うつせみ

フィクションです。実在の人物等とは関係ありません。

愛で呼吸する

最近YouTuberのゲイカップルの日常動画をみてる。
ふたりとも西洋人で、
なんて美しいんだろうとため息しか出ない。
西洋人の接吻ほど映える画はないんじゃないか。
ふたりは結婚しているらしい。

態度、言葉づかい、話し方、笑いかけ方、甘え方

一瞬一瞬すべてが愛。
映像からでも愛が感じ取れるほど。

死んだら愛で呼吸する。

この世界で、わたしも愛で呼吸したい。

ぽっかり空いた心の穴。

誰かに愛されたいんじゃなくて、誰かに愛情を向けたとき、
それを拒否されずに受け取ってもらいたい。

心いっぱいに、胸いっぱいに愛を呼吸したい。

幸せに生きていてもくるしい。

酸素だけじゃ足りない。

とりあえず、きょうも猫を愛でる。

生きてるってなんだろう

今日も病院へお見舞いにいってきた。

行けるときにはなるべく行くようにしている。

きっと毎日行ったほうがいいんだと思う。

あとで後悔しないように。

 

わたしと祖母は、一般的な家庭における、

“おばあちゃんと孫”の関係ではなかった。

 

30過ぎてもいまだにお小遣いをもらう、と笑っていた先輩。学生時代、お正月やお盆になるとお小遣いをあたりまえにもらっている友人たち。おじいちゃんと船旅に行ってきた友人。おばあちゃんとヘリコプター体験した友人。

 

わたしにとって祖母とはどんな存在だったろう。

家族をぐちゃぐちゃにする。母をいじめる。父は祖母をかばう。わたしたちより祖母がぜったい。どんなわがままにも対応する。裏で悪口を言って近所に言いふらす。誕生日すら覚えてもらえなかった。プレゼントなんかもらったことないし。

祖母にとってわたしはどんな存在だったろう。

 

祖父には可愛がってもらったらしいが、記憶がまったくない。祖母に可愛がってもらった記憶もない。わたしたちより従兄弟に執着していて、自分が育てた自負があるようだった。従兄弟の家に荷物を取りに行ったとき、わずかなお小遣いをわざわざ置き手紙してまで置いていったのはびっくりした。そんなことできる人間なんだ。お小遣いちょうだいよって言われてほいほい渡してたのもびっくり。

 

けっきょく娘にも金づるとして搾取されてたけど、なんのために生きてたのかなって、すこし悲しくなってしまった。娘だけはわからず乞食と呼んでた。見栄のために外に連れ出されて病状悪化してしまって。この20年間の2人の関係はかなり歪だ。共依存の母娘。息子には呆れられて、1番手をかけた息子には切り捨てられてる。生死なんてあまり関係ないんじゃないかな。子どもたちにとっては。

 

数ヶ月前にはボケもせずになんとか歩いて生活してた人が、数回の手術でこんなになってしまうんだと呆然とするしかない。生きているのか、死んでいるのか。彼女の意識はいまどこにあるのだろう。目が開いていても反応がない。呼びかけても聞こえない。ずっと寝てる。起きてるのか寝てるのかもわからない。ご飯も食べれない。彼女は今何を考えているんだろう。

 

自然死も選択のうちにある。もちろん選ぶことはないと思う。だれが選択できようか。いくら家族だろうと人の死を決める権利なんてないと思う。いや、決めるには責任の重さがはかりしれない。絶対に後悔すると思う。

でも、このままずっとこの状態が続くのかな。体力は回復するのかな。意識がはっきりすることはあるのかな。抜け殻のままなのかな。

1ヶ月前はリハビリで随分回復してたはずなのに。

心停止するなんて生きたくないのかな。

ごめんねって、誰も悪くないよ。誰も悪くない。

 

彼女の80年。内容で死に様が決まるって誰かが言ってた。正直憎しみしかなかったけれど、最期は家族として看取りたい。わたしにできることなんて、呼びかけとベットの横に突っ立って見てることだけなんだけど。それでも孫らしいなら。

 

生きるってなんだろう。

わたしはどんな最期を迎えるのだろう。