反俗日記

多方面のジャンルについて探求する。

解題。「赤木圭一郎 霧笛が俺を呼んでいる」昭和35(1960年)⇒「第三の男」のパクリ映画というよりも<第三の男>のストーリー展開やカットを取り込んで何食わぬ顔で当時の日本人の欲求に応じて改ざんしていく逞しさに日本の高度経済成長期の原点をみる想いがする。今必要なのはコレだ。

filmarks.com

引用 W。最初この映画の主題歌。赤木圭一郎の歌の背後に流れるYou Tube動画をみて各シーンのの繋がりが読めなかった。

マドロスの赤木と芦川いづみの恋人年同士にしては何やら訳アリげで関係不明。

吉永小百合は何で登場しているのか赤木を巡る三角関係にしては未成年風で幼過ぎる、しかも入院治療中。

葉山二郎の立ち位置の悪役ははっきりしているが赤木との関係で旧知らしいので座りが悪い。

筋書がかなり込み入っていることだけが解った

予告編を見てとアッ<第三の男>そのものではないか!と。

名画<第3の男>の完全パクリであった。脚本は熊井啓 - Wikipedia

後に高名な監督になる。なかなかやるものだ、とあきれた。日本の熱い日々 謀殺・下山事件 - Wikipedia

⇒W。反俗日記は戦後史を取り上げるときに何かにつけ持ち出し政治事件なので熊井さんの作品展開を入念に追ってみた。三大謀略事件から朝鮮戦争、高度経済成長初期の60年安保までの通史こみで映画化する力業なのだが、一気に映画館の観客に見せることができるのか気になる。先日、反俗日記で東宝争議を調べていたら、三大謀略事件に引っかかるような人物系譜をみつけた。ああいう大掛かりな連続事案を実行できるためには思想的な背景が必要である【「仮説」。通史的に一覧しても漠とした感想しか生まれない。ある方向に流れる水の流れを見た感じしか受け取れない。日本の大方の政治傾向の翼はそいうところにある。時代の流れとか世間が~とか。

それよりも~ということだが、表現は公にし難い。

熊井監督の映画は見たことが無かったが骨のある作品が多数にみえるが、そんなものを映画館やDVDで見るよりも本で読み己の中に杭を打ち込みたい。何で俳優さんたちの顔を見なきゃならないのだ、わざわざ。演技は演技、演出は演出の評価が生まれてしまう。文字の方が無機質でマシ。

興行収入黒部の太陽(1968年。

***

赤木の妹役で出演している吉永小百合だけが<第三の男>にはなかった。売り出し中の吉永のためのとってつけたような役を振っている感がある。予告編に新人とあるが日活出演第4作目らしい。物語の回し役の刑事役は西村 晃 も同じく<ザ、サードマン>の刑事(大佐だ)。

*****

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霧笛が俺を呼んでいる(1960年製作の映画)
 
3.5
#59 芦川いづみ大会
ひさびさに観た。
この頃多かった外国映画の翻案で、これは『第三の男』
薬物問題をじっくり描きたい社会派・熊井啓のシナリオと、『事件記者』テイストの快テンポ映画にしたい山崎徳次郎の演出が、互いにうまく噛み合っておらず、少々、隔靴掻痒。
だが、赤木、芦川、吉永の個性が素晴らしくロケとセットの組み合わせやカメラも見事で、見応えがある。
⇒W.動画の各シーンだけを見ても手が込んでいるのが解る。その時代を象徴する風景が自然に描かれている
@<第三の男>のストーリー展開やカットを取り込んで何食わぬ顔で当時の日本の人々の欲求に応じて改ざんしていく逞しさに日本の高度経済成長期の原点をみる想いがする。だからパクリ映画じゃないか、というだけのWの感想は否定し評価すべきは評価する。
>今必要なのはココだ。
*****
特にタイトルバックからの長回しは圧巻。さすが姫田真佐久~(吉永小百合の代表作「キューポラのある街」1962年撮影~だと思った。吉永小百合も1960年かたら成長した。

訂正。鮎川ではなく<芦川いづみ

W。以下、船好きなので。

1960年当時、コンテナ船は就航していなかった。大型貨物船の船腹YAMASITA LINE。山下汽船所属(大阪商船+三井商船=MOLに山下汽船も加わる⇒今は川崎汽船

K LINE日本郵船もそこに合体してONEに統一

オーシャン ネットワーク エクスプレス ホールディングス - Wikipedia

~連携しなければ、巨大外国船会社に対抗できない。輸送単価が低下しても採算ベースが取れる船の大型化など巨大な固定資本がかかることもある。

**反俗日記は船舶記事の分野がある。海と船が大好き。ロマンがある。**

貨物船が横浜港に入港しているシーン。甲板から上に突き出しているのはハッチ内に貨物を出し入れする大型クレーン。太いワイヤーロープをはってバランスをとって重量物を吊り下げる。積んだ荷は洋上に出たとき大きな揺れに対応できるように専門職がワイヤーや角材を細工し固定する。

W。「第三の男」の巨大な地下下水道のシーンを連想するが「第三の男」は霧笛が~のように直接の殴り合いやピストルの打ち合いは一切ないが霧笛~」以上の緊迫感と不気味で謎めいたシーンが続く。

W.ジョゼフ・コットン - Wikipediaよりも赤木圭一郎

アリダ・ヴァリ - Wikipedia

イタリアの女優さんだったのか。英語が苦手でハリウッドでは成功しなかった、とか。偽ペニシリン密売で障碍者を一杯出しても何食わぬ顔で大儲けし事故死を装ったオーソンウェルズの恋人役だった。そういえば長セリフはほとんどなく神秘的な超美女を最後まで演じ通した。枯葉舞う並木道を遠ざかっていく後姿のラストシーンが有名。

芦川いずみもまけていない。庶民的リアルがある。

「第三の男」の舞台は英米仏ソ分割統治の敗戦オーストリアの首都ウィーン。

原作者のグレアムグリーンはイギリスの結構な作家。大昔、それならと小説のページをめくってみたが無味乾燥なページが続いた。娯楽小説でもなく問題小説でもない中途半端な題材だった。カトリック作家。英軍の諜報部に勤務の経験がある。

アントン・カラスツィター演奏によるテーマ音楽~~~W。日本でもヒットした~~~や、ハリー・ライム役のオーソン・ウェルズの印象深い演技でも知られている。」

遊園地の巨大な観覧車で事故死したはずのハリーライムと再会するシーン。

ココが第1の有名なシーン。観覧車の記念は今でもある、とモノの本で読んだ。

第2の有名なシーンは通りに面した屋根のひさしの下で佇む人影。

下半身は街灯に照らし出されているが、上半身は屋根のひさしの真っ暗な影で覆われ誰だかわからない。

ところが通りがかりの車のヘッドライトがゆっくりと上半身を映し出し最後にライムの顔が浮かび上がる。ライムは旧友のジョセフコットにニヤッとはにかむように苦笑する。

ここから警察隊に追われ逃げ場を失ったライムは下水道のマンホールのふたを開け巨大下水道に逃げ込み、VS警察隊のライムの逃亡劇が始まる。

**日本にはないウィーンの巨大な地下下水道がこの映画の最初で最後の大アクションシーン***ストーリーから自然にみえる巨大下水道の逃亡アクションシーンは映画史上になかった。

考えてなおしてみるとウィーンには日本にはないその手の下水道がある、という確認だけでは、済ませられない何かがあると調べてみた。

*****

映画「第三の男」★「読み比べ」「見比べ」~原作を読む: 千々石(ちぢわ)deその日暮らし~長崎県雲仙市千々石町

引用

「グレアムグリーンは「序」で「先ず物語を書いてからでないと、シナリオを書くこと

は私にはほとんど不可能だ。」と書いていますが、ところが、この物語、「残りあと

三日という時にも、何のストーリーも浮かんでこなかった。」


残り二日目になった時、「イギリスの情報組織の若い将校と昼食を共にする幸運

に恵まれ」その時、「地下警察」の事を知ったのですが、「地下警察」は、いわゆ

る「秘密警察」等の事ではなく、ウィーンの地下には巨大な下水道があります。


当時、戦後下のウィーンは、英、米、仏、ソ連の占領下に分割されていましたが、

「地下警察」とは、文字どうり下水道の中で働く「地下警察」

>下水道は四大国の管理下になく

各国の情報部員は自由に行き来でき

また、ペニシリンの裏取(後、分量を増やすため、混ぜ物を入れ犠牲者が多数でる。)の事を聞き、下道を回りながら、物語の全体像が形をなして来たそうです。

**********だったら、ハリーライム(オーソンウェルズ)はペニシリンの裏取引に使っていた勝手知ったウィーンの治外法権の巨大下水道に逃げ込んだ、のか?*******ただし、街が4つに分割統治されていたら、犯罪者は一方で悪さをしても別の統治下に逃げ込めば手配が遅れるので犯罪がやり易い。国定忠治みたいなものだ。

 しかし、イロイロ文章でなぞるが最後にビデオを借りてみたとき全く退屈な映画にだった。ストーリー展開のテンポが遅い。今想えば前記の情報から練りが足りないでっち上げ作品の感もしてきた。映画全体に謎めいた雰囲気を盛り上げるためにストーリー展開の本道からかずれ横道に逸れた無駄な場面が結構ある。反俗日記程脱線していないが。

英国の映画監督の作品は見慣れていないせいかもしれなかった。

デヴィッド・リーン - Wikipedia

>この監督の「アラビアのロレンス」や「戦場にかける橋」もストーリー本線から逸れた枝話が長い。

 

瓦解と越境〜1960年代日本映画と表現の革新〜(2004-05,未発表) | 実験映像アルシーヴ

   引用 

作家はただ一つのテーマで作品をつくるものではない。人間がただ一つの考えで人生を生きるのではないのと同じように。

ところがおろかな批評者は、作品はただ一つのテーマで貫かれていると思いたがる。(……)私たちは、今私たちが考えていること、生きていることの全てを作品のなかにたたきこみたい。

でなければ、私たちが作品をつくる意味はない。——大島渚1968年

***

ハリウッド映画にない思考だ。小説の世界でも「ユリシーズ」は名作といわれている。

フォークナーの小説も複雑。ほとんどの人は最後まで丹念に読み込めないのでは?しかし小説の腕は凄い、ということだけは分かる。Wは高校2年のとき、フォークナーの生活にあこがれた。

 

①1423夜 『黄禍論とは何か』 ハインツ・ゴルヴィツァー − 松岡正剛の千夜千冊。②グローバル化の進展と国家間の摩擦  木 村 壮 次  

 反俗日記⇒宮本雄二、伊集院**日本経済センター編著「米中分断の虚実~デカップリングとサプライチェーンの政治経済分析~」の序章の注目点をざっと書き出していこうとしてたが、宮本雄二等の視点をそのまま乗せることはできなかった。

しかし深堀するだけの時間がない。そこで問題意識の在りかを示す参考資料を挙げておく。

 

1423夜 『黄禍論とは何か』 ハインツ・ゴルヴィツァー − 松岡正剛の千夜千冊

 W。検索。

黄禍論【こうかろん】

黄色人種が白色人種を凌駕(りょうが)するおそれがあるとする主張。 アジアに対する欧米諸国の侵略,黄色人種の圧迫を正当化するために用いられた。

引用

アーリア主義と優生学と断種政策の旋風が
列強を襲った19世紀末から20世紀初頭にかけて、
中国人と日本人を蔑む黄禍論が大流行した。
黄禍論は中国をして社会主義に、
日本をして皇国主義に走らせたが、
イギリス、アメリカ、ロシア、ドイツも狂わせた。

世界はなぜ民族と人種の偏見の主張に長け、
そのたびに、異様でかつ排外的な同盟関係が
得々として結ばれてきたのだろうか。

 

グローバリズムに新たな対応を
いよいよ表示すべき今日の日本にとって、
この問題は決して古くない。

~~

20世紀初頭の黄禍論こうか(W。イエローペリル英語: Yellow Peril。が世界にまきちらした問題について、簡略に案内しておきたい。

*****

W。dangerriskhazard

 

W、コロナパンデミック⇒日本コロナ渦

どうしてコロナ<渦(か)>になってしまうのだろうか?

 

       (大陸)簡体漢字电晕大流行

                          Diàn yūn dà liúxíng

 W。大昔、日本の語学専門に中国語を習いに行ったら、渡された教科書は中国大陸で戦後、漢字改革をされた簡体漢字だったが教師は台湾系(と自称)だった。熱烈なクリスチャンで日曜日、近所の子供を建売住宅の狭い自宅に集めて日曜学校をやっていた。和やかな雰囲気でわいわいやってしばらくすると、説教壇にたって説教を始めた。説教が進むにしたがって、熱がこもったアジテーションの様な絶叫調になって一緒に招かれた思想右翼の友人とともにキリスト教にはこういう自己陶酔の一面がるのかとあっけにとられた。儒教仏教文化と全然違う。積極性、攻撃性(排他性)、神への個人の昇華一致願望、他者包摂性が根幹にある。

       台湾。繁体字

         (新型冠狀病毒肺炎Xīnxíng guànzhuàng bìngdú fèiyán。)

         略して 新冠肺炎(Xīnguàn fèiyán」

          英語で「COVID-19」

 PC、モバイルの流行らない以前、台湾の人たちは繁体漢字をいちいち書いていたのだろうか。目が悪くなるよね。手書き文章作成にとって非合理そのもの。

入力しても文章は繁体字で出てくる訳だから、結果、義務教育以上は繁体字よりも英語が便利なので使うようになるそれが今の台湾上層のある面で合理的なところに影響を与えているのかも知らない。

 

 いずれにしても中国語の構文の基本形は<英語>と同じ並びで日本語よりも外国人に解りやすい。論理思考、迅速理解に適している。反俗日記で度々指摘しているように、日本語の難解な<理論書>も英語で読めばすんなり理解できて、あっけにとられたことがあった。詩なんかも簡単に韻を踏める。カントリーミュージックのトラデッショナルソングの歌詞もセンテンスの最後に韻を踏むようになっている。それが独特のカントリー調を醸し出している。

 

 それにしても中国発のYou tube動画を視聴していると会話が全部、漢字で構成されている画面表示通りに庶民が日常会話していることになんだか感動する。

日本語のような言葉の陰影、混合性、曖昧性はなく、象形文字そのものが言語になっている。アルファベット圏の言葉と別次元の言語である。

 どうしてコロナ<渦(か)>になってしまうのだろうか?

世界でも稀な天変地異の激烈な日本列島の原住民はコロナ大流行の状況を大災厄、天災のように本能的にとらえる習性が身についている。

黄<禍>論こうかという表現もおかしなものだ。

欧米は<危険 Peril>、まれに最悪でも<脅威>のニュアンスの単語を使用しているわけで、<渦>なとという<論理>の中身がない自然現象や災厄を意味する単語が使用していない。人種差別にも(許せないが)、それなりの手前かっな理屈があった。

あまりにも過敏な被害者意識丸出しの欧米に対する意識構造がそこにある。

それで日本をして皇国主義に走らせた」という極北に至ったのか?

そして今に至ると、米中分断の虚実~デカップリングとサプライチェーンの政治経済分析~の宮本雄二さん、のような自らを省みて他を言う、という視点の希薄な自分の地政学的な立ち位置を無条件で欧米側に位置付け<勝ち馬に乗る>思考方法がまかり通っている。その立場で日本には日本の独自性を追求すべきだ、といっても東アジアの大勢に竿さしていくだけだ。

 

 序章 引用 ⇒ 人間世界経済のは(国民の多数意思、と言い換えてもよい)過去も現在も将来も<愚かのものだ>という認識を大前提に成り立つ議論である。

「世界経済のグローバル化は少なくとも19世紀後半から進んでいる。津町世界経済が一体化の方向に進むのは歴史的流れであり、一時的な逆流はあっても、弱点させることは不可能なのだ。

>資本は最大限の利潤を求めて移動する。

ヒトもモノも技術も、それとともに動く。

>米国の覇権による平和と安定は、資本の、そのような本能的な動きの自由な展開を可能にした。

>これからも経済のグローバリゼーションを前提とし物事は進む。

@もちろん経済のロジックだけで世の中は動かない。

@経済のロジックでは自由競争は正しい(W・経済のロジック?!って何を指しているのか?資本主義経済の産業資本主義段階だけが自由競争だった<資本と賃労働関係、露骨>。資本が巨大化すれば事情が変わってくる)

@しかし、強いものが勝ち、弱いものは負け、

@だいたい敗者が多数となる。

@結果不平等な社会の登場であり、

@敗者である多数者は、今度は政治を通じて経済面の不平等の是正を要求する。

 W。ここから先の政治によって経済不平等を是正をめざす敗者多数者とグローバル経済法則の鬩ぎ合い、とそれを実数は所数はに過ぎないグローバル支配層が排外主義政治を煽り多数派敗者を包摂し、外に政敵を作って国内の経済矛盾を隠蔽していく、リアリズム認識が述べられていく。

引用

@政治のロジックが経済に関与せざる得なくなるのだ。

     ↓     ↓

@米中関係に占める安全保障のロジックがウェイトを増し米ソ冷戦終結以来、久しぶりに経済に関与し始めた。(W政治のロジックのウェイト増加が行き成り安全保障の課題に飛躍するところに注目!⇒高度に発達した資本主義体制は<自由競争>の法則は通用しない、という冷厳な事実を述べているだけだ)

@このように経済以外のロジックも経済に大きく影響するが、経済の運営は経済のロジックに従わなければよい結果を出せない。このことはだれにも分かっている。

@経済を軽視できる政治も安全保障もない。

@経済のグローバリゼーションは経済のロジックの命じるものであり、基本は今後も続くということだ。W。重要な視点が隠されている言説である。安全保障に飛躍させた政治において実損を受けるのは庶民生活であり、労働、命と健康である。相互はトレードオフの関係にある。ロシアウクライナ戦争において困っているの両「国」の庶民と世界の庶民、それと、途上国である。」

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W.今でも通用する過去の見方がある。

1423夜 『黄禍論とは何か』 ハインツ・ゴルヴィツァー − 松岡正剛の千夜千冊

引用

本書はそういう黄禍論の近現代史を、めずらしくコンパクトにまとめた本である。ただし、その観察はあくまでも欧米側からのものなので、今夜はテキストとして本書のほかに、橋川文三の『黄禍物語』(岩波現代文庫)などをところどころとりまぜて案内する。

ヨーロッパ、ロシア、アメリカで19世紀末から20世紀初頭にかけて、ほぼ同時に沸き上がった黄禍論は、中国人と日本人が白色人種に脅威を与えるとする説のことをいう。
 当時、3つの現象が欧米の脅威になっていた。

①安価で忍耐強い黄色の労働力が白人の労働力を凌駕するのではないか。

日本製品の成功が欧米経済に打撃を与えるのではないか。

③黄色人の国々が次々に政治的独立を果たして近代兵器で身をかためるのではないか。
 まるで今日にも通じそうな話だが、黄禍論はそのころのアジアの力が急激に増大してきたことへの過剰な警戒から生まれた。それは中国や日本からすれば黄禍ではなくて「白禍」(ホワイトペリル)というものだった。

 

 日清戦争が勃発した1894年、ジョージ・ナサニエルカーゾンというイギリスの政治家が『極東の諸問題』という本を世に問うた。イギリスこそが世界制覇をめざすというジョンブル魂ムキムキの本で、斯界ではこの手の一級史料になっている。
 カーゾンは、イギリスがこれからは世界政策上でロシアと対立するだろうから、その激突の最前線になる極東アジアについての政治的判断を早くするべきだと主張して、それには中国の勢力をなんとかして減じておくことが必要だと説いた。対策は奇怪だが周到なもので、ロシアを抑えるには中国を先に手籠めにしておくべきで、それには日本を“東洋のイギリス”にして、その日本と中国を戦わせるほうにもっていけば、きっと日本が中国に勝つだろうというものだった。

カーゾンやチロルの期待と予想は当たった。なんと日清戦争で日本が勝ったのだ。
 

しかし、これで問題が広がった。ひょっとしたら中国だけではなく、日本こそが世界の脅威になるのではないか。

 一方、こうした極東状況を横目で見ていた二人の皇帝が、まことに勝手なことに、突然にある邪悪な符牒を示し合わせた。
 有名な話だが、“カイゼル”ことドイツ皇帝ヴィルヘルム2世がロシア皇帝ニコライ2世に手紙を書いて、そこで「黄禍」という言葉を使い、ポンチ絵黄色人種を揶揄ってみせたのだ。「黄色い連中を二人で叩きのめそうよ」というポンチ絵だった。⇒W。黄渦、を意味する単語を使ったのか?現物をみなければすっきりしない。

これが「黄禍」という言葉の誕生の現場だが、むろんこの言葉だけが一人歩きしたのではなかった。実際にも、まずは日本にちょっかいを出して、牽制することにした。ドイツとロシアがフランスを誘って三国干渉に乗り出したのである。

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W。ドイツ皇帝は急台頭するドイツ資本主義に過剰な自信を持ち、東アジアに無理筋な地政学的野望を持った。中国の習近平体制の一路一帯 路線を想起する。

 

ここで事態はアメリカに飛び火する。

W。ここから始まる米国論は傾聴に値する。当たり前のことを言っているだけだが、コレが異論になるところが日本の言論状況。

 

イギリスに始まった優生学アメリカに飛び火して断種政策の拡張になっていったのと同様に、アメリカはしばしばこのように、最後尾から登場してまずは自国の情勢をまとめあげ、ついではあっというまに事態を全世界化してみせるのだ

W。争乱の中心地から隔絶した北米新大陸国家という優位性。規模の経済という優位性がありあっというまに資本の集中集積ができた。未開拓地もあった。

 

すでにアメリカは移民問題に悩んでいた。

アメリカがサラダボウルの国で、どんな移民も受け入れる“自由の国ユナイテッドステート・オブ・アメリカ”だというのは、今も昔も半分でたらめで、アメリカほど移民問題をたくみに国際情勢の天秤目盛として活用してきた国はない

この時代もすでに中国移民のコントロールが問題になっていて、カリフォルニアでは中国移民制限と中国人排斥の気運が高まっていた。

そもそも帝国主義大好きの大統領セオドア・ルーズベルトが、中国人追放には手放しで賛成している始末だったのだ。
 そこへジャパン・パワーの噂が次々に届いてきた。折しも多くの日本人たちがカリフォルニアに次々に移住もしていた。問題はイエロージャップらしいという声が高まってきた。とりあえずルート国務長官と高平駐米公使のあいだで日本人のアメリカ入植を自発的に縮小することにしたのだが、コトはそれではおさまらない。1900年、カリフォルニア州で日本人排除法が提案された。

 

 加えて名門兄弟のヘンリー・アダムズとブルックス・アダムズが『文明と没落の法則』とアメリカ経済の優位』をそれぞれ刊行して、次のようなロジックを提供した。⇒W。米国の<規模の経済>の優位性を認識し金融寡頭制を押しすすめよ、と読み込める。結果、第1次世界大戦を通じて、1929年大恐慌時の米国工業生産値は世界の約半分を占めていた。ワイマール共和国への米国投資は一斉に引き上げられ、ヒットラー国家社会主義独裁の経済基盤を作った、と言って過言ではない。


 ①文明化するとはすべてを集権化することだ

②集権化とはすべてを合理化することだ

③集権化と合理化を進めれば欧米の品物よりもアジアの品物のほうが安くなる。④世界は集権化と合理化に向かっている

⑤だからアジアが生き残り、これに気が付かないヨーロッパは滅びるにちがいない。

アメリカはここから脱出しなければならない。

 

ところが、そこへおこったのが、またまた世界中を驚かせた日本による日露戦争勝利だったのである。驚きばかりではない。イギリスがちゃっかり日英同盟を結んでいたことは、アメリカには癪のタネとなった。
 1905年にカリフォルニアに反日暴動がおこり、アメリカはロシアに勝った日本と反日の対象となった日本とをどうあつかうかという二面工作を迫られた。その工作がポーツマス条約に対するアメリカの斡旋というかっこうをとらせた

 

 しかしむろんのこと、アメリカはこのまま日本をほうっておくつもりはない。血気さかんな将軍ホーマー・リーはさっそく悪名高い『日米必戦論』と『アングロサクソンの時代』を書き、これからはロシアはきっと中国と手を結ぶだろうから、アングロサクソン連合としては中国と同盟を結び、

@将来における日米決戦に備えておかなくてはならないと“予言”した。

ドイツはどうか。

アウグスト・ベーベルは中国に莫大な地下資源が眠っている以上、ドイツはこれを取りに行く列強との競争で遅れをとってはならないと警告し、フランツ・メーリングは中国や日本の脅威を防ぐには、もはやかれらの資本主義の力を社会主義に転じさせるしかないだろうと弱音を吐いた。
 しかしドイツの黄禍論が他の列強と異なっていたのは、やはりそこに反ユダヤ主義がまじっていったことだった。

アウグスト・ベーベル - Wikipedia

「1891年、フリードリヒ・エンゲルスカール・カウツキーらとともにエルフルト綱領の確立に尽力。

1890年代末、党内で修正主義論争が起こるが、1903年ドレスデン党大会で、ベーベル、カール・カウツキーらのいわゆるマルクス主義中間派が主導権を確立。

1893年から死に至るまでドイツ社会民主党SPD)の党幹部会議長を務め、帝国議会の議員も務めた。また、第二インターナショナルにおいても指導的役割を果たした。」

『プロレタリア革命と背教者カウツキー』 とは、1918年に出版されたレーニンの著作。同じ年に出版されたカール・カウツキーの著作『プロレタリアートの独裁』によるボリシェヴィキ批判に反論した。

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「ル・ガトゥ・チノイス」(中国の分割)(1899)
左よりドイツ皇帝ヴィルヘルム2世、フランス大統領ルーベ、
ロシア皇帝ニコライ2世、日本の明治天皇アメリカ大統領T=ルーズヴェルト
イギリス国王エドワード7世。

では、ここまであれこれのイジメを受けた日本はどうだったのかというと、黄禍論は当然、明治の日本にも衝撃を与えた。

漱石が『それから』の代助に言わせたセリフ、

「なぜ働かないって、そりゃ僕が悪いんじゃない。日本対西洋の関係がダメだから働かないんだ。第一、日本ほど借金をかかえて貧乏震いをしている国はありゃしない。この借金が君、いつになったら返せると思うか。そりゃ外債くらいは返せるだろう。そればかりが借金じゃありゃしない。日本は西洋から借金でもしなければ、到底たちいかない国なんだ。それでいて一等国を以て任じている。無理にでも一等国の仲間入りをしようとする。だから、あらゆる方面に向かって奥行を削って、一等国だけの間口を張っちまった。なまじ張れるから、なお悲惨なんだ」。⇒W。今の中国にもこういう中身と外面の乖離がある。一路一帯に励むよりも国内にやることがある。足元をすくわれる。

 

 田口卯吉のように黄禍に対抗するあまり、敵のロジックをむりに日本にあてはめた例もある。田口は『日本人種論』『破黄禍論』においてなんと「日本人=アーリア人」説を説いたのだ。

橋川文三は、日本に「国体」論が浮上し、天皇唯一主義が受け入れやすくなったのも、また孫文に代表される大アジア主義が流行して日本の国粋主義者がこれに大同団結しようとしたのも、どこかで黄禍論に対する反発がはたらいていたにちがいないと見た。この見方、いまこそ肝に銘じておくべき見方であろう。」

   引用終わり

 死刑台から教壇へ~私が体験した韓国現代史~康宗憲~

「民族とは何だろう?

民族性をどう定義すればよいのだろうか?

ヒトによって、さまざまな定義が可能でしょうが、当時の私は民族を構成する要素として次の3点を考えました。

 一つは言語であり次に歴史文化

>もっとも重視したのは民衆の視点とその生き方です。

「民衆」は国民とは違うニュアンスで使われます。

大統領や高位官僚、一流企業の経営者たちも国民の中に入りますが、民衆とは呼べません。

「民衆」ということばには、現在の大勢と権力から苦痛や抑圧を受けている人々といった意味が込められています。

 民衆がどのように暮らしているのか。

何に苦しみ、何を望み、どんな社会を夢みているのか。

そして新しい社会を築くために、どのような運動と戦いを続けているのか。

これらのことは民衆の中に身を置き共に生活してこそ初めて体験できることでしょう。

民族性を構成する要素と自ら考えているもののうちどれ一つ共有できていない私は民衆の中に身を置き共に生活してこそ初めて体感していくしかありません。そのために最も適切で有効な方法は祖国で学ぶことだったのです。」⇒W。在日韓国朝鮮人の韓国大学留学時の決意だが、あの時代を戦ったものの空気感も影響している。

高校の世界史、日本史の歴史教科書に民衆がいないことに疑問をもって人類の歴史から世界史の全集を読破したが歴史には興味を失った。当時の私に言わせると、その程度の総論はあり得ない、インチキ臭いものにうつった。だから、やたらと記憶に頼る問題が出る。

その点<地理>には抵抗感はなかった。実存に近い。体制に反抗する世界を文学でしった。

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グローバル化の進展と国家間の摩擦  木 村 壮 次    

     第2章 経済発展と経済摩擦
  1.自由貿易をベースに発展した日本

戦争遂行能力を断ち,日本の経済力を弱体化させることを意図したものであり,賠償取りたて計画も極めて苛酷なものであった。
その一方で,後々の日本経済の発展に重要な影響を及ぼしたものもあった。いわゆる財閥解体,農地解放,労働民主化などの経済民主化政策である。

その後アメリカは対ソ連という世界戦略の必要性から日本の発展のために強力なバックアップを果たした。

1952年の世界銀行IMF加盟,55年のガット加入,56年の国連加盟,64年の OECD 加盟といった国際機関へ参加できたのはアメリカの支援があったためである。
戦後のアメリカは強大な生産力と競争力を持ち,企業は供給先として海外の市場を必要としていた。
当時のアメリカには輸出可能な工業製品と農産物が大量にあり,他方,ヨーロッパ諸国は戦争により経済は大きな打撃を受けていたため,アメリカからの物資が国民生活の安定にとって不可欠であった。
こうした状況の中で,自由貿易アメリカ経済の発展を支えると同時に,多くの国々の経済復興に大きな役割を果たした。

日本は資源・エネルギー,食料を自給できる領土はなく,多くの生産手段も失われる等大きなハンディキャップを負って経済再建に取り組まざるをえなかった。

 そうしたなかでの自由主義国家アメリカの世界戦略は,日本にとって最も望ましいものであった。
>日本は貿易を最大限に利用して経済再建を達成するため,
>政府による民間部門への行政指導を含め様々な関与を行った。
>それらは,当時の通産省による輸出振興を基本とする産業政策であり,大蔵省による関税政策や金融機関の保護であった。
@このように,戦後間もない時期の日本の経済政策は,
@海外の競争相手から自国の産業等を保護することを主眼とした。

>この点は,同じ敗戦国のドイツの経済発展形態とは異なっていた。
。ドイツは国家が東西に分断され,豊かな農地と天然資源の大部分は共産圏の東ドイツの領土となった
>一方,西ドイツは自由貿易を推進し貿易立国として発展しようとした。
>関税を低く保ち,早くから外国との競争に向かい,輸出志向の戦略をとったのである。
>この日独の政策指向の違いが,西ドイツにおいては目だった貿易摩擦がなく,
>日本では頻発することになった大きな要因となった。

 

 現在の論調は日本が全て丸抱え的に産業を保護してきたと言われているが,それは規制緩和構造改革を推進する“ためにした”議論である
>むしろ国内においては,かなり激しい競争が繰り広げられたといってよい。
国内での競争は,技術革新,新しい製品,高品質の製品,安い製品の開発といった面で激しく行われた。

>この国内での激しい競争が,後に国際的な競争力を強化し,輸出を増加させたのである。

  

  2.80年代に逆転した日米の経済力
1971年には戦後初めて貿易収支は赤字に転落するとい
う事態に陥った。こうした事態を受けニクソン大統領は新経済政策を発表し,賃金と物価の一時凍結のインフレ抑制,雇用の創造,ドル防衛のためのドルと金の交換性の停止,10%の輸入課徴金導入を行った。いわゆる「ニクソン・ショックである。このように,アメリカの競争力が低下していった
 政治的に大きな問題とはならなかったものを含めれば,日米間の貿易摩擦は,すでに第二次大戦直後の時期からあった。初期の段階における摩擦は,もっぱらアメリカの「斜陽産業」商品をめぐってのものだった。

玩具などの雑貨製品は日本との賃金格差のため競争に敗れた。

繊維の「1ドル・ブラウス」事件も摩擦の現れであった。

労働集約型のこの種の商品の貿易摩擦は,経済の発展段階が異なる国においては不可避的な現象で,現在の米中間の繊維をめぐる経済摩擦もその一つである。
>米中間の経済摩擦はこれから本格化する経済摩擦の序の口に過ぎないのである。

 

78年から80年代始めにかけての時期である。この時期の摩擦は,鉄鋼,自動車といったこれまでアメリカ経済の繁栄を支えていたシンボル的な主要産業であった
第3期は85年以降から現在に至るもので,対象となった品目,業種は,ハイテク品目,金融,サービスであった。

>さらに一向に対日輸出が伸びないアメリカは日本に対して規制緩和構造改革を要求
するに至った。ちなみに85年は,アメリカの貿易赤字が1千億ドルを超えただけでなく,
@それまでの世界最大の債権国の地位を日本に譲り,逆に債務国に転落した年,プラザ合意によってドル高政策を放棄した年である。

   

   3.20世紀の日米間の経済摩擦
>経済学的な議論として,貿易赤字,特に二国間の貿易赤字を問題にするのは間違いであり,
>それらは多国間の間でみるべきものである。

@しかし現実は,日米,米中の摩擦問題がしばしば見られたように,理論で単純に処理しきれるものではない。

>現在のアメリカにとっての最大の経済摩擦は中国であるが,
覇権国家としてのアメリカがどのように摩擦を処理していくか,
>後述するようにグローバル化が著しく進展し,
@企業内貿易が高まった現在かつての日本との摩擦とはかなり異なった対応がなされよう。

   
    ⑴ 鉄鋼摩擦 ―鉄は国家なり―
アメリカは自由主義的経済学者の言い分を鵜呑みにし過ぎたツケが来たにすぎないと言えよう。「鉄は国家なり」といわれたほど,鉄は歴史的に重要な商品であったし,現在も主要国はいずれも鉄鋼業を保持している。このように重要商品において,アメリカが国際競争力を失うような事となった意味は,雇用問題にとどまらず,防衛産業に置ける国内からの基礎的な資材の供給という安全保障の点からして,もっと深刻に認識されてしかるべきであったと考えられる。

エズラ・F・ボーゲルは
アメリカ鉄鋼産業の衰退について「日本の巨大な一貫製鉄所に大きく水をあけられることが明らかになったとき,アメリカの鉄鋼業がしたことは鉄鋼業以外の分野に投資を拡散し,工場を閉鎖し,労働者を削減することであった。企業の論理からすれば,このような対応は合理的なものであったかもしれない。企業そのものは生き残ることができたのである。しかし,このような経営は,長期的な観点から,労働者の利益にもアメリカの国益にもかなうものではない」と述べている。

   半導体摩擦 -安全保障問題―

鉄鋼は安全保障にかかわる商品として位置づけられたが,より明確に安全保障上に関わった摩擦としては半導体があった。
国防総省半導体などの共同研究開発に資金を提供してもこれを“産業政策”とみ
なさないことである。従来,表立った産業政策は政府による干渉を排した自由競争主義の伝統が強いアメリカでは許容できない政策で,とりわけ共和党政権ではこの傾向が強かった。この批判を回避するために,この資金供給を安全保障政策と位置づけたのであろう。民間分野の半導体技術はハイテク兵器開発の基礎を提供するものであり,その先端技術を海外に依存することによって生じる安全保障上の危険性が重要視されたからである。そして,アメリカの半導体産業を活性化させるための政策提言を行い,官民共同研究開発組合のセマテックの設立がなされたのである。

>国際分業は,日本の先端技術産業の優位によってひびが入り,
アメリカの世界的優位の根幹が損なわれ始めた。
>こうした事態は,覇権国アメリカに対する日本の挑戦と捉える風潮を醸し出し,
>国防産業という名の産業政策が遂行され,アメリカハイテク産業の復活が可能となったと言える。

@逆に日本の半導体インテルに依存するという凋落を招き現在に至っている。
@ちなみに,現在の日本はそれまで重視してきた“産業政策”を自由主義に反するとして,
アメリカ政府と日本の経済学者等から批判され放棄してしまう愚かを行っている


  ⑶ 自動車摩擦 ―戦後最大の日米危機―
最終的に日米政府は,自由貿易を守るための輸出の自主規制という,経済学ではありえない変則な形でこの問題に決着を図った。この妥協の背景には,日本は覇権国として圧倒的なパワーを保持しているアメリカとの友好関係を維持していくことが国際社会で生きていくには不可欠である,日本の安全保障はアメリカに委ねているとの配慮が影響していたと考えられる。
この自主規制が行われていた間,米国の景気が回復に転じ,自動車メーカーは業績が急回復し,ビッグスリーは83年,84年と連続して史上最高の収益を上げ経営のトップが巨額のボーナスを得て話題となった。また日本の自動車メーカーも,需要超過による価格の上昇によって収益を増大させる恩恵を享受した。その後アメリカの自動車メーカーは,日本の部品調達システムの導入や厳しいリストラ等の体質改善を行い,アメリカの好景気にも支えられて持ち直した。また,日本は摩擦を回避するために現地生産を拡大させていた。

    

    第3章 21世紀の摩擦 ― 文化摩擦 ―
グローバル化の進展で,経済学的な摩擦は複雑な状況となっている。それは,本社と海外拠点との間の取引である「企業内貿易」の比重が大きくなってきたためである。

 @経済産業省によれば,03年度には日本の輸出の32%,輸入の17%が同一企業内の貿易取引で,企業内貿易は差し引き10兆1千億の黒字という。
@これに対して,普通の貿易では日本の黒字は1兆1千憶円止まりである
@近年,企業のブランドが競争力のカギを握っているのは間違いない。
つまり,トヨタ,ホンダ,ソニーの製品ということで売れ行きに大きく影響する。

逆に,どこの国で
@生産したかという点はあまり気にされなくなっているただ,日本人は産地を気にする人が多い)。
@例えば日本から部品を輸出し,中国の生産拠点で製品を組み立てる揚合,製品には「メード・イン・チャイナ(中国製品)」のレッテルが張られる。
>その分,「日本製品」が目立たなくなった。つまり企業内貿易が増すにつれて,

  貿易問題で日本への風当たりは小さくなるのである 
  中国の日系現地法人はその典型である。

03年の中国の日系企業の売上高の26%は米国など第三国向けの輸出で,30%が日本向けの逆輸出と言われている。

@貿易統計上,現地法人からの対米輸出では「中国製」となるため,日米ではなく,米中間の貿易摩擦の要因になっている。

    

 こうした企業内貿易はもちろん米国のグローバル企業でも活発に行なわれている。
米議会は対中貿易赤字をやり玉に挙げるが,
@中国に生産拠点を置く米企業の企業内貿易が相当含まれているから,20世紀的な対処方針では立ち行かなくなっている。

   

   2.経済学の限界

前回の日米自動車摩擦で,経済学からはでてこない解決策によって救われたアメリビッグスリーは05年に再び苦境に立たされ,日本メーカーの対応が注目されている。今回の問題はアメリカの世界最大の自動車メーカー,ゼネラル・モーターズGM)が大規模な人員削減や工場閉鎖,販売系列の合理化などを行っているが,市場アナリストはそれでは手ぬるいとし,GM,フォードは長期信用格付けを投機的水準に落とした。

GM が追い込まれた一つの要因は,レガシー・コストがあると言われている
>レガシー・コストというのは,過去の遺産がそのまま費用になってしまうということだが,GM で現在働いている人,及び退職者は110万人も存在する。これらの人々への年金や医療費の負担があるが,GM の負債総額は日本円にして30兆円を上回る負債ということで,経営が不安定化するところまできている。

@こうした事態に対応して,トヨタ,日産,ホンダは値上げを表明し,経済学・経営学のテキストでは決して教えていない正反対の手段によって貿易摩擦を回避する手を打っている。
アメリカでこれ以上販売のシェアを拡大をすれば摩擦が激化するとの考えからである。
アメリカ文化の象徴である自動車のメーカーの経営危機だけに,単なる経済摩擦と片付けるわけにはいかない


アメリカの産業構造はいまや製造業から IT・ネツト産業に急激にシフトしているのである。日本の自動車がアメリカ市場でビッグスリーの座を脅かしていることはよく知られているが,アメリカ人からすれば「今さら自動車産業アメリカ経済を引っ張っていくなどという発想は古いよ」


しかし,グーグルの時価総額ではビッグスリーを上回っているが,
@そこで働く人数はビッグスリーの100分の1にも満たない3000人程度にしか過ぎないという点が抜け落ちている(W相当古い数字)。また,文化が貧弱なアメリカだからこそ自動車を文化産業として守ろうとする可能性は大きい。また,この理由はならば,経済学者以外の人々はそれを当然良しとするかもしれない。

 

さて,現実の社会では教科書が教えてきたように自由貿易がすべての国々を利するわけでない。だからグローバリゼーションの流れを否定的に論じる者は,
@グローバリゼーションが進展する過程において,
@優勝劣敗の世界をつくりだし一部の先進工業諸国の富裕層のみが巨富を手にする一方,
@大多数の者は貧困に追いやられる。まして発展途上諸国は取り残される。
@さらにグローバリゼーションは,文化の多様性を侵食し国家間の不平等を広げ,貧困化を助長しているなどと主張している。

確かにその点は無視してはいけない議論で問題点は是正していく必要がある。

しかし,日本においては,グローバリゼーションの流れは文化の優劣を決める動きと受け止め,良き日本文化を世界に広める絶好の機会という前向きの意識に立つことも必要であろう。


  4.グローバル化の中の日本文化の保守
グローバリゼーションの文化的側面を見ると,マクドナルド,ハリウッド映画,出版,CNN などアメリカの強さが目立つ。こうしたなかで,ヨーロッパで“文化”の危機感が強まっているとのことだ。例えばパリで05年5月に,欧州各地から約5百人の文化人,有識者,政府関係者が参集し「このままでは欧州は米国文化に席捲(せっけん)されるばかりである,いかに欧州文化を守るか」について議論が戦わされたという。
この新聞記事によれば,同様の会議は04年に開かれ,今後もブダペストなどでの開催が決まっている。会議を主導してきたのは文化の国フランスであったが,賛同する国が増えてきたとのことである。
パリでの会議での発表やユネスコによると,
>近年の欧州の映画市場の72%はハリウッド映画。欧州映画は26%にとどまっており,
>フランスでは米国映画が5割を超え,ヨーロッパのテレビで放送される
>ドラマも5割がアメリカ製という。
>また世界の上位10位に入るベストセラー小説のうち9作品が英語による作品だそうだ。
>フランスはこのため,欧州域内での文化政策の意思統一を進める一方で,ユネスコで映像や演劇など文化財・サービスを自由貿易原則の適用除外とする条約作りに精を出しているという。

かく日本は官民一体となって輸出に励んだのは間違いない。まず繊維や船舶のような労働集約型の製品であった。」

           引用終わり 古い資料による議論であるが、米中分離の現在と将来はかつての父米経済摩擦のなかにもあったとしり、相対化すること必要である。政治宣伝と実体の差異を確認すべきである。ただし、中国は日本のように米国と取引できる障害がある。その1.ナショナリズム。その2.共産党の体制と政治思想。

米国側の動態はグローバル金融寡頭制の本能とでもいうべきものであり、それ自身の内側に侵略性、攻撃性を持っている。それは政策選択できる筋合いのものではない。

認知症の介護者は中吊りになっているような感覚である。論文紹介。

  在宅の認知症患者を介護する家族の予期悲嘆 廣瀬 春次
 
 本研究は,痴呆患者を在宅介護している家族の<非死喪失>W?,
<介護サポート>それに<予期悲嘆>W?の各尺度間の関係を検討した。
144人の痴呆の家族介護者に健康尺度を含む4種類の質問紙を配布した。
+++++++++++++++++
 
   用語の定義
.非死喪失(non-death loss) W。キャラ喪失、日常生活悪化
身内が認知症になることに伴う,身内や介護者自身の大切な特性や状態のネガティブな変化を非死喪失と定義する。
 
.予期悲嘆(anticipatory grief)W。過去現在将来の立脚点の喪失(時間喪失) 
家族は,死という最終的な喪失ばかりでなく,過去と現在の喪失や将来の夢・希望の喪失を体験している。
 
3.介護サポート(care support) W。プロ介護 
家族介護者に対する介護に関わるソーシャルサポートを介護サポートと呼ぶ。
本研究では,サポートの概念を拡張 し,ネガティブなサポートを含ませている。
+++++++++++++++++

~省略~W。分類的すぎる。

+++++++++++++++++

  現在の医 学技術の進歩は,診断されてから死に至るまでの期間を長く曖昧なものにしている。
この間,家族は,身内の症状の 小康と悪化に直面し,介護をめぐる患者や親族との葛藤に 苦しみ,自身の健康と自由を失うなど,様々な複合的喪失 および喪失に関わる葛藤を経験する。

認知症患者の家族介護者の予期悲嘆(W。過去現在将来の立脚点の喪失(時間喪失)~立つ瀬がない状態~中吊り状態)は,~その内容はあまり 明らかにされていない。
負担と負担軽減に焦点を当てた研究に比べ
認知症患者の家族介護者の予期悲嘆は, 現在まで見過ごされてきた研究・実践領域である。
*実際 に,認知症が進むと患者はもはや家族の顔や名前もわから なくなり,次第に見知らぬ関係になっていき家族はも はや身内を死んでしまったように感じる。,←W。介護環境が整っていれば介護負担軽減という逆説もあり得る。
認知症患者の 家族は,最終的な喪失である死が訪れる前から,既に様々 な喪失を体験してしまっている,又は体験しつつあると考 えられる。

家族介護者は介護の結果, 友人をはじめとする社会との接触が減る傾向にあるが,

>家 族介護者自身それに医療者や福祉従事者も孤立化を防ぐ支 援の必要性を十分に認識していないと述べている。

   介護役割を取ることで断 念したこと
社会的・娯楽的交流 の喪失,人生の出来事のコントロールの喪失,健康の喪失,職業の喪失

   広範囲にわたる悲嘆次元の 評価
病気にな る前に認知症患者との愛情の結びつきのあった家族介護 者は,少ない悲嘆症状を示すことを見いだした。←W。短期記憶は飛ぶが長期記憶は残る。 

   ↑

W。青山光二。2003年、90歳で、私小説「吾妹子哀し」川端康成文学賞を受賞、異能作家の受賞で世間を驚かせた。未読。

安岡章太郎「海辺の光景」の元陸軍将校の父の妻介護

<5つを下位尺度とする悲嘆段階尺度> W。また形而的分類だな。学者さんらしい。
  *予期悲嘆の段階としてTeusink & Mahler16)が 提唱した「否認」, 「過剰関与」, 「怒り」, 「罪悪感」 , 「受容」

********************

   W。もっと分かり易い介護者の精神状態の段階説明はある

 認知症全国オレンジキャラバン教科書より引用

   9 認知症介護をしている家族の気持ちを理解する

第1ステップ   戸惑い、否定

異常な言動に戸惑い、否定しようとする。他の家族に打ち明けられず悩む。

第2ステップ   混乱、怒り、拒絶

認知症への理解の不十分さからどう対処してよいかわからず混乱し、些細なことにはらをたてたり叱ったりする。

精神的、身体的に疲労困憊、拒絶感、絶望感に陥りやすい最もつらい時期。

 家族だけで問題を抱え込ま無段階ではありません。←ここまでは正解。

>医療や福祉の相談窓口を訪ね診察を受け、介護サービスを利用すれば、認知症への理解が徐々に進み、諸症状への対応方法も分かってきます。←W。それで何とかなったらよいのだが、現実は全く違っている。

  第3ステップ  割り切り

怒ったりイライラしても何のメリットもないと思い始め、割り切るようになる時期。

症状は同じでも介護者にとっても「問題」としては軽くなる。←W。認知症の特徴は不可逆な進行性

様々な情報や経験によって、次第に認知症介護に精通してきます。医療や福祉、地域社会から歴刹那炎上協力を得られれば在宅でも十分やっていけるという気持ちに変化し始めるのもこの時期です。←W。制度側に地域社会の協力(視野に入れると仕事が面倒になるのが実情)がリアルに位置づけられていない。啓蒙や家族介護におんぶ抱っこ状態。

>ここで再び混乱してしまうと、

>第2ステップに逆戻りしかねません。落ち着いた対応が必要です

W。オレンジキャラバンの講座担当講師(若手、自宅でデイサービス運営)は自分の認知症の母親介護はこの段階だと漏らしていたのが強く印象に残っている。

だったら、原理原則の確認もさることながら、認知症介護の現実の即した講義が必要だろう。もっと介護現場に即した基本理念と応用編の教科書が作成されてよいはずだ

  第4ステップ 

認知症に対する理解が深まって認知症の人の心理を介護者自身が考えなくても分かるまでになる。W。理解が深まって→考えなくても分かるまでになる!自分には神がかっているとしか言いようがないが。

認知症である家族のあるがままを受け入れられるようになる時期

W。施設という環境を前提とした介護理念じゃないのか?在宅介護でこんな理念を目標として掲げていたら現実に打ちのめされて挫折感はひどくなるばかりだ。その場の洞察力のない対応は後で反省するしかないが、洞察力は原理論や理念終始の環からは即生まれない。

               以上引用終わり

********************

>強い悲嘆や後悔,それに怒りを示す介護者が心身の問題や施設入所希望を持つことを見いだした。←W。この辺は葛藤があってあたりじゃないのか?
W。こういう状態の介護者の在り方は一般的ではないのか。であるとするなら理想形を示すよりも現状肯定系の糸口を見出す考え方や対処技術を提示する方が当人たちの救いとなる。

「喪失に対する肯定的・適応的反応を含めた 多次元的な尺度は開発されていない」←W。課題の設定の仕方が間違っているのだから答えも出ない。
+++++++++++++++++

本研究の目的の 一つは,悲嘆を喪失への適応反応としてとらえ,
予期悲嘆 のポジティブな側面とネガティブな側面を含む尺度を構 成することである。

W。結論的に言えばポジティブな側面の抽出に失敗している。しかしそれも無理はない。希少種を取り出してひな型にするわけにもいくまい。

認知症介護はもともとできる人と無理な人があるが、無理だからといってやらない訳に行かない場合が多すぎる。

であればどうすべきかという具体的な教えが表面に出ていない。ただし、理念も様々な制約によって現実をすくいとったものでない。

 

  1)非死喪失:家族介護者の非死喪失に関する話,
        
        在宅の認知症患者を介護する家族の予期悲嘆
  表1 非死喪失の各項目と反応数
W。目立った項目
  能力の喪失                     はい。  いいえ。   
痴呆になった身内があなたとの大切な思い出を忘れてしまった←W。短期記憶削除、長期記憶保持が認知症の特徴。             40(27.8%)102(70.8%) 
* 病気にな る前に認知症患者との愛情の結びつきのあった家族介護 者は,少ない悲嘆症状を示すことを見いだした←W。青山光二の小説。未読。安岡章太郎「海辺の光景」の元陸軍将校の父の妻介護。

痴呆になった身内のかつての優れた能力がなくなった    127(88.2) 16(11.1)
痴呆になった身内のかつての魅力的な性格がなくなった   92(63.9) 50(34.7)

  家族のきずなの喪失
W。模範的回答多し。環境によるものといえよう。一般はもっと絆喪失。

  自己の機会の喪失                 はい  いいえ 
>あなた自身の自由な時間がなくなった          75(52.1) 66(45.8) W。時間的な制約が多い、と一括できる。
あなた自身,友人との会話や趣味を楽しむことがなくなった 49(34.0) 94(65.3)
あなた自身の夢を実現できる可能性がなくなった      52(36.1) 87(60.4)
あなたは介護のために仕事を辞めなければならなかった   35(24.3) 102(70.8)
 
  同一性の喪失  W。介護環境や主観の入り込む余地のない厳然たる事実。
痴呆になった身内はあなたが誰であるか分からなくなった  42(29.2) 98(68.1)
痴呆になった身内は自分が誰なのか分からなくなった    43(29.9) 99(68.8)    

      Ⅲ.結  果
 1.対象者の属性

  144人(女性119人,男性25人(W。増加))を分析対象とし た。

 >家族介護者の平均年齢は59.80歳(範囲27歳~85歳), W。痴呆(Wはその呼称でOKの立場)という呼称でもわかるように10年ぐらい前の調査で、今では双方の年齢はもっと上。
>被介護者である認知症患者の平均年齢は81.78歳(範囲55 歳~99歳),介護期間の平均は4.1年(範囲1年~40年) であった。家族介護者の39%(56人)が仕事を持っていた。 被介護者と介護者の続柄は,子供が54人,嫁が50人(現在は減っている),配偶 者が35人(妻20,夫15)現在は増加,その他5人であった。

       

   2.非死喪失及び介護サポートの反応傾向と予期悲嘆の因 子構造 

W。プラス因子は第2因子の*「成就感」第3因子の*「感謝」だけなのだが、

>第7因子*「諦め」は認知症が不条理性を持つ症状なのだからあまりにも人間的な境地として重要視してよい。不条理と不幸は次元が違うとWは考える

*第1因子 は家族介護者の被介護者への否定的な見方や介護意欲の減 退,更に孤独感を反映しているため
*「嫌気と孤独」と命名 した,
第2因子は今までやってきたことの満足感や将来での達成感を表しているので
「成就感」
第3因子は周り の人達への感謝の項目を含むので
「感謝」
第4因子は身 内が認知症であることを認知的に受け入れられない状況を 示しているので
「否認」,W.啓蒙の結果、コレは減少している。
第5因子は今までの自分の関わ り方を反省しており
「後悔」
第6因子は過剰 に認知症患者の介護に関与していることから
「過剰関与」
第7因子は認知症患者への期待を取り下げようとしている 点で
「諦め」命名した。
   

   3 予期悲嘆の各因子と非死喪失及び介護サポートの各カテゴリーとの相関

>「成就 感」と「感謝」ともに,喪失体験に新たな肯定的価値を付 与する意味探求のプロセスである。
>即ち,「成就感」は困 難な状況を乗り越える自信や統制感であり,
>「感謝」は自分が支えられていることの気づきや他者への思いやりであ る。

家族としての認知症の身内 への期待の大きい家族成員ほど認知症による喪失は大きな悲しみを伴うかもしれない。W。その意味で男性認知症は厳しい環境にあり進行が早ま
「過剰関与」が結果的に家族介 護者の「自己の機会の喪失」(W。世界が狭くなる、時間が消費されるので自己機会は減る)をもたらしたと考える方が自 然である)
認知症患者の 家族介護者は,ある喪失へ適応する前に次の喪失が訪れる というように,複合した喪失を体験している。
>従来 ソーシャルサポートは

ストレス軽減効果をもつことが示 されているが,

本研究ではポジティブな介護サポートの正 の影響に加ネガティブな介護サポートが予期悲嘆に負の 影響を持つことが示された。

 

  2.精神的健康に及ぼす非死喪失,予期悲嘆および介護サ ポートの影響
非死喪失 (W。キャラ喪失、日常生活悪化)に関しては,予想どおり,介護者の健康に悪い 影響を持つことが示された。
「同一性の喪失」を除くいず れも,←W。注目すべき事態。重度化すれば介護環境に恵まれると介護者の精神負担は減る場合もある。
「身体的症状」,「不眠」それに「うつ状態」のいず れも強めている。

以下、W。介護教科書とは違う意外な事実が指摘されてる。この傾向は強化されている

>介護 サポートについてはポジティブサポートの大きな影響は認められず
むしろ,家族等及び知人等のネガティブサポー トが「身体的症状」と「うつ状態」を強めることが示され た。

>従来の研究ではポジティブなソーシャルサポートは, 介護者の健康障害を軽くする効果のあることが示唆されて いる。
実際,苦しい介護状況でも,話を聞いて慰める人が いれば,かなり精神的に救われると考えられるが,
>本研究 ではこれを支持する証拠は得られなかった。←W.介護現場では家族介護者の「話を聞いて慰める」プロサポート者などほとんどいない。介護の教科書に現場に即した応用編が載っていない。人材難。

>予期悲嘆に関しては,「嫌気と孤 独」等が強いほど,精神的健康が損なわれることが示された。

>従来の研究では,家族介護者の負担や介護ストレスが介護者の健康に強い影響を及ぼすことが示されているが

>本研究の結果は,非死喪失(介護者自身の大切な特性や状態のネガティブな変化)と
予期悲嘆(過去と現在の喪失や将来の夢・希望の喪失)が,負担と同 様家族介護者の健康を左右する要因として無視できないことを示唆するものである。←W。介護負担は何とか耐えられる。ストレスも負担に耐えられるのだから労働のほどにたまらない。
  W.介護者のキャラクターは介護のために抑え込まなければならない。介護による時間喪失は過去と現在の立脚感覚を希薄し、将来展望の立つ瀬を奪う!認知症の介護者は中吊りになっているような感覚である。

 

 

 

 

 

日本の老人の最期は一人で死んではいけないのだ、一人で死ぬことは不幸ということになっている。ほんとうか?

        W。高齢者の多く住まう約130世帯の集合住宅における1年間の高齢者の死亡者5名のうち在宅死 3名は警察の現場介入の必要な「事故死」扱いだった。

Wは住宅全体の自治会費(共益費)を集め記帳し用途ごとに随時出金する立場にいたためそれぞれの事情も 立ち入って知ることになった。

高齢者の抱える課題はこの間の反俗日記で 度々取り上げてきたことでもあり、いろいろと思いを巡らせる貴重な機会であった。

政治や制度、環境限定条件を踏まえるにしても、それらを改善するにはあまりにも長い期間がかかりすぎるし、

>厳然たる客観的判断によれば

この状態は全国的に拡大し悪化するといわざる得ないから、ある種の存在論的な思想ー哲学的結論を用意するほうが賢明と考えた。

3名の死は現在の制度上、警察現場介入を不可避とする事故死扱いになるが、

思想ー哲学としては自然死と したほうが主体的な受け止め方である

それは絶望や諦めではない。

そこにある種の不幸は確認できる。その意味で不幸と不幸を結びつけることの可能性はある。

*がしかし、Wは不条理と受け止める。

 不条理とは解決できない永久革命の課題であり、人間を人間らしくし、戦いに立ち上がらせ、明晰にさせる動因である。

***********

反俗日記6月1日 「諸君は、幸福の一致ばかり説くが、しかし誰も、不幸を一致しようとは言わぬではないか」。(信長と家康の関係をトゥーキュディデース『戦史』から引用して) 秋山駿 『信長』 新潮社 1996 まろまろ記より引用。

 長くなるが反俗日記の以下の全文を引用する。 反俗日記 2019/5/25(土) 午後 3:08

       <要介護認定者の認知症自立度~W、介護の困難性~と要介護度>
>W。Ⅱb(医師が主治医意見書を書く際に「内服管理が自分で出来るか出来ないか」で「Ⅱbレベル」の分岐点となる事が多いです。

>服薬管理が出来るならⅡbより良い状態、逆に出来ないならⅡb以下引用終わり~~

  反俗日記本文引用 

   ↓

>>なお、ⅡaとⅡbの違いは認知症理解の肝。
科学とは常識的理解の真逆のことが多い
認知症の人が症状を有りのままさらすことができるのが、一番身近な人の前。
外部には取り繕いがあるので~~関係性の中に生きてきた人間として当然の行為~~症状の実態が見えにくくなる。 あとで赤裸々な実例を示す。
 
 認知症の啓もう教科書(厚労省推奨オレンジキャラバン)はこの点を前面に押し出していない。
そもそも当局は地域啓もうを本気でやるつもりがない。講演活動程度。本物のボランティア精神の伝統がないところでどうやってやるのか?

古代中国に倣った大きな家族単位の人心掌握でやってきた歴史(戸籍制度はその典型。なお日本固有の戸籍制度については徹底的に調べたので記事にする予定。一つのヒント。韓国は2000年代中盤、戸籍制度を改めた。なぜできなたのか?行動する市民革命の産物であり徴用婚問題を可否を含め前回の記事で少し論じた。)の否定になり、日本の従来の制度には大きな限界を知っているからともいえる。

>個々のキャラクター重視は制度上できない。(明治維新クラスの改革をもう一度は無理)
認知症キャラバンの教科書は地域見守りについては手薄だし、講義はスルーしていた。地域の見守り活動は教科書好みの実例が見当たらないから、耳障りの良い空文句や底の浅い技術的人間関係形成に流れる。

仏教思想そのものが宗教教義として、

>さらに釈迦の人生そのものがはグローバリズムにミスマッチではないのか
葬式仏教は日本型封建制の「発明」だが(曹洞宗に始まった。武士階層の本格的位階制構築に必要だった、とみるべき)、

ローマに弾圧され処刑の最期を遂げたキリストと

弟子たちに見守られて息を引き取った釈迦を比較すると後者の最後は教祖として俗物の極みで~大往生~

少子化高齢化、個々が際立つ小規模家族ユニットのトレンドの中で

*その環境が欠如しているにもかかわらず未だに大往生が通念化する根拠になっている。

人間(動物)は環境に適応しずらくなると委縮する。

グローバル資本制の下部構造と上部構造のライフスタイルが一致していないから、委縮して繁殖を控えるようになる。

それで外国人労働力導入ということになるのだが、欧米に対して周回遅れも甚だしい経済至上主義満開といわねばならない。

令和などという不気味な年号をよくもまぁ選択した、モノだと感心する。これは日本古代半奴隷制国家時代の匂いプンプンなのは歴史に関心のあるものなら当たり前の感性として抱くものだ。

 日本の老人の最期は一人で死んではいけないのだ、一人で死ぬことは不幸ということになっている。ほんとうか?


実際に死ぬるときは周りとの関係性は途絶えて単体で物化するのであって、神(死)と向かい合える人は神と向かい合うはずだ。人間であること、から解き放たれて自由になるのだ。W流に言えば自覚せる物質が本来の姿に戻る。

 認識することと実行の間には事柄が大事であればあるほど深い溝がある
その場合、それを超えてやっている人を大事にすることから始めなければならないと思うが、現場ではそうなっていない。

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                 高齢者の終末期ケアのあり方について      

 ~老人の専門医療を考える会の見解~老人の専門医療を考える会 2006年9月

    5。終末期において治療を中止する際の法律上の解釈と問題点
  「異状死」の問題。
>死亡する24時間以内に患者を診ていなければ
>あるいは疾患の経過から予測されない死亡の場合はすべて「異状死」とみなす現状は、
在宅死」をいっそう困難にしていると考える。

この点については管轄の警察との打ち合わせも必要であろうが、法的なガイドラインを早急に見直すことが必要である。W。いまだに改革はできていない。

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     終末期医療・緩和ケア ~四つの全人的苦痛~

   問2あなた自身が高齢となり、脳血管障害や痴呆等によって日常生活が困難 となり、
さらに治る見込みのない疾病に侵されたと診断された場合、どこで最 期まで療養したいですか。 

一般国民 病院:38% 老人ホーム:25% 自宅:23%

医師・看護職員 自宅:49% 介護療養型医療施設又は 長期療養病院:23%

介護施設職員 自宅:38% 介護老人福祉施設(特別養 護老人ホーム):26%

自宅で療養したい理由
住み慣れた場所で最期を迎えたい」(般62%、 医66%、看65%介70%)、
最期まで好きなように過ごしたい」(般47%、医57%、看66%、介61%

W。一般国民は住み慣れた場所で好きなように過ごして最期を迎えたいが、それができる収入がない、と自覚している。

介護職の住み慣れた場所で最期を迎えたい、70%は今の日本の施設の現状の反映。

カネの多寡の在り様が最後の環境に大きく影響する。

でも人間の最期にはそれを超えた次元がある、と知らねばならぬ。

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  実例 その1。

レビー小体型認知症と思われる妻との1対1介護で夫は急激に病んでいった。

最初、発症した脳梗塞は軽度で1週間余りの入院で自宅復帰した。

1年ぐらい経過して前立腺がんの手術をしたが完治せず薬物投与を開始した。

腎臓病が悪化して1週間に3回透析治療に通院するようになった。

喉頭がんを発症し薬物治療をするも大掛かりな手術になり、重度認知症の妻を在宅に残し長期入院。

ところが在宅中の妻は室内火災で焼死した。

二人の子息がいたが、一人は働き盛りなのに脳梗塞を発症し著しく運動能力を低下させ親の面倒を見る余裕がなかった模様。

もう一人の子息は遠くで働いていて疎遠になっていた。

一人住まいの認知症の焼死は火災事故としても大変だった。

   実例その2。

上記の火災事故の大騒動の最中に夫が心疾患事故で死亡したが、同居する認知症の妻は尾西を知らないまま数日経過し、近隣のひとの安否確認で布団の中での死亡が確認された。

  実例その3。

実例その1の火災事故の半月ほど前に、糖尿病を悪化に起因する症状の一つである心疾患突然死によって一人住まいの老女がなくなった。Wも知っている方だった。

体が次第動かなくなり、近所の世話できる高齢女性が気にかけており、亡くなるまえに買い物をしてあげていた。この女性が応答がないので室内に入ったところ、布団にうつ伏せになりこと切れていた。直接の死因は窒息死と聞いた。

>その他の死亡場所は病院と施設である。

3つの実例は上記の云う異常死、事故死扱いであった。

実例その1はDNA検査による入念な操作が行われ、結果が判明するまで1か月以上かかった。近隣の火災被害は放水、と煙によるものであった。

*実例その3は地域活動のできる高齢女性が第一発見者ということで深夜まで入念な事情聴取を受けた。地域活動を担うということは、それなりの自己犠牲を伴う場合がある、という証左である。

*実例その3も住民同士の日常的な助け合いの限界を示すものである。

*実例その1は地域の相互扶助、家族介護の大きな限界を示すもので現在の核家族化の実情が露呈したものといえよう。息子娘や親族があっても孤立死が日常化している現状がある。

>個々人の自律による縁結び、の環境を具体的に整える時代になってきた。