poohrunningの「改訂版:明日はちゃんとします。」

いやはや…いつまで続くことやら…。

モトヤエクスプレスがシトロエンになった 笑

ちょっとした仕事で久し振りに代官山を訪れた

 

仕事が片付いた後、折角の代官山なので事務所に戻る前にモトヤさんでエスプレッソでも啜ってやろうと駅前に行ったら…
アイコンであるベージュの軽バンが片隅に寄せられ、眩いばかりの純白のシトロエンHバンが鎮座ましましている
バンの中をそっと覗いてみると、いつもの店長でなく社長の伊藤素樹氏自らいらした

 

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伊藤素樹氏が代官山の駅前駐車場に停めた軽自動車で、チンバリのマシンを駆った本格エスプレッソを飲ませる店「モトヤエクスプレス」を始めてから26年経つ

ぼくが初めてモトヤさんに行ったのは開業の翌年で、この店でエスプレッソの美味さを教えてもらったようなものだ

 

はじめてエスプレッソを飲む際、素樹氏からフランクに話しかけて頂いて以来、いつもお互いの情報交換(言ってしまえばバカ話である)をさせて頂く程度、懇意にして頂いていた
また、店を訪れる老若男女の客同士のコミュニティも楽しくて、勤めていた会社が恵比寿にあった頃は毎日のように、恵比寿から離れてからも数年の間は代官山に足を運ぶ機会も多々あったので、そんなときは必ずモトヤさんで話をしながらエスプレッソを啜ったり、素樹氏とモトヤエクスプレスをぼくの当時勤めていた商業施設に出店する企てをして、素樹氏と関係各庁を東奔西走したこともあったり(保健所の認可が降りず未遂に終わったが)、爾来、殆んど私的で少しだけ仕事絡みで…楽しくお付き合いをさせて頂いていた

 

その後、モトヤエクスプレスの店舗数が増え、素樹氏が店を離れてから暫くして、ぼく自身も代官山を訪れる機会が少なくなって素樹氏と顔を合わせる事もなくなってしまった

 

なんともお懐かしい…


素樹氏とゆっくりと話しをするのは10数年ぶりぐらいである


何よりもチンバリのマシンを駆って素樹氏が淹れるエスプレッソはこの上なく美味い
◯タバや◯ルーボトルにゃあこの味は出せまい
何せ、イタリア人のルチアーノ・ベネトン氏が「こんなに美味いエスプレッソはイタリアでも飲めない」と言わしめた程である


時間が許すなら、あと2杯くらいは飲んでいたいくらいだが、そうもいかない

 

たかだか10分程度だけど、控えめに思い出話と久し振りの情報交換(言ってしまえばバカ話である)をして、序でに数年前より素樹氏がローストしているという珈琲豆を買って店を後にした

 

今夜は買った豆をドリップして飲む事にしよう

コロナ禍

緊急事態宣言が発令されて店舗やビルが臨時休業になった途端に、建設業や内装業が俄かに多忙な様相を呈しているようだ

 


大手ゼネコンが取扱う新築のビルなど一見してわかるような派手な事業計画は社会的にも叩かれるだろうから頓挫しているとしても、既設のビルや商業施設が臨時で休業して無人な(もしくは無人に近い)今のうちに、メンテナンスなどを行ったり、保留になっていた改装/改修などの事業計画を推し進めてしまおうという事なのだろう

 


建設業の職方などは元々日給月給で収入を得て収入保障などもない自営業が多い業界なので、休みなく働いて少しでも平時と変わりのない収入を得ようと考え、有難がって仕事を請けて下さる方も多いが、人によっては現場が動いているので、家族の静止もきかず仕方なく出てきているという方も多いようだ

 


政府や自治体の要請である「外出自粛」や「接触者数の8割減」などはもっての他、毎日休みなく仕事に出掛けて一日の接触者は普段よりむしろ何割も多い状態という事もあるだろう

 


建設業従事者だけでも450万人以上で、その他ディスプレイ業建材メーカー物流業などを含めると、その内のどれだけの人々がいまげんざいも此度の危機に身を晒して働き続けているだろうと考えるとゾッとしてしまう

 


日頃の体調管理などは言うまでもなく自己責任で、現場への入場時に行う検温や消毒などは、対外的なポーズだったり、ただ感染者を場内に持ち込まないための「締め出し」だったりに過ぎない感がある

 


施主や事業者や推進会社から工事中止や延期の指示が下る例など少なく、仮に感染拡大を怖れた業者からの工事延期要請などは、元請会社などがそれを受けても風上にあがるほどテレワークや在宅ワークのため連携が遅れ「なぁなぁ」に流され、その間も現場は動き続けている…という事が多様に見受けられる

 


万が一感染者が出ても、死者が出ない限り施主や事業者や推進会社から現場の中止/延期指示が速やかに下る事なども少ないようである

 


つまり「続行しろ」という事なのだ

 


今も昔も、そして平時であっても非常時であっても、身を危険に晒しているのは常に「現場」なのである

 


こういった日本の「よくない体質」というのはいつまで経っても変わっていかないものと推測するが、この先この社会格差がエスカレートしたそう遠くない未来に起こるだろう「より深刻な」問題について話すのはまたの機会にする

 


今はただただ、新型コロナの猛威を社会的地位の粛清に利用する者が現れない事を祈るばかりである

短編小説 「珈琲専門店 鐘の鳴る丘」

実家のある最寄駅からほど近い、見覚えのある小さな交差点から少し離れたところ、以前在った場所から大きな月極駐車場を挟んだ反対側の、新たに建てられた小さなマンションの1階に「珈琲専門店 鐘の鳴る丘」はひっそりと開いていた。

 

移転して真新しくなっているものの、木を基調とした山小屋風の佇まいはかつての面影を残したままである。
店の前、無造作に置かれた珈琲樽に古いスケートボードが2台ぶら下げられているのも、レトロなキーコーヒーの立看板もが25年以上前と変わらない。

 

 

框扉をそっと手前に引いて開けると、あの頃と同じように外へももれていた温かみのある白熱灯の灯りが視界いっぱいに拡がってきて、ぼくはまず安堵した。
一歩中に足を踏み入れて店の中を見回すと、左手には磨き上げられて天井のライトの光が鈍く反射しているカウンターが奥まで続く。
右手には壁一面に山小屋風の羽目板が貼られ、その下には奥まで続いてる造り付けのベンチシートに沿ってテーブル席が5卓ほど置かれていた。
新築されただけあって全体的に新しくなってはいるが、殆ど変わらない雰囲気にホッとした。
以前と違うのは、店の床に段差がつけられてカウンターの高さが低くなっているのと、幾つかのテーブル席に腰ぐらいまでの低い格子の間仕切りが据え付けられているのと、テーブル席のテーブルがあの頃流行っていたゲーム機でなくなっている程度である。

 


店の中は5割程の席が埋まり、お客達で賑わっている。
いちばん窓際のテーブル席には見かけたことのない女性と小さな男の子が並んで座っていた。
親子なのだろう、とても仲睦まじく見える。
あとの客はみんな知った顔ばかりである。
ぼくが中に入っていくと(ドアを開けたときに、やはり以前にもドアにつけられていたカウベルの音がカランコロンと鳴った)みんながぼくの方を見た。
彼ら(彼女ら)はぼくの顔をみとめると、口々に…それぞれ昔のままの口調で…声を掛けてきてくれた。
みんなに久し振りとか元気だかとかひと通り挨拶を交わしながら店の真ん中辺りまで歩いて行き、カウンターの空いている席に上着を脱いで座った。

 


顔を上げて、カウンターに並べられたコーヒーサイフォンの湯気の向こうでコーヒーを入れているマスターに、ご無沙汰してますと声を掛けるとマスターも昔と少しも変わらない口調で、いらっしゃい元気そうだねと言って、やはり少しも変わらない真っ黒に日焼けした顔をほころばせて微笑んだ。

 

 

最近どこで何をしていたのかと訊ねながら、町子ちゃんが水とおしぼりと硝子の灰皿を出してぼくの前に置いてくれた。
ぼくは冗談交じりの返事を返しながら煙草を出して火をつけた。
煙草を吸いながらもう一度店内を見回すと、変わったのは店の場所と一部の内装くらいなもので、天井のスピーカーから流れてくるポップミュージックから、みんなの話し声や壁に埋め込まれたエアコンの低く唸りながら吹き出す温かい風まで、この店の空気感が昔と殆ど何も変わらないまんまでいてくれてることを改めて感じとって、少し嬉しくなった。
町子ちゃんにいつもの甘いアイスコーヒーとあさりトースト(町子ちゃんの作るあさりトーストは格別に美味いのだ)をお願いしてから、昔していたようにカウンター席から後ろを向いて、店に来ているみんなと、現在は誰がどこで何をしているかとか、誰某とこの間ばったり会ったとか、そんなとりとめのない話をきいたり、ぼくの近況なんかをとりとめなく話したりした。

 


ひとしきりみんなと話してからカウンターに向き直ると、マスターが煙草を吸いながら切り出した。


ちゃんと分かっているんだよね?
うん、分かっているけどね…。
ならいいんだけど、きっとその内に今のそんな気持ちだってすっかり忘れてるようになれるから、やめておいた方がいいと思うよ。
…うん。


ぼくは釈然としないながらもそう答えざるを得なかった。


いつだってそうだったのだ。
ぼくがつんのめりそうになっているとき、マスターは言葉少なに、優しくそして毅然として、ぼくをたしなめるのだ。
そしてそれはぼくにとって、一度たりとも後悔するような結果に至った事などない筈だった。
でも…果たして今回もそうなのだろうか。


今日はそのためにわざわざ此処まで来たんでしょ?
そうなんだけど…どっちかっていうと町子ちゃんのあさりトーストが食べたくなったんだ 笑。
なるほど、そっか 笑。


それにしてもさ、こんなに近くにあるとは思わなかったよ。
近くにある方が分かりやすいでしょ。
うん。
でも、これでも結構彼方此方探したんだぜ。
笑 みんなそう言うよ。

 


それからほどなくして町子ちゃんが、またそんな下らないこと考えるのなんてやめなさいね…と笑いながらぼくの前にアイスコーヒーとあさりトーストを置いてくれた。
厚く切ったトーストの上に、缶詰の味付けあさり煮と微塵切りにしたキュウリを乗せて薄味のマヨネーズが軽くかけられたこの店のあさりトースト。
簡単なレシピだからこの店に通う常連客は大体皆んな家で真似して作ってみるのだが、誰一人美味くできないのだ。
少なくとも、誰某が美味くできたようだという話は一度もきいたことがない。


そんなあさりトーストの皿がぼくの前に置かれるのを待っていたかのように、店の奥にあるピンク電話が鳴った。
マスターが苦笑いしながら視線でぼくに電話に出るように促す。


分かってるって。


ぼくは深いため息をついてから、やり切れないままにカウンター席を立って電話まで歩いて行った。
ぼくは見慣れた10円玉しか使えないダイヤル式でえらく旧式のピンクの公衆電話をしばらく眺めていたが、やがて諦めて受話器をとって耳にあてた。


もしもし…。


もしもし、もしもし…。


ぼくは大きく息を吸いこみ、受話器をなあてた耳に聞き耳をたてながら店の中を見渡した。


もしもし、もしもし…。


みんなの顔と騒めく声、柔らかい白熱灯の灯りと肌にあたる温かいエアコンの風、かつて嗅ぎ慣れた珈琲の匂い。


もしもし、もしもし…。


ぼくは受話器を耳にあてたまま、この刹那に感じる五感の全てを頭に焼き付けようとしていた。


もしもし、もしもし…。


窓際のテーブル席の男の子の飲むクリームソーダのグリーンとアイスクリーム上に乗ったチェリーの赤が目に鮮やかに写った。
マスターが煙草をくわえたままこっちを見て頷いた気がした。


もしもし、また此処に戻って来れるかな?
うん、君が本当に困ったときはまた戻って来れるよきっと。

 


もしもし、もしもし…。
ひとりの部屋のベッドの中で言い続けている自分の声で目が覚めた。

 


窓からは明けかかった空の明るみがうっすらと部屋に入り込んできていた。
もうじき朝になる頃なのだろう。


ゆっくりと身を起こしてキッチンに行き、コーヒーを淹れるために水を入れたヤカンを火にかけた。


湯が沸くまでの間、すっかり片付けられている部屋に戻って、サイドテーブルの上に置いておいた封筒を手にとり、そのまましばらく考えていたが、それを破いてゴミ箱に捨てた。

 


そういえばベッドから抜け出すときに微かに珈琲の匂いがかした気がする。
あの店の壁に下げられた黒板には「本日のストレートコーヒー マンデリン ¥300」と書かれていたのを思い出した。

お土産

こんなコラムを見た。

 

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20181008-00010000-yomonline-life

 


記事の趣旨は理解できるが、部分的に私には看過できない考え方であったので、久し振りに記事にしてみた。

 

 

そもそもな話、わざわざ土産物を買って渡す側が何故にそれほどまでに忖度しなきゃならないのかが頗る疑問だ。

 


もらう当人達から土産物のリクエストがあった云々なら話は分かる。

家族などの特定の人に買って帰る土産物もまた然り。

 

ただ、義理でその他大勢に渡す土産物が何であれ、買った本人は「皆にコレを買って帰ろう」という誠意の基に、金を出してそれを持ち帰り、それを相手に渡すべく家から持ち出してくるのだ。

土産物を買って渡す者だって、喜ばれたいからこそ買って帰ろうと思うのだから、余程の悪意がある土産物でない限りは、貰う側の者にがっかりする権利など無い。

百歩譲ったとしても、ひとから貰った土産物を喜ぶもがっかりするも、貰った当人の趣向の問題であろう。

 


以前、長野のスーパーで買って食べた乾麺の蕎麦が信じられぬ程に美味かったから、皆にも食べてもらいたくて何箱も買って帰って周りの方々に配りまくった事があるが、例えば私が蕎麦を渡した相手が実は蕎麦が嫌いであったとしても、それは私がその方の蕎麦嫌いの事実を認識していればこそ問題ではあるが、知らない場合は、なんら問題でない筈で、次回はそれを覚えていればいいわけである。

それをそんなに過剰に気を遣って選ばなければならない土産物など買いたくもない…と、私ならそう考える。

お土産はパシリの献上品ではないのだ。

 


ご当地の名産として名を連ねているからこそ、土産物屋に「ちんすこう」や「うなぎパイ」が並んでいるのであって、それを皆に食べてもらおうと買って帰って何が悪い。

土産物のセンス如何でその者の感度をが問われるのであれば、私は「クソ野郎」でもおおいに構わない。

そもそも土産物を買うために旅行や出張をしているわけではないのだ。

何より「ちんすこう」や「うなぎパイ」に失礼だ。

 


こんな瑣末な記事に目くじらをたてる私の偏狭さを笑う方も多々いると思うが、私が言いたいのは、こういったコラムがまたひとつ「受け身」が主体となる文化を色濃くしていくのが耐えられないのである。

人間関係に於いてある程度「受け身」である事は間違いではないが、このまま「受け身」が世の主流、於いてはそれがコミュニケーション能力の欠落となりえるという事に対して私は恐怖を感じざるを得ない。

それは決して大袈裟な思考だとは考えられない。

 


様々な事象を発信する者は後世までの事をよく考えて発信されたいと考える。

でないとその内日本中が「この件は誰がボールを持っているんだっけ…?」状態になりかねないのだ。

 


いけない…またアツくなっちゃった。。。

『忠義』を思う

先日、品川近辺でしていた仕事が早く終わったので、ふと思いたって事務所に戻る前にふらっと泉岳寺に立ち寄り、忠臣蔵で有名な赤穂四十七士浅野内匠頭墓所を見に行き、墓前で手を合わせてきました。都営浅草線の泉岳寺駅から程近い路地の一番奥にある山門をくぐり左手に折れた奥に墓地はあった。

 

東京で生まれ育ち、泉岳寺から目と鼻の先にの薬王寺にある父の恩人の墓には度々墓参りに訪れてはいたものの、あまりにも有名な『忠臣蔵』の義士墓前に詣でるのは、物心ついてからは初めての事でした。浅野内匠頭大石内蔵助堀部安兵衛…順番に墓碑銘をみながら手を合わせていったが、一時期夢中になって読んだ時代小説に出てくる登場人物が今目の前の石の下に眠っているかと思うと、なんだか不思議な気がした。

 

赤穂浪士の吉良邸討ち入り・・・

非業の死を遂げた主君と御家断絶とされた無念を晴らすがために、江戸幕府という当時の日本の中心権力を向こうにまわして、古来日本人の文化に於いて特に深く重んじられていた『忠義』を、したたかに且つ命懸けで実践し成し遂げた「仇討ち(単に「復讐」とする説もある)」の実話から300年余り経つ。

 

当時壮絶な物語を繰り広げた者達の墓前に佇みながら、『忠義』とは何なのであろうか・・・、そして自身にはそのような感情は存在すのだろうか・・・、を改めて自問してみたが何も頭には浮かんでこなかった。しかしながら、元禄の世に生きる庶民らと同じく、『忠義』を実践した義士らを讃え敬う気持ちはぼくの中にも確かに存在しているに他ならないために、こうして四十九の墓標に手を合わせに来ているのだろう。

 

150年前の明治維新や文明開化を皮切りに、テクノロジーは瞬く間に進歩し、同時に彼の敗戦を期に、「個」を重要視する欧米文化が一気に流れ込み今に至ることとなった現代社会は、人々の暮らしを物凄いスピードで豊かにしていったものの、日本人の心から「大切な何か」を幾つか押し流していってしまったような気がしてならない。

その中の一つに『忠義』という失ってはいけなかったであろう「心」もあるのだろう。

 

果たして現代の世の中で目の前に眠る彼らが持っていたような『忠義』の心を、私達はどれだけ受け継ぐことができているのだろうとも考えさせられた。

 

大石内蔵助の墓の前ではヨーロッパから来たと思われる家族が満面のスマイルで写真を撮っている。

彼らの信ずる文化に『忠義』の心がないとは言わないが、おそらくキリスト教文化の中で『忠義』というキーワードの優先順位は左程高い方ではないのだろうと勝手に察する。

 

そんなエラそうな考えが頭の中をよぎったりしたものの、結局のところかく言う自分も欧米かぶれの日本人に他ならないのだが・・・暮れなずむ高輪台下の墓所で『義士』達の小さな墓石を眺めながら、ふといろいろ考えてしまったのでした。

過去のエピソードより

過去のエピソードより、メガネ(老眼鏡ね)を失くした話しをお届けします。

 

 

 

春分の日、恋人と桜の季節にはまだ早く、来園客がまだそんなに多くない三渓園を散歩した。

爽やかな風を受けながら、手を繋いで、梅の花や土筆などを眺めながら園内を歩きまわり、中の茶屋で三渓園の開祖発案の蕎麦を食べ、それなりに小さな春を満喫してきたのだった。

 

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その三渓園の園内でメガネ(老眼鏡ね)を落としてしまったらしい。

遠くの木々を仰ぎ見るときに外して、着ていたカーディガンの浅いポケットに突っ込んだまま広い園内を歩き回ったため、何かの拍子に園内の何処かで落としたものと思われる。


メガネ(老眼鏡ね)が無い事に気がついたのは、園を後にして暫く経ってからの、既に閉園時間も過ぎた時分で、慌てて入場券の裏に書かれている園内事務所の番号に電話をかけてみても電話口には誰も出ない。


仕方がないので、翌る日の朝一番に再び園内事務所に電話をかけてみた。

電話口に出た職員に、前の日に園内でメガネ(老眼鏡ね)を落としてしまったらしい旨を伝え、もしや園事務所に落しものとして届けられているかと問い合せてみたのだが、メガネ(老眼鏡ね)の落し物は届けられていませんとの丁寧な返答があった。

 

落としたメガネ(老眼鏡ね)は一昨年に購入して以来すっかりぼくのトレードマークにもなっているもので、所有しているメガネ(老眼鏡ね)の中でも掛け心地の相性が良く、もはや相棒とも云える程に愛着があるメガネ(老眼鏡ね)で、タートオプティカル社のアーネルという型を鯖江で作っているリプロダクトである。
もうもう製造はされておらず、ストックも殆ど底をついてしまっているらしい。

 

さぁ…大変だっ!

 

約17万5千㎡という広大な総面積を誇る三渓園の片隅で、人知れずに朽ちていってしまうかも知れない相棒の事を思って居ても立ってもいられなくなってしまったぼくは、次の日に仕事を休んでメガネ(老眼鏡ね)の捜索に再び三渓園を訪れる事にした。

 

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2日振りに訪れた三渓園の入園口にいる職員の方々に、入場券を渡しながら昨日にメガネ(老眼鏡ね)を失くして問い合わせをした旨を伝えると、やはりまだ届けられていないとのことであったので、とにかく入園して、前々日に歩いたルートを思い出して辿りながらゆっくりと捜し歩き始めた。

 

平日といえども疎らにいる来園者達は、暖かい春の陽射しの下でとても楽しそうに見える。


遠くの広場では結婚式を挙げた新郎新婦とその家族達が、青々とした芝生や鴨が戯れる池を背景に、穏やかな笑顔をカメラに向けて写真撮影をしている。
皆、とても幸せそうである。


ぼくだけが下を向いて、緑道の脇の石の裏側を覗き込んだり、力強く茂る熊笹を掻き分けてみたりしながら、右往左往してメガネ(老眼鏡ね)を捜してよろよろと歩き回っている。


恋人と一緒に手を繋いで笑いながら愉しく幸せな気持ちで歩いていた2日前は、風景の中に今日よりも多くいた筈の人達の事など殆ど気にも留めていなかったのに、こうしてひとりで探し物をしていると、何だか嫌でも鮮明に視界に入ってくる。

 

恋人とふたりで楽しく歩いた2日前の出来事が遠い昔のことのように思えてしまう。

 

しゃがんで土筆の写真を撮った池のほとり…おどけて飛び跳ねてみせた石橋の上…記憶を掘り返すように、心当たりがある場所は念入りに捜してみる。

 

熊手で落ち葉をかき集めたり東屋の腰掛けを拭き上げている園の職員の方々や茶屋の店員さん、終いには造園作業をしている職人達にまで、事情を話して聞き込みをしてみたが、皆心当たりがないとの返事ばかりである。

 

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園内を半周程捜したところで腹が減っていることに気が付いた。

時計をみるともう昼を過ぎていた。

そういえば昨日から何も口にしないで今朝も着の身着のまま家を出てきていたのでムリもない。

 

聞き込みをした茶屋の店先で売られていた握り飯を買って、茶屋の外に並べられた縁台に座り食べた。
下を向いてぼそぼそと旨い(本当に旨かった)握り飯を食べていると、店の方が「メガネ(老眼鏡ね)見つかるといいですね」と声を掛けてくれ、熱いお茶を置いていってくれた。
こういう状況で人様の優しい心遣いにふれると、些細な事でも少なからず心に沁みるものである。
そしてまた、前向きな気持ちにもなる。


「大丈夫…あれだけ愛着のあるメガネ(老眼鏡ね)なんだ。ちゃんとぼくの元に戻ってきてくれるさ。
今も園内のどこかの熊笹の陰辺りで、春のまだ動きが緩慢な蟻達にいたぶられて心細くなりながら、ぼくが捜しに来るのを待っているに違いない。

一刻も早く見つけだしてやらなきゃ…。」


少しだけ前向きな気持ちになったぼくは、指先に付いた米粒を食べて熱いお茶を飲み干し、茶屋の店員さんに礼を言って湯呑みを返して、茶屋を出てまたメガネ(老眼鏡ね)を捜しに歩き始めた。

 

小川の畔で小さな流れを目を皿のようにして辿ってみたり、苔が生した石段を登りながら脇の柵の周りをあらためたり、石灯籠の穴を覗き込んだりしながら、残りの半周を捜す。
時々振り返ってはあやしそうな藪の草をよけてみたり、茅葺屋根の民家を展示した建物の中に入って、屋内のどこかに置かれてはいないかと捜し回ったり、じっくりと時間をかけて考え得る限りの場所を見て回った。

 

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しかしそれでも残念な事に、ぼくはメガネ(老眼鏡ね)を見つける事ができないまま、残りの半周を回って入園口の近くまで戻ってきてしまった。

 

入口に近い喫煙所に疲れた腰を下ろして煙草を吸いながら、ぼくは諦め切れない気持ちを溜息と煙と一緒に吐き出した。

「ひょっとして園の外で落としてしまったのだろうか…?」
そんな考えも頭を擡げはじめていた。

 

実際、三渓園からの帰りに乗ったバス会社には落とした当日に問合せをして、車内を隈なくチェックしてもらったのだが、見当たらなかったとの返事をもらっていたのだ。
園の外の路上で落としたとなると、出てくる可能性はまずないであろう。


それでも…動かない訳にはいかない。
何せ相棒なのだ。
時間が許す限り、出来る限りの手を尽くそう。
諦めるのはその後でいい。

 

最後の一服の煙をふぅっと吐き出して、ぼくは重たい腰を上げて出口に向かった。
入口を潜った時より肩が落ちている。
2日前と比べるともっと落ちている。

 

明日以降も万が一眼鏡(老眼鏡ね)が届けられたら一報をもらえるように、園の職員の方達にお願いしてから園を後にしようと受付に近づいて行くと、一人の職員がぼくを見つけて「お客様、お探しのメガネ(老眼鏡ね)はこちらでしょうか?」と声を掛け、受付の奥のキャビネットの上を指差した。
指されたその先には、まさしくぼくのメガネ(老眼鏡ね)が置いてあった。
「それです。そのメガネ(老眼鏡ね)です。」
ぼくはそう言って受付の窓口に飛びついた。


なんでも、ぼくが眼鏡(老眼鏡ね)を捜しに園に入って行ったひと足後に、早くから来ていた外国人の来園者が拾って届けてくれていたらしい。
ただただ、感謝である。
遺失物受取の書類にサインをして、メガネ(老眼鏡ね)を受取り、園の職員達に丁寧に礼を述べて園を後にした。

 

門の外に出て、改めて戻って来たメガネ(老眼鏡ね)確認すると、昨日の雨のせいか土や砂が付着してはいるものの、変形したりしておらず、レンズにもフレームにも傷などは全く見当たらず、いつものぼくの眼鏡(老眼鏡ね)のままであった。
ただ、どことなく草臥れているように見える。
無理もない。

この広い庭園の中で二泊もして、しかも昨日は一日中冷たい雨にうたれていたのだ。

 

園の前の公衆トイレの水道でメガネ(老眼鏡ね)に着いた土や砂を丁寧に洗い流し、そっとハンカチでふき取ってやると、いつもの姿に戻った。

改めてかけてみるとメガネ(老眼鏡ね)がほっと溜息をついた気がした。

 

もう会えないかと思ったよ。

疲れただろ…とにかくおかえり。

 

園を後に歩きだしたところで、恋人からメールがきた。
急にメガネ(老眼鏡ね)を捜しに行くと言い出したぼくを心配して、仕事が終わってから捜索を手伝うべく、とりあえず中華街まで出てきていたらしい。

 

中華街まで戻ったら豚まんでも食うかな


無事にメガネ(老眼鏡ね)が戻ってきたことと、これからそっちに合流するから中華街で待ってて欲しい旨を返信して、ぼくは暮れかかった本牧の町を歩き始めた。

 

 

 

※云うまでもない事であるが、この文章から読み取るべき教訓などは…ない。

【再開】〜ちゃんとできるかな?〜

以前、他のサイトで始めてみたもののなかなか続かなかったブログを、このサイトで再開してみようと思います。

主に自分に宛てた「備忘録のようなもの」と、文章を書く訓練のために書いていくつもりです。

どうぞよろしく。

今回の投稿は「見本」と言う事で、10月にFBに挙げた記事に手を加えたものです。

 

 

ベスパで行った仕事の帰りに、うろうろと懐かしい界隈を走り回っていたらココを思い出して、何年か振りに訪ねてみた。

 

以前、この辺りで仕事をしていた頃にたまたまみつけた店で、以来何年かコーヒーを飲みに行った、駅前の駐車場で軽ワゴンに搭載されたチンバリを使って旨いエスプレッソをだしてくれるコーヒー屋さん。

オーナーご夫妻に親切にして頂いたり常連のお客さん達と情報交換をしたり…他愛もなく楽しい時間をこの場所で過ごした思い出がある。

 

まだ開いているかな?

 

見憶えのあるスタッフは、店を閉めて片付けている最中だったけどぼくの顔を見て

「スゴい久し振りだね。エスプレッソならまだいいよ。」

と言って淹れてくれた。

 

「お互い歳とったね。」

思い出話と近況報告と、コーヒーシュガーをたっぷり入れた甘くて旨いエスプレッソで、何だか元気が出た。

 

15年以上も昔のこと…初めてここを訪れた頃も、ぼくは今のように「途方に暮れて」いたような気がする。

結局のところ、15年以上経ってもぼくはひとつも成長なんてしていないのだろう。

基本、バカなのだ(笑)。

 

そんなことを考えながら、空になったペーパーカップを棄てて、スタッフにありがとうとさよならを言ってベスパに跨って店を後にした。

 

たまたま思い出して訪れてみたけど…今日あそこでエスプレッソを啜るのはハナから決められていたんだろうな…。

「偶然な必然」
「永遠の瞬間」

夕暮れ時、渋滞の旧山手通りで幅寄せしてくるタクシーに罵声を浴びせながら、ぼくはそんな風に思った。

 

心が疲弊したときに飲みたい珈琲がある。

 

かしこ

 

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※この投稿に広告的要素は一切ありません(笑)。