【 razbliuto 】

孤独を愛せ、愛を貫け

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年が明けてから、ありがたいことにバッタバタさせていただいております。私は忙しいのも好きだけど、その分回復の時間も必要なタイプなので、バッタバタさせていただいているのは本音を言うとあまり嬉しくないんだけど、予定が色々あるのはいいことだと思ってるので、ありがたいことだと思うことにしている。

資格試験とか、家のこととか、そういうのが立て続けにあって1月後半からあまり休みがなかった。そんなこんなで全部終わった3月初旬に喉が痛いなと思うことがあり、疲れが溜まって風邪を引くのは今までもあったし今回も心当たりあるから風邪かなと思いきや土日に発熱。家にあった解熱剤を飲んでも一向に下がらず、下がったと思いきや次は微熱が続き、かといって焼け付くような喉の痛みや味覚障害、関節痛や頭痛などは一切なく、「めちゃくちゃ強い風邪だな…」と思ってたら治った。ただ喉は少し痛かったので、炎症を抑える薬をもらいにいったら「あんたこれ、コロナかインフルやで。もっとはよこなあかんわ」と言われた。それはそうですわお医者さま~!と思いながら薬を受け取った。一向に熱だけが残る、レベル100の風邪だと思ってたらコロナかインフルだった。また仕事休まずに治してしまった。

コロナかインフルを、強めのお薬なしで治してしまったらしいので私の身体から白血球ちゃんが消えてしまった。その状態で送別会に誘われたので行き、なぜかテキーラを飲むことになり、その翌日にまたご飯とカラオケに行って喉をやり、やっと治ってきたらまたカラオケの予定があって3マスもどり、未だに高音がでない。あほである。けど人からバイネームで受けたお誘いは、出来る限り行きたいなと思ってる。今年の目標というかモットーのひとつ。しばらく大声を出す予定はないので、今度こそ治したい。

その他なんか色々、本当に色々あって、正直疲れが溜まっている。身の回りの急激な流れの速さに一番自分が着いていけていない。けど、ここが今年の一つの正念場だと思うので、疲れたとか言わずに、というか言ってもいいけどやることしっかりやらなきゃなと思う。ちゃんとママがいらっしゃるスナックに連れていかれて「ここが一次面接会場や」と言われた時は頭を抱えた。ママはお綺麗な方だったのでまたお話したい。

 

あと最近は面白い本と出会うことがあってうれしい。最近読んだ本の中で響いた一文があって

(人生なんて)はい、生まれました。はい、色々ありました。はい、死にました。

これがすっごく好き。気に入った。

宇宙レベルの話でみたら私たちが営んでいる生活なんて本当に些細なことだから、いくらお金稼いで地位を得たとしてもなーんにも偉くない。逆に、どれだけ深刻に悩んでこの世の終わりだと思ったって、どうせ「はい、死にました」で全員終わるんだからと思うと少し気が楽になる。「取るに足りない人生なのだから、すべてを適当にしましょう」というわけではなく、人生というものの一つの捉え方として、これほど的確でスッと入るものはないなと思った次第。

やっぱり面白い本や映画は面白い。SNSよりもずっと。現実は大体つまらない・しんどい・面倒くさいの三拍子だけど、たまにそれを超えてくる面白さがあるので捨てきれない。

まだまだ世界は広がるし、いつどこでどの伏線が回収されるかも分からない。こんなこと考えているのが、躁なのかもしれない。けど、たとえ数か月後に「もう無理死んでやる」ということになるとしても、今はいけるところまでいきたいと思う。幸せだよ、少なくとも今は。

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本当にやることがない時は「何もやることがない。やりたいことも思いつかない。暇だ」と思っているのに、やることが出来たら「やることはあるけど、これがしたい。どうしても今すぐしたい」という気持ちが出てくるのはどうしてだろう。そして本当はやらなければいけないことを横目に見ながら、別に今やらなくてもいいことをやっている。別にブログなんか書かなくてもいいのに書いている。勉強しなさいよと思いながら。せめてお風呂に入るか歯を磨けばいいのに。

昔に比べてだいぶ自分に対して甘くなった。

例えば、やらなければいけないことがあったら、それだけをひたすらにやれていた。社会人一年目の頃なんか19時に帰宅して20時までにすべてを終わらせて、20時から24時まで勉強していた。そして次の日も6時には起きていた。信じられない。
人からの連絡もすぐ返していた。今は急ぎのものはもちろん早めに返すけど、あとでもよさそうなものは1週間くらい空いたりする。別に嫌いだからとか返事がしづらい内容だからとか忙しいからとかでは全くない。
仕事も、やらなければいけないタスクはどれだけ面倒でもすぐに取り掛かっていた。今はお尻に火がついてやっとやる。

甘くなったというか、だらしなくなったというべきなのかもしれない。多分わたしは世間から思われているほどしっかりしていないし、きっちりもしていない。これを読んでくださっている人の中にも「なんだこいつだらしないな」と思う人がいるかもしれない。それはそのとおりだと思う。

だけど、昔に比べて生きやすくなった。自分で自分を縛り付けていたのを少しずつほどけるようになったのは25を超えてからだったように思う。幸いにも大体のことは自分の中で適当にやっても60点は取れることが分かった。だから私基準でだらしなくても、世間基準ではまだセーフだから、60点を切るまでは、(例えば締め切り日を過ぎることさえなければ)セーフだと思うことにしている。そうすることで私が私に向ける刃から心を守っている。

この1年くらいフォローしている後輩と、毎週月曜日に週初めの打ち合わせをやる。一応司会進行は後輩に任せているのだけれど、ここ数か月会議の終わりに「じゃあ今週もよろしくお願いします。がんばっていきましょう。ゆるく、たのしく。」と言ってくれるのが結構好きだ。私が私に対して「こんなぬるいこと言ってる自分でいいのかな」と思いながら使っている言葉が人の口から出てくるのは心強い。すぐに自分を攻撃しようとする自分が今もいるけど、そんな攻撃から守ってくれるのは私の気持ちだけじゃなくて周りの人たちのちょっとした言葉だといつも感じている。

 

話は全然変わるけど、週末にちょっとした旅行に行っていた。その時に飛行機を使ったんだけれど、改めて空から眺めると日本は本当に山が多くて、人間の生息地は海側のちょこっとした平野だけだった。
地上で生きていると人間様がたいそう偉そうに見えるけど、どうみても自然に追いやられているのは我々で、なんか少し安心した。自然という大きい生命体の中の小粒でいたい。

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仕事を納めた。あまり納まった感じはしないけれど、クリスマスを過ぎたあたりから突然みんなが使い始める「よいお年を」という言葉を例にもれず何回か使ったので多分年末なんだと思う。そういえば街が静かだ。

先日職場の忘年会があったので参加させてもらった。そこで酔った先輩から「睦月さんは今年どんな一年だった?」と聞かれたけど、何も答えられなかった。なんて答えたらいいか分からなかった。

嬉しいこと、楽しいこと、おなかを抱えて笑ったこと、心がほっと温まったこと、心から感動したこと、多分沢山あったはずなんだ。この一年。色んなことが変わった年だった。けど何も思い出せない。10月24日のあの報せがすべてを吹き飛ばして、全体がモヤかかっているまま年末を迎えた。楽しい忘年会でそんなこと言えるわけないし、そうなると本当に言葉が出てこなかった。適当に「良い一年でしたよ」っていうのが限界だった。なんにも覚えてないけど。それが12月22日。

そして週末を挟んで12月25日。クリスマス。あまり詳しくは書けないけれど仕事で色々あった。勤怠は22時で切っていたけれど最後終わったのは夜中の2時半。用意していたチキンもケーキも食べることが出来ないまま26日を迎え、最後は気持ちが抑えきれず通話を切ってから涙が止まらなかった。

翌日は出社しなきゃいけない日で、私は当然行きたくなかったのだけれど、ベッドでぼーっと動けずにいたらチャイムが鳴った。先日頼んでいて、ちょうどその日届く予定だったBUCK-TICKの円盤が朝イチで届いた。いつも昼前に来ることが多いのに。「ああ、あっちゃんに”行ってらっしゃい”って言われてるな」と思ってギリギリの状態で動けた。目がぱんぱんに腫れていてコンタクトが全然入らず、社内打ち合わせに初めて少し遅刻してしまった。後輩、ごめん。

26日以降も25日の件でだいぶバタバタしており、あまりきれいな仕事納めにはできなかったけれど何とか仕事を納めて28日はレディクレに参加してきた。私の好きなバンドが複数出る日だったのだけれど、奇跡的にすべて同じステージで、しかも続けて行われたので目当て全部観ることが出来た。本命ではなかったけれどLUNASEAをあの距離(2列目中央)で観れたことは、私の人生の運半分くらい消費したのではないかと思う。あの河村隆一を、SUGIZOを、Jを、INORANを、真矢をあの距離で観れたって、いまだに信じられない。

人生なので最悪なことは度々起きるし、ただでさえペシミスト気味なのでその度に「ああ死んでやる」と思ってるんだけれど、同時に『私を死なせない何か』に守られてる人生だなとも思う。今回だったら、深夜2時半まで付き合ってくれた先輩、翌日昼休憩中に電話する時間を作ってくれた元上司(私が大好きな人)、特に何も言ってないのに26日ずっと一緒にいて沢山笑わせてくれた後輩、沢山迷惑かけたのに全部肯定して受け入れてくれた上司。「よしよしなんてされたくないし!(泣いちゃうから)」とすっかり意固地モードに入った私をすっぽり包んでくれるような温かい人達が周りにいてくれた。あとはBUCK-TICKの円盤があのタイミングで届いたのも、例年なら行ってないレディクレに行くことになっていて、そこで各バンドで私が1番好きな曲たちを聴けたことも、最後に今年旅立った最高のミュージシャンたちへ『満月の夕』を捧げる時間に居合わせられたことも、全部、今年だったから起きたことだと思う。

そして29日のバクチク現象2023。あっちゃんが旅立ってから初めてのBUCK-TICKのステージ。そこで今井さんが言った「泣いてもいい、悲しんでもいいけど、苦しまないで。あっちゃんが生きていたことを大切にして」という言葉で、ああ、まだ悲しんでもいいんだって思えた。一年の最後にその言葉に救われた。あっちゃんと同い年で、あっちゃんと誰よりも同じ時間を過ごした今井さんが言ってくれたから救われた。

そしてその翌日の今日30日、B’zから誕生日カードが届いた。B'zはBUCK-TICKよりもバンドとしては1歳上で、年齢もあっちゃんの2~3つ上。そんな2人から、要約すると「あなたは素敵だ、思いっきり生きろ」と書かれたメッセージが届いた。ちなみにこれも、普段ならFCには入らないのに今年の9月の私が思い付きで入ってくれていたから届いたもの。不思議な巡りあわせだ。

私自身は何にもないどうしようもない人間だけど、私の周りの人は、環境は、いつも温かいなと思う。悲しい時に触れる音楽も、文章も、全部温かい。

色んな思いを抱えたまま2023年を終えると思う。そんな年もあっていい、と思いたい。

 

 

今年一年関わってくれた皆様にお礼を申し上げます。ありがとうございました。
よいお年をお迎えください。

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追悼 BUCK-TICK 櫻井敦司

櫻井敦司がこの世を去った。2023年10月19日。享年57歳。
報せを聞いてからとっても辛かった。今も辛い。けど人間だから、私には明日があるから、きっとこの気持ちは薄れていく。だから今のうちに書いておこうと思う。

その時代を生きたわけではない(生まれてても超ちびっこ)ので具体的な時系列は定かでないけど、私の中では初期ヴィジュアル系ブームの三本柱はXJAPAN、LUNASEA、そしてBUCK-TICKだと思う。(厳密にいうとLUNASEAはちょっと後)。結成して35年。色々あって半年ほど活動休止した時はあったけど、それ以外はずっと走り続けていたモンスターバンド。脱退や活動休止が多いこのジャンルで、メンバーも変えず活動休止もせず35年走り続けているのがまずすごい。そして時の流れとともに当然メンバーも歳を重ねるわけだけど、その分楽曲も深くなったり広くなったりしている印象があった。とにかくすごいバンド。それがBUCK-TICK。そのメインボーカルが櫻井敦司。その出立ちから「魔王」と言われることもあった。ちなみに私は「あっちゃん」と勝手ながら呼ばせていただいておりました。

BUCK-TICKってメディア露出が少なかったから、たぶん世間的な知名度はそこまで高くない。そして80年90年代にヒットしたバンドなので、私の世代では知ってる人自体少ない。けどすごいバンドなんだよ。とてつもなく稀有な人が亡くなったんだよ。ってことを伝えたくて、櫻井敦司がこの世からいなくなるということがどういうことなのか何かに例えようとしたけど、例えが見つからなかった。櫻井敦司に替われるものなんてこの世界にひとつもなかった。
美人が多いと言われるこの界隈でも、櫻井敦司の美しさは群を抜いていた。本当にもう、とんでもなく美人。美人って言葉はこの人のためにあるんだ‥と思わざるを得ない美貌。あっちゃんをモデルにした漫画のキャラクターも沢山いたとのこと。私が知ってるのだと、HUNTER×HUNTERのクロロとか。あとNANAのタクミもあっちゃんっぽい。90年代の、黒髪ロングで闇属性のキャラクターは大体櫻井敦司がモデルだと言われている。おまけに人間性も魅力のひとつで、魔王というあだ名がつく見た目とは裏腹に誰に対しても優しくて愛くるしい性格をしていた。そりゃ外見も内面もずば抜けた人の代わりなんていないよなって、書きながら思ってる。

最後のステージはFC限定ライブだったとのこと。BUCK-TICKが大好きなファンと、あっちゃんが愛したメンバーのサウンドに見守られて旅立てたのかなと思う。脳幹出血ならきっと痛みもなくすーっと眠れただろう。そうだといいな。それにしたって脳幹出血した状態で3曲歌いきって、自力でスタッフ呼んで自分の脚でステージを降りて行ったって凄すぎない?とってもとっても悲しいことだけれど、魔王として長年この界隈に君臨し続けた櫻井敦司の幕引きとしてはこれ以上ないシナリオだと思う。亡くなったんじゃなくて魔界に帰ったんだよね?そうだと思いたい。

さすがにもう少しその声を聴けると思ってた。あっちゃんはしょっちゅう音楽と人やRRの表紙やってたイメージがあって、「また櫻井敦司!」ってこれからも目にできると思ってた。生まれてきてから、この界隈を好きになってからずっといてくれた存在がいきなりなくなるのは、「明日から土がなくなります」とか「もう空は見れません」とか言われてるのと大差ない。意味が分からない、想像もつかない。
そこからじわじわ悲しみというか喪失感が押し寄せてきた。最近嬉しいこと、楽しいことたくさんあったはずだけど何も思い出せなくなっちゃった。「そんなこと言わないでくださいよ」「たった数十年会えないだけじゃないですか」って、あっちゃんなら笑うだろうけど。あの美しくて愛くるしい笑顔で。

あっちゃん、寂しいよ。突然すぎるよ。そんなことってないよ。
あまりにも綺麗な人だから、やっぱり神様も年老いてしわくちゃになったり、ぼけちゃうことが嫌だったのかな。何か大きな病気をして、苦しんでいるあっちゃんを見るのは嫌だなと思ってたのは魔界の皆様も一緒だったのだろうか。美しいまま、何かしらの外傷も手術痕も一切なく魔界へ帰っちゃった。棺の中でお花いっぱいに囲まれたあっちゃんは想像するだけで画になる。去り際まで美しいなんてずるいなあ。けどね、そんな急がなくたっていいじゃんねえ。

ありがとう 愛を 陽だまりの日々を
一輪の花を 髪飾り 君に

『異空-IZORA-』というアルバムを出して、本当に違う空に行っちゃった。今回のアー写、手を合わせているのがまるで合掌に見える。アルバムの最後の曲にある歌詞(引用箇所)があまりにも櫻井敦司の最後の言葉に相応しい。あっちゃんはそんなつもりなかっただろうけど、全部何かの伏線だったのかなって思っちゃう。最後もステージの上で3曲も歌いきって、その3曲目のタイトルが『絶界』。終幕の舞台としてはあまりにも出来すぎている。

人間界は楽しかったですか。櫻井敦司として生まれてきてくれて、歌ってくれてありがとう。沢山の言葉を残してくれてありがとう。「孤独も悪くないよ」って最初に言葉で教えてくれたのはあっちゃんだったと思う。こんな綺麗な人でも孤独ってあるんだと思ったけど、こんな綺麗な人がそういうなら、きっとそうなのかもって思えた。あっちゃんの言葉に救われたこと、沢山あったよ。

まだ信じられないし、元気になったりずーんと凹んだりの繰り返しだけど、自分のせいで生活を投げやりにすることはきっとあっちゃんは望んでないだろうなと思う。だから少しずつまた前に進んでいく。BUCK-TICKもずっと聴く。絶対忘れないし、忘れたくないなあ。

ご冥福をお祈りします。心から。

 

 

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若かりし頃のあっちゃん。美人でしょ。 

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歳を重ねてからも格好良かったし、笑った時にくしゃっとなる愛くるしい笑顔は変わらなかった。

 

ゆっくり休んで、また気が向いたら歌ってほしいな。パレードはつづく。

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早いもので転職してから1年が経った。気付けばカレンダーは9月。まだ日中の暑さはあるものの、朝晩は少し涼しさを感じるようになり季節が変わっていくのを感じる。前にも書いたと思うけど、こういう時期はMy Littele Loverさんの代表曲『Hello,Again~昔からある場所~』の中に出てくる「夜の間でさえ季節は変わって行く」という一節を思い出す。夜の間でさえ、季節は変わって行くのだ。

さて、転職してからのこの1年。私の人生の中でも本当に落ち着いた1年だったと思う。物騒なことを考えた記憶がほとんどない。今自分がいる場所に対して「平和だなあ」以外の感情がない。良いことなのだと思う。「平和すぎて飽きてきちゃった」と言ったら「贅沢な悩みだよ」と言われた。本当にそう思う。

そんなことを感じていた8月頭、コロナになった。正確には病院で診断を受けたわけではないので「なったと思う」なのだけれど、コロナになってまだ待期期間の人の目の前で飲んだら自分もそれらしい症状が出たのだから、多分あれはコロナだろう。今年2度目の40度の熱が出たし、しばらくコーヒー飲んだら納豆の味がしたし‥

 

夏季休暇に入る前に、健康診断の結果が返ってきた。『肺に異常陰影あり』とのことだった。ふむ。

小さい頃から呼吸器系の病気に何かしら罹ってきた。小児喘息は高校生くらいまで半年に1回は起こしてたし、小さい頃それで死にかけたこともあったらしいし、今もちょっとしたことで気管支炎出ちゃうし。直近で言えば今年の春には咽頭炎らしきものになった時に久しぶりに死ぬんじゃないかと思うレベルの咳が出たこともあった。煙草を1本も吸ったことがないわりには結構ぼろぼろの肺をしている自覚はある。肺の異常陰影は、硬くなった血管が映り込んだり、毛細血管が重なっていて影に見えたりすることがほとんどらしい。私もきっとそれだろうなと思いながら、一応お盆明けに近所の病院に行った。

再度レントゲンを撮ったところ、「確かにこの辺に影がありますね…」といわれた。あれ?その場でCTを撮ることが決定して、設備のある大きい病院を紹介してもらった。

しかし健康診断で肺の指摘をされて実際CTを撮ることになった人は一定数いるらしい。そのうちほとんどの人が「異常なし」とのことだった。きっと私もそれだろう。だって今元気だし、乾燥した時にちょっと咳き込むくらいで、他は全く咳も出ないし息苦しさもないし。

そんな感じで人生で初めてCTを撮った。大きい機械に身体が入っていって、周りは機械の音がずっとしてて、ちょっとわくわくした。CTを撮ったものの、その結果がいつ返ってくるのか分からず、撮影後数日して近所の病院に電話してみた。「結果はいつごろ聞きにいけばいいですか?」と。そしたら「今空いてるから今来てもらっていいですよ~」と。

軽い気持ちで結果を聞きに行ったら医師から言われたのは「肺のこのへん。これ、わかる?これねー毛細血管じゃなくて、腫瘍ですね」と。えーーーーー?????

肺腫瘍って、たしか95%以上が悪性で、肺がんはがんの中でも最も死亡率が高いって聞いたことあるんですけど、えーーーーーーーーー??????????肺に腫瘍ってマジ???????

さらに悪いことに、場所が心臓に近すぎるから変に細胞を取り出しての検査も出来ないとのこと。頭真っ白。「今から来てもらっていいですよ~」ってノリで来て聞かされる話じゃないだろ。結局、さらに大きい病院を紹介してもらうことになった。

そして最後にこう言われた。「ただ腫瘍の形からして、おそらく良性です。癌細胞っていうのはもっとトゲトゲしてるんだけど、あなたのこれはまん丸でしょ。だから大丈夫だと思う」って。それを先に言って!!!(改めて、大事な話は結論から話す必要を痛感した瞬間でした)

そこから大きい病院で診てもらうまでの数日間、本当に色んなことを考えた。息が出来なくなる苦しさは、これまでの喘息の中でよく知っている。けど喘息を乗り越えられたのは「数時間したら落ち着く」と知っていたからだ。あの苦しさがずっと続くなんてたまったもんじゃない。他にもいろいろ考えた。終活のことを真剣に考えた。「闘病生活が始まるにしても、このお洋服着て出かけたいな」と思いながら服を買って、「辛くてもこの本だけは読みきりたいな」と思いながら本を買った。初めての経験だった。

あと、「大丈夫だよ」と言われてもやっぱり悪いことばかり考えたり調べたりしてしまう。本当に大丈夫じゃないときはそんな素振りを周りに1ミリも出せない。そんな自分も再認識した。

で、結局大きい病院へ。担当してくださったのはかなりベテランの方(ちゃんと調べた)。長い待ち時間を経て、いざ診察室…。

結果は「うん、良性だと思う。自分がこのCT結果だったら安心する。一応時間空けてもう1回検査した方がいいけど、大丈夫です。忘れて生活していいよ」とのこと。あとは1回目の診察の時に言われた内容と大体同じ。形からして良性だろう、とのこと。久し振りに安心しすぎて脚に力が入らなくなって、涙が出そうになった。

健康ってありがたい。ありがたすぎて、そのことを忘れてしまいがちだけど、これほど失いかけた時に不安になるものはない。居なくなってからその有難さを感じるもの、は健康もそうだなと思った。ちゃんと大事にしよう。毎日、もう少しだけ大切に生きよう。飽きてきたとか言ってる場合じゃないんだよ。

 

そんな感じの今日この頃でした。
みなさまも健康診断はびっちり検査してもらってくださいね。

ではまた。

163

5月末くらいから梅雨をやっている。じめじめしたのは苦手だけれど今年はほんのり涼しさもあるのでまだいい。雨の音を聞きながら過ごす時間は結構好きだ。相変わらず夏は一生来なければいいと思う。梅雨、明けてほしくない。ちなみに私は夏が憂鬱すぎて毎年2月くらいからこれからやってくる季節に対して重苦しい気持ちになるが、逆に7月くらいになると秋が見えてくるのでちょっと元気になる(暑さにはずっとやられている)。

職場で同じチームの人が辞めることになってちょっとばたばたしていた。私は退職が当たり前の文化で今までやってきたのでふーん程度だったが、今の職場の人は基本的に辞めない文化なのでその人の退職によってかなり阿鼻驚嘆としていたのでちょっと面白かった。会社辞めるだけでなんでそんな阿鼻驚嘆になるのか私には分からないけれど、その人の退職を受けて泣いている後輩をみて、辞める側の人も、泣けるほど慕えた上司に出会えた後輩も幸せだなあとぼんやり思った。

あまり本とか映画とかに触れられていないのが最近よくないなと思う。ワイスピの最新作は見た。相変わらず最高だった。今の私の人生のエネルギーの根源といっても過言ではない。火薬と暴力からしか得られない元気があるんですわ。

本は、このミス1位の『われら闇より天を見る』と、本屋大賞の『汝、星の如く』を読んでみた。前者は、ミステリとしてはいまいちだけど作者のメッセージが力強くてよかった。ひたすらに薄暗い物語だけど、遠くにはちゃんと灯りがあるような話だった。後者は作者の「凪良ゆう」が受賞したんだな~という印象だった。この方の話、というか言葉遣いは好きなのでいいんだけど、本屋大賞としてはどうなんだろうと思った。あくまで私の感想です。ちなみに近年の本屋大賞なら、『かがみの孤城』が好き。あと去年?の『同志少女よ、敵を撃て』も良かったなあ。最新は久しぶりに誉田哲也に戻ってきた。私が一番最初に好きになった作家さん。原点回帰みたいな感じでちょっとわくわくしている。

というと「なんだかんだ読んでるじゃん」となる気はするけど一時期に比べたら読書量が断然減ってしまっているので、本当になんとかしたい。

先週は以前仕事でお世話になっていたボスと久しぶりにお会いして飲みに行った。やっぱりこの人のこと好きだ~と思えたし、久しぶりに自分の素を出して話せてとても楽しい時間だった。「今の職場、みんな真面目すぎて苦しいんですよね」という話をしたら「この先人足りなくなる予定だから、数年後うちくる?」と言われてかなり喜んだ。数年後だからどうなるか分からないけど、時が来た時に呼んでもらえるよう今の仕事がんばろう、と思った。

6月頭に見た何かの占いに「山羊座は自省する時間を増やせ」と書いてあったので振り返ってみた。たしかに自分を振り返る時間は大切。

それでは、よい休日を。

162

感情の記録。幼馴染が男性になった話。

 

そもそも「幼馴染」っていつからの知り合いを指すのか分からないけれど、あの子は間違いなく幼馴染と呼んでいいだろう。記憶にある一番最初に行った友達の家はあの子の家だ。

社会人になって数年、最後に会ったのはもういつだっけ?時々連絡を取ってはいたけれど、こちらも色々あり連絡を取っていなかったこの数年間に、なんか色々あったらしい。連絡を取らなかったのは単に私も調子が悪かったというのもあるけれど、別に少し連絡取らないくらいで切れる絆ではないと思っていたからだ。そういう理由で連絡を取らない人が沢山いる。まあこれは補足情報なのでどうでもいいんだけど…

学生の時から、いつかそういう日が来るかもしれないなあと思っていた。なので、実際にそう聞いて特に大きな驚きはなかったのだけれど、なんとも形容しがたい感情は残っている。なんだろう、寂しいのかな。数年会っていない友達は何人かいるけれど、大体の姿が想像つく。10年後であっても、めちゃくちゃ痩せたり太ったり別人レベルに整形したりしない限りは何となく想像つくし、多分実際会っても「あの子だ」って分かるだろう。けど性別が変わるとなると何も想像つかない。女性ホルモンがなくなって、もしかしたら男性ホルモン注射を継続的にしてるかもしれなくて、その上に加齢もあって…となると、もう今の姿すらよく分からない。今日何回もFTMした人の写真を見ていたのはきっと、自分の記憶に残っている人と、未来で再会するかもしれない人が、同一人物なのに見た目がまるで別人であることの受容をしようとしていたのだと思う。あと、記憶の中のあの顔はもう面影もないかもしれないという寂しさ。(多分これは人による。何となく面影が残っている人もいたし私にはまったく分からない人もいた)

前述したとおり、いつかそういう日がくるかもな~とは学生時代からうすらぼんやり思っていた。社会に出てみると女は思ったより女であることを求められる(ように感じる)。性自認に全くずれのない私ですら、たまに女であることに息苦しさを感じるので、もしかしたらあの子は結構きついかもなと思っていたし、不謹慎だけどそれが原因で自殺とかになったらどうしようとまで思っていたので、ずっと気に掛けていた。とりあえずそうならなくてよかった~というのが率直な感想。あとこの道を選べてよかったね、すごいねという賞讃と尊敬の気持ちもある。

コロナも明けたしそろそろ会いたいな、連絡しようかなと思っていた矢先の出来事だった。またいつか会えたらいいなと私は本当に思っているけれど、向こうはどう思っているか分からないので一旦遠くから様子を見ていようと思う。半年後でも1年後でも3年後でも、最近どうなの~とか、仕事なにしてんの~とか、あの芸人おもしろいよね~とか、遊びにいくからおすすめのお店連れてってよ~とか、そういう話がしたい。

昔からややこしい界隈にいたのでLGBTQの人とは思春期の頃から時々接していた。なのでそこに対しては「ああそうなんですね」くらいしか思わないのだけれど、幼馴染が性転換したのは初めてで謎の感情が現れたので記録してみた。

学校ではすれ違うときに「よっ」とあいさつするくらいなのに予備校帰りにゲラゲラ笑いながら23時の地元を一緒に歩いた。普通に歩けば10分の道を30分かけて帰ったあの時間は、今もきっとこの先も私の宝物だ。そしてそんなかけがえのない時間をくれた人は私にとってずっとずっと大切な人。また会えますように。しあわせでいてくれることを、遠くから祈ってる。