どんまい

いろいろあるけれど、それでいい

西武大津店に捧げる

 仕事を終え、自宅のドアを開き、居間に入ると、エアロビのような体操をしている妻と目が合って、笑みを浮かべながら、私は、居間の隣の自室に直行し、上着を脱ぎながら、妻に、美しさに対して貪欲だな、と独り言のように話しかけた。妻は、これから薄着の季節になるから、ということだった。数日後、エアロビのような体操を始めて筋肉痛になっているから効果がある、と言っていた。

 

 宮島未奈『成瀬は天下を取りに行く』を読み終わった。一年ほど前、Xで、「めちゃめちゃ面白いです。滋賀県大津市が舞台の青春小説」と伊野尾書店の店主が投稿しているのを読んで、いつか読んでみたいと思っていた。

 2024年本屋大賞でノミネートされて、再び、目にする機会があり購入した。私の中では、2024年本屋大賞は、川上未映子『黄色い家』だな、と思っていたのだが、宮島未奈『成瀬は天下を取りに行く』を読み終わった今、甲乙つけ難く、比較できるものでもなく、もはや好みの問題ではないか、と思っている。どちらが大賞を取っても頷ける。(ちなみに、エントリーされている本を全て読んでいるわけではない)

 成瀬あかりという女の子が主人公で、最初の物語が、西武大津店が閉店すると知った成瀬が「この夏休みを西武大津店に捧げる」と宣言して、西武ライオンズのユニフォームを着て、毎日のように地元のテレビ番組が中継する映像の片隅に映るというものだった。

 最初のこの物語で、私の心は鷲掴みされた。めちゃめちゃ面白い。成瀬好き。私は忘れていた。他人から見たら、どうでも良いようなことに熱中する若かり頃を。あれを青春と呼ぶのか、と青春の意味を改めて考える。その青さって、今もなお大切にしなければいけないのではなだろうか。

 西武大津店って、本当に閉店したのだろうか、とこの文章を書きながらネットで調べると、確かに閉店していて、どこまでが本当のことなのだろうかということに意識が向けられ、成瀬あかりをモデルにした人は、果たしていたではないだろうか、と思ってしまう。著者が、成瀬あかりの友人である島崎なのもしれない。どうなんだろうか。

 仮に、成瀬のような女性がいたら、私は、好きになってしまうかもしれない。自分の価値観を持っている女性。いや、私は、そんな女性に会って来たし、恋をしてきた。

 そういえば、私が小学生の頃、周りから変わっているとか、独特だよね、と言われることが褒め言葉だったというのを思い出した。

 また、成瀬あかりの物語の続きを読みたいので、近々、『成瀬は信じた道を行く』を読むだろう。

 

 

 

目標設定の極意

 若い職員に、目標を教えてくださいと訊かれたことがあり、「現状維持」と応えたことがある。今も、その答えは変わらない。現状維持をするためには、変化を起こし続ける必要があると思っているけれど、そのことを付け加えたかどうかは定かではない。職員に、変化が激しすぎると言われたこともあり、それも私にとっては、現状を維持するために必要なことで、その時は、職員にも伝えた。

 そんなわけで、私は目標設定とかに今は興味がないのだけど、Numberの表紙がイチローだということで、Numberを購入し読んでいる。

 イチローは、「目標」という言葉について、「自らを高めていくために不可欠なものと捉えています。基本的には遠くに設定するものと、近くに設定するものの2つがあり、日々意識するのは近くにある目標で、それをクリアしていくことで遠くにある目標に近づいていく、そんなイメージです。これってよく耳にする話ですよね。でもやってみると結構難しいんですよ。ひとつ言えるのは、遠くの目標だけを見ているといずれは挫折します。難しいけど頑張ればできる距離感を大事に、僕は形にしてきました。」と答えている。

 私の場合は、目標を設定しているわけではないけれど、その時の自分の状態に応じて、自分自身にかける言葉を変えてはいる。私は、それを遠目と近目と呼んでいて、遠くを見ていて楽になることもあれば、足元の近くを見ているほうが楽な時もある。と、書いていて、基本は、自分に甘いのではないだろうかという気もしてきた。いや、甘いのは自覚している。甘くて良いのではないか、とも。

 ここ最近、ある職員のことを考えていて、その職員が、何度となく心が折るのは、目標設定が遠いからなのではないか、とイチローの言葉を何度か読んでいるうちに思うに至る。今度、提案してみよう。

 イチローへのインタビューは続く。今の高校生はどんな目標設定を提示すれば前へ進めると思いますかという問いに、「.(中略)。年々、厳しい指導ができなくなっているということ。実際、監督に話を聞くと以前にも増してその傾向は強く、萎縮してしまっているというんです。...多くの人が『時代だから』と枕詞のように表現する昨今ですが、果たしてその時は穏やかに見える時間を過ごしたところで、社会に出てからの耐性は育めるのでしょうか。(中略)。今の環境では甘えが出てしまうから、厳しさが必要だということは多くの子どもが理解しているんです。(中略)。高校生たちには『もっと厳しくしてほしい』という想いが潜在的に眠っているように感じます。それをくすぐるのも僕の役目。眠っているんものが目覚めるきっかけになればいいですね」

 高校生はどうすれば自分に厳しくなれるのでしょう。イチロー曰く、「だから、日々、自分の限界を迎えることが大事なんです。人と比較して『アイツよりも頑張った、頑張っていない』じゃ、基準がバラバラでわかりにくい。そもそも人の頑張りは秤にならない。秤にするのはその日の自分がいいんです。『あと一本走らなきゃいけないけど、もう今日はつらいし明日にしよう』ってこと、きっと多いです。そこでもうひと踏ん張りできたかどうかは、人にはわからないけど、自分にだけははっきりとわかる。人の力を借りず、自分でそこを超えていくのが大事なのはわかっているのに、行動するのは実はとても厳しいんです」

 再び、ある職員のことを考える。イチローのいう秤が、他者にあるから苦しくなるというのは、私から見ると、わかるのだが、果たして、本人が自分でその答えを導き出していくために、私は、どんな言葉をかけるのが良いのだろう、と考えている。

 

 

 

 

ホワイトデーに海産物を贈る

 「飛ばされたのが確定したときから、店は即座に追い込む側よ。だからホステスも飛ぶか、その根性がなかったら、なんとかべつの店に移ってアドバンスを立て替えてもらうとか?まあどっちにしても、借金漬けよね」

 「そういうことって、よくあるんですか」

 「まあね」

 「ホステスさんが飛ぶって、どうするんですか」

 「そうねえ」

 琴美さんは、わたしの顔を見た。

 「消えるの」

 「消える?」

 「そう、消えるの。誰も追いかけてこられないところに」

 川上未映子『黄色い家』p103

 

 川上未映子『黄色い家』をコメダで読みながら、消えるだ、と思った。死にたいと消えたいの違いについて考えていて、『黄色い家』でいう消えるとは違いがあるのだろうか?と考えていた。その場所から、存在を消したい。逃げたいという言葉に近いのだろうか。ただ、逃げたいという言葉ではないのだから、また、微妙にニュアンスが違うのだろう。

 『黄色い家』は、2024年本屋大賞にノミネートされている作品であり、そのことを知って、また読みかけの『黄色い家』の続きを読むことにした。この作品は、映画化されるのではないだろうか。

 『黄色い家』を読んだり、携帯電話を操作したりしていると、携帯電話のXで、江頭2:50が、入学式か何かでスピーチしている動画を目にした。いつかも見た動画なのだが、もしかしたら、いつかも見た動画じゃないかもしれないと思ったのもあって、再び、見た。

 江頭2:50は、「悩んだら、俺を見ろ。悩んでいるのが馬鹿馬鹿しくなるから」と魂の叫びというような口調で叫んでいて、私は、うるっと来た。うるっと来たところで、コメダを出て、人間は、そもそも弱い存在である、というようなことが頭をよぎった。

 

 そこから、ホワイトデーの贈り物を買いに札幌駅周辺に向かった。ネットで買おうかとも思って、あれこれ見ていたのだが、ピンと来るものがないというか、何を買っていいかわからなくなり、私が食べたいものを贈ろうと思って、佐藤水産で買う事にした。ホワイトデーで海産物というのも何とも合わない感じはするけれど、海産物は北海道って感じもするし、と思って、佐藤水産を訪れた。思いのほか高いな、と思ったけれど、感謝の気持ちが伝われば良いな、と思って、14日の19時以降に届くように日時指定をして、佐藤水産をあとにした。

 

 

合格発表

 妻の実家に住む姪が大学受験で合格したのを義母からLINEで知り、私たち夫婦は一緒に喜んだ。その大学は、私たち夫婦が何年か前に芸術祭か何かをしていた時に訪れた大学で、私たち二人も、こんな大学に行ってみたいね、という大学だったから尚更のことだった。妻は姪に合格祝いで、鞄を買おうか、それともタブレットを買おうかとつぶやいていて、姪に惜しみなく、お金を使うね、と私は微笑みながら、その話を聞いた。

 私たち夫婦には、姪が3人おり、私の妹の娘たちは中学生と小学生で、正月に、妹夫婦に会った際に、姪と話をし、中学校は楽しいかを訊いた。姪は勉強は苦手出し、先生は嫌いと言っていたので、それは中学校に行くのがつまらんな、と思っていたのだが、友達と話をするのは好きだということで、私は、姪に、勉強が全てではないからね、と言った。

 その時の会話を思い出し、姪が心配でならない、とその姪の顔を思い浮かべ、妻につぶやいた。

わかめ油そば

 仕事を終え、自宅に帰ると、注文した記憶のないダンボールがソファの上に置かれていた。エースコックのわかめ油そばを箱買いしたものだった。Amazonで注文したのはわかるのだが、送り主の名前は記載されておらず、誰が送ってくれたのかがわからない。ただ、私がエースコックのわかめ油そばを好きだと知っている人物は一人しかおらず、私は、その人物に写真を添付しLINEを送った。その人物は、お疲れ様です。そうです。笑。この間、スーパーに行ったら売ってまして、もしかして再販したのかなと思いまして、ネットで調べたら一つだけありまして、これは送らなければ、と思いまして。笑。と返信が来た。まして、まして、しつこいな、と思ったが、そのことは送らず、マジで嬉しいと返信した。ほんとはこっちにきた時に送ろうと思っていたんですけど、在庫どこにもなくて参ったなと思っていたら、最近、見つけまして。好きだって言ってましたよね?違いました??と返ってきた。

 

 

137番

 ディーラーから依頼のあった印鑑証明を区役所に取りに行った。発券機から整理券を取り、椅子に座り、私は、太田靖久『ののの』を読んだ。3月だからなのか、いつものことなのか、区役所は混んでいて、私は太田靖久『ののの』を読みながら、椅子で眠りこけていて、気づけば、待つこと2時間を過ぎていた。整理券番号は、必ずしも、数字の順番で呼ばれているわけではなかったので、私は、これから何人待てば良いのか、見通しが持てなかったが、どうも、私の番号である130番台が呼ばれる気配はなかった。機械の音声が、大変お待たせしました。176番でお待ちのお客様、6番窓口にお越しください、と呼ぶ。機械に謝られてもな、とその音声を聞く。待ちきれなくなって、総合窓口のところに行き、私は整理券を出し、いつ呼ばれるのでしょうか、と訊いた。総合窓口の職員が慌てている様子を見て、私の番号は、とうの昔に呼ばれていることがわかった。ディズニーランドのファストパスかのように、窓口に行き、印鑑証明はあっという間に発行された。

 

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消えたい

 一日のルーティンのように、条件反射かのように、コメダに来ているな、とコメダのドアノブに手をかけた。

 持参した鞄からiPadを出して電源を入れ、書きかけの日記の続きを書き、鞄から、太田靖久『ののの』を開いた。読んでいると、店内に流れる女性が歌う歌がよくて、なんて歌なんだろう、と聴いていると、忌野清志郎『デイ・ドリーム・ビリーバー』を女性ボーカルが、英語で歌っているものだった。

 

 誰かを雇えば良いのかもしれなかったが、人を使うということが嫌いだった。「人を使う」という言葉も嫌いだったし、それらを言い換えただけの柔らかな表現、「手伝って貰う」とか「パートナーとして頑張ってもらう」などもやっぱり苦手だった。

太田靖久『ののの』p78

 

  会議中に、女性が、なんで人を一枚、二枚と呼ぶの?と語気を強めに言い、一枚、二枚と言った職員は、じゃあ、なんて呼べば良い?と聞き返し、一人、二人でいいでしょ、と言い返した場面を思い出しながら読んだ。

 私は、そんなに気にならなかったが、どんな言葉を選ぶかは重要だと私も思っていて、その表現の仕方、何か気になるな、ということは日常でたまあにある。たまあにあるが、私は、めんどくさいのもあってか、指摘することはなかった。 

 『ののの』を読み進めると、死にたいではなく、消えたいという言葉があり、私は、いつかも聞いた消えたいという言葉を考えていた。死にたいという言葉を使うのではなく、なぜ消えたいという言葉を使うのだろう。存在を消したいということなのか、であるならば、存在を消したいということはどういうことなのか、そんなことをつらつらと考えた。

 

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