大縄跳び
つくづく自分にはなにもないと思う。
今だって、書くことに躊躇している。
書く内容が思い浮かばないから…
会社の会議でもいつも黙っている。
誰かが意見を言うと、あ!そうそう!って思うんだけど、それを言ってもしょうがないし…
ああいう時の会話って、大縄跳びみたいな感じがする。一つの話題に一人、また一人と縄をくぐっていくのに、その流れの中に入っていけない。
で、いつしか話題は移り変わり、また新たな大縄跳びが始まって…
孤独だ。
如何ともし難い。
皿を飛ばす人。
女性誌て「同窓会」に向けての身だしなみ特集を、見かけることがある。
うーん。特集されるたいうことは、大多数の人は行くんだろうな…
自分が一度だけ「同窓会」に行ったときのことを思い出してみる。
あの子は、いやあの人は小学校のころ。彼女のとなりで相変わらず偉そうにしゃべってる似非マダムが万引きするとき、イヤイヤ見張りをしていたんだったなーとか。
目の前のいまだにかわいいこの人は担任と結婚したけど、結局どういう成り行きだったんだろうとか。
その昔エースで4番だったあそこの彼は、今じゃライパチ君だなあとか。
そのなかで自分はこれといった特徴のない人間で、存在感の欠片もない感じは昔も今も変わらない。
その証拠に、このとき、その場で一番目立ってた女子にこう言われた
えーっとそこの…黒くて小さい人、あ、みんなも昔そう呼んでたのよ。卒業文集にも名前じゃなくて「黒くて小さい人」ってかいておいたもん。だってあなた信じられないくらい色黒じゃないの。どうしてそんなに黒いの?昔からだよね。うっわ、変わらなーい。それで化粧してんの?ウケルー。
あのさ、デザート持ってきてくださらない?
彼女が差し出した皿を、私は思わず払いのける。
高々と空中に、舞い上がる皿が本当にスローモーションで見えて、ちょっとビックリした。
私の新しい名前は
きっと
黒くて小さい皿を飛ばす人。
カッケー!スヌーピー!
私には【スヌーピー】を可愛らしいと感じる感覚がない、
全くない。
それは彼を嫌いだとかいうことではなく、別の次元の存在としてとらえているということ。
あの、7歳にも70歳にも見えるというチャーリー・ブラウンとともども、どこか飄々として、哲学者のように感じてしまうのだ。
こういう感覚は私だけだろうか…
結構有名な言葉らしいが、自分にとっては今日はじめて知った【スヌーピー】の名言。
「(人生は)配られたカードで勝負するっきゃないのさ」
カッケー!スヌーピー!
これだよ、これこそスヌーピー!
…って言ったら、冷たい目で見られるのだろうか…
空前絶後に「沸いてしまう」
メルカリ好きの人は承認欲求が強いらしい。
だから、利益があまり上がらなくても「買ってもらえるだけで嬉しくなり」ハマってしまう、という。
自分もそうなので、はぁそうですかと思いつつ、ついでに色々考えてみた。
確かに売れると少額でもうれしい。
ただ、私の場合はちょっとちがって【ネーミングが面白い】と言われると「沸いてしまう」。
(注、沸いてしまう、というのは自分だけの造語で大興奮するということです)
品物は大したことないのだが、直感的に付けたネーミングが、ハマると本当にうれしいし、それが誰かに伝わると、空前絶後に沸いてしまう。
というわけで。
儲けるためではなく、飽くなき「沸き」のために今日も私はメルカリのサイトを開くのだ。
【傍観者】なきオリンピック
昔のことは詳しくは知らないけれど、テロにさらされたオリンピックがあった、と聞いたことがある。
最初はオリンピックと政治の関係、なんてことを思い浮かべたりしたけれど今はちょっと違う。
「それでも、オリンピックをやりきったんだ」って。
考えてみれば今だってウイルスと言う名のテロと戦ってるみたいなもんかもしれない。
冒頭のオリンピックのテロと違うのは、より広範囲で、だれも傍観者になれないということ。
意地悪い見方をすれば「傍観者」のいたテロは【物語】を生み、オリンピックをドラマチックにすらする。
でも、今は違う。傍観者も【物語】もなく、あるのは一日一日の現実だけ。こうやって呑気に書いている自分も明日はどうなるかわからない。
そんな中で行われようとするオリンピック。
反対する人もいるし、その言い分が分からないわけじゃないけれど、これ程スポーツと現実が一体化した大会も珍しいんじゃないだろうか。
自分はその、可能性に期待したい。
どんな形であれ。
その法則、アリ?
これは都会の人には当てはまらないかもしれない。
車での移動が生活上欠かせない地域の人向けの話かもしれません。
私と娘が去年の夏休みに見つけた法則
【カッコいい車に乗っている人はかっこ悪い】
この際、上から目線になってしまうことはお許しあれ。<(_ _)>
スポーツカータイプとか、外車の高そうでゴージャスな車とか乗ってる人は【●ぶ】だったり【●ゲ】だったりーな人
が多いのだ。【あくまでうちら母子のひと夏の統計】
いわゆるバブル世代で車に命懸けてます!の人達の老化、ということなのかもしれないけど…
でもですね、50代くらいでもぶつけてボッコボコの、車に乗ってたり、軽四のボロイのに乗ってても、びっくりするくらいカッコいい人、けっこういるんです。
色男、金と力は無かりけり、の類なのかもしれないけど、とりあえずカッコいい人は何してもカッコいいですね。
多分。井上尚弥がボッコボコの軽四乗っててもカッコいいんだろうなー
差別してるのはどっち?
子どもがいるひとも、いる。
子どもがいない人も、いる。
どっちもその人の生き方の中で存在した一つの事実。
もちろんどっちが上でどっちが下、ということも無い。
それなのに。
会社の同僚で尿管結石になった男性がいて、どういう話の流れからか、「これ、陣痛ぐらいの痛さって言えるかなー」とか言い出した。
痛みは個人の感覚にもよるしなーと思ってると、反対側の席にいた女性がスクッと立ち上がり、「それは、子どものいない私に対するいやがらせですか!」と叫んだ。一同沈黙。男性は「いや、そんなつもりでは…」と驚いて、声も出ない様子だった。
なんだか、釈然としない。
彼女は長年付き合ってる人がいるが、結婚するわけではないらしい。
【それはそれで良し】
彼女は、一時期、子どもくらい産んでおけばよかったと後悔したこともあるらしい。だが、それを乗り越え今に至る
【それは、本人の問題】
結局自分で選んだ人生なのに、他人の言葉をゆがめて受け取り、自分は差別されてると感じる。それって、彼女自身が、自分で自分を差別してるんじゃないかなーと思う。
周りの人間は、既婚者とか子持ちとか関係なく仕事のできるひとりの人間として「差別意識」なんてサラサラなく、彼女のことを見ていたので、そしてくだんの発言も、差別してないからこそ、ヘンに気を遣わずなされたことなのだけど…
案外、差別してるのは、自分自身ということもある。
こういうモヤモヤが多くて困る。