隠居日録

隠居日録

2016年(世にいう平成28年)、発作的に会社を辞め、隠居生活に入る。日々を読書と散歩に費やす

エピジェネティクス入門―三毛猫の模様はどう決まるのか

佐々木裕之氏のエピジェネティクス入門を読んだ。NHK BSでヒューマニエンスという番組を3月まで放送していた。この番組は生命科学に関する内容を扱っていたのだが、その中で2024年3月に猫に関する話題もあった。番組を見てちょっと驚いたのは、三毛猫のクローンを作ったのだが、毛の模様がドナーとクローンでは異なっていて、クローンは三毛猫ではなかったというのだ。その時番組では、どの色の毛が生えるかはランダムに決まるので、ドナーとは同じにならないというように説明していた。

三毛猫の仕組み

三毛猫は白い毛を作る遺伝子、その部分以外を茶(オレンジ)色の毛にする遺伝子か黒にする遺伝子を持っている。茶にするか黒にするかの遺伝子はX染色体上に持っている。オスはX染色体を一本しか持たないので、通常は黒か茶色のどちらかの一方の遺伝子しか持たない。一方メスはX染色体を2本持っているので、黒と茶色の両方の毛が生えることがあるのだ。

ここから話はちょっとややこしくなる。Y染色体にはその個体をオスにする遺伝子しかないが、X染色体には細胞が生きていくのに必要な遺伝子が多数存在する。メスはX染色体が2本あるので、遺伝子が2倍あることになり、遺伝子が働き過ぎて生命に危険を及ぼす可能性がある。実際にX染色体が2つとも働くと、メスは死んでしまうようだ。そこと、メスは2本の遺伝子のうち一方を抑制して、働かないようにしている。これをX染色体の不活性化という。エピジェネティクな現象がこの不活性化の実態である。X染色体の不活性化は、発生の初期に、細胞毎に2本のX染色体からランダムに1本が選ばれ起こる。三毛猫はX染色体の一方に茶色の、もう一方に黒色の遺伝子を持っているので、どちらか一方の色が細胞毎に選ばれるということのようだ。これが、冒頭のランダムに選ばれるということの説明だ。

三毛猫のクローン

クローンはドナーと同一の遺伝子を持っているが、細胞内でどの遺伝子が活性化し、どの遺伝子が不活性化するかは今のところ完全にはコントロールできないようだ。そのために三毛猫のドナーとクローンで色や模様が異なってしまう。もっと興味深いというか、恐ろしいことは、見た目ではわからないような細部において、活性化・不活性化が選択されていた場合は、遺伝子としては全く同じでも、同じ細胞にある働きが起こっているかどうかは全くわからないということだ。

もう一つ驚いたのは、この本は2005年に出版されているが、その当時はクローン動物が誕生する確率は5%以下だと書かれている。この数字が20年経ってどうなっているのかはわからないが、5%が仮に10%になったとして、かなり低い数字と言わざるをえない。

鬼の筆 戦後最大の脚本家・橋本忍の栄光と挫折

春日太一氏の鬼の筆 戦後最大の脚本家・橋本忍の栄光と挫折を読んだ。橋本忍という脚本家の名前は知っていたが、実は知っていたのは名前といくつかの黒澤作品で脚本を書いていたということだけで、これほど日本映画に深くかかわった人だということは全く知らなかった。全く知らないことが次から次と出てきて、非常に面白かった。1950年代から1980年代までの日本の映画史を語る上では外すことの出来ない人物だということが、この本を読んで初めてわかった。私がリアルタイムで認識していた映画は1970年代辺りの頃からだが、日本沈没砂の器八甲田山八つ墓村橋本忍が脚本を手掛けていたということは本書を読むまで全然気づいていなかった。

橋本忍が脚本家になったきっかけも興味深い。太平洋戦争に徴兵されたが、結核が見つかり、療養所に行くことになる。たまたま同室者が持っていた映画雑誌にシナリオが載っていて、それを読んで自分でも書けるような気がした。その同室者に日本一のシナリオ作家は誰かと問うと、伊丹万作だという。伊丹万作も当時結核を患っていた。橋本の結核はかなり重い部類の物で、いつまで生きられるかよくわからないようなことを医師に告げられたようだ。その時はシナリオの執筆はしなかったが、2年たっても死なず、結婚し長男が生まれ、軍需徴用で海軍管理の工場勤務もし始める。その辺りから本格的にシナリオの執筆をはじめ、出来上がったものを伊丹万作に送ったようだ。そして伊丹万作が丁寧に返信してくれたというのだ。そこから伊丹の弟子のような形になり、習作として書いた芥川の藪の中が後年黒澤の目に留まり、羅生門の脚本の元となった。その時まだ橋本はサラリーマンとして工場勤めをしていた。

橋本は単なる脚本家としてではなく、プロデューサー的に映画製作に携わることも多く、やがて橋本プロダクションを設立し、砂の器八甲田山を製作する。橋本は根っからのギャンブラーで、興行はやってみなければわからない側面を認めつつも、どうやったら成功に導けるかを綿密に分析して、ノートに記録していたのは興味深い。その分析が見事に当たり、また創価学会との協力関係も手伝って、この2作はヒットし、次の八つ墓村もヒットする。しかし、ここがピークだったようで、その後の映画はよくわからない映画になってしまったようだ。1986年の伊藤麻衣子主演の「愛の陽炎」などは全然記憶になかった。