パンチラ追って知らない街へ

すべて作り話です。

おちゃらかほい

おちゃらか、おちゃらか、おちゃらかほいっ

おちゃらか勝ったよ、おちゃらかほいっ

これはよくふたりで遊んでいた手遊びで、ばーちゃんのことを思い出そうとしたら、すぐにこのメロディが口を衝いて出た。お互いに向き合ってじゃんけんをして、勝ったときと負けたときにポーズを取るゲーム。どうなれば勝敗がつくのかはもう覚えていないけど、ばーちゃんの茶目っけたっぷりにチョケてる姿が子供ながらにおもしろおかしくて何度もせがんでは、そのたび何度もやってくれた。笑い上戸は間違いなく、ばーちゃん譲りのものでしょう。

新緑の生い茂る清々しい5月のはじまり。共働きの両親に代わって、幼い頃たくさん面倒見てくれた父方のばーちゃんが亡くなった。米寿だったそうだ。

本エントリを以て、わたしなりの弔いとする。

ばーちゃんは兎にも角にも明朗快活な女性で、踊りとお琴が得意で、お喋りとお散歩が大好きだった。街に出ればいたる所に友達がいて散歩に出掛けたかと思いきや、近所の公園で「ばーちゃんシンポジウム」が開催されていた。中でも、マブダチのおばあさんとふたりで熱心に会合に興じている様子は、下校途中に何度も見かけた。それは家族間でも同様で、耳の遠いじいちゃんにキレてんのか、テレビに語り掛けているのか分からない調子のまま、絶えずお喋りが止まらなかった。耳の遠いじいちゃんはいつも聞こえていないのか、聞こえていないフリをしてるのか定かではなかったけど、無言のままヘラヘラして、そのたびやっぱり怒られていた。

じーちゃんとは激しい小競り合いばかりで、仲睦まじい姿なんて一度も見たことなかったのに、じーちゃんが亡くなってからすぐにボケ始めたあたり、少なくともあの小競り合いは二人なりの愛あるコミュニケーションで、ボケ防止に一定以上の効果をもたらしていたんだろう。それはそれとして、伴侶を失った途端に老け込む人間はとても多い。

あの元気印で病気知らずのばーちゃんがボケたことは、我が家にとってもそれはまあ一大事で、ガスコンロを消し忘れてあわや大惨事になりかけたり、冷蔵庫いっぱいに詰め込まれた食材がすべて腐っても気が付かなくなってしまったあたりで、ばーちゃんは老人ホームに移ることとなった。我が家に蔓延る往年の争い事が原因で、私のもとには老人ホームで過ごすばーちゃんの情報はほとんど知らされなかった。病気の進行度合いも、暮らしぶりもついぞ分からないまま、コロナ禍の面会禁止を余儀なくされた。

一度だけ、父に見舞いに行きたいと伝えたものの世情的にどうしても難しかった。その時に朝5時から趣味の日本舞踊を披露して、老人ホームのフロアを沸かせているらしいということを知った。朝っぱらからご機嫌で踊る姿が目に浮かんで、ばーちゃんらしさに笑ってしまった。コロナ禍後に様子を尋ねたときにはすでに、意識はなく寝たきりになってしまったときいた。

80歳を過ぎても背骨のひとつも曲がらずに、シャンと背筋を伸ばして歩くばーちゃんの姿しか知らない私にとっては甚だ信じ難く、そのままの記憶でいてほしいあまり、それ以上の詮索はできなかった。知りたくないところは大人たちにお任せして、自分の目の前の日々に集中した。こんなのよくあるたらればだけど、この期に及んでやっぱりあの時、私のことが分からなくたって、意思疎通が叶わなくたって、少しでも会いに行くべきだった。

大切な人を亡くして初めて、もっと施すべきだったと悔やむ気持ち。これはきっと何度経験しても、どれだけ手を尽くしても、満ち足りることはない。受け売りの言葉だけど人がひとり亡くなるのは、大きな辞書がひとつ消えるようなものだという。私は編纂期間88年に及ぶ分厚い辞書を、どれだけ知ることができたんだろう?私と過ごした時間なんて、ほんの数ページ分しかないんだろうな。もっと知りたかった、これに尽きる。

今日斎場で、ばーちゃんの親戚たちから「あなたが自慢のお孫さんね」と声をかけられた。そうですよ、私がばーちゃん自慢の、たったひとりの孫ですよ、と鼻高々にあいさつを交わす。遺影にうつるばーちゃんは、とってもかわいらしい笑顔で、私の知ってるあの頃のばーちゃんそのものでうれしかった。

お焼香の作法がむずかしいうえ、緊張してちゃんとできなかったんだけど、ばーちゃん怒ってないかな。いつもみたいにのけ反って笑っているといいな~。耳の遠いじーちゃんに会えたかな。どうせまたキレてんだろうな。ほっといて踊り始めている頃かな。なんでもいいから、寂しくないといいな。

最後のお坊さんの説法で、人間に生まれ変われる確率の話を聞いた。輪廻転生に関しては、ドラマ「ブラッシュアップライフ」で履修済みである。人間として生を受けること自体が非常に稀であること、奇跡にほどちかいこと、その奇跡に感謝しながら独りよがりにならず、世のため人のために生きていくことの大切さを説いてもらった。

去って行く人から貰ったもののを多さを知るたび、自分はもう与える側に回らなければいけないことに気づく。今まで無条件に頂いてきたものを、同じ分だけ返す機会が、これからもどんどん増えていくんだろう。長く紡がれてきた愛情や優しさの循環を、私で滞らせるわけにはいかない。

部活帰りの私のためによく作ってくれた、味付けが全部ソースの変なオムライス、毎年着せてくれた浴衣、ばーちゃん仕込みの本格的な春駒、手作りのおせち、毎週見てた大好きなのど自慢大会と笑点、一緒にお散歩して飲んだ梅よろし、ばーちゃんにだけは一度も負けたことのないオセロ、別れ際に角を曲がるわたしの姿が見えなくなるまで、両手でいっぱい手を振るすがた。会うたび大きくなったなあ!って背丈を測る嬉しそうな顔、たくさんもらった。ずっと忘れない。

ばーちゃんの自慢の孫は、これからも自慢でいられるよう努めるけど、上手くできないことも多いから、その時は盛大に笑ってもらって、踊りながら行く末を見守っていてほしい。孫の自慢のばーちゃんに、とびっきりの愛をこめて。今までいっぱいありがとう。せっせせーのよいよいよい、おちゃらか、おちゃらか、おちゃらかほい!

 

(撮影:2016年12月28日)

 

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