ムイシュキン中毒

社会人が会社やめて大学院に入ったら そして時々の旅行も忘れなかったら

ホテル選びを大切にしています

 

旅行って性格や価値観でるよね

安宿で、ホットシャワーなんて出ないから、泥水のシャワーを浴びて、それすら楽しい…

 

わけがない!

 

私が旅行で一番大切にしてるのは宿選び。

旅行は非日常で、朝寝て起きるのも非日常が味わえるところがいいんだ!

もちろん観光もお食事も楽しい!

しかし、寝て起きるも大切にしたい!

 

ってことで、一番好きなバリで今まで泊まったホテルをまとめてみる。

ちなみに全部おひとり様…

 

 

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スミニャックの グランマズホテル(Grandmas Plus Hotel

若干シーツが湿った感じ?がしたけど、海にも近いし、レストラン、売店も近くにあってよかった。

夜までビーチで海を見つめてみたり、朝から砂浜で波を見つめたり、詩人のような生活が堪能できること間違いなし!

 

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シドゥメンのサワインダー(Sawah Indah Villa)

とにかく環境が素晴らしい!絶景!田舎育ちの私も大満足の田舎。

ライスワインおいしい。

 

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キンタマーニのレイクビューホテル(Lakeview Ecolodge

ここはグレードアップしていい部屋を選んだけど、それが大正解!

雲が近い!夜は満天の星空。星を見て泣いたの初めて!

サービスとかは普通だけど、今までで一番満足したホテル

 

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スミニャックのホテル

名前は調べたけど分からず…。

スタッフはめっちゃいい人だけど、この風呂には謎の虫が出てくる。

そして玄関に潜むお犬様(ペット)がむっちゃ怖い。にゃんこもいるよ。

 

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ウブドのジュンジュンガン ウブド ホテルアンドスパ(Junjungan Ubud Hotel and Spa)

サービスもご飯も環境も最高

朝は本当に爽快。米を見ながら米を食う。

 

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 ウブドのグラハモディング ヴィラ(Graha Moding Villas)

静謐…。という言葉を思わず使う環境

夜は虫かヤモリの声しかしない。

本とビールに集中できる場所

 

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スラットのグレートマウンテンヴィラリゾート(Great Mountain Views Villa Resort)

アグン山が丸見え

そしてWi-Fiなんてとんでまへん。電子機器からの離脱もいい!

でっかい腕ほどのトカゲもお風呂場にいるエキサイティングスポット

 

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テガラランのプリスバツリゾート(Puri Sebatu Resort)

スタッフがむちゃくちゃ優しい

景色に癒ししかない

おされな風呂で泳げる

 

他にも2軒ほどあったけど、記録に残っておらず

どこももう一回泊まりたいとこばっか

 

無事修論を書いたら、もう一度バリへ行くぞ!

振り返ればの大学生活

大学を卒業して幾星霜

大学院に進学することになり、当時のことを振り返ってみた

はたしてあの4年間はなんだったのかと

 

まず初めての一人暮らしで、非常に心細かった

「自分で決めたことなんだから…」とドラマの主人公ばりの独り言を吐き、

おセンチになる

 

初めてのアルバイトでは何故か猫をかぶってしまい、

4年間働いたにも関わらず、ついぞ打ち解けることなく終了

しかし金髪メッシュという瀕死の中二病を患っている私に優しくしてくれた

 

サークルはご自慢の天邪鬼で、飲み会に誘われても何故か行かず、

レアキャラが定着するほどに、さらに参加しづらくなる悪循環

そこではたと気づいた

わたしはばかになれない!

何をするにも俯瞰で見ている自分がいて、思い切りやれない

これは私の短所で、多分死ぬまで治らない

 

しかし、サークルで彼氏ができ、二人で授業をさぼり

堕落した人生に!

でも一人の時間がないと発狂しちゃうので、結婚無理かもと悟ったあの頃

 

そんな私に大きな転機が!

高校生のころからぼんやりと日本語教師になりたいなー

大学でもぼんやりと副専攻で勉強していたところにあるチャンスが転がり込んできた

 

ロシア語を第二外国語としてとっていて、交換留学生を募集していた

ロシア語選択は4人しかおらず、大きなチャンス

ロシアは大好きだったので、迷わず応募したよね

 

教授にいかにロシアに行きたいか、というパッション溢れる手紙を送りつけ、

3か月ロシアのモスクワに留学できることに相成った

 

行くまでは不安で眠れず、セントレアでは人知れず号泣

ロシアについてからも、言葉が通じず、何度も悔し涙がでたものです

私は日本ではこんな感じじゃないのに、

ロシアでは子供が言えるようなことも言えない…と何度も打ちひしがれた

 

でもクラスメイトやルームメイト、日本語クラスにみんなと出会えて

何とかアイデンティティを死守

 

ロシアでの大きな収穫の一つは一人旅で鍛えられたこと

夜行列車やバスに乗って、いろいろなところに行った

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それまでの友達がいなきゃ、なんか不安という気持ちから解放された気がしました

 

そしてもう一つの非常に大きな収穫は人生の目標となる教師に出会えたこと

ミハイル先生はロシア語の先生で、彼の授業はテキストなんか使わない

とにかく学習者に話させる

でもそれが苦痛じゃなく、もっと話したい!はやくミハイル先生の授業に行きたい!

と思わせる最高のおじいちゃんでした

 

ミハイル先生に出会ってから、本格的に日本語教師を目指すようになりました

 

大学では専門が文化人類学だったので、

東南アジアにフィールドワークに行きました

そこではハートと胃が鍛えられました

泥水のシャワー(意味があるのか)を浴びたり、

ばったばったと体調不良に倒れていく級友を見て「次は私だ!」と恐れおののいたり、

イケメンの現地学生にポヤンとしたり

あー有意義だったー

 

単位はギリギリで卒業

卒業前は留年という夢に何度もうなされたもんです

 

卒論は書きなぐって提出し、「だからなんだ?という卒論だったね」と先生に言われたけど、無事卒業

 

そして某国に日本語教師として旅立つわけです

 

授業面では自分をぶん殴りたくなるほど不真面目だったけど、

挫折を味わったり、人生が方向づけられたという面では意味ある4年間だったかな

 

と思いたい

 

自分で学費をためて、大学院に行くとなったら

授業サボるなんてあほの所業で信じらんないですけどね

 

 

 

 

 

 

 

 

 

覚書

今、かっこよく言うと人生の分岐点ってとこにいると思います。

ここらで自分を振り返っておこう!自分のために!

振り返ると3歳の幼稚園入園前から記憶があるけど、

はっきり自分の感情まで思い出せるのは、やっぱり小学校入学後から

 

小学校では「おもしろいね」って言われるために全力を注ぐ毎日

同い年の大人の対応で、毎日幸せに暮らしてたと思う

 

しかし、超おじいちゃん子だったためか、親戚に我が儘の烙印を押され

そこから反抗期に突入

 

高学年で、憧れだったミニバスに加入

しかし、人には向き不向きがあると悟り、半年ぐらいで辞める

 

両親が旅行好きなので、日本中に連れて行ってもらった

そのため、ずっと旅行関係の仕事につきたいと思っていた

 

中学で急に性格がキンキンにとんぎる

やけに周囲に攻撃的で、先生に「お前はなんでいつも怒った風なんだ」と言われる

 

吹奏楽部に入部し、楽しむ

やっぱり体育会系ではないよね!と悟る

 

思春期ならではの女友達とのトラブル多発

しかし深刻な事態はなく、大概が「好きなひとかぶった」とか「男子と話しすぎ」みたいなの

 

高校は体育の授業が厳しいと有名なところへ

ここで人生初の大きな壁にぶち当たる

 

最近朝井リョウとかクラス内のヒエラルキー扱った作品多いけど

その流れに乗っていうと、中学までは結構上部にいて、人生イージーヽ(^o^)丿

って感じだったんだけど、高校に入った途端、中の中に

 

クラスのボス(女)が、超強烈な子で

手当たり次第、いじめやからかいの対象にする子で、高校1年は怖くてひっそりと過ごす

 

吹奏楽部に入ったけど、全国レベルの部活で、寝ても覚めても部活、部活

毎日悔し涙の連続で、アンサンブルコンテストのころはしんどくて仕方がなかった

そして、部活辞める

 

周りの大人はいろいろ言ったけど、辞めてよかったと思う

というか、続けても、卒業するとき「続けてよかった」と思うだろうし

辞めても「やめてよかった」と思うだろう、と気づいたら

やりたい方を選ぼうと思った

 

高校2年では、クラスにボス不在で生ぬるいが、平和な生活を送る

生ぬるすぎて、話したことない同級生にメアド渡しに行く、という行動に出る

 

高校3年では、なぜか学級委員になる

ものすごいアシメヘアーにして、モテから遠のく

これぞ高校生!という生活を送る

 

進路を考えるとき、海外に住みたい

それって、大使館勤務と日本語教師しかなくね?

と考え、進路決定

 

今考えたらそれ以外もあるけどね

 

つぎは大学入学

はじめに

 

わたしは俗に言う“ゆとり世代”ってやつです。

この名称にも物申したい気持ちなんですが、それはまあ隅っこに置いときます。

 

そんな“ゆとり”だって頑張ってるよ!
と誰かにではなく、将来の自分に伝えるつもりでココにいろいろ書くことにしました。

日記とか文集って、あとで読むと、まあ恥ずかしいけど、自分の頑張りが客観視できるような気がします。

 

じゃあ、ノートにでも書いとけよ。ってなもんなんですが、

モチベーションや内省のためにも、こういった形で書くことにしました。

 

あと、そんなことないだろうけど、万が一、私の経験が役立つことがあれば…

という思いもあります。

凡人の経験ですが、万が一、いや、億が一…

 

じゃあ、てめえどんな経験してきたんだ。ということなんですが、

詳細は備忘録的に後日。

 

わたしは先ほどから何度も申し上げている通り、“ゆとり世代”です。

大学を卒業後、シンガポール日本語教師をしていました。

大学院で日本語教育について専門的な知識を身に付けたいと思い、思い切って会社を辞めて本帰国。

そして、なんとか国立大学の大学院合格。今は来年の入学まで、細々と日本語教師をしています。

 

そんな人間掃いて捨てるほどいるんですけど、いろんな意味でポンコツの私のことを、いろいろ書いていきます。

旅行大好きなんで、そのことも書きなぐっていきます。

 

なんだか新しい日記帳の1ページ目に書くようで、明日が楽しみです。