BASSO memo

ブログ兼備忘録としてのメモ帳みたいなものです

それは中臣鎌足みたいだったぁ~♪(まとめ版)

今日、仕事中。
ちょっとした奇跡(と言うほどのモノではないですが…)がありました。

まぁ、結論から言うと、
高校時代の『元カノ』と言うヤツと再会したのです。



当時、僕は高校1年生。
彼女は一つ下の中学3年生。

そんな僕達を繋げてくれたのは実はCHAGE&ASKAだったりします。

学校も地域も(当時の感覚では)全然違う二人が、
共通の知人の、


「私の友達にもCHAGE&ASKA好きな子いるよ」


そんな一言で出会い、
そのままの流れで付き合いました。
笑顔が印象的な女の子でした。

その後、


若い日を若いとは思わず


と言う、楽曲『青春の鼓動』さながらの恋をし、
一年経たないくらいで、
学生時代にありがちな中途半端な別れ方を経験しました。



二度目の再会は成人してしばらく。

僕が買い物で訪れた雑貨屋で、
アルバイトとして店舗にいた彼女と偶然の再会。

昔話を二人して笑いながら、
一度分かれた距離はそのままに、
友人として年に1~2度会う程度の関係を続け、
それは一昨年くらいまで続きました。
やはり笑顔は変わりませんでした。

別れ、
と言うか事故は突然やって来ました。






ケータイ壊れてLINEが飛んだ。






まぁ、よくあるヤツです(笑)

友人関係を続けてる間に両者もそれぞれ結婚をし、

それぞれの家庭に忙しくなりました。

『疎遠』とは少し違うけど、
それほど積極的に会う訳でもなかった僕達は、
そのままフェードアウトするように関係が薄れていきました。


そんな今日。
今度は僕が働いている店に彼女がたまたまお客として来たのです。


「よ」


そんな『昨日も会ったよね』みたいなノリで声をかける僕に、

彼女は最初驚き、
そして昔と違い、
少し寂しさを覚えた笑顔を向けたのです。
そして彼女も、


「よ」


彼女と近況を話し合い(ちょうど休憩時間だったので)、

プロレスとミリタリーが趣味と言う、
少し特殊な彼女なので

「40歳目前に控えたので棚橋(プロレスラー選手)目指してジム通い始めたんだよ(笑)」
と、僕。

「それには細すぎ(笑)」
と、彼女。

そんな会話の後、
僕の新しいLINEアドレスを彼女と交換してその場は終わりました。

仕事後、見るとLINEはすぐ来てました。

『軽口きけるような人、側にいなくてさ』

声をかけた時の顔が、
少し寂しそうだった事を思い出しました。

僕が人の事を言えた義理ではありませんが、
彼女は大概に出鱈目な性格で、
世の中を生きていくには少々不器用な子でした。


そして今はCHAGE&ASKAからも、
と言うより音楽そのものからも離れてしまったそうです。



三度目の再会も何かの縁です。

今さら、どうこうしよう、
と言う下心がある訳でもありませんが、

相変わらずの友人関係の距離感は保ちながら、

今回のコンサートチケットは、
Fellows枠の販売が終わってしまいましたので諦めて、
(仮に一般で取れても席がバラバラなので)

来年始まる予定のASKAさんのバンド形態の方のチケットを、








Mr.Childrenファンのカミさんを差し置いて(笑)









連番で予約しても良いかな?
なんて思う、青春の塊みたいだった1日でした。

いつもASKAさんは…(Fellowsダイアリーより転載)

予想の斜め上をいく。

予想、と言うより想像の選択肢にすらなかった。

billboard classics
ASKA PREMIUM SYMPHONIC CONCERT 2018
THE PRIDE

の発表。

Fellowsの皆さん同様、
ご多分に漏れず僕はバンド形式のライブを想像していたので、



そう来るか~。



と言ったフワッとした感想をもって、
上記の『斜め上』を実感する訳であります。


ブログのStingの話は布石だったんですね(笑)


シンフォニックの話はそれ以前からされていたので、
構想上では、かなり前から考えがあったんだと思います。


このドカーンと来るのとは違う、
ジワジワ~ッとした喜びは、
若干のむず痒さも伴って、
水が浸透する綿のように広がっています。


どのハコもキャパ2000~5000人程度の、
ASKAさんとしては収まるに少々キツ目な場所。

チケットのプラチナ化は必至ですが、

これもオーケストラの音質やら、
今後の戦略も考えての事でしょう。


とはいえ、
単純に久しぶりのコンサート。


余計な事は考えずに、
来週の(早ッ!!)Fellowsのチケット先行抽選を待ちたいと思います。f:id:r_tencho:20180721171406p:plain

超個人的コラム 『イイ天気』から見える景色 (リプライズ)

遡ること数時間前。


僕は、ASKAさんが配信シングルの4曲目としてリリースした『イイ天気』のコラムとして、

超個人的コラム『イイ天気』から見える景色

を投稿しました。

内容は直接読んでいただきたいと思うのですが、


その中で僕は、
今後のASKAさんのミュージシャンとしての活動に対して、

自分で勝手に盛り上がった『一抹の不安』を書かせていただきました。


端的にはミュージシャンとしての指針、
及び活動の拠点である『Weare』の今後、

への感想だった訳であります。






が、その数時間後ASKAさんのファンサイトである『Fellows』内の、
ASKAさんのブログエントリー、


『本日7/5(木)19時より「Fellows Watch」の販売です。』


に於いて、思うさま活動指針や、『Weare』の今後がタイムリーに語られました。


あまりにもピンポイントのタイミングだったもんで、

まぁ、あ~驚いた(笑)

まさかASKAさん、
このコラム読んだんですか!?


くらいのシンクロ率でしたので、
ありもしない妄想に駆られたりした訳であります。


ほんの数%の希望として、本当に読んでくれてたとしたら、

次のブログエントリーでコソッとわかるようなキーワードをぶっ込んで欲しいものです。

キーワードは『優しい景色』か『金太郎飴』でお願いします(笑)





さて。
些事はさておき、
エントリー内容がメンバーオンリーではなかったので、

転載させていただきますが、
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僕の力一杯の杞憂は全力で歓喜と変わりました。


また今月の新曲を待って、

来るべき『光の拍手』の瞬間を焦がれようと思います。




片想いみたい(笑)

超個人的コラム 『イイ天気』から見える景色

1曲単位でコラムと言うのは初めてですが、
ちょっと思うところあったので、
まぁ、やってみたいと思います。


ただ、
極めて個人的な感想で、
尚且つ少し誤解を招きそうな部分もある文章ですので、

くれぐれも閲覧にはご注意願います。







さて。
ご存知の方も多々いらっしゃる事と思いますが、

『イイ天気』

この楽曲は、ASKAさんの復帰後の毎月配信シングル4曲目として、
e-onkyoよりリリースされている曲であります。


ASKAさんの楽曲の中で、
僕個人の記憶の上ではそれほど馴染みのない、
『夏』をテーマの軸に据えたメロウなラブソングです。

歌詞でもブログでタイムリーに度々登場する様になった、
剣道をモチーフにするなど、
創作面でも挑戦が見える楽曲で、

『Black & White』以降のASKAさんの新しい顔を見せていると言う感想を持ちました。



メロディは頭から最後まで、
果てしなく『優しい』

と、いう印象で、
起伏の緩やかなメロディの波が、そのまま夏の海を思い起こさせます。


楽曲としての完成度は素晴らしく、
ASKAさんのファンであるところの『Fellows』も満足なところでしょう。








が、そんな満足な楽曲を聴いた僕が思った、

本ッッッッッッ当に大きなお世話な一抹の心配。



そう。



そのままASKAさんに対しての感想にもなるのですが、



『優しい』



のです。


付け入る隙も無いほど、
どこもかしこも金太郎飴のように優しさに溢れたこの楽曲ですが、


ここは慎重に言葉を選ぶべきでしょうが、

単刀直入に言えば、




『Fellows』への優しさ。




な気がしたのです。


『Fellows』に優しくて何が悪い!!


と、いう話になってしまいますが、


ASKAさんのフォロワーである『Fellows』への感謝の証ともとれる昨今のリリースラッシュで、

創作意欲の表れとも取れますが、


よい意味
悪い意味


どちらか判断のわかれるところですが



個人の感想。
個人の感想としてですが、


『虹の花』以降、

リリースされる楽曲は、for Fellows、
大袈裟に言えばonly Fellowsになっている気がしたのです。


もちろん、Fellows以外の方も楽曲購入は可能ですし、

ASKAの新曲』に興味を持たれる方も当然いらっしゃる事と思います。


楽曲面での新機軸も見えるので、
僕個人の上では『良い楽曲だなぁ』

で、済む話なのです。
済む話なのですが、


ふと、我にかえって、
客観的に見たときに、


『僕は満足なこの楽曲だけど、ASKAさんを知らない人間が聴いたらどう思うだろう?』



キャッチャーな曲が素晴らしい訳ではありません。
ロック的な格好いい曲が素晴らしい訳でもありません。

所謂スルメ(咬めば咬むほど…というヤツ)曲と言われる曲の表現まである以上、

色々な音楽の楽しみ方があるのは至極当然なのですが、


インナーである『Fellows』への優しさに溢れた曲は、
外の世界から見るには、
あまりにも『内輪』に見えているのではないか?






『人にそうやって愛されたら、愛したいって思うじゃないですか。愛し返したいって。』


こちらは先日、共同通信社の47NEWSに於いて行われた、
インタビューの中でのASKAさんの発言です。


広義としては、制作上の協力者だけではなく、
ASKAさんの楽曲を愛するFellows(及びリスナー)に対する発言であると僕は認識していますが、

その優しさが故に、
Fellowsへの愛を楽曲という形で表現している気がするのです。


僕は極めて天の邪鬼な思考をする人間です。


他のFellowsには「ふざけるな」と思われる発想です。
ちょっと語弊込みの発言をします。





『FellowsはASKAさんのものですが、ASKAさんはFellowsのものでは無いのです』





(『もの』と表現したのは語呂が良かったからと言うだけの理由ですので、どうかご寛恕下さい)



ASKAさんは『僕もFellowsです』と言ってくれた事もありますが、

そこは、

ミュージシャンとファン

と言う大前提の下に成立する関係性ですので、
それはやはりASKAさんの優しさと考えておくべきでしょう。



要は、外(Fellows以外)に対してのアプローチをもう少しして欲しいのです。


自身の音楽活動の基盤、
Weare構想が立ち上がる時、

ASKAさんは『ゆくゆくはWeareを世界へ』と言った主旨の発言をされています。

これはそのままWeareを指すものであると同時に、

所属するASKAさん本人も世界基準で公開されるという事を意味する筈です。


そう考えた時、
楽曲目線のフォーマットとして、
今の楽曲は『ASKA』というミュージシャンを外へ訴求する時、
少々難解(既にASKAさんの楽曲を知ってる人向けの楽曲)なのではないか?

なんて不毛な疑問を抱いてしまうのです。


ASKAさんが優しいのはずっと前から知ってます。

音楽というものに対して真摯に向かい合って来たこともよく知ってます。



だから、

だからこそ、そんな事を知らない人に、
おもいっきり『おもいしらせて』欲しいのです。


ミュージシャンASKAの底力を、
僕らにではなく、

外の世界に見せつけて欲しいのです。



とっくにそんな事が規定路線に組み込まれているのであれば、

それは僕の力一杯の杞憂で終わるのですが、



ASKAさんが『イイ天気』で、
僕らに見せて聴かせてくれた優しさが、

日本とは言わず、
アジア、そして世界にもっと鳴り響いて欲しい。


そんな『幸せな景色』をつい考えてしまった楽曲でした。

こそっと呟く

W杯予選リーグ

日本 対 ポーランド

0-1

結果、試合には敗退したものの、
フェアプレーポイントで勝る日本が決勝トーナメント進出。

その際の、試合後半に於ける時間稼ぎの為のパス回しによる、
消極的な日本チームのプレイが賛否両論となっています。


…と、



ふむ。




戦術的には悪いとは思いません。

現行のルールがそうなんだし、
そのルールに則ってプレイをした選手、ならびに監督には心から、



『おめでとうございます』と『お疲れ様でした』



を、言って然るべき結果です。



少し思った事は、

応援の為に、数ヶ月(数年?)前から観戦チケットと渡航のお金を費やしていた現場のサッカーファンの方々、


観てて面白かったのだろうか?


ポーランドからしても点数1点を稼いで一矢報いた形で終了した訳ですが、


このwin winの形で終わる形式化した試合に、
一体どんな感想が持てるのか?


客観的にはとても興味深い試合でした。




本戦を楽しみに待ちたいと思います。

僕の食文化(Fellows『Diary』より転載)

あまりにお腹が減ったので、
ペヤングの『超大盛やきそば』を食べる。



そこでフッと考えました。



自分はあまり『食事』と言う行為に、
拘りがないなぁ、と。


と言うか、
『食』に関しての感動が浅い。

不味い以外は、旨いなのです。

一応、味の複雑さが、わかりはするので、

決して味音痴という訳ではないと思うのですが、



例えるなら、懐石料理のコースを食べたとします。
翌日、某牛丼チェーン店で牛丼を食べたとします。

結果、どちらも同じ、


旨い。


なのです。

好き嫌いが少ないことも拍車をかけているのか、

家で食べる食事も、

全て残さず食べるものの、
何を食べても旨い。ごちそうさま。

の、コメントのみ。

作ってくれる側の人間からして、

僕のようなタイプは、
果たして良いのか悪いのか…。



ただ『食』に対する国民性の拘りとして、

日本という国は、結構特殊らしく。


映画やイベントの宣伝の為に、
来日される海外の著名な方々は、

バラエティー番組出演の際の、
『食絡み』のコーナーやロケの多さに驚かれる事が多いそうです。


そんな国で育った中では、
感動に於ける『食』の優先順位が著しく低い、
僕のような人間は、
若干、生きづらくなってしまうようです。



ただ、一つ利点をあげるなら、

疲れてしまって出す手抜き料理も、
僕なら、
『旨い。ごちそうさま。』


と、言えることでしょうか?(笑)



まぁ、そんな時、
食事を作るのは大抵、僕自身ですが。

超個人的コラム『カッコつけてもしょうがない』

という内容で1本のコラムを書き上げる。


なんてお題を、とあるfellows(ASKAファンクラブ)のメンバーから頂きまして。


まぁ、僕が「何かお題ある?」
なんて言ったからですが(笑)
ちょっと先方を困らせてしまいました…。


そんな訳で、以下内容ですが、
そもそも、この『カッコつけてもしょうがない』はASKAさんのダイアリーにエントリーされた詩、

『足音』

の冒頭に出てきたフレーズで、
その『しょうがない』に対して作者(敢えてそう呼称します)は、

『というフレーズが嫌いだ』

と言う風に否定するところから始まる訳です。


作者と、その相手の間にある関係性はわかりませんが、

話はその『カッコつける』を軸に、

僕は自分の足音が好きだ
僕にしか鳴らせない音だから

つまり、

僕は歩みを止める事はしないよ。
僕は自分の足音が好きだから。

という揶揄表現でまとめて、

僕(作者)は最後まで自分の価値観を信じていくという、
決意表明の詩であるという風に僕は捉えました。


仕上がりこそ比較的ポップな印象ですが、
作者本人のキャラクターを踏まえて、

ぶれる事のない人間の在り方、
みたいなものが見えてくる、
とても好きな詩です。


っと、ここまで書いてコラムと言うより感想文のような気がしてきました(笑)


でも、まぁ僕が言いたい事も変わりません。



僕が思うASKAさんは、
今まで、いつの時代も最終的には、
自分の運と(経験に基づく)勘を信じて進んできた人だと思っています。



ポプコンCHAGE(当時はチャゲ)と組んでみたら?と言われて、
CHAGEさんに声をかけた時。

チャゲと飛鳥』が、
大石吾郎さんに『チャゲ&飛鳥』と呼ばれて、それを受け入れた時。

レコード会社をワーナーから当時、
まだ新進気鋭だったポニーキャニオン(まだ当時はキャニオンレコードだっけ?)に移籍した時。

一時、CHAGE&ASKAを休止して、
1人ロンドンに渡り楽曲製作に没頭した時。



あ、多すぎて説明しきれんわ(笑)

兎に角、
節目と言わず、
どのタイミングでもASKAさんは、

自分を信じて、
イニシアティブをとってきたイノベーターであるという印象を持つのです。


どれだけ自分の中で、
正解をたどったかは本人のみぞ知る事です。


そして、
たまに出る批判。




『自分勝手』




僕が思うに多分、
自分勝手とは違う。


盲信ではなく客観的見地からもそう思えるのです。



全部が全部、
表に出せる訳がないから出る誤解。
全部が語れないから出る誤解。

その話の結果(経過)なだけ。






そしていつも、
そこに発生するのは『責任』です。



船長でありながら操舵士。



責任を背負うからこそ語れない話。
いつどこでも『今はまだ喋れませんが』のキーワードが出せる訳じゃない。


それすらも憚られる内容があって当然。
その誤解からくる『責任』すら背負い込む人なんだと思うのです。



皆さんが知ってる当たり前過ぎる事実。



ASKAさんはミュージシャン』



その最もアウトプットである楽曲に救われているという事実がある以上。

僕は、それ以上の無責任な詮索をする気にはなれないのです。



それでも気になる事があったら?



その時僕は『カッコつけて(るフリをして)』、
静かに次の『足音』が聞こえるのを待つのです。