おうちで筋トレ:2回目

以外と早く3日が過ぎてしまいました。

おうちで筋トレ第2回目。

前回に引き続き以下の書籍を見ながら家の中で筋トレをやりました。

 

リズナートレーニング 圧倒的な強さを手に入れる究極の自重筋トレ

ポール・ウェイド

 Kindle版はこちら

こんなに簡単でいいのかという疑問とぷるぷる震える内もも

本日のエクササイズ:

①ヴァーチカル・プル10回×2

②ショルダースタンド・スクワット10回×2

感想:①楽勝②スタートの姿勢(ショルダースタンド)がまずつらい

 

タニタの体重計で測った筋肉量で−2(最低ランク)を更新し続けている自分が楽勝なのでかなり楽です。週2回しかやっていないし、本当にこれで大丈夫なのか?

とはいえ、②を終えると微妙に内ももがぷるぷるしていたので意外とじわじわと効いているような気もしないでもない。

 

おうちで筋トレ:1日目

加齢による筋力の低下を防ぎたい

ここ2年ほど筋肉がなくなってきていることに気づき、なんとかしなければという意識はありました。もともと姿勢も悪いので、高齢になったらきっと腰が曲がってさらに足腰が弱くなるのは目に見えているのです。

 

リズナートレーニングをやってみる

コロナウイルスの流行とは関係なく、ジムにいく時間とお金がもったいないという理由から、もともと家でできる筋トレを考えていました。

 

リズナートレーニング 圧倒的な強さを手に入れる究極の自重筋トレ

ポール・ウェイド

  Kindle版はこちら

 

自由が制限された監獄という場所で、自重を使って体を鍛えるというコンセプトの本です。著者はもと囚人だそうです。

 

6つのエクササイズにそれぞれ1から10までのステップがあり、すべての人がまずステップ1から始めるようにすすめられています。

本の最後にはレベルに応じてどのエクササイズをどれくらいの頻度ですればよいかというガイドもあるので始めやすいのもありがたいです。

 

とりあえずステップ1

1日目は、2つのエクササイズのそれぞれステップ1を行いました。初心者は週に2回しかしなくていいらしいので、次は3日後に。本当にこんな緩くて筋肉がつくのだろうかと疑問ですが、とりあえず素人は黙って従ってみることにします。

本日のエクササイズ:

①ウォール・プッシュアップ10回×2セット

②ニー・タック10回×2セット

感想:①は余裕。②は結構きつい。

スキーマ療法を自分で試してみる 第2回

「自分でできる」というタイトルどおり、専門家や医師の助けに寄らず、一人で試しにやってみています。導入編は前回の記事をご覧ください。

伊藤 絵美 (著)  星和書店

内容紹介 

自らの生きづらさを理解し、こころの回復力を取り戻そう!

スキーマ療法とは、認知行動療法では効果の出ない深いレベルの苦しみを解消するために米国の心理学者ヤングが考案した心理療法である。
認知行動療法では、頭に浮かぶ考えやイメージのことを認知と呼ぶ。浅いレベルの認知を自動思考と呼び、深いレベルの認知をスキーマと呼ぶ。
スキーマ療法は、心の深い部分の傷つきやずっと抱えてきた生きづらさなど深いレベルの認知に働きかけ、認知行動療法の限界を超えて、大きな効果をもたらす。

本書は、治療者やセラピストがいなくても、自分ひとりでスキーマ療法に取り組めるように作成されたワークブックである。本書でスキーマ療法に取り組むことにより、自らの生きづらさを理解し、こころの回復力を取り戻すことが出来る。Book1は、本格的にスキーマ療法に取り組むための助走。

 

セルフモニタリングで足踏みする

本書の進め方として、ゆっくり焦らず、という方針があるのですが、せっかちな性格もあって、何度も同じことを繰り返すのが「めんどうくさいな」と感じてしまい、レッスン4のセルフモニタリングのところで本を開く回数が減っていました。とはいえ、日常の中で起こるストレス等に対して、自分が「どう思い」(認知)、「どういう気分になり」(気分・感情)、体に「どんな変化が現れ」(身体反応)、そのとき「どう行動したのか」(行動)というモニタリングは何となく気がついたときには続けていました。

自分の認知や感情にフタをして見ないように生きてきた人たちにとっては、この作業はしんどいことのようです。私はどちらかというと、身体反応の観察が苦手なようです。(わからないことがわからない状態)

このワークにページが割かれているので、先に進めなかったのですが、正直この作業を続けると飽きてやめてしまいそうだったので、気にせずレッスン5に進むことにしました。(本文の先の個所にそれでもOKと書かれていました)

 

ひたすらマインドフルネスのワーク

座って目を閉じて呼吸に集中する瞑想はやったことがあったのですが、ここではいくつものワークが用意されており、ひたすらそれをやるということのようです。

1つめは、頭に浮かんだ言葉に「と思った」をつけていくワーク。「めんどうくさい」+「と思った」というような具合です。

「思った自分」と「それを観察する自分」に分ける訓練のように思います。これは簡単そうです。

これに加えてまだ途中なレッスン4のセルフモニタリングも続けてやっていこうと思います。

スキーマ療法を自分で試してみる 第1回

自分でできるスキーマ療法ワークブック Book 1
伊藤 絵美(著)

一日目、そもそも……

なぜまともに生きられないのか

毎日働いて、収入の範囲で衣食住を整え、休みや自由になる時間は趣味に熱中する。

二ヶ月に一回くらい友人と会って食事をする。

こういう生活が理想だ。

だが現実は、数年働いてはその貯金でしばらく休み、また働いては休みという生活を繰り返している。ちなみに今は多少働いているものの休みの期間。

人とは違う生き方だけど、何も悪いとは思っていなかった。

けれど、歳を重ねるにつれ、しんどさが増してきた。こういう生き方を選んだのではなく、こういう生き方しかできなかったからだという事実に気づいたからだ。

ずっと毎日働けないことを認めるのはつらかった。自分がまともに生きられないということを認めることだから。他の人が働いていなくても別に何とも思わないし、まともに生きていないとは思わないから、まともという言葉は正しくないかもしれない。まともではなく、「自分がこうありたい」と思う理想という方がより近い。

そういうわけだからお金はあったりなかったりする。生活レベルのアップダウンが激しい。

自分にできないことを望むというのは苦しい。

けれど、死ぬまで自分を放棄することはできない。

そんなとき、死んでしまった友人のことがちらつく。

私は自ら死ぬつもりはないな。その覚悟もない。と確認する。

ならば、何とか自分を生かせていかなければならない。

医者にかかるほどでもない

遺伝的に神経質な性質という自覚はあるものの、病名がつくほどでもない。

たぶん、医者にかかれば薬をくれるだろうけど、性質的なところが大きいので治るようなものでもない。

カウンセラーに話を聞いてもらうのがいいのかもしれないが、まともに働けないのでお金に余裕はなく、毎回一万円を何年にもわたって払い続けることはできない。逆に言えば、それほど差し迫っていないとも言える。ものすごくしんどい人なら、一万円払っても話を聞いてもらわなければならないだろう。

薬も医者もカウンセリングもなしで、このしんどさを何とか改善させて楽しく生きていく方法を探したい。

セルフリハビリテーション

このままではいけない、という思いからいろいろ調べて試してみた物の中で期待できそうだったのが瞑想だった。瞑想というとどうしても禅宗の座禅を思い出しがちだが、瞑想から宗教色を取り去って、一般にも導入しやすい形にしたのがマインドフルネスである。Googleを含む有名企業が生産性を上げることを目的として導入している。NHKでも特集されたことがあるので一般的にも知名度があるかもしれない。

(※個人的にはストレス軽減法というとらえ方をしている)

いきなりマインドフルネス、瞑想と言われても取っつきにくく不信感を覚えるという方は、元Googleの技術者でGoogleにマインドフルネスプログラムを導入したチャディー・メン・タンの本をおすすめする。

科学的根拠や事例を多数交えて実践的な方法を教えてくれている。

サーチ・インサイド・ユアセルフ――仕事と人生を飛躍させるグーグルのマインドフルネス実践法

チャディー・メン・タン (著)

前置きが長くなったけれど、性質的なものが原因なら、その性質を変えてしまわなければならない。個人の性質(こころの動き方)というのは、つまり、脳がどういう風に働くかということにほかならない。以前は、大人の脳は成長しないと思われていたが、さまざまな実験や研究によって脳には可塑性(変化する力)があることがわかっている。

ならば、脳を変えればこのしんどさを解消することも可能なのではないか。

これを自分で行うことをセルフリハビリテーションと表現した。(悪い言い方をすれば洗脳であるが、人はもともと何らかの洗脳状態であり、そうでなければ生きていけないものと思っているので、よい洗脳状態になるならいいんじゃないか、と思っている。)

冒頭の本は、そんな方法を探す中で出会った。

著者には他にも

などの本がある。マインドフルネスについても説明があるので、両方知りたい方にはこちらがおすすめ。

 

一日目はワークを1つやった

ワーク1-1をやった。書くことがあるだろうかと思ったが、意外にも枠が埋まった。そのときに浮かんだ考えなども枠外に書き留めてみた。

著者は一冊一年かけるくらいじっくり取り組んで欲しいと書いているので、とりあえず少しだけ、できるだけ毎日続けていきたい。

乳幼児の母親には何が必要なのか

子育て中の親族がいるので手伝いに行ってきました。

抱き方、おむつの換え方、ミルクの作り方、のませ方、などを事前に教わった後、二回目の訪問で、今回は買い物に行っている間の留守番をしました。

初めなので、不安感から三〇分くらいで帰ってきてもらいました。何事もなく過ごしたのですが、何が正解かもわからない中で、赤ちゃんと二人きりで過ごす間、非常にプレッシャーを感じました。この不安感と責任感を毎日味わっているのかと思うと、何かできる範囲で手伝わないと、という気持ちになります。

 

今回は一人ででかけてもらったのですが、もしかすると、昼寝をしてもらったらよかったのかも、と帰ってきてから思いました。

今後も手伝いに行く中で、いろいろと相談しながら調整していければと思っています。

 

世の中には一人だけで子育てをしなければならないお母さんもたくさんいらっしゃると思います。

もし今回のような手伝いでよいなら、いろんな人が手助けできるはずなのですが、親族でもない赤の他人に頼むのは抵抗のある方も多いでしょう。

何か、具体的な方策を考えていきたいところです。

節約とダイエットは一緒にするとはかどる説

お金と時間は反比例しているように見える。

お金があれば時間はなくなり、自由に使える時間が増えれば自由に使えるお金は減る。

よく例にされるのは若者と老人で、若者は時間はあるけれどお金がないし、老人はお金はあるけれども時間がない。最近はそうとも言えなくなっているけれど。

 

会社員を辞めると、定期的な収入がなくなるので生活が不安定になった。

収入が減るわけだから、以前と同じような生活ができなくなり、節約生活に入った。

すると、自然と健康的な生活になっていた。その変化を挙げてみようと思う。

 

飲食チェーン店やコンビニに行かなくなった

毎食自炊するため、毎日のように通っていたコンビニにはほぼ足を踏み入れなくなった。弁当や惣菜や飲み物、菓子など、自炊したときの値段と量を比べると手を出す気にならない。牛丼などの安い店もあるけれど、不思議なことに行かなくなった。

 

やせた

安い食材はほとんどカロリーがないものが多いのか、自炊を始めてから4キロほどやせた。カレーやお菓子などカロリーの高いものも食べているが、なぜか体重は減ったまま増えない。

 

よく歩くようになった

一駅か二駅くらいなら電車に乗らず歩いて行くので歩く距離が増えた。タクシーも以前は使っていたけれど、今は終電がなくなったら1時間くらいかけてのんびりと歩いて帰る。夜は安全に注意しなければならないけれど。

 

本当に必要なものか、持っているもので代替できないかを慎重に考えるようになった

この変化が個人的には一番大きかった。

これまでも必要だと思うものだけを買っていたつもりだったけれど、本当にそれが必要か、今あるもので代用できないかを考えるようになると、「商品として売っているもの」を買うのではなく、今持っているものを加工して代替できることが多いのに気づいた。

本当に必要なときが来れば、どうにかして利用できるものがないか、という目で探すようになり、意外と見つかるものだ。

とはいえ、それでも絶対にないと困る(生活上の許容度を下回る)場合はふつうに購入する。そのバランスは個人によって違うと思う。

 

しかし、お金が増えればまた元の生活に戻る気がする

なので、切羽詰まっていない人がこれを見て実践しようと思っても難しいかもしれない。意思の強い人なら別だけれど、最初に述べた通り、お金と時間は交換できるので、私のように元来面倒くさがりな人間は楽な方へ楽な方へと流されていくような気がしている。

どちらの方がいいのだろうか、と考えてみたけれど、やっぱりどちらにも良い面と悪い面があり、結局はある程度好きなように生きているのだなあ、ということがわかっただけだった。

引きこもったままでもいい社会

引きこもっていたら何がよくないのか

引きこもりの高年齢化が問題視されていますが、引きこもっていたら何がまずいのでしょうか。

  1. 働きに出られないので収入がない
  2. 人とのコミュニケーションをとる機会が少ない
  3. 社会との関わりがなくなる

まず思いついたのはこんなところです。これは引きこもっている側に立った場合の問題ですが、一方社会的にも、8050問題など、主に将来の財政などの面で問題視されています。親が亡くなったら生活保護に頼らざるを得なくなるかもしれず、その数が増えれば増えるほど財政負担は増します。

www.fnn.jp

引きこもるきっかけとしては「退職」「人間関係」「病気」などがあるようです。

原因はいろいろ考えられるものの、ブラック企業などの過剰な労働にあるとみる専門家もいます。

news.yahoo.co.jp

 引きこもっている人にとって、「正社員が標準」の日本社会に復帰することはかなり困難

現在は引きこもっている人に働きに出てもらうことだけが正解のように報じられていますが、上に見たように、人間関係や病気がきっかけで引きこもるようになった人が外に働きに出ることは、とてつもなくハードルが高いことのように思えます。それに病気の人はまず治療が必要でしょう。

引きこもっている中高年がこれだけ増えたのには、わかりやすい理由があります。

  1. 正社員が標準の働き方だと世間一般で認識されていて、それ以外の働き方の選択肢が少ない
  2. キャリア採用以外、30歳以上の転職者が歓迎されていないので、辞めてから時間がたてばたつほど再就職が困難になる
  3. 長時間労働やハラスメント等が原因で体や心を壊してしまった人は、同じような環境に戻って働くことはできない
  4. 社会的に働いていない人を見下す風潮があり、本人もそういった認識をもっていた場合、無職の期間が延びれば延びるほど自尊心が失われていく
  5. 両親の世代がバブル等によって金銭的余裕があり、引きこもっている子供を養うことができる

他にもいろいろと考えられるとは思いますが、少なくとも言えることは、引きこもりたくて引きこもっている人は多くないということです。

そりゃ、外に出て働けるなら働きたいと思うでしょう。「働かざる者食うべからず」という言葉がある日本社会では、働くことが当たり前とされ働かない人は怠けていると思われるのですから。

 

逆に考えれば、働くことで社会へ貢献しているという自覚は本人の幸福度に繋がります。脳科学的にも社会的承認の脳に与える報酬は大きいという研究があります。

 

「どうやって外に出て働かせるか」ではなく、「どうすれば当事者と社会の両者にとって利益になるか」という視点で考える

ここで、もう一度冒頭の問題について考えてみます。

  • 働きに出られないので収入がない
  • 人とのコミュニケーションをとる機会が少ない
  • 社会との関わりがなくなる

収入がないということは本人もつらいけれど、社会にとっても税収が増えないということであり、さらには将来的に社会保障費が増えるという、どちらにとっても避けたい状況であることに間違いありません。

これを解決するには、働き方の選択肢を増やすのが簡単です。つまり、引きこもったまま短時間だけでも働ける仕事があればいい。現在でもクラウドソーシングや「在宅でできる簡単な仕事」と言われるものは探せばありますが、前者はフリーランスの弱肉強食の世界であるし、後者は貧困ビジネスとしか思えないような怪しげな仕事ばかりです。

ここに行政が介入すべきです。たとえば、ハローワークの在宅勤務版があればいい。ゆくゆくはいろいろな選択肢の仕事を紹介してくれるようになれば理想的です。企業も柔軟に人を募集できるのでメリットがあると思います。現状は紹介してもらうためにハローワークまで実際にいかなければならないのですが、ネットですべて済ませることができればハードルは下がります。

問題は正社員との待遇の差ですが、これは一部仕方のないところではあります。ただし、憲法によって「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」と決められているので、補助金等によって多様な働き方を許容する企業を増やしていくといった地道な努力はすべきであると思います。

 

働くハードルをどこまでも下げていく

まずは、外に出られないのなら、先に述べたように家の中で働けるようにする。他にもどうやったら働けるか、各人がそれぞれの妥協点を見つけられるようにする。

たとえば、ブランクがありすぎて就職できないなら、履歴書を出さなくてもいいようにする。そうやって働くハードルを徹底的に下げていく必要があります。

会社側はそれではちゃんと仕事をしてもらえるのか不安になるでしょうから、行政や支援組織など第三者が間に最初の頃は入る必要があります。また、そうすることによって、悪徳な企業が、安く使い捨てにするような働かせ方をすることを未然に防げます。

そして、このような働き方が認められてくれば、民間にエージェント組織などができてくるのかな、と思います。

 

そこまでして働かせるべきなのか

という問題に対しては、それぞれの人の人生の目的による、としか言えないけれど、少なくとも本人も社会もどちらも大損するよりはましなのではないかと思っています。

 

これからの社会への個人的な希望

ベーシックインカムが導入されればいい。

日本共産党のポスターで「8時間働けばふつうに生活できる社会へ」というような文章を見かけたけれど、8時間労働は長すぎる。週30時間働けば生活できるようになればいい。それ以外の時間は自分のやりたいことをやればいいと思います。

アメリカの哲学者エリック・ホッファーもそんなことを言っています。

 

もちろん、働くことが楽しいし生きがいだという人はどんどん働けばいいと思うし、それに応じた収入を得られるようになればいい。言いたいのは、働く以外の生き方を許容できる社会になればいいということです。

おそらくAIなどの広がりによって人間のする仕事が減ってきたら、否応なくそうせざるを得ないような気もします。何せ選挙で政治家を選ぶ制度が続く限り、大多数が生活に困窮するような社会は成り立たないからです。そういう国は今でもあるけど、心配性の日本人がそんなことになる前に手を打たないとは思えません。

ベーシックインカムの財源については、日本でもようやくGAFAなどの巨大IT企業からどうやって税金をとるべきか「デジタル課税」などの検討が始まったようですが、これに期待したいと思います。

 

ようは、いろんな人がそれぞれの条件を抱えたまま、個々人の幸福を追求できる社会になったらいいな、という希望なのです。

それが「引きこもったままでもいい社会」というタイトルに集約されています。

 

AIによって社会的公平さと個人的幸福の最適解を見つけられるのでは

AIによって支配され、AIの指示の通りに人間が動くという社会。たぶん、そういう方向になっていく。それは良くないことだとか言っても仕方ありません。なぜなら、今ですら人間は人間を信用せず機械を作り出したからです。森博嗣もそんなようなことを言っていた、ような気がします。

「支配される」とか「仕事を奪われる」という言葉を使うからおどろおどろしいディストピア的未来しか描けないけれど、たとえば、自動運転が普及すれば、地方のお年寄りが誰にも頼らずに外出できるようになります。高齢者のドライバーによる事故もなくなるでしょう。

世界中の富の格差をだいたい解消するにはどうすればいいかも、きっと計算してくれるに違いありません。

そのときにはおそらく「引きこもったままでもいい社会」から「大体みんな引きこもっている社会」になっているのではないでしょうか。

悲観する力を使い続けると疲れ果ててしまう人はどうればいいか

森博嗣の「悲観する力」を読んだ。(以下ネタバレあり)

言葉の定義が他の人とは違うだけで、工学的安全側を選ぶ、つまり、さまざまな不具合を想定し余裕をもって準備しておく、というものすごくまっとうなことが書かれていた。

それができない人のことを、別のところでは、「意志が弱いのではなく思考が弱い人つまり頭が弱い人」と仰っていた。挑発的な表現だけれど、私自身のことを鑑みても、自分が考えたことができないのは、何だかんだと理由をつけてもそのとおりだと思う。それに、ADHDなどの当事者は脳のまさにそこの機能の問題で苦労しているように思う。

考え続けると疲れる

仰ることはごもっともだけれど、あえてまだ言い訳をするなら、考えるにもエネルギーがいるのです。いわゆる「決断疲れ」と言われるもので、何かを吟味し選択し続ける過程それ自体により疲弊してしまう状態のこと。頭の後ろの方からじわじわっとまひしたようになり、壊れたロボットみたいに言葉を発することも動くこともできず目の前をぼーっと見つめることしかできなくなるような状態なのだけれど、この表現で理解できる人がいるだろうか。

「悲観する力」に欠けているのはこのエネルギーという視点である。体力や気力とはまた別のもののように感じている。このエネルギーは外的刺激によって黙って座っていても損なわれていくものである。

 

どうすればエネルギーを増やせるのか

これはいろいろと考えがあると思うけれど、まずは個性なので増やせない(もしくは増やそうするよりある分でやりくりした方がいい)という見方。

エネルギー量は個々の性質に直接的に関係しているので、それらが人より少ない(もしくは枯渇しやすい)ということを弱みとして捉えるのではなくむしろ強みの部分に注目して生きていこうとする考え方がある。

 

まずはいまの自分を客観的に受け入れ、その状態でもできる小さなことから始め、こつこつ積み重ねて習慣にしていく。やらないことにはどうにもならない、という事実は変えられないのだから、どうやってやるか、ということに集中的にエネルギーを使って考えるべきである。

 

しかし、やはり考え続けるとエネルギー切れを起こしてしまうことに変わりはない。

そうすると、次なる方法は「体力をつける」こと。

体力とはそもそも違うのだから無意味なのでは、と思うかもしれないけれど、体力がありあまっている子供を除き、抗わなければ徐々に老化とともに体は衰えていくばかりだ。体が衰えてもエネルギー量だけは変わらないなどという希望的観測はもてない。それに、体を動かすことは、精神、つまり脳に良い影響があることは知られている。精神的に弱ったら筋トレしろという人もいる。

 筋トレというと男性だけを想定されていると考えるかもしれないけれど、体力をつけるのに男女は関係ない。むしろ、筋力の少ない女性の方が筋トレした方がいいのではないか。

別にジムに行ったりする必要はない。自重トレーニングという方法がある。

 たとえば、この本の各ステップ1は女性でも簡単にできる。(表紙が衝撃的なので女性は手に取りにくいかもしれないけれど)

 

瞑想やヨガなどもいいかもしれない。あれは前頭葉の訓練だと思う。考えなければならないことによって頭がいっぱいになっている状態から、それらを一つ一つ拾い上げてはそれを観察し手放していくという繰り返しだ。これは、思考がそれたときにそれたことに気づき、集中した状態へ戻ることができるようにする訓練だと思う。いまはマインドフルネスのさまざまな入門書が出ているので入りやすい。

森博嗣とマインドフルネス

マインドフルネスと言えば、冒頭の「悲観する力」に戻るが、感情について書かれている部分で、まさにそれはマインドフルネスなのでは、と思われる個所があった。彼が続けていた落ち葉拾いもまさに瞑想の一種だと考えていたから、なるほど、と思った次第。

(見出しにしたのは字面がちょっと面白かったからです。)

老いることと育児

相田家のグッドバイを再読したので感想を少し。

(以下、少しだけネタバレがあります)もう一度読んでみようと思ったのは、新しい本でそれがほぼ実際にあったことだと書かれていたからです。最初に読んだときは悲しく寂しい話だと思いました。けれど、だいたいにおいて人の人生が終わっていくことを主題に描かれた物語はそういうもので、私にとって希望しか与えなかった森博嗣が、そういう物語を書くようになったのか、ということが意外でした。それはキシマ先生の話を読んだときのショックと同じ種類のものでした。こちらもほぼ実際にあったことのようです。やはり、誰にとっても現実の手触りというのはそういうものなのかな、と想像します。つまり、悲しくて寂しい。フィクションは本当に優しくて、理路整然としています。その確かさが読んだ後にもつれた考えでいっぱいの頭の中を、少しの間だけクリアにしてくれていました。整理整頓した直後の部屋のように。

老いとは誰にでも訪れ、避けられないのに、人はそのことを考えないようにしていて、突然何かの不具合が起こったときに驚き、怒り、悲しむ

できていたことができなくなって、痛みや不具合を抱えながら決してよくはならないのが老いというものでしょうか。徐々に体が動かなくなって寝たきりになり、細胞の自己修復機能が追いつかなくなって、あらゆる機能が低下して死を迎えるというイメージ。まるで動くことをやめたら倒れてしまう自転車みたいで、そのことを考えると疲労感と憂鬱を覚えます。つまり、人生はただ転ばないように自転車を必死でこいでいるような営みなのだろうかということです。遅かれ早かれ自転車は倒れてしまいます。

余裕がない人は(つまり今の自分なのだけれど)、こぐことだけしか考えられず、周りを見回す余裕もありません。何か楽しいことがあるよ、と言われても、こぎ続けないと倒れてしまうから、こぐことに集中してしまって、この行為がただただ苦しいとしか思えない状況にあります。自分から倒れてしまうわけにもいかないので、早くこの時間が過ぎ去ってくれないかとばかり考えてしまうけれど、過ぎ去ったときにはもう自分もいないわけです。

 

あの柔らかさにおののくことから始まる

老いることとは逆に、赤ちゃんは最初一人で生きる能力を持たず、近くにいる人に全面的に世話をされながら、できることを増やしていきます。ミルクを飲んで寝て泣いて排泄して風呂に入れてもらい、徐々に大きくなっていくのです。いつ自己意識ができるのでしょうか。自分という存在を認識する時期がきっとあるに違いないと思うのだけれど、自分のことを振り返ってみても、いつの間にか自分は自分だったように思います。

 

最近、老いと赤ちゃんの成長とを同時に間近で見る機会がありました。どちらも少しだけしか関わらなかったけれど、どちらも言葉にする以上に大変なことだと知りました。毎日休みなく続くことが困難さを深めているように思います。当事者および関係者はどれほどの苦労でしょう。

特に、老いに関しては、自分もこうなるのだ、という視点で考え、敬意をもって接したい。そのためには、突然の状況に慌てることのないよう予習をしておくことが大事だと思いました。

感覚過敏について

感覚過敏とは、

目や耳など感覚器から得た情報が脳で適切に処理されずに苦痛を感じる状態です。それに加えて、個人的には、その刺激によって注意が削がれたり、その刺激以外に意識を向けることが困難になる状態のことを言います。

人によってどの感覚が過敏かは違いますし、また同じ感覚過敏であっても、苦手に感じるものの種類や程度は違います。

たとえば、私は聴覚過敏と嗅覚過敏が主だってあり、触覚過敏もそれなりにありますが、その他の感覚過敏はないように思います。

 

苦手な音

  • 高い声(子どもの声や女性の声など)
  • サイレン(救急車)
  • 工事現場の音
  • 拡声器の音(選挙カー古紙回収、廃品回収、灯油販売)
  • ヘリコプターの音
  • 電話の音(固定も携帯も)
  • 怒鳴り声(好きな人はいないと思いますが)
  • 生活音(包丁で切る音、水道の音、掃除機、食器がぶつかる音など)
  • 人の話し声(やけに声が通る人とそうでない人がいます)

こうして列挙してみると、高い音や大きい音が苦手なのはしかたないのですが、一番困るのは人の話し声や生活音で、これは人里離れた森の中に行かない限りどうしようもありません。しかし、森の中にいてもたぶん「鳥の声がうるさい」とか思うに決まっているのです。

 

苦手な匂い

  • 瓜系の匂いの香水
  • 甘い匂いの香水
  • 柔軟剤
  • 女性の髪からただようシャンプーの匂い
  • 特定の人の体臭
  • 食事時ではないときの食事の匂い
  • ランなどの花の匂い
  • ゴム(長靴やゴム手袋)

 

耳は塞いでも生命維持にほぼ支障ありませんが、鼻をふさぐと息ができません。口呼吸ならできますが、ずっとだと口の中がカラカラに乾いて喉が痛くなることでしょう。また、耳栓をしている人と鼻栓をしている人ではどちらも「どうかしたのかな」と思われると思いますが、その程度が結構違うと思います。

 

苦手な肌触り

  • 服のタグ
  • 生肉の脂

 

対策は、

聴覚過敏に関しては、自宅では耳栓イヤーマフを、外出先ではカナル型のイヤホンを使用しています。音楽を聴く気分ではないときは、無音のままイヤホンだけしています。

嗅覚過敏に関しては、マスク以外にはあまり具体的な対策が考えつきません。

触覚過敏に関しては、気になるタグは外し、肉を切るときは箸等を使って直接触らないなどしています。

 

また、根本的に

  • 生活環境
  • 対人関係
  • 体調
  • 季節や天候
  • 経済状況

など、大きな枠組みで負荷を改善できないか検討することも大事です。

 

参考書

感覚過敏はまだあまり一般的に知られておらず、当事者もその認識がない人もまだ多いと思います。私も私の友人も以下に挙げた本を読むことで「これはそういうことだったのか!」と膝を打つと同時にこれまで何の対処もせずに自らを刺激の暴風雨に晒し続けてきたことに気づきました。

 

鈍感な世界に生きる 敏感な人たち

イルセ・サン (著)

 

過敏で傷つきやすい人たち

岡田 尊司 (著)