縦裂FNO

俺はポエマー、すべてイカサマ。

意識の網、過去の堆積

 

暖かな季節が近づくにつれ、日々の眠りは浅くなる。まるで意識がベッドに強く根を張っているようである。布団のぬくもりが徐々に体温を追い越し、やがて不快な感覚に変わる。今年は暖冬の影響もあり、いつにもましてその傾向が早く表れているような気もするが、毎年、春を前にすると体が季節の変化に追い付かず、入眠に至るまでの時間が増えてゆく。だからといって何か別のこと、例えば読書や映画を観るような気力は無く、軽い痺れのような疲労感が行動のすべてを断絶している。

だから僕はただベッドに横たわり、目を閉じたまま遠い昔のことを思い出す。もう何千回、何万回と繰り返しなぞった記憶を飽きもせず反芻する。そうしているうち、この決して劣化しないマスターテープのような記憶も末端からさらさらと溶け出し、いつの間にか生成されている夢の中での現在の自分が第三者として、過去存在していた自分自身を、ゆらりゆらりと朝まで運んでゆくのである。

 

なぜ人は暗闇では昔のことを考えるのだろう。暗闇は都合よく人に付け込んで時間を逆行させる力がある。暗闇は現在と過去という、相対する二つの次元に対して俯瞰的な立場となり、その変容を押し付けてくる。お前はどう変わった?これからはどうだ?幼き日の僕は最も低い位置に存在する地層の中に居て、そこから現在までの情けない積み上げのせいで今自分はさらに過去へと固執してしまう。

 そのようにして僕が噛り付き、貪っている「過去」という存在ではあるが、それ自体に支配されてゆく感覚とは、明瞭な意識を持つ白日の中では実に不快なものである。膨大に増え続けるそれは手足から腐ってゆく死体のように自我の中心に向かってゆっくりと浸食してくるのだ。刻々と消費される未来は変容する余地を奪われ、滞留する自我は徐々に逃げ場を失ってゆく。若さを失いつつある今は、そんな気がしている。だからこそ僕がこのブログで一貫して向き合うのは過去との向き合い方なのであり、その処遇についてなんらかの気付きを得ること。でなければ「昔はよかった」という錆び切った言葉が僕の喉をすっかり擦り切らせてしまうだろう。

 

映画や小説から「過去」との向き合い方に関する事例を考察してみる。『キリング・フィールド』という1970年代のカンボジア内戦期を舞台にした映画とジョージ・オーウェルディストピア小説1984年』を例に挙げたい。どちらも革命が起きた後の世界を生きる人々の話であり、そこでは「過去」と「現在」の比較を許されないのである。

 『キリング・フィールド』では、クメール・ルージュたちが革命活動としてインテリの大人たちを殺戮してゆく過程の中で、子供たちは「過去の記憶に支配されていない存在」として重宝され、徐々に支配的立場へと変わってゆく。つまり革命の後では「過去」など必要ないのである。むしろこうした世界の中では比較対象が存在することは毒でしかない。「昔はよかった」などと決して口走ることのない子供たちは、今と未来だけを見通すことができ、そして彼、彼女らは変容する余地に溢れ、如何様にもなれるのだ。それはたとえこの世界そのものに「変容」する余地が無かったとしても、である。

 『1984年』ではまた異なるアプローチがとられている。この作品では、すべての過去は今よりずっと悪いもの、つまり過去はいつだって地獄のような世界であったかのように改ざんされている。要は過去すらも書き換えによって支配可能なものとして描かれるのだ。そうすることで人々の過去はすべて悪い方向へと書き換えられ、「今が最高だ、でもこれからはもっと最高だ」と妄信的に思い込むのである(ただしそれは『二重思考』的に言えば、実際の経験から過去の世界がどうであったかを理解しつつも、改ざんされた過去に対してそれが事実であったかのように思い込むことに成功しているのだ)。

 どちらの作品にも共通しているのは、常に「過去」を邪悪なものとしている点である。革命が起きた後の世界の中では「過去」はあまり好まれないのである。昔を懐かしむ暇があるなら今と未来のために努力すべきだという思考は理解できるが、結局のところ、それがディストピア的世界観に落とし込まれている現実を鑑みれば、それは良いものではないのだろう。よって過去は肯定するものであるというのが、人々が本能的に感じる「正解」に近いのかもしれない。

 

それは現在の世の中を見ても、あながち間違いではないように思われる。世界は僕自身と同様に過去に支配されているのではないだろうか。過去を美しいものとして固執するのは日本人特有のものだと言う人も居るが、決してそうではない。マーク・フィッシャーの著書『わが人生の幽霊たち』ではこの過去に囚われすぎている現状は世界的な流れなのだと述べられている。それはファッションにしろ、音楽にしろ、ゲームにしろ、「レトロ」であるものに対して人々は熱狂している現状がある。若者にとってはそれが未体験の新しい感覚なのであると主張する者もいるが、実態としてコンテンツそれは自体は過去の使いまわしに過ぎず、なにか新しい要素を生み出しているわけではないのだ。この支配的であるメランコリックな空気は後期資本主義に於ける、もう何も新しいものを生み出す余地のない世界(テクノロジーを除いて)特有のものなのである。寧ろテクノロジーは時間軸という境界線を曖昧なものとして、我々から緩やかに未来を奪いつつあるとも言える。

 

話を自分自身に戻せば、僕はこれから過去との向き合い方に対して何かを大きく変えるつもりはないが、意識の持ち方として過去は美化されがちなことに留意しながら未来の消費速度を少しでもゆっくりとしたものに変えて(過去の増加スピードを減らす)ゆきたいという考えがある。それは自分が大人になったことを理解した上で、感情だけで行動し、ものを言える時代の終焉させるためのものでもある。消費社会に於ける時間軸の消失は、個人のレベルにまではまだ落ち込んできてはいないなずなのである。

転がる石

仕事中に父から連絡があり、九州に住む父方の祖父が免許を返納することを知った。年はとうに80を過ぎている。今のご時勢を考えれば当然だろう、何かがあってからでは遅い。ただそれ以上にいろいろな思いや感情が僕の頭の中をぐるぐると駆け巡り、何も言わずにはいられなくなった。だから父への返信のなかで、祖父へ伝言をお願いすることにした。

 

平日の帰宅ラッシュ。満員の地下鉄に揺られながら僕が祖父母と共に九州に住んでいた時のことを思い出す。今からもう15年以上前だろうか、それくらいずっと前のこと。

 

「道の駅に美味しいお菓子が売ってるのよ。帰りに買ってくるからね」

「ちょっと夕飯の買い物にいってくるから」

「お墓参りに行ってくるけどあんたも来る?」

 

 

出発5分前、いつも僕の部屋を覗き見て行き先を告げる祖母の慌ただしさと余所行きの服が懐かしい。

車を運転できない祖母は、助手席に座り遠くまでドライブへ行くのが好きだった。もともと足腰が強くないこともあり、常々自由に歩き回れないもどかしさを嘆いていたので、そうして自らの脚に代えて遠くまで運んでくれるドライブが良い気晴らしになっていたのだろう。祖父はそれを黙って汲み取り、近所のスーパーだろうが片道2時間の墓参りだろうが文句ひとつ言わず年式の古い、くすんだ色のブルーバードを走らせた。おそらく祖父も運転が好きだったのだ。車の運転は「己の仕事」としてアイデンティティのひとつにさえなっていたのだろう。それは雨の日に僕が出かけようとするといつも「送ろうか?」と声をかけてくるほどに(いつも断っていたが)、たとえそれが家から徒歩5分のブックオフへ立ち読みしに行くだけの用事であるにしてもだ。 

 

免許返納の決め手は間違いなくここ最近の事件に起因するのだろう。けれど、返納の話自体は2,3年ほど前から家族の議題に上がっていた。それは祖父の耳が遠くなり、補聴器を使うようになったからである。それから里帰りの度、うちの両親にしつこく免許を返納したらどうだと言われるようになり、あまり感情を顔に出さない祖父もこの時ばかりはいつも表情を曇らせた。

 

免許を返納するということは言わずもがなかなりの覚悟がいるだろう。田舎に住む以上、車の運転と人生は切り離せない。祖父は自分の人生と車をどう結び付けて考えているのだろうか。そしてこれからどのようにしてそれらと向き合ってゆくのだろうか。東京に住み、車に乗る機会も運転する機会も少ない自分にはわからないことだ。ただ、あまり悲観しないで欲しいとだけ願う。老いに起因する様々な現実からは逃れられないが、思い出は消えたりしない。だから僕は心から祖父に運転お疲れさまでしたと伝えたい。

 

高齢化は社会全体の問題であるが、実感として自身の親族が老いてゆく姿を眺めるのは実に妙な気分である。10年前、一緒に住んでいた曾祖母が他界したとき、はっきりと「家族」というパズルの一部が欠けてしまったと感じた。最期の数年間は施設で過ごし、一緒に過ごす時間はほとんど無くなってしまっていたにも関わらずである。そしていま祖父母たちが、かつての曾祖母の年齢に近づきつつある。そして両親がかつての祖父母たちの年齢に近づきつつある。自分はどうだ、今でも里帰りをすれば子供のように扱ってくる。しかし今や20代後半で「アラサー」と言われる世代になった。確実に老いという現実が家族というパズルを崩しにかかっている。不思議なものだ。自分は子供のままでいるような、そんな気分が続いているのに。

 

ただ自分は、雨が降れば、祖母が買い物に行きたければ、どこかドライブに行きたいと頼めばいつでも喜んで車を出していた祖父が当たり前で、それがいつまでも続くと思っていただけに時間の流れという事実にショックを受けているのだと思う。祖父は足取りが軽く、骨太な佇まいがとても若々しく、傍目には80代には見えない。今も昔もなにも変わっていないように思えるが、確実に老いているのだ。

 

祖父は残された僅かなカーライフをどう過ごすのだろうか?免許の返納日が決まったら、それまでに「今日が最後」だと決めて車の運転をするのだろうか? それは恐らくとても悲しいもので、いろいろな感情を抑えられないと思うが、人生に何かを焼き付けることは大切だ。エンジンの吹け上がり、クラッチがつながる感覚、胸のすく加速、ハンドルを回すフィーリング、連続するカーブと心地の良い遠心力、風を切る音、休日を感じさせる陽気なラジオ、子供のころのいつかのドライブの記憶、青春の日々、家族の思い出も、なんだか人生がすべてそこにあるような気がする。

Road to Nowhere

記憶が妄想か、それとも思考の断片のようなものか、それらが煙のように蔓延する心地よい世界を自我が直線的に突き抜ける感覚の後は己の目蓋がバサリと開く音、刺々しく飛び込む朝日、いつも通りの眠り足りない感覚、いつも通りの仕事に行きたくないという気持ち、でもそれらは「いつもの」の範疇であり、いつも通りに顔を洗っていつも通りに着替えていつも通りにコーヒーを淹れて、いつも通りにソファに座ったのだが、何かが決定的に働いて「今日は休もう」と思ってしまった。特に理由はないが週明け早々仕事を休んでみたわけである。

時刻は朝8時30分、テレビもエアコンも電源を切って窓を開け、ソファに寝そべり天井を見つめていると風に揺らめくカーテンが視界に入る。目を閉じて、街の喧騒に耳を澄ます。

平日というのは案外外がうるさい。特に工事の音である。改めて気づかされるが、土日は工事も休みなのである。その他芝刈りの音、けたたましく走り回るディーゼルエンジンのトラック、そして梅雨明け宣言と共に我々の耳をつんざく蝉の声。朝といえども風は生ぬるく、多くの湿気を含んでいた。

微かな罪悪感と後戻りできない少しの焦りがあっという間に時間を推し進める。本当にただ天井を見つめているだけで30分が過ぎていたのだ。9時を回ると公園で遊ぶ子供たちの声が聞こえてきて、もう夏休みなのだと気が付いた。そうしてようやく気持ちも落ち着きを取り戻してくる。

近所の小さな図書館は月曜日でも開館していて、2階にある読書スペースでは暇そうな老人や宿題をする小学生、資格の勉強に勤しむ青年たちがいた。僕は文芸誌を手に取り、短時間でも読み終えられそうなコラムに目を通す。するとそこには「どこでもないところ」についての話が載っていた。

著者は「NOWHERE」という単語について述べる。トマス・モアの有名な著書『ユートピア』、この「ユートピア」という単語は著者による造語であるが、その成り立ちはギリシャ語の「ou+topos」から来ているそうだ。英語にすると「no+place」であり、どこにもない場所を示している。つまり「どこでもないところ」を「ユートピア」としているのであり、「NOWHERE」には「PARADISE」が含意されているのではないかという話である。いや実際これはなんとも暗い話ではないか、結局のところ我々はどこにも行くことはできないということを暗に示している。「世間」は激流であり、我々はただそれに流される。常識や善悪、そんなものたちが己と他人の対比の中で形作られ「我」になり、「我々」になる、それが「世間」。では「自我」はどこにあるのか、いや本当は自我なんてものは先に述べた他人との差分でしかなく、特別大したものではないのかもしれない。自我なんて目覚めに必要なだけだ。ただ生きることだけでは良しとはされないこの世界だ、どこでもないところへの道中、どのようにして生きてゆこうか。

図書館を出ると軽い空腹が訪れ、午後の気怠さがすべてを吹き飛ばしてしまう予感がした。朝になんとなく考えていた映画を見ようだとかどこかに出かけようだとか、何かを書こうだとか、そんなものは一切合切無理だろうと悟った。これといって大事なことでないのなら、諦めは早い方が良い。

「きっと俺はコンビニで昼食を買って帰宅して内容の薄っぺらいアニメでも見ながらそのまま昼寝をしてしまうのだろう。」

帰り道のBGMはDRY&HEAVYの『FULL CONTACT』。DUBWISEされ延々と繰り返される鋭いハイハットのディレイ、深いスネアのリバーブ、野太いベースラインは灼熱のアスファルトを黒々と溶かし、僕はどこまでも深く飲み込まれてしまうような気がした。サボタージュが引き起こす真夏のサイケデリア。

街に17時のチャイムが鳴り響く、身体を起こし、スマホを見ると「パスタの麺を買っておいて」のメッセージ。再びの沈黙。

街に18時の鐘の音が響く。僕は顔を洗って顔にタオルを押し付けるとなんだか情けない気持ちになって1分くらいそのままの姿勢で時計のチクタクを聴いた。時間、時間、時間。

さて、取り敢えず部屋着のまま近所のスーパーへ向かう。そこではインテリヤクザのようなルックスをした男と我の強そうなOLが「最近飲んだ美味しかったお酒の話」をしながらカゴの中に次々と商品を放り込んでいた。バコッ、バコッ、商品が投げ込まれるたび、音が鳴る。カゴの中が段々と満たされてゆく。バコッ、バコッ、女はカゴの重さに耐えきれない、歪んでゆく笑顔が夕陽に溶け込む。そのとき、僕の頭の中では浅井健一の曲『Supermarket Love』が流れていた。

 

スーパーマーケット

山盛りになって身動きとれねぇ

いくらなんでも

ちょっと買い過ぎだぜ

シャンプーハットは必要ないだろ

そろそろ行こうぜ

日が暮れちゃってる

 

そう、日が暮れちゃってる、日が暮れちゃってるのだ。つまり明日は仕事に行かなくてはいけない、いつも通りに。

ここで途切れることもある

ただぼーっと天井を眺めては天地がひっくり返る想像をした。屋根を歩き、空に落ちる。右足が電線に引っかかった僕はかろうじて事なきを得た。

4月になった。日曜日の夕方5時半、春の西日は静かに陰り、部屋は薄暗く、開け放った窓からは犬の鳴き声が聞こえる。ソファーに寝そべり、退屈な小説の一文を何度も何度も読んでいるうちに意識までもが陰ってゆく。手から転がり落ちる文庫本、見当たらぬスマホ。今日をやり過ごす惰性と明日を生き抜く忍耐力を寝ぼけ頭で俯瞰する。

 

21時、小銭を握りしめて自販機の前に立つ。よく見ると、はちみつレモンや緑茶などホットの商品が消えている。代わりに入荷されたアイスコーヒーには「準備中」のランプが灯っていた。もうそんな季節かと思い、そうして差し込まれる、来たる季節のイメージ。

「キンキンに冷えたアイスコーヒーを満足気に飲むおれ」

まだそんな季節は少し先だろう、今から夜桜を見に行こうとしているのに。

 

1年前か2年前なのかわからないけれど、サイクリング中に偶然見つけた調布飛行場横の桜並木が忘れられないほどに綺麗だったので、今年も行きたいなと思っているうちにすっかり葉桜となってしまった。自分の行動力の無さを嘆きつつ、ならばせめて近所へ夜桜でもと思い立って日曜日の夜にひとり炭酸のジュースを飲みながら公園まで歩くのである。

目的地へは10分ほどで到着し、誰もいない公園のベンチに腰掛け、水銀灯に照らされた桜を見る。生ぬるい風にさらさらと花弁が舞う。ただなんとなく10分くらいぼーっとして、パシャパシャと写真を撮ってTwitterにあげたり、またベンチでぼーっとしたり、そんなことをしているうちに帰り時がわからなくなってしまった。なんとなく帰りたくない気持ちだけが先走ってそわそわとしたが、ここで何かできるわけでもない。

 

子供のころはもっと春が好きだったような気がする。自分の生まれた記念すべき季節で、新しい環境に一喜一憂して、そんな不安定ささえも膨大な時間の中での些細な気持ちの揺らぎでしかなく、当たり前のように友達や家族と消化されてゆく日々。15年前、リビングのソファに寝そべりながら見上げたどんよりした春の空は、カラスの鳴き声をかき消すように飛行機が飛び、そこはどんなに生き続けようとも到達できない、止まってしまった時間の中にあるようであった。

春霞、遠くの景色はただぼんやりとしている。目の前のことだけが今の季節。そういえばベランダに落ちていた桜の花びらはどこから飛んできたのだろう、家の周りには桜なんてない。

「夜中にひとりで泣いちゃったり」他

1.「夜中にひとりで泣いちゃったり」

自分が理性を離れた瞬間を見つけるのは難しい。言語化される前の、イメージだけが巡り巡る感じ、それを覚醒した意識が捉える前に掴みたい。

鳴り響くアラームの後、5分間のまどろみ。寝ているのか起きているのか、そんな時、遥か昔に住んでいた遥か遠くの場所のことが、目の前というか、手元にあるような感覚になって、僕が布団の中で考えるのはさっさと起きて顔洗って歯を磨いて着替えてじゃあそこに行こかってことなんだけど、すぐに理性が戻ってきて無理なんだってことがわかる。

 

理性がもたらすのはやる気のない惨めな空腹。ただ冷蔵庫は空っぽで、食べ物を買いに行かなければならない。

年が明け、訪れる厳冬。家を出ると外は酷く寒かった。行き先は近所のコンビニ、さっきまでの夢を引きずりながら、というか、嫌々ながらセンチメンタルな気分でコンビニへ向かう。乾き切った冷たい風に背中を押されて、しかめっ面をしたら唇が切れた。

道中、温まるために買ったホットココア、しかし飲み干してしまうとただのスチール缶になって急速に冷える。もはや手に持つことすら厭われるので、缶のフチを前歯で噛んで両手はポケットの中。闊歩するたび鼻先に当たるプルタブ。飲み口に息が掛かるとボーッというマヌケな音がした。

 

僕の住む家はどんなものからも遠くにあるのではないか。駅からも、コンビニからも、勤務先からも、如いては社会生活からも。

ぼけぼけと歩いていると公園に差し掛った。誰もいない、誰も通らない。ベンチに座り、曇天の空を見上げる。視界に入るのは薄汚いマンションなのかビルなのか。その屋上に干されたタオルが力なく風に揺れる風景。こうしていることも何年後かに夢で思い出すことがあるのだろうか。理性の外に放りこまれる記憶、景色、出来事、人々。行く先々でのセーブポイントのような、そんななにか。

 

日に日に感情の数が減っている。今や2つか3つの感情だけを、行ったり来たりしている。だからコンビニで買うものも毎度同じ。美味しいだとか、不味いだとか、そんな感情すらも面倒だから、毎日なにも考えないで済むように同じものを買う。そしてそんな自分に満足して、感情の起伏が激しい他人を馬鹿にして、夜中に聞こえる冷蔵庫の音のように寂しげな気持ちなる。際限のない繰り返しの日々、ただ擦れ合う側面は削り取られている。いつしか本当のなにかにぶち当たることができるのだろうか。

 

2.「たくさんの気持ちが失われた時間の中にある」

1月中旬。客先に早く着きすぎた僕はベンチに座り、稲荷山公園駅前の殺風景を眺め過ごしていた。社用のスマホ機内モードに切り替え、自前のスマホのブックマークを4周ほどブラウジングし、忙しげな営業マンのように腕時計をちらりと眺め、さてそろそろか?と腰をあげようとしたとき、なにか手紙のようなものを読みながら駅に向かって歩く一人の老人が現れた。すると彼は急に立ち止まり、ポケットからライターを取り出し、躊躇うことなくそれに火をつけ地面に投げ捨てた。

手紙らしきものはみるみるうちに燃え上がり、吹き付ける風で散り散りになった。老人が過ぎ去った後、僕は紙の破片を拾い上げる。そしてそこに書かれた言葉の断片を確認し、客先へ足を向けた。

 

3.「人として最低限必要なもの」

足が汚れるのは地獄に一番近い部位だからで、頭が一番重要なのは天に一番近いからである。だから飛び降り自殺をするときは頭から激突する必要がある。天地をひっくり返す革命を夢見ながら頭を大地に叩きつけ、浜辺のスイカの如く頭蓋骨をかち割り、脳に詰まった愛のある思想をぶちまけなければならない。激突までの長い走馬灯、それが僕の人生で、蔓延る日常に辟易しながらも世界の真理を見つけることができ、よぼよぼの老人になって「良い人生だった」と目を閉じ呼吸を止めた瞬間に迫りくる地面は!!

 

4.「物質的にあり得ない」

会社の後輩にめちゃくちゃ頭の悪い奴がいて、そいつは事あるごとに「物質的にあり得ない」と発言する。顧客の無理な要望に対して「物質的にあり得ない」、理論的にあり得ない話に「物質的にあり得ない」。これはなかなか面白い話で、要は『物質』でない思考だとか思想だとか混み行った他人の感情だとかそういったものが後輩は理解できず、どんなものでも『行動』という物質在りきなものに変換して考えてしまうという彼の思考力の低さを象徴する口癖であるのだ。

社会の窓が開きっぱなし

1.

12月25日、午後13時半。馬喰町駅。馬を喰らう駅と名付けられたここはとても深く、とても薄暗く、湿気は深刻で、あちこちネズミたちが這いずりまわっている。壁は薄汚れ、派手に亀裂が入っており、大きな地震が来れば簡単に壊れるだろう。僕は背中を丸め、駅の雰囲気に恐々としながら長い地下ホームを反対側に向けてだらだら歩く。途中で鼻をすすると頭の中で血の匂いがした。

1番線ホ ーム、車両でいうと品川方面列車の13両目あたりだろうか、何故かホーム向かいの壁から地下水が吹き出している。僕はこの駅に来るといつもここで立ち止まる。総武線快速電車は10分に1本しか来ないので、乗り遅れると佇む以外にやることがない。だから壁から吹き出す水を見る。ザバザバと流れ出す水は驚くほど水量があり、不規則で、見ていて飽きない。たぶん水槽の中を泳いで回るサカナを見ていて飽きないのと同じ理屈。規則性がないものは楽しい。

 

電車に乗り込むと、嘘っぱちの自分をコネコネ練り上げる。要はこれから転職の為の面接なのである。頭の中では間抜けな役者が素早い会話を行なっている。

「個人の成長は会社全体の利益なのです! フェアな社員評価と充実したインセンティブ、そのような御社の方針とお客様に感動と笑顔を与えるというリネンに共感致しました!」

「いいね!名演技!採用!」

 

2.

目的地まで歩く。あの巨大なビルまで、役者揃いのあのビルまで。どんどん近づいて行く。ああ、僕は本当に演じられるのだろうか、奴らを騙すことはできるのだろうか、胃が痛い、頭が痛い、そして何より風が冷たい。めちゃくちゃに冷たい。 手や足や眼球、肺の中までもう何もかもがすっかり冷たくなって、 鼻をすすったときの血の匂いすら真冬に鉄棒を舐めたときのような感じ。

 

「丁寧に頼み込めばだいたいの人は折れてくれるよ。僕は彼女だってそうやって落とした。」

「彼女になってくださいって土下座でもしたの?」

「したよ。額をアスファルトに打ち付けて『お願いします!お願いします!』ってね、そしたらこんな場所でやめてって怖い顔でいうから新宿の珈琲貴族に移動してさっき迄の彼女になってほしいとかそんな話は余所に山口組系のヤクザに殺されたオウム真理教元幹部の村井秀夫の愛読書 は『かもめのジョナサン』だったとか、松本智津夫上祐史浩の彼女を寝取ったとか、最近死刑が執行された井上嘉浩は少年時代に無垢な笑顔でNHKの番組に出演していたことがあったとか面白おかしく話していたら僕のことをインテリと勘違いして翌日から彼女になってくれたんだ。では結果は追ってご連絡しますので、本日はこれにて終了となります。」

「年末のお忙しい時期にありがとうございました。」

 

 

面接を終えて外に出ると辺りは既に薄暗くなっていた。5時のチャイムが流れ、僕は緊張から解き放たれて安堵してはいるものの妙な疲労感を抱えたまま駅まで歩く。夕方は憂鬱、夕方は嫌な想像ばかりしてしまう。冬の夕日はどこか弱気でサイケデリアが足りない、だから僕は普段のようにヘラヘラすることができないし、冷たく吹き付ける風が体の輪郭を模るせいで自分の立ち位置とか存在とかそんなことを強く意識してしまう。そして切実に「帰りたい」と思った。ここ数年の隠れた流行語「帰りたい」。一体どこへかわからないけど帰りたい、家にいても帰りたいと思うあの感じ、だから僕は北から飛んでくる 1発のミサイルが世界の全てを真っ平らにしてくれる妄想か、はたまた期待なのかそんなことを考えながら新宿で途中下車をしてユニクロで靴下を買って帰った。

 

3.

面接で必ず訊かれるのが「転職理由を教えてください」 という質問である。これはどのような意図を持った質問なのだろう。転職を希望する人間の8割くらいはネガティブな理由なんじゃないかと思う。そもそも不満が無ければ転職を希望しないわけであって、それくらい転職者を受け入れる会社もわかっている筈だが、あえて訊くというのはそれだけ役者ぶりを期待されているのだろう。では自分の場合、今いる会社のなにが不満かって、それは働いていると自分がめちゃくちゃに頭の悪い惨めな人間だって思い知されることなんだけど、転職活動のなにが不満かって、それは面接のたびに自分がめちゃくちゃに頭の悪い惨めな役者だって思い知らされることだ。じゃあ俺はなにがしたいんだ? それはツライ、ツライと叫び続け、見せかけの平穏とそれに対するアンチテーゼの均衡をとること、そして自分以外の誰かの、世間の、生ぬるい生の均衡が崩れ落ちるのを待ちわびているのだと何処かの誰かにわからせるため。つまり僕の転職活動なんていうのは、その実態(実態とはなんだ?)を誰かに伝えたい、感じ取ってほしいというパフォーマンスに過ぎない。転職して何かが変わるわけはないのだ。言うだけ言って実行していないのは恥ずかしいから、転職活動をしているだけであり、合否なんてものはどうでも良い。

 

4.

翌日、夕方前には仕事が片付き暇だったので、無口で気弱な後輩に「年末ってなに?新年ってなんだと思う?」 と質問を投げかける。すると後輩は眼鏡の位置を調整して少しの間を稼いだ後、遅れて驚いたような顔をした。

「年末と新年ですかww年の終わりと、始まりで・・・。」

「西暦が加算されることになんの意味があるの?昨日と今日と、これから来る大晦日と正月はなにが違うの?どう思う?ねぇ? どうよ? 何もかも数字で管理して区切りをつけてなにが楽しいのかな?」

「・・・。」

「そんなものがあるかわからないけど、100年で1周する時計のように、時代なんてすべて地続きでいいのにと思うよ。時代に妙な区切りなんてつけるから人はセンチメンタルになってしまうんだ。過去とか、未来とか、今とか言いだしてさ。あ、これは平成生まれの俺が来年元号が変わって古い人間になることの負け惜しみではないよ?いや、センチメンタルになるとか言っているのは俺だけか? だとしたら最悪だ。 誰も好き好んでセンチメンタルになんてならないのに。だってセンチメンタルになるのって恥ずかしいわな? 俺はポエマーだからさ、センチメンタルとはお友達というか、感情っていうのをうまく理解してセンチメンタルをちゃんと引き出してあげたり、おしこめたりしてあげる必要があるんだけど、ついつい後で恥ずかしくなっちゃうんだよ。まぁ翌日に思い出す酒の失敗みたいな?でもそれは感情やテンションの落差っていうものでもなく、なんというかさ、感情が住みついている階層が違うというべきかな? どんな感情だろうがそこに行きつくための入口も出口も別の場所にある。そう思わない?だからセンチメンタルな俺もそうでない俺も同じ人間ではあるんだけど、どちらが素だとかそういうものはないんだ。というか何の話をしていたんだっけ?」

「・・・。」

「俺はぶれぶれだ。まるでカメレオンだ百面相だ。最悪なんだ、もうお終いなんだ・・・。」

「・・・。」

 

5.

「 師走はツケを後回しにしても許される空気があるから好きですね。 」

「新年に苦しい思いをするのはお前だけどな。」

「いいんですよ。俺はいつだって辞める辞める詐欺のつもりで働いているんですから 。どうせ辞めるんだと考えながらであれば仕事は楽ですよ。マジでヤバくなったら本当に辞めれば良いだけですし。」

「誰が後始末すると思ってんだよ。つか辞めてなにすんだよ。」

 「ファミマでバイトっすかねぇ。」

 


6.

12月27日、帰宅すると2日前にメルカリで購入していた華倫変の漫画『 カリクラ 上下巻セット』が配達されていたようで不在表が届いていた。 僕はどことなく申し訳なさを感じながらもヤマト運輸へ再配達依頼をして部屋着に着替えインターホンが鳴るのを待つ。10分後くらいにかなりの尿意を覚え大変辛い思いをしたが、トイレに居る間に荷物が来ては困ると思いひたすら我慢し続け、荷物はその5分後くらいに来た。このようなときに限って家に誰もいない。

中学生のころ、当時の担任の先生(40代女性)が失恋した時は井上陽水の暗い曲ばかり聴いていたと言っていた。当時は「は?悲しい時こそハッピーソングだろ」と考えていたハッピー野郎だったので意味がわからなかったが、今はわかる。 単に歌の世界と自分自身を照らし合わせて『共感』していたのだ。 同じ苦しみを持つ人間が自分以外にもいればなぜか救われた気分になる。人は凄まじいほどに孤独を恐れるから同じ苦しみを持つ人間を見つけると歓喜の涙を流す。決してそれで救われるわけではないのに。つまりあのとき先生は歌に寄り添って「辛かったね、大変だったね、わかるよ、わかるわかる」と言われた気分になって気持ちよくなっていたのだろう。だから僕は同じ理論で華倫変の漫画買ったのだ。28歳でこの世を去った彼の描く漫画の登場人物は皆、普通に生きることが困難で、ふりかかる不条理に涙を流しながら耐えている。もう本当に耐えに耐えて、深く硬い地盤の上で諦めをいなすことに長けているように思える。 だから僕も身の回りのいろいろなことをうまく諦められるようにこの漫画を読む。こんな不幸は普通のことだ、どこにでもある、誰にでもある、なにもかも普通の事だ、誰しもが不幸で、誰しもが悩みを抱えている、それが普通なのだと。パワハラをしてくる上司に死体遺棄を手伝わされたり、ヤク漬けにされた上AVに出演させられたり、恋した相手が殺人犯のレイプ魔だったり、お坊さんに性病を移されたり、張り込みに来た警察官が本当は別のなにかを張り込みして気色悪かったり、そんな話。今も僕は寝る前に聖書を開くようにこの漫画を読む。様々な不条理を身に着けて、不幸を予感して、悲しみに備えるべくして。

 

7.

12月28日は仕事納め。年間で唯一の私服出勤が許される日だが、普段頼りがいのある先輩や上司の私服がダサいと気分が落ち込むので、センスがないと自覚のある人は普段通りスーツで来てほしい。午前中にルーティーンワーク的な細かい仕事を片付けて、午後からは大掃除となった。僕はとりあえずいらない書類を掻き集めてシュレッダーに突っ込んだが、一気に突っ込みすぎたのかシュレッダーは「バンッ!」といって動きを停めた。以後、2時間半に及ぶ懸命な救助活動を試みるも力及ばず、この機械が息を吹き返すことはなかった。大掃除を余所目に会議室でシュレッダーを分解している僕に注がれる視線は冷たく、なんとも後味の悪い最終日となった。

 

8.

12月29日から始まる9連休は仕事のやり方を忘れるには充分な時間で、年明けの事を考えると憂鬱になった。それに世間はやたらと「 平成最後の平成最後の」と騒ぎ立てるので、僕はまたセンチメンタルになる必要があるし、平成初期に生まれてこの時代を駆け抜けてきた身として29日から大晦日までの僅か3日間でこの時代を総括するのは無理な話であった(そもそも平成はまだ終わらない)。しかしテレビでは平成を総まとめする番組が続出し、平成の歌姫や平成のスター、平成の流行、平成の事件、平成の災害などが矢継ぎ早に取り上げられ、そして葬られてゆく。平成の17000000時間は特別番組のたった2時間でまとめることができてしまうのだろうか。深刻な不況と通信環境の爆発的進歩に象徴される僕らの青春はそんな単一的な側面だけで表象されるべきではなく、もっと深い息遣いがあったはずだ、なんてことを思いながら目を閉じるとあっという間にモヤついた眠気にまかれて現実が遠のく。

夢の中で僕はまだ小学生ほどの少年で、なぜか父の勤務先に出向いていた。しかしオフィスビルは昼間だというのに酷く暗く、誰一人いない。廊下の曲がり角や開きっぱなしの扉の奥など行き先の見えない闇の中ではバケモノのような巨大な眼球が蠢いている。エレベーターに乗り込むと床に四方50cmほどの赤い木箱が置かれていて、蓋をあけると濡れた長い髪の毛がぎっしりと詰め込まれていた。エレベーターが下降を始めると空気は一気に冷え込み、甲高い金属音のような音が耳をつんざき、地下3階少し開いたエレベーターのドアの隙間から覗く視線と目があった時、僕は目覚めた。

 


9.

機内で良い香りがすると思い、目を開けるとCAさんが飲み物を配っている。僕のことは寝ていると勘違いしてスルーしたようである。窓の外に目をやると眼下に雲が広がっていて、空は見事な薄暮である。地平線にはまだ微かに夕日が残っており、僕は目を凝らして色の境目をなぞると、夕日のオレンジはほんの僅か白く変色し、淡く青に変わる。そこから先、天に向けては黒に近い紺色へと色を深めている。

暫くすると飛行機は降下を始め、雲に潜る。するとまたも眼下に雲が広がり、同じくしてまた飛行機は雲に潜り込む。その度に飛行機はガタガタと揺れた。

犬/蟹/服/猿/露/

犬が死んだ

近所の犬が死んだ。可愛がっていたわけでもないので特段悲しくはない。ただ、放置された犬小屋を見るたびに犬は死んでもうこの世にいないのだということを思い出すから嫌なのだ。

その犬は1年ほど前から目の周りが黒ずみ出したり、明らかに元気が無くなったりしていたけれど、最近はまた元気を取り戻して喧しく吠えたりしていたので『もう歳なのかな、もうすぐ死ぬのかな』という考えがだんだん打ち消されてきた矢先だった。

いま、主のいない犬小屋には食べ残しのドッグフードの袋がぎっちりと詰め込まれている。そのせいで『不在』という実態のない概念がいつまでもそこに居座っている。

 

Landscape with crab

会社の人に貰ったどこかのお土産、蟹のスナック菓子。外箱は蟹がドーンとプリントされたパッケージ。自分は蟹が嫌いなので毎日このパッケージにさいなまされている。蟹というのはとても滑稽な見た目をしていると思う。メカニカルに折れ曲がる長い脚、小さすぎる胴体、マヌケに飛び出した眼球、ゆっくりとした動きの割には攻撃的な態度、そんな柔らかさのかけらも無い生き物。僕は部屋の片隅にある、この滑稽な生き物がプリントされたお土産の箱を見るたびになんとも言えぬ脱力感に襲われる。シリアスな思考も、堅苦しい小説も、クラシカルな映画もこの蟹のせいで全て台無し。中身を食べずにゴミ箱に投げ捨てたい。

 

服を捨てる

モノに囲まれた生活が好きというのは本当で、別に部屋が片付かない理由ではない。それでも狭い家の中では物理的に限界があるので、しょうがなく片付けをすることにした。片付けの基本、使用頻度の低いものは見えないところに隠す、つまりガラクタの行き先はベッドの下である。そこには収納ケースがあり、その中には服がある。結果、服を捨てることにした。

日曜の昼からベッドの下にある衣類を引っ張り出してゆく。すると出てくるのは8年~12年前の、中高生の時に着ていた服たち。当然ずっと陽の光を浴びていなかったわけでカビ臭いしジメッとしているが、服を取り出すたびに「こんな服あったな」という懐かしさが押し寄せてくる。不思議なもので、ほとんどの服に対して所有してたことをちゃんと覚えているし、中には大事にしすぎた結果あまり着ていない服すらもあった。印象的だったのは当時好きだったバンドのツアーTシャツが出てきたことで、背面には『'08 tour』や『'07 tour』とのプリントがあり、当時の思い出がどっと蘇りしばらく動くことができなかった。ただ今更取っておきたいと思ったところでどこにもスペースはないので、僕は苦痛に耐える修行僧のような心持ちで衣類をゴミ袋に詰め続けた。

服はいろいろな場面でいろいろな感情を纏わせてくれる。だから服を捨てるということはその時の感情も捨てるような気分になって辛い。こうして服を取っておいたからこそ思い出すことができた記憶もあるのだ。僕は心の中であばよ!とか、ありがとう!とか言いながら服と記憶に別れを告げた。

 

笑い猿

そもそも自分は笑いのツボが狭いのであまり爆笑しないということもあるけど、最後に爆笑した日や出来事を思い出せない。しかし考えてみると、僕は笑いというものを他人と共有するのが好きではない。集団の中にいる際、皆が笑っていると笑う気が失せる。なぜなら笑いは同調圧力のようなもので、瞬間的に沸き起こるあのモワッとした空気が気持ち悪いし、しらけた人間すらその空気に巻き込むからだ。いい大人が赤ちゃんのように手を叩きケラケラ笑っている様は非常に滑稽。だから忘年会は地獄、皆タンバリンを叩く猿のおもちゃに成り果てる。一人でニタニタ笑っているのも気持ち悪いが。

 

露天風呂

先日久しぶりに露天風呂に入った。ただめちゃくちゃに寒かったので、お湯に浸かるまで全裸で移動する時間は死ぬかと思った。

そして強い雨が降っていたので、目を開けることができなかった。空を見上げると目に水が入ってくる。ただ、外で裸になるのは案外気持ちが良い。