苦学生の徒然

イタいことしか書きません。

春とかしんどいわー。

外濠公園の桜がすこぶる綺麗なおかげで春というシーズンがちょっと好きになった。ちょうど2年前、市ヶ谷のこの桜をみていた2年前の俺は希望に満ち溢れていたよ。
今年は希望も何もなく、散り始めた桜を眺めながらただただ煙草を吸っています。


揺れ落ちる花びらと、揺れ動く新入生と思わしき子の胸に見惚れながら無意識に腕まくりをしていた自分が情けなく感じた春の昼下がりであった。

分かれ道

とある事業に誘われている。
まさか、まさかこの年でこんな小僧がヘッドハンティングされるなんて、、、

正直な話、突如として現れた人生の分岐点にかなり戸惑っている。今まで得てきたもの全てを犠牲にし、大学を辞めてまでその道に進む価値があるのか。もし成功を収めたとしてその先に幸福はあるのか。一歩踏み出す勇気なんて今の俺には到底ない。

お前はこんなところで燻っているような男じゃない、と言ってくれるのは嬉しいが、それが果たして本音なのか。ただの勧誘の手口なのかもしれない。本当に俺は必要とされている人間なのか。

確かに魅力的な話ではある。彼らは純粋に楽しそうであるし、何よりこれからやろうとしている事業に対して、信じられないくらいマジだ。
俺に暑苦しいまでに語った話は、俺の心を大きく揺さぶった。しかし、その一方で、俺はこの日常が消え去ってしまうことに怯えていた。
こんな葛藤あるか?
 
むっくみんの人生や如何に。

夢に戦場ヶ原ひたぎが出てきた。

決めた。次彼女にする子はショートヘアでツンデレな子にするわ。ツン9割デレ1割くらいがいいな。普段はありえないほど素っ気なくて、ほんとに俺のこと好きなの?てかもう好きどころか嫌いじゃない?とか不安になっちゃって、でも時折見せるデレにキュンとしてそれ思い出して電車とかでニヤニヤしたい。


...そんな子が俺の眼の前に現れる可能性なんて皆無である。夢見てんじゃねーよクソハゲが。

果たして俺の人生に幸せが訪れる時は来るのだろうか...。


そもそも幸せとは突発的なものであり、まるで予測がつかないタイミングで転がりこんでくるものだと俺は思っている。

いつかそんな時が来ると信じて、今はただ慎ましく生きようじゃないか。耐えろ俺。寝ます。

ちっぽけな喫茶店のコーヒー淹れにでもなりたい。

上京してからもう2年が経とうとしている。空虚な、非常に空虚な2年であった。
この2年、俺の生活習慣が規則的になったことは1秒たりとも無かった。酷い時は朝日を夕日と見紛うほどだった。惰眠を貪り尽くし、何をするでも無くダラダラと過ごしてしまった。


いくらキラキラポジティブボーイの俺でも浪費したこの2年を前向きに捉えることができない。本当に俺は何をしていたんだ?


さっきふと、高校の頃を思い出した。
高2の夏休み、稽古をやり終えた俺は、剣道場の外にある水道で頭を洗っていたのだが、剣道場の脇の坂道を、当時死ぬほど好きだった子が通りかかり、声をかけられた。
下半身は剣道着の袴で上半身は裸という格好だった俺は、途端に恥ずかしくなり、精一杯かっこつけて「よぉ。」とだけ言い剣道場に逃げ帰った。

という他愛も無い記憶がフラッシュバックするとともに、急に悲しくなった。

高校を卒業し2年経った今でも、俺は青春時代に囚われすぎているんだろうか。思えば俺の高校時代は、青春以外の何者でも無かった。剣道にも燃え、生徒会にも燃え、恋にも燃えていた。足りないものなんてないくらい青春を謳歌していた。

なのになぜだろう、20歳にもなって俺の心は、未だに青春を欲してる、追い求めている。何かに燃えたいと思っている。

何かに燃えたい。この先の人生を充足できるようなものに。そして2年という、失うには長すぎる時間を埋め合わせられるような何かに。

俺は、一生クソ甘酸っぱい野郎でいたい。

鬱に拍車をかけるチャットモンチー


地獄だ...
ここまで己の人生を悲観するのは初めての経験である。
思えば俺の人生の歯車は大学受験を期に狂い始めていた。どうしても行きたかった第一志望の大学に落ち、親や友人の後押しもあり滑り止めで合格していたMARCHの端くれに進学したはいいものの、登校するモチベーションが微塵も起きず、結果留年。

本心を言うと、浪人したかった。しかしただでさえ親にもうこれ以上苦労させたくなかった故に、浪人したいと面と向かって言い放つ勇気が出なかった。おそらくこれは人生最大の後悔になるだろう。

大学へ入り、受験期に最大発揮できなかったパワーの矛先をこの先の大学生活へ向けようと思ってはいたものの、発揮されたのは己の怠惰さと要領の悪さだけであり、もちろん単位など取れず、昨年は留年という十字架を背負い、大変苦しい1年であった。これ以上のどん底は無いだろうと高を括っていた。

しかし、ここへ来てその更にどん底へと叩き落とされることとなった。
ようやく生活も軌道に乗り、あれほど嫌いであった市ヶ谷の大学も秋学期のテスト期間を経てちょっぴり好きになれた、来季からはマシな大学生活を謳歌できるだろうと期待していたにも関わらずこの仕打ちである。

完全に、人生が詰んだ。いっそ死んで楽になりたい。しかし親より先に子が逝くことほど親不孝なことはない。死にたくとも死ねない。

...と綴ってみたはいいものの、自らを客観視してみると大変馬鹿らしくなってきた。こんなこと言うキャラじゃない俺は。笑

今後の人生の立ち回り方をしっかりと考えてみたいと思います。

ロストヴァージン・はてな

お初にお目にかかります。知る人ぞ知るむっくみんです。どうぞよしなに。


突然だが、俺は感性が豊かすぎなのである。ナイーブな時期の女子並みに。
日々様々な感情を抱くというのは人間誰しもそういうものだと思うんだが、なぜか俺の胸はその日常で湧き上がってくる一つ一つの感情をいちいち過剰に受け止めてしまう節がある。

たとえば晴天の日に外へ出て、空が綺麗なことに過剰に感動するし、人通りの多い道や駅へ行き、その歩きにくさに過剰にストレスを感じてしまうのである。


そんな日々の感動や喜び、ストレスや怒りといった感情をいちいちアウトプットしたくなってしまうのが俺である。何を言おうこのブログをおっ立てたのはそのような様々な感情の吐露が目的である。要は吐け口である。ゲ○をする場所である。🚽である。

そんなんだったらtwitterとかでよくね?と思う人もいるだろう。違うんだよ、聞いて。


確かにそういった心情の吐露はtwitterでも事足りる。しかし、そもそも俺は今現在twitterは完全に情報収集のツールとしてしか使用していない。気になるあの子の動向とかチェックしちゃったりもするが。みんなそうでしょ?笑
そして、たとえば俺がいちいち感じたことをツイートするとしよう。フォロワー諸君は、え?なにこいつツイ廃なの?ってなるのは間違いない。そのような世間体を持たれるのはなんかちょっと嫌なのである。
他にも、FacebookやらInstagramやらLINEやらあるが、Facebookは全くと言っていいほど閲覧しないし、Instagramはそもそも用途が違うし、LINEは嫌い。ということなのである。



つまりはここに行き着き、しばらくはこのブログを根城にしようかと思っている所存である。日常で感じたことを徒然なるままに書き綴っていきたいと思う。

以上。むっくみん。