外郎売り
劇団に所属する女優さんと飲んでいて、小田原出身ということからウイロウの話になり、そこから外郎売りの話になった。演劇関係の方やアナウンサーさんは、滑舌・早口の稽古に「外郎売り」という長台詞を覚えて発声しているということだった。
さっそくネット検索してみると、もともとは歌舞伎十八番の一つで、市川團十郎(2代)により初演され、市川家(成田屋)の伝統芸となっているらしい。
なので海老蔵(現 市川團十郎 白猿)、その息子の勸玄くんも暗唱できる。
触りだけ引用すると・・
「拙者親方と申すは、お立会の中に御存じのお方もござりましょうが、お江戸を発って二十里上方、相州小田原一色町をお過ぎなされて、青物町を上りへお出でなさるれば、欄干橋虎屋藤右衛門、只今では剃髪致して圓斎と名乗りまする。
・
・ 」と演じるには8分ほどかかる長台詞らしい。
これを噛まずに、やや早口な感じで暗唱して発声する。
実際にYouTubeで聞くと、なかなかにむずかしそうである。
という話をしていたら、後から合流した子で、昔京都のお茶屋さんで働いていた子が、その時に出会った超ベテランお客さんが、お座敷で披露したのを目撃したとの話。
なんでも歳をとって忘れっぽくなるのを防ぐために、毎日風呂の中で暗唱しているのだとか。 なかなか、面白い発想である。
覚えてみようかな・・・。
まち蕎麦屋
「まち中華」という飲食店ジャンルがある。
高級中華ではなく、家族経営の町に根差した中華屋さんの意で使う。
これに相似するジャンルとして「まち蕎麦屋」があっても良いのでは?と思った。
蕎麦粉にこだわり、打ち方にこだわり、少ない蕎麦を提供する高級店ではない。
かと言って立ち食い蕎麦屋でもない。
町に根差し、家族経営で、丼ものとかのメニューも豊富、下手すればラーメンもある。
そんな蕎麦屋を「まち蕎麦屋」と言っても良いのではないだろうか。
ということで、「まち蕎麦屋」の定義を決めていきたいと思う。
・高級蕎麦屋ではなく、立ち食い蕎麦屋でもない。その中間が「まち蕎麦屋」という点で、異論は減るだろう。
となると、高級蕎麦屋と立ち食い蕎麦屋を定義しなければならない
まずは立ち食い蕎麦屋の定義・・・
これは至ってシンプルに、椅子が無い。本当に立って食べる蕎麦屋。
だが、まれに小諸そば、富士そば、ゆで太郎などのチェーン店で座って食べられる店舗が多く存在する。 そこで蕎麦粉の割合に着目した記事を見て、そば粉以外の割合の方が多い生そばを使っていると一旦定義。 ちなみに生そばとは乾麺ではない生麺を茹でるとのことで、蕎麦粉100%の蕎麦を「生蕎麦」いわゆる生粉打ちをさすらしいです。
高級蕎麦屋の定義はめちゃくちゃ乱暴に1,000円でお腹いっぱいになれない蕎麦屋。
これで、「まち蕎麦屋」とは、なんぞやが定義できただろうか>
二ノ橋柳亭
直木賞作家の神吉拓郎氏の著作に「二ノ橋柳亭」という短編がある。
ある雑誌に食通と呼ばれる方が二ノ橋にある柳亭のことを書いた。
角行灯が目印のその店は、小体な店ながらも、料理が美味しく、酒も美味い、しかも落ち着いて飲める酒飲みの隠れ家的な店だ。
その描写に読者から問い合わせが殺到したが、実は食通氏の理想を書いたもので、実在しない店だとわかる。
ところが、抜け目のない人が、同じ場所・同じ店名・同じ料理・同じ店の佇まいの実在店を作ってしまう。
編集者、食通氏が、その噂を聞き、実際に行ってみると、確かに寄稿文のままの店が実在している。
そこで、皆、それぞれの思いを感じつつ・・というストーリー。本当に良い店は隠しておきたいと思う食通氏のジレンマ。それが理解できるので、あえて掲載した編集長。隠すことや読者を騙すことに軽い憤りを覚える若き編集者の気持ちが織り交ざる。
そして現在、食べログを始めとしてネット上で店の情報や評価が簡単に見られる時代。
しかも食通とまでは行かなさそうな自称グルメな素人が簡単に口コミを書き、評価さえしてしまえる時代。
本当に美味しい店、サービスが行き届いている店が正当に評価されているか疑問である。
もし本当の食通だったら、自分が本当に贔屓にしている店は人に教えたくないという心理が働くのではないだろうか。と考えると、食べログに載っている店は、「ま、公表しちゃっても良いか」と思う店や、さほど評価高くないけど、この店なら公表しても良いと思う店だということである。
そして、自称グルメな素人さんは、隠したいなんていう心理は働かないし、まともな評価軸を持っていないから評価もマチマチなので、「えっ、こんな店が4.0?」という現象が起きる。
インターネットが一般に普及し始めた頃、様々な情報を誰でも読めるようになったが、その情報が本当に正しいのか評価する読み手側の意識が重要だと言っていた人がいた。
情報とは「情けに報いる」と書く。そもそもDataやInformationは単なる数字や単語の集まり。そのDataにアクセス(Access)し、評価(Assess)し、受け入れ(Adapt)て、行動(Action)を起こすの一連のセットで成り立っている。
したがって、受け取る人の教育レベルや経験や感性などによって、そのDataやInformationは有益なものにもなれば、無意味にもなるということである。まさしく、情けに報いるのが本当の意味での情報だと思う。
■
「リッチでないのに
リッチな世界などわかりません
ハッピーでないのに
ハッピーな世界などえがけません
『夢』がないのに
『夢』をうることなどは……とても
嘘をついてもばれるものです」
昭和のTVコマーシャルを牽引した天才、杉山登志の言葉である。
しかしながら、天才も挫折を味わいつつ最後は自死を。
平成の世も終わり、令和となった今年、すでに昭和スタイルの強烈なリーダーのもとに仕事が回る時代も、終わろうとしているのではないだろうか。
たまたま広告関連の方と呑んでいて、今は亡き杉山登志の話になった。
我々は、強烈なリーダー不在の時代にあって、今後はどのようなスタイルで仕事を回していけばよいのだろう。
リーダー:自ら先頭に立って進むべき道を示す存在
マネージャ:メンバーの一人ひとりが最高のパフォーマンスを発揮できるように支援する存在
そう、リーダーとマネージャは違うのである。
自動車に例えると前輪駆動と後輪駆動の違い?
引っ張るか、押すか?
引っ張るのは抵抗も大きく、難しい。 会社で管理職と言われる連中は、大抵が後者のマネージャ。部下を前に立たせて、尻を叩く。この方が楽だからかも。
映画YUKIGUNI
1958年に生まれた雪国というカクテルがある。
マティーニやギムレットなど有名なカクテルのことを、スタンダード(=標準的な)カクテルと呼ぶが、日本のカクテルでスタンダードと呼べるカクテルの代表格が、この雪国である。 作り方はウォッカをベースにホワイトキュラソーとライムジュースを加えシェイクする。カクテルグラスの淵をレモンで湿らせて砂糖をまぶしたスノースタイルという形でミントチェリーが底に沈む綺麗なカクテルである。
このカクテルの生みの親である井山圭一さん(92歳、大正15年生まれ)にフォーカスを当てたドキュメンタリー映画である。
私事になるが昨年亡くなった父が大正15年生まれ、カクテルが誕生した翌年に私が生まれていることもあり、妙な縁を感じて興味深く観た。
まだ山形県酒田市で現役バーテンダーとして「ケルン」に19:00~22:30でカウンターに立つ老バーテンダー井山さんに父の面影が重なる。
Bar CALMA
白金の裏通りに、ひっそりと佇むバーがある。
BarCALMA。
オーナーバーテンダーは浅川氏。
銀座で有名なバー毛利で教えを受けた宮崎優子さん(大森テンダー)の弟子。
正当なバーテンダーだが努力も人一倍で若かりし頃はカクテルレシピを覚えるためにレシピ本を2回もノートに書き写して覚えたという。
この地に移って13年目になる。
裏通りの分かりづらい場所にあるので常連しか来ない。
アクリルとガラスを使ったカウンター、椅子、テーブルなどなど。
この内装は大人の空間である。
女性バーテンダーに直接教えられたことで浅川氏の作るカクテルは、非常に色が綺麗である。ためしにジャックローズを作っていただいたところ、この綺麗さ。
下の写真にあるカクテルはミント系でブルーなのだが、いれたグラスはサンルイ。
ブラディー・メアリーをクラマトで作った、ブラディー・シーザーをお願いしたところ、今日は寒いのでホットにしましょうか?ということで、初体験のホット・ブラディー・シーザー。隠し味はパルメザンチーズ。 まるでスープのようだが、きちんとアルコールも残しているので酔うし、温まる。
他に定番のモスコーミュールを作っていただいたのだが、ウォッカにジンジャーエールというレシピは正当ではないと教えられる。高知産の生姜をウォッカに漬け込む。
モスコーミュール専用の生姜入りウォッカを作って・・・・これ以上は秘密。
探して、実際に飲んでみると違いがハッキリと分かる。