僕が話を聞く理由=人と関わるのが嫌いな理由

致命的だ。

口下手というやつは、人と関わる上で、社会生活を営む上で致命的だ。

 

 

幼い頃から話が下手だった。

前世でどれほどの徳を積まなければこれほどの口下手が生まれるのだろうか、というほどに。

前世とは、自己完結的な不満の矛先である。

現世的に考えるなら、寡黙な性格で言葉を発する機会が少なかったからかもしれない。

家族でも母と兄がお喋りで、父と僕が口数少ないというのを踏まえれば、妥当な血の繋がりとして理解できるかもしれない。

 

 

注目を浴びるのは苦手だ。

自分が話している間、ありがたいことに人は耳を傾けてくれる。

そのときに感じるのは感謝ではない。

自分が場の中心に立つ息苦しさ。

下手な話で相手の時間を奪っている申し訳なさ。

 

テレビゲームでも、友達の前で一人プレイするのは気後れしてしまう。

早く交代したいと思いながらプレイして、テキトーなところで死んだら笑って少し安心していた。

主役になれない傍観者。

 

 

 

しどろもどろ。

頭の中で言葉がまとまりなく散らばっている。

その中から選ぶのも一苦労、捕まえるのもまた一苦労。

 

出来事のあらましは分かっているつもりだが、いい加減に詰め込んだオモチャ箱みたいに整理ができていない。

そして、どこを拾うか切り捨てるか、どこを肉付けするか、それをどう展開するか、これらを全く場当たり的にやろうとしてしまっている。

 

いやもちろん、大抵の人はスピーチ原稿など用意しなくても滞りなく話せるものだろう。

 

こと自分に関しては、それができない。

遅鈍な僕は、情報の取捨選択、言葉の取捨選択を瞬時にこなせる人間ではないのだ。

上手く言葉にできないもどかしさと、自前の頭の悪さに責め苛まれ、言葉を覚えたばかりの幼児のようにたどたどしく拙い語りしかできないのだ。

あわれ、口下手の面目躍如。

 

 

語りの拙さはブログでも健在だ。

文のつながりや段落のつながりが悪かったり、不必要な情報が入っていたり、話の広げ方が不十分だったりしたら、それは語り下手の証、隠しきれないバカの証だ。

時間の縛りがない文章でこの有様なのだから、現実の無様さは推して知るべし。

 

 

一事が万事この調子では、僕が聞き役に回らない方が不自然だろう。

他の人は自信と余裕を持って、スラスラと小気味よいテンポで話を展開し、笑いどころまで用意してのける。

からしたら常人離れしているが、これらを常人がやってのけているのが現実だ。

 

小中高大すべて話巧者に囲まれ、ひょっとしたら口下手は七十億分の一の類い稀なる才能なのではないか、と自虐的な気分に陥ることは稀ではない。

 

おどおどと自信もなく、小さく聞き取りにくい声でぼそぼそと、話す内容はちぐはぐで、聞く者に苦笑いを提供する男。

 

これでどうして自ら話をしたくなるだろうか。

 

自分より他の人が語る方がまとまっていて笑いもとれる。

仮に一人で面白い事に出くわしても、自分は口下手だからいいや。

どうせ他の人が別の面白い話をしてくれるから。

友達は話好きで楽しそうに話すし、家でも母と兄と時々父が賑やかにやっているし。

 

 

もう、語らなくていいや。

 

 

こうした諦めを自覚したのはいつからだろう。

中学生だろうか。

その頃には語りの差は歴然だった。

 

話すのは誰かに任せっきり。

語れないなら流してしまおう。

日常は名もない映像と化した。

 

日々をぼんやりと過ごし、誰かの語りを聞くだけ。

 

 

それならせめて聞く力をつけよう。

ツッコミ力も上げよう。

 

 

ボケとは違和感だ。

ツッコミはその違和感を指摘する。

 

違和感に気づくには話をよく聞いていなければならない。

どの部分がどうおかしいか素早く明快な指摘ができれば嬉しいが、そんな経験は無いに等しい。

幸いツッコミ役はそれほど立ち入らないでも、「なんでやねん(エセ関西弁)」の一言で事足りる。

「仕組まれたボケに気づきましたよ」とサインを送りさえすれば、その場は成立するからだ。

それにしても、何気ない会話でもすれ違うことが少なくないのに、意図的であろうとなかろうと、違和感を放り込んでみせるボケ役の勇気には恐れ入る。

 

 

 

「聞き上手」と言われたことが三度ある。

長らくその言葉にあぐらをかいていたが、今はもう反省して正座している。

僕は聞き役としてはきわめて平凡だ。

 

 

感心すれば「へー」と言い、驚けば「マジで?」と返す。

相槌は「うん」とか「ふん」とか「ほー」とか。

立て板に水のときは、邪魔にならないよう頷くだけ。

笑うところは笑う。

相手が詰まれば、言葉を補ってみる。

話は遮らず、最後まで聞く。

 

 

こんなこと、聞き役をもって自任する僕だけでなく全人類が行なっている、何の変哲もないことだ。

「聞き上手」には程遠い。

 

 

心掛けとしては、なるべく相手を否定しないようにしている。

自分が理解できないからといって否定はしたくない。

他の誰かなら理解して共感を示せるかもしれない何かを、自分が否定することで相手の知性感性の閃きをもみ消してしまうのは、あまりにもったいない。

 

人は多面体だ。

相手に見せているのは、その人の一面にすぎない。

まずはその一面を理解しようとすること。

たとえその人にそぐわない言動が出ても、らしくないと突っぱねずに別の一面なのだと理解しようとすること。

 

新たな人物像が浮き上がるのは非常に興味深い。

無意識の決めつけを省み、人間の豊かさを知る。

 

 

我ながらキレイ事を書いている。

実際の僕は、きっと無自覚に相手を否定しているのだろう。

そう思う今は、聞き手としての自分に懐疑的だ。

 

「人は多面体」という信条は、心の目隠しでしかなかったのではないか。

 

「この人はこういう人だ」と言えないのは、相手を限定しないためではなく、相手の一面さえも正視してなかっただけではないか。

 

すべてを受け容れようとする心は、すべてを受け流す心だったのではないか。

 

深い人間理解とやらに自惚れ、溺れていただけではないのか。

 

 

 

「聞き上手は話し上手」と人は言う。

それならなぜ僕は話し下手なのか。

 

僕が聞き上手なのではない。

周りが話し上手なのだ。

 

 

話し手が用意した間やボケに応じて、相槌を打たされたりツッコミを入れさせられたりしていただけだ。

 

何もかも相手の手の平の上。

僕は何もしていない。

 

すべてが楽しめるよう設計されている遊園地。

「楽しく遊んでおいで」と言われた子ども。

 

きっと聞き上手とは、相手の話を引き出したり広げたりするのが上手な人のことだろう。

僕にその力はない。

 

 

 

 

初対面が大嫌いだ。

知らない人を前にすると、頭が働きすぎて働かない。

何を喋るのが適切か。

何を質問するのが適切か。

この場に相応しい言葉は何か。

変なことを口走っていないか。

沈黙を迎えたらどうするか。

この気まずい沈黙をどう埋めるか。

気まずい、沈黙、気まずい。

困ったようにヘラヘラ笑い、逃げたくて仕方がない。

 

 

 

僕にとって会話とは、不可解のフェンシングだ。

相手の言葉に曖昧な点があったら、そこを突く。

 

ところが初対面の相手というのは、不可解を体現しすぎている。

緊張も災いして、どこを突けばいいのか更に分からない。

おまけにボケ役のような勇気は持ち合わせていない。

自分から仕掛けることはできない。

 

美術やプレゼンで一番苦手なのは、テーマが自由な時。

無限の自由を前に、ただ立ち尽くしてしまう。

アイディアが浮かばず考えに考え、ようやく思いついてもこれで良いのかと悩みに悩み、授業内で完成することはなかった。

 

 

決められない優柔不断。

踏みこめない小心翼々。

 

 

 

今までどうやって友達を作ってきたのか、と不思議に思う方もいるだろう。

答えは単純。

相手が果敢に踏みこめる人だったから。

 

 

 

 

 

話題に乏しい男。

 

話題とは三つに大別できる。

①自分の話(最近の出来事、趣味)

②世間の話(テレビ、ニュース)

③状況の話(これはインスタ映え

 

 

僕の場合。

①自分の話

口下手だから話したくないし、そもそも話すようなネタがない。

 

②世間の話

ドラマは見ていないし、アニメも見なくなった。

面白い番組を見ても、相手も見ていなかったら説明義務が生じる。

とかく説明下手な僕には重荷となるため、自分から切り出すのは困難だ。

 

説明が下手なのは記憶の曖昧さも原因だろう。

三十分前に見たサザエさんの内容を説明しろと言われても、言葉に詰まる。

天性の忘れん坊将軍なのか、語るという前提がないまま流し見しているからなのか。

 

 

流行にも疎い。

追う体力がない。

今これだけ執拗に報道されている日馬富士の事件も、少し前にあった座間市の首吊り師のことも、おそらく一ヶ月後にはキレイさっぱり忘れているだろう。

芸能ニュースはどうでもいいものばかりだ。

名前と顔しか知らない人が熱愛しようが不倫しようが事故を起こそうが、自分の生活には一切関わりがない。

一時の流行を熱烈に追いかけまわしてはすぐ忘れ、新たな流行に乗っかってはまたすぐ降りて。

これで自分に何が残るのだろう。

その瞬間その瞬間を全力で楽しめて、その全力をコツコツ積み上げていけるタイプではない。

束の間の熱狂より、恒常的な微温。

自分の中の絶対が欲しい。

 

 

そうなれば自然と排他的になる。

鎖国が始まる。

新しいことは取り込まず、趣味だけに生きる。

 

以前アメトーークでゴルフ芸人を放送していた。

オードリー若林は人見知りで有名だ。

ゴルフを始める前は、スタッフを前に沈黙の幕を下ろしていた若林。

ゴルフが趣味になってからというもの、初対面でもゴルフのことをのべつ幕なしに熱く語る様子が映し出された。

これを受けて番組は、「ゴルフを始めたことで若林が明るくなった」と、あたかもゴルフというスポーツの効能であるかのように結論づけていたが、これは間違いだ。

人見知りは初対面だと会話の糸口を見つけられない。

若林はゴルフを始めたことで、ゴルフという共通の話題を手に入れ、それで臆さず話せるようになったのだろう。

(あるいは単純に、芸能人生活が長くなって人見知りを克服しただけかもしれない)

 

共通の話題としては趣味が共感を得やすい。

だけど僕の趣味はインドアで自己完結している。他人を巻き込まない。

 

読書が趣味の人と会っても、好きな作家が被ることはまずない。

いかんせん説明下手だから作品を紹介できない。

好きな作家・作品は?と訊かれても、パッと出てこないこともある。

好きなものがないのかもしれない。

 

好きを語るのが苦手だ。

好きは好きであって、説明する必要がないと思っているからだ。

それは怠惰でしかないのかもしれない。

一度リストにまとめてみた方が良さそうだ。

 

テニス観戦が趣味の人は周りにいない。

品川のテニスバーで他の人と一緒に観られるらしいが、脚が重い。

興奮するなら一人がいい。

 

好きな歌手は、名前を言っても分かってもらえない。

高二からライブに通い始めれば、流石によく見かける顔もあるが、内輪の空気が出来上がっていて飛び込む勇気がない。一人が楽でもある。

Twitterのアカウントも交流より情報収集がメイン。

 

 

今はしてないが一時期散歩が趣味だった。

もしそれが都内を練り歩くのだったら様々な発見があって話題にもできただろう。

実態は、ただ地元をぼんやりぐるぐる歩き回るだけで、発見といったら住み慣れた町なのに案外通ったことのない道がある、という単純で無内容なもの。

 

 

学生同士の自己紹介は、まず「どこ大?」「何学部?」から入る。

大した盛り上がりもなく時間稼ぎもできず、すぐ話題がお互いの趣味へと変わるが、やはり話を膨らます技量が足りず、思い出話も無ければ、当然気詰まりな時間になる。

 

 

「聞いてよ、この前ね、暇だから散歩しようかなって地元を歩いてたんだけど、そしたら意外とね、知らない道があるんだなって思って、見慣れたものとよく見たものはイコールじゃないんだなって気づいて、そこまではいいんだけど、ほら私、方向音痴じゃん、だからちょっと知らない道に出ると、それだけで迷子になった気がして、心細くてその場にうずくまっちゃって、当たり前だけど状況は変わらないし、どんどん日が暮れちゃうし、困ったな困ったなって頭抱えていたけど、笑わないでね、簡単な話、やっぱり笑っていいよ、脚を動かせばいいんだなって、いやジタバタさせるんじゃなくて、立って前に後ろに交互に動かすやつ、歩くっていうのかな、そうすれば知ってる道にも出れて、心も太ましくなるんじゃないかって、思いついたの、その時は世紀の大発見って感じだったけど、あとあと考えてみたら天才的なバカだね、私」

 

無内容を押し切る饒舌あれよかし。

 

 

友達とも話題が尽きることがある。

相手の近況を聞いて、僕は白紙の報告書を提出し、必然の沈黙を受け取る。

何度も繰り返された思い出話に花咲か爺さん、相手の饒舌で時間を繋ぎ止めたまま解散となればまだ良いが、話題がいよいよ尽きると、意味のない言葉を宙に投げ捨てる。あるいは沈黙を聞く。

ある程度の仲でないと難しい。

 

 

暴けば暴くほど退屈な人間だ。

少なくとも自分だったら関わり合いになどなりたくない。

友達が付き合いを続けてくれているのは、昔からのよしみという惰性だろうか。

 

その惰性に甘えて僕は進歩しようとしてこなかった。

このまま話し下手の聞き下手でも構わない。

そう信じて疑わなかった。

 

 

 

世の中は甘くない。

就活だ。

これほど相性の悪い手合いはない。

僕と就活の組み合わせを見たら、犬と猿も油と水も宇宙の底まで愛し合うことだろう。

 

就活は、自分がどういう人間であるかをエピソードを交えて自らの口で語らなければならない。

人生の主人公として振る舞わなければならない。

社会は傍観者気取りの話し下手を求めていない。

 

 

 

 

いいところなんてない。

魅力的な素質も、魅力的に見せる話術もない。

 

自分を押し出せない奴が成功するはずもなく、案の定、挫折した。

 

苦しまぎれに休学という延命措置を施しているが、来年なら勝てるという保証も自信もない。

 

 

 

 

話し手は発明家で、聞き手は利用者。

発明ができるのはその人だけ、発明品を使うのは誰でもいい。

 

聞き手は任意の存在だ。話を聞くのはあの人でもいいし、この人でもいい。Siriだっていい。

それに対して、話を語るのはその人にしかできない。身の回りの出来事を語るにしろ、頭の中の考えを披露するにしろ、それを語るのは、その人でなければならない。唯一無二の掛け替えのない存在だ。

 

 

これまで下手な聞き手を務めてきた僕は、誰にとっても代替可能な存在でしかなかった。

おかげで自分がどういう人間なのかも見えていない。

 

 

語り手は彫刻家だ。

知覚や経験というあやふやなものを脳の外に出し、己の存在を他者に刻み込む。

人は語りによって、自己を確立する。

他者の中に確かな生の刻印を残す。

 

 

 

だから僕はブログを書かなければならない。

自己を整理し、認識し、保存するために。

誰かの胸に残るように。

 

下手くそでもいい。

語ることを諦めてはいけない。

 

 

 

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セルフ男子校 要点のみ(−7400字)

彼女が欲しいという願望が欠落していた。

結婚したいという願望もない。

リア充爆発しろ」という僻み根性丸出しの呪詛も、その過激な響きが愉快だから口にしていただけで羨ましいとは思っていなかった。

酸素の元素記号がHAPPYになるクリスマスだって、家でのんびりする平凡な一日に過ぎなかった。




勝手に幸せになっていればいい。

自分は十分に幸せだから。



ただ、解けない疑問が胸に蟠っていた。


どうして周りは異性とも仲良くしているのか。

同性の友達とバカ笑いするだけで満足ではないのか。





過去を生きる男。


高校生の頃、小中高が同じ友達の一人とは「高校は中学に比べて退屈だ」という話を再三にわたって繰り返していた。

中学時代を思い返しては必要以上に記憶を美化し、なかなか「今」を認めようとはしなかった。

「今」だって楽しいくせに。

「今」を生き抜けば、それは語られる過去になるのに。



過去にすがりつく傾向は大学生の坊やになっても変わらなかった。

大学はぼっちでも構わない。

中高の友達がいるから。

近況報告をしたり、思い出話で盛り上がったり。

ただその中で、僕の近況報告は白紙のことが多い。

中高の友達と地元で遊ぶ、過去の人と過去の場所で遊ぶのだから目新しい事があるわけがない。

大学の友達と都内のオシャレなカフェに入ったり美味しい店を探したり飲み明かしたりという、新しい人と新しい場所が欠けている。



人生の夏休みで内向性が幅をきかせるようになった。

大学は必修を除いてクラスの概念がない。

つまり人付き合いが選択的になる。

その自由を前にして僕が選んだのは、幼児退行したかのような内向性の肥大化だった。

その結果、大学でできた友達は必修で二年を共にした二、三人だけ。

一緒に授業を受けたり、昼飯に誘われたり、海外旅行にも行ったことのある仲だ。



LINEの連絡先は100人だが、そのうちの90人を切っても支障はないだろう。

人のホーム画面を見ると、目に映るのはLINEの通知数。

常に赤いバッジがついており、その数も二桁三桁が当たり前。

一方の僕は、たまに連絡が来れば上出来。

しかし今はその数少ない連絡にさえ返すのが億劫だ。

遊びの誘いも待つのが基本。

こちらから仕掛けずとも向こうから誘いが来るのが分かっているから。

それに遊ぼうという気概も老衰しており、月に一度遊べば充分だ。

人生の夏休みだからこそ、家でごろごろごろごろ。



ひとつでも居場所があれば、それでいい。




自分の人見知り具合を考えれば、狭く深くの関係になるのは当然だ。

小中高が同じ友達に「◯◯と仲良くなるには十二年かかる」とも言われたが、あながち間違いではないと思う。

高校からずっと通っている美容院は、ようやく慣れてきたとはいえ、いまだに緊張する。

二、三ヶ月に一度で、一回一時間。

山にならない塵。

大学の必修は週二回。

肩の力が抜けて女子とまともに話せるようになったのは二年になってからだった。



女性というものは、男性自らが開拓しなければならない。

その開拓するはずの男が堅固な守りに徹してしまっている。

仮に女性から話しかけられても、おどおどぼそぼそ返す男なんて異様で気味が悪い。

女性は愛想を尽かし、僕の存在はその人の中から抹消される。

人付き合いが強制ではない大学という空間で、打ち解けるまで時間のかかる奴を女性が相手にするだろうか。

おかげで好きになるほど深く関わる機会がない。






材料は出揃った。


最小限の人付き合い。

最強の人見知りと最弱のコミュ力。

乙女チックな受動態。



これまでに彼女ができた数をx、女友達ができた数をyとすると次の連立方程式が成り立つ。


x+y=0

xy=0


この式の解は、x=0,y=0である。



小中高大16年間、共学でありながら彼女はおろか女友達さえできなかった。



セルフ男子校、ここに開校。





セルフ男子校 縮小版(−2000字)

ひとり、ぽつんと。

庭でうつむく幼稚園児の姿。


友達はいなかった。

いないことが当たり前だった。

ひとりでいることに何の疑問も持たなかった。

どうして周りは複数人で遊んでいるのか。

それすら思わない。

外界への目が閉ざされていた。


休み時間に庭に出ると、ぼんやりと歩き回った。

ひとり、気ままに空想に耽っていた。



社交性の無い子。

親が家を空ける際は隣家に預かってもらったが、借りてきた猫のように物静かで懐こうとはしなかったそうだ。


正月や夏休みに祖父母の家に向かう道中、「しっかりこんにちはって挨拶するんだよ」と母に言われ、心が重くなった。

「こんにちは」の五文字を頭の中で何度も反芻しながら到着。

おずおずと小声で挨拶すると、一仕事終えたようにほっと一息ついた。



幼稚園児は小学生になった。

入学する前から新しい環境への不安でひどく緊張していた。


家族に対してさえ口数が多くないのに、家族ですらない人たちと接するなんて。



「人みしり」

新学年ごとに書く自己紹介カードの決まり文句だった。

どういう性格か親に訊いたら

「おとなしい、人見知り、引っ込み思案」との返答。

引っ込み思案の意味は分からなかったが、とりあえず書いておいた。



一年生。

記憶は深海に。

どうせ最初のうちは赤面してばかりだっただろう。

それでも出席番号の近い男子と仲良くなり、友達には恵まれた。




友達と遊ばない日はリビングでポケモンのフィギュアを配置して自前の物語を進めていた。

傍から見たら、何もしないでじっとフィギュアを眺めているだけの静の遊戯だっただろう。



この頃からか、父と兄と一緒の寝室で眠りに落ちるまで、常夜灯に照らされた障子や天井の木目に物語が走り始めた。

一日の終わりのこの時間が好きで、小学校卒業まで空想を逞しくしていた。




三年生。

初のクラス替え。

下駄箱に貼り出された新しいクラス名簿には、一、二年で仲良くしていた三人がいた。

そのうち二人は誕生日が近く、最初は出席番号順で座るため距離も近かったが、もう一人は少し離れていた。

見ると知らない男子と楽しそうに話している。

自分の友達を奪われたような気持ちを淡く抱いたものの、接してみたらすぐに打ち解けた。





友達の家にお邪魔すると、近所の他クラスの男子がいて、当然人見知りを発揮したものの、ゲームの力で親しくなっていった。

近くの公園をポコペンや缶蹴りをして飽きもせず駆け回った。

ポコペンで自分が鬼になった時、「◯◯見っけポコペン」と声に出す約束事に躓いたのをよく覚えている。

姿は見えすぎるほど見えているのに、他クラスの男子を君付けで呼ぶか周りが呼んでいるアダ名で呼ぶかで困り果てている間に、みんな痺れを切らして鬼を交代、ついに名前を呼べずに終わったことがある。

名字に君付けでは遠すぎる。

かといってアダ名では近すぎる。



———


女子の話。


二年生の時、バレンタインデーにチョコをもらった。

わざわざ親御さんの車で来て、チョコケーキを手渡してくれた。

寝起きでボケている頭に緊張が混ざり、よく分からないながらに小さくお礼を言った。

チョコケーキはとても美味しく商品のようであったけど、箱に添えてあったメモの「がんばってつくったけど、どうかな」を信じるならば二年生にしてプロ並みの腕前を持っていたことになるが、その辺のことはよく分からない。


授業の一環でやり取りしていた手紙に「おいしかったです」と書いたような気がする。


ホワイトデー。

同じように親に連れられ、相手の家へと向かった。

緊張の二乗ともいうべき体でかろうじて日本語に聞こえる「バレンタインデーはありがとう」みたいな文言をこれまたぼそぼそと唱えた。



三年生。

かわいい女の子がいた。

惚れてはいなかったけど、とにかくかわいい子がいた。

休み時間、教室のドア付近でいつもの五人組でふざけていたのだろうか、ちょうど入ってきたその子のお腹に肘が当たってしまった。

焦りに焦り、謝りに謝ったがそのお腹のやわらかさが肘に残っていて、どちらの意味で深謝しているのかよく分からない状況だった。




同じく三年生。

僕がとある女子を好きなんじゃないかと周りが勝手に盛り上がっていた時期があったが、僕にはその気持ちはなかった。もちろん相手にも。

ある日、何の脈絡か覚えていないが、その子が同じ班の男子の匂いを嗅ぐという流れになり、嗅いでもらったら「無臭」との評価が下されたのだが、これが一番よく分からない。



———





中学生。

ワイシャツ、ブレザー、ネクタイ、ベルト、生徒手帳。

慣れないものばかり。

三度目となるクラス替えも、慣れることはない。


それでも小規模な学年で六年を共にしているだけあって、知らない人の方が少なくなる。

たとえ知らない人でも席の前後で班になれば自然と会話が生まれる。



「先生、◯◯変わったんだよ」

女子がそう報告していたのは、六年の時の担任が授業参観に訪れた日。

照れ笑いを浮かべる僕とは対照的に、佐藤は「そうか?◯◯いつもこんな感じじゃん」と冷静だ。


人見知りも、六年の歳月を一緒に過ごしたことで何かが吹っ切れた。

寡黙だからといって真面目とは限らない。

真面目ではない自分を少し解放してみてもいいかなと思えるようになっていた。

実際、ボケたりツッコんだりふざけたりして笑ってもらえるととても嬉しかった。

隣の女子とも話せるようになっていて、人見知りの面影はどこにもなかった。



中学校は極彩色の笑い。







高校の入学式が終わり、教室へと向かう。

席は一番後ろだった。

全体を一望できる席。

私服かつ髪染め自由の高校なだけあって、黒山ではなかった。

チャラそうなのもイカつそうなのもギャルもいる。

参ったな、環境が違いすぎる。

環境適応能力の低い僕は圧倒されてしまった。

それでも似た者の嗅覚と言おうか、この人達と絡んでこの一年を凌ぐだろうという目星はついていた。

しかし何て声を掛けよう。

これは小中学時代に限らず今もだが、新しい環境に投げ込まれた時、一度も自分から声を掛けたことがない。

高一の自分にその因果が分かるはずもなく、どうするかどうしようか二の足踏み踏み、狙いの男子はなんと隣の女子と話している。

終わった。見る目がなかった。

他を当たろうかと思いつつ、その会話を盗み聞きしていると、初対面にしてはあまりにも馴れ馴れしい。

それもそのはず、二人は同じ中学の出身ということが聞いているうちに判明した。

安心した。

その男子が驚異的対人スキルの持ち主ではないことに。

それでも自分が話しかけられていないという状況は変わらない。

声を掛けるか、でもなんて、「あ、どうも」か、バカなんだそれ、「あ、はあ」で会話終了じゃないか、じゃあどうしろと、思いつかない、思いつかない。

ナンパでもあるまいし、第一声をどうするかなんてことで逡巡している時の表情はさぞかし醜いのだろう。

ただならぬ気配を感じ取ったのか、もちろんそんな訳ないが、目当ての男子の方から声を掛けてもらった。

まるでアプローチ待ちの乙女だ。

ぎこちないながらも会話にはなっていたと思う。

案の定、彼は向こう側の住民ではなかった。





別の日。

好きな食べ物を答える謎の時間に、僕の列が選ばれた。

うどん、ラーメン、お寿司など。

当たり障りのない回答ばかりでなんともつまらない。

ここは一度外してみよう。

「はい、次」

「枝豆」

「え?」

「枝豆です」

ささやかな笑いと戸惑い。

期待通りの反応だ。

平和な答えの連続が意図せぬ前フリになっているとはいえ、見るからに陰気な奴が率先して場をかき乱すとは到底考えにくい。

そこにこそ活路がある。


中学時代、己を解放した僕は「面白い」との褒め言葉をもらうことが稀にあった。

ただの面白いではなく、その前には必ず「意外と」がついた。

発言内容もさることながら、人見知りで口数の少ない根暗そうな奴が口を開いてなにか面白そうなことを言っているという状況も手伝って、ギャップを抱かずにはいられなくなるのだ、と思う。

根暗に対する笑いの期待値が極めて低いからこそ起こる現象である、と思う。

それを責めるのではなく、そこで攻めることが根暗界の重鎮に残された唯一の活路なのだ、と思う。

などと大それたことを高一の頭で考えていた訳ではなく、ぼんやりとギャップが武器になることを掴みかけていた頃の小咄。



選択科目は書道。

隣のクラスと合同で、各部屋に分かれて授業を受ける。

そこで僕は中央最前列に置かれてしまった。

目の前に人はなく、教卓と黒板があるだけ。

隣に女子。

後ろの男女はすでに話している。

更に後方では明るい男子が盛り上がっている。

さてどうする。

まず後ろの男子を落とすのが上策。

しかし、後ろを振り向くのには勇気が要る。

後ろを振り向くとは会話への参加表明に他ならないが、それは当方の都合に過ぎず、ひょっとしたら先方は、「異性との睦言に割って入る根暗」という烙印を押すだけ押して何食わぬ顔で会話を続け、その連帯により親密度もひとしお、僕はひとり赤っ恥、そっと体を前に戻す哀れな男、なんて事態になりかねない。

かといって入学して一月も経たないのにこのまま真正面をじっと見据える不審な男になるのも御免被りたい。

参ったな、板挟みだ。

途方に暮れていると、隣の女子が後ろの会話に加わった。

この機を逃せば金輪際ない、行かざるを得ないと決心したのか、気を遣って声をかけてくれたのか、肝心の記憶は抜け落ちている。

結局、その男子とは仲良くなった。

後から聞いてみると、枝豆事変で「面白そうな奴だな」と思ってもらえていたらしい。



第一の男と第二の男を起点に、同族への友好の輪が広がり、居場所が定まった。

同じ現象は教室中で起きていて、男女陰陽それぞれ四グループにまとまった。


僕の所属は、チーム負け組



体育祭の親睦会は周りが行くから行った。

上級生、年上は苦手だ。

失礼のないよう心掛けるとそれだけで頭がいっぱいになり何を喋ればよいのか。

それに初対面だし。

せめて友達と一緒の席になれたら。


希望は希望、現実は現実。

あろうことか、もっとも一緒になりたくないと思っていた野球部の男を振り分けられてしまった。

その男は、威圧的な表情で怖いのだ。

中学時代の野球部は旧知の仲だけあって親しみやすい連中だった。

高校の野球部は未知の仲だけあって親しみのない連中だ。

特にこの男は人を睨むように見る。

ビビり上がってしまう。

初対面の先輩方、恐怖と苦手意識の権化、それと陰気奴。

店内のガヤが大きく聞こえる、会話の打ち沈んだ席。

来たことを後悔した。

奇遇なことに、野球部も同感らしかった。

よその楽しそうな席を見回しては露骨にため息をつき、「つまんない」と小さく漏らす。

分かるけどそれは外に出しちゃ駄目でしょうが。

しばらくすると男は別の席に移り、お仲間と浮かれ騒いでいた。

チーム負け組もそれなりによろしくやっているようだ。

ひとり、惨敗。






夏休みにはディズニーランドに行った。

家族以外とは行ったことのないテーマパーク。

ディズニー大好き男に連れ回され、脚が棒になった。



昼間、偶然にも佐藤と会った。

しかも彼女を連れて。

チラッと見ると、スラリとした女性。

顔は覚えていない。

佐藤とは少し話して別れた。



そうか、佐藤にも彼女が。


現物を見ておきながら実感が湧かないでいる。

知らない人の心にもスッと踏み込めて話術に長けた佐藤なら、高校生にもなれば彼女ができても何ら不思議はない。

しかし、不思議とそこに考えが及ぶことがなかった。

小中学校の同級生に恋愛というものが上手く結びつかなかった。

もちろん中学生にもなれば、ワックスをつけてみたり、体育の後は教室をシーブリーズの香りで満たしたり、女子はスカートの丈を短くしたりするなど色気づき始める年頃だ。

誰が誰を好きで告白しただとか付き合ってるだとか色恋の噂も飛び交い、ネタにもされていたが、そうした恋愛の表舞台に立っているのは全体の一割二割に過ぎなかった。

大半が客席に座るか、舞台袖に身を隠していた。

自分だって初恋を経験していたが、付き合うということを理科で習った宇宙のように無関係なものに感じていた。


彼女が欲しいという願望が欠落していた。

結婚したいという願望も。

リア充爆発しろ」という僻み根性丸出しの呪詛も、その過激な響きが愉快だから口にしていただけで羨ましいとは思っていなかった。

酸素の元素記号がHAPPYになるクリスマスだって、家でのんびりする平凡な一日に過ぎなかった。

(高二からコンサートに行くようになり、特別な一日に変わったが)


勝手に幸せになっていればいい。

自分は十分に幸せだから。



ただ、解けない疑問が胸に蟠っていた。


どうして周りは異性とも仲良くしているのか。

同性の友達とバカ笑いするだけで満足ではないのか。





過去を生きる男。


高校生の頃、小中高が同じ友達の一人とは「高校は中学に比べて退屈だ」という話を再三にわたって繰り返していた。

中学時代を思い返しては必要以上に記憶を美化し、なかなか「今」を認めようとはしなかった。

「今」だって楽しいくせに。

「今」を生き抜けば、それは語られる過去になるのに。



過去にすがりつく傾向は大学生の坊やになっても変わらなかった。

大学はぼっちでも構わない。

始めはひとりだったから、というより中高の友達がいるから。

佐藤とも会うし、中学の他の友達ともチーム負け組ともたまに会う。

近況報告をしたり、思い出話で盛り上がったり。

ただその中で、僕の近況報告は白紙のことが多い。

中高の友達と地元で遊ぶ、過去の人と過去の場所で遊ぶのだから目新しい事があるわけがない。

大学の友達と都内のオシャレなカフェに入ったり美味しい店を探したり飲み明かしたりという、新しい人と新しい場所が欠けている。



人生の夏休みで内向性が幅をきかせるようになった。

大学は必修を除いてクラスの概念がない。

つまり人付き合いが選択的になる。

その自由を前にして僕が選んだのは、幼児退行したかのような内向性の肥大化だった。

その結果、大学でできた友達は必修で二年を共にした二、三人だけ。

一緒に授業を受けたり、昼飯に誘われたり、海外旅行にも行ったことのある仲だ。



LINEの連絡先は100人だが、そのうちの90人を切っても支障はないだろう。

人のホーム画面を見ると、目に映るのはLINEの通知数。

常に赤いバッジがついており、その数も二桁三桁が当たり前。

一方の僕は、たまに連絡が来れば上出来。

しかし今はその数少ない連絡にさえ返すのが億劫だ。

遊びの誘いも待つのが基本。

こちらから仕掛けずとも向こうから誘いが来るのが分かっているから。

それに遊ぼうという気概も老衰しており、月に一度遊べば充分だ。

人生の夏休みだからこそ、家でごろごろごろごろ。



ひとつでも居場所があれば、それでいい。




自分の人見知り具合を考えれば、狭く深くの関係になるのは当然だ。

小中高が同じ友達に「◯◯と仲良くなるには十二年かかる」とも言われたが、あながち間違いではないと思う。

高校からずっと通っている美容院は、ようやく慣れてきたとはいえ、いまだに緊張する。

二、三ヶ月に一度で、一回一時間。

山にならない塵。

大学の必修は週二回。

肩の力が抜けて女子とまともに話せるようになったのは二年になってからだった。



女性というものは、男性自らが開拓しなければならない。

その開拓するはずの男が堅固な守りに徹してしまっている。

仮に女性から話しかけられても、おどおどぼそぼそ返す男なんて異様で気味が悪い。

女性は愛想を尽かし、僕の存在はその人の中から抹消される。

人付き合いが強制ではない大学という空間で、打ち解けるまで時間のかかる奴を女性が相手にするだろうか。

おかげで好きになるほど深く関わる機会がない。






材料は出揃った。


最小限の人付き合い。

最強の人見知りと最弱のコミュ力。

乙女チックな受動態。



これまでに彼女ができた数をx、女友達ができた数をyとすると次の連立方程式が成り立つ。


x+y=0

xy=0


この式の解は、x=0,y=0である。



小中高大16年間、共学でありながら彼女はおろか女友達さえできなかった。



セルフ男子校、ここに開校。




セルフ男子校

ひとり、ぽつんと。

庭でうつむく幼稚園児の姿。


友達はいなかった。

いないことが当たり前だった。

ひとりでいることに何の疑問も持たなかった。

どうして周りは複数人で遊んでいるのか。

それすら思わない。

外界への目が閉ざされていた。


休み時間に庭に出ると、ぼんやりと歩き回った。

ひとり、気ままに空想に耽っていた。



社交性の無い子。

親が家を空ける際は隣家に預かってもらったが、借りてきた猫のように物静かで懐こうとはしなかったそうだ。


正月や夏休みに祖父母の家に向かう道中、「しっかりこんにちはって挨拶するんだよ」と母に言われ、心が重くなった。

「こんにちは」の五文字を頭の中で何度も反芻しながら到着、おずおずと小声で挨拶すると、一仕事終えたようにほっと一息ついた。



幼稚園児は小学生になった。

入学する前から新しい環境への不安でひどく緊張していた。


家族に対してさえ口数が多くないのに、家族ですらない人たちと接するなんて。



「人みしり」

新学年ごとに書く自己紹介カードの決まり文句だった。

どういう性格か親に訊いたら

「おとなしい、人見知り、引っ込み思案」との返答。

引っ込み思案の意味は分からなかったが、とりあえず書いておいた。



一年生。

記憶は深海に。

どうせ最初のうちは赤面してばかりだっただろう。

それでも出席番号の近い男子と仲良くなり、友達には恵まれた。


二年生の頃、『鋼の錬金術師』OP曲「メリッサ」のカッコよさを語り合い、『BLEACH』で朽木ルキアが口にする「たわけ」という言葉が気に入っていた。



友達とは放課後もほどほどに遊んだ。

ポケモン金銀版、ロックマンエグゼ4、ベイブレード遊戯王、デュエマが共通言語。

友達の家にお邪魔してテレビゲームもした。



遊ばない日はリビングでポケモンのフィギュアを配置して自前の物語を進めていた。

傍から見たら、何もしないでじっとフィギュアを眺めているだけの静の遊戯だっただろう。



この頃からか、父と兄と一緒の寝室で眠りに落ちるまで、常夜灯に照らされた障子や天井の木目に物語が走り始めた。

一日の終わりのこの時間が好きで、小学校卒業まで空想を逞しくしていた。




三年生。

初のクラス替え。

下駄箱に貼り出された新しいクラス名簿には、一、二年で仲良くしていた三人がいた。

そのうち二人は誕生日が近く、最初は出席番号順で座るため距離も近かったが、もう一人は少し離れていた。

見ると知らない男子と楽しそうに話している。

自分の友達を奪われたような気持ちを淡く抱いたものの、接してみたらすぐに打ち解けた。

佐藤というその男子は、誰とでも仲良くなれる社交性を持ち、異常におもしろい少年だ。

元の四人に佐藤を合わせた五人が基本単位となった。

授業のグループワークも、休み時間も常に五人。

図書館をぶらついていたら目に留まった本の表題に感化され、「ズッコケ五人組」を自称した。


学校では五人組でも、放課後に集まるのは家の遠さを考えると難しい。

そこでよく遊んだのが、家が遠くない佐藤だった。

週六で習い事に勤しむ佐藤は、木曜が唯一空いていて、毎週木曜日は遊ぶ日と決まっていた。

夏休みはこっちから電話をかけて暇かどうか訊く仕来たりになっていて、半分は遊んだ。


家にお邪魔すると近所の他クラスの男子がいて、当然人見知りを発揮したものの、スマブラ64、DX、マリオパーティ4、カービィのエアライドなどゲームの力で親しくなっていった。

ゲームばかりではない。

近くの公園をポコペンや缶蹴りをして飽きもせず駆け回った。

ポコペンで自分が鬼になった時、「◯◯見っけポコペン」と声に出す約束事に躓いたのをよく覚えている。

姿は見えすぎるほど見えているのに、他クラスの男子を君付けで呼ぶか周りが呼んでいるアダ名で呼ぶかで困り果てている間に、みんな痺れを切らして鬼を交代、ついに名前を呼べずに終わったことがある。

名字に君付けでは遠すぎる。

かといってアダ名では近すぎる。



———


女子の話。


二年生の時、バレンタインデーにチョコをもらった。

わざわざ親御さんの車で来て、チョコケーキを手渡してくれた。

寝起きでボケている頭に緊張が混ざり、よく分からないながらに小さくお礼を言った。

チョコケーキはとても美味しく商品のようであったけど、箱に添えてあったメモの「がんばってつくったけど、どうかな」を信じるならば二年生にしてプロ並みの腕前を持っていたことになるが、その辺のことはよく分からない。


授業の一環でやり取りしていた手紙に「おいしかったです」と書いたような気がする。


ホワイトデー。

同じように親に連れられ、相手の家へと向かった。

緊張の二乗ともいうべき体でかろうじて日本語に聞こえる「バレンタインデーはありがとう」みたいな文言をこれまたぼそぼそと唱えた。



三年生。

かわいい女の子がいた。

惚れてはいなかったけど、とにかくかわいい子がいた。

休み時間、教室のドア付近でいつもの五人組でふざけていたのだろうか、ちょうど入ってきたその子のお腹に肘が当たってしまった。

焦りに焦り、謝りに謝ったがそのお腹のやわらかさが肘に残っていて、どちらの意味で深謝しているのかよく分からない状況だった。




同じく三年生。

僕がとある女子を好きなんじゃないかと周りが勝手に盛り上がっていた時期があったが、僕にはその気持ちはなかった。もちろん相手にも。

ある日、何の脈絡か覚えていないが、その子が同じ班の男子の匂いを嗅ぐという流れになり、嗅いでもらったら「無臭」との評価が下されたのだが、これが一番よく分からない。



———



またしてもクラス替えを迎える五年生になった。

一縷の望みに賭けていたが、祈念空しく、五人組は1:2:2の割合で散らばった。

僕は2だった。

だが、その一緒になった一人は新しい環境でそれぞれ別の友達と絡むようになり、一年からの仲でも距離が開いていった。


それでも変わらず五人組で遊ぶ休み時間もあった。

六年生の時、巨大な砂山作りに励んでいると、ひとつ下の五年生男子らも競うように作り上げている。

休み時間が終わり、ひとまず引き上げてまた次の時間に出て来たら、壊されていた。

それからは陣取り合戦なのか妨害工作なのか破壊工作なのか分からない上級生同士の泥仕合を繰り広げることになった。



「デスマラソン」というものにも興じた。

マラソンとは名ばかりで、木々の間を縦横に駆け巡り、三メートルほどの高さから飛び降りるコースを延々と走り続ける遊びだった。




回数はさすがに減ったが、クラスが分かれてからも佐藤の家にお邪魔することがあった。

佐藤は「大体ウチで遊ぶ時は複数人のことが多いんだけど、なぜか◯◯と遊ぶ時は一対一なんだよね」と口にしていた。





小六最大のイベントといえば、修学旅行。

写真係を任された僕はバスの外の風物にばかりフィルムを使い、「全然わたしたちの写真撮ってないじゃないの」と班長からお叱りを受けた。


宿泊部屋で男子二人に脇腹くすぐり地獄の憂き目に遭い、次の日も声が嗄れたままだった。




以上のような大雑把な記憶をもって小学校を卒業する段になった。

私立受験する人以外はそのまま同じ中学に進むため、何の感慨もない卒業式だった。




中学生。

ワイシャツ、ブレザー、ネクタイ、ベルト、生徒手帳。

慣れないものばかり。

三度目となるクラス替えも、慣れることはない。


佐藤と同じクラス。

五、六年の時に仲良くしていた友達もいた。

小規模な学年で六年を共にしているだけあって、知らない人の方が少なくなる。

たとえ知らない人でも席の前後で班になれば自然と会話が生まれる。



「先生、◯◯変わったんだよ」

女子がそう報告していたのは、六年の時の担任が授業参観に訪れた日。

照れ笑いを浮かべる僕とは対照的に、佐藤は「そうか?◯◯いつもこんな感じじゃん」と冷静だ。


人見知りも、六年の歳月を一緒に過ごしたことで何かが吹っ切れた。

寡黙だからといって真面目とは限らない。

真面目ではない自分を少し解放してみてもいいかなと思えるようになっていた。

実際、ボケたりツッコんだりふざけたりして笑ってもらえるととても嬉しかった。

隣の女子とも話せるようになっていて、人見知りの面影はどこにもなかった。



中学校は極彩色の笑い。



時間は省略され、卒業式を迎える。

卒業証書を貰いに壇上へ上がる際、一人一人が将来の夢や親への感謝を述べる慣習があった。

胃がキリキリする。

慣習からは逃れられず、ついに順番が回ってきてしまった。

定型文のような親への感謝を声を張り上げて言ったつもり。

自分の中の卒業式は終わったかのように気が緩んだ。

それからは残念ながら記憶に残らない先生方の祝辞をいただき、式は粛々と進行していった。

そして「旅立ちの日に」合唱。

例によって感動しちゃう女子は泣いている。

しかし自分も、この顔触れが揃うことも、この校舎でふざけ合うことも二度とないのか、と感傷的な気分になってしまう。

曲はサビへと盛り上がり、いよいよ込み上げてくるものがある。

と、感傷が頂点に達しようとしたその瞬間、一体何を思ったのか、隣の友人が裏声で歌い始めた。

マヌケなほど細く高い声を聞かされて僕の声は震えた。

流石だと思った。

彼も五人組の一人だった。





高校の入学式。

中学からは十人、同じ高校に入る。

部活が同じで仲の良い男子もいて、小学校の時のような不安はなかった。

それでも緊張は拭えない。

入学式の後に行われる新入生を迎える会で、壇上に立って二言三言の自己紹介を先輩の前でさせられるのだ。

本当に勘弁してくれ。

順番が来たらクラス毎にステージ袖に控える。

得体の知れない者同士、会話が生まれるはずもなく、ぎこちない空気が漂っていた。

着々と迫りくる順番。

一年を過ごすクラスメイトなのに全く頭に入らない自己紹介。

そしてマイクの前。

卒業式よりも大勢の前。

照明が熱い。

小っ恥ずかしい駄言をぼそぼそとマイクに届けてもらい、一件落着。



式が終わり、教室へと向かう。

席は一番後ろだった。

全体を一望できる席。

私服かつ髪染め自由の高校なだけあって、黒山ではなかった。

チャラそうなのもイカつそうなのもギャルもいる。

参ったな、環境が違いすぎる。

環境適応能力の低い僕は圧倒されてしまった。

それでも似た者の嗅覚と言おうか、この人達と絡んでこの一年を凌ぐだろうという目星はついていた。

しかし何て声を掛けよう。

これは小中学時代に限らず今もだが、新しい環境に投げ込まれた時、一度も自分から声を掛けたことがない。

高一の自分にその因果が分かるはずもなく、どうするかどうしようか二の足踏み踏み、狙いの男子はなんと隣の女子と話している。

終わった。見る目がなかった。

他を当たろうかと思いつつ、その会話を盗み聞きしていると、初対面にしてはあまりにも馴れ馴れしい。

それもそのはず、二人は同じ中学の出身ということが聞いているうちに判明した。

安心した。

その男子が驚異的対人スキルの持ち主ではないことに。

それでも自分が話しかけられていないという状況は変わらない。

声を掛けるか、でもなんて、「あ、どうも」か、バカなんだそれ、「あ、はあ」で会話終了じゃないか、じゃあどうしろと、思いつかない、思いつかない。

ナンパでもあるまいし、第一声をどうするかなんてことで逡巡している時の表情はさぞかし醜いのだろう。

ただならぬ気配を感じ取ったのか、もちろんそんな訳ないが、目当ての男子の方から声を掛けてもらった。

まるでアプローチ待ちの乙女だ。

ぎこちないながらも会話にはなっていたと思う。

案の定、彼は向こう側の住民ではなかった。



別の日。

好きな食べ物を答える謎の時間に、僕の列が選ばれた。

うどん、ラーメン、お寿司など。

当たり障りのない回答ばかりでなんともつまらない。

ここは一度外してみよう。

「はい、次」

「枝豆」

「え?」

「枝豆です」

ささやかな笑いと戸惑い。

期待通りの反応だ。

平和な答えの連続が意図せぬ前フリになっているとはいえ、見るからに陰気な奴が率先して場をかき乱すとは到底考えにくい。

そこにこそ活路がある。


中学時代、己を解放した僕は「面白い」との褒め言葉をもらうことが稀にあった。

ただの面白いではなく、その前には必ず「意外と」がついた。

発言内容もさることながら、人見知りで口数の少ない根暗そうな奴が口を開いてなにか面白そうなことを言っているという状況も手伝って、ギャップを抱かずにはいられなくなるのだ、と思う。

根暗に対する笑いの期待値が極めて低いからこそ起こる現象である、と思う。

それを責めるのではなく、そこで攻めることが根暗界の重鎮に残された唯一の活路なのだ、と思う。

などと大それたことを高一の頭で考えていた訳ではなく、ぼんやりとギャップが武器になることを掴みかけていた頃の小咄。



選択科目は書道。

隣のクラスと合同で、各部屋に分かれて授業を受ける。

そこで僕は中央最前列に置かれてしまった。

目の前に人はなく、教卓と黒板があるだけ。

隣に女子。

後ろの男女はすでに話している。

更に後方では明るい男子が盛り上がっている。

さてどうする。

まず後ろの男子を落とすのが上策。

しかし、後ろを振り向くのには勇気が要る。

後ろを振り向くとは会話への参加表明に他ならないが、それは当方の都合に過ぎず、ひょっとしたら先方は、「異性との睦言に割って入る根暗」という烙印を押すだけ押して何食わぬ顔で会話を続け、その連帯により親密度もひとしお、僕はひとり赤っ恥、そっと体を前に戻す哀れな男、なんて事態になりかねない。

かといって入学して一月も経たないのにこのまま真正面をじっと見据える不審な男になるのも御免被りたい。

参ったな、板挟みだ。

途方に暮れていると、隣の女子が後ろの会話に加わった。

この機を逃せば金輪際ない、行かざるを得ないと決心したのか、気を遣って声をかけてくれたのか、肝心の記憶は抜け落ちている。

結局、その男子とは仲良くなった。

後から聞いてみると、枝豆事変で「面白そうな奴だな」と思ってもらえていたらしい。



第一の男と第二の男を起点に、同族への友好の輪が広がり、居場所が定まった。

同じ現象は教室中で起きていて、男女陰陽それぞれ四グループにまとまった。


僕の所属は、チーム負け組。



体育祭の親睦会は周りが行くから行った。

上級生、年上は苦手だ。

失礼のないよう心掛けるとそれだけで頭がいっぱいになり何を喋ればよいのか。

それに初対面だし。

せめて友達と一緒の席になれたら。


希望は希望、現実は現実。

あろうことか、もっとも一緒になりたくないと思っていた野球部の男を振り分けられてしまった。

その男は、威圧的な表情で怖いのだ。

中学時代の野球部は旧知の仲だけあって親しみやすい連中だった。

高校の野球部は未知の仲だけあって親しみのない連中だ。

特にこの男は人を睨むように見る。

ビビり上がってしまう。

初対面の先輩方、恐怖と苦手意識の権化、それと陰気奴。

店内のガヤが大きく聞こえる、会話の打ち沈んだ席。

来たことを後悔した。

奇遇なことに、野球部も同感らしかった。

よその楽しそうな席を見回しては露骨にため息をつき、「つまんない」と小さく漏らす。

分かるけどそれは外に出しちゃ駄目でしょうが。

しばらくすると男は別の席に移り、お仲間と浮かれ騒いでいた。

チーム負け組もそれなりによろしくやっているようだ。

ひとり、惨敗。




チーム負け組が基本単位。

初の中間試験を終え、平々凡々な僕みたいのもいれば、意外と高順位で抜かりない奴もいた。

「内部抗争は不毛だ、期末で狙うは王座のみ」と負け組は決起結託した。

そこで何故か始まるメールの応酬。

試験前、ここが追い込みどころというのに誰からともなく一斉送信。

一晩で100通を超えることも珍しくなく、もはや試験勉強を妨害する地獄への道連れ旅だった。

もちろん王座を奪えるはずもなく、順位も落ちる、のではなく変動はなかった。

冴えない奴は冴えない、抜かりない奴は抜かりない。



遊びたい盛りの高校生。

マクドナルドでポテトを誰が買うかで争い、そのポテトも獰猛な獣たちに食い散らされる。


ボウリングではガーターをすれば煽り、スペアがとれなくても煽る。投げる前から煽る。


初めてカラオケにも行った。

音楽は聴くものだと知った。



夏休みにはディズニーランドにも行った。

家族以外とは行ったことのないテーマパーク。

ディズニー大好き男に連れ回され、脚が棒になった。

というだけならわざわざ書いたりしない。

昼間、偶然にも佐藤と会ったのだ。

しかも彼女を連れて。

チラッと見ると、スラリとした女性。

顔は覚えていない。

佐藤とは少し話して別れた。



そうか、佐藤にも彼女が。


現物を見ておきながら実感が湧かないでいる。

知らない人の心にもスッと踏み込めて話術に長けた佐藤なら、高校生にもなれば彼女ができても何ら不思議はない。

しかし、不思議とそこに考えが及ぶことがなかった。

小中学校の同級生に恋愛というものが上手く結びつかなかった。

もちろん中学生にもなれば、ワックスをつけてみたり、体育の後は教室をシーブリーズの香りで満たしたり、女子はスカートの丈を短くしたりするなど色気づき始める年頃だ。

誰が誰を好きで告白しただとか付き合ってるだとか色恋の噂も飛び交い、ネタにもされていたが、そうした恋愛の表舞台に立っているのは全体の一割二割に過ぎなかった。

大半が客席に座るか、舞台袖に身を隠していた。

自分だって初恋を経験していたが、付き合うということを理科で習った宇宙のように無関係なものに感じていた。


彼女が欲しいという願望が欠落していた。

結婚したいという願望も。

リア充爆発しろ」という僻み根性丸出しの呪詛も、その過激な響きが愉快だから口にしていただけで羨ましいとは思っていなかった。

酸素の元素記号がHAPPYになるクリスマスだって、家でのんびりする平凡な一日に過ぎなかった。

(高二からコンサートに行くようになり、特別な一日に変わったが)


勝手に幸せになっていればいい。

自分は十分に幸せだから。



ただ、解けない疑問が胸に蟠っていた。


どうして周りは異性とも仲良くしているのか。

同性の友達とバカ笑いするだけで満足ではないのか。





過去を生きる男。


高校生の頃、小中高が同じ友達の一人とは「高校は中学に比べて退屈だ」という話を再三にわたって繰り返していた。

中学時代を思い返しては必要以上に記憶を美化し、なかなか「今」を認めようとはしなかった。

「今」だって楽しいくせに。

「今」を生き抜けば、それは語られる過去になるのに。



過去にすがりつく傾向は大学生の坊やになっても変わらなかった。

大学はぼっちでも構わない。

始めはひとりだったから、というより中高の友達がいるから。

佐藤とも会うし、中学の他の友達ともチーム負け組ともたまに会う。

近況報告をしたり、思い出話で盛り上がったり。

ただその中で、僕の近況報告は白紙のことが多い。

中高の友達と地元で遊ぶ、過去の人と過去の場所で遊ぶのだから目新しい事があるわけがない。

大学の友達と都内のオシャレなカフェに入ったり美味しい店を探したり飲み明かしたりという、新しい人と新しい場所が欠けている。



人生の夏休みで内向性が幅をきかせるようになった。

大学は必修を除いてクラスの概念がない。

つまり人付き合いが選択的になる。

その自由を前にして僕が選んだのは、幼児退行したかのような内向性の肥大化だった。

その結果、大学でできた友達は必修で二年を共にした二、三人だけ。

一緒に授業を受けたり、昼飯に誘われたり、海外旅行にも行ったことのある仲だ。



LINEの連絡先は100人だが、そのうちの90人を切っても支障はないだろう。

人のホーム画面を見ると、目に映るのはLINEの通知数。

常に赤いバッジがついており、その数も二桁三桁が当たり前。

一方の僕は、たまに連絡が来れば上出来。

しかし今はその数少ない連絡にさえ返すのが億劫だ。

遊びの誘いも待つのが基本。

こちらから仕掛けずとも向こうから誘いが来るのが分かっているから。

それに遊ぼうという気概も老衰しており、月に一度遊べば充分だ。

人生の夏休みだからこそ、家でごろごろごろごろ。



ひとつでも居場所があれば、それでいい。




自分の人見知り具合を考えれば、狭く深くの関係になるのは当然だ。

小中高が同じ友達に「◯◯と仲良くなるには十二年かかる」とも言われたが、あながち間違いではないと思う。

高校からずっと通っている美容院は、ようやく慣れてきたとはいえ、いまだに緊張する。

二、三ヶ月に一度で、一回一時間。

山にならない塵。

大学の必修は週二回。

肩の力が抜けて女子とまともに話せるようになったのは二年になってからだった。



女性というものは、男性自らが開拓しなければならない。

その開拓するはずの男が堅固な守りに徹してしまっている。

仮に女性から話しかけられても、おどおどぼそぼそ返す男なんて異様で気味が悪い。

女性は愛想を尽かし、僕の存在はその人の中から抹消される。

人付き合いが強制ではない大学という空間で、打ち解けるまで時間のかかる奴を女性が相手にするだろうか。

おかげで好きになるほど深く関わる機会がない。






材料は出揃った。


最小限の人付き合い。

最強の人見知りと最弱のコミュ力。

乙女チックな受動態。



これまでに彼女ができた数をx、女友達ができた数をyとすると次の連立方程式が成り立つ。


x+y=0

xy=0


この式の解は、x=0,y=0である。



小中高大16年間、共学でありながら彼女はおろか女友達さえできなかった。



セルフ男子校、ここに開校。


人の眼を覗くとき、

何が苦手って、人の目を見ることほど苦手なものは少ない。


嫌いというよりは苦手。

虫に対する嫌悪感とは違う。



ところで嫌いと苦手の違いって何だろう。

同じではないはず。


「苦手な人は沢山いるけど、嫌いな人は1人もいない」


これは成立する。


現に自分がそうだから。



会話してみて「あ、この人なんか苦手だな」ってことはよくある。

よくある。


ウマが合わないとか居心地が悪いとか、そんな感じ。


そう思っちゃう相手とは、自分からにしろ相手からにしろ距離が生まれる。


気詰まりする人と一緒にいたいと思わない。


ぎこちなさに気疲れしてしまう。


それは避けたい。


だから関わらなくなる。


浅い関係に終わる。


相手の嫌な面を見ずに済む。


嫌いな人がいないのは、自分が博愛主義者だからなんかじゃない。


嫌いになるほど苦手な人と深く関わってこなかったからだ。


それに、苦手な人/嫌いな人に感情を使うよりも、好意を持っている/持ってくれている相手に感情を使う方がよほど精神衛生を清潔に保てると思っている。


「Aが嫌いだ!」

よりも

「Bといるの楽しい!」

って思いたい。


精神衛生なんて言い方しなくても、そっちの方が楽しいじゃないですか。

幸せじゃないですか。



だけど来年の就活が成功すれば、僕も再来年には社会に出る。


色々な人と関わらなきゃいけなくなる。


苦手な人とも必然的に付き合わなきゃいけなくなる。


学生時代のように人との交わりを取捨選択できなくなる。


そうなると潔癖な精神衛生はどうなってしまうのだろう。


これまでずっと人様に「貴方のことが苦手です」と勝手なレッテルを貼りつけてきた報いなのか。


潔癖な付き合い方はできないのか。


できないなら「苦手」を「苦手じゃない」に変える努力をしないといけない。


どうすればいいんだろう。


人との関わりが絶対的に少ないから解決策が見えてこない。


相手のいいところに目を向けるとか?


言うは易し、だよなあ。


もっと人と関わるとか?


分かんねえなあ。




また逸れた。

人間関係の話は終わり。

目の話です。




もともと人の目を見るのは得意じゃなかったと思う。


なんとなく気恥ずかしくて見れなかった。

シャイですので。




突然変異。



中1も半ばを過ぎた頃、というのはもう思春期に入った頃。


精神的に激動の時期だけど、身体にも変化が現れる。


身長や体重はもちろん、肌トラブルが目に見えるようになる。


僕の肌は弱い。


ニキビもよくできた。


高3の頃かゆみが酷くて皮膚科に行ったらアトピー性皮膚炎との診断。


冬になると痒くなる。


冬は好きな季節だ。

いちばん大きな理由は、虫がいないから。

それに尽きると言ってもいい。

精神の調和がとれる季節。


晴れ渡った青空。

喉からスッと身体中に沁み渡る冷気。

寒さに震えながら見上げる星空。


これぞ冬。




だけど乾燥肌に悩まされるようになってからは、重度に憂鬱だ。


冬は好きだった。


南半球に逃げてしまいたい。


アトピー治療の発展を切に願う。



また2ミリほど脱線してしまった。

学習能力がないらしい。




ある日のこと。


右目の目頭の上あたりに「白いモノ」が出来た。


最初は小さくてニキビかなって思っていたけど、段々ニューっと伸びて1センチくらいの長さになった。


親に「あまり触らないほうが良い」と言われて気をつけていたけど、風呂上がりに体を拭いていたらポロっと取れてしまっていた。


取れたとはいえ、伸びていた部分が折れただけだから根は残ったまま。


カサブタみたいに剥がすことはできない。


なんというか、皮膚と一体化してる。



思春期のニキビだと親は考えた。

あるいは出来物だと。


時間が経てば治る、と。




目に見える変化に周りも反応する。


「右目のそれ、どうしたの?」

「痛くない?」


それに対して僕は

「ニキビらしいんだけど...」

とか

「よく分かんないんだよね...」

とか曖昧な答えを、曖昧な笑顔で返してきた。



このやり取りを中1から高3まで続けることになった。

大学生になると察する能力が高いのか、訊かれることはなかった。






コンプレックスだった。



訊かれても曖昧にやり過ごすしかないのが嫌だった。


あの得体の知れない気持ち悪いモノを見られるのが嫌だった。



人と目を合わすことが苦痛になった。



人と目を合わせば、自分の顔を見られているのが分かってしまう。


相手の目には醜悪なモノが映っているのが分かってしまう。


それを相手がどう思うかは分からないが、いい印象は抱かないだろうと想像に難くない。


そこから「自分が見られている」という状況を客観視する自分が生まれた。


相手が見てるだろう自分を、外から眺める自分。



見られている自分を見ている自分。



それは想像の産物でしかない。


一言で表すなら、自意識過剰だ。


コンプレックスのせいで自意識過剰になった。

僕はそう考えている。


客観的に眺める自分が付きまとうようになった。



たとえば


これを言ったら笑いを取れそうだ、という場面でも「お前がそれを言うのか?」って問いかけてくる。



たまにだけど、食事をしていても「こいつ、無表情に食ってんなよ」と思う。

ちょっと面白くなって顔が綻ぶ。一人で。



このブログにしても自己分析を装ったナルシシズムを馬鹿らしいと思う自分もいる。しかし、ここではナルシシズムが優勢。


ナルシシズムって言葉を使うこと自体がナルシシズムだなって思いました。




自意識過剰になって自重するようになった。

自嘲気味にもなった。


このコンプレックスは性格形成に大いに影響したと思う。



そんなわけで人と目を合わすのが苦手になった。


見られているって意識が苦手にさせた。






ある日、「白いモノ」と和解してみようと思った。

大学1年くらいの時期か。



これまでと違って醜いと思うのではなく、自分の一部だと、アイデンティティの一つだと考えようとしてみた。


発想の転換だ。


たしかにこれまで同じようなモノを持つ人と会ったことがない。


外見のインパクトは絶大だ。


「特異なモノをもつ人」として皆の記憶に残るかもしれない。


コレは自分である証拠。


自分を覚えておいてもらうのに必要なもの。




そんな訳ねえだろ




自己暗示は虚しく失敗に終わった。


やはり受け入れられなかった。


どうしても、どうしても受け入れられない。


コレと一緒に心中したくない。


一緒の墓に入りたくない。



そこで立ちふさがる疑問。


「このまま一生コンプレックスを抱いたまま生きていきたいか」



無理、それは無理。


変えられるものなら変えたい。






「やっぱりコレちょっと気になるから皮膚科行きたい」


親にそう言い、皮膚科に行ってきたのが去年の5月頃。



表皮下石灰沈着症



なんだか字面がいかめしいが、石灰(カルシウム)が溜まって表に出てきてしまう病気らしい。



医者「中年ぐらいに見られる症状で」

ぼく(ワシはおっさんなのか)

医者「でもその年齢だとただの偶然かな」



運命のイタズラ。

神の気まぐれ。


くたばれアホ神。



僕は日本的な無宗教でありながら、矛盾するようだけど、神はいると思っている。


というか、いてくれた方が都合がいい。


普段は信仰心なんてないし宗教的な何かもしてないけど、願い事を叶えてほしい時だけは「お願いします」と祈りを捧げ、その願いが叶わなかったり理不尽が身に降りかかったりすれば「くたばれや、このアホ」と罵り倒す、都合のいい存在。


罵り倒すだけじゃ足りないから磔にして無限金的地獄をお見舞いしてやりたい。憎い。


罰当たりですかね?

都合の悪い時は存在否定するので罰を与える主体が消え失せますね。

信仰心ないので。

ノーダメージ。



こう見るとふざけた人間ですね....




僕「治せますか?」


手術で取り除けるけど、手術の方は大学病院でってことで推薦状?を書いてもらった。



大学病院へ。

手術の説明を受けた。


局部麻酔をして患部を切開する。


その日は血液検査とかをして帰った。



手術当日


初めての麻酔。

極細の注射針を目蓋に。


本当に効くんだろうか?

実は効いてなくて切開したら痛いんじゃ?


仰向けになって患部以外の顔には薄い布を掛けられた。


先生「人体でいちばん薄い皮膚はどこ?」

医学生助手「目蓋です」

先生「そう、1ミリ」



切開。


痛くない。

というか感覚ない。

あるべき感覚がない。

妙な感じ。



手術中は右手を胸に当てていた。


心臓の鼓動がやけに強い。


それはまるで「感覚はなくても生きてるぞ」と声を張り上げているみたいで、右手は生にしがみついた。



熱い。

30分を過ぎた辺りからか、患部が熱を持ってきた。

手汗も出てきた。


切開したら今度は縫合。

少し痛かった。

早く終わってくれ。

痛いから。





触覚とか痛覚が無かったら自殺はもっとお手軽になると僕は思う。


自殺を妨げる2大要因は、死への恐怖と痛みだろう。


死という未経験は怖いし、激しい痛みもできれば味わいたくないもの。


恐怖を上回る勇気と激痛に耐える忍耐が必要になる。


決死の覚悟を強固にしなければ、アリに触れなかった僕のように、死にも触れない。



だけどもし痛覚を遮断できるのなら、あとは未知の世界に飛び込むだけになる。


飛び降り自殺をこれまではただの「飛び降りて死ぬ」という現象だと思っていたが、飛び降りる行為そのものは「死の世界に飛び込む」という比喩だったのか。



それはともかく、感覚が無くなれば忍耐を鍛えずとも一瞬の勇気を拵えるだけになる。



僕がもし自殺するなら痛みを感じる間もなく終える手段を選ぶ。


でも電車に飛び込んだり高所から飛び降りたりはしないだろう。


アメリカで銃を買って頭を撃ち抜く方法が有力候補だ。


引き金を引くだけで命が終わるなら全てが一瞬の出来事。


ちょっと酒で頭を麻痺させて、ふらっとあの世行き。


実にシンプル。


だけどわざわざ銃を買いに海外に行かないと逝けないのがネックだ。


それでもどうしても死にたくなったら煩わしさを抑えて死の達成が第一優先になる。

アメリカ行くくらい屁でもないと思うだろうと思ってる。


まあ銃買うまでの間に生きてみようって考えが変わるかもしれないが。


生き方はひとつじゃないと気づくかもしれない。



一方で、一瞬のうちに終わらせるのは勿体ないとも思う。


生から死へ即座に変化するのではなくて、生から段々に死にゆく様を味わってみたい気もする。


人生最期の瞬間というのは、人生最後の経験で人生最後に感じる知覚感覚だから。



どこか適当に刺して痛みを感じながら、次第に力も抜けて意識も薄れていく。


衰弱からの死。


その過程を経験し、その果ての生と死が交差する点に立ち会いたい気持ちがある。





まあご賢察の通り、こんなことを考えていられるほど頭がハッピーターンだから当分自殺する予定はない。


そんなに真剣に死のうと考えたこともない。

それだけ幸せということだ。



ただ幸せでない生があるから自殺は無くならない。


死の方が幸せな生。


自分がいつそちらに転ぶかは、分からない。






手術は成功に終わった。


縫い糸が黒で目立つのと出血もしていたから絆創膏を貼ってもらった。


場所が場所だけに絆創膏が目立つのが嫌だったけど、あと少し我慢すれば解放されると思うと少し気が楽になった。



1週間後、抜糸。

麻酔はせずスルスルっと抜けていった。ちょっと痛かった。


鏡で見せてくれた。


「白いモノ」の無い自分の顔。


「いまは傷跡が少し残ってますが、じきに肌に馴染んでいきますよ」




少し晴れ晴れとした気持ちだった。


8年もの間、苦しめられてきたコンプレックスからの解放。


大きな一歩を踏み出した。


これで堂々と人の目を見て話せる。




幻想。




現実は甘くない。全く甘くない。

砂糖なんて一粒たりとも混ざってない。

僕はブラックコーヒーを飲んで電車に乗ると頭痛に襲われる。

なんの話だ。



解放されて1年半が経つ今でも、「何が苦手かって人の目ほど苦手なものは少ない」と冒頭に書く程度に苦手なまま。


街中を歩くときも、大学のキャンパスを歩くときも、僕の目は真正面を見据えない。


俯き加減にしているか、周囲の風景を眺めている。


それなら目が入ってこないから。


人の顔には目があるから。



ニーチェの例の言葉は、前後の文脈も知らないしネタでしか使ったことがないけど、自分に近づけて「見るとは見られるを見ること」って意味に解釈すれば少し身近な言葉になる。



深淵が覗いてくるなら足元の地面も周囲の風景も自分のことを覗いているらしいけど、そんな自覚はないので苦手なのはあくまで人の目に限定される。




対処法もないわけじゃない。


カメラのピントみたいに目のピントも外して視界を少しだけぼかすやり方だ。


※目のピントを外すと言っても焦点が合ってないわけじゃないのでご注意を。


これならはっきりとした「目」っていう認識が薄れるおかげで前が見られる。


目のピントを外すなんて書き方をしたせいで分かりにくかったかもしれない。


要するにボーッとする、ただそれだけ。


街中では使えても、人を前にしては使えない。


意識の低いアホに見られてしまう。


いやまあ意識は低いんですけど...

就職面接で使えないですよね...





結局「白いモノ」を除去しても肥大化した自意識までは取り除けなかった。





憎き虫と和することもできない。

苦手な人と仲良くなれない。

コンプレックスを抑えることもできない。



恨み骨髄に徹する、ではないけど苦手骨髄に徹する傾向があるのか。

分からん。






終わりに


コンプレックスに制されて自意識過剰を拗らせた僕からコンプレックスの対処法をお話しします。



人は誰しもコンプレックスを抱えていると思います。


ありますよね。


イケメンとかは特にないといけませんよ。腹立たしいので。理不尽なので。にんげんみんなびょーどー。


そうじゃないとアホ神に金的地獄を見せてやらなきゃいけなくなる。

そんな無慈悲を僕にさせないようにイケメンにもコンプレックスがあらんことを。アーメン...





コンプレックスを克服する方法。


それは原因を「受け入れる」か「変える」か。


他人の入る隙などない、己との闘いです。


克己による克服しかありえないと思っています。


アレをアイデンティティと思い込もうとしたけど、どうしてもその醜悪さを「受け入れ」られずに手術で「変える」選択をしたのはお読みになった通りです。


コンプレックスが残した後遺症も。



もっと早くに手術していれば傷は浅く済んだのか?


そんな無意味な仮定に思いを馳せる時がありますが、おそらくここまで拗らせることもなかったと結論づけています。


ですからコンプレックスなんてものは、なるべく早く克服するべきです。


己との闘いであると同時に時間との闘いでもあるんです。



皆さんの具体的なコンプレックスなぞ僕には知る由もありません。

興味もありません。


もしそれが変えられる類のものならば、どんな手段を使ってでも変えてみてはどうでしょう。


もちろん生まれつきで変えられなかったり経済的な障壁があったりで、変えるなんてのは不可能だったり口ほどに容易ではなかったりするのが常ですよね。



どうしても難しいようでしたら、受け入れる道を歩んでみてください。


変えることが全てじゃない。



されど受容もまた茨の道・修羅の道。


茨にズタボロにされたり修羅にボコボコにされたりしてリタイアする人もいます。誰とは言いませんが。



それでも、コンプレックスに悩まされるより肯定的に受け入れる方が断然ましだと思います。


重症患者になりたいなら、それはもうどうぞどうぞ、ずっとずっとお悩み続けてください。僕はあなたじゃないので僕の知った話じゃない。どう向き合うかはご自分でお選びください。


それにしても重症患者って誰ですかね。

さぞかし嫌味な奴でしょうね、きっと。




克服は己との闘いと書きました。

自分がどうにかしないといけないので確かにそうです。


ありのままを受け入れるも、変えた後の自分を受け入れるも、それはあなた次第。


他人事ではない、あなたの意思に関わる問題です。


だからと言って他人は何もできずただ傍観するしかないのかというと、それは違います。


自己肯定の手助けはできます。


それしかできませんが、それこそが非常に大切なんです。



あなたの声を伝えてあげてください。


苦しんでいる人が「少しは受け入れてみようかな」って思えるような、そんな言葉をかけてあげてください。



具体的に書きましょう。



①「気にするな」は禁句。


どんな流れでそんなことを言ったのか覚えてませんが、

僕「やっぱコレ気になるわ」

友人「そんな気にしないでいいでしょ。俺は気にしてないし」



...


うーむ...


(友人が気にしていないという事実を知ったところで、自分が気にしているという現状が変わるわけじゃないんだよなあ)

って思ってしまいました。


それに他人が気にしていないものを気にせずにはいられない自分のみみっちさ、器の小ささへの嫌悪感も生じたような気がします。


たぶん友人は気遣ってそう言ってくれたんだと思うんですけど、それは分かってるつもりなんですけど、勝手に捻くれて慰めの言葉も正面から受け止められませんでした。


拗らせてます。








②媚びた言葉は使わない。


これが肝心です。



お座なりで軽薄な言葉というのはすぐにバレます。

その場しのぎの言葉は意味を持ちません。




じゃあどうするか。



想いを込めて「そこも含めて好き」と伝えてあげてください。


僕はそんなこと言われたことありませんが、もし言われていたら何か変わっていたかもしれません。言われたかった言葉ですね。


もちろん「好き」が小っ恥ずかしいなら「良いと思ってる」とかでも構いません。


大切なのは、想いの強さ。


本当の想い。


本心からの言葉は心に響きます。


苦しみ弱っている心になら尚更。



ただ注意が必要です。



失礼は承知していますが、中途半端な関係の人に言われてもそんなに響かないかもしれません。

距離が半端なら想いも半端。そんな言葉は要らないんです。



コンプレックスは繊細な割れ物。


半端な扱いは禁物です。




恋人とか親友とか、あなたが真に大事に思う人にだけ。


大事な人がコンプレックスで苦しんでいたら、その苦しみを和らげるために。


「こんな自分も悪くないかな」と思えるように。



剥き出しのコンプレックスを、あなたの真心でそっと包み込んであげてください。


それはあなたにしかできません。




お願いします。