外には同じように救いを求める人々が列をなしていた。
布原は机の下においてある冷蔵庫から500mlのコーラペットボトルを取り出すと喉を鳴らして飲み干した。そして、成人したゴリラの屁のようなゲップを一つすると、次のかたどうぞ、といった。カーテンをくぐって表れたのは、ロングヘア―の妙齢の女性。背がすらりと高く、前髪を眉毛の上で揃えと遠くを見ているような涼しい視線が彼女の知性を湛えていた。のちに布原の第二婦人と呼ばれる水井近子であった。

1-7

布原は時子と結ばれると、大学進学をあっさりあきらめた。
「なんかね、どーでもよくなってしまったんだわ。というのもね、大学ってのはさ、特定の会社に入るための資格センターみたいなもんじゃない?頭の良しあしでまず篩って、偏差値の高い人は上場企業、そうでもない人は中小企業って感じでね。なんだってそんなことになっているかというと、無駄なコストをかけないようにするためなんだよね。社会コストを減らそうよ、と。あんな面接程度でどんな人間かなんてわからないだからさ。
んで、俺みたいに二浪も三浪もしている時点で、すでに死ぬほど無駄って話だよ。
仮に受かったとしてもさ、それってその大学に現役で受かっている子たちと同じ能力といえる?
無理無理。
その辺のからくりに気が付いちゃって。それでまあうまいこと卒業して新入社員って顔して入っても、『あれ、布原さん、干支おかしくないっすか』とか同期に言われる羽目になるのも見えてたしね。俺はそういうの耐えられないんだよ」

時子は、それはそれは大した醜女であったが、布原は時子に夢中になった。
時子が初めての女で、また時子にとっても布原は最初の男だった。
二人は人間に備わっている神秘の機能に酔いしれた。
昼夜通して同衾するといったことも月に一度や二度でなく、半年もせずに時子は子を授かった。
二人は正式に結婚することにして、静岡県沼津市へ移り住んだ。
時子の父方の親せきが同じように鍼灸院をしているので、それを手伝わないかといわれ、一も二もなく飛びついたのだ。さらに言うと、ただの浪人生上がりの布原に、選択肢などといったものはなかった。

最初は受付や掃除などといった雑用から始めた鍼灸院仕事だったが、父方の親せきは子がないこともあり、布原をかわいがってくれた。家を借りる際には敷金を援助してくれ、鍼灸師の資格の学校の資金まで援助を申し出てくれた。
学校に行きながら鍼灸院でバイトする生活が始めり、春には子が生まれる。
布原は毎日夢中で、技術を磨き、試験の勉強に励んだ。
落第なんてしている暇はなかった。
とはいえ、資格のない身である。
できることといえば掃除、受付、データ整理くらいしかないのだが、布原はそこで自分に備わっている特異な才能に気が付く。ちょっとした待ち時間に患者と話していると、相手の考えていることが手に取るようにわかるのだった。

腰が痛い、腕が上がらない、といってきていた患者が、腕はいいから話を聞いてくれと布原目当てで通ってくるようになった。

15話

かつてケルベルロスは言った、地獄の入り口には道標がない、と。
俺たちはそうとは知らずにいつの間にやら地獄に迷い込んでいたけれど、そこが地獄の入り口だとは誰一人気がついていなかった。
これは考えようによってはとても面白いことで、地獄にいること気がつかなかった俺たちにとってそこ、地獄は、少なくとも地獄ではなくなってしまうのだ。
つまりそれはエジソンのいうところの、真空の中の空気であり、アリストテレスでいうところの、無自覚な葡萄酒に他ならない。
そして言わずもがな、地獄のほうは最初からはっきりとそこが地獄であることを伝えているのだから、地獄側に罪はない。

俺たちは、浅学にして傍若無人だったので、地獄の中でも最もやっかいな場所に迷い込んでいることに、文字通り、微塵も気がつかなかった。誰の警告にも耳を傾けず、その緑の家という名の坂道をひたすら転がり落ちていた。

一番最初に抜け出した真は、生来の健全さでそのいかがわしさ、うさんくささ、トイレの汚さを感じ取った。それはそれだ。

ただ、単にそれだけでは済ませられない事情が発生するのはそれから10年後だ。

14話

家族を捨ててから数年後、大ちゃんは2種免許をとって介護タクシーなる商売を始めた。Facebookでその情報をみた俺はあきれてしまった。自分の家族も救えないやつが、人の世話だって?悪い冗談かよ。

数日後、たまたま真と洋平を会う機会があったのでそのことを伝えると真がいった。「介護タクシーええやんか。がんばってるな、大ちゃん」ポジティブな話題のように語る真をみて、言いようのない怒りが突然溢れてきた。
「別に誰が何の商売をしようが勝手だけども、自分の家族の面倒を見ないやつが、他人の介護するって発想が俺にはわからんがね」
真は明らかに鼻白み、
「なんでそんなこというねん。友達やんか。俺は大ちゃんがどんなことをしてても応援すんで。お前らかてそうや」と自信たっぷりに返す。

ワンピースをこよなく愛するこの男の価値観は少年ジャンプの世界から抜け出ていない。
友情、努力、勝利―――――そんなおとぎ話みたいな白飯をどんなおかずで食べるのだろうか。やはり愛は世界を救うとか、戦争がなくなればみな幸せとか、そういう無化調無添加ジョンレノン料理なのだろうか。

今思えば、前後の事情を全く知らない真がそう反応したのは仕方のないことだったのかもしれない。
ただ、他人の意見に不可解なことがあれば、その理由を問うの最初に行うべきアクションである。それが親しい仲間であれば猶更で、見解の相違が、「価値観の違い」から生まれたのか、はたまた「倫理観が違い」から生まれたのか、を確認しないで事を進めると、それは思いもよらぬところへ着地する。

「がんばってる人くさすようなまねやめろや。それにな、家族のことは家族にしかわからへん」真は煙草を取り出すと吸い付ける。
俺も止まらない。
「それはどんな家族にも事情はあるだろうけど、家族の面倒を放擲して宗教狂いに走るのは、お前的にはありなの?」
真は一瞬天を仰いだが、すぐにこういった。「きっと俺らにはようわからん事情があるかもわからんやんか」
「家族を捨てて、結局それ?って話だよ」
「そういう話なんか、これ?」
「まあまあ、無事に生きてるってわかってよかったよ」洋平は毒にも薬にもならない言葉で締めようとする。
この話は結局収まるところがなかったが、俺は真の考えというものがわからなくなっていた。
大枠では、人を認め、人を愛しているようなことを言うが、この男は何も見ていない。

どんなことをしてても応援する?
がんばってる人をくさすな?
家族のことは家族にしかわからない?

思考停止したい人の言葉のオンパレードじゃないか。

俺は・そういう言葉が・大っ嫌い・だ。

もちろん大ちゃんだって霞を食って生きてはいられないだろう。だが、彼は銀のスプーンを売るほど持っている男で、いざとなっていない。背水に立っていないものが、愛とか平和とか自由とかそういう寝言をほざくのが俺には耐えられないし、ほざくだけほざいて、自分の家族を犠牲にしているというのも、たいそう厄介な話じゃないか?