もしも

もし、もし神がいるのならば、高いところから私を、すべてを見ている人が、存在がいるのならば、
ならば。
教えてくれ。


なぜ私はこうもすぐ失敗を犯す。
あの発言は、彼の自尊心に少なからず傷を与えてしまうのに。
なぜ一夜の間に彼の日記が更新されていて、
その内容を見る前に、
あちらに書き込んで、
結果、彼の自尊心に傷を与える内容を書いていたのか。


さして私の不注意でもないだろう
なんでいつもこんな試練ばかりを科すんだ。


面倒くさくなる。
彼と彼らに謝り損ねたことを、今も私は悔やんでいる。
いつか言いたい。
いつか、謝りたい。
一言でいい。
でも、
その機会は与えられるのだろうか。


私は、
彼が自分の能力に矜持を持っていて、
それに見合う能力を持っていて、
それに見合う努力をしていて、
見合わないのなら認めない自己分析もできていて、
そういった人物だとしっているのに、


私は彼に本心を謳うことができない。


私は、彼に重圧を与えてしまっていたということを知っていて、
私が謝ることに対して彼はまた自尊心を傷つけてしまうのではないかと、私は恐れて、
また、動けずにいる。



いつか、答えは導けるのだろうか。

今日という、その日。

10月21日というのは、私の好きな小説家である乙一の誕生日である。
おめでとうございます。
また、もう一つ大切な記念日でもある。


それは、私の誕生日でもあること。


この偶然に気づいたときには、けっこう喜んだものだ。
尊敬し敬愛する人と同じ日が誕生日とは、これはまた趣があると思う。



とりあえず。


私はこれから文章を書く時間を増やそうかと思う。
タイトルもまだまだ決まってない、乱雑なストーリーしか決まってない、
しかし完成したら見せるという約束をした文章。


もう、私の大切な人は失われた。
私が愛した人は、私のもとに、もういない。
壊れた関係はしかしなおることはない。
癒える傷と癒えぬ傷と消えぬ傷と……
私を蝕む心の闇は、いつになればはれるのであろう。




私は、あんたが思うほど薄っぺらな人間なんかじゃない!
私は、おまえが思うほど考えなしの人間じゃない!
私は、キミが思うほどノリよくはたらける人間じゃない!
私は、てめえが思うほど不真面目な人間じゃない!


叫んでも、叫び続けても終わらないのか!
苦しみは、悲しみは、やめろと言っても私の声はあんたらには無意味なものとしか感じられないのか!!
あの世界で、一人でいる時間を好きなだけ設けて良いと言われたら、私はずっと一人で居続けるだろう。


あなたたちが関わろうとする優しさは、私にとっては病毒でしかないのだ……。




せめて、せめて心許せる友人達よ。
私の人間性を、思慮深さを、知識を、考えを、理論を認める、ネットという細いクモの糸で繋がれた仲間達よ。


ともだちに逢いたい。
生き様を認めてくれる人に逢いたい。
心安らげる空間にいたい。


私が、私として、私の価値を見いだせる空間に、身を置きたい……。

うつらうつら

さぼりすぎた。
それが正直な感想かな。
たぶん今までこの日記を書いていたのは「私」ではなく「わたし」。
等身大の「怜」ではなく「レイ」を演じていただけ。


だから、少しはレイを演じるのはやめよぉかな、って思った。


口調も、


あり方も、


立ち方も、


思想も、


思考も、


嗜好も、


何もかも。



かっこよく生きることに憧れすぎてたのかもしれない。
だから無様でもいい。
私は私を、綴ろうって思う。
どうも完璧にはオレになりきることはできないだろうと思う。
でも、私としてなら、案外書けるものなのかもしれないしね。


さあて、何を書こうかな(笑)

深層感情。

愛情とはいったいなんなのだろうか。
正直なところ、私にはわからない。
だれもが中学生、または小学生の頃に恋心を抱いたことがあるのではないのだろうか。
私には、ない。


私は今感じている愛だと思う感情は、1年前に作り上げた擬似的な感情なのではないのだろうか。
そんなことさえ考えてしまう。
恋愛感情というものがあまり理解できない。
最悪、対人の所有欲ではないかとさえ思ってしまう。


私は自分の感情なんて理解できない。


だから…



今私の中にあるこの感情が…



本物であるように祈りを捧げたい…

切り取った時間

今年、5月。
マリィからメールが来た。
なんてことはない、「アドレスを変えました」。
私は大抵、変えた人に「登録しました」と返信をする。
なのでいつも通りの行動に、ささやかな期待を加えて返信した。
その後マリィから来た返信は、アルバイトをやめ、恋人と別れたという内容だった。
私は今度暇なときに会って、話をしなぃ?と誘った。
OKが出た。
お互いヒマな日を聞いた。
6月1日。
この日になった。
時間はすぎた。
気づけば6月1日になった。


久しぶりにあったマリィは、少し変わり、あまり変わっていなかった。
半年ほどの時間は、人に変化を与えるには短く、変わらないでいるのには長かった。
高校を卒業して、色んなことがあったようだ。
職場でのこと。恋人とのこと。
愚痴や冗談、他愛のないことを話し続けた。
カラオケに行ったり夕飯を食べたり。話をしたり。
時間はすぐに過ぎていった。
午後2時に会い、終電まで一緒にいた。
楽しかったよ。とても。
嬉しかったよ。とても。
でも。
情けなかった。
手を握ろうと試みたけど、そんな勇気もなくて。
変わりたいと願っていたのに、あと一歩踏み出すことを考えていたのに。
どうしてもその勇気が出なかった。


終電の中、
人の少ない車内のいすに、隣同士で座り、
私はなけなしの勇気を振り絞り、
マリィの肩を抱き、髪をなでた。


踏み出すことはできる。
だから、あとは勇気。
そして、自信と。


また会う約束はしたから。
6月19日。
また会うから。
そのときは、もっと勇気を持とう。
もっと行動にできるように、なろう。
ガンバろう、自分。ガンバれレイ。

走馬燈が如く

高校の時は、よく一緒にいた。
クラスも違っていたし、知り合ったのが3年だったために、あまり長い時間を共有することはなかった。
しかし、放課後の図書室で2時間も3時間も話し続けたのは、私にとって貴重な時間だった。
私とマリィは全然違うのに、どこか似ている部分があった。
私の持つ憂いの方面は、どこか似た人を惹きつけるようだ。
いや、私が惹かれるのか。
「私の周りには変人が多い」ということもそういうことなのかもしれない。


私の抱えた闇を見て、人は距離を取る。
2年の時に作り上げてしまった殻は、人に近づくことを躊躇わせた。
2年の時に、私は友人を呼べる人の大半を失った。
いや、人の闇を見て嘲るものなど、友人などではなかったのだろう。
けっきょく、人間付き合いから生まれた、ただのヒト。
そんな私を、マリィはしっていた。みていた。
あの時代の私を知られることは、私にとって恐怖でしかなかった。
しかしマリィは「キミはあの頃のキミではないことを、私は知っている」と言ってくれた。
私は強くなることを決心し、変わる努力をしていた。
そんな私にかけられた、マリィの言葉。
嬉しかった。
変われる気がした。


私が福祉系の大学に入ると決めた時、高校1年よりも前からの私を知っている人は「ありえない」だとか「うそだ」とか言われた。
文句はない。私でも客観的に見ればそんな人間だ。
しかし、高校3年から私を知った人に言えば「よくあっていると思うよ」だとか「ピッタリだね」などと言われた。
変われる。人は変われる。
そう思えることが嬉しかった。


私にとって大事な人を聞かれれば、小学校や中学校、高校の時の少ない友人や親、そしてマリィの名前をあげるだろう。
私はマリィのことが好きだ。
友達としても、異性としても好きだ。
しかしマリィからすれば、私はあくまで「異性の友達」でしかなかった。
友達としては好きだよ、と。
去年の夏に、はっきりとそのことを告げられた。
しかし、大事な友達という関係は崩れなかった。
崩したくなかった。崩れるのが怖かった。
だから、多くの言葉を交わし続けた。


そして、年末、私はマリィから一つのことを告げられた。
恋人ができた。
携帯サイトで知り合った、年上の人。
だから私は、マリィと距離を取った。
決別の言葉の意味を汲み、連絡を絶った。