メモ
「よい言葉の一句は、悪い本の一冊にまさる。」
byルナール
■散文メモ 格言集
http://d.hatena.ne.jp/purusa12/19990101
ブログ内の記事―忘れたときに読む
お薦め!
■サルにもわかるフッサールの現象学講座
http://d.hatena.ne.jp/purusa12/20090729
2ちゃんねるの哲学板のスレッド
難解な現象学を優しく簡単に解説しています。
ただ用語や理論を解説するだけではなく、現象学がどんなことに役立つか、など現象学を学ぶときに個人的に気になった部分も説明しています。
また、一人で延々と現象学を説明する演説を行なっているわけではなく、
批判や質問に答えたり、他の人も解説を提示しています。
関西弁なので苦手な人には辛いかも
個人的なリンク
■イマヌエル・カント 解説 ― Immqnuel Kant 1729-1804(途中・改訂予定)
http://d.hatena.ne.jp/purusa12/20090730/1248925611
■『真理と方法』 Wahrheit und Methode 1960
http://d.hatena.ne.jp/purusa12/20090730/1248926743
■「芸術は他者のためのみにある、そして、他者によってのみ存在する。」 ― サルトル
http://d.hatena.ne.jp/purusa12/20090730/1248912282
■世界の存在性
http://d.hatena.ne.jp/purusa12/20090730/1248922156
■哲学の目的
http://d.hatena.ne.jp/purusa12/20090730/1248932649
脳の科学のリンク集
慶応大学医学部解剖学教室の電子教科書
http://web.sc.itc.keio.ac.jp/anatomy/academic/
神戸大学電子図書館の解剖学講義ノート
http://www.lib.kobe-u.ac.jp/products/anatomy/
東邦大学医学部統合生理学教室のシステム神経生理
http://physi1-05.med.toho-u.ac.jp/
京都大学霊長類研究所の脳の世界
http://www.pri.kyoto-u.ac.jp/brain/brain/index.html
岡崎国立共同研究機構 生理学研究所
http://www.nips.ac.jp/pamph/2002/index.html
■
>合理性の限界と言うが
直観に頼るしかたを貴方は考えてるわけでしょ?
→直観なんていう呼び方をすること自体がまるでそれを別の視点で見るようないい草だが神にでもなったつもりかい??
それで説明ができると思っている時点で思考の限界に苛まれながら生きていくしかないのだよ
>でも直観先と、直観先の内容と、直観元と、直観元の内容とがあるのは同意するだろ?
→こういう説明自体がナンセンス過ぎてね。。。
人間の意識は機械じゃあない
自然由来であり 自然の中にあって自然と合一することで存在していると言えるのだ
デカルト式「自我と対象」はもう終わったよ
→なぜ並べる必要がある??
なぜ差があると言える??
思い込みで語ってくれるな
>直観元は直観をしたのだから、直観という行為を証明するには、既に過ぎ去ろうとしている
直観内容を捕まえて、しかしそれは既に過ぎ去ってしまったものだから、過去の証明が必要となってくる。それで過去は証明できますか?
→まるで飛躍しているが
なぜ過去の証明が必要ある??
私は見たままあるがままに捉えることを重視するがゆえ
感じられたままを捉えるのに時系列は問題になるまい
時間概念に囚われている限りで君の理性に限界を見た
私の体得した禅は以上のような悪しき論理の形式から解放されるためにあるものだ。。。
>君の哲学で。
→大体私のは哲学じゃない…思想だ
これだから哲学者は傲慢で信用ならない
特に日本ではまるで哲学が高尚な学問のように振る舞っているが
言っちゃ悪いとも思わんが借り物の用語だけで知った顔で語る人間ほど頭の悪いことはない
悪いことは言わないから哲学本なんか書くのはやめて座禅組め
そうすれば物の見方が素直になるさ きっと
http://erosion.tsuchigumo.com/
下記に該当する者は死ぬがよい。
・アホであることを自覚しない者
・アホでいいと開き直る者
貴方はただ自分の方法論に「直観」と冠づけられるのを嫌ってるようにしかみえないが?
俺はただ貴方の方法論をいま「直観」と名付けただけ
そこにはカント的な意味もベルグソン的な意味も含まれない。
形式に捕らわれているのはどちらかな??
直観の説明の部分は、確かにナンセンスだと思う。
しかし、人間が自然由来だからといって、なぜ形式性を否定する?
貴方はまるで形式を人間的なものとしたうえで、自然的な人間を想定しているように
みえる。これが矛盾じゃなくてなんだ?
並べる必要はあるよ。それを並べないのだったら、貴方のように自然に還ったという
思い込み以上のものを出ない。人間は並べる。貴方も自然と人間を並べている。
カテゴライズに捕らわれているんだ。
■「哲学」と「倫理」入門
「真理など存在しない」
このような過去においては最も恥ずべく無価値なこととされていた真理の放棄は、我々の時代によって精神の最高の勝利にまで高めあげられている。
理性に対する絶望は、はじめのうちはまだ苦痛と悲しみをともなっていたが、やがて宗教的及び倫理的無思慮が、次には自ら啓蒙と講する皮相浅薄な知識(カント哲学)が、平気で自己の無力を告白し、より高い闘心を完全に忘れさせることに自慢の種を見出すにいたった。
そして最後に、いわゆる批判哲学(カント)が、永遠なもの、神的なものについては何も認識できないということを”証明した”と主張することによって
永遠なもの、及び、神的なものに関する無知を安心させたのである。
批判哲学(カント)こそが、あらゆる知的努力の目標であり結果であると称した、
この無知の学説は、希薄な知識と性格によって喜び迎え入れられ、好んで利用された。
真理を認識しようとせず、ただ現象的なもの、時間的なもの、偶然的なもの、一口に言えば、”空虚なもの”のみを認識しようとするこのような空虚が、哲学において幅をきかせており、
”理性的認識”に対するこのような断念が、これほどまでの流行に達するほど、ドイツの哲学は酷い状態に陥っている。
ヘーゲル『小論理学』序文