どんまい

いろいろあるけれど、それでいい

今の自分は、出会った人や読んできた本によって、できあがっている

 あの小冊子は、新聞の付録だったのか、記憶が曖昧で定かではないのだが、1ヶ月に1回程度の頻度で届いていた気がする。オールカラーで内容もさまざまだった気がする。その中には、プロ野球の選手名鑑もあって、私は、母から受け取り、大切にしていた記憶がある。母は、料理の小冊子を保管していて、何年にもわたり保管していたから、かなりの量になっていた。その小冊子を見ながら、私たちの料理を作ってくれていたのだろう。母のことだから、今も、その小冊子は残っているかもしれない。今度、実家に帰省したら聞いてみよう。

 無料の小冊子やクリスマス時期のおもちゃ屋のチラシを目を輝かして読んでいた。読んでいたというより見ていたというほうが正確かもしれない。本を買ってもらう機会は滅多になく、本を読むのは、図書館の本で、気に入った本は、何度も、何度も、図書館で借りていた。その一冊は、学研の『漢字のひみつ』で、漢字がどのようにできあがったかが書かれている本だった。その本を親戚のおばさんの家に泊まりに行ったときに買ってもらった。欲しいものを手にすると枕元に置いて寝ていた時期があるから、漢字のひみつも、枕元に置いて寝ていたのかもしれない。あれほど欲していて、大切にしていた本は、今後、現れないと言い切れる。

 今のように本を読むようになったのは、社会人になってからだ。社会人になりたての頃、仕事が辛くて、週末に本屋に行き、自分を救ってくれる本を探した。主にビジネス書だったり、自己啓発を読んでいた。読んだあとは、何か自分もできる気がして、月曜日を迎えるんだけど、その気持ちはすぐに萎えて、週末にまた本屋に行くことを繰り返していた。

 その頃の習慣からか、いつしか小説も、エッセイも、日記も読むようになって、今に至る。本に私を救う答えはなかったけれど、今の私は、出会った人や、読んできた本によって、できあがっているのと、最近、度々、思う。

 実家に帰ってもよく本を読んでいる私を見た母は、小さい頃、本が好きになるように、よく本の読み聞かせのようなことをしてくれていたということを教えてくれた。それは3歳以下で、私は、その記憶が全くない。自宅の壁にあいうえおの表みたいなのが貼ってあった記憶はある。

 島田潤一郎『長い読書』を読みながら思い出した。『長い読書』には、望月ミネタロウ『ちいさこべえ』のことが書かれていて、自宅の本棚に読まずに置いてあった『ちいさこべえ』を読みたくなった。『ちいさこべえ』の最終巻が刊行されたときのトークイベントの言葉が書かれていて、良いな、と思った。

 

 「見ての通り、僕は生き辛い人間です。人に物事を上手く伝えることができません。けれど、その努力をしようと思ってここにいます。新年度になって新しいことがあるといろいろ壁にぶつかるだろうし、いやなことが多いのが社会ですが、僕の作品が、少しでもそんな皆さんの支えになればと思います」

島田潤一郎『長い読書』p166

 

 

 

 

 

 

何かが終わったと感じたときに物語が立ち上がる

 早朝4時半に目が覚めて、トイレに行ったのか今となっては定かではないが、目が覚めたのか、岩田宏岩田宏詩集成』を読んだ。岩田宏の詩集が読みたいと思ったのは、島田潤一郎『長い読書』をseesawbooksで購入した時に、島田潤一郎『長い読書』刊行記念【夏葉社】をつくった100冊に『岩田宏詩集』がその1冊に掲載されていて、島田さんは、20歳の時にこの詩集に出会わなかったら、ぼくの人生はずいぶんと違ったものではないか。面白くて、暗くて、愛情に溢れる、と書いていた。『続・岩田宏詩集』の本の裏表紙には、岩田宏のことが簡単に紹介されており、そこで私は岩田宏が北海道出身だということを知った。岩田宏のことをもっと知りたくなって、Wikipediaを読んだところ、岩田宏は、現在の京極町出身で、今、私が手にしている『岩田宏詩集成』と『続・岩田宏詩集』は、出版された詩集の出版社年からいくと、最近の2冊ということになることを知った。

 『岩田宏詩集成』を読みながら二度寝をしていて、二度寝から起きたのが6時半頃で、妻も起きて出勤準備をしていた。私はストーブの前で暖まりながら、島田潤一郎『長い読書』を読んだ。

 妻は歯を磨きながら捕鯨についてのニュースを見ながら、私は鯨を食べたいとは思わないというようなことを呟いていて、この会話は二度目だな、と思いながら、私は、捕鯨することが必要な人もいるんだよ、と返した。以前、話した時に、鯨を食べるのも、豚を食べるのも、牛を食べるのも同じことなのではないか、と言った言葉は言わなかった。

 島田潤一郎『長い読書』を読んでいると、文体について書いている箇所があった。

 

 若いぼくに力を与えてくれたのは文体だ。

 文章ではなく、文体。

 知恵や経験、物語よりも先にある、作家の脈拍のようなもの。音楽でいうところの「ビート」のようなもの。

 その作家の文体に慣れ親しんでしまえば、作家の作品はなんだって楽しむことができる。

 どんな長いものも読むことができるし、どんな掌編であっても、その独特の味わいを見つけることができる。

 一言でいえば、心地よいのだ。

 それは世間一般でいう、「おもしろい」ということではないし、ためになるということでもない。「文体なんて関係ない、おもしろいものさえ読めればいい」という読書かもいるし、その本になにが書かれているかこそ大切なのだ、という意見は少数派どころか、そちらのほうがマジョリティだろう。

 でも若いぼくにとっては、文体こそがすべてだった。

 大袈裟なものいいをすれば、自分の存在の根幹にかかわるようなことでもあった。

島田潤一郎『長い読書』p68-69

 

 これって、千葉雅也『センスの哲学』でも書いてあったリズムのことと通ずるのではないか、と思った。ただ、私には、このリズムを分かりきっていない。『センスの哲学』もあとで読み直してみようと思っている。『センスの哲学』と同じようなことが書かれている箇所は、他にもある。

 

 日々の生活でほとんどのことのことは語るのに値しない。それはぼくひとりだけが見つめ、あるいは耳を澄ませ、匂いを嗅ぎ、認識した途端に忘れ去られ、ふたた思い出されることはない。

 そうしたその人だけしか見ていない景色や、あるいは、その人だけがなん度も思い起こすおすメディアのなかの風景が、まれに会話のなかや、音楽のなか、小説のなかで、だれかの思い出とぴたりと重なり合うことがある。

 シュチュエーションも、相手も、場合によれば、時代も、国籍も違うのに、「あ、これはぼくがあのときに見た風景と同じだ」と思う。しかも、それはたいてい、「些細な事柄」においてなのだ。

島田潤一郎『長い読書』p65

 

 こう書いていて、滝口悠生柴崎友香の小説のことを思い出し、私も、「些細な事柄」をこの日記に書きたいな、と思い、妻が歯ブラシをしているところや、コメダに来て、トーストを食べている時に思い出した、雨の日に、ドラッグストアに入ろうとしたら、道路を隔てた向かい側のパン屋さんの玄関に若い女性が、通行人がいないのに、「期間限定のパンをご賞味ください」と声を張っていたのを思い出したことも書こうと思った。

 

 何かが終わったと感じたときに物語が立ち上がる。

島田潤一郎『長い読書』p87

 その通りで、あとで、何度も噛み締めようと思った。

 

岩田宏詩集成

岩田宏詩集成

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センスが良くなるには?

 布団で横になりながら、iPadYouTubeを観ていたら、Prime Videoで井上尚弥の試合があることを知った。と言っても、私は、これまで井上尚弥の試合を観たことがなく、井上尚弥が、どのくらい、すごいボクサーなのかも知らなかった。すごい、すごいと言われていることは、もちろん知っている。

 私が観た時には、第2ラウンドで、井上尚弥がネリからダウンを奪ったところだった。井上が第1ラウンドにダウンを奪われたのを知り、巻き戻して観た。井上がダウンを奪われたのは初めてのことらしい。井上尚弥の入場曲は、布袋寅泰が生演奏をしていた。私が、何かしらの入場曲が必要になった時に、使用したい曲を演奏していた。例えば、打席に向かう時だったり。「BATTLE WITHOUT HONOR  OR HUMANITY」。

 こうして巻き戻して観ている間にも、もしかしたら、試合が終わってしまうかもしれない、と思って、現在の地点に戻った。久しぶりにボクシングに夢中になった。辰吉丈一郎薬師寺保栄を観た時以来かもしれない。第6ラウンド。ネリが崩れ落ちる。居間にいる妻に、井上、勝った、と興奮気味に声を発していた。

 次の日、井上尚弥の試合をもう一度、観た。27戦全勝。確かに、これまで、負けなしの日本人チャンピオンを聞いたことがない。

 

 北海道近代美術館で開催されている「琳派×アニメ」展に向かった。雨が降っていた。

 千葉雅也『センスの哲学』を読んだあとに、美術館に足を運びたくなった。何人かにも、『センスの哲学』がよかった、と伝えた。

 『センスの哲学』を読み始めて、以前、ビジネスとアートが関係するみたいなことが書かれていて、その理由は、よくわからないというようなことを思い出して、その理由みたいなのが、『センスの哲学』に書かれているかもしれない、なと頁をめくった。

 

 センスの良し悪しはしばしば文化資本に左右されると思われている、と「はじめに」でも述べました。文化資本が多いとは、いろんなものを鑑賞してたり読んだりしてビッグデータを蓄積していることですが、それは、モデルが非常に多いために、特定のモデルに執着しなくなる、ということでもあります。非常に多くのデータがあり、なおかつ十分にこなれていると、再現志向から降りやすくなる。

千葉雅也『センスの哲学』p45

 

 センスは生まれもったものではない、鍛えることができる、と、どこかで読んだことを思い出した。『センスの哲学』を読みながら、こういうことか、と思った。であるならが、私も、いろんなものを鑑賞しよう、と感化され、まずは、前々から興味のあった「琳派×アニメ」展にでも行こう、となったのである。

 

 遊びとは、わざと不安定な状態、緊張状態を作り出して、それを反復するのを楽しむことでせう。・・・略。楽しさには、実は不快が潜んでいる。

 千葉雅也『センスの哲学』p93

 

 國分功一郎『暇と退屈の倫理学』でも同じようなことを言っていた。

 

 センスの良さは「余り」だと思います。・・・略。そこで、偶然性に開かれた練習が必要になってきます。

千葉雅也『センスの哲学』p181

 

 ビジネスでも政治でも、あるいは学問の世界でも、食事を共にすることは、解釈を異にする者の間に緩衝地帯を作り出すことです。食事はその一部ですが、広く言って「社交」という実践にはそういう意義があります。

千葉雅也『センスの哲学』p250

 

 職場における飲み会のことを考えている時に、政治家は、なぜ食事をしながら、交渉したりするのは、何か意味があるからなんだろう、と考えたことがあり、あ、前に考えことだと、読んだ。おもしろくて、一気に読み終わった。他の人におすすめしながら、うまく自分でも理解できてないな、と思ったので、また、いつか、『センスの哲学』を読み直したい。

 

 北海道近代美術館の近くの駐車場に車を停め、傘をさして向かった。携帯電話を使い、グーグルマップを開いて、気づいた。火曜日は、定休日だった。

 

 

 

北海道の石割桜

 石割桜といえば、岩手県にある石割桜を思い出すけど、北海道にも石割桜があることを知った私たちは、北海道の石割桜を観にでかけた。

 有珠善光寺自然公園にある石割桜

 有珠善光寺は、有珠湾の近くにあって、車を降り、海を眺めたのだが、海の匂いはしなかった。

 平日にも関わらず、人が多いね、と私が言うと、妻が、祝日だからね、と言った。そうか、祝日か、ゴールデンウィークの前半か。仕事柄、祝日と関係のない勤務をしていると、曜日感覚が狂う。

 有珠善光寺自然公園は、北海道らしからぬ雰囲気があり、そう思えないのは、善光寺茅葺き屋根で、北海道で茅葺き屋根を見たのは初めてだった。公園内には、ソメイヨシノ蝦夷山桜があり、立派な桜が多くあった。ホーホケキョッ、と名前を知らない鳥が、陽気に鳴いていた。妻は、先日、テレビで、姿を現さない鳥らしい、と私に教えてくれる。石割桜を指し示す案内板をたどり、石割桜に辿り着くと、石割桜は、咲いていなかった。確かに石と同化していた。この公園には、有珠山の噴火によるものなのか、大きな岩がゴロゴロと散在し、こんな大きな岩が空から降ってきたら、と思うと、死ぬな、と思った。

 昼食は、蕎麦を食べた。ゴールデンウィークだからなのか、並ぶほどお客さんがいて、私は、本日のおすすめである、ごぼうの天ぷらそばを注文した。ごぼうの天ぷらは、お椀に入りきらないほど、大きな円を描いていて、そばというよりも、ごぼうでお腹がいっぱいになった感があった。おいしかった。

 車内で、妻が仕事の話をしているのを聞きながら、人は、自分の経験からしか想像することができないのかもな、と思った。相手の話を聞き、自分の経験のフィルターを通して、相手の話を理解しようとする。だから、自分が、相手と同じような経験をしていないと相手の言わんとすることが理解できない。だけど、経験することなんて限られているから、コミュニケーションがすれ違う。

 登別経由で自宅に帰る道すがら、昭和の雰囲気漂う鬼を見つけ、写真を撮りたい、と私は車を止めた。なぜ、私は、平成ではなく、昭和を感じるものに惹かれるのだろうか。

果てしなく不寛容で、完璧主義で、ミスも許さない社会になるほかないのだろうか

 職場の誕生会で、哲学的対話をすることになり、今月は「仕事とは?」という内容の話になった。今日、誕生会に参加した職員が、業務日誌で、私が話した「活かされている」、「偶然や運」と言っていた言葉が印象に残っていると、書いてくれて嬉しかった。

 今日は珍しく、半日勤務で、昼過ぎには自宅に帰ってきた。

 妻も仕事が休みで、近所の公園に桜を観に行こうと昨日、話をしていた。妻が通勤途中だったか、バスに乗車した時に、運転手から桜が綺麗な場所を教えてもらった、とのことだった。

 私たちが自宅を出発する時間は小雨が降っていて、雨だけど、車から花見をしよう、ということになり、妻がいう公園に向かった。小雨で、しかも桜は散っていて、花見どころではなかったけれど、立派なソメイヨシノがあり、これは満開だったら綺麗だろう、という公園だった。妻は、良い場所を教えてもらった、来年、観に来よう、と言っていた。帰りは、池田食品で、ナッツペーストシェイクを買って帰ってきた。

 自宅のソファでねっ転がりながら、岸政彦『にがにが日記』を開いた。

 

 ・・・なんでこんなにみんな、あらゆることでギスギスするようになっちゃたのか。こういう流れはもう止まらないのか。果てしなく不寛容に、完璧主義に、一切のミスも許さない社会になるほかないのだろうか。

 岸政彦『にがにが日記』p18

 

 先日、外国人の女の子が迷子になっているところに遭遇し、小学校に送った話を何人かにしたのだが、誘拐と間違えられるよだとか、警察に連絡した方が良かったのでは、ということを言っている人もいて、世知辛い世の中だと思った。妻も同じようなことを言っていて、警察に捕まったら、無実を証明しに迎えに来てくれと伝えた。その後も、そのことを考えていて、例えば、どこかショッピングモールで、迷子になって泣いている子どもに遭遇した場合は、どうか。店内にアナウンスを流してくれるところまで一緒に行くだろう。その間、それを観た人が、誘拐していると見えなくもないだろう。そしたら、やっぱり捕まるだろう。まあ、知らない人にはついて行かないように、と子どもの頃、言われたように、最悪のケースを考えると、ついて行かないほうが良いのか。そしたら、泣いている子どもをそのままにすることになるのではないか。

 職員とどんな地域に住みたいか、という話になって、私は、そんなことを考えたこともなかったから、職員が話す、住みたい街みたいな話が興味深かった。昭和のような地域が良い、という。その昭和のような街とは、近所の人から声がかけられる街だという。その話を聞きながら、私は、子どもの頃に近所の人に声をかけられた場面や子ども会のことを思い出したりしていた。今度、他の職員にも聞いてみよう、ということになった。

 晩御飯で、生姜焼きを食べながら、テレビをつけた。巨人対ヤクルトをやっていて、巨人の先発は、山崎伊織で、私が観るときは、よく山崎伊織が投げている、と思った。試合は、シーソゲーム。8回表ヤクルトが4-3で勝っている。高橋雄平がマウンドに上がった。

 

 

小鳥の散策

 コメダMac Book Airを開いたら、パスワードを求められた。この前、パスワードを求められないように、指紋認証をしたのに、と思った。うる覚えのパスワードを入力すると、開いたので、一安心した。よく行くコメダでは、よく座る席があって、その一つは、コンセントのない席で、充電を気にしながら日記を書いた。

 そういえば、昨日、座った席の隣には、若い女性客2人が座っていて、その一人の女性の相槌が、特徴的で、どんな人なんだろうと気になったが、見るわけにもいかないから、見たいのを我慢しながら、本を読んでいたのだが、本に集中することができなかった。席を立ち上がる時に、チラッと見たら可愛らしい人だった。

 コメダの後は、猫の仏壇に添える花を買いに行くために蔦屋書店江別店に向かった。桜の枝ものも買おうと思った。蔦屋書店江別店内にあるFlower Space Gravelで、ガーベラシーマと名前を忘れたが、枝ものを買った。桜の枝ものはなかった。自宅のテレビの横のテレビ台に枝ものを飾った。自宅に緑があるのは良いな、と思った。

 昼食は、喫茶小鳥に向かった。葛西由香『小鳥の散策』を観るためだった。店内に入ると女性客ばかりで、カウンター席に、葛西さんが座っていて、葛西さんだと思った。あとで声をかけようと思いながら、たらこパスタを啜っていると、葛西さんは、席を立ち、会計を済ませ、店を出た。いつものことながら、声をかけたいと思う時にスムーズに言葉が出てこない。

 The Rentals『Return Of The Rentals』を車内で流した。私にとっては春の歌。

切迫感がある

 ゴールデンウィークに妻と桜を観に行く計画を立てていたのだが、仕事の都合で、予定していた日に行くことができなくなり、妻にそのことを告げると、機嫌が悪くなった。新しい車を買っても、私には、恩恵がない、と妻が言った。恩恵がないって、あまり聞く機会がない言葉のせいか、私は、その後も何度か、恩恵がないという言葉を思い出した。

 妻を職場に送った後、桜が咲いていることに気づいた。満開に近いから、私が気づいていないだけで、何日前からか、桜は咲いていたのだろう。何の予定もない3連休初日だった。

 昼食を食べに、ラーメンと書かれている赤い暖簾をくぐる。

 店内には、女性客2名が、ちょうど食べ終わったとことで、厨房の短髪のパーマをかけたおばあちゃんに会計を済ませているところだった。

 私は薄い赤のカウンターの席の端に座り、醤油ラーメンと半チャーハンを注文した。

 店内には、私と男性客2名だけだった。先に注文していた男性客は、カレーライスを注文したようで、カレーライスを食べ、おばあちゃんに、美味しいと伝えた。ここ最近で食べたカレーライスで一番美味しいと言っていた。おしゃれな店が多くて、こういうカレーライスを食べたかった、と。

 おばあちゃんは、おしゃれと言う言葉に一瞬、間があったが、喜んでいるようで、ラーメンも昔ながらの味だとそのお客さんに伝えていた。自分が提供するものに胸を張るのは、素敵だな、とその話を聞いた。

 私も醤油ラーメンを食べた。おばあちゃんが、どう?と訊いたので、懐かしい味がする、と伝えた。

 おばあちゃんは、何度も、うちはシンプルだから、と話の節々に話していた。40年、続く町中華の店だった。

 その町中華からほど近いところに喫茶小鳥があり、私は、葛西由香『小鳥の散策』を観に行くために、喫茶小鳥に向かった。喫茶小鳥は、シャッターが半開きで、見るからに閉まっていて、携帯電話でInstagramで喫茶小鳥のページを開くと、第2火曜日は閉店していた。

 中央図書館にでも、行こうと思って、久しぶりに図書館に行った。先日、蔦屋書店のみすず書房フェアで見かけた長田弘の詩集だったりを借りたかった。長田弘の詩集2冊、中原中也の詩集を1冊、山之口漠の詩集2冊、アラン・ケレハー『コンパッション都市 公衆衛生と終末期ケアの融合』を借りた。

 美容室の時間までは、まだ時間があったので、いつものコメダに寄り、秋峰善『夏葉社日記』を読んだ。

 秋峰善さんが、夏葉社の島田潤一郎さんに電話をかけ、手紙を書くところから、この本は始まる。

 この切迫感、懐かしいな、と、私は、社会人になりたての20代前半の頃を思い出した。

 私は、大学を卒業してすぐに就職ができず、ちょうど今と同じような季節に、初めて社会人となった。期待に胸を膨らませ、理想を高々と掲げて。そんな日々は長くは続かず、なんで、皆、当たり前のように社会人をやれるんだろう、と思った。皆ができるのであれば、私もできるだろう、と自分に言い聞かせていた。秋頃になり、仕事を辞めたい、辞めてもやりたいこともないし、お金もない、だけど、辞めたいと毎日のように思って仕事に行っていた。3年が過ぎ、何か表現手段があると良いのではないかと思って、こうして日記をインターネット上で、書くようになった。他の人の言葉も、インターネット上で読んでいた。その一人、木藤瑞穂さんという人の文章が、私は更新されるたびに楽しみにしていて、記憶が定かではないのだが、木藤瑞穂さんから、いつか会おうというようなことを言われ、東京に行く機会がある時に、ダメもとで、メールを送った。

 秋峰善さんは、それから毎週木曜日に夏葉社でアルバイトをすることになる。その日々が、この『夏葉社日記』に綴られる。この本を読んでいると、ここで紹介されている本や、夏葉社の本、島田潤一郎さんの本を読みなくなってくる。私は、近々、その本のいくつかを読むだろう。

 

 それから島田さんに、そして夏葉社にハマりました。ご存知かもしれませんが、これまでトークイベントにも四回参加しました。そこで話される内容は何度聴いてもいいものです。いつも誠実である(誠実であろうとする)ことの重みを感じます。

 秋峰善『夏葉社日記』p14

 

 私は、部下に真摯であれ、誠実であれ、と伝えている。私自身も、部下に対して、本気を大切にしてきた。『夏葉社日記』を読みながら、その本気は、時として、暴力のようになっていなかったか、と頭を掠めた。

 

 何者かになる(就職する、出世する、表彰される、信念を確立する、有名になる、歴史に名を残す)ためではなく、何者にもならない(権力や暗示、習慣、常識、独断、市場、評判に屈しない)ために考え、動き続けるということ。「学問」とは本来そういうことなのではないかと思う。ー森田真生(Twitter@orionis23)2017年1月17日

 秋峰善『夏葉社日記』p23

 

 「いい仕事というのは、のちのちわかる」

 島田さんはいう。

 「需要があって、モノが生まれるんじゃないんです。モノができて、需要が生まれるんです。だから、いいモノをつくって待つ。本がすぐに売れなくても、ジタバタしない。夏葉社の本は初版は二五〇〇部ですけど、それも無理な数じゃない。一〇年、二○年、三○年かけて、必要な読者に届けばいいんです」

 秋峰善『夏葉社日記』p65

 

 やっぱり、需要が先ではなくてもいいんだ、と思った。先日、職員に研修をしていて、同じような話をしていた。ニーズと提案の綱引きが大事だって。職員が、そうでしょうか、と呟いたのを訊いて、再度、私自身も考えていた内容だった。

 

 要するに、島田さんは修行のように本を読んできたのだ。見せてくれた読書ノートは、その証である。あえて長編を選んでいるということだろう。読み続けることで、本を読むための筋肉のようなものが自然とつくらしい。島田さんは昼休み後の30分、寝る前の30分、計1時間を読書の時間に充てている。

 秋峰善『夏葉社日記』p148

 

 島田潤一郎さんが、秋峰善さんを雇用するにあたり、昼休憩の30分間、読書をして欲しいこと、ふだん読まない難しい本を選んでほしい、と伝えたことの理由がわかった。私も、何度となく、すぐに読めなくなった、読むのをやめた本を最後まで読んでみようか、と思った。

 『夏葉社日記』も終盤に差しかかったところで、島田潤一郎さんが、秋峰善さんを雇用した理由が、「年下の人たちの存在に希望を感じる」ようになったからです、と書かれていて、希望か、と思った。

 私が、今、若い職員と働いているのにも、希望を感じているのだろうか、だから、本気で関わろうと思ったのだろうか、私が20代の頃、木藤瑞穂さんと出会い、こんな30代になりたいと思ったように、自分もそんな大人になりたいと思って生きてきたことをつらつらと思い出していた。

 

 夏葉社の経営を知れば知るほど、不思議であった。これといって、再現性のある戦略があるわけではない。だれがやっても上手くいくものでもないだろう。だからといって特別に難しいことをやっているわけではない。ある意味では、だれにだってできることだ。島田さんの人柄や能力、夏葉社の本の力ということもあろうが、決め手は島田さんの姿勢だろう。ありていにいえば、謙虚さである。でもそれは自分を低く、相手を高く見積もるということではない。ひとりの人間として、自分も相手もバカにしないということである。

 秋峰善『夏葉社日記』p167-168

 

 最近、コミュニケーションのことをよく考える。コミュニケーションを考える上で、信頼関係のことも考える。コミュニケーションを考える前に、信頼できる人は、どういう人かを考える必要があるのではないか、と思うに至る。

 

▼秋峰善さんnote

https://note.com/natsuhasha1