隠居日録

隠居日録

2016年(世にいう平成28年)、発作的に会社を辞め、隠居生活に入る。日々を読書と散歩に費やす

宮廷女性の戦国史

神田裕理氏の宮廷女性の戦国史を読んだ。本書はだいたい室町期から江戸時代にはいる辺りまでの時代の宮廷に出仕していた女性に関する本(彼女らの身分とか役割など)なのだが、最初のプロローグにかなり衝撃的なことが書かれている。それは14世紀の南北朝から17世紀の江戸時代初めまで皇后が立てられていなかったというのだ。もちろんその間も天皇は即位しているので誰かが天皇家の子どもを産んだことは確かなのだが、それらの女性は天皇正室ではない。本書には明確に書かれていないのだが、彼女らは側室ということになるのだろうか?

なぜか皇后がいなかったかというと、経済的理由がまず上がるだろう。立后に際しては当然儀式をするのだが、単純にその費用がなかった。また、后妃に関する事務をつかさどる役所を設立するのが常だが、その役所を維持するだけの財力がなかった。また、娘を皇后として出す家にも経済的問題があり、外戚として皇后やその周辺を支える経済的余裕がなかった。また、平安時代以降官職への就任が男性に限定されるようになり、朝廷における女性の地位や役割も、公的なものから天皇家内部の私的なものに変化していったこともあるようだ。

後宮のいわゆる女性官僚は8世紀に制定された後宮官員令や後宮職員令において皇后以外の天皇のキサキの員数(妃二人、夫人三人、嬪四人)が決められているとともに女性官司が設置された。後宮十二司が設置され、内侍司(天皇の意思の伝達・臣下からの奏上)を筆頭に、蔵司(鏡、剣を管理する)、書司(書籍、文房具、楽器の管理)などの12の宮司で構成されていた。平安時代になり後宮十二司も形骸化していき、内侍司の主要な職掌も失われて行った。そのためその職員の尚司は天皇・皇太子のキサキとしての性格を強めていくようになった。だが、その尚司も鎌倉時代には有名無実化した。そのため後宮女官の事実上のトップは典侍となり、その定員は4名で通常は公卿(大臣または大納言・中納言)の娘が任官した。典侍の職務として故実書の禁秘抄には天皇の陪膳があげられているが、著者によると天皇の衣食住全ての世話をしていたと推測している。

本書を読んでいて興味深かったのは、組織というのは時代が下ると変化したり、形骸化したりするのだが、なぜか儀式に関しては経済的な負担が大きくても縮小できず、延期するか実施しないという二者択一しかなかったことだ。天皇の即位に関する儀式は実施しないという選択はできないので、延期される。一方皇后に関しては延期をせずに実施しないという選択になり、そのため皇后をおけなかったというのは、何とも不思議な思考過程と言わざるを得ない。

ヴィオラ母さん 私を育てた破天荒な母・リョウコ

ヤマザキマリ氏のヴィオラ母さん 私を育てた破天荒な母・リョウコを読んだ。ヤマザキマリという名前はテルマエロマエの原作者というとこで知っていたが、詳しいことはよく知らなかった。それが、新型コロナのパンデミック以降、日本から出国できなくなり、そのせいかどうかわからないが、テレビやラジオで本人を見聞きする機会が格段に増えた。イタリアに住んでいるのだし、テルマエロマエを描いたので、ローマ時代のことに詳しいのは想像がつくが、昆虫が好きだということは全く知らなかった。そして、ちょくちょくエピソードに登場するのが、彼女の母親だ。本のタイトルに「破天荒」とあり、「大胆で型破り」という意味で使われているのだと想像する。しかし、この言葉は「誰もなしえなかったことを初めて行う」という意味で、こちらの意味でとらえても本書は間違いではないと思った。

この本を読むと、リョウコの父も母も音楽には造詣があったようだが、よもやそれを職業にしようとは彼らは考えなかった。しかし、リョウコはある時それを職業としようと思い立ち、札幌に結成されたばかりの交響楽団に半ば家出するように飛び込んでいったのだという。まさに、誰もなしえなかったことだ。そして、その地で男性と巡り合いマリ氏が生まれるわけだが、その男性とは死別する。その後結婚した男性との間にも子供が生まれるも、離婚し、二人の子を持つシングルマザーとなる。そして、楽団も継続し、ヴァイオリンなどの音楽教師としても活躍したようだ。

色々面白いエピソードが載っているが、菊男さんとリョウコと祖母の三千絵さんのエピソードはちょっと驚く。それと祖母の三千絵さんも結構ぶっ飛んだ人のようなのも面白かった。