毒でも薬でもない

オーサカのオーエルの由無し事

文章を書いてみようと思う

都合のよい140文字ではなく、もっと丁寧で、根気のいる文字の塊を書いて見たいと思った。

 

1.言葉という表現技法への挑戦

美しいことばが好きだ。

惚れ惚れするような、恐ろしく繊細なことばが世の中にはたくさんある。

同じ文字列を扱っているのに、なぜかくも美しき糸になるのか不思議でたまらない。

私はそうしたものに、いつまでも震えていたい。

 

しかし残念なことに、私には美しいことばを紡ぐセンスがない。「センス」という言葉で片付けてしまうのはあまり好きでは無いが、実際センスという呪いのような概念の壁を感じてしまうのだ。

私の文書は即物的で、いささか律儀すぎる。(と、私自身は感じている)。

そして何より、笑いに逃げてしまう。

逃げるというよりも、自然にポンポンと浮かんでくるのが、どういうわけか笑いに寄った言い回しなのだ。

それはそれで気に入っている面ではあるが、ここいらでちょいと真面目に文字を使った表現に挑戦してみて、自分の現在地を把握すると同時に自分の可能性を知りたいと思った。

言葉を愛する者として、果たして自分ならどういった言葉が紡げるのか挑戦してみたくなったのだ。

それがブログを書く1つ目の理由。

 

2.内向的人間のリソース活用

さて私は内向的な人間だ。100%ではないが、確実にそっちよりだ。

私の解釈になるが、内向的な人間というのは、外的な刺激に敏感なマイワールド引きこもり人間である。私はと言うと、外の世界と接触するたび面倒な思考に陥り、それを咀嚼して日々を過ごしている。

もっと具体的にに言うと、今日あったこと・感じたこと・考えたこと・思いついたネタを、脳内のブログみたいなところで整理しながら、文章を書いたつもりになっている。

思考をぐるぐるさせつつも、こういう表現の方が面白いかな?ウケるかな?とアウトプットの形まで考えているからけっこう気持ち悪い。

で、この気持ち悪い所業をいったん脳内ブログから引きずり出し、外の世界にぶつけてみるのもいいのではないかと思ったのだ。

 

「その青春、喋れば生意気。書けば文学」

「その不満、喋れば愚痴。書けば文学」

 第12回 坊ちゃん文学賞 コピーより

 

別に文学を書こうと言う気概があるわけではないが、内に貯め込むだけでは何にもならない。

下がりきらない溜飲をぐつぐつ煮詰めてインターネットの海に垂れ流すのもまた一興。

せっかく内向的人間として、外界にさらされるたび心があっちにこっちに動き回って疲弊しているのだから、それをネタにして何か形に残してみたいと思った。あわよくばそれがウケたらいいなと思ったのだ。

 

無駄にかっこつけてているが、普段感じてるアレやコレについて発表してみたかっただけである。マイワールドの出来を見てほしいのだ。

きっとこれは、ブログを書く人の全てに当てはまる共通の理由ではないだろうか。

 

3.脳への刺激

最後の理由としては、トレーニング。

最近、脳に固い石でも詰まっているのかというくらい自身のポンコツぶりを痛感している。

集中できない、瞬間的な記憶が出来ない(特に数字、頭に入ってこない)、思考の堂々巡り、話し言葉のつまり・どもり、その他多数。

これはけっこう深刻な問題で、本当に脳に傷でも入ったのでは?いやいや前からこの程度の脳みそだった、などと自分の中でも処理しきれていない。

(これについての私の不安や悩みはいずれきちんと整理して書いてみたいので、今は一旦ここまで。)

しかるべき対処法はまだ分からないのだが、せめてもの抵抗としてまとまった文章を書いてみようと思った。

集中力の強化、思考の整理、感性の鋭化、溜飲の昇華、などなど何かしらトレーニングにならないものかと期待している。

要は刺激になりますように、ということだ。

 

 

というわけで、これからできるだけ定期的に文章を書いていきたい。

 

…実は書きたいことの断片を雑に吐き出した下書きが、すでに16個もあったりする。随分と前からやろうとは思っていたのだ。ネタも無駄にあるし。

 

今この記事を公開することで、ようやく一歩踏み出せる。

二歩目、三歩目と歩いていけるように、まずは”雑でもいいから公開”を目指したい。