受験生だけど、お勉強が嫌いな方へ、或いは万年筆の王様って

 おいら、書を手にマックによく行くんだけど、この時期は受験勉強してる人達が多いね。受験かー、受験ねー。大学にいくことが君のためになるかなー?「学歴幻想」がもう現実として定着していると想うのだけれども、まだ大学ってのは大きいのかね。おいらはもし17,8のノータリンな時代に戻るとしたら、きっぱりと大学なんていくこと棄てて外国へ逃亡するけどな。

 何を書いてるのかって?ああ、そうね。書きたいことっていうのはこういうこと。それでも何かのために嫌々ながら勉強しなくてはならない時が人にはある。それをどう乗り越えるかってこと。それには勉強することを好きになればいい、終わり。じゃ、答えになっていないか。どうやって勉強を好きになればいいかってことだよね、問題は。

 端的に書くことが楽しくなるようにすればいい。それには万年筆を使うこと、それも万年筆の王様を。1、2万の鉄ペンで代替しようとしてはだめだよ。王様を使うからこそ、その万年筆の効果が出てくる。だって常識で考えてだよ、ペンに、たかがペンにだよ、7、8万も使うなんておかしいでしょ。そんな異常と想えるものを持っているからこそ、書くことが楽しくなってくる。

 それじゃ、万年筆の王様ってなにさってことなんだけど。それはもう独断と偏見で書いてしまうけどモンブランの149、ペン先の太さはM(中字)を使え。特に受験生にはお勧め。それは受験生はカリカリと書くことを要求されるわけで、カリカリと書いている内に知らず知らずにペン先に力が入ってしまう。モンブランの149ならばそんな環境にも耐えてくれて、なお且つ王様の風格を持ち、書くことに疲れを感じさせることなく、すらすら書けるはずである。

 でも受験生もそれ以外のマニアの人を除いて、最近は万年筆を使う人は皆無だね。万年筆がブームになってるってはきくけれども、万年筆で書いている人はほんと見たことがない。でも誰も使っていないからこそ使用する愉しみは倍増するはず。受験勉強でスランプに陥っている人にはお勧めである。あっ、この時期にこんな事書いても、もう遅いか。それなら来年のために買え!いや再来年のために買え!とにかく、モンブランの149、ペン先Mならば、君が百老してもまだ使えるはずだから。

 え?お前はモンブランの149を持ってるのかって?そんな高価なもの持ってるわけねーじゃん!

なんかseesaaで書くのすごく迷ってる。

「表」を表としてシーサーで書くのってどうなのかな?はてなに全て統合してしまおうかなとか?でも、はてな的、情報ブログってのは、あんまいやだしな。それでもシーサーは飽きちゃった。ブログランキングとか意味ないのにまだしてるし。どうしよ。シーサーはイケてないってことは判るが使っちゃったからなー。2年間のブランクでネットも進化して、勝ち組と負け組もなんとなく見えてきてね。どうしよ。ほんと。

なんかルーマンフォーラム再参入できないみたい。お返事ありません。とりあえず、裏のブログランキングは止めた。はー疲れた。

でも、はてなのどうにかして金もぎとっちゃるけんね的意識が気に入らない。

ネタがないから、また言及させてもらうにょ、或いは「表」の宣伝

貧困・犯罪の自己責任論と社会責任論は同根である。
 どうでもいいのだけれど、このお方、おいらのテクストをぜってー読んでいて、ぱくってるにょ。区別という観察の形式を用いた批判作法は、批判として用いたのは、おいらが知る限りでは、おいらが最初であるから。もうそう決めつけて、えばっちゃうのだから。でもアイデアルーマンというか、ルーマンもジョージ・スペンサー=ブラウンから影響を受けたのであるが。

 おいらがニート論で、あの三馬鹿を批判するために用いた区別の観察の形式。<ニート擁護/ニート批判>、も同一の区別のそれぞれ一方を指し示しているにすぎず、機能的には等価であるということ。メディアでのニートに関する言及はほぼ全てこの区別に基づき、そこから発言している。そんなお馬鹿のコミュニケーションの連鎖を延々と続けるのではなくて、新しい区別を投入して発言せよ、ということを書いたのだけれど、この↑上の方の論理も全く一緒。別に、ぱくるのはいいのだけれど、それでも書いていることがいけてないところが、いけてない。

 このお方、何かいいたいことは判るのだけれど、皆さん読まれて何か納得がいかない、一人よがりな感想をお持ちになるのではないでしょうか?それは「〜である。」「〜である。」「〜である。」の連続で、宣言してしまっていることを担保する論証がないからなのですね。これまで「表」で駄文の批判にならない批判に、無理やり答えるというか、駄文すぎる批判であることで、その批判に返答することができないということを何度か文章分解することでお答えしてきましたが、この方も例にもれず正統派な駄文を書く方であり、皆さん文章分解することでゆっくり読んでみてください。論理的ではなく、詩的な文章だということがお判りになるはずであるから。

 それから、いけてない処は余程、その分野に精通していなければ「知識社会学的には〜」とか「システム理論的には〜」とのたまうのは、その筋の専門家からこっぴどく、それは恐ろしい批判をあびせられる可能性があるということに無知な点。知識社会学でも遡れば、ニーチェマキアベリまで遡ることができ、マルクスマンハイム、シェーラーといった思想家、哲学者の名をあげることができるし、システム理論だって、この方にとってシステム理論はルーマンを指すようであるが、システム理論は一枚岩なんかではなく、さまざまなシステム理論が世界中で議論されている。

 おいらは到底、自己の主張を担保するのに「システム理論的には」なんていう資格もないし、勇気もない。宮台さんぐらいだったら云ってもよいと想うけど、とほほは、怖いもの知らずだからね。ほんと、おいら、えばってる印象があるでしょ「表」でも「裏」でも、けれど、そこは安易に「システム理論的には」なんて云うことで食らう、恐ろしい批判には充分に気をくばっているからね。あんま、やっちゃだめだよ、って結論がねーよ、どうしよ。まあ一つ云えることは知識社会学的」に或いは「システム理論的」にオイタしてはだめってことね。っておめえも使ってんじゃん!おわり

 区別という観察の形式による批判作法のテクスト:
 http://jibun.seesaa.net/article/13286182.html#more
 http://jibun.seesaa.net/article/13289232.html#more
 http://jibun.seesaa.net/article/17032710.html

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知的生活ってほんとに楽しいのかよ?

 皆さん、よく知的生活を称賛するものを読んだりしません?でもおいら想うのだが、いやおいらの場合は、知的生活って99パーセントは苦しみであり、残りの1パーセントだけ読むことにより何かつかんだ時の喜び、感動がある。おいらの場合は、ほんと、そうなんです。今まで社会学や哲学、思想を読んできました。でも、もうそれは苦しいことばかり。おいらは何か「表」では研究や勉強が好きなように思われている傾向があるのだけれど、そんなの大っきらいだい。例えばルーマンを読むとする。もう判らない、判らないの連続で自分の馬鹿さを思い知らされ落ち込む。それはほんとにひどいうつに入っていく。
 それでは読むのなんか止めちまえと想われる方もおいでかもね、でもね、でもね、自分でもよく判らないけど、また読んでしまう。そして再び己の阿呆さに気がつき、どうしようもなく沈んでしまう。下の投稿で書籍とか紹介しているけれど、もしかしたら、おいら、誰かに新たな苦しみを与えてしまうかも知れない。ほんと軽い気持ちで読むなら読んでね。

 こんなに知的生活が苦しいのは、おいらだけなのか、おいらが阿呆だから仕様がないのかと考えていたのだけれど、ハマトンの『知的生活』というものがある。この書は知的生活に伴う苦しみに触れている数少ないものの一つだから、もし、おいらと同じように勉強が大っきらいだけど、読んでしまうという変な性癖がある方がいれば読んでみてね。名著だから。おいら、ハマトンに出会わなかったら読むことなんて止めていたと想うよ。それくらい大きな影響を与えてくれたもの。

 それから昭和の社会学者、思想家で清水幾太郎という人がいる。この人は多作で、ほんとにすごい人なのだけれど、やはり社会学をやることに挫折した経験がある。『社会学入門』ってのがあるのだけれど、これはおいらが社会学を始めるきっかけとなった本。まだ研究のけの字もしらない時代に、それでも何かの学問に身を投じたいと考えてた。いろんな学問の中から何を選択すればいいのか悩んでいたのね。そんな時、神田の古書店の百均の箱の中に棄てられるようにあったのを何げなく買い、読んでみた。そうすると清水の挫折した実体験など交えて社会学と関連するように書いている。普通の社会学入門書のように学問、学問してないけど、学を語っている。それはめちゃめちゃ面白く読めて、そこで清水幾太郎みたくなりたいと何か勘違いしちゃったのだね。それが社会学を始めるきっかけ。でも、清水はいいものたくさん書いているのだけれど、絶版が多くてね。あれほど昭和の日本に思想的影響を与えたのに、今、読まれなくなっちゃった人はいないのではないかな。岩波から全集がでてるから、そこから学問することに挫折感を覚えてる人は読んでみたら?清水が書いたもので文庫になっているものもいくつかあるからね。自分で、さ・が・せ。 

 もうアマゾンとかとにリンクするのどうせ、もうけないだろうし、親切にやってあげない。それに本当に自分が影響を受ける書って、何か偶然的か運命的かしんないけど、そんな出会いみたく感じるし。何か、なんかに、もやもやしてて、その憂悶のやり場をどうすればいいのか判んない奴はとりあえず、いろいろ読んでみろ!って、えばって、ごめんよ。

 ああ知的生活に苦しみが伴う話ね。だから、おいらは10冊ぐらい並行して読んでる。半分はほとんど苦しみしかもたらさない、思想や理論の類と半分は本当に自分が好きな文学や映画や音楽や他の趣味の書とかね。そんなに読めるのかって?あんた書は全て読むものではないから。読んでもいいのだけれど、やはり複雑性という形式からいうと、知とは選択的な関係づけでしか成立し得ないから。だから、ほら、君、君、その本、難解で全部読めなかったって、落ち込まなくていいんだよ。おわり。

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僕なぜか、この方に好意をもってしまいました

http://mercamun.exblog.jp/10109284/
 表で批判させて頂いたのだが、テクストは批判したものと上記のもの二つしか読んでいないけど、なんかもう遠いどこかにいっちゃってる想い込み溢れる文章、プロフィールを見ると学術的引用はO.Kって、ぜってー、どうもがいて、勘違いしても引用ありえないし、しちゃだめだよ、しないよねー?ってごめんね。批判するつもりで書きはじめたわけではないのですが、この文体は表で似たようなのを読んだことがあり、もしかしたら表にきて発言してくださってたりして。それはどうでもいいことなんだけど、久々にホワイトブラザフッド級だなとの想い。それでも偉いところがある。散々コメントで批判されても削除したり、本田大先生のように休止したりしないところが、いさぎよい。

 僕もエロいものや個人情報に関するもの、僕以外の誰かへの罵詈雑言以外のコメントは削除しないようにしているのですが、それはこのテクストで「皆さんどうですかー?もう足すところも引くところもありません」ってね、そういう気持ちで表では書いているつもりなわけで、もしかしたらこの方も限りなくホワイトブラザフッドに近いが、そういう気持ちというか主義というか。でももう読むのはいいや。ごめんね。

 だけど、この方より下にランクインしている僕のブログッて・・

参考テクスト:http://jibun.seesaa.net/article/137283660.html

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本田大先生はお疲れのようで

しばらく見てなかったらブログを精神的疲労の理由で非公開にしてしまったのね。そうとう、あっち向いてほい的なこと云うかと想えば結構ナイーブな方なのかも知れない。それならでかいことというか、とほほな事いわなけりゃいいのに。↓以前に書いたもの。まだ探したら表にもあると想う。あの三馬鹿達は今はいずこえ?
http://d.hatena.ne.jp/punksid1979/20060424/1145887480

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ルーマン勉強しようってので何から読むか順番

全く個人的な意見で書く。ルーマンは判らん、嫌いにならないための入門書読む順番ね。でも判らないのは僕、判らないでもいいと想うのだけれど、だめですか?ルーマンの数十年の研究をあなたが何かを読んでルーマンが判ったなんていえるのかな?それよりもルーマンを読むことで差異を生み出せればそれだけで十分だと想うよ。研究者になるつもりがないならね。

 あっ順番ね。一番最初に読むといいかも?『ルーマン 社会システム理論』新泉社。これはルーマンのHow to本って感じでとっつき易いが、今、何読んでるのって聞かれてこれを答えるのはちょっと恥ずかしいから隠れて読もう。

 二番目に読んだらいいかも?『システム理論入門 ニクラス・ルーマン講義録1』新泉社 その名の通りルーマンのシステム論の講義を著書にしたもの、社会システム理論の初学者を意識しているから判りやすい。講義であるから口語口調で書かれている点もテクストを理解しやすくしている。

 三番目『社会理論入門 ニクラス・ルーマン講義録2』新泉社、上のつづき。

 四番目『ルーマン/社会の理論の革命』勁草書房、体系的にルーマンについて書かれている。細かいところまでよく調べているなーと感服する。書の値が高いが、それだけの価値はある。分厚いけど、初学者でも読めると想うよ。
 
 五番目『ルーマンの社会理論』勁草書房、著者、馬場さんのルーマン解釈とその説明がすばらしい。
 
 六番目『社会システム論と法の歴史と現在』ルーマンシンポジウムの内容を著書にしたもの。ルーマンの人となりが判って面白く、肩肘はらずに読めるかも。
 
 七番目からは一次文献に踏み込もう。ルーマンが書いたものへと対峙してみよう。であるが、土方昭氏が訳しているものは避けること。理由は言わずもがな。それから鼻息あらくして、ルーマンの最初の大著『社会システム理論上下』恒星社厚生閣はその意気込みは認めるが、翻訳がよくないこと、ルーマンが一般システム理論を意識して書いているために内容の抽象度が高いために難解。読まないほうがいいけど、でも読んでもいいかも、ドイツ語か英語のものと併用して読めば理解度は深まると想う。ルーマンの理論に打ちのめさせるのも良い経験かもね。僕はしょっぱなから、こいつを読んでしまった。前にも書いたことがあるのだけれど三年かけて読んで、判ったことは全く判らないということが判った。
      


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