ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

48677と78638と29625

SAMPUKU爺様の画像につき、転載はご遠慮下さい。

昭和41(1966)年9月21日 岡山機関区

入換専用機がずらりと並んでいます。どれも初登場のナンバーばかり。

48677は煙室戸にはゼブラはなく、前端梁にはV字型のゼブラ模様。解放テコは片側だけ。岡山区には8カ月程度しか在籍しなかったので、この場所でのスナップは貴重なものかと。でも車歴表によれば、この時点ではまだ小郡区ということになっているんですけどね。

車歴は↓こちら。

http://d51498.com/db/8620/48677

78638は煙室戸も前端梁も逆V字ゼブラ模様に。これで除煙板がなかったら完全な入換機スタイルでしょうかね。サイドステップはL字型に改造、解放的は一般的と、色んな意味で48677とは異なる味わいがあります。

車歴表は↓こちら。

http://d51498.com/db/8620/78638

29625は頭がチョロッとしか写っていませんが、番号板はちゃんと読めます。78638と同様に煙室戸と前端梁は逆V字ゼブラで装飾。除煙板はなし。大正末期までは客車は8620、貨物は9600が主力機関車として幹線、支線を問わず大活躍したのでしょうね。この3輌の中では一番長生きしました。

車歴は↓こちら。

http://d51498.com/db/9600/29625

48661

SAMPUKU爺様の画像につき、転載はご遠慮下さい。

昭和42(1967)年3月11日 吹田第一機関区

この当時、関西地区ではハチロクの営業運用は存在せず、もっぱら入換専用機でした。竜華区から吹田一区までわざわざ何をしに来たのか分かりませんが、貴重な一コマかもしれません。

後部標識灯では片方だけ反射板がありますが、何か理由でもあったのでしょうか。

キャブ窓は大型化されています。

ゼブラマークがないので、本当に入換専用機なのかどうが分かりませんね。

隣のDD13 44こそは入換専用機のようですが、この時点で全416輌のうち、354輌までが落成しており、ヤードにおける無煙化を着実に遂行しておりました。

車歴は↓こちら。

http://d51498.com/db/8620/48661

48648

田中 泰三様の画像につき、転載はご遠慮下さい。

昭和43(1968)年5月30日 金沢運転所

車歴表によれば第一種休車状態のようです。

化粧煙突を継ぎ足して回転式火の粉止めを載せています。

キャブ側窓の庇は少し大きめでしょうか。

炭水車側板のキャブ寄りの形状が突出しており、何だか奇妙な印象です。

休車とはいえ、春の穏やかな陽射しの中で、奮闘した長い日々のことをウツラウツラと思い出しているように見えてしまいます。

車歴は↓こちら。

http://d51498.com/db/8620/48648

48640

田中 泰三様と江別の鐵様の画像につき、転載はご遠慮ください。

昭和47(1972)年5月23~25日 東能代機関区

撮影メモによれば1枚ごとに日付が異なっているようですが、同じ場所での撮影のようですし、多分同じ日に撮影されたものと思われます。

蝶番の腕が随分短く切り取られています。やり過ぎじゃね?

LP405に回転式火の粉止めとくれば、顔を歪めるファンも少なくなかったでしょうね。

除煙板は背が低いタイプ。上部ステーは細目で何か頼りなさそうです。前端部の手摺はいささか外に飛び出し過ぎのように思えますが、乗務員や入換手にとってはありがたいものだったでしょうね。

番号板上の「架線注意」札はなんだか大きく見えます。

キャブ屋根は延長されており、延長部分は棒鋼で補強しているように見えます。

炭水車背面左サイドには入換手用の手摺が備わっています。後部標識灯はタイプの異なるものが据えられています。

 

昭和47(1972)年7月 川部

五能線の客車列車が川部駅を発車したところです。

 

昭和48(1973)年3月 弘前運転区

現在、弘南鉄道新里駅構内に保存されているようです。有志らの手によって整備され、それがいつまでも続くことを願うばかりです。

車歴は↓こちら。

http://d51498.com/db/8620/48640

48635

matuno kura が撮影した画像ではないので、転載はご遠慮下さい。

昭和45(1970)年12月16日 梅小路機関区

車歴表によれば、まだ廃車ではないようです。実際、ロッド類はそのままの状態ですし。でも番号板がないだけで廃車体に見えてしまいますね。

煙室前端に「架線注意」札はありません。キャブ前窓上部にはあるのに。

煙突の脇には蓋が用意されています。この蓋は主に関西地区で用意されたもののようですが、全国的に普及しなかったのはさほど効果が無かったからでしょうか。人力で煙突の上に蓋を載せるというのも結構大変そうですし。

キャブ裾は切り上げられていません。よって下部には点検口が設けられています。九州機だと蓋は撤去されています。

車歴は↓こちら。

http://d51498.com/db/8620/48635

48633

matuno kura が撮影した画像ではないので、転載はご遠慮下さい。

昭和43(1968)年2月18日 盛岡機関区

遂に登場、ボックス動輪のハチロク。車歴表ではボックス動輪径が1520mmと、C58と同様の動輪を採用していることになっていまが、80mmも径が異なって何やら不具合は起きないのでしょうか。一般的には1600mmのボックス動輪を新たに図面におこしたと云われています。

車歴は↓こちら。

http://d51498.com/db/8620/48633

38697

matuno kura が撮影した画像ではないので、転載はご遠慮下さい。

昭和42(1967)年9月16日 柳井機関区

車歴表によれば、この前年の12月1日付けで廃車されているのに、そのような姿には見えません。ボイラー代用にでもされていたのでしょうか。

入換専用機らしくゼブラ模様入り。もっとも北海道では、ゼブラ模様のキューロクが本線で貨物列車を牽引するなんてのは珍しくありませんでしたが。

ゼブラ模様以外、入換機らしい改造は見当たりません。

梯子状のサイドステップですが、最下段の踏段は大きめになっています。足を掛けやすそうです。

右は山口線用のD60 8。ブログに紹介していないナンバー。この機関車はこの年の1月4日に廃車済。柳井機関区は廃車機関車の留置場だったのでしょうか。

車歴は↓こちら。

http://d51498.com/db/8620/38697