がんになって、よかったこと。

ステージ4の大腸がんになっておこった生活や思考の変化を率直に書きます。ネガティブなことばかりではなく、実はポジティブなことも多いのです。

20221019‗誰に見せるでもない備忘録

きょう、何度目かの定期検診。いつも通り寝不足。

前日はいつも寝られない。昨夜は深夜二時までキングオブコント2022をTVerで見る。

個人的にはコットンが一番だった。きょんの演技と西村の冷静なツッコミが最高。

 

有給休暇を取ったけど午前中は在宅で仕事。溜まっていた事務仕事をやっつける。

 

病院へは、初めて自転車で行ってみた。久しぶりに雨が降らなかったのと、在宅勤務による運動不足の罪悪感を解消したかった。

 

自宅近くのレンタルポートから借りた自転車はどちらかというとハズレ。椅子は固く、ハンドルはべたつき、タイヤの空気圧はあまり入っていない。三段階のパワーを一番上にしてもスイスイ進むわけではなく、道中はずっとこぎ続けた。皇居、銀座、築地など東京の中心部をひたすら横断。平日の日中にもかかわらず人通りはとても多い。皇居はランナーが軽快に走り、銀座はカッコイイ感じの人たちがたくさん。勝どきから豊洲までの間は道も広く橋を何本もわたり、気持ちいい。

 

見えてきた病院は、白く無表情にそびえたっている。今日は墓標に見えなかった。

中では、1階コンビニ前の広めのスペースに展示物。派手目の絵画が飾られている。ハロウィンのモニュメント?などもあり、場所に似合わない浮かれた雰囲気。

 

妻と合流。呼ばれるまで待機スペースで雑談。テーブルにつき、アクリル板越しに雑談。話題はもっぱら長女の受験。刻一刻と本番が近づくことを待つ日々は、手術日を待つような気持ちと似ているなとふと思う。

 

きょうはなかなか呼ばれなかった。予定時間を少し超えてチェックインしたからか?それとも、言いづらいことを言うために言葉を探しているのか。待ち時間は嫌なことしか想像しない。妻と話しながら、目の端で呼び出し器をとらえつづけている。

 

チェックインから40分を超えたあたりで、呼び出し器が鳴る。

いつもの部屋にノックして入ると、先客。よく見ると呼び出し器の表示している番号と、部屋の番号が違う。主治医の部屋が変わっていた。

 

改めて主治医の部屋に入る。

挨拶。名前を伝え、主治医からの言葉を待つ。緊張が高まる。

今回も問題なし、順調。

それまでの緊張が一気にほぐれる。それまでずっとスリープ状態だった頭が、ちゃんと起動し始めた。

血液検査の結果も頂く。とても健康的な結果ですよ、と。

渡された書類には、

いつも必ず複数の項目についていた肝臓や腎臓の欄にH(High)やL(Low)が一つもない。そのほかも。どの数値も標準範囲内。

 

10代から今日まで、幾つかの大病を患い続けていた自分の検査結果とは思えないそれは、まるで100点の答案用紙。大きな花丸が見えるようだ。

 

次の検査は半年後。そして次の次、2023年10月の定期検査で何も出なければ、定期検査は一旦終了しましょうかとのご提案。

 

思いがけない話が続き、せっかく起動し始めた頭がすぐキャパオーバーになる。約8年関わり続けてきたがんとの、終わりが見えてきた。喜びよりも、戸惑いが大きい。言葉が出ない。

主治医が続ける。片足を突っ込んでましたもんね。肝門部リンパ節転移を廓清(手術で取り除く)した人の予後は、5年で2割ですから。2割のほうに入りそうですね。いつもより幾分穏やかな笑みと口調。

改めて自分の状況を、抱き続けていた緊張感の正体を思い出す。5年で2割。自分の生存率。競馬や競輪なら大穴。ギャンブルに縁がない自分は、35歳でリンパ節転移をしてから、40歳以降の人生は考えないようにし続けていた。勝ちを期待するには心許ない確率。通院のたびに、再発の可能性と、次は治療をしないと決めていた。妻と子ども達を遺し、逝くつもりでいた。がんで死ぬつもりでいた。

主治医にお礼を告げ部屋を出て、あと来年4月、10月の予約を取り、会計を済ませ、病院を出る。帰宅途中に寄った中華屋で、妻と遅い昼食をとる。何度も良かったねと妻に言ってもらう。ありがとう。でもまだ実感は湧かない。まさか自分の人生でこういう言葉と結果を頂ける日が来るとは思わなかった。また、生存率のことよりも、検査結果のほうにより強い喜びを感じている自分にも驚いている。

 

思いがけず延長しそうな自分の人生を、どう過ごすべきか。まだ考えるのは怖いけど、まずは心穏やかに、明後日の誕生日を迎えられそうで、よかった。