夢に泣かされた日

先日、見た夢に泣かされた。

その日はなかなか寝付けず、次の日は早めに家を出る予定だったのでおそらく眠りが浅かったのだろう。たぶん。
すごくリアルでありえない夢を見た。

彼氏に彼氏ができて振られる夢だ。








??



誰に、何ができて誰が振られたのか。


彼氏に  彼氏ができて  私が 振られたのである。
書き間違いでは決してない。

夢だと最初思っていなかった夢の中の私は

唐突に彼の隣にいる友人と思わしき男性と彼はただならぬ関係だと瞬時に理解した。寄り添う彼と男性。
やだ とまず思うんだが声が出ない。その言葉がでない。
だがとても切なくなった。あぁ勝てないってなぜか思った。

なぜだか男性と話が合う私。
彼にも普通に落ち着いて接している。
どうにもこれは3人で話さなきゃと思うんだがなかなか場所が見つからない。
その合間に友人にこのままでいいのと聞かれるんだが、
そこでふりしぼって出た言葉が

彼の為には仕方ない。これから次の人探さないといけなくなっちゃった。
彼がよかったのにな。だめになっちゃった。

言ったとたんに胸がずきーんとするし
涙出てくるしあぁこんなにつらいのかと思っていた。
でもなんとか仕切りなおす夢の中の自分。強いえらい(自讃)

そして、夏祭りを3人でかけぬけつつ、彼と男性と歩く私。
2人がチョコバナナをおごってくれる。さすがと喜ぶ私。
いつもこうよ。へんなふうに平静を装ってそれがうまくて。
そして彼とじゃれつつ男性にあてつけながら、あぁ恋人としてでなく並んで歩くのはこんな感じなのかと思っていた。
そして別れ話をするための場所へ歩いてる途中で




目が覚めた。

段々と先ほどの心中修羅場な状況は夢だと気づくのに
少し時間がかかった。

そして覚醒してまず夢でよかったと心から思った自分がいた。
ほっとしたら涙がぼろぼろこぼれて胸が夢と同じくらいずきーんとした。

こんな夢絶対おかしいと思うんだけど、
妙にリアルでこわくてしょうがなかった。

気持ちが落ち着いてから夢診断の為の検索をした。
彼に彼ができて振られる夢 
どんぴしゃの回答はやっぱりなく、とりあえず似てる状況を統合するとどうやら逆夢で、幸せいっぱいすぎてみる夢だそうだ。
なんなんだと思ったがそうかと納得することにした。

彼にLINEで教えたら
ないないない!正夢になんてしたくもない!と言われたけれど。

大事にするからあなたの隣は私ですって送ったら盛大にデレたと喜ばれた。

追記
ふと振り返ると、その頃私はもう他の女に奪われる危険性を全く感じず、男に目覚めるくらいしか彼との別れは想定できないくらい彼から愛されてると思ってたのではないかなと思う。幸せな夢だし、結果彼が大事だと自覚できたのはよかった。でも夢の中では修羅場だったし、当時の自分は相当ショックを受けたのでありました。
初めて夢で泣かされ夢でよかったと思う夢を見たお話です。

読み手の視線、聞き手の視線

今週のお題特別編「素敵な絵本」

絵本、大好きです。

幼稚園に読み聞かせが上手な先生がいて、そこからぐんとはまって大人になる今までずっと大好きなまま20代も後半を越えています。

絵本の読み聞かせのボランティアも10年以上、今でも月に一度行けるときにやる感じでゆるく続いています。


初めて読み聞かせをした時のことが、今でも忘れられません。
選んだ絵本は[ぼちぼちいこか]でした。

ぼちぼちいこか

ぼちぼちいこか

幼稚園で最初にはまった絵本。これしかないと当時の私は思い家から持っていきました。
一生懸命読みました、何度か練習もしていたし、内容は頭に入ってるのですらすら読めたと思う。言い回しも工夫した。やりきった充足感と緊張感とともに初めての読み聞かせを終えました。

子供たちが帰った後、おなじ読み聞かせをやる方からこんな言葉をもらいました。

「読み方について、ひとついいかな、
絵本をね、自分に向けて読んじゃいけない。絵本を傾けるなら子供に見えるように下に向けないといけない。どんなに自分が読みづらくても絵本を楽しむのは子供たちであって読みきかせる私たちではないんだよ。
きちんと子供の目線で考えようね」

当時中学生だった私は相当衝撃を受け、同時に顔がカーッと熱くなってしまったことを覚えています。何も言えませんでした。
自分本位の姿勢で読み聞かせをしてしまったことにさえ気づいてなかった自分が猛烈に恥ずかしくて仕方ありませんでした。



その経験から、どんな絵本でも必ず子供に見えるよう、伝わるよう、角度や絵本選び、読み方などを工夫し続けて今に至ります。

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・今日は赤ちゃんに近い年齢の子が多いから、文字がたくさんの絵本はだめだな、絵がわかりやすくて、読んだ時の音が面白い、短い絵本にしよう。

・お正月なら鏡餅が動き出すあれかな、田植えが始まるころにはおにぎりの絵本、雨が多い時期には夏の話や雨の日の過ごし方の絵本、

・女の子が多いから、かわいい絵で、髪の長い女の子のお話や、女の子が主人公のお話もいいかな。

・あの恥ずかしがりの子には、自分から入って来てもらえるように、外からでもお話がわかるようにいつもより大きめの声で読んでみようかな。

・キャラクターが歌っているお話の中心の歌があるなら自分なりに節をつけて歌ってみたり。

声の強弱大小老若男女、だれがどのセリフを言っているのかわかるほうが面白いか、わからないほうが面白いのか、

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考えうることは全て尽くして読んでいます。

あの日、きちんと指摘してもらえてよかった。あの猛烈な恥かしさを覚えているからこそ今があります。


絵本を素敵なものだと知ってもらえるよう、今月も私は絵本の読み聞かせをします。

自分の体を管理するということ

小さなころから体調不良との戦いの日々を送っていた

今ほどではないにしろ、
車に酔いやすく吐きやすい体質。
車とは、乗れば必ず気持ち悪くなる苦行の乗り物であった。

学生時代も
頭痛を伴う眠気との戦い
軽いものから重いものまである頭痛や生理痛
だるさや吐き気、疲労
が毎日のように襲ってきた。動けなくなるくらいつらい時もあった。
理由なく頻繁に訪れるため、それだけで疲れる、
おそらく周囲の人も見ていて気持ちの良いものではなかったでしょう。申し訳なかったなと思う。当時は自分のことでいっぱいいっぱいだった。
たってられるし意識もあるからどうにかしようとあまり思えなかったし
どうにもできないと思っていたのだと思う。


社会人になる前に、脳神経外科へ行き
片頭痛と緊張型頭痛の合併症状だと診断された。
適当に治療を受け、なんとなくの知識を得た。
ほぼ一生付き合っていくべき病気と知って軽い絶望を覚えた。

社会人になってから、
少しずつ生理周期や頭痛との戦いは[己を知ること】だと気づき始めた。
痛い日や症状、その前後になにがあったか手帳に書き込むようになった。歯並びの矯正治療を真面目に行ったりもした。

それによって、生理の前後 特に一週間前からは頭痛や吐き気体調不良が著しく起きやすいことがわかった。何かしら悩むことがあったりして精神的に不安定な時期も体調不良が起きがちだった。
運動をしなくなってからは、体調不良が顕著であったようにも思う。
ほんの少し動くようになったら、体重は落ち心も体もすこし軽くなった。猫背は少し直すようにしただけで背中が筋肉痛になった。

なんてことはない、バラバラだと思っていた症状はつながっているのだ。

心と体、体調不良と片頭痛と歯並び、鼻と耳と喉、姿勢、運動、

一つ一つをつぶしていたら

なんとなく起きたことだけに対処していたら気づかなかったであろうことだ。

なぜ、こんなことになるのだろうと悩んでいても理由らしいものが思い当たらない気がして放っておいていた。それは甘えだったのだと今は思う。

毎日の頭痛や吐き気だるさなんて、異常以外の何物でもない。
日常生活に支障が出ているならなおさらだ。



まだまだ未知数なところが多いが、ぼちぼち向き合っていこうと思う。
とりあえず、よく寝ること。しっかり休むこと。
体調不良をそのままにしないことが大事だ。

東北おやつ紀行【読書】

家の鍵を忘れ締め出された為
閉館直前の図書館に駆け込んで借りた数冊の内の1冊がじんわり面白い。
他には江戸めしのススメという本も借りている。
どうも食に関するエッセイが好きなようだ。

東北おやつ紀行 という本。

東北おやつ紀行

東北おやつ紀行

まだ途中だが、なんともいえずじんわり面白くて通勤途中に読みすすめている。
どこかふらりと旅をして、地元の菓子店・和菓子屋等に乗り込み土地特有のお菓子を頬張りたくなる本だ。

東北各地のおやつを食べつつ旅行をしている著者のコラム。
ゆったりとした時間の流れと目線で、一緒にのんびり旅行している気分になる。
くらげの水族館、風船を飛ばすイベント、ねぶた祭り、美術館、博物館…


そして冬の寒さの描写が楽しい。
こちらが寒くなってしまうようなものではない気がする。
寒さを受け入れていること、それが日常であるからかしら。
一緒にもこもこに厚着して寒いねーといいながら、誰かと一緒に歩くような、そんな気分だ。
著者の方は、同行者の方と一緒に時にはひとりでも淡々と楽しんでいる。
また、土地土地の人と軽く会話をして由来を聞いたり商品の説明を受けていた。
そんな交流も旅の醍醐味なのかもしれない。


夏の仙台しか東北を知らない私には、目新しい情報がたくさんだ。
いつか東北に行く際の参考にもなるんではないかと思う。


東北のお菓子にはくるみがよく使われるような気がした。
くるみが好きなので、なんだか出るたびに嬉しくなる。


著者の方が愛知県出身とのことで伊賀まんじゅうが出てくる。
知っている菓子が出てくるのは嬉しいものだ。

ちなみに私の地元にも一つ特有の歌詞がある。
名を[油菓子]という。
簡単に言えば、ちょっと固めのドーナツである。
形は煮物に使うこんにゃくのようにねじった形が多い。
お雛様の季節に、各家庭でお店で作られている。
カリカリにあげる家もあれば、ちょっと柔らかめにする家もある。
てっきり全国区なお菓子かと思えば、
そんなことは全くなくすごく狭い範囲の菓子であることに衝撃を受けたものです。


そんな知られざるお菓子が、全国にたくさんあるんじゃないかと思わせてくれる
そして、そのお菓子を探し出して楽しんでみたいと感じる一冊でした。


震災前の取材ということで発行が遅れたようですが、
それでもあたたかい記憶として著者の方に残るお菓子と旅の記憶に、
書籍化という形で触れられたことは、しみじみ幸運であると思う。

再開する

以前書いたブログ見たら2010年。もう丸3年は経っているというのか。
どんだけ放置してたのだ、

使っていた手帳は、ほぼ日を経て現在イラスト手帳である。
手帳はシンプルに予定管理して、適度に日々のことを書き込めるようになった。
体重は社会人生活で15キロ変動した。
7時過ぎてもうだうだしていたのに今は5時半から6時起床。
毎日弁当を作って家を出る。
クロスバイクを買った。
奨学金はあとちょっとで完済だ。

数年でだいぶかわった気がする。もっともっと変わりたい。

今度はどれだけ書けるだろう。
FBにmixiTwitterにLineにはてな。たくさんある中でここで書くことを考えていく。
周囲が誰も知らないであろうこの日記で、1人で感じたことを書き連ねよう。

手帳に書き込むということ。

生まれてこの方手帳が使いこなせない、もとい真っ白な手帳ばかりを生産していた。
ぽつりぽつりと書いてあって残すべきなのか、捨てるべきなのか迷ってしまうことも


それがどうだろう、今はちゃんと書き込んでいる。むしろ黒い。
昔の手帳はつるつるしてるけど、今の手帳は筆圧ででこぼこ。
4月始まりだというのに家に届いた2月から書き込んでいる。



使っている手帳はほぼ日手帳
カバーはリキッドアーガイル。
ネット販売限定だったが構うものかと購入。
なんというか…迷い病の私にとって珍しい『一目惚れ』である。
他のカバー購入も考えたがしっくりこない。
どうしてもこれがいいと思ったんですね。



ほぼ日手帳を知ったのは去年のこと。
こだわっている内容を一つ一つ読み進めていくうちに期待が膨れ上がっていた。
さらにSNSのコミュニティでカスタマイズしている人たちを見てさらにワクワクしだした。
自分ならどうするだろう…そんなことをずーっと考える。

ほぼ日手帳が良いのは、手帳に色々書き込みたいという想いを増幅させる要素がたくさん詰まっていることなんじゃないかなと考える

買う前から期待を増幅させ、その期待を裏切らない。

思い入れがたくさんあるからこそ、何かあったら手帳に報告したくなる。
面白いことがあれば、手帳に教えたくなる。
あとでその手帳を読む自分にも残しておきたくなる。
予定もどんどん埋まる過程が楽しくなった。
すぐにスケジュールが確認できることがこんなにやりやすいとは思わなかった。

今まであまりしてこなかった、『自分との対話』を楽しむ。
ほぼ日手帳1年生。

これから少しずつ手帳とともに成長したい。